海底
ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 十一月 十四日 ホツマ国 アトランティス領
「当主よ。ともに魔の海に向かうぞ」
と言ったのはライデンだ。彼はミズナダの機動力のおかげで海に出ては海に近い砦にもどるという生活をしていた。もどるたびに巨大な海の魔物の死骸を持ちかえり、それを素材に魔道具にでもするように言った。圧倒的な武力は、家臣に対する影響力を持ちはじめていたが直接なにかを指導するようなことはなく、関心は海に限られた。
「なぜですか?」
ヒサツネが書く書状には繊細な文字が並ぶ。
「当主が海とイジャを知るためだ」
ライデンは説明はするが、多くは語らない。イジャの情報も、こうくればこうするという対処法で語る場合が多く、状況の全体像がとらえにくい。
彼がこうする理由は「この時代では手段が限られている」からだそうだ。
「前線南部で戦端が開かれたとの知らせは、無視されるのですか」
ヒサツネは状況の把握に苦心していた。中央は彼以上に混乱し、多数の領主の意見は方向性がばらばらで、こちらの進言も無数の情報にまみれてしまった。
それでも帝国が原因であるとの意見は多く、その意味では少数派だ。
「戦の事で他家に強く要求できぬと申したのは当主だ」
「他家がじわりと招集を始めております。当家だけが赴かぬわけには」
「触れずにおくのが上。大皿を割らねば皆滅亡する」
「前線が支援を求めれば、兵を出すのが定め」
「殺戮されるのみ。民を逃がすことを勧める」
ヒサツネはこの理屈を理解しているが、一戦やらねば家臣が領地を捨てることはありえないし、民も逃げない。帝国と長年戦い維持してきた土地だ。
なにより、本土側に受け入れ先は無い。神の地は遠すぎるし、その統治機構たる緑化機関は、イジャとの戦闘において帝国を支援すると言ってきた。
ヒサツネは結局海に向かうことにした。戦にしても、知らない敵といきなり当たりたくない。そして居城でできる準備などなかった。
そもそも、この状況で戦っているのはライデンだけで、自分が戦力に含まれていないのは明らかだった。彼の意にそえば、戦っているといえるのではないかという期待があった。
「飛べるのであれば、帝国方面へ直進できるのでは?」
「海以外からは接近できぬと申したであろう。さあ乗れ」
彼はミズナダの大きな背びれにしがみついた。完全武装で、水中活動用の魔道具もある。
ライデンは首の上ぐらいであぐらをかいていた。
ミズナダが海上を泳ぎはじめると、陸地はどんどん小さくなった。
ほぼ閉じた内海だが、波すらとけこんでしまう不気味な黒の水面はどこまでも続いているようだ。黒の水と青い空と白い雲。
ヒサツネは何もないこの場所でも落ち着かずに たまに海面を凝視した。どこから何が現れるか知れなものではない。潮風のせいか、喉が渇く。
長いひも状のものが遠くの海面から飛び出した。仰々しいヘビの顔が先端にある。大海蛇と思われた。
勢いのついた長い体が弧を書くと、ざぶんと顔を海面に突っこんだ。しばらくしても、弧となった体が海面上に残って現れては潜っていく。ずっと途切れない。とてつもなく長い。
「あれを」
彼が緊張した声を発した。
「ミズナダを獲物とするものなど、ここにはおらぬ」
ライデンは海を気にせず空を見ていた。
それからも移動は続き、足に水をまとって海面を走る海蜥蜴や、百メートルを超える蜃気楼亀の岩だらけの背を見た。
たまに魔魚が海面に顔を出すが、すぐに引っこめて空と海に逃げていった。
それなりに時間が経ち、陸も遠くなるとライデンが言った。
「水に入るぞ」
「危険では?」
「中のほうが安全だ」
ミズナダが潜行し、黒い水が足から上がってきた。
ぬるりとした感触はきっと気のせいだ。水は暖かいのか冷たいのか知れない。黒がすべてを覆った。
意外にも、海中には光が差しこんでおり、それなりに視界はあった。光はかなり下まで続いていたが、さらに先はどこまでも闇が広がっていた。
あの闇からは何が浮上してきてもおかしくない。凶暴の魔魚の影を感じる。彼はその動きをとらえたがしたが、目で追おうとするときには気配はなかった。
闇の上に浮かぶミズナダはより速く進む。
海面近くでは、普通の小魚が見られ、鱗が太陽光を反射して群れがきらめいていた。
さらに進むと白い球体が連なった奇妙な細長い生物が漂っていた。この理解しがたい部類の構造をもつ漂流物は多く、魔魚にかじりつかれているのも見た。
だから魔魚の餌と思ったが、かじりついてすぐに痙攣して硬直した。やはり汚染された魔の海だ。
そのような海を数時間進んでいくと、下方に光を認めた。
半透明でわずかに輝くそれは高速で移動しており、タコを思わせる形だった。
しかし、内まで見通せる体のところどころに紫の楕円があり、手が増えたり減ったり、手が異様な振れ幅の伸縮をくりかえしている。
ミズナダはこれを避けるように加速した。
「あれはなんですか?」
「液合体は攻撃的ではないが手強い。あれの核はいい素材だが、魚雷でもなければ相手にすべきではない」
やがて彼らが慎重に浮上したのが、ギルイネズ内海の北西部だ。この角度からが帝国の上空に浮かぶ大皿をとらえられる。
ヒサツネはすぐに遠い空に浮かぶ黒を発見した。ギルイネズ内海北西部入る手前の山脈地帯の上にいる。
「あれが大皿か」
「手前のはピザと呼ばれている。望遠鏡を使え」
ヒサツネが望遠鏡はのぞくと、空が黒くなっている部分があった。雷雨の曇にしてはあまりに高い。天候と見まごうほどの大きさ。
「帝国は完全にやられているということに」
神の地を直に見た時と同じだ。彼はやっと現状を受けいれはじめた。すぐに実行できずとも、領民を逃がす計画を作るぐらいはしておくべきか。
「手前の海面から陸地までを」
この意味は不明瞭だったが、ヒサツネは望遠鏡を海面の高さに向けた。小さな点が海面上とその背後の陸地でうろうろしている。周囲を探ると、低空にもいる。
「休憩は終わりだ。敵を知れ」
ミズナダがすぐに潜行する。
言われずとも彼もわかった。向かう先はあの断崖の近くだ。
ここは比較的浅く、海底に無数の色が混ざってねじれた奇怪な海藻が密生した景色が続いた。
遠い海底に、赤の発光が起き、消えた。まだ陸地は遠いがミズナダが減速した。
海中に機械的な物体がいる。赤い発光をしているのはこれだ。赤い光が散乱し、消えるのをくりかえしている。
イジャの自律兵器、前線からの報にあるものと同じ形状。小型と中型が浅い海底の散らばって、何かを探すような動きで進んでいた。
近くのいくつかはこちらを向き、定期的にぼんやりと広がる赤い光を出している。そして直線的に向かってくる。
「もっと先に進んだか。意図は知れぬが、邪魔はしておく」
ライデンがミズナダの側面に移動すると、ミズナダは自律兵器をかすめるように泳ぎ、彼は最小の動きで刀を引っかけて両断した。
自律兵器はより頻繁に赤い発光をくりかえし、動きを変えて高速で集まってきたが、巨体でありながら鋭敏なミズナダの機動によって次々に破壊されていった。
「こんなものだ」ライデンが言った。「水中であればな」
ここからやや東に移動すると、水中に切れ落ちた断崖が現れた。そこを下ると魚の死骸がいくつか漂っており、ミズナダはそれを食らった。
死骸は次々に現れ、その数が百を超えた頃、ミズナダは食らうのをやめたが、どこまでも大小の死骸は現れ、それを食らう大きな魔魚が集まっていた。
それを横目にずっと下る。
深い。日光はない闇の世界だ。闇夜の黒と違い、かすかに黒が揺らめき、その中で光沢の帯が現れては消える。
この闇の中でも赤の光がまれにあった。より深くに潜ると、赤の光の数が増え、星空になった。
特に赤の点滅が密集している地点へ着くと、案の定だ。自律兵器が集合している。彼らは金属の板を運んで浮上しようとしている。
ライデンがこれをすみやかに殲滅すると、金属はまた沈み着底した。
ボゴンと水が弾ける音がして、太い筒状の光を見た。それは大型の砲から放たれたもので、ヒサツネは赤い発光が攻撃だったと理解した。あまりに貧弱だ。
攻撃に反応して、赤の光は増えた。
この深い海底ではこの筒の光が多いが、一メートルほどしか射程がない。そこから先ではひどく散ってしまって、赤が周囲を照らし、周囲を見ることができた。
底では、多くの甲殻類がイジャに始末されたようだ。
「寄りすぎるなミズナダ。からめとられる」
ライデンはあれを警戒していた。赤のまたたきは全周囲に存在している、まずは上からの新手に向かった。
大型はただ沈んでいるだけで、周囲の中型が引いていた。
ライデンは距離のとって敵の光線がとぎれた間に刀を振った。
「〈雷雨荒波〉」
刀から雷をまとった水流が生まれ、迂回して集団を一気にまきこみ機能停止させた。
次の集団に向かおうとしたところ、ミズナダが急旋回して回避動作をとった。強い水流がまき起こり、ブワッと泡がわいた。
巨大なうごめく針の塊が横合いより現れ、大型を含む集団を丸呑みにしたのだ。それは背を無数の針で埋めた平たい底魚だった。
底魚の内より赤の複数の光線が突き出て、一部は瞬間的に炎上、ランタンのようになった。死亡したとみられる底魚の口から自律兵器が脱出し、すぐさま別の魔魚の牙につかまった。
ガギン、今度はがっしりとしたあごで完全に砕かれている。さらに底魚の腹にも別の魔魚がかみついた。
ヒサツネはあせって周囲を確認した。人よりはるかに大きい恐ろし気な魔魚が集まってきている。
「しかとつかまっておれ」
「後ろからも」
後方から一匹。折れ曲がった不自然なあごが異様なまで開かれた。そのあごが閉じる。
「水の気配で心得ている」
ミズナダが尾びれで横から潰されたような顔面を一撃、それは方向を変え離れた。しかし直上、赤くきらめく剣が矢のごとくミズナダの背を目指している。鋭利に尖った魔魚だ。刺しつらぬかんとしている。
「上! 上から!」
「〈衝塊〉」
ライデンが強引に上方を斬りつけた。そこから放たれた衝撃波が、幾層もの波となって広がり魔魚の群れを打ちつけ昏倒させた。
この衝撃が作った空間から密集地帯の外に出た。
振りかえれば、イジャの兵器とあらゆる海の魔物が争い食い合っている。赤の輝きは数を増し、魔物の魔法による光や水の流れが起き、底の泥が舞って視界を塞ぎ、底に眠っていた大きな骨までが飛んでいた。
この騒ぎはさらに拡大していた。死体の匂いが、次の魔物を呼び、されもまた死に、呼び水と化している。
「どうしたミズナダ」
ミズナダは、急激に左右に体を振って泳ぎ、ライデンが御せなくなっている。
「お前も猛っているのか」
ライデンが足でぽんぽんと背を叩くと、ミズナダは急浮上を開始、市街と自律兵器とすれ違い続け、光の世界が帰ってきた。
上にでてすぐにイジャのまともな光線を受けたが、きっちり大きな水球で防御したために防げた。
イジャは無視して離脱する。落ち着いたところでライデンが言った。
「あれが深き世界の入口だ。なぜかイジャどもが奥に入ろうとしている」
「ミズナダは?」
「少し血の匂いにな。浅海からかなり血の匂いがしていたらしい。そうない事だが」
魔の海によって変化してしまったのだろうか。ヒサツネは下に化け物が潜む海面を眺めた。すると海面を何かが……魔魚ではない。ただ波に揺られている。
「あれはなんですか?」
近づくと、大きな哺乳類の死骸の一部が、平たい緑の物体の上に載っている。かなり新鮮な肉のようで、血が滴っていた痕跡がある。
ミズナダがこれに鼻を寄せるとライデンが言った。
「やめておけ。畜生が喰らいたければ、戦場でウマを食わせてやる」
ライデンが緑の物体に飛びうつり、足場に触れた。
「ハスか? 根が切られている。海流は存じぬが、ここ数日の風向きは西か、北西から」
「帝国の方角から来たことになりますが」
ライデンは慎重に獣の肉を嗅いだ。
「薬剤か、擦った薬草のようなものが皮に塗ってあるが」
「このようなものは聞いたことがない」
「はてな……離れるぞ」
ライデンがもどり、ミズナダが飛んだ。すぐにハスが転覆、肉が海に落ちた。同時に、バシャバシャと海面が暴れた。ここでも騒ぎは拡大し、海面下で争奪戦が起きていると想像できた。一部は自らが肉となっているだろう。
この肉の載ったハスは、ほかにもいくつか漂流していた。すでに消費された物があると考えるなら、かなりの数があったことになる。
二人はあれの意味を理解できなかった。帝国では調達しにくい物資のはずだ。
帰り道でライデンは言った。
「当主よ、水魔術師を大量に雇えないのか?」
「例の海の水で柱を成す策ですか」
「そうだ。せめて打ち上げるだけもできれば、突入できるやもしれん」
「あの高度は至難かと。魔道具の作成は半島全域から職人を探しておりますが、これもなんとも」
「そうか」
ライデンは黙った。彼は騒がないが、すべてが不可能に近いと認識しているはずだ。しかし戦いはやめない。
「できるだけ奴らを潰して時間を稼ぎつつ、魔道具の材料を都合しよう。それぐらいしか叶わぬ故な」
「この戦況でも粘れば勝機は訪れるのですか?」
「大陸の悉くを敵にするのと比ぶれば、なにともなし」
動きには出さずとも、ライデンは笑っていた。
同日 夜 ルドトク帝国 中央部と南部の境
大皿からいくらか南東にある田舎町の道路には、ところどころに歩兵の死体が転がり、道端では小石よりも薬莢が多かった。
ガガガ、ガガッガ、カラカラと新たな薬莢が転がった。
戦闘中の歩兵小隊がどうにか町中の破壊された前線から離脱、装甲車を利用して新たな防衛線の構築を試みたが、すぐにイジャ小集団と戦闘になっていた。
接近中の敵は小型三、中型二、戦技で撃破は可能だと歩兵たちは知っている。
その役割を託された装甲車の機関砲の射手が全火力を消費した〈掃射〉の引き金を引いた。二秒ほど光る弾丸が横なぎに撃たれ、すべての小型は大地に落ち、中型は下部を引きづっている。残った中型に狙撃手が〈貫通〉ののった射撃を連射、とどめをさした。
目の前の敵は消えたが、敵は攻撃を感知すると一気に接近してくる。歩兵のアサルトライフルはあれを止められない。近距離からの戦技である〈突撃射撃〉や〈近接射撃〉なら損傷するが、そこまで行くと光線の連射が来る。
さらに夜は視界が悪い。イジャが優勢になる。
「中央から敵性、侵攻止まらず! 北北西の低空に新たな集団」
「二五四四中隊の戦闘音喪失」
「照明弾上げろ、西側が見えん」
「後退が間に合いません」
「来たぞ」
小型集団が屋根の上を飛行して接近中だ。すぐに敵がここに集結するだろう。
「榴弾!」
三人が引き金に指を当てて体に力を入れ〈追跡〉を発動、榴弾を発射した。これは新たな群れに向かったが、すべて光線で迎撃された。
小型はさらに接近、はっきり見える距離だ。次に光線を撃たれれば、部隊に大きな損害が出る。誰もが小型の次弾が来ると覚悟した時、バババババ! ギリギリで機関砲の射角に入り乱射が小型をとらえた。その衝撃で小型が揺れ、光線は一名の肩を貫くにとどまった。
「伏せろ!」
次の榴弾が近距離でさく裂、小型をまとめて破壊した。
だがまた新手。距離はあるが多い。もう耐えられないが、粘る理由はある。
彼らの後方三十キロには幹線道路があり、物資を輸送する車列がいる。ここまで進出される軍の活動に問題がでる。
そこまでには小規模な町が一つあるだけで、そこに防衛陣地を構築中だ。その時間を稼ぐ必要がある。
しかし、これがどれほど意味がある任務であるか彼らは疑問だった。
帝国軍はまだか細い防衛線すら構築できていなかった。イジャはほぼ同心円状に勢力を広げ、それを囲うには膨大な長さが必要だった。しかも、たまに突出した集団が出てきて防衛部隊と衝突し、それに対応しようと増援を送ると、敵はそれよりも増え、頻繁に敗走することになっていた。
イジャの動きが、敵が増えれば戦力の追加を続けるという戦略意図のない鈍さでも、重要施設があれば放棄できず、イジャの進行をいくらか遅らせるために歩兵部隊が消耗していた。
野砲による火力支援はあるものの、的が小さく固いせいで榴弾による破片ははじかれた。
そろそろ本格的にどうにもならないと彼らが思いはじめた頃、太い光線が夜を照らし、歩兵一名の頭を蒸発させ、後方の装甲車の腹にも溶解した穴を空けた。
大型だ。もう有無を言わせず後退するしかないが、敵の飛行は車より速い。
部隊の多くが壊走しそのまま全滅する中で、ここまで生き残った彼らはいくらか優秀だった。
散って前進する。そうすれば、誰かは敵の背後をとって攻撃できる。それがマシな選択だ。彼らが作戦を実行するための横道に目を向けた時、大型は急に動きを止め、砲をひたすら動かしはじめた。
大型の足を大地から出た頑丈なつるが固定したための動作だ。これは自分の真下を攻撃できなかった。その真下から石の槍が飛び出し、大型をぶちやぶった。
それから遅れて大型の下から出てきたのはルキウスだった。
「やはり地下から接近するのが確実」
彼は四つん這いになって停止した大型を背に乗せ、カメのように移動を始めた。そこに接近してきた中型が光線をばんばん撃ってくる。
この光線は大型の残骸が受け止めていた。下側をのぞきこんではこない。来たらもちろん地中に逃げるが。彼はカメ状態で下から中型の動きを観察していた。
「映像的には味方の機体のはずだが、撃ってくる。動力が停止しているからか? 次は生かしたままいくか」




