茫緑の業毒2
ルキウスがドーム内に侵入する少し前、二十人ほどの人影が茂みをかき分け、道を無視して草花を踏み荒らして進んでいた。茫緑の業毒の集団である。
伯爵の巨大な庭園は夜間は警備が一切されておらず、生い茂った木々が数え切れぬ死角と影を作りだし、一見すると悪だくみをするには良さそうな場所に思われる。
しかしこの庭園の地下や木々の上、置物の中には現在の技術では製造できない発掘品の魔道具が設置され、その監視を避けるのは容易ではない。特に伯爵邸の東門でもある庭園西門付近には迎撃機能を有した物も設置されていて伯爵邸に侵入を試みる者はここで一網打尽になる。
さらに一般開放されている領域には個人のオーラパターンを記録する魔道具が仕掛けられていて、これが記録した情報と別の魔道具を組み合わせるとコフテームの中なら個人の現在地を追跡できた。
この大庭園は効率的にコフテームを治めるための治安的機能の一部であり、練兵の場でもあった。
そんな魔道具群を回避しながらジグザグに集団は進み、足を止めた。場所は庭園の中央近辺、比較的背の高い常緑樹、スギなどが密集している区域だ。
「やはりラワト氏がいると速いな」
ドルケル・シュットーゼが足跡一つ残さずにここまで先頭を歩いてきたトンムス・ラワトに言った。
「調べ尽くしていますから、最終準備にはどれぐらいかかりますか?」
トンムスが周囲で屈んで作業している者達を見ている。
「もう少しだとも、仕掛けは既に終えている、最終確認をするだけさ」
シュットーゼが答えさらに周りへ高らかに歌う。
「さあみんな、あと少しだ。この遺跡の魔道兵器があれば悪魔の森を下手に刺激する愚か者共を滅ぼしてやれるぞ、我々が邪悪な開拓者から人々を救済するのだ」
聞く者達は静かな喜びを心にたたえながら、それぞれが地中に設置済の魔道具、魔法陣を確認する。
「では私は周辺を索敵してきます。外からは入れなくても中に潜んでいる者がいるかもしれない」
トンムスがシュットーゼに背を向けて歩き出した。
「せっかく遺跡にお目に掛かれるのにかい? ラワト氏。遺跡の入口がこうゴゴゴゴッと地表に浮上してくる様が見られるんだよ」
シュットーゼが物を上げるような手振りをしながら夜の庭園に声を響かせた。それをトンムスが一瞥して言う。
「こんな時こそ油断大敵でしょう。私は数年もコフテーム近辺の調査に時間を費やしたのです。それがつまらないことで台無しになってはいけない。最後まで完璧にやらせてもらいますよ。作業が終わった頃に戻るとしましょう、大魔術師シュットーゼ」
「そいつは確かにそうだ、本当に君の熱心な仕事ぶりには感動だ! 勲章を授けてやりたいぞ!」
トンムスは背に声を受けてそのまま木々の間に消えていった。
それから少し時間が経過した。
「確認、準備終わりました」
「そうかご苦労、ではさっそくやろうではないか、皆はあの辺りに避難してくれたまえ」
部下から報告を受けた彼が指差した方に部下達の多くが移動する。そして彼がアカデミックガウンの内側から黒い球体を取り出して魔力を込めると、それは鈍く輝いた。
「解放」
彼の声から少しすると大地が微かに揺れ、一辺十メートルの白い立方体が土を押しのけて地中から浮上した。その白い立方体の一面には比較的大きい扉があった。
それを見ている部下達の瞳は輝き、その扉の先を見ているに違いなかった。
「皆さんのおかげでここまで来れましたありがとう。では皆さんさようなら《押しつぶしの天井/シーリングスマッシュ》」
シュットーゼが部下の方を見て素っ気なくそう言うと、彼らの頭上に発生した表面がゴツゴツで灰色の巨大な板が落下して部下達が下敷きになった。
彼らは何が起きたのか理解する間も無く、そこからさらに追加の圧力が何度かかかりゴリゴリと板が下にある物を押しつぶす、ゴリゴリゴリゴリと。事は瞬時に終わり、終始声を発した者はいなかった。この事前に用意しておいた魔法により十数名が圧縮された肉塊と血の川になった。
そこに残って立つのはシュットーゼとその後ろにいた二人の男だけだ。この二人は白猫が置いていった連絡員。その片方が言った。さらにもう片方も続ける。
「哀れなものだな、愚か者は何をやっても愚かに終わる」
「彼らは幸福なまま死んだ、それにこの都市を滅ぼすという願いは叶う。あの遺跡の発掘品も全て我が国のために使われるのだ、知っていれば泣いて喜んださ」
「はははははははははははははははははは」
シュットーゼが大きく口を開け顔をゆがめて気が狂ったような高笑いをする。それは危うく本人もそろそろ忘れそうだった本当の感情で満ち溢れていた。
「何がおかしいのです?」
「だっておかしいからおかしいのさ、世の中は滑稽な笑い話に満ちている、悲劇と同じぐらいに」
シュットーゼが男に顔を近づけて早口でまくしたてる。
「だから何が……」
近づかれた男が気圧されながら言った。
「これがスンディの物だって? そんな訳は無いだろう。あんな搾りかすは国とも呼べないさ、その内吾輩が滅ぼしてやろう」
「馬鹿な狂ったか!? シュットーゼ!!」
「これは吾輩の物さ、他にあれに相応しい者などいない」
「お前のような素性の知れぬ者などに三塔の魔術師が遅れをとると思ったか」
そう言った男が杖を構えた。もう一人は懐に手を入れた。
シュットーゼもこの男と同じ三塔の魔術師だが、家柄も無く国外で諜報任務に当たる彼は本国では下に見られている。
「素性がわからないならノコノコ付いて来たら駄目だって、馬鹿なのかなあ、ははっ、馬鹿なんだろうね」
笑って開けた口の中では急激に犬歯が伸び、青い瞳が瞬時に赤に変わり深紅に輝く。
「吸血鬼だと!?」
「下がれ吸血鬼対策ぐらいある。この辺りで多く出現しているとの話だったからな!」
男が刃の波打った刃渡り二十センチ強の短剣――曲短剣を即座に抜くと正の力を宿したそれをシュットーゼの心臓目がけて突き立てた。しかしその刃は表面で止まっている。
「何!?」
「離れろ、《火流/ファイアーストリーム》!」
後方に下がった男がかざした手から火炎が噴出しシュットーゼの全身を舐めるように焼く。しかし、服を焦がす事すらなかった。シュットーゼが首を振り呆れながらに言う。
「気は済んだかね、吾輩は君らが知ってるようなまがい物とは違ーうのだよ、我が主アルエン・セルステイに見いだされた者だけが本物なーのだよ」
曲短剣の男が今度は深紅に変わった目を狙って、ハヤブサのような無駄の無い動きで突きを放った。
ただ一薙ぎ。シュットーゼがハエを払うように放った一薙ぎが男の顔を爆発させた。血しぶきが高くまで飛び散り、首を失った体が横に倒れた。
それを見た魔法使いの男は表情を恐怖で大いに歪めて走って逃げ出した。
「なあげかわしいいぃ、実に嘆かわしいぞ。こんな輩が恥ずかしげもなく魔術師を名乗るこの時代がなあ。かつて魔術師の里と言われたパルートを引き継いだスンディがこれですかあ」
彼は両手を広げて上を向きながらクルクルと回り叫ぶ。そうしている間にも男は必死に駆けていた。設置されているであろう警備の魔道具も無視して走る。その眼前に突如出現する顔、赤い瞳が彼を見ている。それを認識した瞬間、逃げた男が声をあげる間もなく首をへし折られて死んだ。
「あれが魔術王国ねえ、本当に滑稽だ、笑えん」
一転して凍り付くような冷たい声がそれを見ていた彼の口から出た。
「シュットーゼ様」
「やあ、同士達。ごきげんよう」
逃げた男を始末した者も含め、黒いローブに身を包んだ深紅の目を持つ六人が闇の衣を脱ぎ捨てるようにシュットーゼの周囲に現れた。
「その目、久しぶりに拝見しました」
「ふふふ、わざわざ目の色を変える必要は無かったんだがねえ、演出は大事さ。自分じゃ見えないのが最大の欠点だな」
「ここから去った男はどうするのですか?」
「ラワト氏か、彼は優秀だとも、いつだって彼の仕事は完璧さ」
「眷属に加えると?」
「それは不可能だろうね、ふっふーん。彼は善良な使命感で人類全体のために人から悪魔の森を遠ざけようとしているのさ……もしくは別口かなあ。どっちにしたって駄目さ、私欲の無い男だ、嫌いではなかった」
「つまり始末、でよろしいですね」
「そうしてくれたまえよ、私は別荘に入る。ブリータとゴリンジは手伝ってくれ。残りは入口の警護を頼むよ」
シュットーゼと部下二人は重い扉を開いて、長い緩やかなスロープを下る。
スロープを下った先にある通路には左右に四つ、正面の通路の終わりに一つの扉がある。正面の扉の横に付いている黒っぽい板に彼が手の平を押し付けると即座に両横開きの扉がさっと開いた。後ろでは部下が静かに感嘆の声を出した。
「機能は生きている、流石は主が資産を投じた別荘だ、地殻変動でも壊れやしない」
彼はすぐに開いた扉の奥に進み立ち止まった。
「やはり主の趣味は素晴らしい」
どれほどの広さかわからないほど広い室内には大小多くの台座があり、それぞれの上には武器防具、装飾品、象、絵画、剥製、骨格、焼き物、金属製品、香炉、機械、宗教的象徴などありとあらゆる品が展示されている。
「おお、これを見たまえ」
彼が見た台座にあるのは干からびた人の左手。
「これがチェリ王のホウホの左手だ。本来は全身ミイラだったが展示される先々で災害事故戦争などが繰り返され、ドンドンと失われて残ったのはこの左手だけだ。左手だけというのが素晴らしい、一部に欠けのあるものや断裂したものとは趣の異なる想像を誘引してくれる」
彼は台座の前を早歩きで通過しながら展示された物を確認していく。
「これは古代リギギウェンの至宝透け輝く黒壺、アトランティスの庭石、グカ・レデクロ邪神像。懐かしいものばかり」
「これで我らの悲願が叶うのですね」
「そうだとも、もちろん単純に強力な武器もあるからなあ、失われた時代の水準なら最高とは言えないが、今代ならば最高の品々だ」
「それでは我らも仕事に――」
「む」
機嫌良さそうに何にも気兼ねすることなく恍惚の表情を浮かべていたシュットーゼが真剣な表情に変わる。二人が彼を見た。
「ドームの中に入られたな」
「魔道具で強化した《次元半球/ディメンションドーム》が破られたのですか?」
部下が彼の表情を慎重にうかがう。
「わからんな、魔法は破壊されていないが……すり抜けた感じか?つまりは手練れがいる、ならば、ここにある品を使うには絶好の機会だ、どれがいいかなあ、くっくっく、今夜は楽しくなりそうだ」
シュットーゼは軽くステップを踏んで五百四十度回りアカデミックガウンを翻した。
「行かれるのですか?」
「ああ、たまには体を動かさなくてはな、ここ百年まともに力を使っていない。君達は予定通り封印を解除して回収作業をやってくれたまえ、夜の間に全てを終わらせるとしようじゃないか」
由来有る品がいくつかふわりと浮き上がり、彼を囲んで漂う。それを見た彼は満足そうに漂う物を引き連れて展示室を後にした。