原住民
「原住民と思われるが」
ミドリノは視線を左右に動かしつつ思案の渦を加速させていた。この三人が唯一の住人なわけはない。
肩から下げた皮の水袋では、長期間狩猟に出られない。彼らが水場の位置に通じているにしても、食料がないのだ。
せいぜい数日の距離に集落があるとみるべき。
「想定していた文明水準からは遠い」
テロテロは鋭い面構えで銃を強く抱えた。
「あれ、何言ってると思う?」
ミドリノは木から体を半分出して直立不動だ。この格好ではこっそり隠れられない。だから堂々と、余裕をもったいつもの口ぶりで言った。
「警戒してます」テロテロは控えめな分析。
「考えてもわかりゃせん」ボグンズは正しい。
「シュパシュパしてやろうと思ってる」マインボンは正確かもしれないが、解釈に教養を要する。
「でかい音を出したからな」
ミドリノは現状を招いた直接的な原因に帰結した。
原住民はまだ弓は引きしぼっていない。変わらず大声を出しているが、こちらへ向けた言葉ではなく横のやりとりとなっている。何かもめている。彼にはそう思えたが、激しく思えるやりとりが原住民の標準的な語調であってもおかしくない。
ただ、その表情には、彼らからすれば相当な異物であるはずのクルーたちへ恐怖はない。
「目を合わせず、ゆっくり後ずさりしては」
テロテロが言った。
「獣か?」
ミドリノは皮肉的に返したが、五歩後退した。原住民に動きはない。
「獣の一種です」
「常識的に考えれば、脅威にはならないが」
ミドリノは自己懐疑的だった。
槍も矢も、活動ユニットを貫通しない。まともな服を着ない文明水準では、関節技もない。そもそも接近させない。プラズマガンに妙な違和感があるが、発砲は可能。ただし残弾は十発ぐらいだ。撃たずにすむならそれが最善で、撃つなら確実に当てる。
原住民は話がまとまったのか、彼ら同士の距離をやや空け、じりじりと前進を始めた。
彼らは、唇を震わせてブブブブと妙な音を出している。なんらかの意思疎通手段と推測された。
「警戒しつつ後退」
ミドリノは木人戦と異なり冷静だ。
大きさは人間大、あれが哺乳類に似た生物であれば脅威ではない。
その思考が何度もミドリノの中で繰り返されている。
同時に、あの原住民が、木人のうろつく領域にいる意味を考えてもいる。
あの槍と弓で木人は排除できない。彼らはあれに対応できるのか。特別なまじないや謎の薬草の汁だとかで――
「友好関係だったかもな」
ふっと出たミドリノの呟きはヘルメットに収まる。状況は悪化している。
「全員下がれ。マインボンは先んじて行き、後方の状況を確認しろ。見通しのいい地形を探せ」
クルーが後退速度を上げたので、原住民との距離は縮んでいない。多少は焼けこげた木人の死体に気を払っていた。
こちらが彼らのテリトリーからひくことで彼らが見逃してくれればとのミドリノの淡い期待があったが、槍の男が速足になり、後ろに残った男は弓を構えた。
「ボグンズ、威嚇射撃」
ボグンズはプラズマガンは構えた。
宇宙法に基づくなら、原住民への攻撃は厳罰に処される。しかしこちらは孤立していて、前提にあるはずの科学力はない。
ボグンズが照準を下げて引き金を引いた。
ゴン! とミドリノの顔面に衝撃があり、態勢がくずれ、顔が勝手に右へ向き、体が浮きそうになった。彼は近くの木をつかんでなんとか倒れずにすんだ。
それでも、首が急にねじれてどうにかなりそうだった。ヘルメットの前面シールドには、大きなひびが入った。
ヘルメットが壊れた、などと考えるのは物資管理への責任感からの思考ではなく、現実逃避だった。
攻撃しなければ死ぬ。それは最初に持つべき認識。
それでも、やや遅れてだが、反射的とよべる時間で彼は的を左に求めた。
左の茂みの中から、新たな原住民が出た。石斧を手に走りよる者一名、後方で丸い石を抱えている者一名。これで計五名。
「攻撃! 撃滅しろ。そっちで正面をやれ」
左側は木々が密生しており、通過できる状況ではなかった。無論、視界もない。 だから警戒がゆるかった。
そして正面も加速した。うかつだった。木々の生い茂るこの密林では、接近は容易。敵は地形を理解していて、こちらの生体センサーは機能していない。
だが、まだ左も正面もまだ距離がある。撃てる。
すでにテロテロもボグンズも発砲している。そちらは完全にまかせ、ミドリノの担当は左だ。腹を狙って撃った。光弾が飛び、横っ飛びでかわされた。
尋常ではない俊敏性。走る動作も早送りのように感じる。
しかし、後方の石を抱えた男は再照準するに都合のいい位置にいる。直撃せずとも、近くの木々が高熱で弾け飛べばただではすまない。
一定の有効性は確実。
その状況で、石の男の動いていない手元から、何かがヒュッと飛来し、割れていたヘルメットを貫通した。ミドリノはかわそうとしてのけぞり、反動で光弾が大きくはずれ、近くの木に炸裂した。ギシギシと音が鳴り、木が倒れていく。
ヘルメットに撃ちこまれたのは、黒いカキの種に似た物体。頭までは達さず、ヘルメット部分でどうにか止まっている。と思われた。
種が一部が膨張しヘルメットの内部で発芽した。急激に細い幹ができバギバギとシールドを割っていく。葉も茂っている。まさしく、種、と結論づけるべきもの。
「おいおいおい!」
彼の目の前で暴れる植物に焦りつつも標的を探す。
「当たりません!」テロテロの声は焦燥を帯びていた。
ミドリノにそちらへ注目する余裕はない。
「とにかく撃ちまくれ! マインボンはフラッシュグレネードだ!」
種から出た植物は急激に枯れ果て、勝手にヘルメットから抜け落ちた。
魔法、そう呼称するしかない。根の突起と同質の現象。
「こっちは下がった! でも当たらない」
テロテロが報告した。射撃は続き、爆発音がしている。
「まったく、こいつらもか」
ミドリノはすぐさま石の男を探したが、もう身を隠していた。ならば狙うは石斧の男。森になじむ走りで近くに迫っている。
ミドリノが保持したプラズマガンを精密に動かし石斧の男を捉えると、石斧の男は高く飛び、瞬時にして完全にミドリノの視界を突き破った。十メートル以上の跳躍だ。
彼が上を追った時、石斧の男は二度木を蹴って横に跳ね、最後はまっすぐに彼の上方より迫っていた。ただしミドリノの照準は、その直線的な動きを読んでいた。
これぐらいの事は起こると、わかっていた。
彼の目線とは違う動きで、銃は敵が来るだろう角度を押さえていたのだ。
石斧の男はど真ん中を照準され、体はすべてが空中。引き金が引かれる。
石斧の男は、重そうな石斧を強く振りつつ全身をつかって空中で体をひねり、光弾は背をかすめるにとどまる。
必然、ミドリノの上より影が直撃する。
森を踏みしめてきたであろうかかとが、ミドリノの左胸部に突き刺さった。胸が重い衝撃で沈み、のどの奥より熱い物がこみ上げるのを感じた。それより遅れて、右頭部に強烈な衝撃を感じた。
ミドリノ視界が白に染まる。それが最後の記憶だった。
意識が復活した時、ミドリノは大きな木の檻の中で転がされていた。胸部がひどく痛む。体をよじるだけでより痛む。あばら骨が折れている。
時刻は夕暮れ時、つまり屋外にポツンとこの檻がある。獣の体毛らしいものが地べたに転がっているから、獣用の檻なのか、とにかく木組は頑丈で抜けだせそうではない。
扉のようなものは見当たらない。どうやって入れられたのか。
見ることだけはできる。まずは、檻にはりついている監視がいないことに一安心。
伏したままの地面と雑草が存在感を放つ視界には、原始的な集落がある。
家は、荒い加工の木材と、大きな葉っぱによる屋根で構築されている。ただし、 家を支える大きな木材のいくつかが、最初から適切な形状になるように育てられたように都合よく歪曲している。太さの緩急も不自然に思えた。
ミドリノはそっと長いため息をついた。さいわいなことに、ヘルメットの中にゲロをぶちまけてはいなかった。ただし割れて使い物にならないし、手触りからして右部分が大きく陥没している。
彼は軽く首を動かした。
「首はやってねえ。あっついな」
檻は集落のかたすみにある。家々が多いのは前方で、後方は森だ。広場で見世物にしようという趣向ではない。
家と家の隙間から人通りのある広い空間の一部が見えていて、そこを原住民が横切る。女が多く、その視線はほとんどこちらを向いている。だが引き返してきてわざわざ見る者はいない。なお、女も服を着ていない。
しばらく観察を続けたが、同じ様子が続いた。まるで彼などいないような村の日常だ。
しかしそこかたはみ出る者は当然いる。
原住民の子供がふたり。口を開かずじっとこちらを見つめている。ちょっとずつ接近している。脅威ではない。そう思いたい。あれが妙な現象を起こす場合、大人以上に危険かもしれない。
微妙な気配のにらめっこはそう長くは続かなかった。原住民の女が現れ、子供たち腕を強く引いてどこかへ去った。女はほとんどこちらに目をくれなかった。
汚らわしいとでも言わんばかりだ。
「嫌われている。どういうことかな」
フリーになった彼は、身動きを最小にして状況を確認する。寝たままだと思われたほうが好都合に決まっている。なんなら死んだと考えてほしい。
活動ユニットが衝撃を緩和していなければ、実際に死んでいる。
怪我以外の状況はすぐに知れた。
銃とバックパックは奪われたが、活動ユニットとヘルメットは着たままだ。一体化しているからそんな生物とでも思ったのか、ポケットの中身もある。
夜を待ち、ポケットの電磁ナイフを使えば、脱出できる可能性がある。
それを理解すると少し頭を回す余裕ができる。
きっと地球人が捕虜になるなど数千年ぶりだ。なにかしらの記録に残る。この部族に戦争という概念がない場合もある。その場合、ただ人質とでも呼ばれるのか。
うっすら目を開き、つまらぬことを考えていた。
ゆっくり原住民を観察できないが、横切る回数はそれなりだ。
結果、人とは違う住民を発見した。
小さなサルが少なくとも二匹いる。餌を与えられているから飼われている。
いかにも騒ぎそうな顔だ。あれが監視だとすると面倒だ。
そしてやはり、原住民は地球人に似すぎていると気づく。関節の可動域や、年齢による発達段階。
似ているといっても限度がある。見るほどに異様な類似性。
多くの惑星で生物は似たようなデザインになる。しかし進化の軸となった種がいるため、独特の癖が出る。口の中に口腕があるとかだ。それが感じられない。つまり、地球起源の生物群に近い。
これには大きな何かを感じる。地球人とアールヴが出会った時以上の何かを。
初対面でありながら、お互いが多少なりとも理解していたというあの状況。
「いかんな。分析より、まずは命の心配か」
檻の中にいるのはミドリノだけだ。あの状況で部下が捕まっていないとは考えにくい。マインボンは茂みにでも伏せてやりすごしたかもしれないが、テロテロは必ず彼をカバーするし、ボグンズは負傷している。
「部下に何かあれば皆殺しにしてやる」
彼は熱を感じ、背部にある化学合成式の冷却装置を起動させた。一日はもつ。
なんせ暑い。脱水状態に陥ることは避けねばならない。
蒸し暑さはより直接的になったが、周囲はやや暗くなっている。ここで遠くに服を着ている人間を見つける。しかし小さい。
原住民に囲まれて移動している。肌の色からしてここの子供ではない。
距離で顔がはっきり見えない。割れたシールドが邪魔だ。それでも、限られた候補から選ぶならテロテロだ。
彼はこちらに気づいた。ミドリノは少し指を立てた。
何か言っている。かろうじて、全員無事、なんとかしますから、と聞きとれた。
テロテロは女にせかされると強引に抱きかかえられ、どこかへ消えた。彼は困惑していたが、愛着を持たれているように見えた。
「あつかい違いすぎるだろうが!」
口の動きは叫びであったが、注意を引かぬように声量は乏しい。
「くそ、高級将校だぞ。少しは敬え。……古いか」
クルーが生存しているのは最大の吉報だ。
しかしそれより以前の謎が――まず心にひっかかっている謎があった。この状況で動くなら仮説ぐらいは立てておくべき謎。
「しかし、どういうことかな。あいつら銃を知っていやがる」
知っていなければ絶対に勝てた。
景色には、銃を思わせる要素がない。木の家、何かの動物の骨で作った飾り、遠くで見にくいが、女の首元にある石の首飾りや、頭髪にある鳥の羽。いずれも、複雑な加工はされておらず、まさに密林の未開部族だ。
「コレハコレハ」
という言葉が上から聞こえ、いきなり目の前に二つの足が降りてきた。いつ接近されたのかわからなかった。この白い足は、革靴を履いている。
服も着ている。それも白いドレスだ。完全に場違いだ。ある意味、ミドリノたち以上に浮いている。
角度のせいで顔ははっきり見えない。しかし影だけでもわかった。
「耳が長い」
アールヴの誰かが救助に来た? という疑問があり、すぐに否定された。言葉がおかしい。
人影で屈んだので、女だとわかった。
銀髪で金色の瞳、絹のような白肌に、極めて整った顔。目の形状に地球人とは違う癖がある。
「あんたはなんだ?」
これに女はややあきれて意味不明な言葉を発し、それに対するミドリノの反応を見てか、退屈そうにまた何かをぼやいた。
「ナルホドゲンゴデノイシソツウハコンナン」
表情に感情が見えない。寄ってきた以上関心があるはずだが、これは道端に転がる虫の死骸を見る目だ。しかし金の目がどこまでも美しい。
「アールヴにしてもなかなかいない」
「……アールヴトハフルイイイマワシヲスルモノデスネ」
ミドリノには意味がわからなかったが、アールヴという単語が彼女にひっかかったのはわかった。
それから遅れて何度か、彼女の言葉が脳内で繰り返された。
なぜか、意味が微妙にわかる。
宇宙標準語ではない。しかしなぜか……意味が染みこんでくる。脳がドクドクとうずいた。
さらにあの音が頭の中で何度も反響した。
意味の半分も理解できないが、構文から確信した。目の前の女は、日本語か、それに近い言語を話している。それ理解できる程度には、彼は己のルーツをまとっている。
既知の文明の枠から外れた不可解な物理現象、遠方よりの観測でも重力異常が感知された宙域、アールヴもどきから日本語を聞く。
きっと知っている知識だけでも、何かの結論に到達できる。
しかしひらめきはない。接続もできない。
「どういうことか」
彼が呟くと、女がまた何か言った。これは早口で音が聞き取れなかった。意思疎通は難しい。
ミドリノは後悔した。アールヴの言葉なら素でもかなり話せる。日本語も若い頃は学習していた。その頃なら、もっと話せたろう。
出世して艦への常時接続が可能になって以来、自分で言語を学習することはしていない。自己鍛錬であれば、ほかのことに時間を使っている。
女の瞳に吸いこまれる感覚があり、彼の頭の中で表現しがたい渦が暴れ、脳が過熱された。接続の感覚よりはるかに強烈で、頭の中をゴンゴン叩かれた感覚だ。
「ゴア!」
彼は痛みともいいがたい独特に感覚にたまらず声を出した。




