昔話
高木に囲まれた場所でルキウスとヴァーラが足を止めた。その五十メートル先、高木が不規則に散在している中に三人の吸血鬼が並んで立つ。その後ろには白い建造物と入口が見えている。
『あれが遺跡か? 構造ごと引っ張り上げたのか、遺跡元来の機能なのかわからないが、首魁がここに居るなら既に中身を出していると考えた方が良さそうだ』
『そうですね、予定通りですか?』
『そうだ、問題は見えない』
中央の男がトンムスに聞いた容姿と一致する。何より両脇の二人とはまとったオーラの厚みが違う。濃い深紅と黒のオーラが混ざりながら竜巻のように渦巻く中心にいる男、あれがドルケル・シュットーゼに違いない。
格は吸血鬼王族から吸血鬼君主。脇の二人は吸血鬼貴族ぐらいだ。
それ以外の人間は見当たらない。遺跡の中かと最初ルキウスは思ったが、隠蔽されているらしい血と臓物の残り香を彼の鼻が嗅ぎ取った。戦闘があったのは間違いない。
茫緑の業毒が吸血鬼の組織でなかったのなら、その連中は餌にでもなったと考えるべきだろう。
アトラスなら夜の吸血鬼君主は八百レベル程度の強さ。
ルキウスは現在百パーセントの力を発揮している。アトラスにおいて彼の力は上昇か低下しているのが常だが、人工の緑である庭園は森とその他の中間と判定されているらしい。
彼は一対一で勝てる相手だと判断する。魔術師相手に魔法戦は不利、どうやって接近するか考えながら相手の出方を窺っている。
ただ気になるのが、これみよがしにシュットーゼの周囲を漂う立派な額のついた婦人画、朱の鞘に収まった片手半剣、太い定規のような黄色い板、吊るし首に使う絞縄の輪の部分、ウサギの人形か剥製、これらは何かの魔道具に違いない
「君達が我が国最初のお客さんだ、歓迎しよう」
シュットーゼの声がルキウスまで届くと同時に、両脇の二人がさっとその場から姿と気配を消す。
「不可視化と見せかけての影潜り、吸血鬼らしいが、《地波/グランドウェイブ》《陽光の場/サンライトフィールド》」
ルキウスが立て続けに高位魔法を連続使用した。
ルキウスとヴァーラが立つ場所を孤島のように残し、大地が大嵐の海原のように急激に波打ち、地中の石と石とがぶつかってガチガチと音を打ち鳴らし、木々が枝葉を揺らして踊り狂う。
さらに激しく波打つ大地を中空から光が照らす、半径五十メートルほどの光の円柱が生まれ、その内部の影を消し去った。
まず二人の吸血鬼が姿を現した、シュットーゼの横にいた二人ではない。ルキウスの背後を狙って後ろから影の中に潜り忍び寄っていた二人だ。影が無くなり地面の上に飛び出した二人は波打つ地面によって弾き飛ばされ、ボールのように何度か跳ねた後で《飛行/フライ》の魔法で浮いた。
その瞬間を狙って、ルキウスが振り返りながら手の内に持っていたうずらの卵を茶色にして丸くしたような玉を連続投擲、連続命中、玉は割れて中のドロドロした液体をぶちまけた。
さらに遅れて同じように影から弾き出されたシュットーゼの横にいた二人も、ルキウスの投げた玉を受けてその中の液体を浴びた。
ルキウス前方の空中に、外側に黒い輪郭を持った放射状の模様の円が出現した。模様の線が細かくうねったかと思うと激しく開いた。放射状の模様を形成していたのは全て白い滑った触手であった。それがきっちり閉じた花が開くように開いたのだ。
触手はゴムのように液体を目印に、勢いよく伸びて吸血鬼達に巻き付いた。
吸血鬼達はそれぞれ魔法や武器を振るなどの抵抗を試みたが、攻撃はことごとくが触手をすり抜け効果を発揮しなかった。触手は二本、三本とどんどん絡みつくと、一気に吸血鬼達を自らの内側に引き込み、吸血鬼達はそこから姿を消した。
ルキウスが投げたのは非論理の配剤、異星系の魔法を込めれられる魔道具、ソワラが《異星迷路/エイリアンメイズ》の魔法の一部を込めた物だ。
丸く黒い輪郭が扉の枠であり、触手は扉そのものだ。そして枠を抜ければ迷宮がある。
「御武運を」
ヴァーラがそう言い残して手の中の非論理の配剤を握り潰した。触手がヴァーラにも巻き付き、生々しい扉の向こうに引きずり込むと、元のように集まった触手によって扉は閉じて目の前から消滅した。
「隠密戦法は相手の格を見てからやれ、待ち受ける時間があるなら二の手三の手を用意しておけ。それが待ちの戦法だ」
《神格者全視覚/ディエターオールフォースサイト》 が全ての罠を見抜いていた。最高位の特殊視覚強化は些細なオーラも見逃さない。木と草が生えた庭園は薄っすらとした緑のオーラで満ちていて、別の色が混じればすぐに目につく。
庭園の中心部には特に大量の反応があったが、地中や木の中に仕込まれた全ての魔道具や印は破壊されたか機能停止している。
「それはそれは御教授どーもありがとう、予約を入れておいてくれれば、接待の準備をしておいたのだがねえ」
「残りはお前一人だ、吸血鬼」
ルキウスが淡々と言う。
「一人なのは君も同じだろう。しかあし、面白い事をやるなあ、魔術師として興味をそそるぞ」
シュットーゼは不敵な笑みを顔に張り付けたままだ。
彼は同じ位置に立っているが何もしなかったわけではない。ルキウスが中身不明で面倒な遺跡ごと破壊するつもりで放った、《地波/グランドウェイブ》を無効化している。さらに《陽光の場/サンライトフィールド》も何かの魔法――おそらく暗闇を作る系統の魔法――で既に相殺された。月明りはわずかで、暗い水のような夜が帰ってきた。
「こいつは遺跡で見つけた、中々便利な物だろう」
「確かに、興味深いが美しくないぞ。吾輩はドルケル・シュットーゼ、高貴なる血盟エフェゲーリ・メクレルを引き継ぐものだ、愉快な風体の君は一体何者かね?」
シュットーゼは人差し指をクルクル回した後で、バッとルキウスの方に右手を伸ばした。
「……ルキウス・アーケイン、森の方から来た者だ」
「聞いた事の無い名だな」
シュットーゼが小首をかしげた。
無反応、ならばプレイヤーではない、プレイヤーでなくとも森の神を知っていればこの対応は無い、相手が千レベルと知っていれば余裕ではいられない、そうルキウスは結論付けた。
「しかし片っ端から罠を壊してきたのかね。結構希少な物もあったというのに、ついでに伯爵側のもあると思うが」
シュットーゼがクククと笑った。
「下手糞な罠の仕掛けようだ、あんなに高密度ではばればれ、少しは隠すことだ」
「せっかく大量に用意して設置した罠ならフル稼働するのを見たくないかね? この計画の準備には十年以上掛かっているのだよ。まあ、吾輩からすればわずかな時間だがね。全ての罠がうまーく連鎖すれば数百人が一斉に罠に掛かって苦しむ愉快な宴が催されるはずだったのだぁーたのだ。派手に輝く一瞬は遠大な準備によって訪れるのだあーよ。それにこの罠は専ら伯爵の兵に向けた物だからして、君のような異物は想定していないねえ」
内心では多少同意しながらもルキウスが言う。
「何にせよ、さっさとお前を片づけて帰らせてもらう」
「さっさと片づける? ははははは、君は物を知らないな、昨日までなら確かにアーケイン氏にも勝ち目があったかもしれんがね。だがもう手遅れさ。私はここで神代の宝物を手に入れ完璧になったのだよ。何を隠そうこの遺跡こそ我が主にして吸血鬼の王、あのアルエン・セルステイの別荘であり、元々私はここの管理人だ」
遺跡の中の何かは既に回収されたらしいことをルキウスは理解する。
「で? 誰だ、それ?」
「はあ !?かの有名な吸血鬼中の吸血鬼、闇黒の君主、夜色の薔薇、蒼眼の君、不夜城の領主。そして我が主よ」
目をむいたシュットーゼが自慢げに語りターンしてポーズを決めた。
「知らん」
「田舎者にも限度があるぞ、誰でも知ってる話だと思っていたぞ、今の今までな、吾輩ショック」
シュットーゼが大層な動きで頭を抱えて崩れ落ちた。
「要はお前を滅して、そいつも滅すればいいのだろう?」
シュットーゼはフウウウーとため息と呼ぶには激しい空気の流れを生み出した。
「君は無知だな、その無知さで、継承者たる私と戦おうと言うのか。これでは記念すべき王国の初戦が……何たる悲劇、それとも喜劇か、これでは締まらないではないか。そうだそうだ、ならば語ってやろう、今君が賢くなればいいだよ、後の世で語られる伝説は格好良いのがいいだろう? 吾輩は捏造は好かん。説明の後で、この大陸を賭けて後世で歌劇に歌われる戦いをしようではないか」
「酷い言いようだが……まあ、聞こう」
当然時間稼ぎの可能性があるが、ルキウスの魔力は多少減っている。ここに来るまで設置された魔道具を見つけ破壊するのに消費したせいだ。それが回復するまで待っても良い。
そして長生きしている吸血鬼の情報は些細な物でも貴重であり、そもそも情報収集は大きな目的だ。
吸血鬼は精神攻撃に対して完全耐性を持つため操って情報を吐かせられず、通常は痛みを感じないので普通には拷問もできない、何より生け捕りにするには危険なレベルの相手だ。自分から喋るなら好都合。
「むかーぅしむかーぅし」
牙が覗く唇が大きくグネグネと動く。
「それ長いの?」
「アーケイン氏は我慢ができないのかね?」
「大体昔だといつかわからないだろう」
「それを今から話すのだ、黙って聞いていたまえ」
ルキウスは軽口を叩きながらもシュットーゼの周囲を漂う物のオーラを観察している。
魔道具のオーラを観察すればどの程度の物か判別できるが、剣以外はほとんどオーラが見えない。吸血鬼らしく何かの能力を持つだろう目はオーラが濃く、トンムスが言っていたガラドの雫とやらもオーラが少ない。あまり高性能な物ではないのだろうと思った。
「森出しの君は知らないだろうが、大戦のおかげで現在はほぼ平坦らしい悪魔の森だが、中央から少し東に行った辺りは、広大な丘陵地帯で風情のある田園の景色が広がり、千年変わらぬ淡い赤みを帯びた麦穂がそよぎ、我らとは趣の異なる永遠をたたえていた。まあ、あの美しい景色に貢献した凸凹の地層は強固で魔法を阻害する性質を持っていたものだからして、都市計画にはさぞ邪魔だったらしく、道路工事に随分と難儀したらしく、魔道抜きでの純粋な機械による功績を議員共が街角で訴えていたが、あまりに無機質で非文化的な視点には辟易していたものだよ」
「丁度その辺りの話だがね、今は無きズオン川の中流域に二千年前まで栄華を誇った不断の神都コマがあったと伝わる。そのコマは神代より無計画で強引な拡張を繰り返してきたおかげで多くの貧民街ができてしまい、暴動が相次ぎ破綻が押し迫る段階にあった。しかし全く別の破綻が訪れた、伝説の大陸沈没だよ。沈没して短時間で再び浮上したと考えられているが、それで当時の大陸文明は一度絶えた。そしてコマの住人の生き残りは、ズオン川を少し上って、いくらかマシな土地を選んで今度は計画的に街を造った、それがクルッテオン。吾輩はそんな街に産まれた、五百年以上前の話さ」
「吾輩は学芸員の仕事をしていた。芸術と文化の都であった歴史あるクルッテオンには当時最大級の博物館があった、そこでだ。まあ君みたいな森出しにわかるまいが、学芸員とは、様々な歴史ある収蔵物を撫でてみたり振り回したり舐めまわしたりして芸術と歴史を堪能する高貴な仕事さ」
シュットーゼが突っ立っている仮面を一瞥した。
「ちゃんと聞いてるんだろうね、アーケイン氏、ここからが本筋だ」
「ああ聞いているとも、私は耳が良いのでな」
(録画しているから、後で確認すれば良いだろう)
「ある深夜の出来事だ、夜勤の私がいつものように化石でも味わおうと化石収蔵庫への通路を歩いている時だった。吾輩が進もうとする先の影が妙に濃いのに気づいた。その中に居たのが我が主となるアルエン・セルステイ、吸血鬼君主であり、吸血鬼でありながら美しい蒼の眼を持つクルッテオンの真の支配者。影から優雅に進み出て主は言った、君には素晴らしい才能がある、我らの仲間にならないかと。これが運命の出会いだ、吾輩は当然吸血鬼になることを選んだ。ここからは主の素晴らしさを語ってやろう。多くが今でも伝説となっているが、しかあし、あんな話は不正確であるし全然足りんのだよ」
先ほどより力を入れて彼が半ば叫ぶように話した。
「しかしよく喋るな吸血鬼よ」
「よく喋るってそりゃあ喋るとも。外部の人間にこれを語るのは久しい。実に愉快な気分だ、まるで生きているようさ。それに吾輩は元々解説するのが仕事の内だ、まあ解説したところで俗人には時間の無駄なのだがね」
「そうか、ならば礼儀として仕事に解説代ぐらいは払ってやろう、これからすぐに滅びるのだから現物でな」
「まだ言うかね。吾輩が古い吸血鬼だという意味がわからないのかね、一対一では、人の身で勝てる者など今の時代にはいない。君の目の前にいるのは伝説だ」