呪い
「全体としては悪くないが、最後に妙なケチがついたか」
ポウル・ホルスト元帥が深く椅子にもたれかかって、机の上に並べた書類を睥睨している。一仕事終わって最大の緊張から解放されたが、数日は後処理が波状攻撃を仕掛けてくる。
それでも一息をつけるはずだったが、多くが動いた大作戦だけあって想定外はいくつかあった。そのため雷雪作戦の評価が定まらない。
うなっている彼がいる場所は参謀本部の参謀総長室。建物は石造りで、部屋の壁は白く、天井では長細い円筒形の蛍光灯が室内を照らしている。
彼が座る椅子は不織布から製造された人工皮革製だ。参謀総長ともなれば、本革の品を使えるが、馴染んだ人工皮革の椅子を使い続けている。
ただし、履いている革靴の材質は、南部で討伐された死牛の皮で、多くの耐性を得られる魔法の品だ。こちらは機能を優先して最高級を選択した。
部屋にはコンピュータもあるが、計算に資料を見るのに使うだけで、大事な連絡はすべて書面である。
紙はざらつき、クリーム色で完全な白ではないが、文字を誤読する心配はない。これで品質はよい部類である。
机に並んだ報告書を見るに、今回の雷雪作戦はおおむね成功と彼は考えていた。
一度戦線を大きく押し込んでから退却。主戦場では予定された戦果と損害、勝ち過ぎず負け過ぎずである。勝ちすぎると陛下がまた妙なことを言い出す心配がある。
このまま持久戦を続けるのが彼の基本方針であり、敵に大きな負荷を強いただけが最善。叢生への対処を抱え、戦線の位置を変更するのは論外であった。
具体的な戦果は、敵損失推定五万以上。未踏破の地形情報取得が最大の戦果である。
魔法使いの幻術により、十キロも離れれば見えている丘が実在するかどうか不明な有様であったが、当面は敵の配置や罠の位置を推測できる。
相手は魔法で地形を変えるだろうが、相当な労力を要するだろう。これも負荷の一種であり、得た地形情報を使って攻勢をかけたりはしない。
帝国軍の主な損害は全軍で戦死者五万六千、戦傷者二万二千、戦車千九百二十、航空機六百六十九である。
そして処分したかった練度の低い兵ばかりを集めた部隊は予定どおり処分できた。この時点で最低限の目標は達している。
さらに戦車乗りの夢にして象徴、重多脚戦車デグモフレッガーを減らせた。
軽多脚戦車キャキは運用しやすいが、デグモフレッガーは戦果に対して維持コストの高い上に専用の随伴兵が必要で、あれを戦闘に絡めるたびに動きが一拍遅れる。
彼が前線にいた時から邪魔だと考えていた。
だからあれを無理して運用するより普通の戦車を増やしたい、が彼の意向だが、デグモフレッガーに執着する戦車兵の強烈な反対に遭い難しい。彼らにとって戦車は家のようなものだ。
だから今回の乱れた戦場で、何とか敵主力に当たるように計画を練ったが、報告書を見るに、思いのほか派手にやられたようだ。
「修理できても一台だろう、機装兵まで巻き込んでしまったが」
機装兵は減らしたくないが護衛に付いている以上、損害が出るのはどうしようもない。それでも軽微な被害だった、この段階では。
そして潜水艦、神代の伝説。
「しょせん空想の産物だったな、船を潜らせるなど正気の沙汰ではない」
兵器局の担当者の強い押しで作戦に組み込んだが、予想どおり作戦の途中で通信が途絶した。探査魔法にも引っかからないので、ギルイネズ内海深くに沈んだと見るべき。
「潜水艦開発は凍結するか、あの港を維持するだけにどれほどコストが掛かるか、いやあそこが無くなると魚が捕れなくなる。無くしたら苦情がありそうだな、面倒な」
ギルイネズ内海は恐るべき魔境だが、魚肉の供給地だ。船を出して漁をするのではなく、飛来する魚を撃ち落として回収する。その魚は彼自身も食べている。それを思い出し、あまり触れないことにした。
次に空戦、退却の命令が実行される前に捕捉され、飛行魔女団と戦闘に突入している。大きな損害出したが魔女団を引っ張り出す役目は果たした。
彼は戦闘経過の報告書に目を落とした。
「アニ参式は、戦闘開始から魔女二名相手に優勢を得るも、徐々に敵に対応され一機中破、そのまま戦況が悪化――」
ここに投入した魔道戦闘機アニ参式四機は全機撃墜された。
悪くない報告である。最終的に撃墜されたが、勝負にはなっている。
これまでは三魔女とまとも空戦ができる兵器は製造できなかった。だから、対空砲陣地に誘導する以外の対処手段がなかった。
しかし、アニ参式を増産して航空優勢を得られれば、一気に半島を落とせる。
ただし材料の木材は南方だ。
「半島戦線を落ち着かせて、後回しにしてきた南方を重視する判断もあり得るが、金属兵器を減らして、木造兵器を増やすとなると関係各所の抵抗が大きいな」
機神教、兵器局の派閥、関連企業の抵抗が彼の頭をよぎった。状況の激変は必ずしも帝国に利益があるとはいえない。これはすぐに結論を求める話ではなかった。
ここまでは想定内だ。何の問題もない。評価に悩む問題は作戦の終了直前に集中していた。
机に展開した報告書が、評価を迫って来る。
最初の想定外は空だ。
空中要塞デメ・ジャーガの甲板で、ルクレ・オプテフと交戦して生き残った心覚兵三人の内二人は、帰還途中戦闘から半日しない間に死んだ。
一人は睡眠中に発火し消し炭になった。この影響で艦内に火事が発生したが大事には至っていない。もう一人は艦内を移動中に全身が溶け出し、通路でどす黒い毒の沼になって死んだ。この沼が放つ毒気が艦内に立ち込め、運航要員が七名死亡。毒の清掃にかなり苦労した。
これまでルクレ・オプテフと接近戦をして生き残った兵はいない。当然、初めての事例である。
「これが本物の呪いか、こいつの対処をスターデンと協議しないと」
木造のドアが軽く三回ノックされた。
「入れ」
ホルストの声でドアを開けて姿を見せたのは、フィリ・キセン・スターデン元帥だ。
「早いな、いいタイミングだ」
「必要だろうと思いまして」
スターデンは軽やかな笑顔で応じた。
打たなくとも響く、仕事が楽で助かるとホルストは思った。
「そちらも相当な損害だろう。笑ってはいられまい」
「割には合っているとの判断です」
「まず、空のほうだ、まあ座れ」
「そっちからですか」
スターデンは机の向かいにまで来ると、部屋の隅にあった椅子を浮かせて引き寄せ、それに腰かけた。
「こっちは処置が必要だ」
「着艦してくると分かっていれば、最上位の心覚兵を配置したのですが」
「そうなれば向こうは逃げただろう、あちらは人類最速。速ければ敵を選べるからな」
「でしょうね」
「これからは解呪の専門家を乗せる必要がある。手配できるか?」
「仕方ない。大きな作戦に限って許可しましょう」
戦闘しかできない魔法使いは前線に回せばよいが、医療や調査能力のある魔法使いはほかでも需要がある。
「当分、動きはないはずだが何が起こるか分からん。しかし、実に性格が悪い」
「遅効性の魔法なら我々も使えますよ、必要がないからやらないだけで」
「そうではないぞ、スターデン」
「何がです?」
スターデンが不思議そうな表情をした。
「死んだ二人の心覚兵の話ではない。生き残っている三人目が問題なのだ」
「生き残った三人目、セオ・カット大尉は幸い何も受けていなかったでしょう。精密検査も終わっています」
「幸いなものか、隠密裏に遅効性の攻撃を行う余裕があるなら、二人は普通に殺せただろう、それなら残り一人も殺せたはずだ」
「……わざと魔法を使わず帰したと。つまり、猜疑心を煽るためと」
スターデンが少し考えてから言った。
「そうだ。だから協議が必要なのだ」
「そういう意味でしたか、つまり隔離施設送りですか?」
「そうだ。周囲の人間を巻き込み殺す呪い、受けていないと言っても信じるものか。急いで隔離しなくては、恐れが、魔女の呪いが広がるぞ。ただでさえ、魔法使いと常人は距離がある。あるいは本人が受けていないと信じないかも知れんぞ」
「優秀な若手なのですがね」
スターデンは少し困った表情だ。
「数年入れて出せばよかろう。安全が確認できたと」
「あんな所にいては気が滅入ってしまいますが、まあ、これも仕方ないでしょう」
「これが本物の呪いだ、この呪いは解けない。見習わなければな、これが本物の魔法使い。本物の呪いに魔法は不要」
魔法を受けているなら解呪すればいい。解呪しました、で問題は解決する。受けてなければ解呪できない。した振りをする手もあるが、ばれると深刻な問題となる。教会も騒ぐに違いない。
周囲は危険な呪いを受けたと疑い続けるだろう。つまり解呪できない本物の呪いを受けた。
これに対し箝口令を敷いているが、関わった人間が多過ぎ、敵が積極的に広めようとすれば隠しようがない。
「せいぜい先達を見習うとしますよ」
「こんなのをやるから恐怖され排斥されたわけだ、よくわかったよ」
「魔法使いの排斥を肯定する発言は困りますな」
「承知している。しかし恐ろしいだろう」
「わからないでもないですがね」
「さらに恐ろしいこともあるぞ。ルメカ大佐から直接ルクレ・オプテフに関する報告を聞かなければならない、あのルメカから」
ホルストがルメカを強く強調して言った。
「彼に何か問題が? 堅実な人間だと認識していますが、だから作戦を任せたのでは?」
「なんだ、知らんのか? あの男は猛烈に研究熱心なのだ」
「それはよい事では?」
「よい事だって? もちろん良い事だとも。しかし程度が尋常ではない」
ホルストが珍しく速い口調で話した。
「と言いますと」
「ダゲエリア空軍基地の彼の部屋を覗いてみるがいい。部屋の壁天井、すべてがルクレ・オプテフの写真で埋め尽くされている。撮影日時にタイトルと共にな」
ホルストがありとあらゆる距離、角度、場面のルクレ・オプテフの写真を思い出しながら言った。
「……それはまあよいことの内では」
「あれを一度見てみろ、奴が魔女の話をするたびに恐怖を感じるわ。あきらかに異常の域だ」
「私は別に見る必要がないもので」
ホルストがじっと見るとスターデンは目を反らした。
「まあ、いい。次だ、侍ゴンザエモンの件だ」
ゴンザエモンを名乗る侍が帝国に与えた損害は完全に想定外だった。半島の秘密兵器が出てくる可能性はホルストの頭にあったが、いきなり後方から出るとは考えていなかったために、貴重な戦力を失った。
「そっちですか。ホツマの切り札、その認識ですか?」
「ジン中佐は違うと主張しているらしいが、なんとも。お前の考えは?」
「私も直接見ていませんからね、ただ生き残りの記憶を見る限り侍らしくない言動ですな。彼らは品性がある」
「だが大陸で侍がいるのはホツマのみ。東に放った間諜の情報でも、半島外ではほぼ見ない。当然ゴンザエモンの情報もない」
「そう言われると特別反論もできませんが」
スターデンは何か考えがあるように見えたが、何も言わなかった。
「まあ、情報はこれから探すとして、ジン中佐が負けたのが最大の問題だ。お前の兵も死んだろう」
「こちらに関しては、戦死するという成果が得られたので割に合うとの判断です。高位の心覚兵はいささか驕りがありますし、我々も危険地帯で戦っていると他に示せましたから、全体ではプラスかと」
「そっちが納得しているなら結構。ジン中佐が負けると他の兵種出身将校から突き上げがある。最強無敵が売りだったからな、共に戦った者として心覚兵には弁護してもらいたい」
ホルストは運用しやすい機装兵に予算を回したい。現在製造可能な機装兵と発掘品の落差は大きいが、それだけ伸びしろがあり、乗り手の力量で極めて強力になる。
対する戦車は、操縦士の力量が違っても負ける時は負ける。先を見るなら機装兵を使うべき。
「もちろん構いませんよ、我々の価値にも関わる話です」
「それは良かった。これでもう一つも片付いた」
「しかしどうします? 説得要因があるので?」
「別にひねりはいらない。極めて強力な敵を撃退したと強調するまでだ、負けではないとな、負けてさえいなければどうとでもなる」
「そこはいつも閣下のやり方で。ジン中佐の扱いはどうなるので? 中佐以上の敵が存在するなら迂闊に前に出せないでしょう」
「ジン中佐には都市でも回ってパレードでもしてもらう。英雄らしくな」
「本人は嫌がるでしょうね」
「経験者は語るか、しかし、カスカカウベの修理は半年ぐらい必要らしいから、どう転んでもしばらく前線には回せない。国家の英雄に死なれては困る」