鬼3
ゴンザエモンは横たわったまま、雪がえぐれて覗いた地面に視線を固定して、身じろぎせずにつぶやいた。
「どこの糞野郎だ。これで一旦締めにしようと思ってたのによぉ」
彼の機嫌は最悪過ぎて、最高の笑みを浮かべていた。
いきなり横から攻撃されたからだ。それ以外の理由は無い。
普段なら気がついたはずだが、無音で脅威の無い物がゆっくり飛んできたのと、狙撃に神経を割きながらも、目の前の晩餐だけを見ていたせいでもろに喰らった。
半日以上の長い下ごしらえを終えて、さらに続く地道な作業の果て、ようやく机の上に並んだ料理。その中でも我慢して我慢して最後に残したメイン。名残惜しくもそれを平らげて今回は終了。侘びの精神で、慎ましい晩餐を終えて帰途に就く。
少し足りないが故に満ち足りた、清涼の心を被るはずだった。
その締めを邪魔する無粋な存在。
煮えたぎる流紋岩質マグマのように粘ついた怒りが、彼の体内で飽和して、全てを突き破って噴出しそうだ。
怒りで忘れそうだが左目を潰された、ポーションを使わないといけない。
ポーション、復讐、殲滅、ポーション、復讐、殲滅、殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
忙しい忙しい、やるべき事が無限にある。
彼にしては珍しく、考え事で頭を一杯にして、死人が墓場から出てくるような調子でゆっくり起き上がった。
しかしすぐに機嫌は直った。巨大で頑丈、斬り甲斐のあるおもちゃ。
それが二十メートル先に三機、さらにその後方、数百メートル先に散らばって四機。手に持っている武装は大きさを合わせた銃に棍棒などで機体によって異なる。
機装兵は負傷者を連れて後退していく。
(魔道機械じゃねえ、有人の硬律騎だな、なら音がねえのは魔法使いか)
さらに遠くから多くのライトがこちらに向かって来るのが見えた。兵員輸送車の車列だろう。
「こりゃあ、しっかたねえ、本気でいくか」
もう機装兵の事は頭に無い。
しかし一方で彼はそろそろ退き時だとも思っている。
彼は規則など糞くらえの自由人だが馬鹿ではない。戦の道理は心得ている。
戦の流れを見極め、まずは帝国の前線後方に潜入して最も弱い場所を突いた。そこから不規則に後方部隊を襲撃し、調査にやってきた部隊も殲滅した。
そこから少し姿を暗まして、帝国の防衛線を無警戒な裏側からぶち抜いた。そして最後には半島側の陣地に逃げ込み紛れる予定なのだ。
その一歩手前で粘って、思いのほか多くが喰いついた。彼の望む命のやりとりだ。
退くべきとの考えと、もう少しもう少しという思いがせめぎ合っている。
全ての硬律騎が腕をゴンザエモンの方に向けた。全ての硬律騎の様々な箇所から一斉にレーザー、実弾が発射された。射撃音が連続して命中点では雪と土が弾け飛ぶ。
そして雪と土が落ち着き、視界が確保された。そこには何も無かった。地面がえぐれているだけだ。
硬律騎の操縦士達の間で通信が飛ぶ。
「命中……していない。捕捉急げ」
「砕け散ったのでは?」
「動きは検出していません」
「ジン中佐以上の化け物だぞ。人間だと思うな! 再補足して逃げ場のない散弾を撃ちこめ」
「しかし人一人となると……」
「心覚兵側では捕捉できないのか!?」
「速度重視だ。群れていやがるからな」
ゴンザエモンは最寄りの硬律騎の足元にいた。〈縮地・鬼〉で瞬時に音も無く前へ移動、一歩で距離を零にしていた。
そこから気だるげに放たれる連撃が、硬律騎の太い足を何度も切り裂く。片足の膝から下の部分が、刻んだ野菜のようにバラバラになって転がる。
流石に戦車よりは硬い。腕に一瞬感じる引っかかる感触が丁度良く、満足感を得られる斬り心地だ。
硬律騎は大型の魔物向けの兵器で、素早い相手には向かない。もっとも、本来なら小さく素早い敵がこの分厚い装甲を抜けるはずは無いのだが。
「なんだと!」
片足を破壊された硬律騎がバランスを崩して転倒しかけたが、膝までなった足でどうにか踏ん張って転倒を防いだ。そこからすぐに腕側面の散弾銃をゴンザエモンへと向けて発砲を試みた。
操縦士の熟練を感じさせる反応だ。しかし――
「馬鹿な!」
腕は踏み込んだゴンザエモンに容易く斬りおとされた。さらに彼は胴体を見た。
硬律騎は咄嗟に残った腕を盾にしたが、腕ごと胴体まで切り裂かれた。
「ぎゃあぁ」
拡声された悲鳴が響き、バランスを失った巨体がドスンと重い音を立てて倒れる。近くの二機は全く反応できていない。
それを見た彼は、倒れた機体を踏み台にして近い硬律騎に跳びかかる。
「鈍い」
〈一刀両断〉、スキルの名通りに二機の硬律騎が真っ二つになった。無論、中身ごと。
彼は綺麗に分割された二機を一瞥もせず、着地すると同時に距離のある硬律騎へ向かって走る。
しかしその走りは、硬律騎の接近して斬りかかろうとする直前で止められた。
全身に凄まじい重さを感じ、進行方向からは弾力のある分厚い膜に押し戻されるような圧力が掛かっている。
「なに!」
状態異常ではない、物理的な圧力で抑え込まれている。
見えない網、複雑な力で構成された力場。念道力、空間制御、風力、暗示による抑制、磁界、彼が分かるだけでもこれだけの力で構成されている。
「ちっ、前に進めねえ」
ゴンザエモンは全身に力を入れたが、地面がえぐれるだけで、ほとんど前進できない。
「うぜええぞ」
戦技〈結界断裂〉、彼は刀で見えない力場を切り裂く。消失する力場、一歩二歩前進。
しかしすぐに同質の力場に捕まった。そこを硬律騎の巨大な棍棒が上から叩きつける。進めないので刀で受けざるえない。多くの重圧が彼の腕を上から押していく。
別の硬律騎が横から大砲のような銃で攻撃してきた。大きな弾丸が横から彼を打ちつける。彼にもダメージを与える威力だ。さらに甲冑の隙間を狙ったレーザーの狙撃が来る。
「ぐお。糞が」
彼は刀で棍棒を受け止めながら、目の前の硬律騎の後方、五十メートル先を見た。
そこには装飾のある黒いロングコート型の軍服を着た集団がいる。数は二十いないぐらい。
「あれか、超能力系かよ。このままじゃあ動けねえ、やむなし」
彼は微かな逡巡も見せず、気前よく左手首にある数珠を外した。
鬼制徳念珠、特定の能力を封印する代わりに利点を与える封印型装備。
これを着けていると〈鬼化〉できないが、多くの状態異常耐性を得る。
つまりこれをはずすのは、〈鬼化〉を使う時をおいて他にない。
「ウオオオオオオオォォォォォォ」
魂を直接震わせる鬼の咆哮が戦場にこだました。
甲冑面の額に穴が空きそこから一本角が伸びる。兜の二本角は太くなり、左目も回復した。甲冑の中の体は荒々しく盛り上がってはちきれんばかりだ。
その黒い甲冑は全体が刺々しい暴力的な外形に変化し、ゆっくりとすべてが紅色に変わり、闇に溶けるように薄かった存在感は逆転して、目を閉じても感じられるほど鮮烈になり、見る者の精神を威圧して焦がす。
対して刀は寒気を感じさせる青い炎を帯びる。
「オラアアアア」
彼はまず受け止めていた棍棒を、力だけで打ち払った。硬律騎は衝撃に耐えきれず後ろに転倒。棍棒はひびが入って少し割れ、いくつかの欠片が空中に飛んだ。
「でけえのはとっておく」
ゴンザエモンは降ってきた棍棒の欠片を掴み、ロングコートの集団へ投擲、砲弾並みの速度で飛んでいった。さらに合わせて〈断空〉で斬りつけたがどちらも見えない壁に阻まれた。
「ちまちま守りやがってぇぇ」
ゴンザエモンはひたすら集団のほうへ進む。硬律騎が撃ってくるがどうでもいい。発生する力場を何度でも破り、力場に強引にめり込んでいく。
すると途中で力場が無くなった。
「途切れたか」
その機を逃さず一気に〈縮地・鬼〉で距離を詰める。彼はすぐに斬りかからんと腕に力を込めた。
しかし直前、三、四メートルの距離でまた阻まれた。急激に減速して足が止まる。これまで以上に強い力場だ。
「最後の抵抗かあ? みっともねえぜ、きっちり八つ裂きにしてやる」
彼は目をむいて、よく顔の見えるようになったロングコートの集団に怒鳴る。
対する集団は冷や汗をかきながら必死に連携して能力を使っているようだった。
「急げ!」
「抑えきれません」
「集中を切らすな」
「障壁を小さく強固にせよ。攻撃ではなく防御に徹して行動を阻害、歩みを止めろ」
「足場のほうを壊せ」
「ポケーテ、まだか!?」
「もう少しよ」
「うがああああ」
ひたすら前に進もうとするゴンザエモンの精神にまとわりつくものがあった。しかし彼は感覚はぎらついた闘志で埋め尽くされていたので、些細なそれを認識できなかった。それはナメクジが這うようにゆっくりと精神を侵食していった。
ロングコートたちは力を振り絞って何とかゴンザエモンを押しとどめる。
「なんでダメージが無いんだ!?」
「もう持たない」
「入った!!」
「確実か?」
「確実です」
「攻撃停止! 攻撃停止だ、ダメージを与えるな」
魔法で拡張された大きな声が響いた。そしてこの場に戦う者はいなくなった。
ゴンザエモンは前進しようとするのを止めてただ立っていた。
ぼんやりとして良い気分だった。何が良いのか分からないが、全てが満ち足りたような多幸感を得ている。
少し残っていた怒りは微塵も無くなった。燃え上がっていた闘志は鎮静化している。
ぼんやりとした彼に、男と女がゆっくりと近づいてきた。
「慎重にやれよ、失敗したらフォローできない。あれはおかしい」
張りつめた表情で男がつぶやいた。
「分かっていますよ」
そう言って女は近くまで来た。
「ええっと誰だっけ?」
ゴンザエモンは少々おぼろげな意識で考えながら言った。
「何を言ってるの? 私たち親友じゃないの、忘れてしまうなんて酷いわ」
女は笑顔で言った。
「親友?」
「そうよ、皆あなたの親友じゃない」
「おおう、そうだったけな、ああ、きっとそうに違いねえぜ」
彼にはよくわからなかった。しかしきっとそうに違いないと思った。そっちの方が好都合だから。
「ほら、周りを見て、皆あなたの親友じゃない、私があなたのために用意したのよ」
女が見るよう促した方では、歩兵が輸送車から降り始めていた。
「そんな! なんて素晴らしいんだ。ありがとよ、親友」
「そうでしょう、だからあなたに色々と聞きたい事があるの」
「聞きたい事? 話なんてしている場合じゃないぜ」
「そんなこと言わないでよ」
ゴンザエモンは大勢の親友に恵まれた感動で打ち震えた。目には涙すら浮かんでいる。気分は長年辛苦を舐めて偉業を成した祝賀会の主役だ。
すべてが己を祝福している。こんなに幸せな事は無い。何という幸運、これぞ神の恵み、最高最高だ! これも日頃の行いがいいからだ。己は報われたのだ。
こんなに殺し合える親友がいるなんて。
ゴンザエモンはそれを認識するや否や、最寄りの男を両断した。男を斬ったのは刀を持った右手に近かったからだ。
子供がもらったプレゼントの包み紙をすぐ破くのと同じ、思考は必要なかった。
隣の女の顔に血が飛ぶ。
「え。な、何を……」
女いかにも信じられないという引きつった表情を浮かべ、ロングコートたちが凍り付いた。
状態異常〈魅了〉を受けた者は、思考がねじ曲がり、術者に対して特別に友好的な態度を取る。ただし友好の形は人それぞれだ。
支配なら完全に従わせることができた。しかし支配系を修得する術者も使う事も少ない。魅了より成功率が低く使い勝手が悪いからだ。行動を指示する必要があるし、円滑な会話も難しくなる。それでいて、心理抵抗で解けやすい。
「ありがとよ、親友、さあ派手に殺し合おうぜ!!」
一旦燃焼が落ち着いた場に尽きない酸素が吹きつけたように、ゴンザエモンの中で凄まじい闘志が燃え上がった。歓喜を帯びた大火だ。
「攻撃だ! 攻撃!! 攻撃再開、下がれポケーテ!」
後方にいたロングコートの男が焦って恐怖の色を含んだ声で叫んだ。
ゴンザエモンは誰かの放った強烈な念動力をまともに受けて空高く舞った。ロングコートの集団からは火や雷が飛び、歩兵も加わり、全兵が攻撃を再開した。騒がしい戦の音曲が帰ってきた。
攻撃を受けたが魅了は解けなかった。彼にとっては会話を楽しむのと変わらないし大したダメージでもない。そして彼の前には大勢の親友がいた。
いくら斬ってもルキウスに迷惑の掛からない理想の親友が、兵員輸送車から次々に降車している。歩兵の親友は数百人はいる。ひょっとしたら千に達するかも知れない。
ゴンザエモンは神に感謝しながら綺麗に着地した。すぐにそれを蹴って跳ね上がり、近い硬律騎の胴体に取りついた。そしてすぐに至近距離からレーザーを浴びた。胴体部分に迎撃レーザーがあったのだ。
しかしこれも大したダメージではない。今の彼は人の限界を超えている。
「はっは、愛想がいいじゃねえか」
ゴンザエモンは即座にそのレーザー発射口を殴り壊した。そこからさらに両腕を切り落とし、刀を持った手でひたすら胴体を殴りつけた。一発殴るたびに胴体がどんどん割れながらへこんでいく。
「なんて大きな親友よ。己のためにぶっ壊されてくれるなんて至高の日だ」
心地良い破壊音を聞きながら、叩いて叩いて叩く。胴体の亀裂から止めてくれえと悲痛な叫びが聞こえる。
「ははは、ともがらよ。きっちりグッチャグッチャにしてやるぜえ!」
さらに何度も叩き、最後に全力の蹴りぶちこんで離れた。蹴りの勢いで倒れた硬律騎の胴体は全部を息を吐き出したみたいにへこんでいた。
周囲の歩兵から集中砲火を受けるが気にならない。鬼状態では〈生命力回復・小〉がある。歩兵銃ではまともなダメージを与えられない。
「お次はと……大勢いるほうにも顔出しとかねえとな、放っとくのは悪いぜ」
ゴンザエモンは、歩兵に目をやった次の瞬間には歩兵の陣に突入していた。
ただ鬼が暴れていた。絶え間なく血しぶきが上がり、人も車も空を舞い、ちぎれる。




