道案内5
密林での二十キロ超は一日ではすまない距離だが、上昇した身体能力と自ら道を作る木々の前では問題にならない。感覚的には競技場トラックの三千メートルだ。
問題になるのは魔物で、全身が燃えさかる大猿の群れや、大型トラックサイズの人面獣やらが襲ってきたがルキウスが素手で顔面を砕いて殺した。
視界に入るや一瞬で距離を詰めてしとめる手際は一切の無駄がなくあざやかだったが、同時に機械的でもあり、ミドリノがこれまで感じていたスマートさを欠いた動きだった。
そこからしばらく経って遭遇した、装飾的な石の翼を広げ黄金のかぎ爪をもつ亜人は、打撃による頭蓋骨陥没で始末していたので、やはり強引な戦術と思われた。
土地が瘦せているせいか、やや開けた場所では約五十センチのコオロギの群れの中を走った。飛びついてくる個体もいたがすべて追い払われた。ルキウスによれば、元気なタンポポを食べ過ぎたもので、帝国の養殖場を脱出したフリーダムな個体群。
より森が深くなると、六本の腕を有するクモが進化して人間になったような生物の小規模な群れに樹上より襲撃を受け、ミドリノがそのほとんどの首を一刀で落とした。これは閃いた戦技〈断頭〉のおかげであり、ルキウスが途中で手出しをやめた結果だった。
目的地が近くなり減速したところでミドリノが口を開いた。
「余裕があるなら、ソワラとの話を聞きたい。今のもめごとの直接的な原因より、最初からがいい」
「そんなに気になる?」
「説明しないなら、彼女にお前が面倒な女って言ってたと告げる。ほかにもより効果的な説明を考え中」
「殺されるぞ。そもそも会わないと思われる」
「このまま行けば、会話の機会はある予感だ。俺の勘は当たる」
「……昔はそこそこ話し、共に生きた。ほかに相手もいなかったしな。新鮮な経験をくれた。そういう存在としては感謝している。その時点で親しかったといえるかどうか評価者の主観に依存する。一般的な間柄とはいえない」
「そこからの経過は?」
「時間はあったが途中変化などない。ある日、周辺環境が劇的に変化することはあるものだ。しかし環境でどれほど認識が変わるものか? 環境は生物の一部か、それとも個体のみをもって生物の性質とすべきか?」
「わかりにくいな」
「タケザサ君は、二十年ぶりに再会した人に前回の話の続きから話すタイプ?」
「幼子の時分は気にならない身分の違いが、分別がつくと気になるみたいな話かよ」
ミドリノ家はそれなりに特別な血筋だ。その他大勢のどこにでもある社会生活からはいくらか外れるしかない。
「すばらしい理解力だ! 時間が経った幼馴染に近い関係性はありそうだ。そう考えるとどうにかなりそうな気がしてきた」
ルキウスの声がはずむ。
「なら、社会環境の変化による立ち位置の自然な横ずれと、時間による認識の断絶? それにより発生した齟齬が補助要因か」
「それだ」ルキウスが軽快に同意する。「しかし今と昔で関係性が変化した人間などろくにいやしないな。どうにもならない気がしてきたな」
ルキウスは不必要に明るく、明確に演技的だ。
「どっちだ」
「何も考えていなかった頃なら、ずれはなかった」
「やることはすりあわせだろう。彼女にその部分を理解させられるのか?」
「やるにはまず冷静に接触できないといけない」
「そいつがさっきの機会だったようだが?」
「あせらずともいいじゃないか、道筋は示されている」
「状況が悪化したなら、次は会話になるとは限らんぞ」
「彼女は、攻撃ではなく撤退のために大魔法を使い、彼らを連れ去った。次がある。そしてこの計画を回避するのは困難だった。これでいいんだ。きっと機嫌もよくなってる」
「敵の計画に乗るしかないと? けっこうな信用じゃないか」
「そうか、そう見えるか」
ルキウスは自分の頭を指先でこつこつとやった。よく開かれた目は、どこを見ているかわからない。
「理解が深いと言い変えよう」
「あれは私の模倣だ。退却が遅いと感じられるが、そうでなくては意味がない」
つまり待ち伏せだと言っている。
ルキウスは歩くのが遅くなった。もう目的地まで一キロきっている。この星のふざけた魔法であっても届いておかしくない距離だ。
ミドリノは言い出すべきか迷っていたことをここで出した。
「重大なことを確認したい。結婚しているか?」
「重大だって? まったく無意味な属性だ。それが張りついても、腹はふくれず、楽しくもつまらなくもない」
「どうなんだ?」
「いや、してない。なんで?」
ルキウスはミドリノが発言に込めた気配を察した。
「絶対にしていない?」
「なんの疑念がある?」
「普通に生きていたら結婚する。それが自然の摂理だろ、なあ自然の術者。自然祭司はそこからも超越するものか?」
「若いと言った。結婚を迫られる歳でもない」
「本当にしていないのか? 婚約者やその類似品は?」
「元妻はいる」
「……してたならしてたと言え」
「結婚したこともなければ、妻がいた期間もないな」
ルキウスが冗談めかせる。
「俺は真面目に聞いてる」
「事実しか言ってない」
「ふざけてる場合じゃないぞ」
「世の中には元妻の突発発生があって、小さな三角のボタンを押すといくらでも出てくる」
ルキウスが投げやりになり、ミドリノは様々な考えを巡らし、黙ったままになる。
「そっちは?」
「してる」
「なんでそんなことに?」
ルキウスが顔を九十度かしげる。
「笑える事故みたいに言うな」
「だって結婚だぞ結婚。九割ぐらい逮捕と相似している概念だ」
「お前はどこかに逮捕されて穴掘り刑でも受けろ」
ミドリノは適当に返しつつも、結婚に不自由しない自信を見てとった。自信家の慢心ではなく、自然で安定した精神だ。
「それは罰にもならんが……君は家族を放置してこんな僻地に来たのか。大悪人だな。まったく、結婚しておいてその無責任はなんだね? 友人として恥ずかしい」
「この問題が片付いたら家に帰る。生きていれば飛んで帰る」
「だから死んでも復活できるから。余裕で帰れるってー」
ルキウスが力づけるように言ったが、非常に薄っぺらい感情が入っている。
ミドリノはこの復活を純科学的に解釈する。どこかに元データをコピーしていないと無理だ。そしてそれは復活というより複製で、許容性を増した言葉を増やしてもターンオーバーが限度。
さきほどのルキウスの話が思い返された。
会話がある間に移動速度は落ち、ふたりはもう散歩のペースだった。
「そういえば彼女に何を渡したか聞いてない」
「最新のお気に入りコレクションを渡した」
「貴重という魔道具とか?」
「昔のポスター集だ。あれが一番よかったから。こういうのだ」
ルキウスが、亜空間袋から箱や袋を出し見せた。その中身は、ガラクタや紙切れの集合体であった。分類学的に陳列された標本が止められた板もいくつかある。王道の昆虫、草花、鉱物もあった。
いずれもがなんらかのテーマで統一されたものだ。
「これは、あらゆる小キャップ集、機械の丸みがある部品、動物に見える金属片」
「それは金銭的価値があるのか?」
「市場がありそうなものもある」
ルキウスがやや厚手の紙を出した。乗り物がプリントされている。
「これは遺跡から出てくるおもちゃのパッケージだ。おもちゃ本体よりレア、最近集めてるけど、まだ数が全然ない。パターンが多いからこれが最強だと思う」
ルキウスが紙を順番に出し入れする。
「こいつをずっと持ち歩いてる?」
「いや、大事な物だから持ってきた」
ルキウスが理解を求める。
「謝罪にな、なんの謝罪か知らんが」
「別に謝ることもないんだが」
彼からなんとかしようという意思は確認できる。
「彼女は大事?」
この質問にルキウスの顔が空白になる。
「それを判断する段階にない」
「ああ面倒くせえ。そこを解決しないことには――まあ対処しようとはしたのか。実際には絶望的なとどめをやったらしいが」
ルキウスはまだコレクションを出し入れしている。見せたくてしかたがないらしい。
「こいつはガラクタ市で見つけた。ここ数年は新しい都市の残骸も多いから、新しめのは安い。でも生産止まったのは貴重品確定だ。これぐらいのチープな大量生産の感じが最高で……これは映画チケットのスクラップブック。まだかなり少ないが、最初に拾った誰かのは充実してる。それを追い越すのが当座の目標で――」
どこまでもしゃべりそうだ。
「お前、そんなことばかりしてるのか?」
ミドリノがおおいにあきれる。
「日夜人々の生活を支えてるぞ。これはマジで。きっと全部そろっていればいけたと思うんだよ」
「……で、どれを渡したって?」
「ポスターだ。特にホラー系を多めにして、ああいうタッチが好きだし。でもここにはない。渡したら、少ししてからぶっとばされた。ディープなところまでいってる人は趣味にうるさいから。破片を集めれば修復できると思うが――あ、どうかな、酸をぶちまけられているとまずいな。ひどいと思わないか。壊すなら返してほしかった」
「俺が後で跡形も残らぬように焼いておこう」
「なぜだ!? 一番大切な物を用意したんだぞ。なぜ味方がいないのか」
「お前が幸せに生きてきたことはよくわかった。しかしその中に正解はない。でかい宝石でも渡せ。高いのが自然の中にあるだろうよ」
「あれが一番大切なものだったから」
「相手が欲しい物を出せ」
「そこに心はない」
ルキウスが真面目な顔で納得を求める。むだにきれいな顔だ。
「お前に心なんてない!」
「ええ!?」
ミドリノの断言にルキウスが動じるも、すぐにダメージからたちなおった。
「いいかい、そもそも価値とは相対的かつ多面的なものであり――」
「彼女にとってはゴミだろう」
「彼女はわかってる!」
ルキウスが自信満々で言い、ミドリノはもはや信用しなかった。
「彼女はこれを集めるのにどれだけ時間がかかったか知ってるし、どれだけ大切にしてるかも知ってる。あの時だって、レニウダイスに行ったぐらいから集めていたものですねと――」
「わかってて否定されてるじゃねえか!」
ミドリノのパンチがルキウスの胸部中央を打ち抜いた。
「ごえ?」
反応できずとまどうルキウスが、派手に飛んで木にぶつかった。
「いてえ! いてえぞ!」
と言いつつもすぐに起きて歩いてくる。そこにミドリノが語る。
「何か贈るのはありだが……物にはストーリーが必要だ。そうでなくては特別にならない。つまり立派な花を摘んできて、これを君のために長く探しまわったんだとかやらないといけない」
「うそはよくないよー」
ルキウスのまったく心のこもらない言葉に再び拳がとんだが、腕をつかんでとめられた。
「楽しくおしゃべりしているあいだに到着だ」
ルキウスの意外な報告に、ミドリノは警戒態勢に入った。しかし敵襲はなく、ルキウスはさっさと森を進み止まった。
そこには奇妙にうごめく巨大な肉の花があり、中心部には穴が空き、深い道が誘っていた。花を支える葉の代わりにヒクヒク動く大量の触手がとりまいている。
「ダンジョンの入口だ」
ルキウスがすぐに疑問を解消する。
「生き物に見えるが?」
「彼女の魔法で作成されたものだ。あれ自体は無害」
「誘導だと、その気味の悪い物体に入った時点で距離ゼロになるが」
「中に入ればまた距離が出るはず。こいつは魔法で作成された異空間だから、先が表示されないんだろう」
「それは、この世界とは別のどこか?」
「どうかな……おそらくそうだが」
ルキウスはやや思案して回答した。
「入るしかないのか。お前、逃げる追わせられると言ったな」
「怒らせて引っぱりだせって? これ以上怒られたくない。怒ってる人は苦手だ」
「俺もお前のわがまま加減にそこそこ怒ってるが」
「怒らせた人は得意」
言葉が終わる前にミドリノの全力の拳が振り抜かれたが空を切った。彼が舌打ちする。ルキウスは五メートル以上避けていた。
「な? 得意だろ」
「この粘着質な地獄に入るしかないのか」
「やろうと思えば、迷宮の魔法ごと破壊できるが……」
ミドリノが彼に、やれば? の視線を送る。
「やらんよ。それをやったら終わりだろうし、何より退屈だ」
「やばそうだが対処できるんだな?」
「ここは彼女が作った空間だ。彼女にとって有利になる。こちらのほうが不利だ」
「勝てないということか?」
「殺し合いならそうだな」
ミドリノにとって予想外の言葉がポッと出た。
「彼女がお前を殺そうとしている可能性は?」
「ハハハッ」ルキウスが本気で噴き出した。「ありえないな。彼女が怒っているあいだは絶対にない。私はこういうのよく知ってる」
「死ぬかもしれんのによく言いきれる」
「怒ってる女性は安全だってこと。彼女だって例外じゃない」
ルキウスの中では異論の余地はなかった。そしてミドリノはルキウスが女を怒らせるのは頻繁なことだと悟った、彼には理解しがたいことだ。
「彼女はこれで何をやるつもりだ?」
「わからない、そこがいいんだが。封印はありえる。宝石に閉じ込めるとか、無力な人形に変えるとかな。私はちょっとばかりそうした魔術をくらいやすいし、彼女もそれは知ってる。迷宮は特定の道筋をなぞらせることで、儀式魔法を発動しやすい環境でもある」
「ほかの仲間は呼ばないのか?」
「彼らは仕事で忙しい。入ったとして、どれぐらいかかるか……」
ルキウスは迎撃を気にせずゴールを気にしている。
「うーん、急ぐべきだが顔を合わせても言うことが浮かばないな」
「そいつはすぐに考えてやるが。そんなに嫌でも【道案内】は必要なのか?」
「探し物には適している。人生には必要ないが」
「ずっと探させられるから?」
「ああ、君だって数日もすれば不都合に思えてくるだろう。まずは入ろう」
「まだ話はある。そいつを解決しないと会っても怒らせるだけだろう」
「大丈夫だ。君は強くなった。ちょっと考えられないぐらいな」
「人質がいることを忘れるな」




