戦場2
レテナマ丘から南東に十八キロの小高い丘の頂上で、陣笠を被った中年の男が一人で片膝を突き、大きなマスケット銃の先を木製の三脚台に載せて発砲している。
陣笠は中心が白で他が黒の蛇の目紋で、マスケット銃は魔道雷管式で三メートル以上ある。着ている防具は動きやすい皮鎧だ。
男は複数の丘と丘の間に小さく見えているレテナマ丘の少し上を照準して、手慣れた淀みのない動きで淡々と撃鉄を起こし引き金を引き続けていた。
弾を込める動作は無い。〈装填〉のスキルにより火薬、鉛をアダマンタイトでコーティングした丸い弾丸が、カバンに突っ込んだ左手の中から消えて砲身の中に装填される。
そして引き金を引くと撃鉄が魔道雷管を打ちつけ、雷管が発火して砲身の中の火薬を爆発させ弾を撃ち出す。そして発砲のたびに煙が銃口から飛び出し、バーンと良く通る音が辺りに響く。
「よく見えんが爆発してるから当たってるだろ」
彼は丘の上で咲く小さな赤の花を見て、手を止めず一人で確認するようにつぶやく。
彼は小さな望遠鏡で最初に迫撃砲の弾が飛んでいるのを確認してからは、一度も丘の状況を見ていない。丘の中腹から上しか見えないし、丘の戦況も不明だ。
止んでいた雪がまた降り始めたために、高性能の望遠鏡があってもほとんど見えないだろう。
彼が狙っているのは迫撃砲の弾。〈長距離弾道補正〉〈分裂弾〉〈追尾弾〉の戦技や〈射程延長〉のスキル等を同時に発動して、撃ちあがった迫撃砲の弾頭が上昇から落下に移行する速度が遅い所を狙って当てている。
標的が視認できなくても、狙った範囲内にある標的を自動で追尾して勝手に当たる。遅い標的にしか通用しないが、運が良ければ一射で最大五発落とせる。
「帝国め、その丘は高く急傾斜で守りやすそうに見えるが、計画的に周辺部隊と連動していなければ守れん、それに射線が通りやすく監視もしやすい。そこに陣取ったのは間違いだ」
彼の言葉には少なからず刺々しいものがあった。
予期しない帝国の大侵攻で守備兵三万人以上が死亡し、大きく押し込まれている。
現在の帝国軍は速攻を重視してオライオン丘陵全体に散っている。帝国が防衛線を整備する前に、散った帝国軍に出血を強いて戦闘前の状態まで押し戻さなくてはならない。
彼の見ている方角ではレテナマ丘以外でも、多くの丘の上で黒い点が蠢き、降る雪と煙、土埃が混ざって見えている。
彼の普段の役割は対人狙撃でこれは慣れた仕事ではないが、こちらの航空戦力が不在のため、対空魔術師や対空投げ槍兵は優先的に帝国の戦闘ヘリの迎撃や、精鋭部隊に割り振られている。そのため、射程が長く広範囲をカバーできる彼が重要拠点の迫撃砲を迎撃している。
彼はつまらん仕事だと思いながらも、冷えた手で着実に任務を遂行する。
「こっちの力が尽きる前に落としてもらわないと、ん?」
彼の陣笠の前に吊ってある小さな鈴がチリンチリンチリンと甲高い音を立てた。
普段はいくら振っても音が鳴らず、敵意を感知した時にだけ鳴る鈴だ。
彼は重い銃を素早く持ち上げると、後方に掘っておいた塹壕に飛び込んだ。
塹壕の上を数発の光線が通り過ぎ、近くの地面に当たった光線が雪が瞬時にジュッと蒸発して小さな爆発と湯気を発生させた。
「あの発掘品か、多分知らねえ奴だな、前の奴は始末したはずだ、でかい望遠鏡が無いと射撃位置が見えねえな。面倒だが取りに行くか」
「かわされた・・・・・・かなー多分」
ツポレ・ナーエルエル少尉が緊張感の無い間の抜けた声で言った。
彼女の体は分厚い金属の機装鎧で覆われていて、機装鎧の膝を突き、やや大きめで長い狙撃用レーザーライフルを構えている。
現在、機装鎧の関節はロックモードで、銃を固定しなくてもブレの無い精密射撃が可能だ。
「下手くそ、へったくそ」
横でからかうように言ったのが上官のバーカー・ストルナー大尉。
二人はレテナマ丘の中腹に配置されている。大尉の他の部下は少し下で交戦中だ。
彼の率いる部隊は発掘品の機装鎧、アガシオンアーマーシリーズ。大戦以前の軍隊で制式採用されていた機装鎧で昔はよく発掘された。
アガシオンアーマーは機動性を重視しており、ゴテゴテした部品は表面に無く、人体を全体的に分厚くしたようなシルエットで、背中には推進機の付いたバックパックがある。ヘルメットは丸く、顔部分は左目の上に装甲そしてレンズがあり、レンズの映像は左目のモニターに映っている。右目から口部分は露出しているが、今は口にマスクを着けている。
高性能の電池により半日以上戦闘可能で、関節部の可動範囲が大きく装着者の動きを阻害せず、反応が良く格闘戦も可能で腕利きに配備されている。
ただし、戦力として見た場合、他の機装兵より極端に強い訳ではない。
ツポレ・ナーエルエル少尉は狙撃型でバックパックから大きな長距離用スコープが出て顔の左後ろにあり、左目のモニターには遠方の景色が映っている。
バーカー・ストルナー大尉の装備は近接防御型で両手に小さめの盾があり、盾の後ろには固定された散弾銃とナイフがある。
「いやいや、撃つ前に回避動作に入ってましたって」
「また言い訳ばかりしやがって」
ストルナーがうんざりして言った。
この女はすぐにさぼるから自分が張り付いて仕事をさせないといけない。
「いやいやいや、魔法ですよ魔法、大尉は見てないでしょう」
「魔法を言い訳にするのは三流だと決まってる」
「見てから言ってくださいよ、大尉。そもそもこっちは碌に見えないんですよ、邪魔が多くって、それに邪魔が無くたってこのスコープじゃあぼやっとした人影にしか見えない」
「そりゃあ、あっちだって一緒だろう、足りん分は視力を上げれば済む話だ」
「そんな急に上がらないっすよ」
「あっちは当ててるんだからお前も当てるんだよ」
「そもそもまず狙撃手を見つけた事を褒めるべきなんですよ、普通無理っすからね。あの位置がわかるのは、天才と天才の共鳴ってとこです。大体あんな弾なら私だって落とせるんですよ、何なら今から落として見せましょうか?」
「味方の弾落としてどうするんだよ」
「的が違うでしょうが!的が!私だって弾なら落とせるって言ってるんですよ。そもそも褒めが足りない」
彼女はわざとらしく腹を立てた様子で言った。
「褒めても働かねえだろうが」
下手したら戦場の真ん中で寝ていたりする。それでも働けば役に立つので何とか働かせないといけない。どうするか。
そんなことを考えていたストルナーが何かを感じ、彼女のスコープの先を見た。
(来る!)
そして右手の盾を彼女の前に突き出した。
ガガンと大きな低い金属音が連続して、三つの歪んだ金属片が雪の上に落ちた。
彼には全く見えないが、さっきの狙撃手が撃ち返してきたのだと確信した。
「うわっ」
ナーエルエルが緊張感の足りない声を上げた。
「威力はそれほど無いな。ほら向こうに見つかったぞ、俺が防御するからとにかく撃ち返せ」
盾の様子を確認したが少し傷がついただけだ。
「何ですかね、あれも魔法ですかね。見えてないと思うんですけど」
「あれはスキルだろう、お前と同じで。とにかく撃ち返せ、あっちの狙撃手を自由にさせるな、いい加減、下がやばいぞ」
ストルナーが丘の下を見れば、どんどん敵が上って来ている。下の部下からの報告される状況も良くない。迫撃砲の弾がまた落とされ始めた。
(こりゃあ、この丘は耐えられそうにないな、そろそろ引き際だがここの指揮官は何やってる?)
「無理ですって、体を見せていない。丘の裏か、塹壕の中から撃ってる。当てようがない」
ナーエルエルがしばらく集中して遠方を見てから口を開いた。
「向こうは実弾だから曲がった軌道で撃ってるんでしょうね」
「ならお前もレーザー曲げろ」
「無茶言わないでくださいよ、光は基本直進するんです。大尉と違ってひねくれてないんです」
「・・・・・・気合で屈折させろ」
彼は本気でやればいけるだろうと思って言った。
「大尉がその重苦しい性格の重力で曲げてください」
「俺は重苦しくない、陽気なナイスガイだ」
「ああ、汚らしいの間違いでした」
「汚くもねえよ」
「そもそも最大出力でギリギリ届くぐらいですよ、天気最悪だし、当てても意味ないかも」
「ならせめて、敵の弾を落とせ」
「じゃあ大尉が撃てば良いっす」
ナーエルエルは投げやりな態度で言った。
「あのなあ、俺は上官だぞ」
「じゃあ、大尉がやってくださいよ、上官らしく」
「俺は狙撃兵じゃねえ」
「だからその狙撃兵が無理だと言ってるんだから専門外は黙ってくださいよ、どうあがいても無理っすから」
「ぐぬぬ」
ストルナーが盾でナーエルエルのヘルメットを叩いて、小さくガンッと鳴った。
「いや、マジで首折れるんで、止めてもらえます」
「こんなもんで折れるか。狙われているし、位置を変えるか。下は駄目だ。上に行くぞ、ナーエルエル、上方に上って下の厄介な奴を狙撃しろ」
ストルナーはため息をついて対処を諦めた。
「へいへい」
ナーエルエルがロックを解除して立ち上がった。
ストルナーは上に向かって歩き始めた。しかし、しばらくしても後ろから足音が聞こえないので彼は振り返った。
ナーエルエルがこちらに向けてレーザーライフルを構えていた。
「おい、お前冗談だよな」
頭のおかしい女だから本当にやりかねない。
「死ね」
「ちょっ」
ストルナーが本気かよという思いと共に両手の盾で防御態勢をとった。レーザーはわきの下を抜けていった。そして後ろで何かが雪の上に倒れる音がした。
振り向けばすぐ後ろに、全身を黒っぽい布で覆われた人間が倒れていた。
「忍者!!?」
「まだいる!」
彼はナーエルエルの声に反応して、盾の裏の散弾銃を撃った。同じような姿の人間が五メートル先にいきなり姿を現すと同時に飛び退いた。人数は三人。
「どこから湧きやがった!!」
彼はさらに散弾を連射する。厄介な相手だが必殺の距離だ。
全員に多数の弾が命中したと思った瞬間、三人は計三本の丸太に変わり、斜めに下がった位置に三人が現れる。さらに散弾で追撃すれば、また同じように丸太が現れ三人は遠のいた。
「どんなからくりだよ!」
散弾で仕留めるには少し遠い距離になったが、前に出れば壁の役割ができないので銃を構えたまま眼球の動きで周囲を確認する。この三人以外はいないようだ。
忍者の中の一人が何かを地面に投げると、爆発して白い煙が広がり視界を完全に遮った。
「俺は下がるぞ」
「了解」
ナーエルエルはスコープのセンサーを切り替えて周囲を探っている。
ストルナーは後退してしばらく警戒態勢をとったが、やがて煙幕は晴れ三人は去ったと判断して警戒を解いた。
「退却する、こいつら上から来やがった」
これは悪い兆候の中でも特に悪い。上には部隊の司令部がある。
「ええ、大尉逃げるんすか、敵前逃亡ですね、死刑ですよ、さようなら」
「司令部を救援するためにやむなく下がるんだよ、大体白兵戦になってるに狙撃なんぞできねえだろうが」
ストルナーは通信を試みるが応答が無い。
「こりゃあ、上がやられたな。応答が無い、この丘から退却だ」
彼は下の部下にも通信送り丘の反対側に向かって歩き始めた。
「待ってくださいよ、これ走りにくいんですよ」
彼女はそう言って逆の方向へ走っていく。
「何やってんのお前?」
彼がこれまでに幾度か口にした覚えのある言葉だ。
ナーエルエルは忍者が置いていった丸太を拾っていた。
「持って帰るんですよ、貴重な木材だし、集めればイスにぐらいなりますよ、天然素材椅子ですよ」
「それを天然と見なすのか。この非常時によう、大体どこから出てきたんだこれは?」
「そりゃ大事に持ち歩いていたに決まってますよ。これは私のですからね」
「とにかく隊と合流して早く退却だ」
「大尉はいつも逃げますね」
「それはお前だろうが」
「良い位置探してるだけですよ」
「行ったきりで戻ってこないし、よく寝てるだろう」
彼らのいる丘の反対側、つまり西側から大気を揺るがす轟音が立て続けに響き、空が一瞬赤くなり、衝撃波が降っている雪を押しのけていくのが見えた。
「ああ、ああ、ああ、やられたよ、弾薬だな、今朝補充したやつか、後ろから入り込まれた。補給はできんな、車両も残って無さそうだな」
「いやあ、綺麗なものですねえ」
彼にはもう丸太を抱えた女の相手をする余裕は無い。
「電池が上がらない内に西に行けるだけ後退するぞ、ここは部隊はすぐに崩れる」
包囲されているならば強行突破しないといけない。
彼はここの間抜けな指揮官を呪いながら退却路を考え始めた。




