王城
サンティーが食べ慣れない川魚の串焼きを口に突っ込み、串で頬を刺し、さらに才能の感じられない咀嚼と悲壮感漂う嚥下力により、喉の奥に小骨が刺さって悶え、その対処にデルデルが悩んでいた頃、ザメシハ最強の槍と最強の二刀が衝突した。
ぶれた金属音が小さく鳴り、槍の穂先は二つの刃に軌道を反らされて素早く後退した。槍を持った男と二刀流の女が互いに下がって距離を取った。
男は騎士団長レメリ・レヌ・ホウエン。
金色の長髪をなびかせ、青い目は柔らかな印象。顔は眉目秀麗だが肌や目元の小じわに年齢が出た壮年の男。職業は〔騎士/ナイト〕系を修めている。
女は戦士団長タリッサ・エンドール。
栗色の髪は動きの邪魔にならぬよう短め。静かな闘志が潜んだ顔は、オオカミのような鋭さと威風を感じさせる。こちらも壮年に見えるが、積んだ経験の重みが窺える。職業は〔二刀流戦士/ツーウエポンファイター〕など。
これは月に一度の訓練試合である。
武装は双方とも訓練用の鋼鉄製、レメリは二メートルの単純な槍で穂部分は二十センチ、タリッサは九十センチの長剣二刀流、刃は潰してある。二人の全身鎧は訓練用とはいえ立場にふさわしい品質で動きを阻害しない。頭部には何も着けていない。
ここまでの勝敗はレメリ三十七勝、タリッサ三十三勝、三十五分け。
場所は王城東部の屋外訓練場。足元はただの草地で特に加工はない。
訓練場の北側には、焦げたように黒い木材が折り重なり絡み合っている外壁の塔がある。高さ六十メートルのこの塔は魔術的な防衛機能を持つ魔道塔である。西側には青い王城、その後ろに巨樹が直立し、南側には兵舎、厩、武器庫など軍施設が密集している。
王城は周囲を水堀に囲まれ、東西南北の橋から出入りする形になっている。
城内に王都外壁の防衛機構は建国以来強化され続けてているが、本格的な戦争をするには頼りない造りである。
これは百七十年前のザメシハ建国時点で、大陸北西のルドトク帝国との戦争の真っ最中であり、この戦に加わる国々間で大きな争いを起こさない事は不文律だったからだ。
二人が部下の騎士、戦士、その他周囲の建物から見物人の視線を受けながら、瞬きもせずににじり寄りる。風にそよぐレスラクスノキの葉音だけが聞こえている。
お互いに知り尽くした相手、さらに双方とも速度、手数で戦うタイプ。特に目新しい技が出る訳はなく、細部を無駄なくより正確に、限界まで詰めた方が勝つ、そんな勝負だ。部下に見せる手本としては適切だ。
タリッサが左手を剣を前に突き出し、右手の剣を陰に隠しながら、レメリの背中側に回るように距離を空けて動く。
レメリは両手で中央辺りを持った槍を傾け、穂先が地面に付きそうなほど下に向けて構えて足を止めた。待ち受ける構え。ここからは、そのまま近い足を狙うか、跳ね上げる形で上体を狙うかだ。
側面に迂回しながら上げて、横薙ぎに胴を狙う手もあるが、タリッサには通用しない。片方の剣で難なく受けて、もう片方で反撃するだろう。
基本的に正面で適切な距離を取って突ける形を維持したいはずだ。
「ここで待ちは珍しいな」
これは序盤の探り合いでよくやる構えだ。既に五分やり合っている。タリッサにしてみれば、そろそろ決着で問題無いとの考えだ。
「あれを使うのに色々試そうと思ってな」
「そうかい、ならこっちもそうしよう」
タリッサが目を見開き、全速で前に出た。当然レメリは迎撃する。
低い穂先が胸部目掛けて跳ね上がる。
タリッサは剣で防御せずに戦技で加速、二歩目は前に踏み出さず、今度は全力で後ろに下がった。
跳ね上がった槍は少し鎧をかすめただけだ。
レメリは引っかけられたと認識したが冷静だ。さらに一歩踏み出し、下がるタリッサを追い、上がった槍を振り下ろす。
跳ね上げる動き、そこからの踏み込み振り下ろしも一つの型として完成されている。
タリッサが戦技〈流星剣・重雨〉を使う。動きが一気に加速し、特に剣速が上がり一撃が重くなる。この状態になるとタリッサの連続攻撃は止まらない。
タリッサは右の剣を全力で下から振り上げ槍の先に当てた。一瞬槍が止まる。それを見逃さず槍の間合いの内側に飛び込みながら左の剣を振り下ろした。
レメリが槍を瞬時に回転させて、柄で斬撃を受けた。
止められたが完全に剣の間合いに入っている。
タリッサが空いた右で攻撃を放とうとしたが、受けられた左を強く押し返され少し態勢が崩れた。
(下がらないのか?)
普段なら距離を空けようと動く場面だが、レメリはそこから槍を短く持ちかえながら回転させて強引に右手を狙って突きを放つ。
これには〈烈風波・飛沫〉も使われている。突きの威力を増すと同時に、周囲に弱い力場による突きをランダムに発生させる戦技だ。
この槍術としては美しくない強引な動きを、タリッサは攻撃を止めて右手を大きく引いてかわした。飛沫部分も含めてかすりもしていない。
(らしくない動きをする)
タリッサは当然空いた左で攻撃を試みる。レメリはそこからも下がらず、短く持った槍でさらに前に出た。
お互いが至近距離を衝突するような形になって金属音が響いた。
レメリの槍が肩の隙間を捉え、タリッサが突きが内肘を捉えていた。
訓練は鎧に完全な一撃が入るか、保護の弱い部分に当たれば終わりである。二人はこの程度の鎧ならば貫通できる技を持っているので、実戦なら腕が切断されているだろう。
二人が距離を取ると審判役の兵から声が上がった。
「引き分け」
試合の決着と同時に僧侶の男が駆け寄り信仰術で治療した。
「治療するまでもなかったが」
張った声のタリッサにレメリが甘い声で言った。
「平和に終わって重畳重畳」
「もうこれでは滅多なことでは怪我もしないな、おかげで動きが荒くなる」
「いや、怪我はしているだろう、一応は。死にはしないだけで」
二人は身体能力は超人の域に達している。鎧無しで直撃を受けても、鋼鉄ならば致命傷にはならない。事実、槍と剣は曲がっている。スキルで装備が強化されていても、二人が使うには柔らかすぎるのだ。
「一仕事終わったし、今晩酒でもどうだい?」
「今日は用事がある、多分だが」
「つれないねえ」
「お前、禁酒はどうなったんだ?」
タリッサが思い出したように言い、レメリが軽薄な笑みを浮かべて目を反らした。
「今日ぐらいは良いだろう、月に一度の行事なんだから」
「それに今日はティーゼ大臣に呼ばれているだろう、仕事なら忙しくなる可能性もある」
「ああ……そいつがあったな。なんの要件かね」
レメリの目つきが真剣なものになったが、すぐに緩んだ。酒か女のことを考えているに違いない。
「忘れるなよ」
タリッサがレメリに念を押し、レメリが騎士団の兵舎に、タリッサが戦士団の兵舎に部下を連れて一旦引き上げて行った。
騎士団は貴族出身者、貴族、騎士に推薦された者で構成されている。対して戦士団は平民出身で手練れにはハンター出身者が多い。ただし上位の戦士は大抵一代貴族扱いで、戦爵の爵位を持つ。
騎士は特にウマ、その他の騎獣に乗る能力が高く比較的重装である。ただし森が多い国情から、エファン堅蹄王国の重装騎士に比べればかなり軽装だ。レメリも鎧は薄めで森での活動が得意な〔森騎士/フォレストナイト〕の職業を持つ。
有事の際には、その機動力で戦地に駆けつける。
戦士は歩兵戦、魔物戦が得意な者が多く、装備に一貫性がない。鎧を着ずに長弓だけ装備する者すらいる。
騎士より住民との距離が近く、犯罪捜査に当たる割合が高い。特に危険な魔物が街の近くに来た場合は、ハンターと協力して撃退に当たる。
騎士団、戦士団に魔法兵団を加え、この三つが王家直轄の軍事力である。
少し時間が経過し、朝の訓練を終えたレメリとタリッサが長廊下で合流、並んで王城へ向かう。代々の両職の間柄としては珍しい距離感である。
出自の違いから、騎士団と戦士団の間には一定の緊張関係があり、争うこともしばしばで、馴染みの鍛冶屋も酒場も娼館だって違う。
恐らく今頃は毎度の言い争いが発生しているだろう。騎士は騎乗して戦うものだとか、あの鎧では戦士団長の足が活きないとか、訓練での使える戦技ではどっちが有利だとか、毎度毎度だ。
それをタリッサが喋ってる暇があれば訓練せよと一喝するのも毎度である。
ただし今代の両職の中は良好、というかレメリはタリッサに求婚したことさえある。
さらに通常は騎士団長が戦士団長に作法をあれこれと煩く言って揉めるのだが、レメリが国中の貴族が諦め、苦言を呈することすらなくなった放蕩者であるせいで、タリッサが色々と言う側になっている。
「さっきの試合だが、どうせならあれ使えばいいのに、訓使っても分からないって」
レメリが合流するなり言った。
「記録が残るのに使えるものか」
タリッサが何を言ってるのかという調子で応じる。
「こっそり使えば問題ないって」
「なら定例の試合以外でやるか?」
「いやあ、無許可では流石に俺も戦おうとは思わんのでな。立場が無ければなあ、あれを付けた動きを体験したいのだが」
「ふっ、ならお前こそあの槍を使えば? それならば私もあれを使おう」
タリッサが笑った。
「いや、あれは武器だし。流石に無茶だろう」