キャンプ
「毛皮と皮膜がいくらかにはなりますが、狙って狩る人は少ない。実入りが少ない割には危険で。近くを通ると向こうから襲ってきますが、隠れているのを探すとなるとね」
トンムスはそう言いながら、地面に落ちた〔団扇栗鼠/キリッツ〕を回収に向かう。
「いやあ、よかった。大体つがいだが、子育て期だと同時に三匹以上飛んできたりするかんな。そうなると俺も射ることになるが小さな的にはあんまり当たんないかんな。締まらないところだったぜ」
「兄さんは大雑把な性格だから命中力に関係する戦技をいつまでも覚えられないのよ」
「俺は強力な一撃の方が好みだって知ってるだろ。だから〈大強打〉だって使える」
「そればっかり言う」
レニが呆れた様子で言った。
『ヴァーラ、兄妹とそれなりに話しているな。それとなく戦技のことを聞いておけ』
『わかりました』
『それとなくだぞ。この先いくらでも調査時間はある』
魔法と戦技は広義にはスキルの一種であるが、アトラスでは他のスキルとは区別して考えられる。この二つは共通して何かの共通エネルギー消費して使用される。魔法は魔力を、戦技は気力、霊力、侠気、遊気など職業によって名称が異なる持久力を消費する。さらに、追加で生命力や魔力を消費する場合もある。
他のスキルは無制限に使用可能であったり、〈壁抜け〉は一日三回まで、のような独自の回数制限を持つ。
基本的に魔法職の魔力に対して、物理職の持久力は少ない。
戦士の気力は千レベルでも百ぐらい。最低でも気力を一消費するので一度に百回ぐらいまでしか使えない。
ただし魔法使いは魔力が枯渇すると戦闘能力が大きく下がる。戦士であれば剣だけで戦えるが、魔術師は陸に上がった魚ぐらいに無力だ。
いまルキウスの前まで来て、仕事しましたという顔で地味にアピールしてくるペーネーも、魔力切れになれば、おそらく一般人と大差ない戦闘能力になる。
「見事な魔法でした、ペーネーさん」
このお嬢さんは微妙に張り合ってくるな、とルキウスは思いつつ褒めておく。
「そうです、風の力加減が難しいんですよ。強いと飛んでいってしまいます」
彼女は喜びを隠しきれていない変な口元で言った。
確かに経験と技術を要するのだろう。
それでも正確に狙った通りの風を起こす技術なら、ルキウスの方が確実に上だ。
しかし〔団扇栗鼠/キリッツ〕がどの程度の力で飛行しているかは知らない。あの風を受けた落葉が飛ぶか飛ばないかぐらいでパタパタした状態を維持する力加減を、あの魔物でやるのは難しいように思えた。
おそらくルキウスの能力はこの世界では上位。しかし経験が壊滅的にない。この狩りから、それが何か致命的な不利を生む可能性を感じた。知識と違い、経験は楽に得られない。
さらに彼は罠を仕掛けて待ち受けるのが基本のプレイヤー。情報不足では待ちの戦法は効果が薄い。予期せぬ方法で、罠、防壁を突破されれば、防衛計画が狂ってしまう。
現状では彼の司っている森ですら、万全の力を発揮できない。
そして女呪術師が〔通り風/ブローウインド〕を使うところに若干引っかかる。
魔術は術式に投入した魔力で空気を操作して風を起こし、信仰術ならば神格が司る風の能力で空気に干渉する。
その点、呪術師は魔術系では少々特殊で、精霊など別次元存在と交信して魔法の力を得る。この力は多くの場合、魔力を呪いに変えて魔法現象を呼ぶ。
この呪術は、肉体、精神に異常を与える魔法を得意とする。その一方で純粋な物理現象は苦手でそのタイプの魔法は少ない。
魔術師が魔術で生む火は燃料が魔力なだけで、科学的な燃焼とそれほど変わらない。対して呪術師の火は実際には火が存在していないが、生物から無機物までが、そこに火があると信じることで火を感じて物が焼けたりする。この場合、火が無いことを看破する者はなんの影響も受けない。
〔通り風/ブローウインド〕は物理的な風を起こす魔法。
この世界では女呪術師でも普通に修得可能なのか。
それともペーネーの交信対象が風と相性がよいのか、呪術とは別の魔術系職業を有しているのか、それは意図的に取得した職業か、呪術師系の訓練をしていれば勝手に取得するのか、今の魔法一つ見ても気になる点が多い。
しかし職業を確認する術はない。
現在の自分がアトラスの職業レベルを有しているかすら不明。スキルの効果は変質している。レベル自体が無くなっていてもおかしくない。
そんな考え事をしていると、トンムスが獲物を持って戻り、移動を再開した。
それからも一行は魔物を避けつつ、直線的に目的地へ進む。途中で何度か肉や毛皮が金になる獣類を捕捉した。これらは荷物になるため、行きは無視する。染料や薬、魔法触媒になる草花は、ルキウスが魔法で植物を発見しペーネーが拾っている。
森育ちなので植物の金銭価値はあまり知らないと言ってあるので、彼女はその用途を喜々として解説してくる。彼はおかげで少しは世情に明るくなった。
「ここが目的地です。この辺りが地図にあったビビウェ市の場所になります」
「見た感じでは特別変わったところもない」
トンムスの言葉に、ルキウスが周囲を見渡して答えた。森の入口の方と比べれば、多少、樹木の密度は増えた。平坦な森が広がっている。特別な気配は何も感じられない。
「そうですね、しかし何かしら埋まってますから、深く掘れば何かは出ます」
「ひたすら掘ってりゃいつか当たる夢のある森だぜ。可能性があるとわかってれば、無駄骨になってもそれなり楽しくやれるもんさ」
ドニが言った。
「おかげで早めに着きました、設営してから少し狩りをする余裕がありそうです。今後もご一緒したいものだ」
トンムスが周囲を警戒しつつ言った。
「誘っていただければご一緒しますよ」
(森の淵から約三十キロ。俺がいなければ、日が暮れてからも歩いたはず。確認にしてはヘビーなスケジュール。本来は途中で予定が変わる。そういうテストか)
日が落ちるまでは時間がある。設営は一時間もあればできるらしい。ルキウスは不慣れだが、何をやるかはわかっている。アトラスのクエストであったからだ。
竪穴を掘り、木の棒を突き刺しテントの支柱にする。木の棒は、ルキウスが魔法で使いやすいように変形させた。
その木の棒に結んだ糸で、黒い布製のあまり高さのない三角テントを二つ建てる。簡素なテントだ。雨風を避けて寝るだけの場所だが、矢避けに使える強度はあるらしい。
そうしてキャンプがすみやかに完成した。
そこから、キャンプからルキウスが索敵できる範囲内で、日が暮れるまでの簡単な狩りと採集を行った。本番の狩りは明日の朝から昼ぐらいまでの予定。これは当座の食料を確保する狩りだ。
成果は〔三本角鹿/キフリキ〕一匹、キノコ、イチジク、ベリー、薬草類になった。
〔三本角鹿/キフリキ〕は全体が平べったく複雑に枝分かれした先端が四方八方に分かれる二本の角と、額に真っすぐで鋭利な角を持つ中型の鹿。
トンムスがキャンプを囲む四点に若い枝を立てて祈り、野伏の幻術魔法を発動する。
〔隠された野営/ヒドゥンキャンプ〕、限られた範囲を、外からは草の茂みや岩に見せる幻術。中の光や匂いも隠す。ただし外から見ると微かな魔力反応がある。
ルキウスも修得可能だが修得していない。敵対プレイヤーは魔力反応がある時点で爆弾をばら撒いてくる。初歩的な幻術では安全を確保できないからだ。
それでもこの世界なら価値は高いのだろうとルキウスは考える。
ベテランの四つ星ハンターともなると、普通に森に滞在できると考えられる。
ドニは失敗した顔をしていた。手負いになり突撃してきた〔三本角鹿/キフリキ〕をドニが斬った際、返り血を派手に浴びた。
「〔掃除/クリーン〕」
ペーネーが杖をかざした。皮鎧の表面と、中の服に飛び散った血が徐々に薄まりやがて完全に消える。
これはアトラスにはない魔法。アトラスでは返り血など浴びないし、草や泥で衣服が汚れない。魔法使いなら全般的に修得できる初歩の魔法であるという。
ルキウスは使用できない。彼は体に付着した毒や油などの悪効果を取り去る中位魔法で同じことができるが、魔力量を偽装して見せる必要がある。
「いやあ、助かるぜ、ペーネー」ドニが言った。
「どういたしまして」
「とりあえず〔三本角鹿/キフリキ〕の角があればそこそこの稼ぎです」
「八千セメルはいきそう。これだけで赤字はなくなったわ」
尖った一本角を持ち上げて、レニが嬉しそうに言う。額の角だけが魔法触媒になる。これはルキウスも知っていた。
「俺が仕留めたんだぞ」
「あの様子なら、セイントさんだけで追いついて仕留めた気がするけど」
「そりゃそうだけどよ」
「セイントさん助かりました」
「見事な誘導でした」
トンムスとレニがヴァーラの近くまで行って言った。
「どうということもありません」
「全身鎧でどうすりゃあんな速度で走れるんだ。おまけに音もしてねえぞ」
「鍛えれば誰でも走れますよ」
「……無理だと思うぜ」
三本角鹿は途中までヴァーラが走って追いこんだ。そこに矢を射かけて最後はドニが戦技で両断した。
特定の場所まで誘導して攻撃、なんとなくルキウスはこれに共感を覚える。自然なやりかたとは、このようなものだ。
アトラスでも待ちの戦法をメインにするプレイヤーは少ない。多くの戦闘型プレイヤーは難度の高いダンジョンに入り浸る。だから罠を仕掛けてプレイヤーと戦うルキウスは目立っていた。
「今日は終わりにして捌いてしまいましょう。隠蔽がが効いてる間に食事を終えます、匂いを散らしたくない」
シカを大雑把に捌き、これまでの採集物と手持ちの食料を使った食事の準備が終わった。火を通すべき物を全部ぶち込んだ煮込みと木の実。
たき火を囲んで、器によそった煮込みを食べる。
ヴァーラはさっきの話を三人としている。
ルキウスはペーネーの隣に座った。
ペーネーが肩掛けカバンを開けると、中からトンボのような羽が一対だけ肩の辺りから生えている小型のトカゲが出てきた。彼女が小さな肉片をトカゲの前まで持っていくと、首を傾けてかじりつき丸飲みにした。
「使い魔ですか」
「そうです。とてもいい子なんですよ、猫と違って」
「なんの生物なんです?」
「私もこの子が何かは知りません。子供の頃に卵を拾ってかえしたんです。この子とつながりを感じるようになってから、魔法が使えるようになって、師匠に弟子入りしたのです」
ペーネーは貴重な情報源。
魔法使いには技を秘するイメージがあり尋ねにくいが、魔法使いが魔法使いと魔法の話をするのはそう不自然ではないだろう、と直接聞く。
「私は長いこと森にいたもので他人の魔法はあまり知らないんですが、自分で魔法や戦技を生み出す人がいますよね?」
「ええ、いますね。私も研究していずれは何か作りたいです」
「自分で発明する人がどうやっているか知っていますか?」
「フォレストさんも作りたいですか?」
「興味はありますよ、作れれば便利ですから」
ルキウスは実際に興味を持っている。できてもおかしくない。魔法理論はさっぱりだが。
「新しい魔法や戦技を効率的に開発するには大勢でやるといいらしいという話がありますね」
「それは、数が多いほうが研究もはかどる」
「いえ、研究効率じゃなくて、人数そのものに意味があるんですって、師匠が言ってました」
「いま一つ意味がわかりませんが」
「ええっとなんて言うか……十人の魔術師と百人の魔術師の研究機関の比較じゃなくて、一人の魔術師に、魔術と無縁の無知な子供であっても大勢研究に関わらせると新魔法ができやすいという話でした」
「無知なのに?」
「大勢に認識されることに意味があるらしくて、認識とは別に研究も必要らしいです。やったことないから詳しくは」
「へえ……それは変わっていますね」
ルキウスは、地球と違う特殊な世界の中でも、かなり特殊な法則が働いていると感じた。
「大戦前には新魔法開発用の都市があって、研究してある程度に達すると都市全体に宣伝したとか。すると翌日には新魔法が使えるようになるんだとか」
「大勢の人間が認識したので認可されたと?」
「そうですね、魔術師だと、どこか異次元に世界の記録があって、魔法も戦技もその記録に接続することで扱えると考える流派は多いですよね、神官だと特定の神がどうのって言いますけど、〔自然祭司/ドルイド〕だとどういう認識になります?」
「意味はわかる。基本的に魔法は自力で思いついたものではない。最初からあるものだ」
科学的発見がそうであるように、魔術も知ったにすぎない。
「そうですよね、魔法使いならそうなりますよね、戦士の人は何も考えてないことが多いですけど」
この世界のルールとパラメータを集積した何か。
神、話が事実なら神と表現するべきだ。何らかの意思を持つ存在か、はたまた自然の法則か、この世界の根幹を成す何かがあり、ルールを加筆修正しているのだ。
ルキウス・アーケインという存在も、そんなルールによってこの世界に加えられた何かなのだろう。
ではこの世界そのものはどうなっているのか?
元あった世界がアトラスの影響を受けた何かか、最初がアトラスで改変が積み重なりこうなっているのか、それともアトラスと無関係で偶然アトラスの要素が強いのか。
もし過去にプレイヤーが積極的に影響を与えたなら、アトラスに似た部分が多いのは当然だが。
かつてと同じく、この世界の法則は不変ではない。それが話してわかった。
その後も多くの魔法に関する話を続けた。聞くだけでなく、ルキウスも植物や自然の魔法の話を話した。
ペーネーは機嫌が良くなり、それを興味深そうに聞いていた。
話せる魔法使いは少ないらしい。一人前の魔法使いは己の術を秘している。特定の流派、門下だとその集団内で協力しているが、ペーネーはこの街ではフリーの魔法使いになるそうだ。
ペーネーと話して知識を得るたびに、余計にこの世界がわからなくなる。地球の物理を軸にしてもアトラスの世界観を軸にしても、この世界を理解するには足りない。この世界の根幹を理解するための要素が致命的に欠けている。
確固たる寄る辺のない暗闇に、一人で立つ心持ちだ。地球の近代科学以前の時代において、多くの民衆が宗教の影響下にあったのも納得だ。
自分が存在している場所、ひいては自分自身が何かわからないのは相当な不安をもたらす、それを実感すると、ルキウスは楽しくなる。
それからも六人は交流を深め、夜が更けた。
夜番には、トンムスとルキウスが立つことになった。
すでに〔隠された野営/ヒドゥンキャンプ〕の効果時間は切れている。
たき火は消え、木々の葉の間から差しこむ月光だけが木々の影を映し出していて、ときおり獣の吠える声がどこかよりして、微かな風音と共に心地よい葉擦れの音が満ちる。
ルキウスはそれで身をくるみながら、森の木々の奥、光を利用していては知覚できぬものを見つめた。
「敵です。ゴブリンですね、まだ遠い、五十いないぐらいかな」
「ゴブリンですか、囮には掛からなかったか。この辺りにもたまにいますね。皆を起こしてきます、中々に数が多いのでお二人がいる時で良かった」
トンムスはそっとテントの方へ歩いていく。
「撃ってきます」
ルキウスがぼそっと言った。
「えっ?」
疑問の表情で振り返ったトンムスの目に、キャンプへ向かう複数の光の線が飛びこんできた。
目にも止まらぬ速度で放たれた光の弾が、尾を引いて見えているのだ。
「当てずっぽうだな、姿勢を低くしていれば当たらん」
屈んだルキウスが光の発生源を見据え、平凡な調子で言う。大半の光弾は二人のはるか頭上を通り空へ向かっている。たまに木々に当たった光弾が湿った破裂音を響かせ火花を散らす。
「なんです! これ!?」
飛来する光を見て即座に草陰に転がりこんだトンムスが、持ち前の冷静さを失って慌てている。
「レーザーガンですね、連射可能。ここのゴブリンは中々に文明的ですね」




