帝国会議2
「あれの性質にかかわらず座視できない。雷雪作戦を中止するべきです」
ポウル・ホルストは冴えない表情で淡々と述べた。
「確固たる意思を持つ存在の仕業でしょう。獣や不死者の本能の範囲ではない。思念が消えている点に作為があります。思念系の能力者にはもっと深く心理学を学ばせる必要がありますな。そうすれば思念以外からもっと多くの情報を得られる。あの仰々しく曲がりくねった木々にも創造者の性質が表れているはず。訓練も兼ねて大規模な調査を行いたい」
フィリ・キセン・スターデンは過去の経験から超能力を人の能力の一端としか認識していない。
現場にいた時、部下には超能力の強さより、力の使い方の工夫や判断を補助する知識の重要性を説いていた。念動力であれば、直接敵を叩き潰したり、物体を投擲するのではなく、設置した罠を起動させたり爆弾を秘密裏に接近させる戦術を重視させた。
大臣になってからは兵器局に能力と組み合わせる兵装の開発を要請している。
「そう簡単に追加の調査予算は出ませんぞ。浮浪者対策の予算が膨らみ、植民都市群は流石に限界、多少の支援は必要ですな。あの森からは植民都市運営の足しになる資源を確保していただきたいものですな」
ゲオルト・キセン・ラッシャーはぼーっとした調子で言った。
それぞれの立場と性格を反映した聞き慣れた意見、皇帝は薄っすらと笑みを浮かべる。
「お前達はあれを見ても普段の仕事しか頭にないのか?」
「現下の最重要課題は雷雪作戦です」
「やはり雷雪作戦は予定通りにいかんか? 既に深く交戦しているのだろう」
「あまりに不穏当、余力を残しておくべきです。成功するとかえって不都合な展開になる可能性もあります。三段構えに変更を加え、一段で終わらせます。なお本日十五時時点でオライオン丘陵地帯を七分まで押し込んでいます。編成の終わった敵主力と遭遇する頃合い」
「流れはよいものを……わかった、任せる」
皇帝は逡巡を見せたが、すぐにいつもの言葉を吐き出した。
帝国は皇帝の権限が非常に強い立憲君主制。
帝国の前身であるルドトク王国建国からの三百年に渡る戦乱で、強い皇帝が求められこの権限が揺らいだことはない。
その権力者の結論は、軍事は俊英ポウル・ホルストに一任するである。それが最善であり、自分の仕事は余計な口を挟まぬことだと存知している。
「ありがたき御言葉」
ホルストが下げた頭の中で作戦の組み換えを始めた。
雷雪作戦――現皇帝の意向が強く反映された百二十年ぶりのクロトア半島への大攻勢であり、既に作戦は実地中で二十五万の兵が戦闘地域に展開中である。
現在、帝国の主敵はクロトア半島の魔道国家群で、約百二十年硬直状態が続いている。
クロトア半島は帝国の東にある大陸最大の半島で人口は五千万以上。最大の特徴はほぼ汚染が無いこと、気候は冷涼だが高い魔法技術により人々は豊かな生活を送っている。
正常な土地、魔法技術、帝国が目から触手が出るほどに欲っするものだ。
よって半島との戦争は必然、しかし本来ならとうの昔に半島は帝国の手にあったはずと考える者は多い。部屋の四人もそうだ。
四百年前大戦後、大陸北西部は小国が乱立し戦乱が続いていた。
その中から台頭したルドトク王国が、周辺国を糾合、帝国へと形を変え、やがては大陸全土さえも制する勢いだった。
だが帝国内で事件が起きた。
機械を主力をする帝国では魔術師の立場が低くなっており、戦場で魔法使いを重用しないために敵の魔法で損害を被りがちで、魔法使いの印象が悪くなっていた。
味方としては役立たずで、敵としては憎い。魔法を重視しないので余計に未知の魔法で損害を被る悪循環だった。
帝国内の魔法使いは地位向上を求めたが、当時の帝国は機械を重視する思想が強く認めなかった。この政治的な対立が武力衝突に発展、帝国全土で魔法使いが虐殺された。
帝国内での魔法使いの排斥により状況が変わった。帝国内の魔法使いは周辺国に脱出、機械重視とはいえ魔法が不要なわけではなく、長く国家運営に支障をきたした。
さらに大陸北西部の覇権を争う戦争から、魔法使いを排斥する帝国とそれ以外の国との対立の構図に変化した。大陸北東の国々は当時の最前線であるクロトア半島に軍を派遣、帝国軍の侵攻は入口で止められた。
それから二百年、多少戦線は前進したが相変わらず半島の細い入り口部分で戦闘が行われている。
ただし帝国は持久戦の構えだ。
科学による社会発展を基本とする帝国は、遺跡から発見された技術を分析、利用して確実に国力を上げられる。帝国領土は戦乱で荒れていたため、その回復を待つ意味もあった。
つまり、時間を掛けて国力の差をつけ、物量と技術差で徐々にすり潰していく戦略。
この戦略は成功しており、帝国の人口は一億一千万を超えた。
人口が増えたことで多くの心覚兵が確保でき、小隊に一人を配属できるようになり、戦闘力はつぶさに向上している。
若くして皇位についたセンシオンは改革を好む性格で、魔術復古政策で魔術師を増やし、各方面で若い人材を抜擢し、優秀な平民を積極的に育成し、食料生産の徹底的な合理化を成功させた。
その結果、経済、科学技術が急発展し余力が生まれ、兵器に余剰が発生した。
そのため、センシオンの性格もあり、半島の国力を大きく削るこの作戦が考案された。
ただしこれには単に人を減らす目的もあった。
「ラッシャー、植民都市はどれほど持つと見る?」
「叢生現象が民衆に大きなマイナスの影響を与えた場合、五年持ちませんな。あれをプラスにできれば色々と助かるのですが」
ある技術水準下で適正な国家の人口は決まっている。
センシオンの治世で二十年ほど急速に発展した結果、その適性人口を超えてしまった。
食料生産力は順調に増加したが、それを上回る速度で人口が増えてしまった。汚染対策装備の性能上昇や医療技術の発展、回復魔法を使う機神教会の神官を増員させたのが原因だ。
人口過剰なので死ねとは言えない。
国家財政には余裕が有るので恩給と引き換えに戦死させて減らし、さらに植民者へ支援金を出し、開拓で成功者に成れると宣伝して、本土南東の植民都市に余剰人口を捨てている。
人口増加の抑制は困難である。複雑な社会制度が精密機械の歯車のように絡み合っており、一か所を大きく抑制すればすべてが破綻してしまう。
遺跡で画期的な技術を発見できれば一気に問題は解決できるが、道端で黄金を拾うのを期待するようなものだ。
かといって、研究予算を倍増させても研究速度が倍にはならない。
帝国本土の過半は重汚染地で人が住めない。
これを浄化すれば賄える人口は増えるが、価値の高い土地は既に浄化されて、残るのは価値の低い土地と浄化コストの高い土地だけだ。
結局、緩やかに政策を変えて対処するしかない。十年以上は正常化に掛かる計算だ。
しかし、人余りの問題さえなければ好調なのだ。
センシオンは毎年三十万人無能な者から選んで殺せば、万事うまくいくものをと思うが、できようはずもない。
「成功の弊害でこれとは、計算をしくじったわ。ここからできるのは犯罪者を片っ端から死刑にするぐらいだな」
「仕方ありませんな、当時は人があふれるなど思いもよらぬ事。私が若い頃、軍人は不足気味でしたからな。今は募集定員に対して三十四倍、隔世の感があります」
ホルストが椅子に深くもたれて言った。
「人口が増えた分、単純に魔法使いは増えております。ある程度資質は遺伝しますから、魔法使いの子供はこのまま増やすべきかと、半世紀後には意味を持つはずです」
「肉を生み出す魔法使いがおれば一万人ぐらいは子供を作ってもらうわ。はあ……いっそ南のセーザデ森林から有機物を確保できないものか」
スターデンの言葉を聞きながらセンシオンはため息をつく。魔法使いは増えたが苦手分野は苦手なままだ。魔術の復興は百年以上掛かると試算されている。
そして有機物、帝国にとって有機物は農地に近い価値がある。大量に木材を採取すれば、それが植物工場で農作物に変わる。高コストだが、人工皮などを生み出す技術もある。
そして電力だけはここ百年一貫して過剰にある。
〈補給〉の使える人材育成、確保と補給用機器の開発に資源を投じてきたからだ。
「安価な砂漠用車両があれば可能ですが、砂漠に潜む魔物に対応するにはどうしても高くなります」
「森の蛮族がおらねば直接森の中に拠点を造れるというに……」
帝国の敵は東のクロトア半島だけではない。
帝国近辺は中央部と西部以外は常に緊張がある。
まず本土中央部に現在地で首都のゼル・ダーエケトスがあり、ほかにも多くの都市がある。
行政機関や研究機関がある国家の心臓部であり安全な場所だ。
帝国西部は汚染の少ない農業地帯で普通の農業ができる貴重な地域である。ここより西はアトルント洋が広がっている。
帝国より北は永久凍土と針葉樹林地帯があり遊牧民が暮らしているが、北には進出せずこの針葉樹林に手は付けない。
このさらに北には白竜山脈があり白の竜王が住んでいるからだ。
神代より存在する竜王は、核兵器ですら歯が立たない相手であり、絶対に刺激してはならない存在だと認識されている。
東には件のクロトア半島、そして半島の南側と大陸に挟まれる形で大陸屈指の魔境であるギルイネズ内海が存在する。
ギルイネズ内海は海中、海上はおろか上空すらも海の魔物が飛行しており、船は当然、空を飛んでの移動はできない。
南東にはメツダッハ山脈の峻険な高山がその姿ぶつけ合うように並び、その隙間を縫う狭路を抜ければ、植民都市群、帝国が未回収地と呼ぶ広大な黒の荒野が広がる。
この大陸中央部は、北西が汚染された黒の荒野等の汚染地、北東は悪魔の森、南東は砂漠地帯等、南西は邪悪の森と人が住むには適さない。
帝国が無理して大陸中央部に進出するのは、かつての文明の中心地を掌握しておきたいという政治的動機に加え、重要な遺跡の発見、東の国々への備え、二つの森の監視を行うためだ。
ここでの敵は黒の荒野に生息する魔物である。
南側は工業地帯、さらに南下すると黒い汚染地、ウェトポン砂漠、セーザデ森林、セーザデ山岳地帯、邪悪の森となる。
セーザデ森林に住む自然派な人々と森林資源を巡って長く交戦中だが、ホルストが指揮を執るようになってからは優位に進んでいる。しかし森の奥に侵攻するには時間がいる。そのため現在の問題を解決するには使えない。
南西はレンダス山脈の向こうに、小国ながら魔道工学に秀でたミュータール連合があり現在は停戦中である。連合が大陸南部への道を塞いでいる形になる。
「ではこの叢生現象をどう考えておるか聞かせよ、ホルスト」
センシオンがあらためて尋ねた。
「それは学者の領分であろうと心得ます」
「確かにそうだが、実際の対応は軍の仕事よな。あれが本土で発生したらどうする? 未回収地の彼方と違い放置はできまい」
「あれがどんな性質の現象であれ、帝国に有害なら破壊手段を見つけ出し殲滅します。あの現象の根があるなら、それも捕捉して殲滅するまで」
ホルストの平素より開かれた目の奥に見えるのは研ぎ澄まされた殺意。
いかに効率的に殺戮するかを常に思考して人生を送ってきた男の目だ。
「ふむ……今はそれで良かろう」
少しためて、センシオンが次の言葉を述べた。
「そもそもあれは大地の怒りではないのか?」
センシオンの疑問に三人は思案するが誰もしばらく口を開かなかった。
二百年前、クロトア半島での戦線が硬直した際、半島を支援する東の国々を脅かすべく、悪魔の森を核兵器で焼き払い森の中を突っ切って侵攻しようと試みた。
しかし核爆弾の一発目が爆発して半時せぬ間に、森から大量の魔物が押し寄せ最終的に近隣の軍、植民都市のすべてが壊滅した。
さらに帝国外まで含め、地中から発生した強大な魔物が各国を襲撃、戦争どころではなくなった。魔物の暴走は五百年前にも発生し、大戦の原因の一つに数えられる大地の怒りと同一の現象であると考えられている。
「大地の怒りにしては大人し過ぎる。それに基地を潰した植物と基地と悪魔の森を繋ぐ植物は別物です。悪魔の手……でしたか? 腕部分の木の実は美味かったらしいですよ」
スターデンが言った。
「超能力者がそう言うならそうであろうな」
「美味かった?」
ホルストが怪訝な顔をした。
「派遣した私の部下が片っ端から食べたようで、とにかく美味かったとの報告が直接」
「何か分からない物を食べるな、検査はしておるのだろうな。それはこっちの報告に上がっておらんぞ、心覚兵はこれだから……」
「美味いなら栽培するか」
「非効率な果実を栽培する余裕などありませんぞ」
「城の庭に植える余裕ぐらいはある」
ラッシャーが全く仕方ないなという目つきになった。
「スターデン、心覚兵の中でも神霊者であれば、あれと同じ現象を起こせるか?」
「【世界一新】の力が創造系であれば可能でしょう。私でも能力があれを発生させるに特化した性質であったなら可能かと。しかし守備隊をどこかにやったのは別の力。張り巡らされた根で地面を掘れないとの報告でしたから、根こそぎ地中に沈めた可能性もありますが、地中にも装備の反応がない。植物系魔法使いは少なく推測は難しい」
世界一新、帝国最強の超能力者であり、スターデンと異なり超能力者は特別と考える部類の人間だ。
ただし世俗には興味がなく、宇宙と一体になるのが目的であるために対立はない。
「となれば、過去の神霊者、絶影や赤猫、石膏店員でも可能だな」
「要求される力の大きさ、ジェントリア指数であれば可能でしょう。つまり人の身で起こせる現象です」
ジェントリアはすべての生物の細胞内に存在する細胞小器官だ。
生物がスキルや魔法を使う際に活性化する。
血液検査で計測でき、極度に強ければ遠距離からでもわかる。
ジェントリアの数と活性度合いを示すのがジェントリア指数である。
訓練で増加するが、生まれ持った資質が非常に大きく影響する。
神霊者はこれが飛びぬけて高く、突出して高い能力に到達し、成長速度も速い。
歴史に名を刻む英雄の幾人かは神霊者であっただろうと考えられている。
教会では神の子などと言われるが発生の仕組みは分かっていない。ただし、ある程度遺伝するのは確実である。
「これが個人でできると言われてもピンとこないが」
センシオンは手元の写真を凝視する。
「悪魔の森の膨張速度の方はどうされますか」
ホルストが言った。
「そっち方は伏せる、教会がやかましい」
「賛成ですな」
ルドトク帝国は十年おきに航空機を用いて悪魔の森の周囲を測量している。
今回発生した悪魔の手の調査のため、十年を待たず、危険度の高い測量を実地した。その結果は、悪魔の森が膨張速度を大きく増したとのものだった。
「最後に、あちらでは出しませんでしたが最新情報があります。あの森に荒野の魔物が住みつき始めています。我々の基地が無くなり魔物の基地となりつつあるわけですな。悪魔の森の侵攻が始まったとの見方もできます」
ホルストは半笑いでそう言った。
「それも隠蔽……と言いたいが漏れるか」
「おそらく。これも教会が騒ぐかと。それともあれを焼き払いますか?」
「まさか! こうなると教会は本当に邪魔だ。そちらの対処はこちらでする、軍の仕事ではない」
これまで教会の教義を利用して民心をまとめ、支援して信仰系魔法使いを増やし、汚染を除去させるのに利用してきた。
しかし政策への関与は望まない。だが、民衆の目の届く範囲で奇跡が起きてしまうとその影響力は無視できなくなるだろう。
「わかりました」
「それはあくまでも荒野の魔物が集まっているだけでしょう。大した問題にならないのでは? 災害級でも住みついたので?」
スターデンが言った。
「今は小物ばかりだが、報告を受けるたびに数が増えておる。監視の部隊も距離を離した、お前の希望する再調査にはそれなりの兵力がいろう。奴らにとっては高級住宅なのか、荒野より住み心地がよいと見える」
「それも訓練向きですね、活きのいい的が無いと我々の訓練は捗らない」
魔法使いの立場は復権したが、技術は失われ育成は手探り。
スターデンが目指すのは、魔道諸国のように多兵種が緻密に連携する戦闘。
過去のような争いを繰り返さないために、共に戦う経験を積ませるのが望ましいと考える。
「陛下、雷雪作戦が終了次第、未回収地方面軍を増員したいのですが」
「了承する」
「新しい情報はこれまでです。叢生関連は監視に留めるでよろしいですな?」
「うむ、死蔵品を使う事態ではない。あれの戦う姿を見たい気持ちはあるが。まあ今日はこれまでだな」