戦場3
見渡す限りに広がった真っ白な雪の絨毯の一部が、独りでに弾け飛び、舞い散った。上がった雪の粉が落ちる前に、次々と雪が弾け飛んでいく。
雪の絨毯が長く切り裂かれ、なおも何かが雪を蹴とばし進んでいる。
雪上、何もない空間から平坦な声がした。
「そろそろ限界かと、隠れていても魔力を探知されます」
「そのようですが……」
「ならばここからは強行突破と洒落込みましょうぞ」
「では各魔法使いは不可視化解除を、ホウゲツ殿は列の後ろへ、隊列を組みかえる」
「心得ました」
ウマに乗った人間が次々に雪原の上に姿を現した。その数は五百騎。
細長い隊列の左に青い甲冑を着たアトランティス武士団、右に全身鎧のナレンザ騎士団、列の中頃で挟まれているのは様々な恰好の魔法使いたち。
列の先頭にいた赤い狩衣に立烏帽子の男が隊列の後ろに少し下がり、最前列には巨大な盾を装備した騎士たちが上がってきた。
彼らがクロトア半島の最精鋭騎兵である。
侍と騎士のウマは鉄馬。鉄を好んで食べるウマで、鉄を噛み砕く歯は黒、体は鋼鉄のごとき硬さで力が強く、闘志に満ちあふれている。
鉄の少ないクロトア半島では非常に高価な乗騎だ。
なお、鉄馬に乗る者は鉄製品を装備できない、齧られるからだ。
「こんな状況だというのに随分と機嫌が良い様子ですな、副団長殿」
侍の中でも一層明るい青の甲冑を着込んだヒサツネ・ライデン海底国守が言った。
目元以外無表情な甲冑面で覆われ顔は見えないが、声はそれほど年を重ねたものではない。
「ははは、これは失礼、海底国守殿。ザメシハの遺跡から発掘されたというこの騎士槍を早く試したいのです」
華美で赤い紋様が入っている全身鎧を着た中年の男、パヴェル・ヘトザーウェン騎士団副団長が隣で陽気に答えた。
兜のバイザーが上がっていても目元しか見えていないが、薄い朱の瞳の周りの筋肉だけで分かるほどに濃い愉色を浮かべていた。
騎士槍は貫くことに特化した長槍で、通常は閉じた傘状で刃は無い。彼の後ろを走る対戦車騎士はそんな形状で三メートルほどの騎士槍を装備して、逆の手には凧盾を装備している。
しかし彼の騎士槍は不規則に曲がったギザギザで五メートルあり、先の部分は突くようにできているが先以外は刃がある。
それを見たヒサツネは、派手好きなヘトザーウェンにお似合いの形状だと思った。
現在彼らは帝国軍の前線司令部、補給部隊、中継拠点のどれかを急襲すべく駆けている。
戦場に早く到着した彼ら騎兵は、前進する帝国軍と行き違う形で戦闘を避けて西に進んだ。そして帝国が新たな防衛線を構築する前にその裏に浸透、薄くなった敵後方を進んでいる。
帝国軍は半島の軍の大半の兵種より射程の長い大砲が多い。お互いに連携して支援しあう防衛陣地を一度築かれれば、半島の最大戦力を投入しても突破は容易ではない。
帝国の標準的な大砲の射程距離は十キロ以上ある。つまり陣地の一点を攻撃すれば周囲十キロ内の全ての大砲から集中砲火を受けるからだ。
故に帝国が防御陣地を構築する前に帝国の重要拠点を叩き、戦闘開始前の陣地まで押し戻さなくてはならない。
後方の戦況は気にしていない。
半島内で編成された軍が漸次戦線に到着、戦闘に加わっているはずだからだ。こちらの軍に相当な損害があるにせよ、敵が堅牢な陣地を構築する前なら強引に押し戻せるだろう。
そして帝国軍の目はそちらに向いているはずだ。
しかし、占いに頼って進路を決めここまで順調に前進してきたが、最終目的地が分かっている訳ではないし、敵陣の真っ只中にいる状況にヒサツネは不安を感じている。
横でニタニタしているヘトザーウェンを見ると、任務の重大性を理解しているのかとイライラしてくる。
「これまでは本国の愚痴が多かったようですが、随分な変わりようですね」
「ふははは、仕方ありますまい。本国――エファン堅蹄王国の増援は毎度毎度戦の終わった頃にやってきて、前線をうろうろ呑気に見物して帰るのですから。距離の都合ですが、あれをやられると愚痴の一つも出る。しかしザメシハも知らぬ間にかなり大きくなったらしく聞いてびっくりしましたぞ。彼らはある意味同じような立場ですからな。森を開拓と聞けばさぞ辺鄙な田舎かと思っておったが、著しい発展ぶりであるとかで羨ましい限りですな」
ナレンザ騎士団は、二百年前にエファンが半島に増援として派遣した騎士団が、自治領の所有を許された集団で実質的には独立国だ。
本国と言っても彼の感覚では遠い親戚ぐらいだろう、とヒサツネは思った。
「人知の及ばぬ大層危険な森だと聞きますが、遺跡とはそれほどに魅力がありますか……いや帝国を見ればわからぬでもないが、どうせなら刀を発掘して欲しいものですな」
「半島の森ならば、我々でなんとかできる魔物しかおりませんからな。こちらだと海を埋め立て干拓ですかな。ははは、絶対に無理ですな。すぐに魚の餌にされよう。しかしあの海こそ海底国守殿ゆかりの地でありましょう、何かしらがあるのでは?」
ギルイネズ内海は普通に近寄るのは不可能な場所であり、軍事的都合で沿岸に若干の要塞都市があるのみだ。
「確かに何かあってもおかしくありませんが、あれに潜るぐらいなら素っ裸で帝国軍に突撃する方が勝算がある」
「違いありませんな」
「しかしその槍……使う前からそこまでよいとわかるのですか」
「そこは感覚、自分と噛み合った感覚がある。何より、この騎士槍は私が持つと羽のように軽く感じますが、他人が持つかなり重いらしい。我が騎士団でこの槍が扱えるのは私だけ、団長も使えないのです。それがまた愛おしいですな。これが本国からギリギリの時期で届けられたのは、この戦においてこの槍で活躍せよとの意味しか考えられぬ。これぞ対戦車神の思し召し、銘にホツマ文字でゴッツとあります。知らぬ人物だが古の名工でありましょう」
ヘトザーウェンは槍を素早く軽々と振って見せた。
「ホツマでは聞かぬ名ですが、その槍を見るに名工に違いありません。しかし変わった形状ですな」
「これなら多少は戦車以外の相手も可能ですぞ」
彼らの先頭は丘の間を抜け、多くの丘が連なった地形を上り始めた。
地形的にこの丘を上れば、敵との遭遇は避けられないだろう。
「ここまでは上手く抜けられましたが、どうなることか」
先代の父が負傷で現役を引退して初の大戦に、ヒサツネはこれまでにない重圧を感じていた。場合によっては恐るべき敵の相手をしなければならない。
「肩の力を抜かれよ、なるようにしかなりませんぞ。戦車であれば我が槍でことごとくを爆散させてやりますぞ」
それを知ってか知らずか、ヘトザーウェンは一層目尻にしわを寄せた。
「進行方向で式神が戦車部隊を発見。数は二十四」
二人の後ろから赤い狩衣の男、ホウゲツが話しかけてきた。
「後方に戦車を残しているなら前線に主力はいないのか? それとも後方から追加された分か?」
この位置、自分たちを引き込むための罠というのは流石に考え過ぎか。
「どちらにせよ、向こうが機動を開始する前にこちらから仕掛けるが上々かと、戦車の来たほうに物資集積所があるやも」
「……そうですな、ここからは一気に敵後方を破りましょう、位置的にこの辺りに拠点があるはずですから、ホウゲツ殿は定期的に占いで誘導を」
「心得ました……これは見つかりましたかな」
ホウゲツが見るは、進行方向左の空。
低空を真っすぐに向かってくる複数の影、そして雪と爆音の中でも聞こえる音。
バラバラバラと音を鳴らし、機体の上に付いたプロペラを回転させて飛行する攻撃型ヘリコプターだ。
その音と攻撃力、機体の下部に色々な武装が引っ付いていて腕のように見えるために蜂と呼ばれている。
砲声と爆音が響き続ける戦場であっても、あれと相対した経験のある者は耳は敏感に蜂の羽音に反応する。
「蜂か、防御態勢! 魔法使いを守れ」
「見つかったなら、我らが先に戦車を潰すが上策かと」
「わかりました、あれはこちらで受けます。副団長殿は先行して戦車を」
「騎士団は先行して丘の下の戦車を討つ、我に続け!」
ヘトザーウェンが後ろを振り向き、大きな声で命令を出し鉄馬の速度を上げた。
列右の騎士達が加速し丘を上っていく。残った侍と魔法使いのウマは足を止め、侍の後ろ側に魔法使いは隠れた。
まだ小さく見える蜂が、低い軌道で機関砲を撃ちながら真っすぐに飛んでくる。隊列周囲の雪、土が弾け飛び、激烈な勢いで銃弾の雨が打ちつける。
しかし倒れる者はいない。
彼らは多重に魔法で強化されている。
実弾銃による攻撃は、遠距離武器、金属武器、火薬武器の性質を持つ。それぞれの性質に対する防御魔法を重ね掛けすればその威力は大きく減退する。
距離もあり、機関砲の威力は小石を投げつけられた程度まで落ちている。
素肌や目に当たらなければダメージはない。侍は兜を深く被り俯き、肩にある大袖を利用して隙間を塞いでいる。
銃弾に弾き飛ばされた石ころのほうが威力がある状態だが、訓練されたウマと、魔法使いであっても選び抜かれた精鋭、大きな傷はつかない。
蜂が近づきはっきりと見えた。数は六。
その六機がロケット弾を発射した。空から煙の隊列が来る。
ロケット弾を発射した蜂は、機体を傾けヒサツネの列から遠のこうとしている。
「弓使いは迎撃せよ! 魔法使いは攻撃」
長弓を持った侍たちが即座に弓に矢をつがえ戦技を発動し、加速して向かってくるロケット弾へ矢を放つ。
矢は距離三百メートルから五百メートルの間で弾を捉え、空で爆発させた。
周囲の魔術師から支援を受け、魔法の射程を伸ばした魔術師が蜂に向いた魔法を使う。
「〔故障/マルファンクション〕」
六機のうち四機が、プロペラだけが外れ飛ぶ、電池が爆発する、などして墜落した。残り二機はそのまま飛び去る。
「隊列を組み直させろ、引き返してくるなら迎撃する」
ヒサツネは部下に命令して隊列の先頭に立った。
「恐れるな、突き抜けろ」
ヘトザーウェンが、勇壮に槍で天を突き号令した。
騎士団は大きな盾を装備した騎士たちを先頭に、騎士槍を前へ突き出し、上った丘を駆けくだる。
蜂の攻撃で戦車部隊はこちらに気付いており、向かいの丘の上へと後退しながら砲撃を開始した。主砲の重い音と機銃の連射音が響く。
砲塔上の機銃はそれなりに命中しているが騎士にも鉄馬にも効かない。効果があるのは鉄馬の目に当たった時ぐらいだが、そのダメージも低く、ポーションで治癒する。
砲撃の精度は低い。動く騎士を狙って頻繁に当たるものではない。
さらに直撃してもこぶし大の石をぶつけられた程度の衝撃しかない。ただし榴弾が爆発すれば火傷する。騎士はそれを嫌って体の前を盾で覆い、ときおり方向を変えて全速で進む。
ここの戦車は、カクカクした印象の重装甲で、履帯が付いている。
それでも人が走るよりは速い。鉄馬は後退する戦車より速いが、こちらに向かって来ない戦車は少々面倒だ。本来なら彼らは味方陣地へ向かってくる戦車の側面へ突撃を行うのだから。とはいえ、随伴する機装兵がなく、対騎士用誘導弾も装備してない戦車は格好の獲物だ。
騎士団は我先にと長い騎士槍を構え突撃していく。
最も優れた鉄馬に乗っているヘトザーウェンが、砲弾の直撃を盾で受けながらも、一番早く戦車の側面に到達し並走する。
「鬱陶しい」
近距離でドガガガガと機銃を浴びせてくる銃座の兵の頭部を、騎士槍の先でゴンと薙いだ。兵は顔から血を流しながら戦車から落ち、そのまま動かなかった。
戦車が砲塔を回転させ、ぐるんと砲が来る。それを盾で受けつつ車体側面へ〈機甲衝貫〉の戦技を使い突きを放った。
不自然な体勢からの突きになったが、水をかいたような柔らかい抵抗で深く刺さる。
「なんたる貫通力、これなら勢いは要らぬ。〈対戦車起爆槍〉」
戦車内で爆発が起こり、隙間から火が噴き出し、砲塔上部のハッチの蓋が派手に空へ吹き飛び、そこから火柱が上がる。
これまで無かった熱と光に、彼は盾で顔を隠した。
「戦技の威力が軒並み上がっておるわ。良し良し次だ……おい、食べるのは後にしてくれ、カクタス」
彼が手綱を強く引いても鉄馬が戦車に齧りついて動かないので彼は渋々諦めた。
彼は鉄馬がガリガリと戦車を齧る音を聞きながら、部下がそつなく戦車部隊を壊滅させるのを見ていた。
再び騎兵たちは合流した。損害は無いが魔力はそれなりに消費している。
「この戦車部隊が来た方向に相当に大きい補給拠点が造られつつあります。大量の火薬と糧食の反応、それに対して生命反応は少ない」
目を閉じ集中していたホウゲツが言った。
「急ぎましょう、ここには敵が殺到してくるはず」
「砲撃が来ない。この辺りの敵は少ないのでしょう。そこを潰したら東に離脱しつつ、東に備えた敵軍の背を討ちましょうぞ」
「そうします」
部隊はやや乱れた隊列で急いだ。それから五分経った時。
「足つきが出ました、すぐに来ます!」
先行した斥候が姿を見せるなり叫んだ。




