コフテームの夜
あれから数日、ルキウスはコフテームの外に出ずに商人やほかのハンターと親睦を深めて過ごしていた。吸血鬼の警戒は続いているが成果は出ていない。依然として夜の街は静かだ。
ルキウスは宿屋の自室から無人の大通りを見ている。外から見れば仮面の覗く窓は恐ろしいかもしれないが、気配を絶っているので目立ってはいない。
彼がコフテームから出ないのは伯爵の言葉が気になっていたからだ。
街に被害が出ても構わない、言質が取れて次が楽になった。
ルキウスは聞いた瞬間はそう思ったが、落ち着いて考えると少し引っかかった。
中位の魔法でも家の一軒は一撃で破壊できる。攻撃魔法の定番である火を使って、寒くなってきた街に火が点けばたちまち大火事だ。
貴族の考え方などわからないが、そんな魔法をバンバン撃って戦闘する許可をあまり知らない人間に出すだろうか?
伯爵は唐突に吸血鬼が現れたという口ぶりだったが、血族主に心当たりがあるのでは、そう勘ぐっている。
ヴァーラはルキウスが商人を相手にしている間、コフテーム内で吸血鬼を探し回ったが、家の床下でガチャガチャとやってた骸骨と、埋まっていた殺人事件の被害者が動死体になり地上に出ようとしたところで滅しただけだ。
ただし、街を歩き回る内に半壊させたごろつきは二百以上になった。
「やはり夜の街を探すべきでしょうか、全く気配がありません」
部屋に帰ってきたヴァーラが兜を脱いで早々に言った。
「入れこむな。お前の感覚にかからんなら隠蔽能力がある。目の前にいても気付かないかもしれん。もし未知の隠蔽手段があるなら興味深いが……お前は眠る必要があるだろう」
「それはそうなのですが気になるもので。ほかの町でも出没しているとか」
ヴァーラの顔はけわしく、真剣さが伝わる。
「首魁が存在するなら、コフテーム近辺。ここは要地だ。私なら初撃で戦力が集中しているここを落とす。人が多く出入りもしやすい。そして森から帰らぬ者も多い。我々がここを活動場所に選んだように、魅力が、特異性がある」
国境から最も遠く、軍事衝突を想定していない発展中の大都市。宝石だ。
「お前があっさり斬り捨てたあいつらは、ほかで出ているのより多く強かった。デレケスを襲撃したのが屍鬼の群れ、ケッツフでは下位吸血鬼複数。いたる場所で出没しているが、現地のハンターが始末している。ほかの心配はしなくていい」
ルキウスは、新たに街に入ってくる商人から情報を得ていた。ヴァーラには言わないが、防備の弱い村では被害が出ている。噂は曖昧だが、数百人は死んでいる。
敵はこの近辺に故意に戦力を呼び込んでいる気配がある。それでいてある程度散らそうともしている。
自分が戦力を集めて何かをやるなら、分散した兵を一気に奇襲で減らし、速やかに合流、集めた兵力で中枢を叩く。
敵の中枢は奇襲の報で混乱し、兵力を分散する。領地が襲撃され、敵の位置が判明すれば、領主は籠城を選択できない。
そして巣穴から焦って飛び出した瞬間が、叩くには絶好だ。
何より、計画的に集めた資源を消費するなら派手にやらないと面白くない。
「あきらかにいるとわかっているのに」
「出てきたら叩けばいい。できればまとめて」
「しかしそれでも――」
二人が会話を止めてドアの方に目を向けた。廊下から足音が聞こえる。
しばらくして部屋のドアがノックされ、ヴァーラがドアを開けると、宿屋の従業員の女が立っていた。
「伯爵家の方がみえられ、準備をしていただきたいとのことです」
「わかった。準備を終えたら行くと伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
ドアが閉まり女が部屋から離れた。宿の外でも気配が動いている。大通りをハンターや兵が移動している。
ルキウスが窓から離れる。
「では予定どおりにするとしよう」
「吸血鬼でしょうか?」
「多分、違ってもやることは大して変わらんさ」
ルキウスが〔会話接続/メッセージリンク〕の魔法を発動する。
「ヴァルファー、こっちは今宿だ。予定の動きがあった、そっちは動けるか」
「問題ありません、すぐに予定していた全員を動かします」
少し慌てたようなヴァルファーの声だったが、そこからすぐ、部屋の隅の空間がドア状にくり抜かれて別の場所と繋がった。勢いよく中から赤毛の魔女が飛び出した。
「ルッキウスさまぁ、お久しぶりですぅー、全然帰ってくださらなぁぃから寂しいですぅ。今日の仮面も素敵。ついでにヴァーラも久しぶり」
「アブラヘル」
「ああ、よく来たな。占いを頼む、三人全員だ」
「はぁい」
アブラヘルが精神を集中してオーラの相から吉兆を読み解く。
「全員終わりました」
吉、一人、凶、二人。吉はヴァーラ。
凶だから死ぬわけではない、以前ウリコは凶だった階段で転倒しただけで怪我もしていない。しかし占いの時間内に戦闘があるとなると嫌な圧力がある。
「ふむ、厄介な事になった。とりあえずアブラヘルは帰れ、凶で戦闘に連れていくのは賢い選択とは言えまい。安全な場所にいろ」
ルキウスが仮面の下で渋い表情を作っている。
「ええ!? ま、待ってくださぁい。ルキウス様とて同じではありませんか。幻術で誰かを代わりにするべきです。森の外なんですから、何かあればどうなることか」
アブラヘルが必死になって言葉が素に戻ってきている。
「ハンターとして呼ばれているのは私だ。万が一幻術がばれると、ここまで築き上げたものが台無しだ。お前は生命の木で待機、いいなアブラヘル」
「でもお、きっとソワラも反対すると思いますよ」
「行くと約束してある。神が占いを恐れて約束を破るなど笑い話にもならぬ、ヴァーラもそう思うだろう」
「確かに約束は違えるべきではありませんが……」
ヴァーラの表情は明らかに何かを言いたげなものである。
「発掘品の売り上げを放棄する羽目になる可能性もある。この都市、国に問題が発生するのは不都合だ。ハンターとしての功績にもなる」
「しかしですね……」なおもアブラヘルは食い下がったが
「私のことは私が決める、いいな」ルキウスは強く言いきった。
「そこまでルキウス様がおっしゃられるなら仕方ありません。私は帰ります。また呼び出しをお待ちしております」
アブラヘルは、ルキウスが普段見ない神妙な表情で転移して消えた。
ルキウスはここ数日、商人、ハンターに交わって感じいったことがある。
ハンターは多くが日々の生活に困りながらも、情報を集め装備を工夫し他のハンターとも連携して依頼を受ける。それでもいくらかは死ぬ。
商人は大いに欲深いが、その頭、眼力でもって商品を生み出し選び世に流し、新たな文化を創出している。
それは自らの師もそうだった。常に物の価値を測り、新しい何かを絶えず求めていた。
さらに師は独自の生態系を持つ惑星探査の成功者だ。この間の自販機のような難易度の敵を相手に、何年も戦い生き残っている。偉大な師に比べ、自分は情けない。高いステータスがなければ、何回死んでいるかわかったものではない。
ハンターも商人も必死に生きている、その様は神として祝福しても良いほどの生命の輝きを感じていた。
自分もこの世界の一員として生きるなら、ここで本気を示す必要があると考えたのだ。今のままでは彼らより劣っていると考える。
それで決めた。もしこの騒動の原因である血族主を一人で討てなければ、もう一生森に籠って暮らそうと。だから占いの結果が悪いだけで退く気はない。
ルキウスは覚悟を決めて速い足取りでヴァーラと部屋を出ていく。
伯爵の使いに急かされて二人が到着したのは伯爵邸の南門から入って東門前。門を抜ければ街の北東部の大半を占める伯爵の大庭園に出る。五キロ四方以上の面積の庭園内は、庭よりも管理された森と表現するべき場所で地球人の感覚なら自然公園と呼ぶのがわかりやすい。
「吸血鬼ではないのか?」
ルキウスが東門を抜けてすぐの場所に複数のランタンの光とたむろするハンター達。
「茫緑の業毒って話だ、フォレストの旦那」
知り合いになった戦士の男が答えた。この男は五つ星だがルキウスにへりくだって話す。
「それは来る途中で聞いたが情報が足りない。そもそも私はそれを知らん」
使いの者もよく状況を理解していなかったので目的がわからない。詳しくは現地でと言われたが説明役が見当たらない。
「吸血鬼と同じ認識で問題ない。奴らは盗賊と同じで討伐対象だ、頭のいかれた連中だ。組織の上になれば相当な手練れもいるらしいぜ」
「それでこれ、なんの集まりだ? 大人数で行動するのか?」
ルキウスの目の前、庭園に入ってすぐの場所にいるハンターは三十人ぐらい。多くの者は庭園内側を見ていて。彼に背を向けている。
彼は庭園内に敵がいると説明されてここまで連れてこられた。ハンターが既に展開して戦闘になっていると考えていた。
「見えない壁があるんですよ。茫緑の業毒の魔法だと、壁のおかげで先に進めない」
別の親切そうな若いハンターが言った。オーラはルキウスにも見えている。
ルキウスがハンター達が溜まって列になっている場所に行って、ゆっくりと空中に手を伸ばすと確かに遮る物体があった。
熱も弾力も無い透明で無機質な壁、それを手の届く範囲で上から下までさっと撫でた。
「壁……ではないドームだな、わずかに曲がっている」
ルキウスが鋭い指先の感覚で形状を看破した。
「つまりこれは〔次元半球/ディメンションドーム〕か、これを破れる者は?」
ルキウスは振り返り、大きく首を動かしてハンター達をぐるりと見回した、返答は聞かなくてもわかっている、いるわけがない。
その魔法の名を知る者が表情を変えてざわつく、そうでない者も大きな事が起きていると理解する。
「そんなの国家最高クラスの魔術師でもなければできるわけないだろう」
魔術師らしいハンターがそう吐き捨てた。
この魔法は高位の魔法で攻撃に対する抵抗力を有していて、普通の魔法より強度があるので強引に壊すのは大変だ。ルキウスならすんなり壊せるが高位の魔法を使う必要がある。
通常、これが使用されるのは、ドームの中に敵を閉じ込めて確実に倒す場合と、外の敵の侵入、攻撃を防ぐ場合だ。ドームなので地下を深く掘り抜けば素通りできる。
現在、巨大な庭園の上に透明なドームがすっぽりと覆いかぶさって内外の通行を遮断している状態である。
『メルメッチ、これをこっそり抜けるようにできるか?』
ルキウスがメルメッチに念話を送った。彼は透明化した上で気配を消してルキウスに追随している。周囲の誰にも認識されていない。
『簡単だよ、この魔法は強度だけが集中的に強化されてる感じっぽいよ。部分的に無効化できるよ。おいらにお任せ』
『わかった、指示を待っていろ』
『りょーかい』
「これはもう中に入ってもいいのか? いいならさっさと行くが」
「この魔法が壊せるのか!?」
魔術師風のハンターが驚愕をあらわにする。
「破壊できないが一時的に穴をあける魔道具がある。そこから入ろうと思うが問題無いか?」
ルキウスが誰に求めるべきかわからない確認をした時、後方の音を聞いて振り向いた。
全身鎧に身を包んだギルヌーセン伯爵が騎士数名を伴って東門から出てくるところだった。
「伯爵様!?」
ルキウスの知らないハンターが声をあげた。
「私の庭だから私がいるのは当然だ。そして我が求めに応じ、時を置かず駆けつけた勇士達ともなれば、中々に勇壮な様子だな」
「伯爵様が自ら来られるのですか?」
「心配するな各々方、戦闘に加わるとは言わんよ。見に来ただけだ。君達が困るだろうしな。しばし待ってくれたまえ、中からこの魔法を破壊する手はずだ」
「伯爵、今すぐにでも入れる」
敵に時間を与えて良くなったことはないと、ルキウスが進み出て言った。
「なに? 本当かね」
「部分的にこれに穴をあけられる、速い方がよいかと思いますが」
「もちろん早いならそれに越したことはないが、庭園南側の正門にいる私の騎士団を置いていってしまうな。君達だけで茫緑の業毒と交戦する展開になるかもしれぬ。中には幹部もいるはずだ、これは最低でも赤一つ星以上の難度の仕事だろうと見積もっておる。報酬もそれ以上用意するが危険だぞ」
「我々は二人だけで問題ない。他はそれぞれ判断すれば良い。付いてきたいなら付いてこればいい」
ルキウスは即座に断言した。ハンターたちの間にざわめきが広がっていく。
本当は二人だけが望ましいが、伯爵が集めたハンターに帰れとは言えない。
「……わかった、私はそれで構わぬ、中に潜ませたハンターがいる。まず合流せよ。この魔法を破壊すれば、我が騎士団が南側から庭園に入る」
伯爵が提案に同意して、最終的に到着していたハンター全員が入るを選択した。
全員が四つ星以上だ、それなりにプライドがあったのだろう。事前に伯爵側から話が通してあり、最初から危険な相手と理解して集まっているのもある。
ルキウスが亜空間袋から取り出した赤い針を見えない壁に刺すと、人一人が丁度通れるぐらいの見えない穴が空いた、と周りには認識された。
「ではよろしく頼む、ハンター諸君」
伯爵に見送られたハンター達はパーティごとに分かれ、それぞれが警戒しながら木々の間を静かに進む。ルキウスとヴァーラはその先頭を淡々と行く。
進み始めて一分もしない時、前触れなく付近の地面に視界に収まらないほど巨大な印が赤く光って浮かび上がった。
ハンター達に緊張が走り、それぞれが事前に決まった警戒行動をとる。僧侶が防御魔法を発動し、斥候が周囲に素早く目をやり、戦士が魔術師をかばう。
瞬間、全てのハンターの足元の地面に両開き扉が現れた。扉は魔法的記号で実態が無く触れられないものだ。その扉が勢いよく開き、足元からハンターの体をすり抜けて上に向かいながら閉じていく。
「門?」「何だこれは?」「距離をとれ、走れ」
ハンターたちの怒号と悲鳴が響き、扉から逃げようと反応するが、一度踏んだ扉はずっと人に重なって存在する。
「セイント」
「はっ」
ヴァーラはルキウスにピッタリと寄る。ルキウスの魔法が地中へと発動した。
〔究極魔法解呪/アルティメットディスペルマジック〕
二人を飲み込もうとしていた二つ扉が瞬時に割れて消える。ほかのハンター達はそのまま閉じた扉に飲まれて、扉と共に悲鳴だけを残してその場から消えた。庭園に残ったのは二人だけだ。
「一定の空間に一定の人数が入ると発動するタイプの罠、生命力に反応する血の魔法陣だな。しかも目標は丁寧に個別指定、相当の相手」
「ノーマルの〔迷路/メイズ」ですね。害はないでしょう、迷宮に閉じ込められるだけです」
ハンターたちがいた場所には何も残っていない。
「凶どころか吉だ。これが無ければソワラに何とかしてもらう必要があった。本気で戦うには彼らが邪魔だった」
占いの影響なんてこんなもの、とルキウスは自分に言い聞かせている。
『私は使っていただきたいのですが』
ソワラの念話がきた。
『兵は伏せておくものだ。魔法は予定どおりに発動したか?』
『もちろんです。このドームの上に私のドームを被せています、誰も出入りできません』
『ならばよい』
ソワラも隠蔽措置をとってメルメッチと共に中に入っている。相手が高位の魔術を使うなら、こちらも魔術の使い手が必要だ。外に配置していると妨害で通信できなくなる可能性があるので近くに配置した。
ただしルキウスの戦闘に加えるつもりはない。
『メルメッチも問題ないな』
『あんな目立っているのには近づかないよ、ほかにも一杯あるよ、アリの巣ぐらいあるよ』
『先行して、罠は捕捉、通達せよ。すべて破壊する』
『はーい』
罠の看破能力はメルメッチが一番高い。どんな罠を踏んでも即死はないと思うが運勢が凶で力押しはためらわれた。
ルキウスは進行方向、庭園の中心の方を視た。木々の葉の間に赤と黒の混じったオーラがチラチラと見えている。
「この距離では直接見えないが吸血鬼だ」
「距離の割に強い邪気を感じます」
「急ぐとしよう。ドームに罠、時間稼ぎの可能性が高い。茫緑の業毒とかいうのと吸血鬼の関係がわからないが、吸血鬼からだ」
「はっ」
「しかしまずは……〔魔法解呪/ディスペルマジック〕」
二人の上方に存在していた魔力反応が消滅した。ドームに入った直後から魔法で監視されていたのだ。メルメッチは上手く穴を開けたが異常はばれている。
「覗きは感心しない」
「まったくですね」
二人は、いつにない暗さの庭園の中心へ颯爽と走り出した。