飛行魔女
遠い空では墨をこぼしたような黒い雲が立ち込め、積もれば白く輝く白雪も空にあっては黒を生み出す影の仲間であるらしく、空から地上までを灰色にした。
しかし、真上を見上げれば雲の無い丸い青空が広がっていて、視線を下ろせば明るい緑と花々が咲き誇る春の麗らかな森が広がっている。
クロトア半島の中央部に存在するこの森の一角は切り開かれ、大型の据え置き弩砲バリスタが間隔を空けて並んでいる。
その中を作業がしやすいぴったりとしたローブを着た男達が走り回っている。
「三五・一六、確定だ、射角調整急げ」
ただ一人足を止めて周りの様子を見ている男が短杖を握りながら言った。
箒を持った人型の木像の台座がゆっくりと回って停止すると、木像が箒を持った腕を上げて北西の空を指し示した。
木製のバリスタの弦には棒状の物が設置され、その上では青い幻影が輝き揺らめいている。
「最終確認終了」
バリスタがぼんやりと輝き、周囲の地面に輝く魔法陣が現れた。
「一番、二番、三番発射!」
音と共にバリスタの弦が動き出した瞬間、棒の大半も青い揺らめきに変化し、弦が棒を押し出しバリスタから離れると同時に、全てが青い揺らめきに変わった。
マッハ八十以上の速度で発射された三つの青い幻影は一瞬で静かに空の彼方に消えた。
男は三つの青い輝きが飛び去った方向を少し睨み振り返った。まだ三十以上のバリスタが並びそれぞれが発射準備を進めている。
「次だ次! 急げ、どんどん上げろ」
青い光の足元では凄まじい速度で地上の景色が飛び去り、やがて深い青一色になった。
青く揺らめいていた幽体化を解いて空に現れたのは、箒に跨る幼さの残る長髪の魔女。
「はぐれた間抜けはいないねっ?」
ルクレ・オプテフ。青い目で青く長い髪は髪留めで多くの束に分割され束の先には飾りが付けてある。魔女帽子とローブは青い。
跨る長箒の柄は黒く青い宝石が散りばめられ、掃く部分は青い半透明の木の枝で作られている。
「当然ですわ、おばあさま」
すぐ近くを飛んでいるのはレンディア・セレブネン。同じような服で年は二十台後半に見える。青い目で水色の長髪は三つ編みのおさげで二つに分かれている。
箒は全体的に赤い。
「誰に言っているのでしょう、ひいひいひいおばあさま」
最後尾を飛ぶのがラフィーン・カチャー。彼女も同じような服装で年は十台後半ぐらい、目は青く髪は暗い青のセミショート。
箒は全体的に青み掛かっている。
「こないだまで小便漏らしてた小娘に言ってるんだよ」
「年を取ると時間感覚がおかしくなっていけませんわ、ひいひいひいおばあさま」
ラフィーンがよく通る明るい声で言った。
「口の減らない小娘だね、その呼び方を止めな」
「今更になって年を気にし始めるなんて、どんな心境の変化でしょう、おばあさま?」
「一週回って感性が若返ったのさ、お前達も見習いな」
打ち上げ時より大きく減速したが、三人は超音速で海上を飛行している。
風は全く感じない、魔法で保護されているからだ。
この世界の空は魔物の領域であるというのが常識である。高空に生まれ高空で一生を過ごす精霊の性質を帯びた音速の魔物に、空に獲物を見つけるとロケットのように打ち上がってくる陸海の魔物。
とても人が移動できる場所ではない。
しかし彼女達には違う。
空に最適化された高度な隠蔽魔法、それに気付いた魔物は速度で振り切り、それが無理なら追えない状態にしてやり過ごす。
これが大陸最強の航空戦力として広く知られるセプテミウムの森の《飛行女呪術師/フライングウィッチ》。
「打ち上げ用箒、切り離しだ」
三人の乗る長箒の後方には六つの箒が長箒を囲む形で付いていて、その囲みに顔を突っ込む形で掃く部分に一本の箒が刺さっている。それがポンッと押し出され、風に流されながら遙か下の海へ落下していった。
「あたしの記憶にある限りじゃあ、一番早く捕まえたね。外洋なら対空兵器はいないだろう」
「それは素晴らしい、自由に飛び回れます」
「わたくしの美技を見て死ねる方々は幸せですわ」
「いつもより戦場が遠いのを忘れんじゃないよ、魔力切れになった間抜けはあたしが直接海に放り込んでやる」
「お魚の餌は間に合っています。陸は大攻勢のようですし、こちらも空軍の主力でしょう」
「こっちが主力なのは初っ端からお見通しですわ」
「あんたは散々あっちに行かせろとごねてただろうが」
「何のことかさっぱりわかりませんわ、年で記憶が狂ってしまったのかしら」
「……帰ったらダンゴムシにしてやろうかね」
「ほほほ、それは恐ろしいですわ」
「そろそろ範囲内です、おばあさま」
「このまま先行して後続が来る前に終わらせるよ、《妖精の羅針儀/フェアリーコンパス》」
ルクレの前に緑色に輝く様々な流れが記された立体図が浮かぶ。
それを彼女をしばらく眺めてから消した。
「まず北へ切り上がって、東の低めから上昇気流に乗って仕掛ける。隊列だ」
三人はルクレを先頭にして一本の棒に乗っているように見えるほど接近して一直線に並ぶ。風圧を少しでも軽減して魔力の消費を抑えるためだ。
海に出ても相変わらず暗い雲の下、三人は悠々と箒に跨って空気を切り裂いていく。
「大佐、編隊組み終わりました」
「ああ、ここまで多いと壮観だな」
副官の報告にレッハウ・キセン・ルメカ空軍大佐は、室内のレーダーと周囲の空が映し出されたモニターを眺めた。
ここは空中要塞デメ・ジャーガの戦闘指揮所、大佐はその中央の椅子に座っている。半球形の薄暗い部屋の中では、オペレーター達が壁側の機具に向かっている。
どのモニターを見ても姿がある、二つの主翼、二つの水平尾翼、一つの垂直尾翼が後方に流れ締まったフォルムで尻から火を噴いている飛行機は、帝国空軍の主力ジェット戦闘機エスアセイバー。
レーダーではこの機を示す大量の光点が表示されている。
デメ・ジャーガは全中全幅ともに百メートル超え、X字の巨大な主翼が二組上下にあり、三十二の銃座が機体の各所に設置され、材質は帝国では珍しい魔道装甲、やや横長な印象がある超大型爆撃機である。
高度三千メートルで白い雲に影を映して、デメ・ジャーガを中心に五百の戦闘機が数段に層を成し大きく広がった編隊で飛んでいる。
これが雷雪作戦の二段目。大規模な航空艦隊による半島中央北部都市への核攻撃。
主戦場を大きく北に迂回して、一刻前に半島へと向きを変えたところだ。
『ギフ司令部から通達、全ての作戦を中止して撤退せよ、とのこと』
大佐の頭の中に乗員の心覚兵から念話が届いた。
「はあ、作戦中止!? 確実か?」
『確実です、三パターンの心覚通信兵からの暗号通信での通達』
「やれやれ、空中空母カバグイルから発艦作業が終わったばかりだってのに」
「作戦中止ですか?」
副官が大佐の表情を窺った。
「そうらしい、コーメル。またすぐに着艦作業だ。呑気に雲でも数えて帰るとしよう。全軍に退――」
『敵襲! 下方から』
「敵襲、下方!」
大佐の大声に反応して戦闘指揮所の人員は慌ただしく動いた。
「あひゃひゃひゃ、ひゃっひゃっひゃっひゃーー」
「ひーひっひっひっひっひ」
「おーほっほっほっほ」
女達の笑い声が高らかに響き渡ると同時、編隊の一角でゴウと無秩序な強風が吹き荒れ、巻き込まれた戦闘機が風に舞う木の葉のように弄ばれた後でバラバラになって爆発した。
下方の雲海を突き抜いて、何かが編隊の中心を突き抜ける。
戦闘指揮所も少し揺れ、オペレーターが態勢を崩した。
「ぐ、随分早いお出迎えだ、攻撃を受けたか? 当機のダメージは」
想定よりかなり速い遭遇、大佐は椅子を強く掴んで舌打ちした。
「最大でシールド五十六パーセントまで減退、既に回復しています。被撃墜十一。魔力パターン三魔女」
「……声を聞けばわかる」
帝国は順当に発展している、それは間違いない。大陸中央の汚染はどうしようもない領域だが、本土の汚染地はいずれ浄化できる。伸びしろがまだあるのだ。
帝国と半島の総合的な差は開いていくだろう。
しかしこの発展は縦方向の順当な発展、意外性の無い発展に偏っている。
銃の連射能力を高め、射程距離を長く、威力を強く。車はより速く頑丈に。そんな形で確実に発展している。
つまりは対処方法も同じ。
クロトア半島の国々は帝国の主力兵器に絞って、対抗魔法、装備を開発していた。
結果、総力では帝国に分があるが部分的には大きな優位を得ている。
ホルストは交戦前に空軍が退却できると考えていたが、中止命令を出す前にセプテミウムの森の新型の脅威検知型対空レーダーに千キロ以上先から捕捉されていたのだ。
モニターでは複数の戦闘機の飛行が乱れ、一部では同士討ちが始まり機銃とミサイルが発射され、味方の攻撃から逃れようとする戦闘機が全力の機動で身をよじりながら編隊から離脱した。
「何をやっているさっさと対処しろ、回復しないなら遠慮なくどつき倒すんだ、死んでも構わん」
「七十一番、応答無し。《操縦士/パイロット》、《砲手/ガンナー》ともやられています」
「乗員が二人とも精神をやられた奴はとっとと落とさせろ」
最低限の魔法耐性装備はあるが、結局本人の気が弱ければ持って行かれる。
このタイミングで捉まるとは運が悪いが、向こうの戦闘可能時間は短い、そして深追いしてくれれば一人ぐらい落とせるかも、と大佐は考える。
味方の損害を軽減し、敵の使える魔力を減らすために逃げの一手。
「とにかく退却だ、退却を通達。エスアセイバーは距離を取っての一撃離脱戦法を徹底させろ、絶対に格闘戦はやるな。超音速で百八十度ターンする女共だぞ。それから直掩兵を甲板に出せ、全銃座は牽制射撃急げ」
「流石に空中空母は後方かい、あれがいれば無理してでも沈めたんだがね」
ルクレは下方から突き抜けて引っ張り上げた雲を引きちぎり上昇を止めると、編隊の上を弧を描いて飛び全体を確認する。レンディアとラフィーンは左右に開いてその後ろを飛ぶ。
「あれは前より大分硬いようですね、おばあさま」
「おほほほほ、何たる弱兵、もうお帰りのようですわ」
ルクレが容姿に似合わぬ堂に入った態度で戦場を見回した。
デメ・ジャーガが巨体を傾けて反転していく。秩序だった大編隊を構成していた戦闘機は小規模な編隊に分割され散っていた。
「もう一撃、翼の先に攻撃を集中して様子を見る、それで駄目なら雑魚を集中して落とす」
デメ・ジャーガの銃座が上を向いて機関砲を撃ち始め、赤く光る点線が空を動き回る。
三人はそんな機銃攻撃など無いも同然の構えで、巨大な的を目がけて急降下を開始する。瞬時に音速を超えた三人がギリギリですれ違う軌道に入った。
「発射」「発射」「発射」
三人の跨った箒に引っ付いていた箒の一本が射出され、デメ・ジャーガの翼の先に連続して命中、次々に指向性の爆発を起こし翼を貫通する。
デメ・ジャーガ下方、雲海ギリギリまで下がった三人が上を見上げると翼は約十メートルえぐり取られ、内部の骨組み、パイプが露出している。
しかしすぐにその骨組み、パイプが途切れた所か再生して伸びていく。骨組みの次には外部装甲が再生され元通りに修復された。〈修理〉を使える人間が大勢乗っているのだろう。
「仕留められるか微妙なところだね、胴体、翼の半分はあれより硬い。散れっ!!」
ルクレの声と同時に三人が箒を傾け瞬時にその場から四散する。その後を緑の閃光が通り抜けた。