シュットーゼ3
転がった彼が地面に手を突いて止まる。
ルキウスから見ると、背を向け屈み、立ち上がろうとしている状態。
絶好の好機。
打ちごろの後頭部めがけて、野球のバッターのような渾身のフルスイング。
しかし目――シュットーゼのうなじにある一つ目が、ルキウスを見ている。
(魔法か!)
「ぐ」
瞬間、振っている途中の杖を上に放り投げ、その反動と〈空歩〉で前の空を蹴って体を後ろに倒した。
同時に振り向きざまの横一閃。剣先が仮面にかすってガッと削れる音がした。
シュットーゼは剣を左手に持ち替えている。
かわさなければ胴体から真っ二つになっていた。
シュットーゼは武器を手放し仰向けになったルキウスに、真っすぐ剣を振り下ろす。
ルキウスは剣を持つ腕を蹴り上げ、腕ごと剣を退け、その勢いで後ろに回転して立ち上がった。そして、剣の間合いから逃れるため、数歩下がった。
「ハハハハハハ、いやあ引っかけたと思ったのだが、惜しい惜しい」
「調子に乗るのはまだ早いだろう」
「杖を拾いに行かないのかね? 行けるかどうかは知らないがねえ」
高く飛んだ杖はニヤニヤしているシュットーゼの三メートル後ろに落ちた。
シュットーゼはまた右手に剣を持ち替えた。肩が回復したのだろう。
「遠慮なく拾わせてもらう」
ルキウスは言い終わるや否や、シュットーゼに向かって低く突っこむ。そしてシュットーゼが剣を振る直前で、彼の右上を抜けようと大きく跳躍した。
それを逃がさんとシュットーゼが跳び、突きを放った瞬間、〈空歩〉で空中を蹴り急角度に曲がった。
余裕のある距離でシュットーゼと空中ですれ違う。そこから目一杯右手を伸ばし後方に残っていた左手を掴み、即座に握った部分に回復魔法を集中、全力で正のエネルギーを注いだ。
「ぐお」
シュットーゼがうめきながらも右手を狙って斬りつけるが、既に手を放している。完全に空振った。
そのすきに強く地を蹴って、頭から滑りこむような姿勢で杖へ手を伸ばした。あとわずかで杖に手が届く。
シュットーゼはそれを座視しなかった。
「〔重力反転/リバースグラヴィティ〕」
ルキウスが空に向かって落ちる。伸ばした手が空振った。足が浮き、走れない。
「〔重力反転/リバースグラヴィティ〕」
杖をひきよせるには遠い。それ以上に浮くのはまずい。ルキウスが即座に同じ魔法で効果を打ち消す。
「〔重力反転/リバースグラヴィティ〕」
しかしさらに被された。魔法の撃ち合いは魔力的に不利、後ろからシュットーゼが迫る。風魔法を自分に撃ち、魔法の有効範囲を逃れつつ、どうにか杖を掴んだ。
瞬時に神気をまとわせて、背面に向かって重量挙げのように、杖を思いっきり上げた。ドンッと腕に伝わる強烈な衝撃、そして重さ。さらに背中にめり込む衝撃。
「かっ」
ルキウスから乾いた声が漏れた。
背後からの振り下ろしを杖で防いだが、背中に蹴りを受けた。
三十メートルほど飛ばされる。
これを追ったシュットーゼの追撃は横薙ぎ、これは杖で受けた。剣の跡が杖に深く刻まれている。さらに強烈な斬撃、全力で振った杖で迎撃する。
杖と剣での迫り合いで場が硬直する。
相手の左手を見れば指が二本欠けていた。一部に集中した回復魔法で焼け落ちたのだろう。
「指はどうした? 落としたのかな、拾いに行ったらどうだ?」
ルキウスが得意げに言った。
(ゲームの癖がでちまったな。剣士でも魔術師でも、動作の直後なら横を抜けられるはずだったが)
「……心配は、いらないよっ」
シュットーゼが喋りながら力んで、両手で持った剣を一気に押した。
ルキウスは強力な吸血鬼の力で押し飛ばされ、無理せずに後退した。
シュットーゼが魔法を使う素振りを見せた。
ルキウスは身構えたが、黒い玉が発射された先は浮遊している絞縄だった。さらに黒い球がどんどん発射され絞縄に黒いオーラが蓄積されていく。
やがて限界まで蓄積されたのか、絞縄のオーラがあふれんばかりに波打ち、黒の光線がシュットーゼの手に放たれた。
急速に再生が始まり、光線の発射が終わった時、手は完全なものとなっていた。
(あの絞縄が死霊術か、あれは放置できん。しかし、やり方を見るに自力で欠損は治療できないらしいな)
「さて治った」
シュットーゼは満足げな笑みを浮かべ、治った指を動かして見せた。
「……まともに動くといいがな」
「試せばわかる」
シュットーゼは前進しながらも、他に気をやっている。切れた糸をたぐる気配。クモの送還が一瞬すぎて納得できないのか。
「知らなかったのか? やつらはインドア派だ、家に帰ったよ」
「それは勉強させてもらったよ」
シュートーゼが動く、恐るべき速度の連撃。一撃が重い全力の斬りこみ、ただひたすら速い突き、たまに混ざる魔法。
ルキウスは後退しながら、必死でそれを受ける。一撃一撃で強化している杖が大きく削られる。それを常に魔法で修復しながら受ける。
「頑張るじゃないか、しかし時間の問題だね、こっちは疲れないから。かわいそうだから休ませてあげようじゃないか。ハーハッハッハ」
数百の斬撃を放った後、シュットーゼはそう言って立ち止まった。
ルキウスは疲弊してわずかに息が切れていた。杖の修復もあって残りの魔力は少ない。
力も速度も武器もルキウスより上。しかも不死者で疲労しない。
しかし弱い。
ルキウスは杖で近接戦をする能力がない。アトラスで接近戦をやる時は長剣、しかもこの杖は重量があること以外接近戦に向かず、魔法を強化する能力も低いので戦闘に向かない。
その杖を使うルキウスは、終始押されながらも一撃も受けていない。
つまり奴は剣が下手なのだ。
種は見えているが見えない場所にある。つまり心理の死角。
ルキウスはあらためてシュットーゼを見据えた。
「どうしたのかね?」
千レベルの召喚体を二体同時に召喚して従える。最高クラスの〔召喚士/サマナー〕、〔召喚術師/サモンウィザード〕でなければ不可能。かつ最高位魔法を使い、剣の威力だけは激烈。
しかし戦闘技術がない、つまり鍛えていない。
身体能力は夜の吸血鬼起源なら妥当だろう。
「お前、魔術師ではないな、剣士でもない」
「フハハハ、現実逃避かね。吾輩は探しても探しても並ぶ者のない大魔術師だーよ。最高位の魔法を見せてあげただろう、アーケイン氏にはわからないかね?」
高らかに笑うシュットーゼ。白い犬歯が際立つ。
「その表情も見慣れてきた、ドルケル・シュットーゼ」
「おお、名前を憶えていたかね。吾輩の話は全て右から左かと思っていたよ」
シュットーゼは大仰に何度も頷いて見せた。
「思ったよりも長い付き合いになった、名前ぐらい記憶しといてやる」
「ふん、アーケイン氏にもわかるようにわかりやすい最高位魔法を見せてあげよう〔幻の本物/ファンタズマルリアル〕」
金属板が一瞬強いオーラをまとったのをルキウスは見てとった。
(今度はあのレンズらしい金属板、そして解呪無効の最高位幻術魔法。これで全部か、いや他に着けている物がある。だがわかっている物は全て確認した。ここまでくると明らかにおかしい)
シュットーゼの横にもう一人シュットーゼが現れた。
周囲には同じように物が浮いていて装備もオーラも完全に同一。
「行くぞ」「吾輩が先だ」
同時に放たれた斬撃を後ろに飛び退きながら杖で受けた。
ルキウスの眼は幻覚を見抜く、しかし――杖に付いた傷は二つ。
この幻覚は無機物すらも騙す、つまり実体がある幻覚。当然ルキウスも傷つく。
「二人は無理だな」
ルキウスが小さくつぶやいた。
「ようやく諦めたかね?」「君は頑張ったと思うよ」
「二人で喋るな、気持ち悪い。攻撃開始!!」
バンッという音で片方が派手に吹っ飛んだ。
すぐ近くに生えていた大木が枝で横合いからぶん殴ったのだ。
ルキウスの魔力はもう二割無い。相手の魔力は、オーラからは大して減っていないように見える。いかに不利でも、発生しえぬ差。
彼の魔力の半分は周囲の植物に魔法を掛け、それを隠蔽するために費やされていた。
周囲の緑が一斉に騒めきだした。
大木が身をよじって地面から抜け自由に歩きだし、草花が激しく伸びた。
「そっちはそのまま押さえつけてろ。こっちは私がやる」
あっちのシュットーゼは造作もなく攻撃してくる樹木を両断している。さらに吹き荒れる火が広範囲を焼き払う。
しかし、どれだけ斬っても焼いても尽きないほど数を用意してある。
下半身は大量の草に絡めとられており、斬っても斬っても取れず動けない。そこに歩く大木が次々と押し寄せ上から滅多打ちにする。離れた木々は土の中から石を掘り出し、枝で掴んで投擲する。
これだけの攻撃でも大したダメージは無いだろう。ただし足止めには十分だ。あの幻を出すにも維持にも魔力を消費している。
「おいおい、こっちは二人なのにちょっと多過ぎないかね?」
ルキウスの目の前のシュットーゼが言った。こっちが本体だ。
「やはり〔自然祭司/ドルイド〕か。ここまで魔法と〈森渡り〉からすればそれしかないと思って――」
言葉を遮ってルキウスが言った。
「お前は〔超神秘主義者/オカルティスト〕だ」
複数の職業技能が使えそうなのはこれしか思いつかなかった。
「……ハハハハハやるねえ、正解だよ、よくできました。意外に博識じゃないか、森出しの石ころだか枝だか葉っぱのような割にはなあぁ。いかにも吾輩こそ世界最強の〔超神秘主義者/オカルティスト〕。この世界の文化を司る存在、統治者に相応しいと思わんかね」
シュットーゼは少し固まったが、これまでと同じように大きな声で堂々と言った。
〔超神秘主義者/オカルティスト〕は思念の付いた思念具に自己の思念を注いで増幅して魔法を使う超能力系魔法使い。力の根源は物体への愛着。
ルキウスは〔超神秘主義者/オカルティスト〕との戦闘経験がそれなりにある。それでも看破できなかった。性質が違いすぎた。
ルキウスのイメージではこの職業が使う思念具は指輪、文具、鉱物、実験具、鏡、カバン、骨などの小物に、武器防具楽器など単体でも使える実用品だ。絵画を抱えて戦う者はいなかった。
それにアトラスの〔超神秘主義者/オカルティスト〕は勇者の剣を持てば勇者になり、大魔術師の杖を持てば大量の魔法が使えるような職業ではなかった。
それができるなら〔超神秘主義者/オカルティスト〕だけでなんでもできる。
この職業はこの世界ではかなり現実的になっている。
どんな道具でも付着した思念と波長が合えば力を引き出せ、合わなければ無理だった。シュットーゼはこの波長を合わせる能力に長けていた。
ルキウスはそれを大まかに当たりをつけた。
「しかしわかったところでどうだというのかね?」
「そいつらを破壊すればいい」
人指し指で浮遊する物を指した。
思念具が無ければ魔法は使えない。それ以外の職業があるとしても、思念具に依存している。
さらに思念具の力を引き出すには思念力が必要。それが切れても無力。
つまり無敵からはほど遠い。すでに相当な思念を消費しているはず。
「できやしない。これまでだってできなかっただろうに。防御措置を講じているからね、徒労に終わるに違いなーいね」
シュットーゼが大きく肩をすくめた。
「狙ってやれば別だ」
ルキウスの知る限り、装備していないアイテムを無敵にする手段はない。
この世界独自の手段があるのだろう、しかし破壊は可能。破壊困難なほどに頑丈なら、あの大きな絵を盾にでもしている。
ルキウスが杖で打ちかかると、彼は空に逃れた。これは当然だろう、地上は植物で埋め尽くされている。
しかし自由にはさせない。
ルキウスは複数の魔法を連続で撃つ。威力は必要ない、出の速い低級の太陽光、火、雷、氷、石、植物の魔法、さらに投擲。狙いは本人から浮いている物まで散らす。本人は頑丈だが、剣以外の物は違うはず。
シュットーゼは〔魔術師の防御/ディフェンスオブウィザード〕を使用しながら高速で飛行して回避行動を取る。
(かわした。すべては受けられないということ)
「〔永遠の凍える夜/エターナルフリージングナイト〕」
シュートーゼの周囲が完全な冷えた漆黒で埋められていく。
ルキウスがローブの中に手を入れ、赤いハヤブサの石像を取り出した。
「〔すべてを枯渇させる日差し/ラー〕」
石像が一瞬強く発光すると、その身を光へと変えて周囲と広がる。
ルキウスにも見通せない闇はどんどんと広がっていたが、光と相殺され一瞬で消え去り元の夜空に戻った。
「どうした? 守りきれんか?」
「一つでも破壊してから言いたまえ」
シュットーゼは背後に思念具を集め、高所から〔上位エネルギー弾・負/グレーターエナジーショット・ネガティブ〕を連射しながら急降下、ルキウスに突っこむ。
発射された黒球はルキウスよりも周囲の木を狙っている。黒球が命中した木々は彼のスキルで強化されているが、それでも耐えられずに朽ちていく。
ルキウスは横を通りすぎる黒球を無視して杖を構えた。
一直線に来るシュットーゼ目掛けて杖を振った。
二人が衝突、ガンと音が響く、交差する剣と杖、力の差によりルキウスが弾かれたが、すぐに地面の草に足を絡めて留まった。
「フハハ、軽いぞ!」
そして双方の二撃目、速いが単純な剣をかわし、小さな動きで杖を肘に軽く打ちこむ。
ルキウスは大振りな剣をできるだけ力を流す形で受け、ときには全力で打ち返し、時には受けると見せかけてかわし、緩急をつけて小刻みな攻撃を繰り返す。
押しているのはルキウスだ。最初の時と違い、相手の技量が低い前提の動き。最初は常に強烈な一撃を警戒して、崩されないように受けていた。
そして同時に使える思念具は多分二つ。今は剣と幻術に使っているはず。
お互いの力に変化はない。あったのは情報。
シュットーゼが少しずつ下がる。
下がる彼を追う形でルキウスが全力で杖を振り下ろした。シュットーゼが受け太刀をする。腕力に勝っている彼が大きく押し込まれた。
二人が前へ前へと力を入れて押し合う。
仮面の奥の緑の目と深紅の目が至近距離で睨み合った。
その時シュットーゼの目元に力が入った。深紅の両目の中心から赤い光線が発射された。
瞬間、ルキウスは頭を左後ろへとのけ反った。光線が首をかすめて焦がす。通り過ぎた光線は、瞬時に大地を溶かし赤熱する溶岩を作った。
「死ね」
光の視線がルキウスを追う。見るだけで殺せる状況。剣は杖に深くくいこんでおり、杖を持っては下がれない。
だが次の瞬間、シュットーゼは空を見ていた。ルキウスがのけ反ると同時に、下から顎を蹴り上げたのだ。
「やると思っていた」
ルキウスはこの目の攻撃を待っていた。わざと至近距離まで顔を寄せたのだ。
シュットーゼの体が上に浮き、大きくのけ反った。その勢いでくいこんだ剣も外れる。
大きく振りかぶって無防備なそれを追撃。
ただし、ルキウスの杖の標的は彼ではない。叩きやすい位置にあった金属板だ。
巨大な質量が全てを薙ぎ払う。
振り終わって手応えなし。完全なる空振り。
ルキウスはバランスを崩し、足をドンと地面に突き、踏んばって立て直した。
「逃がしたか……下を向けたほうがよかったか?」
空にはこちらを見下ろすシュットーゼの姿があった。転移して逃げたのだ。〔幻の本物/ファンタズマルリアル〕は解除され、幻は消えた。
転移は厄介。しかし距離を詰めずに離した。押している。
「お前の目が義眼であるのはわかっていた」
「ほう、後学のためになぜわかったのか伺いたいねえ」
シュットーゼはあくまでも余裕を崩さない。
「お前の目にしては綺麗すぎるし、目の周りの筋肉の動きに違和感があった」
〔閃光/フラッシュ〕でも挙動を確認している。これに耐性があるなら、魔法の閃光は一切効かない。逆に効いた場合、しばらく視力を失う。
一瞬固まったのは義眼が光量を瞬時に補正したから。魔法に対する防御能力は、完全に無効化すると、攻撃自体に気が付かないことがある。それに対処するための機能による調整。
常人に見分けられぬ筋肉や目の輝きの不自然さ、ルキウスには見慣れた違和感だった。




