サポートキャラクター
目線を上げた先にはフリル付きで活動的なエプロンドレスを着た女性がいた。黒髪でふんわりとしたボブに花の髪飾り、眼はエメラルドブルー、足元には白いローファー。
他プレイヤーがいる。安心だ。乾いた大地に恵みの雨が降るように精神が満たされていく。
知らないプレイヤー、どう声をかけたものか少し考える。
普段のように、あいさつ代わりの臭気玉を投げつけるとか、元気にやってるか? こっちは最高だ! とはいくまい。
「やあ」
気の利いたセリフは思い浮かばなかった。
森の神はアトラス外までも知られる有名人、森で自分から人に声をかけることはない。
ヘビに視線を奪われていた女がルキウスに気付いた。
「ひー、しゃ、社長。こんなところにー!」
社長とは珍しい呼び方。多くのプレイヤーは、彼を神と呼ぶ。
「何か困ってませんか? どうしてここにいるんですか?」
何やら興奮している女に優しく話しかける。
「い、いえ、決して遊んでいるわけではないのです。お客様はいないし、音に驚いて見に来たのですー。決してこの機会に遊びたおそうとは考えていないのですー」
噛みあわぬ会話。それに反して思考に噛みあう歯車に触れたが、それを回すことを心が拒否している。
「それじゃー仕事に戻るのですー。仕事は楽しいですー」
ワザとらしく仕事の楽しさをアピールしている女が踵を返し、走り去ろうとした。
「待ていっ!」
彼はとっさに鋭い声で呼び止めた。
「ひい、ごめんなさいですー。二度とさぼらないのですー」
女が驚いてビクッとして、おびえて振り向いた。
(どうなってる!! サポートが勝手に配置場所を離れるのはありえない。なんで高度自立行動ができる?)
彼女はウリコ、ルキウスのサポートキャラクターのひとり。
後ろを向いた際に、スカートから出た二つの尻尾が目に入って気が付いた。よく見れば頭にも黒い猫耳がある。
サポートキャラクターは基本的に課金で手に入れる。パーティメンバーとして自立行動させたり、売店や工房に配置できる。種族は決めると変更できない。種族ごとに金を払う必要がある。
ウリコの初期種族は〔魔族・猫/ナイトメア・キャット〕。
魔族は特殊な血筋の人間で、神聖な血筋から邪悪な血筋まで存在する。
魔族は亜種が多く、最も人気がある種族だ。混ざった血筋に応じて役割が明確で、〔僧侶/クレリック〕系なら天使の血筋を合わせて、能力を強化するといった具合だ。
最終基礎職業では祖先の力が覚醒、自由に体の形状を変えられるようになる。羽を生やしたり、完全に獣の顔になったりする。この派手さも人気。ただし、魔族はその血筋から嫌悪され、NPCから好感度マイナスの判定をくらうなどの欠点もある。
ウリコの最終基礎職業は〔猫又/ネコマタ〕で、尻尾が二つと猫耳が生える。
彼は本格的に事態の異常性を理解する。異常だ。バグのレベルではない。
ルキウスは平静をよそおうが、思考はかなり乱れた。
どうするべきか? 最善の選択肢は何か? 次の一歩が見えない。
人間と同じ様に会話するAIは用意できるか?
可能である。大きなコスト消費して運用されるAIは、人間と区別できない。だが膨大なデータを処理する必要のあるアトラスに、そんなものは存在しない。
アトラスで最も人間的なAIは、推理クエスト内で登場するAI。
特定のエリア内の事件を調査して解決する推理クエストのAIは受け答えの幅が広い。それにしてもクエスト関係だけ、無関係の質問には百兆種以下の定型文が返ってきた。その程度だ。
「お、お前、名を名乗れ」
「えー! 急に何ですかー!?」
「さっさと名乗らんか!」
ルキウスが怒鳴る。
「ウリコはウリコですー」
やっぱりウリコだった。それ以外の誰かとは考えにくい。常時、売店に配置されている。セーフハウス内にいることはおかしくない。
「本当にウリコかあ?」
極めて異常な事態だが、自分のサポートを認識できなかったのは失態ではないかと考え、ごまかそうと試みた。
「はひー、社長があらぬ疑いをかけてくるですー!!」
これまでで一番大きな声が放たれた。ウリコがバタバタしている。
「私の知っているウリコならば、店から離れるはずはない。魔物が化けているかもしれないな」
ルキウスは堂々と立ち上がる。
「そ、そんなことないですよー」
サポートは性格の組み合わせを選んで設定できる。ウリコは店員として男に受けがよさそうな、どじっ娘を選んだ。しかし実際にこの口調で会話されるとうざい。
「どうしようかなー、脳天かち割って確認するかなー」
ルキウスはウリコに向かって歩く。
「ひー、恐怖の神社長なのですー」
ウリコの猫耳がぺたんとする。
「この尻尾は本物か? ちょっと力を入れて引けば抜けたりしないだろうな」
ルキウスはウリコの背後に回って、二本の尻尾を掴む。単純に大きなネコの尻尾の感触だ。ただ太いだけで撫でてみても変わった所は発見できない。
「それは社長が馬鹿力なだけですー」
「よし、ネコに化けてみろ」
やや思案してルキウスが言った。
「そんなのは簡単なのですー」
ウリコは瞬時に服ごとぐにゃりと縮み、尾が二つある短毛種のの黒猫になった。目の色は人間の時と同じだ。身体特徴をそのまま受け継いでいる。
「なるほど、ネコマタっぽくはあるな」
ルキウスは黒猫は抱き上げて、喉を撫でてみた。目を細めてゴロゴロと低く喉を鳴らしている。普通にネコだなとルキウスは思う。次は尻尾の付け根を撫でてみる。
『きっ、気持ちいいのですー!!』
ウリコの声が聞こえる。人型の時と同じ声。
普通にネコと言葉が通じているが、サポートだからか、〈動物語〉のスキルのおかげかは判別できない。ネコの口が物理的に日本語を話していないのは確かだ。翻訳の魔法が効果を発揮している可能性もある。
「元に戻れ」
黒猫を放り出して命令した。ウリコは再びぐにゃりとして人型に戻った。
「いいところだったのにですー」
「いいかウリコ、ここは安全ではなくなった。普通に魔物が入ってきている。危険だからお前は生命の木の中に入っていろ」
「お店はどうするのですー?」
「客は来ない。いつもの場所ではないようだからな」
「商売あがったりなのですー」
「わかったらさっさと行け」
生命の木に入るウリコを見送り、ひとり外に残ったルキウスはゆるりと尻を地に降ろしてあぐらをかいた。さらに限界まで遅く深く深呼吸をして目を閉じた。
「落ち着け、落ち着くんだ。仮定しよう、そう仮定するんだ。これはサイバーテロだ。神様とか超常の存在によるサイバーテロだと考えれば道理は通るんじゃないか? そう超常現象でも超能力でもなく、超絶すんごい奴のサイバーテロに違いない」
早口でまくしたてたルキウスはその明晰な頭脳で完璧な結論を得た。
さらに思考を進める。
「考えろ。どうすればこの状況が作れる? アトラス全体をこれに? 絶対に無理。俺だけなら? 周囲だけなら処理能力的にいける。あるいはウリコの中身は人間か。接続中に違和感なく切り替えるのは無理。あらかじめVRギア側に細工でもすれば……それなら、八時間の自動接続解除を回避できるか? 有名プレイヤーとはいえ、一般人にやる? それに俺を誘拐でもして、生命維持装置に入れないと、俺が死んで大事件。いや、その前に会社の通報で巡回ロボが来る」
アトラスのアップデートとの疑いは消えた。だとして、何をするのが正解か? 異常な何かが起きているとしか認識できない。
インベントリは使える、非破壊オブジェクトが壊れる、セーフハウスはセーフじゃない、ダグザボアは一撃、魔法は全て使えるのか? 要確認。
〔緑の古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕のスキルは生きている。森が自分の生命線。間違っても火山地帯には行かない。
高層の景色は一面の森、幸運だ。森ならやりようはある。これが見渡す限りの砂漠や海なら、遊ぶ余裕はない。
生命の木の中の倉庫も確認するべきだが、数ある倉庫部屋へ雑多に放りこまれた品々は何が何かわからない。整理整頓には時間がかかる。すぐにはできない。
「この状況でどじっ娘ネコマタと二人きりかよ……面白くはあるがな」
ウリコは千レベルだが職業は〔商人/マーチャント〕系で戦力外。一緒に戦うなら足手まとい。商売でもやらないと、役には立たない。
「長期クエストと仮定して対処、まず周囲の安全。ウリコだとダグザボアでも微妙だ。〔武装商人/アームドマーチャント〕の職業もあるが、戦闘スキルは初歩的なはず」
一人のほうが気楽だった。人の面倒を見るのは嫌いだが、行動するしかないと立ち上がる。
「〔緑神の交信/ヴァーダントディバインコミューン〕」
膨大な情報がルキウスの脳髄を駆け回った。