道案内11
ミドリノはわざとらしく息を吐いてから言う。
「悪いが静かにしてくれないか。寝ていられない」
ソワラは最小にして最速の首振りで彼を確認した。
「眠りが浅かった」ミドリノが半身を起こす。「ルキウスはどうしてる?」
「この程度の迷宮でどうこうなるわけもありませんので」
ソワラが誇らしげだった。
「君は現状に不満があるようだが、ルキウスとどうなりたいんだ?」
「どうしても他人の関係性に首をつっこみたいようですね」
「親友のことなので。彼のようにいささか自由な人には、彼を抑制できる人などがいてもいいと思うが、どう思ってる?」
「恐れ多いこと。すべてはルキウス様の望むようになる」
「今は君が邪魔しているんだろ?」
「ちょっと遊んでいるだけです。退屈されているでしょうから」
「本気で殺す気もないようじゃ、彼はまったく話なんて聞きはしない」
「私はルキウス様の御そばに侍りたいだけ」
「彼が一番望まないものだな」
「知ったようなことを」ソワラの表情がかすかに険しくなる。「ルキウス様が何をされるにも、下準備は必要です。私のような者を必要とされている」
「彼は自分が投げた球の軌道を変えたり、投げ返し、ガンガンぶつけてくる奴を欲しがっている。きっと本人は知らないが」
「殺されないと思っているんですか? あなた程度ならルキウス様は許してくださる」
寛容ではない、低価値。損害額の算定基準が低い。それはルキウス自身ですらそうで、腕を折られても気にしない。そのことをソワラは知っている。
彼は最初から複数の場所にまたがって同時に存在していて、同時にどこにもいない。受けた損害も怒りとまどいも少しの時間で別次元に流す。
「あきらめの信頼関係だな」
「やかましい!」
ソワラがどなった。
「死んだら生き返らせてくれるらしいから、存分にしゃべらせてもらうさ」
「またお金の無駄遣いをして」
「金の問題なのか?」
「あなたなどのためにどうして……」
「そこを考えれば?」
「ルキウス様が必要だと思われたからです」
ソワラが即答した。
「その前を理解するべきでは?」
「単純に見えて複雑で、やはり単純そうなところがすばらしいのですよ」
「付き合いの長さはわかった」
「あなたは少し見どころがありそうですね」
「いいか、今諦めたら終わりだ。次の機会はない。彼はいずれいなくなる」
「知ったふうなことを」
「いなくなりそうとは思ってるだろ? そういう流れで来てたんじゃないのか?」
「どうしろと言うのです?」
「叩き潰して、力を見せるぐらいはやれよ。能力を示す以外は効果がない。これまで本気なんて出してないだろう」
「どこかの回し者ですか? そういう者も好まれる」
「確実ではないが、君らふたりと、そのほかのすべてのために言ってる。そっちの流れのほうがいい気がする」
「そろそろルキウス様が来られる。あなたはここでおとなしくしていなさい」
ソワラが消えた。残された四本腕がミドリノを取り押さえる。
「腕さんよ。放してくれないか?」
固い物にがっちりつかまれて、かなりの圧力だ。
「言葉が通じない。会話がなかったから念話か。念のため確認したい。腕さんは異星生物だよな? これ重要だ。異星生物にこんな超常生物ありえんが、謎の衝撃波あったし、アトラスではそういう設定らしい。最近のトレンドは微生物の集合体を体内で操作して臓器とするやつだ」
腕はなんの動きもしない。
「俺は地球人で最も長くイジャとやりあってきた血筋だ。かれこれ五千年ほどやってる。
戦技には、代々争う敵に有効なものがあるそうだ。【不倶戴天】は大ダメージらしいが、俺の攻撃力じゃ足りん。【怨敵必絶】は即死するとか、確率低そうだよな。腕だけで睡眠とかする? 無難なのは麻痺に思えるが……手や足を封じる魔法はあるらしい。戦技でもありそうじゃないか?」
ミドリノは精神を集中、体が何かの力を帯びるのを感じた。
ソワラは姿勢をよくして、ある部屋の出口を塞いでいた。
本気でやれば殺せるだろうか? 魅力的な問いだ。
ルキウスはここまでマナポーション三本消費した。これ以上は回復に悪影響が出る。ソワラは一本。さらに森の外、確実に有利。
やってみれば、本気のルキウスが見られる。足をとばすぐらいはいいじゃないだろうか。
待ち伏せでも、はいつくばってるところは見たことがない。穴に隠れたり、埋まっていることはあったけれど。
足へのダメージは徹底的に避け、傷を負うと必ず身を隠して仕切りなおす。新しい面を引き出したい。
「楽しみですね」
彼は自ら迷宮に踏み入った。状況不明で勝つ算段はあるということ。
ずっとルキウスを見ているだけでもよかった。
さりとて昔のようにそばに留まることも許されていない。役割が乏しいことは理解している。冒険しなくなったせいだ。この星には危険が足りない。探求するにいい場所は見つからなかった。
ルキウスの足音が聞こえてきた。彼が部屋に入り、入口に留まる。鎧と服にかなりの破壊がある。
「やあソワラ、まだ話す必要はあるか?」
ルキウスが鎧の破片をもぎとって捨てた。側面だ。二人の中間や死角に物を投げたときは注意が必要だが、仕込みはない。
あの破片だけでかなりの高級品だ。回収しないといけない。
「いくらでも」
「でもちょっと言わせてくれ。ボスに化けて出てきてくれないことはガッカリした」
「長く時間があったもので」
「ここはやりすぎじゃないか? 判断ミスってたら三回死んでる」
「いつものように時間をかけて慎重になされれば、そう傷を負うこともなかった」
「君の顔が見たくて急いできた。まだ怒ってる?」
「怒ってなどおりません。約束を守って、連絡は定期的にしていただけるように申し上げたいだけです」
「あれは休暇を満喫してもらいたいという心遣いだった」
「さきほどは、元気に存在を忘れてたと言いましたが」
「言い訳がましいのはみっともないと思って。それに重大な報告がないってのは、好調だってことだ。それで三人は?」
「迷宮はボスを倒さないと終わりません」
「クリアしないというのはどうだ?」
「ルキウス様がずっとここにおられるなら、私はそれでいいですけど」
ここはクエストとは違う。ボスを倒す必要はない。ルキウスは戦闘を回避して四人を確保、出口を目指す。
最初からこれは鬼ごっこ。こちらが下げている召喚体を総動員して道を塞ぎ、捕まえる。
ひと月ぐらい一緒にいてもらってもいいはずだ。それぐらいの仕事はしてきた。
そしてルキウスも〔緑の使徒/ヴァーダントディサイプル〕を短時間で複数出せる。離脱するならあれを使う。
「お怒りが激しいのは理解しましたけれども」
「怒ってません」
「ええと、ソワラさん、まことに申し訳なく思っており、誠心誠意――」
「思ってもみないことを言うのはやめてください」
別動隊はいない。見逃すとすれば物理的に小さな存在だけだ。おそらく虫型偵察機でここらのルート探索は終わっている。
「ソワラ。怒っていないなら、今後の旅にずっとついてきてほしい。一人だと退屈しそうだ」
「喜んでご一緒させていただきます」
「どこでも?」
「場所を選んだことなどありません」
「すごく臭い所でも?」
「これまでもありました」
「どこでもと言ったらどこでもだぞ」
「わかっています」
「そうか……。いやあ、本当に悪かったと思っている」
わざとらしい軽さがある。彼がソワラにはやらない部類の表情だ。ほかのプレイヤーにはよくやった。何かをやる前の手順で、たいていは冗談でも言う。
「でも後から怒るのはやめてほしい」
「怒りませんよ」
「いや、ずっと怒る。昔ああだったて。よく知ってる」
「あの女と一緒にされるのは不快です」
「ほら、今も怒ってるじゃないか」
「そう思ってるからそう見えるのです」
「ちなみにどこかいい所に二人で行くとしても通してくれない?」
「履行されていないではないですか」
「ソワラは私の相棒として生まれ、これまでも仕えてくれたな」
これが彼女の誇りだった。今は、思考にジクジクしたノイズを感じる。
「私は神になるために存在してはいない。なんかいつの間にかこうなった」
「そうですね。ルキウス様は最初からずっとルキウス様です」
「とてもお世話になったソワラには、真剣に、お詫びを考えていた」
「いまさらです。お望みのものが欲しければ、自力でなさってください」
ソワラは杖をルキウスに向けた。
本気でやる。仮に殺しかけたところで、許すなんて話じゃない。ルキウスは単発の攻撃ではまず死なない。例外は完全に焼き払うぐらいだ。
あの女と同じで、そこに引っかかるが、いい。ルキウスと海の神と通信でそう思った。嫌な記憶を、良き記憶としてお持ちなのだ。失敗したしかけを直すとき、 楽しいそうにしておられるのだ。これも彼が思い出しては語る笑い話になって、そこにずっと存在できる。
ふたりだけの思い出ができる。新しい思い出だ。それを今から作る。
「俺は今日、ルキウス・アーケインになる」
「はい?」
「ルキウス・アーケインの始まりだ!」
ルキウスが高らかに宣言した。
「意味が――」
「これがお詫びだよ。じゃあ死にまーす」
ひょうきん者の声がした。そしてルキウスが二本の剣をかかげ、鎧の破壊された部位より強引に心臓を、遅れての左手の剣で下あごより頭を突きぬいた。
ルキウスが口からゴボッと血を吐き、後ろへと傾き、どんと倒れた。剣が音をたてる。
ソワラはそれをぼうっとながめた。何かの仕掛けだ。何かをやってくる。光の点滅を受けた赤い血が、床に広がっていく。
倒れたルキウスは動かない。迷宮内をサーチしても、反応があるのはさっき捕まえたミドリノだけ。
「うそ……うそよ!」
ソワラが転移で接近、剣を引き抜いた。本物だ。剣は本物。赤い血が出ている。すぐさま最上位のライフポーションをかける。
毒は効かない。しかしあらかじめ耐性を低下させていれば別だ。彼女は回復魔法を使えない。状態異常を治す魔法薬をさらにかける。
「外傷は治った、即死効果じゃないけど呼吸はなし」
剣はルキウスがふだん使っている物。神殺し属性のような魂を破壊する効果はない。剣は神気も帯びていなかった。いかなる奇跡も生じない。
体内を古き緑に変えていれば致命傷ではない。神の体には中核がない。いくらか残っていれば、どこからでも完全に再生する。
ソワラはルキウスに触れて、音響の魔法を発動した。体内に異物はない。人体だ。体内で出血した血が大量に溜まっている。
完全な心臓破壊と脳幹部破壊。さらに出血。ほぼ死んでいる。敵がこの状態なら、脅威無しと判断する。
この傷を治せるのは再生以上の魔法だけ。その使い手がここで死んでいる。これ以上高位の魔法は魔法薬にはならない。
臓器は回復してない。脳だけなら体が死ぬまで時間があるが、心臓が破壊された。全身の細胞が活動を停止しひたすら死に向かっている。
死亡が確定すれば肉体を修復しても意味がない。細胞のいくらかが再活動できても意味がないのだ。ルキウスの霊体はこの体の状態と接続され、肉体のダメージにつられて破壊される。それが魔術的な死。
もう死んでいるかも。復活してもペナルティで神としての力は失われる。
「そんな……ヴァーラ! ヴァーラ」
ソワラは魔法でヴァーラに呼びかけた。応答しない。
ヴァーラは神気を魔法にのせられない分、ルキウスより回復力が劣る。それでも再生なら分断された臓器を修復できる。死にはしない。時間との勝負だ。
三秒ほどして「はい」
「今どこです!?」
「誰です?」
ややいぶかしむ声。符号を述べていないし、世間話などしない仲だ。
「ソワラです。ルキウス様が致命傷をおった。治療が」
これで伝わるか。ルキウスが死にかけるのはすごくおかしい。死んでいなければ自力で回復する。その隣にソワラがいるとなると余計に不自然だ。
「な! 私はポヤドリです」
知らない場所、転移できない。ソワラが外に出て長い。転位目標になる彼女のマーカーを所持しているのはルキウスだけだ。
ソワラのいない体制では、ターラレンかヴァルファーが転移のまとめ役をしている。
「私はそこに飛べない。生命の木にもどれますか? とにかくもどってください」
「帰還先は別の設定です。ヴァルファーを呼びます」
長居留守の間にシステムが変わっている。緊急離脱用の魔道具は、生命の木以外を目標に設定した。他者に使われないためだ。
通信が切れた。ヴァルファーに連絡がつく確証はない。ヴァーラは悪魔の森の東にいる。もし汚染地域にいれば通信できない。
まずルキウスと生命の木に飛び、そこで移動係かその位置を知る人間を見つける。そしてヴァーラの元に飛んで治療。
疑問がソワラの頭をよぎる。この方法でいいのか?
あれから何秒たった? 最初にほうけてしまって十秒はかかった。一分を超えると危険。
脳機能が回復するか怪しい。あれは基本的には失われた手足を修復を行う魔法。
消失した臓器すら復元できるが、脳の中枢は神経が密集している。残った部位との兼ね合いで変形が生じれば、障害が生じる。本人が体を変換する意思があればなんとかなりそうだが、自殺した。
なんで自殺なんて? 弱くなるため? それならここでやらない。本気の謝罪なんてはずはない。考えている場合じゃない。
変な回復をさせてしまった腕は切り落として新しくふやせばいいが、脳では無理だ。けっきょく死んで復活させるしかない。
まずは生命の木に飛ぶのが正しい。特殊な回復系の魔道具を考慮しても、生命の木にある。しかし迷宮は内外と断絶している。まずは出口前まで転移しなければ。
「俺が治す。治す手段がないなら邪魔するな」
近くからの声にソワラに緊張が走る。ミドリノが近くに立っていた。接近に気づかなかった。
「そういえば、外だと傷が治るようなことを言っていた気がするが」
ミドリノはルキウスの横で立膝を突いた。同時に迷宮が解除された。
魔法を解けばいいことに気づかぬほど狼狽していた。
「あなたにかまっている場合じゃない。もう時間が」
「三秒は要らん」
ミドリノは刀で自らの手の平を切り、血が流れる手でルキウスの頭をつかんだ。
自決するところは遠くから見えた。あの目つき、やってやったと言わんばかりだった。
血を流すのは、自らのナノマシンを使うイメージのため。
ナノマシンを最大限に稼働させても、貫かれた脳髄を修復することはできない。精密な脳のデータがあっても不可能だ。それほど脳機能は複雑だ。生きている人間をそのまま修復するには、大掛かりな装置につっこまないといけない。
この星のシステムを利用する。無礼なまでにこちらの頭の情報を抜いてくれたこいつを。
「復活できるなら、どっかにデータ保存してるんだろ。それを参照しろ。〈本源回帰〉!」
急激に体が重くなり、思考が鈍る。発動した。体から生気が抜けていく。
「起きろ」
ミドリノが倒れそうになりながら、ルキウスの頬をひっぱたいた。重い動作で目が開き、左右に動いた。
「あっれ……死にそこねたか」
「ルキウス様!」
ソワラがルキウスに駆け寄る。
「なんで森? 二人だけか?」
「俺が治療した」
ミドリノは手を床に突き、息も絶え絶えだった。ルキウスの腕を折った技とは逆に、代の離れた血族を回復させた。自らの生命力を祖先に捧げて。
「なんか特殊スキル持ってたの?」
「戦技」
「回復型か。武僧ぐらいしかなかったが、できたんだろうな」
「俺を回復してくれると助かるが」
視界の端が白んできた。ルキウスがミドリノの手に触れると、すぐに意識がはっきりした。
「いやあ、友達がいがあるなあ」
「おい、この状況は計算づくか?」
「はあ……?」
ルキウスが気の無い声をもらした。
「こうなると知っていたのか? こいつはお前の計算か?」
「計算なんて。タケザサ君は過大評価が過ぎる。君としゃべってる間に気がついた。今なら死んでも問題ないんじゃないかってな」
「どこで――」
「お前のせいか!」
ソワラが宇宙的形相でにらみつけた。
「そっちに行くな。まだ死んでる気分だ」
ルキウスがソワラの腕を軽くつかんだ。そしてあらためて寝た。
「はい。ルキウス様」
ソワラはルキウスの手をとってべったりくっついている。
「つまり予想外なんだな」
「一度とりさげた予想が当たってうれしいときというのは、あるものかね? でももとはといえば、君があれこれ言ったからだ。つまり君の功績だな」
今度はソワラが杖を向けた。
「死ね!」
ルキウスがソワラを抱き止めた。
「おいおい、そばにいてくれ。あと、怒ったら死ぬので」
「はい」
ソワラが一瞬で淑女に変化する。
「みっともない脅しだな」
「ルキウス様の偉大さがわからないのか!」
ソワラが表情を変えずにどなった。
「割と知ってる」
「以前、会ったことがあるかな?」
「いいや、会いようがない」
この後は、なんの争いも起きなかった。そしてすべての問題が解決した。
翌日、町にもどったミドリノは、森との境界にいた。
「部下が吐いたか。あとで軍規をよく確認させねばなるまい」
ひゅっと、ルキウスが木の上から降ってきた。
「丁重に扱ってるが、ソワラが話を聞くなり彼らの頭をひっつかんで強引に調整してしまった。彼女はちょっと野性的になった」
「後悔してるのか?」
「うまくいったからいい。言葉がわかるようになったよ。君と同じだ」
「奴らは死ぬほどやかましくなったと思うが」
「元から騒がしかった」
「一か所に集めたのか?」
「ああ」
「あいつらは立体的な空間に大勢集めると収拾がつかない。小分けにしろ」
「そうしよう。君はたいそう人望があるようだな、心配されていたぞ。艦長を探せゲームをやばい森で始めるところだった。君には確認したいことが山ほどある」
「確認ね。話を聞きたいのはこっちだ、ご先祖様」




