道案内8
「で、思い出の迷宮というのは?」
ミドリノは話をもどした。
「けっきょく聞くのか?」
「言ってたからな」
「言ーわない」
「さっきは説明した」
「もう言う必要がない」
「あれだけではわからない」
「わかっているだろうに」
ルキウスがうっとうしいものを払おうとタンゴのステップで先へ歩いていく。
「昔を思い出して感慨深くて泣きそうか?」
「いいや」ルキウスは平然としている。「あのときは初回から運の悪い状況をひいたものだ。グラドリゴの巣には普通は幼体がいるのでわかるが、穴倉をこっそり進んで卵部屋で卵泥棒と鉢合わせて、消耗しつつ倒してなんか財宝でもないかと思ってたら親が出たから」
「いい思い出か?」
ルキウスの語りに感情が減ったように思われた。これが記憶をたぐっただけなのか、過去の記憶を元に新たな印象を今構築したのかは本人でも判別し得ない。無論、何かを伏せた可能性もある。
「無いより有ったほうがいい。無いほうがいいものを探すほうが難しいが」
この解答、ミドリノの見立てでは顕著に自己肯定的人格。
「ソワラがわざわざそれを再現したことをどう思う? この先もあるが」
「後半は難しそうだ」
期待した回答ではないが、思い出すまでもないという認識はあらわされた。彼はソワラに興味がないわけではない。
「彼女の望みはわかったなら、対処できそうだが……」
「どうかね」
ルキウスは少しニヤけて気のない返事でやりすごす。そうさせるにはいかないというところで、さらに彼は話をそらした。
「あなたは探検家です。探検の結果、所有者のいない謎の箱を発見しました」
「またか。今は……探検というふうでもないか」
ミドリノが【道案内】を意識した。
「箱にお金を保存しておくと翌朝に二倍になっていました。変に思いつつもそのままにしておくと、翌日にはさらに二倍になっていました。なんと、入れたお金が一日ごとに倍になる箱だったのです。さてどうする?」
極端な状況を作っての行動観察。主題は、貨幣社会の住人の多くの行動に関係する現金。これは読める事柄が多い。
「貨幣……対価の話か?」
対価から発展させれば、調和の話ともとれる。
「どうとでもどうぞ」
「……知り合いに高値で販売する。その利益で探検を続ける」
未知の対価を恐れての選択、利益には対価があるはずだという認知の歪み。合理的思考ではないが、多くの人間にある精神性だ。それを理解したうえでの選択。
「日常の継続か、それとも不思議への恐れか。でも利益は欲しいようだね。俗の範囲内かな」
「成果報酬は受けとる。そっちは?」
この調子なら、きっと変わったことを言い出す。もう慣れてきた。
「友達にあげるよ。いるかい?」
「それでもらったら解答と同じ展開になるな。ならその分の金をくれよ」
「却下だな。あげるのはその箱じゃないと楽しめない」
「友達を金に狂わせて観察するのは悪趣味だ」
「そこは主たる要素じゃない」
「友達を幸福にしたいなどと豪語しないだろうな?」
「我々にはまだまだ相互理解が足りないようだ。こいつは退屈を捨てただけだ。ついでに暇つぶしができるならなおいい」
「一番楽しめる選択か」
「そういえばそうかもしれないな」
楽しめる、が彼の芯で、そのまま嫌うものは退屈。これはあらゆる方向から考えて違和感がない。しかしルキウスは自分で自分のことを考えているように見える。
「だが得た大金で何かをやったっていいじゃないか。むしろそっちのほうがなんでもできる。お前なら大地を金を満たしてやるとでも言うと思った」
「退屈だからな……」
「人間として堕落しないためとでも?」
「堕落して楽しめるならそれでいい」
「ならなぜ財産を拒否した?」
「さてな」ルキウスの悩む顔を自然体で深く考えていないと受け取れる。「拒否すべきと感じたからだが――探検が終わる理由は少ないほうがいいんだ、きっと。それに金があったら探検はできない。それは探検じゃない」
「そういうものか」頭に浮かぶのは、ずっと宇宙をさまよってきた艦隊のことだった。「我々の回答に距離はあるか?」
「同じではないのは確かだ。さて、お次のお題は何にしようかな」
ルキウスがわずかに弛緩する。
「ならこっちが質問しよう」
「いいとも」
ルキウスはピョンピョン跳ねて視界を一周させながら前進する。
「……人生の指針としているものはあるか?」
「へえ」ルキウスが逆立ち歩きしながら見返した。「そんな前のめりでは、子ウサギも罠にかからない」
「急に怖がりになったな」
「そうかね、どうかね」
「主義の一つぐらいあるだろ」
「君はあるのかね?」
「家の方針を引き継ぎ、次世代に引き継ぐことだ。まあ人生の前提と位置付けてもいいが」
「オリジナリティに乏しい」
「人類は多いもので誰かとかぶる。お前は?」
「うーん」
「楽しく生きるとかじゃないのか?」
「主義……基本方針など、考えたこともない」
「何かあるだろう。今考えろ、自分の行動だぞ」
「一撃必殺?」
「絶対違うじゃねえか」
「早寝早起き」
「そういうのじゃないって。破滅主義とか悪逆非道とかの辺りだろ」
「真面目に考えているのに……睡眠不足でいい?」
「真面目でそれなら思考手順が壊れている」
「真面目に考えて……毎日骨折」
「明日も蹴る予約をいれておいてやろうか?」
「……神出鬼没かな……そう言われたことがまあまあ。言われるからそうだんだろう」
「おおよそ人間に可能な指針ではないが」
本質的に、考えたこともないというのが答え。直感に従うと解釈できるが、彼の動きはふざけているが、衝動性がそのまま出ているとするには違う。
森で声をかける時も、かなり観察してから行動している。ただし、観察の結果、危険な相手とみなしてもあの声かけだったのではないかと思える。
好みは不規則か……混沌か? 目標はそこ? だとすれば――
「いま気分で行動してるのか? まさかソワラとくだらない冗談で仲直りできるなんて思っていないよな? それなら殴ってでも止める」
「安心しろ。百の対応戦術を用意している」
「気分だな。わかってきた」
何もわからない。部下の安全を第一にするはずが、ルキウスへの興味がわいてきている。
ここから進み、通路では小型から人型ぐらいの魔物の群れを駆逐した。
部屋では大型の怪物が現れ、そして駆除された。これは前より強かったのだろう。しかしもうミドリノ単独でも死を感じる相手ではない。その次になるとルキウスも戦闘に参加し、速やかに敵を撃破した。あいかわらず敵の情報はよこさず、観察して楽しんでいる。
ただしミドリノは鋭利な牙にやられ、腕からそこそこ出血した。それもすぐルキウスが治療する。
「回復魔法は得意だから、毎回腕を落としたっていいんだよ」
ルキウスが幼子をあやすように語りかける。
「お前がおどすほど敵は強くなっていない」
「そこはそっちの動きが変わっただけだ」
「とにかく死なせようとするな。背後に回った瞬間に斬られたくなければ」
「遠慮しているのか? 友達じゃないか。次あたりで正面から突撃してみれば?」
「友達なら罠っぽい言い回しをやめろ」
「罠だなんて! むしろいつでも死んでいいぞ」
「俺を妙なやり方で使って、彼女と和解しようとか思ってないよな?」
「男なら一回ぐらいは死んでおくものだ。今なら死んでも無料復活! 期間限定豪華景品が当たるよ!」
「……誰でも一回は死ぬんだよ」
「本当にそうか? 確認したことある? 死んだと思ってるだけじゃないか?」
「確実に死んでんだよ」
「経験したこともないくせ」
ミドリノは歯噛みして黙った。
微妙に反論しにくい。思考を加速し、仮想空間で実年齢をはるかに超える時間を調達し多様な経験を積んだ彼も、実際の死の感覚はわからない。
ここにきて、さきの友達論への遠回しな反論か? 自己の死は認知できないという認識重視への反論。
「死肉でもあさりたいのか?」
「ふむ。思えば、一度も死人を見たことがないな」
ルキウスが思考が思わぬ方向に飛んだ。
「砂漠でだいぶん死んだぞ」
「あんなものは死人じゃない。知らない人ばかりだ」
「お前の言う死はなんだ? 終わりの目撃か?」
これにルキウスは自問を続けてブツブツと話した。きっと彼の言う死は彼がそう感じるもので、それ以上の定義はない。
「死とは変異量か。ならば塵になっても回帰しえるなら、塵の状態ですら生きているのか? 吸血鬼どもは霧やら影やらになるし……奴らは一般的には死人だが」
「そうなのか?」
「吸血鬼にあったことないのか?」
ルキウスが常識知らずを批判するようにした。
「普通は会わねえんだよ」
ルキウスのかすか語感の変化がわかるようになってきた。これは本気じゃない。
「心臓がなくなったら、それは死か?」
「代わりになんか詰めとけ」
「たしかに対処は用意だ。では、脳が無くなったら?」
「人として行動はできない。哲学的意味で一種の死」
「脳がなくても思考できた場合は? 無論、元通りの」
「ちょっとばかり脳が外出しているだけなら死ではない。それよりお前、なんかろくでもないことを考えているだろう」
これにルキウスは凝視で答え、さらに三秒ほど最大限に目を見開いてみせたが、何事もなかったように普通の表情にもどった。なんの感情表現かはわからない。
「腕が三本になったらそれは死か」
「なぜ増やした?」
「四本なら? 腕が他人のものなら?」
「生きてはいるだろう」
「百本でも?」
「人として生活するのは難しい。制御もできまい」
ただし、一万艦程度なら同時に操って戦闘できる。優秀な脳をつけたす前提で。資源と技術があれば無限に拡張できる。宇宙規模の体になるが死だとは思わない。
「ふむ、別視点、死を自覚できるあいだは生きている」
「それはそうだ」
「死の要素の一つには、一定の連続性の喪失があると思う」
「曖昧だが認めよう。死体は確実に生きていないからな」
「つまり君は一日で劇的に変化したわけだから、ここは恐れずに」
「やめろよ」
ミドリノの圧力にルキウスが何度もうなずき一度黙る。
「さて死の話だったわけだが」ルキウスが話を反転させる。「自己が無限に複製可能な状態に置かれたなら、それは不死か。その変化はむしろ死ではないのか?」
「生きてはいる」
「元の生物とはいえない」
「想像しにくいが、状況復帰が不可能ではないなら、死んだから、死にっぱなしじゃあないさ。そんな魔法があるのか?」
「あるかもしれん」
これにルキウスは何かに納得したというより、より思考に集中し始めたようだった。それでも、さらにくだらない話が続いた。ルキウスから真意を読ませない言葉が出たが、ミドリノはその中からルキウスの要素を抽出していった。
仮面、情報制限による優位性、特異的評価の取得、目立ちたがり、慎重、臆病。
普通ではない声かけ、思いつき? 計画的、事前観察あり、相手に応じた対応、これは習慣、つまり能力、人格。ソワラへの対応の意図は特定不可能、情報不足。
他者との関りにちゅうちょなし。相手は選ぶか? ソワラをある程度理解しているのに、心理的距離が大きい。
知能は? こいつは賢いはず。それともこれまでの物事は衝動的な行動力と運で解決したか、歴史による否定、ばかにできる業績ではない。
「認知は正確で、この性格で……」
ミドリノが呟く。
楽観主義でも悲観主義でもなく、自分にも他人も大雑把に接している。神経質ではない。だが明らかに、何かの強いこだわりがある。これはたぶん無自覚。
万能の無責任感は現実主義の恋人だ。プライドはかけらもない。これはほぼ確定、少なくとも自分にそう暗示をかけられる。
飛躍して捉えられがちな思考は認識力の高さからきているとよく知っている。自分もそうだ。
ミドリノの頭の中で、これまでルキウスから感じたものが有機的に結びつき、また分解してかきまわすのを何度も繰り返していた。そして不意に――
「この悪魔め!」
ミドリノは思わず叫んだ。
「なんだ? 悪魔は休業中だぞ」
ルキウスは慣れた調子で返した。ごまかす構えでごまかす意思はない。彼はこういう構え方をやる。だから読みにくい。
「お前はここにいない」




