師
『ルキウス様、終わりでしょうか?』
『ああ、出て来て構わない。後の処置を急がねばならん。あいつの魔法が消滅した』
ソワラが姿を現すや否やひざまずき、深く頭を垂れた。
「どうした? そんなに改まる仲でもあるまい」
ルキウスがどことなく人型になったつるの体をうねらせながら音を発した。
「偉大なる御姿を前にすればこれが当然です。それになんと美しい動きでしょうか、永久に御身の中で溺れていたい」
ソワラは地面を這いまわるつるを見てうっとりとしている。
「ヴァルファーの方はどうなっている?」
「戦況は優勢ですが、隠密行動には限度があり掃討に時間が必要です。一部の街では手練れが吸血鬼を迎撃しており、隠密を破られそうで近づけないと」
ソワラがそのままの姿勢で答えた。
「そうか、無理せず任務に当たるように言っておけ。街の一つ二つは占拠されても構わない。国が潰れなければそれで良い。メルメッチの方も問題無いな」
「承りました。他に問題はありません」
ヴァーラが小走りに木々の間から現れ、ソワラと同じようにひざまずき石のように固まった。
「おお、何と偉大な御身。こちらは四名討ち滅ぼしました」
お前もかよ、と思いながらるルキウスが言う。
「そうか、ならばここは終わりだな」
「ですが敵に力を与える必要は無かったのでは?」
ルキウスはそれを言われやらかした失敗を思い出した。何か上手い言い訳を考えなければと必死になってうねうねする。
「何のことでしょうか」
ヴァーラがソワラの方を見た。
「ルキウス様が黄金林檎を敵の吸血鬼に下賜されたのですよ」
「知らぬ間にそのような出来事が!」
ヴァーラが鎧をガチャッと鳴らした。
「彼は貴重な情報を喋ってくれたのだ。何か与えなければ仕方あるまい。これから滅ぶ者に金子をくれてやっても無意味だろう? あれなら消費できる物であるし、減っても困らない物だったのだ。滅びる前に良い思いをさせてやろうという慈悲である」
「しかし、だとしてもあれは過分では……」
「ソワラ、私は常に神として信仰されるにたる行動を取らなければならないのだ。これは私が自分で課した枷。私が規律無く本気で力を振るえば、世界は私だけになってしまうであろう、そんなものは虚しいだけだ。だからこその規律、正しい秩序だ。道理に従うなら、ただで物を受け取る訳に行かない、働きには褒美と決まっているだろう。
彼は今では貴重な古い情報をペラペラ話してくれたし、我が戦果にもなってくれた。まあ無駄な話も多かったが……いやあれはあれで価値があったのかも知れないな。何にせよ、今の我々には貴重な情報だ、だからそれに見合った物を与えたのだ」
さらにつるの塊がヴァーラの方を向いて言った。
「ヴァーラも褒美は必要だと思うだろう?」
「確かに良きにつけ悪しきにつけ報いは必要でありましょう」
「それにいくらか強化してやらねば戦いが楽しめないではないか。本来なら神格者でなければ私の相手は務まらぬ、あれでも不足だろう。私が本気であれば一瞬で終わっていたが、それではつまらぬ」
ルキウスはよしよしとっさに出たにしては完璧な説明だ、と思った。
人間は心にもないことほどスラスラと口から出るものである。
「考え至らず余計なことを申しました」
「ルキウス様の偉大さが一層身に沁みました」
ソワラは圧倒的な強さと余裕に、ヴァーラは高潔さと慈悲深さに、より深く頭を下げた。
「分かれば良い。私は元の体に戻るのに少し時がいる。いささか大きくなりすぎた。一体化を解き、取り込んでいる木や草に戻して地形を回復させる必要もある。気にせず隠蔽作業にかかれ」
実際にはすぐに戻れるが、服を着ながら戻るのは難しい。
複雑な綾取りをしながら走ってフルコースを食べつつ着替えるような感じだ。神の威厳のためにもきっちり服を着て登場する必要があるのだ。もぞもぞと急いで必死に服を集める。
「遺跡の物資はいかがします?」
ソワラが魔法で周囲の思念を除去をしながら言った。
「一応伯爵の私有地だ。工作の時間も無い、危険物があればそれだけ私が回収しておく」
「少々惜しいですね」
「欲をかく必要は無いさ。隠蔽措置を終えたらドームを解除して、メルメッチを拾ってヴァルファーの方に向かえ」
「はい」
少し経って、どこか肉肉しい緑のつるがルキウスの体を編み上げた。
ルキウスは足元の義眼と指輪を拾った。体を元に戻す際、引く波に乗せるようにしてここまで運んできたのだ。
「それは何ですか?」
未だに固まって控え続けるヴァーラが言った。
「敵が使っていた魔道具の義眼と指輪だ。義眼は赤い目を変えるのに使ったのだろう、標準の色は黒か……。この二つは戦利品だ」
ルキウスは義眼を目の前でじっくり見ると懐にしまった。
「後は誰かが来るのを気長に待つとしよう」
翌日、一応の説明を終えたルキウスは生命の木に転移して眠った。疲れていた。
夢を見た。師に弟子入りした頃の夢だ。きっとあの義眼を見たせいだろう。
夢ではなぜか師は真っ黒なシルエットだった。
よく知っているはずのその顔を、思い出そうとしても思い出せなかった。
師の会社の一室、二人は机に向かい対面で座っている。
「ちょっとテストをしよう、簡単な手品だ」
師はトランプカードの山を机の上に乗せた。
「スペードのエースだな」
師はスペードのエースを持ち、見せるとカードの山に中頃に差し込み、猛烈な速度で様々な切り方をした。
小気味の良いカードの音が長く場に響いた。そして切るの辞めてカードの山を置き、山の一番上のカードをめくって見せた。
「ほれ、スペードのエースだ。なぜこうなるか分かるかね?」
「札に仕掛けは?」
「これはさっき秘書に買いに行かせたもので仕掛けは無い」
「だとすると……何とも」
少し考えたがこれといった考えは浮かばなかった。ただ札を切っているようにしか見えない。特殊な動きは無かったように見えた。
「見たまんまだ、わからんか?」
「すみません」
「謝る必要は無い。手品は引っかかってくれないとな。答えは簡単、指の感覚でわかる。それを最後に一番上に来るようにしただけで、技術というよりはただの感覚」
「感覚?」
「切っている間、最初から最後までどちらかの手が触れているから位置はわかる。ずっと手を繋いでいるのと同じだ。そもそも人間の手は1グラムの差を確実に判別できる程度には繊細、訓練すれば誰でもできる」
「確かに言われて見れば」
「君にも触覚はあるだろう、人間の標準機能だ」
「もちろんありますよ」
「君はできないと思っただろう、あるいは実は仕掛けがあるのではと。多くはそうだ。事前知識が無いと、自分にできない事は人にもできないと思う。これが心理の死角、思い込み。見えていても認識できない状態、協会員の敵だ」
「思い込みは禁物……そういう話ですね」
「そうだ。今思い出したが、昔、超能力で触れずに本のページをめくる男がおった。それで荒稼ぎしたという。だが、最終的に本の周りに何か軽い物を置かれてばれた。超能力の正体は息だったのだ」
「それは笑える」
「実にな。だが逆に言うなら、繰り返さず一発限りならばれなかっただろう。同じ手はいずれ通じなくなる。企業の経営もそうだし、兵器や戦術もそうだ。君は、ルキウス・アーケインはよく知っているな」
「ええ、一つの罠を仕掛けたら、その罠の印象を利用して二の罠を、一と二を利用して三の罠、そして四の罠がありそうな場所には何も無いとかですね。読まれないようにしつつ裏をかきます」
「既に感覚的に知っているようだが、よく覚えておくがいい、人は簡単に騙せるし、自分も騙される。それを知るのがサプライズ戦で勝つための第一歩だ」
師はトランプを一枚持った。
「ではこれはどうやったか、わかるかね?」
師が持っているカードが突如中心から燃え上がった。それを師はサッと振って消した。
「もちろん。その目、義眼でしょう。不可視の熱線ですね」
「事前に知っておればわかるな」
「知らなくても義眼の可能性が頭にあればわかると思います。目の周りが一瞬ヒクッと痙攣するように引っ張られていますし、目の輝きもよく見れば違う」
「ふふふ、目に力を入れなくてもこれは撃てる。しかし燃やそうという意識と顔に感じる違和感で筋肉に力が入る。よく見とるな」
「それがあの有名な目から怪光線の正体とは驚きましたよ。あの絶妙にぶれた光線は実に衝撃的でした」
「君の世代で知っているのは珍しいな。あれはよほどのまぬけでなければ、人の目から光線は出ないとわかる。そこからさらに思考を進めれば、何らかの科学技術だとわかるし、普通に考えればサイボーグの義眼だとわかる」
「考えれば、わかるでしょうね」
「常識では誰でもわかるのだ。赤の時代でもあるまいし」
「まったく」
「だが子供の両目が義眼であるとは思うまい、ましてや光線とはな。そこがまさに盲点じゃ、おかげで稼がせてもらった」
「つまり考えない、考えさせない」
「これが虚を衝くということ、サプライズの基本。やり方は二つある。物理的、心理的、の二つ。自然界ではほとんど物理サプライズじゃの、肉食獣の待ち伏せからの飛び出し、保護色、毒。知能の問題に、共通の文化が無いと心理サプライズは難しい。まあ地球外の生物ならば動きが読めないし、意図せず思っていたのと違う攻撃を受ける事になったりするが。まあ、向こうもこっちを変な動きの生物だと思っとったかもしれんが」
「相手からすればこちらがエイリアンですからね。それも侵略的な」
「心理的とはつまり、思い込みからくる認識のずれ。見えていても情報を認識できない状態にすること。相手の思い込みを誘導できれば理想的だが、大抵は既にある常識を使う、さっきの手品みたいに」
「ではなぜ子供のわしに光線が出せる義眼なんてふざけた物があったと思うかね?」
「……保護者が与えたからでしょう。どこかの秘密組織に改造された訳では無い」
「その通り、一歩進んだな。そのままが答え、至極単純」
「良かった。一問正解ですね」
「わしは胎児の段階で眼球が無かった。最終戦争に使われたディム薬の影響で当時よくある症状だった。まだ世情は不安定で暮らしにくい時代、普通は中絶するものだった。しかしわしは産まれ、裕福な家ではなかったが両親はサイボーグの義眼を与えてくれた。そして十歳になると、当時は割と何でもありだったテレビで大金を稼ぎ、親に恩返ししてから軍用レベルの義眼を新調して外宇宙に出た。その前に協会がスカウトする予定だったらしいが、あっちまでわざわざ協会員が来た。後は君が知るのと同じ」
「企業家ですね」
「そう、つまらん企業家だ。人がわしを語る時、惑星アレイル探査時の活躍、その後の経営手腕を語る。あそこでこうしたから成功したのだと語る」
「そうでしょうね、それは。有名ですから」
「だが目から光線出せるようにしてくれと言われてやってくれる親がどこにおる。借金をしてまで」
「……親に恵まれたのが主因だと」
「わしがあの両親の元に生まれた時に八割以上決まっておった。外宇宙探査に向かうのも、その成果の管理のために起業するのも全て。産まれた時点で大きな流れが発生していて、後の事は誤差でしかない、全ては繋がっておる。物事には必ず種がある、万事に因果あり。わしの成功はわしの行動より両親の特異性によってもたらされた、そこがわしの始点」
ルキウス・アーケインはこの先も永久に知らぬことだが、緑野茂が師である服部のアポイントメントを取り付けられたのは偶然ではなかった。
アトラスの開発者ゼウス・クセナキスからルキウス・アーケインの事を聞き興味を持ち、彼の中身が緑野茂であると調べて知っていた。
そしてあの日、緑野茂は期待に応えた。だから唯一の弟子になれたのだ。
「つまり物事は大きく考えなさいということだ。それが協会の方針でもある。世の中に大きな影響を与えるには大きく考えないと難しい」
「なるほど。でも私のは大体道具を仕込んでのドンッですから、力押しですよ。大きな影響にはならないでしょう」
「普段の君は大体強引な流れが多いな。力があって、それも良し」
「迷惑を考えろとは言わないんですね。私はよく怒られるんですが、よく物を壊すので」
「サプライズとは純然たる驚愕の感情、脳波の動きを導く行為。善悪などありはしない。そもそもが歴史に名を遺す軍人や政治家は数え切れんほど殺しておるし、技術者とて間接的に殺しておる。迷惑なんぞ気にしておったら何もできん」
「確かに」
「サプライズ協会が目指すのは世界の活性、ひたすらかき回すこと。君も遠慮せずにやればいい。後世には功績だけが残るだろう」
「仮想世界では大した影響は無いと思いますが、目立ったのも、人が撮った映像からですし」
「そんなことはない。わしが子供の頃はまだナチョ・パリシオが現役だった」
「あの革命家の」
「今日は何千人殺した、久しぶりに十万の大台に載った、今日は珍しく一桁ですと毎日推定した死人の数を報道しておった。専門の死者数報告コーナーがあったのだ。今では考えられんが、今日は少なかったねとか言うのが世間話の話題だ」
「確かに今は無理でしょう。しかしそれがどう繋がるのです?」
「とんでもない事が世の中では起きる、起こせる。そういう常識で育つと、大きな何かをやろうとする人間が多く発生する。とにかく世に刺激を与える、それが肝要。逆に安定したつまらない時代に育つとつまらない人間が増える。そこから衰退の時代が始まる。あの最終戦争も極限まで腐敗が行った結果生じた。そして再構築は最終戦争の揺り戻しに過ぎない。結局繰り返し、再構築の揺り戻しもいずれは来る。今は外宇宙探査からの宇宙開拓バブル、上手くやればこの発展は千年以上続くだろう。しかし一度行き詰れば今度は数千年の衰退期がやってくるだろう。それを打破できるものは何か?」
「サプライズ精神です」
「正解。停滞し腐敗したシステムを打破するのはとどのつまり個人。その個人こそサプライズマスターであり、それの発生を促し、活動を補佐するのがサプライズ協会。まあ我々には基本だったな。その点、君のルキウス・アーケインも世に広く刺激を与える存在に違いない。仮想空間も拡大の一途だ、先月は軍需企業のボネテックも参入していたな。その影響力も増えるだろう」
「そうですかね……」
考えてみてもどんな影響が出るかはわからなかった。しかし何かにはなるのだろう。将来、森の神に影響を受けた誰かが世に出て来るのかも知れないと思った。
「話は変わるが、君も訓練施設で目からの光線をかわす訓練をしておいた方がよいな」
「その訓練要ります?」
「目から光線を発射する暴漢に襲われるかもしれんだろう」
「確かにサイボーグ技術の犯罪利用は問題になってますが、私は一般人ですから。そんな金の掛かった犯罪には遭わないですよ」
「わしと一緒におれば、どんな事件の巻き添えになってもおかしくない」
「それはそうなんですがね……あの訓練施設、ほぼお化け屋敷ですよね」
「今の協会員は娯楽産業の人間が多いから、あの形になった。君も登録上はそうだろう」
「そうです」
「だがあれも油断していると命が無くなる」
「なぜです? 本当に破壊力のあるのは無いでしょう、あそこは」
「あそこは十分にテストしていない技術や、個人が勢いで作り出した設備が多いからな、たまに誤作動したり爆発したりする。本当に油断はできんよ」
「そいつは酷い」
「何にせよ弟子ができて良かったと思っておるよ、わしは。息子はあれだし、会社を始めてからの知り合いはつまらん者ばかりだ、車を爆破したぐらいで怒る。実に退屈な連中だ、あれで生きていて楽しいのかいつも疑問に思う」
「私もよく友達が居なくなりますね」
「それは協会員には有りがちな事、今は仲間はおるのか?」
「幸いにも。昔から縁の切れない者は数名。皆変わり者ですよ、でも皆は私が一番おかしいと言うんですよ」
「それは君が大物だということ、くく、わしの目は正しかった」
師は少し笑ってから窓の外を見て続けた。
「わしにもそれなりにおった、半分以上は惑星探査で死んでしまったが」
「その辺りは自伝で読みました」
「わしらみたいな人種は同族にしか理解されん、だから仲間を見つけたら助けてやらないといかん、いずれ君も助ける側にまわる日がやってくるだろう」
(これは仲間というより信者なんだよなあ)
「おお、偉大なるルキウス・アーケイン様」
ドニが体の全てを床に投げ出しXの字になって平伏した。




