シュットーゼ
「ほれ、代金だ」
放り投げられたのは黄金林檎、シュットーゼはそれを空中で一旦停止させ、回転させてよく見てから近くへ引きよせた。
さらに怪しんで黄金林檎を凝視した。
「言っておくが吾輩に毒は効かんよ」
「解説代だと言っている、毒などないさ。私は律儀なんだ、滅ぶ前に美味い物を食わせてやろうという果てしない善意でもある」
(ククク、リンゴに回復能力があるとは思うまい。普段使いも考えて鑑定偽装の魔法もかけてある。少しはダメージがあるはず、ダメージが大きければ一気に叩いてもいい、少なくとも距離は詰められる。真っ向勝負するには危険がある相手、遠慮なくやらせてもらう)
ルキウスは仮面の下で誰が見ても悪人と判断されるであろう歪みと子供じみた期待の混じった表情をしていた。
「まだ言うかね。まあいいだろう、アーケイン氏の人生最後の贈り物にして、我が国初の贈り物だ、ありがたく頂いておくとしよう」
これを言っているのがアトラスで有名な罠使いであると知っていれば、彼は口にしなかったかもしれないが、吸血鬼で耐性に自信があるのも手伝ったのか、牙をむいてガリッと浮いているリンゴを齧った。
「なんだこれはああぁぁぁぁぁ、うまあああい」
シュットーゼがのけ反りながら叫んだ。
人が吸血鬼になると味覚が変わる。通常の食事はできるが全体的に味が薄くなり虚しく感じるようになる。変わって好むようになるのは当然血液。
血には霊的なものも含め、生物を構成するものが凝縮されていて、吸血鬼はその存在全ての味を同時に感じる。吸血鬼にとっては生き血を啜ることが至高のグルメなのだ。ただし高貴を標榜する吸血鬼は原始的に血を啜ることを嫌って、血のスープやソースを利用した新鮮な血の料理を好む。
「なんなんだこれは、なぜここまで味があるのだ」
彼にとっては五百年ぶりのまともな果実の味である。全身がワナワナと震える。
(あっれー、おかしいな、おかしいぞ。普通に能力上昇……というかあれは)
シュットーゼを取り巻くオーラの質が変わった。渦巻いていたオーラが揺らめかずに落ち着き、色は澄んだ赤と黒に変わりダイヤモンドのような貴さがある。オーラがはっきり翼の形状をとった。
あのオーラをルキウスはよく知っている。古老吸血鬼ではない、事実上の吸血鬼の頂点、吸血鬼起源。
なんでリンゴで吸血鬼の格が上がる? 納得いかないぞ、と思いながらルキウスは冷や汗をかく。もしやこれが凶なのでは?。
黄金林檎の回復は正の力によるものではない。無論、負の力でもない。これは資質を引き上げる能力に付随する回復だった。
アトラスでは不死者に使用する手段がなかったので、不死者に使うとどうなるかを、プレイヤーは誰も知らなかった。
シュットーゼは何かの条件をクリアして、二つの壁を一気に超えたのだ。
「気に入ったようでな――」
平静を装ったルキウスの声は、天を仰いで叫ぶシュットーゼにかき消された。
「これは! これはなんということだ」
彼は崩れ落ちるように膝を突き、さらに前へ倒れて肘を突いた。
「うおおおおおん」
滝のように涙を流し鼻水を垂らしている。
あまりにも無防備な姿に攻撃するべきか迷うが、吸血鬼起源を一撃で滅ぼす自信はない。
「うおおおぉぉ、悲しいことに悲しいぃぃぃことにぃぃ我が力は主を超えたぞおおぉぉ」
バッとルキウスの方を振り向いて叫んだ。
「なんだ、まずかったのか?」
「……いや、ありがとう」
「……どういたしまして」
なんなんだこいつはと思いつつルキウスは普通に答えたが、非常にまずい状況。これを見ているソワラはどう思っているのか。
夜の吸血鬼起源は千レベル以上の強さ。ただし〈神格〉は無い。〈神格〉が有ると無い者に対してすべての点で有利になる。
つまり二人の力は五分五分、勝敗を分けるのは基礎能力以外の力になった。
「……さて、続きを聞こうか」
「これは……今まで以上に舌が動くぞー! これならコジーレ巻壺の溝をきっちり舐めまわせるじゃないか!」
起きあがり、舌を五メートル以上伸ばしてぶんぶん振り回すシュットーゼ。
「それはおめでとう……続きを」
「ああ、そうだったねアーケイン氏、失礼、失礼。おかげで舌も二倍速で動くようになった、いつもの二倍速で語ってやろうじゃあないか!」
シュットーゼが眉毛と口髭を動かして気持ち悪いほど笑顔を浮かべた。
対するルキウスは必死で回復能力の高い相手を殺しきる組み立てを模索した。
ルキウスが疾風怒涛の講義を受けている頃、ヴァーラは通路の真ん中に綺麗な姿勢で直立していた。
戦いに備えて、剣は神銀から石膏のように白く、刀身が装飾的なギザギザで幅広い剣に、盾も同じ聖樹ヴィエンヴォール製で白く大きな丸盾に代えてある。
通路は幅高さ十メートル以上はある。天井も壁も床も血管を思わせる盛りあがりが無数に這いまわり脈打ち、他にも臓器を思わせるような何かで埋め尽くされた壁。全体としては暗いが、ところどころにある玉や棒が青や緑に発光して多少の光を生んでいる。
これが異星迷宮だ。
ヴァーラの背後で通路が途切れ、ひたすらに白く輝く空間がある。これが出口。この白に飛びこめば元の空間に回帰できる。
「わかっていますよ、出てきなさい」
彼女の澄んでいながら力強い声が響く。何も起こらない。
「往生際の悪い、〔上位魔法解呪/グレーターディスペルマジック〕」
七、八メートル先で魔法が炸裂して、そこの影から革鎧を着た赤目の男が現れた。
黒いローブを着ていたはずだが無い。鎧が粘ついて痛んでいる、壁に偽装した五芒星蠕虫に酸と毒の粘液でも吐かれたのだろう。
異星迷宮には事前準備がないと戦いにくい魔物がうろついている。
男は言葉を発っさず、両手に何かを握る仕草をすると赤黒い槍斧が空気が溶けて変質したように手の中に現れた。吸血鬼の使う血武器だ。
男は顔を引き締め、刺突に使える刺先と斧刃の付いた穂先を後ろ側にして、槍斧を水平に構えた。
男が態勢を変化させず滑るように動く。戦技〈無歩〉による静かで吸い込まれるような移動と希薄な気配は、目の前に居ながら正確な距離を錯覚させる。
男の腕から少し力が抜けた、打ちこむ寸前の脱力。そこから、多くの人間の戦士にとって、穂先が動いたと知覚した時には両断されている、そんな攻撃が生まれる。
複数の戦技を使用した兜から全身を両断せんばかりの超速超重量の振り下ろし、それをヴァーラは筋力と盾の強度だけで受け止める。木製盾の乾いた音が響き、流石の威力に少し腕が下がる。
渾身の一撃が止められても男は驚かない。
さらに、連続突き、石突き、横薙ぎ、叩きつけ、力も技もある攻撃が間髪入れず連続する。ヴァーラはそれを盾だけで受けきっている。
ただし、不死者に疲労はない。防御させ続ければ有利になる。
「その程度ですか」
ヴァーラが槍斧が引く瞬間に合わせて、強引に盾で押し込み、太ももを浅く刺した。男は瞬時に槍斧をヴァーラに打ちつけ、反動で下がる。
男が太ももを見ると刺された場所からは煙が出ている。不死者に対して特に効果的な聖なる武器であるのは明らかだった。
男は停止した。そしてその体から黒く揺らめくオーロラ状の波が周囲へ発射された。
〔呪いの波動/カースドサージ〕、聖なる武器を警戒したのかここにきて男は魔法を絡めてきた。
「〔聖なるオーラ/ホーリーオーラ〕」
ヴァーラがすさまじい光の球体に覆われた。悪から身を守り悪を滅ぼす聖なる輝きだ。
「なに!?」
寡黙な男が驚きの声をあげたのは、聖騎士が高位の魔法を使ったせいだ。
ヴァーラが黒い波動を無視して一気に前に出て、攻撃に割り込む形で斬りこむ。男はとっさに振り下ろされた剣を柄で受けたが、柄はたやすく切断され、同時に胴体を深く斜めに斬られた。
不死者には致命傷ではない。生物と違って失血死はしない。
〔聖なるオーラ/ホーリーオーラ〕の中で吸血鬼は弱体化する。男は後ろに飛び退き、再び影に潜ろうと試みた。
「聖樹光誕」
斬った傷が光を放ち、そこから木の苗が生えて急成長していく。根が男の体の中に張り巡らされすべてを吸い上げる。
「がぁ」
体は干上がりながら内側から弾け飛び、後には育った白い木が残った。
「この程度なら残り三人が来ても問題ないでしょう、追加が来る可能性もありますが。それにしても武術で駄目なら魔法、戦術としては当然ですが、節操がないようで好きになれないですね。武器だけなら剣で相手をしてさしあげた」
滅ぼそうと思えばいつでもできた。今回は力を計るのに使った。残りの三人は一斉に来るかもしれないし、一人を囮にしてもう一人を脱出させようとするかもしれない。どの程度か見ておく必要があった。
ヴァーラにとって最も避けるべきは吸血鬼を迷宮から出すこと。主と敵が戦っている最中に新手が乱入すると最悪。
彼女は元の立ち位置に戻ると、また直立姿勢で次の敵を待った。
「――という訳で五百年ぶりに継承者たる吾輩が王国を建国するのだ」
シュットーゼがしたり顔で言った。
「要はお前を滅ぼせばそれで終わりなのだろう、よくわかった。お前の主は既に滅んでいるのだから」
「あれだけ話して君の理解はそれだけかね。そもそも我が主の話は常識だから自慢げに言うことじゃあなーいよ、きみい。しかも、あれだけ雄大な歴史と芸術を説いてあげたのに、歴史の分岐点だというのに、再び我らが君臨する時代が始まるのに、以前のように陰からではなく表から人を支配するのだというのに」
「そいつは無駄だったな、そもそも半分ぐらいお前の趣味の話ではないか。こっちからすれば、お前を滅ぼせば終わりになっただけだ」
「ふうむ、そいつはどうかな? 吾輩がこの別荘を開いた時点で同志が作戦を開始している。三十人以上の吸血鬼貴族を含む戦力だ。今夜の内にザメシハの西半分は我が国の一部になるだろう」
嘘か、いや隔離されたここで嘘をつく理由はない。
「そういえば、この街に出たあの……吸血鬼もお前の仕業だな」
「おお! もちろんそうだとも、彼らはええと……吾輩としたことが珍しく覚えていないが、セレテームで見つけた彼らは何やら随分と負の感情を漂わせていたから力を授けてあげたのだよ、コフテームに帰ると言っていたから運命だと思ってね。ちょうど力が余っていたし、計画の前に景気良く使ってしまおうと思ってねえ。しかし彼らは我が王国を見ることなく消されたようだねえ。少し待てばいい思いができたのにねえ」
シュットーゼは大いに残念そうな表情を作ったが、半分笑っている。
『ヴァルファー……ヴァルファー?』
シュットーゼの格が上がったせいか〔次元半球/ディメンションドーム〕に通信が切られる。
『ソワラ、ヴァルファーに中継してくれ、今の私では通信を遮られる』
『かしこまりました』
『まず先の情報を伝えよ。その上で吸血鬼を探して滅ぼせ。動かせる全員で、可能な限り秘密裏に実行せよ。可能ならそいつらの財産を回収せよ、だ』
『生命の木の守りが薄くなると言っています』
ルキウスは一考するが、一度決戦に挑めば、景気良くやるのがいつもの流儀だ。
『守りは最小限で構わん。アブラヘルが残るはずだしペットもいるからな。動かせる者は総動員だ』
『すぐに実行すると』
『なら中継はここまででよい』
『私はどうしましょうか、二人で戦うべきと存じます』
ソワラの声から感情が読めない。
『こいつは私が一人でやる』
『危険な相手なのでは? あの男の気配は妙です』
『たまには本気で戦いたいだろ? 巻き込まれないように距離をおけ』
『ルキウス様が闘争をお望みなら是非もない事でございます』
「さて、戦いの準備はよいのだろうね? 状況と戦う理由を理解したか? という意味だがね」
シュットーゼは口角を軽くつりあげ余裕の表情だ。
「ああ」
「さあ、始めよう伝説の戦いを!」
「リンゴ食って泣いてた吸血鬼だと語り継いでやるよ」
シュットーゼはゆっくりと浮き上がり徐々に高度を上げ、高木のさらに上の高さで停止すると、共に浮いている片手半剣を鞘から引き抜いた。その刀身は薄っすらと赤い。
(剣だと?)
「ハッハッハ、吾輩、実は剣も使えるのだよ。大魔術師にして剣豪、それが吾輩ドルケル・シュットーゼなのだ」
シュットーゼが剣を片手で構えると、瞬時に加速してハヤブサの狩りのように急角度で降下をする。
吸血鬼のスキルで強化された〔飛行/フライ〕であっても、ルキウスにとっては特別速くない。しかし――
(突撃!? 魔術師なのに? 魔法剣士か賢者か?)
ルキウスは混乱する。どうやって距離を詰めて、杖でぶん殴ろうかと考えていた相手が真正面から突っこんできた。
相手が攻撃に出る直前を攻撃する、それは個人でも集団でも有効な攻撃だ。判断が一瞬遅れるが、対処できない距離ではない。
「〔太陽光線/サンレイ〕」
ルキウスの左手から放射された、眩いばかりに輝く三十以上の細い光線が闇を穿つ。
「〔常闇の盾/エヴァーラスティングダークネスシールド〕」
シュットーゼの前に濃厚な闇が生まれた。それはまったく光を反射せず、輪郭を見ることもできないが、おおむね円形で盾状の闇が光線を相殺した。闇を盾にして一直線に接近する。
ルキウスは攻撃的な壁にするべきだったかと思いつつ、両手で杖を強く握って迎撃しようと構えた。
二人が接敵する直前、シュットーゼの剣が、見た瞬間に斬られたと錯覚するほどに攻撃的で驚異的な大きさのオーラを宿した。最高位の武具を遙かに超える。
(なんだと!)
ルキウスは姿勢を乱し、強引に回避に切り替えた。杖で受けられるかわからない。杖ごと斬られると致命的なダメージを受ける。
「ハハハハ」
シュットーゼは減速せず剣を真っすぐに振り下ろす。
杖を持った右手と右半身を後ろに引き、半身をずらして回避を試みた。
斬撃と疾風が通り過ぎる。左腕が落ちた。
左腕の肘から先を捨てることになり、足も少し斬られている。
張り付くように着地したシュットーゼは追撃しようと振り返り、斬撃を放とうとしたが、急停止して即座に空高くに退避した。ルキウスの腕が完全に回復していたからだ。
ルキウスは斬られた瞬間に〔再生/リジェネレイト〕を使っていた。
「そいつが遺跡から引っぱり出した装備か」
「いかにもそのとおり、斬れぬ物の無い神代の武器だとも。誰が使ってもなんでも斬れる魔法の剣さ。羨ましいかい? でもあげないよ、ははは」
ルキウスは仮面の下で訝しむ表情を作る。
剣は確かに高品質な魔法の武器のオーラがあるが、そこまでの品には見えない。だというのに瞬間的にオーラが極限まで増大した。
(魔法武器にしても違和感があるな)
「しかぁし、大した回復速度だ、吸血鬼もビックリだとも」
シュットーゼがルキウスの腕を見てわざとらしくビックリした顔をした。
「信心深いんでな、神の加護が多いのさ」
腕が切断された状況で速やかに精神集中を行い、高位の回復魔法を瞬時に使う魔法使い。吸血鬼には危険な相手。組み付かれて回復魔法を使われたなら致命的なダメージを受ける。
単独行動が多いルキウスは、緊急時に自分を回復させるために、回復魔法の中で〔再生/リジェネレイト〕だけにポイントをつぎ込んで集中強化している。自分に対しては、魔法成功率、発動速度、効果量は最高水準になる。
シュットーゼが退いたのはルキウスの目論見どおり、迎撃より回復を選んだのは威嚇。幻術を疑った可能性もある。
慎重な性格であるとのトンムスの情報は正しかったようだ。
『ルキウス様、私も加わったほうが……』
ソワラは、感情を押し殺しているような重い口ぶりだった。
『心配するな、私の計画どおりに推移している。問題があれば呼ぶ、ゆるりと観戦しておくがいい』
『それは失礼いたしました』
「どれぐらい加護があるか見せてやろうではないか!」
ルキウスは杖を浮かせて右手で左腕を掴むとブチブチと引きちぎる。腕がちぎれたと思った次の瞬間にはもう腕が元通りに生えている。
それを繰り返し、ちぎった腕を三つ、四つと適当に放り投げた。
「ほうら、これぐらいだ」
「君も相当にキテる部類の人間だねえアーケイン氏、吾輩と同じ匂いを感じるぞ」
「そいつはどうかな?」
「吾輩と共に世界を支配しないかね? センスの良い仮面を着けているし大歓迎だ。よい物も頂いたし、ハハッハ」
「こいつの良さがわかるとは中々だが、お前を滅ぼすのは決定事項だ。それに私は仮面を舐めない」
「それは惜しいな、味わってこそ良さがわかるものだよ。よいものは全感覚を使って堪能するべきだーよ」
「お前とは話が合わん、〔火の嵐/ファイアストーム〕」
高位魔法が夜空に赤い灼熱の巨大花を咲かせて、辺りが昼間のように照らされた。爆発の余波が草花を激しく撫でて騒めかせる。
シュットーゼは魔法で新たに作った盾を使いながら飛行して、爆発から逃れた。
「ハハハ、お返ししよう〔害悪の霧/ハームフォッグ〕」
緑と黄のもやが交互に内側から湧き出す霧が、ルキウスの至近で爆発的に発生した。