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道案内4

「なんだ?」


 違和感を感じた直後には景色は元にもどっていた。集落の人々は外の戦闘に火がついた騒ぎだ。

 男集は狩りに出ているのか少ないが、一瞬の異常にとまどう時間はない。離脱コースは決めてある。部下に命令を下さなければ。


「そのまま黙って聞け」


 ミドリノは、この事態に硬直したテロテロの肩に手を置いた。無造作に彼の顔が回り、ミドリノは胃が圧縮される感覚を味わった。


 テロテロの顔はただれていた。かぶさる半液状の皮膚で眼球は確認できない。さらにドロりとすべてが溶ける。

 顔のパーツと服が流れさり、残ったのは、全身がぬめった皮膚の怪物。

 ぶよっとした幾筋ものひだが折り重なった顔は溶け続けており口も鼻もない。内側に曲がったアイスピックのような長い腕。足は小さめの印象。

 小さかった体格が膨張する。


 ミドリノはいつ自分の手が彼から離れたか知覚できなかった。

 逃げなくては、どこまでも逃げなくては、より早く。


 彼の行動は心情にそった。肩から手が離れると反転を始め、絶好のスプリント。


 ただし怪物は攻撃態勢。視界に違和感があった時にはすでにだ。

 尖った腕がしなり、すくうようにふり上げると同時に伸びる。その先端が下方より首に迫り、どうにか身をよじるも左目付近をずたずたにされ、血が散った。広い痛みでどれほどの傷かも不明。浅くはない。


 痛みにひるまず集落より離脱するべく駆けた。残りの二人もあの溶けた顔の怪物となって、無言で追ってくる。


 迅速な反応と裏腹に心は荒れる。鋭い腕はあの石斧より遅かった。かわせたはず、あるいは鞘で受けられた。ルキウスがいるという慢心、状況がいくらか判明し自己の身体が強化されたことによる油断。それが判断力を奪った。軍生活最大の失態。敵地での救出任務で気が緩むなど。

 

 彼の顔から散った鮮血が地面に後を残している。迷彩が生きているのかどうかはわからない。三体の怪物は、痕跡ではなくミドリノを直接追っている。


 見えているのか? そんなことはどうでもいい。三人が化け物になった。治せるのか? ルキウスなら治せると考えるしかない。この変化が魔法なら、解除も魔法でできるはずだ。論理的なようでまったく論理がないが、そう期待する。彼が治せるようになっているはずだ。それだけの力があるはずだ。


 危機は幸運も含んでいる。三人は機械的な夢中さで追ってきている。これなら、村の外に連れ出すのは容易。ルキウスならあんな怪物でも制圧して離脱できる。

 走ればいい。カポ族は混乱したまま。やるべきことは速く走ることのみ。


 固い風が頭に触れ、冷えて気づく。攻撃を受けたのは習慣も一因、相手の骨格を読み行動を最適化するのが彼だが、敵が物理的にありえない膨張と延伸を瞬時に行ったために対処が遅れた。

 それは自分にもできる。戦技〈加速〉〈疾走〉が発動する。昨日の部族の宴会でやっているのを見た。酒が入った彼らは魔法がなければ死人が出るレベルの騒乱を起こし、彼はそれをかぶりつきで観察していた。


 即座に怪物をつきはなす。それでも奴らは追ってくる。


 ここで気づく。【道案内】が後ろの方角を示していない。方角から、側面に回られたのかと警戒するがいない。広がる灰のおかげで見えにくいがいないのだ。なぜなら、距離は二十七キロもある。


「どういうことだ」


 それでも一直線に走り、森深くに入った。そこで急に浮遊感を感じ、足が大地より離れた。


「おおお!」


 何かの罠かとあせったが、下にはルキウスがいた。ミドリノは後ろ向きになり、肩に担がれていた。景色が後方へ流れていく。

 ルキウスは振動だけで内臓がやられそうになる速度で駆けている。枝葉が避けるのもまにあっておらず、足裏に枝が当たる衝撃を感じた。


「しくじった!」


 ミドリノが急ぎ報告する。


「らしいな。こちらもよくはない。でも悪くはない。状況が悪化したわけでもないし、経験があった分だけプラスとしておこう」


 ルキウスが呑気に言っている。

 空を白い物が高速で飛び、その軌跡より燃えさかる球体が三つ来る。ルキウスが走る方向を変えたが、それを追ってくる。

 ルキウスは周囲の木が一瞬で後ろに消えていく速さだが、火球のほうがはるかに速い。


「追撃弾が当たるぞ」

「知覚している」


 ルキウスがいつのまにか握っていた石を連続して投げた。火球がそれに接触し、空で大爆発が連続し、光を浴びて熱を感じた。


「【道案内】は騙されないのか? 正確か?」

「たぶん正確、どうなった?」

「【道案内】に従って行ったが、小人が急に化け物になった。俺は目をやられた」

「そりゃ大変」


 ルキウスが言葉に少し力みを含めた次に痛みが消え、視界の半分がもどった。眼球は修復されている。下手をすると眼底からえぐられていたのに。


「まずは礼を言うが、どこまで治せる?」

「死んだって生き返らせてやる。安心しておけ」

「その安心の内訳を検討するのは後にして……本気で生き返らせるって?」

「ちょっと金がかかるし、むやみにやるのはどうかって言われてるんで控えているがな」

「マジかよ。とにかく小人は怪物になって攻撃してきて、【道案内】は別の場所を示しようになった。こいつはどういうことだ?」

「チェンジをくらったか。油断したな、どこかで魔物を入手していたか」

「どろっと溶けた顔で、腕は曲がった針みたいで、全身は毛が無いしっけた皮膚」

「ああ、いや、解決のボジュスか。あんなものにも使い時があったか、触れないと発動しないのに。この状況ではありか、おもしろい」

「どうする?」

「まずは逃げるさ」

「道案内が誘導する距離約二十七万、直線ルートかは不明、ここに行けばいい。あのワープはできないのか?」


 縦横無尽に動く青い光弾の群れと木が爆ぜる音が後ろから追ってくる。

 またルキウスが走る向きを変えた。


「方角は?」

「あっちだ。ルートが直線かは保障しない」


 ミドリノが腕でさし示す。


「……そっちに向かうにしても後だ」


 見上げた葉の間より見える空飛ぶ白い影が、まっすぐにこちらを追う動きに変わり、ソワラだと認識できた。顔には期待していた誕生日を祝われなかったような不服が出ており、この戦闘には場違いな表情だ。


「やはりあの女か、とんでもないな」

「ただの遊びだ。本気じゃない」


 ルキウスは落ち着き払っている。

 大量の青い光弾が彼女から撃ち出され、ある程度まで空を来て一斉に森にもぐった。しばらくしてあらゆる角度から青い光が出現した。すべての光弾が器用に木々をかいくぐり迫る。


 ガサガサ、木々が一斉に動き出し、強引に光弾の道を塞いで壁となった。爆発が連続し、木片が激しく飛び散る。広範囲で森の木々が消えた。その景色もすぐに後方へ消える。


「どこが! 地形が変わってんぞ」

「あんなものでは死ねない。自然の中では、自動的に傷が回復するんだ。自然に祝福されてるんでな」


 ここで青い光弾が前より五個、大きく迂回してきたのだ。ルキウスはそのまま走り、立て続けに手の甲で払った。手の甲は赤くはれたが、すぐに健康的な色にもどる。


「ほら、彼女はじゃれているだけだ」

「俺は死ぬが」

「心配するな。この距離では透明な君は見えていない」

「そいつはよかったが」

「もっとも何か担いでいるのは認識しているから、それごと攻撃しているってことだ」

「つまりどういうことだ?」

「怒ってるだろうな。距離とられてるし」

「ここからどうする?」

「猟犬が来る」


 ルキウスが肩の力だけでお手玉でもするようにミドリノを上に放った。


 ほっそりとした青黒い大きな四足獣が、ルキウスの両脇の木より撃ち出された。追ってきたのではない。木の中を全力疾走してきたように走り出たのだ。


 彼は両膝を曲げて後ろに身を倒したスライディングで両方をやりすごすと、それぞれの足をつかんで引き寄せ、両方の頭と頭をつかんで打ち合わせた。グチャという破裂によって頭部が粉砕され、獣は黒いもやになって消える。

 そしてミドリノがキャッチされた。


「おいおい、攻撃が届いたぞ。このくそ馬鹿力様よ」

「見えたならたいしたものだ」


 ソワラが大きく息を吸った。何かがくる。


「死ね」


 よく切れる水晶のような声が四方より鼓膜に殺到した。全身が締め上げられて凍りつく寒気を感じ、意識が闇に落ちそうになったところで、体にまとわりついた尖った気配が去り、光が帰ってきた。


「死ねって言った! あれは俺向けか!? 違うよな!」

「騒ぐな。死んでない」

「死んだら騒いでねえんだよ! 勝利までの道筋は!? 次の手はあるよな? あると言え」

「まずは拘束魔法をぶちこんで、じっくり話を聞いてもらう。平和的にいこう」

「ならなぜやらん?」

「距離があって、彼女のほうが速い」

「なら無理じゃん」

「妨害策はある」


 ブブゥーという重低音が森を震わせ、無数の黒い影が森中からわき出した。

 ハチだ、ルキウスと会ったときに出た大きな肉食性のハチ。それが大挙して空へ上がり、ソワラの周りを黒く染めていく。

 ソワラがわずかに高度を上げ杖を大きく振る。すると彼女の周りに霧がボウッとわきだし、その中にハチがどんどん突入していった。


 ミドリノが経過を見守っていると、今度は霧の中から次々に影が落ちてきた。硬直した大量のハチが雨のように降り始めたのだ。多くのハチはまだ突入中だが結果は見えている。


「毒か、落とされたぞ」

「大きいだけの普通のハチだからな。矢なら届かないこともないが」

「やれ。俺はどこかに捨てていい」

「おいおいおい、彼女に矢を当てろって? 正気か?」


 ルキウスがばかにした。


「ハチはいいのかよ?」

「あんなものは、いいとこで目くらましだ」


 いくらか時間稼ぎにはなった。しかしハチがあらかた落ちると、また彼女は空から接近し、一定の距離を維持する。この距離は決まっているらしい。


「…………お前ら、知り合いだろ? それも付き合いの長い」

「なぜそう思うのかな?」

「お前も彼女もこの森の住民とは違う。同じぐらい浮いているぞ」


 ルキウスは黙って加速した。火球や青い光弾は絶え間なく飛来している。


「彼女はお前のなんだ?」

「どうでもいいことだ」

「お前の人間関係に関わる気はなかった。しかし、俺はこれを解決するためにここに来たと確信した」

「今でなくとも」


 ルキウスから触れられたくない空気が出ている。


「余裕があるなら今だ。そもそも何を争う? 俺は勘がいいんだ。この問題を解決できる。それともこの森にお前らふたりと会っている存在がほかにいるのか?」


 ルキウスが息を切らせて走っていないのはあきらかで、ミドリノをかばうために力を尽くしてもいない。


「彼女は本気じゃない。お前は攻撃しない。さっぱりわからん。規模のでかい夫婦喧嘩でもやってやがるのか?」

「はっ、とんでもない。まあ彼女は本気かもしれないが、いや本気なら戦わない。これはこれでいいこととも思わないでもないが、今は困る」

「彼女はお前のなんだ?」

「下働き」

「絶対に違う。労働などしそうにない女だった」

「間違ってはいない。とにかくちょっとした行き違い。それでまずは労働条件の交渉から入ろうと思うんだが」

「絶対にやめろ」

「でも重要だし」

「絶対にやめろ」

「でも――」


 強引にミドリノが会話を断つ。


「彼女との関係が正常な場合、彼女はどうふるまう?」

「待機中でないなら、ずっとまわりにいる。だから、ずっと見られても嫌だし、部下に話しかけられたくないときは警戒させておいたものだった。森でいろいろ設置したいときとかに、彼らはずっと私に背を向けて森を見ているわけだ。一日中な。その中で作業したり、ぼうっと景色でも見る。それが十年はあったか」


「金持ちの遊びかよ。ずっと森にいるわけじゃないだろ?」


 知りたいのは日常だ。そこに本質がある。少なくとも彼自身の軍務中の様子を見ても私的な人格は判断できない。


「あいにくだいたい森だ。いい感じの葉っぱや木の実を集めたり、珍しい虫を探して――。地面の痕跡に夢中になったときは、静かに円陣がついてくる」

「子供か」

「見つけた獣や人の骨のコンプリートを目指して途中でやめるとか。思い返すと不毛だな」

「それが問題だったと?」

「そうでなくなったのが問題だ。あのままなら彼女はよかったんだろう。ああ昔はよかった? ない感覚だ、どうにも……」

「……過去の状況が望まれたなら、お前すごく偉いの?」

「昔偉かったらしいが、私は偉かったことはない」

「謎かけをやっている場合か!」

「ここが問題の本質だ」


 会話中も緩急をつけた攻撃が飛んできているが、ミドリノはもう気にはしなかった。強烈な音が耳から脳を引きずり出しそうになった時ですら、会話を続けた。


「……お前が上ならもっと強く出てもいいと思うが」

「今回の事は確実に私が悪いので無理」

「なら納得のいく弁解をするしかないが、その原因を聞かないことには」

「ごめんって言ってるんだけど」

「そんな気軽なことではなく、次の機会に言うべき言葉を練らないと。俺が考えてやるから」

「いや、今言ってる」

「言ってる? 今?」

「そうだ。声が届く距離を維持して走っている」


 ミドリノは思考で意思疎通する魔法だとすぐに察する。同時に嫌な予感がした。


「今すぐ黙れ」

「なんで?」

「今日、会話はあった?」

「ああ」

「どうなった?」

「前回より怒ったっぽいかなー」

「何を言った?」

「お詫びに大事な物を贈ったが気に入らなくて。だからな、希望を言ってくれないとわからないって言ってるんだが。あ、やばい」


 ルキウスが停止した。ソワラも追っておらず、高めに滞空していた。よく見ると翅が生えている。

 ミドリノは頭の中に波動が照射されるのを感じた。


 ソワラを発射点として、圧倒的な放水が起こった。空を洪水が割って、水のきらめきが来る。

 ルキウスが飛行状態に移行した。木の少し上ぐらいを飛ぶ、そこを目がけて放水が追ってくる。分厚く広がった水のヴェールがさきほどまでいた場所に降った。大量の蒸気が上がり、放水が次のエリアに移り元の状況が見える。すべてが濡れた黒に染まっており、数百の木々が消失している。跡形もなく、何も残っていない。


「なんだあれは!?」

「酸だ。大丈夫、今の私に酸は効かない。君は防御ぶちぬかれて全部溶けるけど」

「だめじゃねえか!」

「君がいなければかわす必要もないがな!」


 ルキウスが極限まで加速し、ミドリノは話すことも困難になった。しかし放水は空へと広がった。時間差ですべてが降り注ぎ、周囲のすべてがあの酸に包まれ逃げ場は消えるそうだ。

 そこへさらに莫大な酸が降ってくる。普通の人間なら質量だけで死ぬ。森の消失はどんどん進み、ジュウという音がして、泡と白い煙が空へ湧き出している。


 ここでさらにルキウスが加速、その衝撃がミドリノを襲った。急成長した竹が、ルキウスを刺さんばかり突撃し、彼はそれをつかんだのだ。竹の成長速度に合わせて彼が移動する。しかし竹の根元が酸をかぶった。


 その時にはルキウスは離れていた。さらにいくつかの木が間隔を空けて巨大化、樹冠より飛び出した。ルキウスはそれを蹴って破壊しながら加速した。最後の木をつかむと地面に降りて根元を枯らし、それでできた穴に入り、さらに地面を掘り進み、大量の土でふたをした。


「しばらくこのままだ」


 ミドリノは言葉を返す気力もなかった。

 ふたりは時間が経ってから地上に出た。ソワラはルキウスを見失ったらしく、周囲は溶けていなかった。ソワラの姿はない。

 ルキウスはそれを確認して言った。


「まあいい。最低限の戦果は達成した」

「何も解決してねえ。彼女との問題が」


 ミドリノがすべてを押しとどめるように言った。


「こいつは難しくてな、時間が要る」

「まず希望を言ってくれがまずかったと、本気でわからんのか?」

「いや、プレゼントのチョイスだと思うが」

「俺はお前たちがわかる。お前たち以上にな」

「友と話をするのはいいが、まずは【道案内】を確認したい」

「ああ、だいたい同じ距離だ」

「目標はいっさい動いていないんじゃないか?」

「それは……」


 ミドリノはしばらく表示を見たが、いっさい距離の増減はなかった。拘束されているのか。


「やはりな」

「まさか死んだってことはないよな?」

「死体があればわかる距離だ。慎重に現地に向かうぞ」

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