戦場
爆発音と共に黄土色の土と雪が一斉に舞い上がり、パラパラと分かれて落ちた。
散発的に爆発音と重い砲声が大気を揺るがせ、それより軽い銃声がダダダダッと絶えず鳴り続けている。
オライオン丘陵は最高で五百メートルまでの丘が、東西五十キロに渡って散在した地形である。緩やかな丘が連続し長く見通せる場所もあれば、一つ向こうの丘の先は全く見通せない場所もある。
多くの稜線がおおむね南北の向きで、東西では遠方を望みにくい。
さらに丘陵全体に張り巡らされた塹壕と、丘と丘の間を流れる水が柔らかな大地を削ってできた無数の小さな谷川や、局所的に存在する洞窟が人の移動を隠し、この丘で正確に人の位置を認識するのは難しい。
オライオン丘陵が西の帝国と東の国々との主戦場になって百二十年が経つ。
元々は丘陵にぽつぽつと木々が生えていたが、今では木は一本も無く草もあまり生えなくなった。
もっともこの季節だから、夏にいくら草が茂ったとしても、どのみち雪の白一色なのは変わらないだろう。
そんなオライオン丘陵の東部にあるレテナマ丘は、高さ四百メートル以上あり周囲の丘から途切れて存在し、傾斜がきついため少し目立っている。
先日帝国が占拠したこの丘は前線拠点の一つになり、兵七千が布陣している。
ただし拠点といっても土嚢を積んで、罠の爆薬を仕掛けた程度でしかない。
軍に入って三年目の歩兵ヌオ・スイモスは、五十センチほど積まれた土嚢の後ろに屈み、アサルトライフルを土嚢に載せ、同じ隊の兵士と横並びになっていた。
頭にはヘルメットを被り、胴体部分だけが硬い黒のプロテクターで保護されている。着ている軍服は黒っぽい色だ。
下にも上にも同じような兵の列が並び、丘の南東に銃口を向けて備えている。
彼の配置された高さ七、八十メートル地点からは南東がよく見えていて、絶えない発砲音が届いている。
すぐに自分も引き金を引くときがやってくるだろう、とスイモスは思っていた。
しっかり塹壕を掘る間もなくの敵襲、塹壕足とやらになる心配はなくなった。
東隣の丘の裏側から、簡素な鎧兜を身に着け、槍や弓を持った敵兵が、隣の丘の裾野に沿ってこちらに向かってきている。
その数は非常に多く、丘の下で渋滞を起こしているが、どんどん敵兵が追加されている。
あの丘の裏側が敵軍で満ちているであろう事は想像にやすい。
さらに南の丘の上にもチラホラと敵兵が見える。
地形的に有利なのは丘の帝国軍であるが、良くない流れだ。
彼は気分が悪くなってきた。雪が降る中でもさほど感じていなかった寒さが、強くなって頬を刺した。
ここまで何も考えずに引き金を引き、何が何だか分からない間にひたすら前進してきたが、これまでと違う展開だ。
いま敵軍があふれ出てきている丘と丘の間の道は、早朝に友軍が進軍した道だ。その道を敵が大軍で逆流してきているのだ。
丘の麓にすでに取りつかれ始めている。固まった敵を砲弾が直撃して、円形の空白を作るがすぐに人で埋まる。
戦の流れが変わったのは、彼にもわかった。
「あれ、多くないか?」
スイモスは不安を隠しきれず、隣の同僚に話しかけた。
「近隣の防衛軍じゃねえ、本軍が出張ってきたのさ」
「これ大丈夫だよな?」
「さあな、俺たちは撃つだけだからな」
「なんであいつら止まらねえんだ・・・・・・」
目の前の光景は彼には理解しがたい。敵は横で倒れた仲間にも目をくれずひたすら前進している。
「向こうは防衛なんだ。士気も高いだろうよ」
「ああっ、下がやばいぞ」
スイモスが見ている麓の陣地の一角が突破された。敵が突破箇所から洪水の濁流のごとくなだれ込み、麓の陣地は瞬く間に制圧された。
麓が敵で埋め尽くされると、溜まった水が流れ出る先を探すようにいくつかの流れに分かれ、丘を上がりだす。
こっちに来る敵兵は丘の盛り上がりの裏に姿を消し、少し離れた場所で頭を見せると、身を乗り出し槍を片手に走り出した。
「・・・・・・来たぞ」「神よ・・・・・・」「ははは、撃ち放題だぜ」
兵たちの思い思いの声が漏れる。
「攻撃準備、良く狙え・・・・・・撃て!」
上官の指示で一斉に発砲を開始した。
約三百メートルあるが狙うまでもなく当たるだろう。敵は集団で声を上げ、真っすぐこっちに走ってくる。高さだけ合わせれば外れようが無い。
アサルトライフルのルガル37は装弾数三十発、手持ちの予備弾倉が五、背嚢の中に弾倉が五。三百三十ある計算だが連射しているとすぐに無くなる。
発砲は一発ずつ。自分の銃から聞き慣れた音が響く。
だが倒れない。自分の狙っている先頭の兵は元気に走り続ける。少しずつその表情が見えてきた。
「おい、効いてないぞ」
スイモスは自分の目を疑った。周囲の兵も発砲しているのに一人も倒れない。弾は間違いなく標的へ飛んでいる。
「魔法だ、細かい仕組みは知らん。百デコッツまで引きつけろ。それより遠いと届きもせん」
ルガル37の有効射程は三百メートルあるが、魔法の風などで阻害されると大きく威力が低下する。
スイモスは魔法と聞いてもピンとこなかった。視聴覚的には何も起きておらず、敵が倒れない結果だけがあった。
「そこのお前とお前、手榴弾を」
スイモスは上官に選ばれ手榴弾を手に持った。投げるため少し身を乗り出した。
「十分に引きつけろ。まだだぞ、まだまだ・・・・・・伏せろ!」
上官が急に叫び、土嚢の裏に身を小さくして転がりこんだ。
その直後、ドドドドッと矢の豪雨が上から横から降り注いだ。
スイモスは肩に矢を受け、苦痛に耐えきれず地面に転がる。
肩を押さえ眼球だけを動かして周りを見ると、仲間達が次々に矢を受け土嚢にもたれかかったり、後ろに倒れこんでいた。
上を見れば矢の雨はより一層強い勢いになり止みそうにない。彼はめまいを感じて土嚢にただ寄り添った。
「撃て! 撃つんだ、喰いつかれるぞ」
上官が焦って叫び、本人も発砲していたが矢を首に受けて動かなくなった。
銃声を跳ね返さんばかりの雄たけびがオオオオと響き、それが防衛陣地の中に広がっていった。
レテナマ丘にとりついたホツマ国の歩兵部隊は、百メートルほど登って足止めを喰らっていた。
その兵達はどことなく日本の戦国時代を思わせる鎧だが、人種はばらばらでよく見れば鎧の造形も似て非なる物で、頭は半球状の鉄兜を被っている。
部隊を指揮している周囲の兵より立派な当世具足を着た侍がわめいた。
「あれを何とかせい! あれを潰さんと進めん」
百メートル先にある周りが土嚢で周囲をがっちりと固められた重機関砲。砲自体はほとんど見えず土嚢の隙間から銃口が覗いている。
周囲には他の歩兵もいるがそれはどうでもいい。
歴戦の兵は帝国の歩兵銃は対策があれば恐れるに値しないと知っている。あれの連射能力は高いが、帝国の兵は練度が低く威力も射程も貧弱だ。
対策無しでも五百メートル以上離れていれば、普通の鎧で止められる。
一方で十年訓練した専業の《弓兵/アーチャー》は、長弓で五百メートル先の的の真ん中に当てる。正確に狙わなければ一キロ以上は飛ばせる。
才能ある者はそれ以上であり、戦技、魔法の武器を使えば射程も威力も上がる。
十人ちょっとの集団は丘の盛り上がりの後ろに伏せて機関砲をやり過ごしている。
明らかに狙われていてドガガガガガと重い音が響くと、盛り上がった土地が弾け飛び、彼らの頭の上に降る。
「そう言われても頭も出せませんぜ」
大きなクロスボウを抱えた兵が、兜を深く被り言った。
「もう一発だ、土嚢を破壊しろ。あれはただの袋だ、すぐに壊れる。それにこっち方面に狙撃兵がおらん。攻め時だ」
半島では飛来物の威力射程を減退させる魔道具が多く生産され、戦場に行く侍であればたいてい持っている。
彼も持っていて、それを起動している。あと二十分ほどは銃器の威力を減らしてくれる。その間に手柄を上げようという腹だ。
「無理っぽいんじゃ・・・・・・魔法使い呼んできてくださいよ、大将」
「こんなややこしい所まで来るか! 彼らは戦闘の要、俺たちと困って死んだら困るんだ」
「俺も死んだら困りますよ。全く無茶を言いますぜ、そもそも魔法の矢が一本あればあれぐらい一発でドーンですぜ」
「使い捨てのもんに高い金が出せるか! それだって高かったんだ」
そう言ってる間にも上からヒューと砲弾が降ってきて、三十メートル先で同じような状態になっていた部隊を直撃、そこの兵たちが派手に宙を舞った。
半分ぐらいの兵が死亡し、残りがうめきながらポーションを飲んでいる。
高射角で榴弾を撃ち、曲射弾道で上方から降らせる迫撃砲による攻撃だ。上から降ってくるので風で逸らしても近所で爆発する。正確に狙っておらず適当に降らせている。
魔術師なら狙って相手の陣地まで押し返せるが、彼らには厄介な敵だ。砲弾は至る場所で爆発し、破片が飛び交っている。
彼らとって幸いなのは、砲撃が彼らの後方を狙ってるらしいことだ。その分後方で甚大な被害が出ているに違いない。
「ここで隠れていても砲撃が来る、前進しかない。止まってると死ぬ。お前達はこいつを援護だ。あれ一個壊すだけで末代までの誉れであろう」
侍は急かすばかりだが、彼だって危険なのは分かっている。しかしこのままでは前進も後退もできない。彼なりに考え、前に進むのが一番マシとの判断した。
「自慢話にするなら戦車の方が子供受けが良いですぜ」
クロスボウの兵がそう言いながらも、顔を出せる態勢を取った。
彼らが話している間にも下から追加の兵が丘を上がってくるが、機関砲を浴びて大勢が倒れ下に下がった。
「今だ! 行け!!」
機関砲が余所を向いている間にと、侍は急いで命令した。
弓兵が弓で歩兵を狙い、弓が無い兵は拾った銃を発砲する。
クロスボウから放たれたボルトは機関砲が出ている穴の下方の土嚢を貫通、一部が崩れた。積まれた土嚢が多少不格好になった。
侍がそっと顔を出して、にらむような目つきで機関砲を直視した。
しかし機関砲は彼らの方を向いてドガガガガという音と共に火を噴いたので、侍は急いで頭をひっこめた。
弾が一発が彼の兜をかすめてカンッと高い音を鳴らした。
「ぬう、駄目か」
侍が兜の傷を気にして触っている。
「中の人間には当たってそうな感じですが、でかいのは無事そうだ」
「あの土台崩せばなんとかなるんだが」
「あれは一個二個壊しても潰れないでしょう」
「これどうやって弾入れるんです?」
ルガル37を拾って適当に撃っていた兵が言った。
「そんなもん役に立つか!」
侍が苛立って叫んだ。
「じゃあ捨てますぜ」
「・・・・・・いや鉄は使えるから余裕があるなら持っておけ」
半島ではあまり鉄が取れず帝国が置いていく鉄には価値があった。
「最近鉄は値上がりしてましたね」
「この戦で下がるであろうが、あるに越したことはない」
彼らがどうしたものかと考えて伏せていると、下から黒い塊がゆっくり上ってくる。
侍があれは何かと見ていると、彼らの横をコロコロと手榴弾が転がって黒い塊の方に向かった。手榴弾だ。
「うわ!!」
兵たちは驚き、狭い領地の中で、ぐっと反対側に寄った。
手榴弾はそのまま転がって、黒い塊の近くで爆発した。舞い上がった煙の中を、黒い塊は何事もない様子で上がってくる。
距離が縮まり、その姿がはっきり見えるようになった。あれは黒晶竹の竹束だ。
「おお、あれこそは黒竹村の木こり! ホツマ最高の《竹束使い/タケタバー》」
身動きの取れない男たちが歓声を上げた。
しかしその直後《竹束使い/タケタバー》達を迫撃砲が直撃して歓声が止む。さらにその周囲に垂直な角度で砲弾が降り注ぎ、派手に土埃が舞い上がった。
彼らは静かになり土埃の方を注視した。
土埃が晴れた後、そこには前進を続ける《竹束使い/タケタバー》達の姿があった。血を流している者もいるがその歩みは止まらない。
今度は百人分ぐらいの大きな歓声が上がった。
《竹束使い/タケタバー》は両手にそれぞれ竹の束を持った盾兵の一種。竹束はその名の通り竹を束にして縄で縛った物で、人を完全に隠せる大きさで円柱形だ。
それを片手に一本ずつ持っている。
彼らの場合は戦車砲でも破壊できない黒晶竹を特殊な薬品で接着し、さらに黒晶竹の竹ひごで縛っている。
職業のスキルで竹束はさらに強化され、その強化された強度の何割かが体の強度に足されている。
「ここで休憩だ」
筋骨隆々の竹束を持った約二十人の男達が土の盛り上がりより前で列を成して停止、竹束を地に下ろした。
「いやあ、何かお困りですかい?」
列の真ん中の一層大柄な短髪で白髪の男が振り返り言った。
「困り事は今なくなった」
侍は立ち上がって土を払った。
「すまねえが誰か腰の竹籠の中のポーションを使っていただけやせんかね? なんせ両手が塞がってるもんで」
村人の侍への言いようとしては無礼だが、侍は気にせず機嫌よく答えた。
「いいとも」
「あ、安い方で頼みます。若い奴はまだやわなもんで」
治療中も機関砲が休まず火を噴いているが、竹束の壁は微動だにしない。
警戒していた迫撃砲は、しばらく音がやんでいる。
遠くからする音ははるかに上。
侍が不自然に思い空を見上げると、爆発が上空で起きている。
「おお! 援護射撃が来たぞ。上の陣地まで落とすのだ」
「それじゃあ、行きやしょうかね」
彼らはゆっくりと金城鉄壁の進軍を開始した。