狂気の森の主
ジンは小さな町の郊外にある整備工場にいた。町は自律兵器に制圧されていたがここまで素通りしてきた。
工場の近辺には多くの車両と廃材が並んでいた。彼が工場の裏手にある車を押してのけると、大きな鉄のふたがあり、それを外すと中型車両が通行できる地下通路が顔を出した。
壁は砂利の多いコンクリートで、湿っているが小汚い所ではない。彼は暗視装置を起動して地下通路を進む。
長い一本道を慎重な足取りで行くが、機装の駆動音とこすれる足音はしていた。ほかの音は拾えない。
三十分ほど行くと、天井の高い部屋に出た。かなりの深度で基本インフラより下にある。
部屋には新たな道が三つあり接続できる。二階部分もあり、こちらが人ひとりが通れる程度の通路がある。
「二千は進んだ。走れるな」
『なら急げ』
ジンの頭に無感情な念話が来る。
ルキウスは小さな白蛇に化けてジンの首筋に巻きついていた。カスカカウベの中だ。頭部はジンのこめかみの後方にあり、彼が見ている映像をのぞいている。
「実は無口なのか? それとも人生の悪行の数々を懺悔しているのか」
ジンが歩きだした。
『魔力消費を抑えている』
「通常行軍で行く。トラップが無いといいが」ジンが速足になった。「ところで、身体能力は落ちてるな? 戦闘の衝撃で頭が潰れるぞ」
『そうなったらなっただ』
3Ⅾマップデータを見ながらの歩みでは警戒が緩むが、ジンはしばらく行き何もないと判断し走った。曲がり角では肘を壁に突き強引に曲がって減速をさける。
地下構造は広大だが、迷路のように入り組んでいるわけではなく、頻繁に分岐点に遭遇しない。彼は前線を突きぬくのと同じように地下を駆け続けた。
目的地は大皿の中心直下近く。地下約六十キロ、地上約五キロ行く。
警戒しながら探索すれば七十二時間は要る。しかも地上で何かあって崩落すれば終わりだ。目標は二十四時間以内の到達。まっすぐ接近できないが、もう二十キロは地下を移動しただろう。そうなると上は帝都の郊外になる。
帝都市街地下に接近したからか、これまでより直線が短くなり、小規模な脇道が増えた。
脇道は土が露出していて、すべすべした表面は固まっている。これの多くにはつるはしなどの痕跡がない。魔法で掘られている。
ジンは入念にマップデータを確認して、帝都中心部へ向かう分岐路へ入った。ある程度の幅がある道は頑丈そうであまり傷んでいなかった。これも直線的で、かなり遠くまで見える。
長く黙っていたルキウスが口を閉じたまま言った。
『違う』
「道か? マップデータだと何も」
『中央まで距離があるにしては方角が違う。戻って白っぽい壁の周囲を調べろ』
ジンは何も言わずこの指示に従い、部屋の壁の一部を調べた。
「何も無いが、魔力センサーが反応している」
彼は壁を叩いてみたが音に異常はない。魔術的な印も見当たらない。彼が考えていると、ルキウスがインベを開いてランタンを床に落とした。これは【フォルセティの銀灯】だ。
『これで壁を照らせ』
「悪魔の道具か」
ジンがさっさとそれを使うと壁は揺らめいて消え、大きな通路が出現した。
「手間がかかっている」ジンが若干うなった。「こいつはマップにない」
『本筋から外れる仕掛けが定期的にある』
「どれが本筋で、本筋はどこに行く?」
『帝都中枢に決まっている。ここらは使われているぞ。床の痕跡を見逃すな。荷重がかかる床は削れる。苔やカビの生え方も変わる。湿気が多い所も怪しい』
「俺は追跡者でも冒険家でもない。期待するな」
『センサー調整での対処は?』
「通常任務なら部下がやる」
『この作戦は、部下にひきとめられなかったのか?』
「単独行動は基本だ」
ここからは地下道がレンガになっていた。大きな道なので走りやすい。その道もやがては途切れ、分かれ道となった。次の道筋はわかっていたがルキウスが逆方向の小道に興味を示した。
『そこを確認したい』
道はすぐに突き当たった。造りからして不自然な突き当りだ。
「悪魔め。こいつはどうするんだ」
ジンはあのランタンを使用したが変化はない。
『魔力反応があるレンガを強く押せ』
ジンが言われるなり実行するとレンガの壁がスライドして扉が現れた。ジンはそれを開けようとしたがガタンとなっただけだった。
「鍵かかっている」
『薄い』
ジンはすぐプラズマブレードで扉を斬って床に転がした。
現れた部屋は白い壁で清潔な印象で、アサルトライフルやプロテクターが整列している。積みあがった箱の中身は細かな装備や弾薬で、視線を上げると天井に電球がある。
「派手な横流しをやってくれる。鉢合わせしたらぶん殴ってやる」
『佐官のくせにわからんのか?』
「どういう意味だ?」
『帝国の密輸業者は、魔術師で、しかも几帳面な陳列の専門家らしい』
ルキウスが含みのある言いようをした。
「地下を這いずるのはうちの任務じゃない。歩兵とて塹壕内がせいぜいだ」
ジンは部屋の中にあったもう一つの扉を開けた。階段が上に向かっていたのですぐに閉めた。
『これは官製だ。道中はかってに拡張された痕跡があったが、主要な道は直線的で速く移動できる。きっとどの出入口もきっちり管理されている。ネズミの駆除業者も出入りしてるさ』
僻地にあるコモンテレイの地下遺跡とは違い、帝国が設計したとの推測。
「大隊規模の悪だくみだってことだ」
『不正ではない』
「陸軍の管理手法ではないぞ」
『用途は、要人の脱出路、安全な物資貯蓄、地下からの攻撃に対する備え。おそらく帝都中枢には、緊急事態に耐えるための食料工場や医院などの予備インフラがあった。犯罪組織も使っていただろうが、そこもうまく利用していたのだろう』
ルキウスはずっと地下通路の性質を分析していた。目的地までの安全性と必要時間を推量するには重要だった。
確実に専門の部隊が物資貯蔵庫と地上入口近辺に配置されている。しかしここまで誰とも遭遇していない。帝都中心部の地下は壊滅、外周部の人間は避難した。
「悪い奴の発想だ。それでどうなる?」
『地下通路の信用性が増した』
というわけでジンは軽快に走ったが、そろそろ市街地の下へ達するという所で警戒態勢に移行した。
通路中央に、ポツンとあるアサルトライフル。乾いた血だまりの中には複数の薬莢。血は多いが、近辺に死体はない。代わりにそれを引きずった跡が横道の奥に続いている。
「知見は?」
『やったのは、人とイジャ以外で三日は経過、極度に昔ではない。被害者は大きな外傷で大量出血。点々とした血痕は空だから飛び散ったものじゃない。こすれて、定期的、足跡だ。犯人は複数か、多数の足がある』
引きずった血痕の近くに、点状の小さな血痕が多くある。あまり規則的ではない配置で、これを残した主はしばらくここをうろつている。そして死体を持ち去ることは優先度が高かったらしい。
「山羊足を底に付けた足長曲芸師が犯人の可能性は?」
『否定できない』
「あるときたか」
『ピンヒールのような足は狭い足場では便利で、ヒールを伸ばす魔術師もいる。低水位を走るには細い足がいいし、草地やぬかるみでは深くささった痕跡を意外と発見しにくい』
「地下に人がいるのはわかった」
ジンがしみじみと言って屈み、血痕を確認した。
『関わる必要はない』
「交戦規定では、戦域に帝国臣民がいる場合は保護すべしとなっている」
『そんな場合か』
「俺は帝国の剣だ」
『本気か?』
「敵の確認は必要だ」
ジンは横道にそれてしばらく索敵したが、結論は「わからん」
血痕が消えると彼は何も追えなくなり、本筋にもどった。
「迷子になるつもりはないさ」
ルキウスは、追うべきはより小さな道であると理解していたが何も言わなかった。
ジンはあきらかに警戒感が増し、規則的な歩幅になった。その足音に、ズー、ズーと木をこすり合わせるような音が混じり始めた。どこからしているのかわかりにくい音だが、センサーはある程度方向を特定している。
ジンはその音の元を追って小道に入り、角を二度曲がって発生源を捕捉した。
全身が青黒い一見して虫と思える生物で、低めで横に大きく、体重は成人男性まではいかなそうだ。
スコップに近い形状の鋭利な前足に隠れた顔には、隣り合って並ぶ四つの目があり、その下の口にむき出しの歯が並んでいる。
頭を下げて前足をもたげて構え、後方の腹部はひょうたん状でやや長い。甲殻で覆われた体を支える足は太く頑丈そうだが先端で急激に細くなっている。
『毒液を噴く。尻からだ』
ルキウスが警告し、剣を抜いたジンが敵ににじり寄る。虫はより姿勢を低くし半歩後退、腹部を反らせてジンに向けた。ボチュッと先端からまとまった緑の液が飛ぶ。
ジンがそれを最小の挙動でやりすごしつつ斬ると、熱で即座に蒸発した。
虫がもぞもぞした横歩きで左右に往復し威嚇する。その動きが止まるとまた毒液が飛んだ。しかしそれは彼のフェイントに誘導されたもので、そのすきに彼は接近して斬った。
体の前半分が割られた虫は、仰向けになり六本の足を痙攣させた。それもやがて止まる。ジンがビームブレードをさやに収めた。
「こんなものがいるとは」
『〔軋虫/ケレレ〕だ。雑食性で金属まで食べ、地中で活動する。目は見えず、音で周囲を認識する。嗅覚はそこそこ。接近戦は好まないが、地形に同化して待ち伏せする場合がある。熱センサーにはかかりにくい』
攻撃時に、通常は下に隠れている柔らかい腹部が露出するのが狙いどころだが、外骨格を斬れるジンには関係ない。そして地下道ではなく、地底の洞窟などですごす蟲だ。
「強力か?」
『いや。だが毒液は粘性があってへばりつく。接近戦は望ましくない』
彼らの巣穴は狭いのでそこで戦う場合は脅威になる。
「ふむ」
『巣を探すと言うなよ』
「わかっている」
ジンの言葉に特にいらだちはない。彼は害虫駆除業者に転職することはなかった。
思いのほか順調に進んでいる。地下の残り距離は十キロをきろうとしていた。
そろそろ地下に自律兵器が現れるはずだ。
ジンは状況に適応し、りきみのない自然な警戒で進む、また一つの角を曲がった。
「うおお!」
悲鳴か雄たけびかわからない声が反響し、ババババと銃声。ジンがすでに横道にひっこんでいる。通路中に銃弾が命中して跳弾した。
「おい! やめろ!」
ジンがどなって機装のライトをつけた。銃撃がやむ。ジンが顔を通路に顔を出した。
「ローレ・ジン大佐?」
銃撃者は不安と疑問に満ちていた。さらにその隣に武装した男がもう一人いた。
「そうだ」
「本物の?」
男はまぬけな顔をしている。
ジンは二人に普通に歩いて近づき声を張った。
「偵察任務中だ。ここは地上ならどの辺りになるか?」
「ポルタッツ地区だって聞いた」
「ほかにもいるのか?」
「そりゃあもう」
二人は、バリケードが構築された広場に案内した。ここも複数の道の接合部になっていて、複数階層に接続している。
暗い顔の薄汚れた人が大勢いて、部屋中に座っていた。四、五十人はいる。道に先の部屋にもいるようだから、百を超えてもおかしくない。
「おい、これが軍か?」
ジンが皮肉を機装の内側に向けた。
『それらしいのもいる』
「ここに住んでいるのか?」
ジンが案内者にたずねた。
「とんでもねえ。もっと上に住んでた」
「避難者にしても多いようだが」
ジンが人々を気にしていると、都市部から砂漠の廃墟までどこでも生活できそうな風貌の老人が近づいてきた。
「もとはといえばぼっちゃんのおかげでな。なんとかやれてんのよ」
「どこの資産家の話をやるつもりだ?」
「昔は地下室とかで暮らしてたのよ。下水やらほかの空洞やらに接続できるとこで、はぐれ者が来る。そこに子供が来た。帝都じゃそんな子供は珍しいが、あいつは一層特殊でな。強力な超能力者だった。世話したりされたりで友達になった。それからあれも大人になり、いろいろと協力して情報を流したりしてな。したらもっとお友達が増えてよ、代わりに生活設備をもらった」
「それがここか?」
「そいつは上階。穴でもぶちぬけばすぐだがルート的にはかなり遠い所で、ここはお国の何かだ」老人は口元をもちゃもちゃした。「あるのは知ってて近寄らなかったが、あっちはやべえから使ってる」
「やべえとは」
「ゴゴンと衝撃があって、上のほうは崩れちまった。そんで下に来たら、翌日から化け物が出やがった。英雄さんにはあれをなんとかしてもらいてえな」
「善処するが偵察任務中だ」
「ついでぱぱっと斬ってもらいてえが」
「排除するにもどこにどれだけいるか不明だ」ジンが言った。「そもそも俺は地下全体の構造を知らん。帝都の中心部を偵察したいが現在のルートがわかる者は?」
「道はわかるが、かなり崩れちまってるよ。それにあっちの仲間からは機械に攻められてやべえって通信が来てから、応答なしよ」
イジャが地下に入っているなら、その近辺の地上への道は生きている。
「西へ行け。ほかの地上部は機械に制圧されてる。ここにとどまれば全滅する。今すぐ出ろ」
「西もあの蟲がいやがる。一番太い道が使えねえしほかはわからん」
これにジンはレーダーとマップデータを確認して答えた。
「わかった。俺があれを駆逐して道を作る。代わりに地図を用意しろ」
そこにつなぎ服の若い男が来た。
「俺が奴らのいる区画に案内しよう」
「ああ、そうしてもらおうか」老人が男を見て言った。
つなぎ服の男に案内されて避難民がいる区画を出ると、男が名乗った。
「心覚軍管理部応用処理科所属のベケット大尉です」
「ここに避難したのか?」
「そのようなもので、近い地下は通信可能ですが、地上の軍とは途絶してます」
ベケットはどうしようもないという感じの笑み。
「彼らとは親しいのか?」
「それなりの付き合いってやつです」
ベケットのふるまいは、心覚兵にありがちな上品さや常人との隔絶感がなく、酒場にたむろする若者に近かった。
「コルタ三一という出口まで行きたい」
「確実とは言えませんが、あそこにはあの辺りの居住者もいます」
「その情報を集めてくれ。なんとか退路は作ってやる」
ベケットは道を案内すると、避難民の所にもどった。
『また寄り道か』ルキウスが言った。
「情報はいる」
『近くにイジャは?』
「地上部にはちらほら。同高度、低高度には存在しない」
『そのレーダーに地下の運用実績はない』
「遠くの地下にいるイジャは捕捉できている」
『地下のイジャが多い箇所を拡大しろ』
表示されたレーダーには、地下の一定深度にイジャが広がっており、前線ができていることを示していた。
ルキウスはシュルッと機装から抜け出し、人型にもどった。
「道を作るなどと、できもしないことは言うな。あれは千匹単位でいる」
「出ていいのか? 透明人間として下から接近する計画だが」
「あの攻撃で地下に破壊がおき、軋虫の巣穴と接続された。あれとイジャはずっと地下で戦闘していたんだ。奴らは地下の脅威は認識済みだ」
だが深刻とは考えていない。地下でも自律兵器の挙動は同じはずだ。都市部の人間を殺傷するのと同じように駆除しているだろう。
「虫は私が退ける。そっちはもどって入念にルートの確認しておけ」
「了解した」
ルキウスは小走りに移動した。人間サイズの蟲の千匹程度は森の外でも恐れない。ましてや軋虫の武器である毒は彼に効かない。
彼は虫の特徴的な匂いをたどり、二匹の軋虫を発見し、即座に一匹を叩き切り、残りを剣の腹で払って遠くに転がした。
彼は起き上がろうとバタバタしている残りに関せず、死んだ個体の腹を裂き、剣で中をいじくって開くと中に手を入れた。
「あった、臭腺」
毛の茂ったニンニクみたいな臓器が取り出され「〔群れの仲間/スウォーム・メイト〕」臭腺が輝きとなって消え、その輝きがルキウスに降りかかった。
ちょうど残りの一匹が起きたが、それはルキウスを威嚇せず、彼の足元まで来て触角を動かした。それから周囲を歩き、何かを言いたげだった。
「労働条件の愚痴話をしたい気分じゃない」
彼は虫除けの香を焚いた。軋虫が香を嫌って移動すると、ルキウスはそれを追った。
「全部斬るとベタベタしそうだ」
ルキウスの目の前には軋虫の行列ができており、それを守るように大柄でとげとげしい軋虫がいる。彼ら自身が掘った道が下から続いている。ただし穴の端には、衝撃で亀裂が広がった痕跡がある。
イジャの破壊砲で地下構造が破壊され新天地のエサを嗅ぎつけたか、衝撃に驚いて住み家を移そうとしている。中央方面から来ているのだろう。
「兵隊がいるが、こいつらは縄張りに入らなければ平和的だ」
ルキウスはここでも香を焚いた。軋虫はしばらくとまどって右往左往していたが、最終的に穴の向こうに消えた。彼はそれをぼうっと見届けると、石壁で亀裂を塞ぐ。そして帰る。
「奴らが新たに掘った穴を塞いだ。だいたいは元の道にもどったが、すぐに別ルートから来るぞ」
「そうか」ジンが機装の顔部分を開くと、ルキウスはまた白蛇となって中に収まった。
あの避難民は西への避難を開始するようだった。それを見送らずジンは出発した。
『満足したか?』
ルキウスが二股に分かれた舌を出し入れした。
「彼らからの情報で目的の出口には出られそうだ」
そう言ってすぐに小型がフラフラと浮いて現れた。ジンがそれを凝視し動くのをやめた。それは何かを探す動きでジンの横を抜けていった。
「挙動に変化はない」
『そうか』
ジンが移動を再開する。
「目的地に到着したとして、どうやってあれをやる」
ジンはここで初めて手段をたずねた。
『神を召喚する』
「お前の神か」
『ああ、私だけが呼べる』
「狂言と言いたいが、できるんだろうな。教会があれこれ儀式をやっても神は出ない。その差はどこにあるのかね」
『神を呼ぶには基本的な召喚の手順で門を開くだけでいいが、普通は拒否される。そこを超えて完全に顕現させるには、強力な力を貯めた魔道具とかがいる』
「そいつを使うから奴らに狙われる」
『狙われるが、目的地そのものが力が蓄積した儀式場だから破壊はされない。私は呼びかけるだけだ』
ルキウスはすでに混沌の気配を感じていた。体の内がうねる感じがする。
「そんなものが帝都にあるのか?」
『我が神の神域たる狂気の森とは、罪人と英雄が瞬時に入れ替わり、混じり、昨日までの正義は今日の巨悪となり、明日には狂気とされる場所だ』
「まともじゃない」
『混沌が極まった場所にこそ、神は顕現する。信用できないか?』
「いや」
『よく信用したものだ』
「お前より強い奴を知らない。他人が俺を見る気持ちが知れた」
ここから二人は黙っていた。その間に九機の小型とすれちがった。階段を上がり、上層に入るとイジャの密度は顕著に増えた。壁越しも含めると十メートル以内に入ったイジャは三十を超える。
そして彼らは地上に出た。出口は半壊していたが、がれきを押しのけて地上が見える。
景色は真っ暗だったが、破壊の限りを尽くされた荒涼とした世界なのは体感できる。所々にがれきや金属が転がっていて、地面のかなりの部分が溶岩が流れた後のようだった。建物や地殻が溶解した後に固まったのだ。溶岩と異なる点として、波や針の形で固まっている地形が目につく。
そして大量の自律兵器がいた。小型と中型はうろうろしていて、大型は定位置で停止している。
「ここまでは順調だったんじゃないか」
ジンはがれきを外に投げて転がした。がれきの近くに小型が飛んできた。それは近くをサーチしていたが、なんの意味も見出せなかったのか離脱した。
『ここからはあれの真下を歩くしかない』
「まともに歩けん。スラスターで強引に飛行すればすぐだが」
『透明人間でいるには努力が必要だ。彼らの索敵パターンが切り替わることはやるな。奴らが光学情報を重視すれば我々は終わる』
空には小皿がとどまっている。あれがジンを捕捉して異常を示す要請をAIに行えば、AIが情報処理のパターンを変える。そこまでいかずとも、小皿のパイロットが機体の制限をマニュアルで解除して不審なものをとりあえず撃っておこうかと思えば終わりだ。
そもそも、ここではそんな制限すらない可能性だってある。同士討ち防止装置は基本だとしても、シールドがある大皿は撃たれてもなんともない。イジャにとって理解しがたい脅威の排除が最優先。
ジンが大皿の影の世界へ一歩目を踏み出した。それから周囲を一式確認するとゆっくりと歩き出した。目的地まで一直線だ。なんせすべてが破壊された景色で目標物がない。距離と方角だけで進んでいる。周囲を見ることもない。
彼は大型のすぐ後方を通った。
その時、大型が旋回した。砲塔がジンのほうを向く。ジンは動きを速めその射角から歩いて逃れる。大型は彼がのいた場所を通って歩いていった。
ジンは額に汗をため、ルキウスは無表情だった。
この出来事の間も、ジンはずっと前進していた。
次には小型が来て、少し上からジンを見つめた。その高さで彼の周りをゆっくり一周してからまたどこかへ行った。
どの場所を歩いていても、自律兵器が多数視界に入る。そして頭の上の小皿が何をしているかは見えない。
爆発の中心地はほぼ溶けていたが、それから外れるにつれがれきがより増え、人の死体もあった。より歩きにくい地形になり、足元のがれきは頻繁に崩れた。
自律兵器はこの音には反応しなかった。
緊張の中で到着した目的地にもがれきの山があった。大きな建築物が、爆発で飛んできた廃材をためさせたらしい。
至近距離には自律兵器はいないが、大声で会話できる程度の範囲には百以上いる。中型は廃材の回収を続けていた。ここは掘っても掘っても廃材だ。
彫刻がある壁の一部が残っていて、ジンはその隣で足を止めた。ほとんど面影はないが裁判所の大法廷の一部だった。
『ここらでいい。秩序にめりこんだ混沌のしっぽを感じる。これを引けば何かが飛び出す気配がある』
「やるか?」
『いや、西の遠くを見てくれ』
「何が……」
ジンが西を見た。大きなふたの下に山脈がある。ルキウスはそれを確認した。
「術式に必要な条件があるのか?」
『周囲の遮蔽物などを確認している』
自律兵器とのあいだにがれきが積もっているほうがいい。遮蔽物なしではさすがに出た瞬間に即死する。
「それを考えるとイジャの配置は悪くない。どこに出す?」
『そこのがれきのすきまだ』
ルキウスが指定したのは積みあがったがれきの谷間。
「では出すぞ」
『ああ、開けろ』
ジンが頭部の前を空け、ルキウスが人型にもどる。
レーダーのイジャの動きが一斉に変わった。すべてが急速にこちらへ向かっている。
ルキウスは地面に伏せ、感じる混沌の力を握った。
「来い」
「反応したぞ!」
ジンは頭を閉じながら動いている。バックパックのジェットで近い自律兵器へ駆け、両断した。さらに二機目を斬る。ここで引き返した。逆方向から中型の集団が来ている。あいだにがれきがあるが、上から来られるとどうにもならない。
幸い彼はこの状況でも無視されている。やや不格好な飛行になったが、中型四機を斬り捨て、残った数機を体当たりで押し返した。
ルキウスは強力な魔力を帯びている。空間が歪み無数の渦巻きとなり、彼のいる所へ吸い込まれている。彼は何かを空間から引き抜こうとしたがびくともしない。
(まだ発動してない。混沌が集まるまで少しかかる)
ジンは接近する小型、中型を驚異的な反応で駆逐した。ルキウスは伏せたまま遠くのがれきの山を見ていた。それが上からこちらへ崩れている。
すぐにその山の頂上に大型が姿を現した。それががれきの山を下り、こちらへ移動している。やがてそれが停止した。発射態勢だ。砲の動きはよくわからないが確実に照準している。
(直撃でも死にはしない)
ルキウスは植物へ変えた体をがれきの隙間へ浸透させている。しかし魔法を潰されることを防げるか? 空間の歪みはさらに拡大している。その中心となっているのはルキウスだ。被弾で魔法が破壊されうる。次はない。
ガーン! 金属的破裂音がして大型がいきなり横転した。破片が飛びちっている。同じような破壊音がまた聞こえた。音が連続している。ルキウスの視界外で自律兵器が減っている。空からは小皿が墜落した。
スカーレットの援護だ。ただし、そこら中のがれきが、ボゴン、ボゴンと破裂している。これは外れた弾、精密射撃ではなく連射だ。
彼女の位置は西方の山の上。空気抵抗を無効化できても重力はある。スコープ内にターゲットはいないはずだ。
この間にも空間の歪みは大きくなっている。
ルキウスがつかんでいた何かを引っぱると、何かの栓が抜けた感触があった。魔法が発動する。
「ゴフッ」
ルキウスの視界が一瞬赤に染まり、変にむせた。
何が起きたかはわかった。ほぼ直上より小皿の光線連射。腹が猛烈に熱い。さらに右手は消滅していた。
赤がまた空から降ったが、ルキウスより遠い場所に落ちた。おそらくジンのほう。かわし続けることはできないだろう。
ここでルキウスはにやりと笑う。彼が無くなった右手を置いていた場所で空間が揺らめき、渦を巻いていた。渦はどんどん大きくなっている。光線が直撃したが、渦は回転を続けているのだ。速度も速くなっている。
(もう発動してる。止まらん)
〈神格〉を有する職業では、多くの超大魔法が、自ら軛を解き放ち、現実次元で真の力を発揮させる場合が多い。魔法名はその神の象徴的な武器や権能に基づく。しかしルキウスの〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕では違う。
超大魔法〔降臨/アドウェントゥス〕
種別・特殊召喚 コスト 召喚者の狂気の森への送還
〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕が、一夜にして秩序から混沌に至った地の核でのみ使用可能。
召喚者たる神格の神域へ送還をもって 森に注がれる実りの光が現世に〔狂気の森の主/グレートオールドワン・ヴァーダント〕を降臨させる。
新たな混沌が出現し、宇宙より一つの秩序が失われるだろう。
これが解説だ。
同じ神が同じ神を召喚する。意味不明だ。召喚できるなら神はすでに降臨している。これは神に仕える者が使用するタイプの魔法だ。
しかし今のルキウスにとっては理解は簡単だった。
「全責任ぶん投げ……ハハハ」
胸部を失っているせいでほとんど声は出なかったが、彼は心から笑っていた。これほど楽しい事はない。
彼の体は霧となって軸の乱れた多重の渦巻きとなり、渦は無限に加速して、発生していた渦と重なった。暗い暗い渦の中心が極限の輝きを宿した。
渦の底に強引に押し込められている光があふれ、そこに赤い光線が殺到した。
「効かーん」
気の抜けた声がして、ルキウスの代わりに一人の男が立っていた。
サファリハットを浅くかぶり、サイズがあって見えるベストには隠し収納が多く、ベルトポーチはガジェットで一杯だ。足には走行能力補強靴。
彼は光線の中で平然としていた。そして撃たれ続けた。撃たれて撃たれて撃たれた。
「効かんと言っているだろうが!」
彼は不満を叫んだが、赤い光線は密度を増し続けるだけだ。
彼はそれになんらかの納得をして大仰に何度もうなづいた。もっともそれも外からは見えなかった。
「歪曲せよ」
彼は指をパチンと鳴らした。赤い光線はあらゆる方向から来ている。彼はその光線の中だ。声だけしている。
「歪曲だよ。歪曲。空間ごと曲げろ。まぶしいんだよ」
彼は気安い注文を述べる調子でいらだっていた。それでツカツカ移動したが光線は追ってきた。走っても追ってきた。
「誰の仕業だ。ナリモリンか? お前だったら――」
急に赤い光線が彼から引いた。すべての光線が彼に当たる手前でUターンし、発射元の自律兵器をことごとく破壊した。
彼はそれにウンウンとうなずき、途中で頭が急に右に傾いた。彼が帽子の左を探って何かをつまんだ。そこには潰れた銃弾がへばりついていた。
「酷いことする」
フッと乾いた笑い、それから帽子をかぶりなおした。
そこで露呈した顔に収まった緑の目は、熟れて破裂しそうな果実で、皮膚には、内側から出ようと暴れる何かを抑えたと思えるしわが刻まれている。
それなりに年を召した男で、何かを我慢した落ち着きのない表情には、無敵の自信とぎらついた好奇心があふれている。
彼は天を仰いで感情をあらわにした。
「さっすが私! それでも私! どこまでも私ィィィ」男は一息ついた。「調整など必要ありませんでした。ネラと違ってな」
彼は帽子のつばをくいっと上に上げ、目を上に寄せた。
頭上の大皿はその中心に強烈な赤の輝きを宿していた。帝都を一撃で終わらせた破壊砲の発射準備だ。
彼は余裕の笑みでそれを待った。
大気が絶叫し、彼の頭上に破壊砲が落ちる。暗かった大皿の下は赤の輝きで満たされた。
「わたくし、なんと唯一神バージョンとなっております。しかも対イジャ仕様」
男は自信に満ちていて、強大な赤の雨の中で無敵の傘に守られ立っていた。光線を浴びたいとばかりに気持ちよさそうに両手を広げている。
彼の元気に反比例して破壊砲の出力が落ちていく。
「出がらしだな」声のトーンはゴミを解説するものに変わる。「前回地殻を抜いた反省からこの惑星用に調整したようだが、本来は会戦を制する超火力とみる。だがこちらも分析は終えている」
破壊砲が停止した。
「おっといけない」彼は思いたってすまし顔になった。
「狂気の森の皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは」
彼は直立した状態で高速回転しながら全方位にあいさつした。さらに回転して、回転で地面にめりこみそうな速度になってから急停止する。
「まあ皆さんのことはどうでもいい」
彼は前髪の根元をかきむしった。そして言った。
「妻よ、君はいつも私を先回りしたつもりでいたね。それで得意げに説教するわけだ。知ってるのよってな。しかし、実のところ露呈しているのは三分の一ほどだ。残念でしたー」
自律兵器は再び彼に殺到しているが、ことごとく光線を返されて沈黙している。
「例えば、君が予約して一年ほど楽しみにしたフェーヴが、当日ビルごと水浸しになったことがあった。あれは私がやりました。ちょうど学生時代から馴染みの店が閉店するのを発見してそっちに行きたかった。でも君だってこんな偶然あるのねー、とかまんざらじゃあなかった」
大量の銃弾が飛んできている。
「重要なことは、着ていく予定のスーツが虫に食われていたせいではないということだ。それは一因ではあったが、決して穴があるのはダサイからではなく、新品を用意するのは造作もないことだった。
あくまであのかに玉を食べたかったのだ。これは正直に言っているのだ。正直はすばらしいですね! まあ、あれのレシピは完全に複製してあるし、調理ロボットも調律してあるからいつでも食べられるわけだが、それはそれとしてだ」
「ほかは、火星の極地に不時着した時は――、ルイテン行きの機内ではやむおえず――、ティラーナのレストランで消えた時は国際秩序の危機で――、ルクソールでは刑務所の中に用事があって――、木星航路でハイジャックされた時は事前に知ってて――。――、――、――、――、これで全部だな」
納得顔にはいくつか銃弾がへばりついていた。そして両手を掲げ強く拳を強く握った。
「無罪です! 無罪を勝ち取りました、ありがとう、ありがとう。自主的に告白したことにより、強制的に許されるシステムとなっております」
男は全方位に感謝の言葉を発射した。そして深いため息をついた。
「ここで皆さんにお知らせです。なんと私にできることは自爆しかございません。自爆のみです。Oh,自爆ゴッド」
男が片足でくるりと回って、最大限に肩をすくめた。
「まあ、神らしくはあるね」男はそっと呟く。「ビッグバン」
男は光となって闇を消しとばした。




