狂気の森16
「そりゃあ、運命のいたずらってやつさ」
「高度な解釈をお求めなのかしら?」
レイアは伺いのほほえみで受けた。
「言い方の問題なら、神のご意志でもかまわない」
ルキウスの目はかすかに冷えた。
「はぐらかしモードに入ると、結局言わないってなる」
「言うさ。納得のためにおおもとの原因からいこう」
「事の起こりなんて、知りようがないものではなくて?」
「推測はできる。原因と呼ばず原理でもいいが、現状が故意か偶然か不明なら、まずは実行手段の解析だ」
「逆算しようとしている。いえ、自分をやる側にして楽しんでるんでしょ」
レイアはまたやったという調子だ。ルキウスは少々バツが悪そうに言う。
「ここが現実なら、すべてに量子レベルでの関与がある。それも高次元空間を通しての緻密で広大な介入だ」
原始、人が手に入れた火は、獣からすれば魔法に等しい。しかし、それも初歩の化学だ。ならば、現状もいずれは科学的に解析可能になると考える。
「誰かの?」
「科学は普遍の法だが、ここでは新たな魔法やスキルが生まれるし、そもそも無から物質が出る。法則が変わるのは誰かの意思だ。ただし明示的かは不明。私は、ふだん人を怒らせたいと思っているわけではないが、よく怒られる」
「自覚あるのね」レイアが大仰に驚く。
「ここが現実なら、魔法を使える星と使えない星がある。そう考えると、同じ星でも変化するとも考えられる。としたら、地球の神話は事実だったかもしれない」
「否定はしないけど、魔法があるほうが普通だと思ってるのね」
「歴史家が直接怪物を見たと残している場合、歴史に関する記述は史料とされるが、怪物の件は無視だ。そっちのほうがおもしろいのに。ローマ人だとかが物語化された歴史を好むとはいえ、矛盾だな。
こんなとき、AIは同一著者の書物を参考にしないよう勧告するが、記述文化や、歴史学の不確実性という名分で無視される。信じがたいことは往々にして起こるものだが、史料の少ない古代では合理的解釈に着地するしかない。
ちなみに、地球が魔法の力に満ちた領域にあったときだけ魔法が使えた、と説明できるがこれは気にいらないので却下」
「気に入らないが出ましたー」レイアがほがらかに笑った。
「ここはアトラスだ。これが偶然の一致ならどうにもならん。必要なのはデータ。ゲームルールと一定数のプレイヤーデータ、そして現実の脳みそのデータ。
アトラスのサーバーと通信しているのは思考による入出力だけで、脳情報は各端末の仮想脳にとどまり保護されている。が、細工すればどうとでもできる。
関与できるのは、制作運営のザ・クリエイターと大統領だ。ゲーム内での治安維持権限もあったようだし、現実の犯罪捜査とも関連するはず」
「やはりあなたですか」
「二択だよ! 二択! そもそもザ・クリエイターの社員は大勢いるし、大統領も代替わりはする」
「あなたは終身大統領なので」
「なるほど、しかし情報を数十億光年先のここまで届けないといけない。当時の技術では一万年あっても全然だ。私が地球より発展した文明から来た宇宙人で、かつ世界を股にかける謎の組織の所属者なら可能だがな」
「なるほど、宇宙人だったとは」
「納得するな。大統領じゃないのは保障する。見てるより本人が参加するに決まってるから」
「どうかしら? そこはあなたと大統領に差を感じるのよねえ」
「そうか?」
「私の感覚だと五分五分だけど」
「会ったことがないからな……。一番関われるのは、アトラスのコアスタッフだ。ところで、その長にして反逆者たるゼウス・クセナキスは、十三歳以前の記憶が無いと知ってるか?」
「いいえ、公的保護機関の出身なのは有名だけれど」
「孤児は戦後の混乱期ではあることだった。記憶喪失はレアだが、粗悪なナノマシン治療や個人向け遺伝子治療で臓器損傷なんてのは、二三五〇年代ぐらいまでは日本でもあったし、ほかの地域の地方などではもっと続いた。だが特殊性もある。ギリシャなのに英語しか話せず、国内に親類がいなかった」
「完全孤児ですか」
「あの辺りは回復が遅れた地域だし、ごちゃついてるのは古代からだが、珍しいよな。胚の段階で遺伝子操作でもされた、とするのが合理的な解釈だ」
混乱期ののちに遺伝子マップを作成すれば、親戚は追える。ギリシャに近い血縁者が存在しないということ。英語圏から出もどった移民の子孫と推測できる。
「特別な改造者なら、彼がシーバーだったと思っている? それなら通信できると」
「遺伝子操作では無理だろう。できたら大騒ぎになってるし、そもそも通信先に受信機がいる。高次元を利用した量子通信が距離を無視して宇宙をつなぐにしても、一セットには距離の制約がある。だから通信網のために中継衛星を撒いてるわけだし。我々ですら、転移や通信には事前情報が必要だ。ワームホールに突入するぐらいやらないと無理だ」
ルキウスはちらっと調度品の時計を見た。機構が壊れているのか、秒針が痙攣していた。
「さて結論だ」
「急に!?」
「現状が、アトラスに関わる誰かの仕業であり、アトラスに関わる誰かには技術的に不可能であることを説明した。病的なまでにヒットを連発した彼ですら、制作と経営しかできない。ベンチャー株から当たりを引ける幸運も無意味だ」
レイアは黙っているが、足りないものの性質はわかっているはず。
「どうしても地球人主役作品をお望みなら、外宇宙探査船が異星人の遺跡を発見、謎の技術で作られた通信装置で、なぜか所持していた違法に収集されたアトラスの情報を外宇宙に発信した、でもいいけど」
「あなたが関わっていたら。それぐらい起きそうなんですけどね」
「すべてを偶然で済ませては話にならない」
ここにはアトラスの要素しかない。もしも地球側があらゆる情報を宇宙に発信したなら、ここはごちゃごちゃになっている。それにルキウスが所持する映像コンテンツの内容も世界に反映されていない。
「そうだ! 中学校の同級生であるたまたま君を思い出した。偶然を愛する風来坊で、自分の意思を無視することが生きがいの男だった」
「変な友達ばっかり」
「ダイスで行動を決定するとか、思ったことの逆をやってみるとかな。明日からやってみようか」
「絶対にやめて」
「さて答えだ」
ルキウスが声を抑え、レイアの気配が静まった。
「演算能力付き実行装置の仕業だ!」
ルキウスが威勢よく言った。
「それが最終回答なら金玉取りますよ」
ルキウスは、それは怖いと不遜な笑みで続ける。
「現状の維持には、地球文明の総演算力を超える演算装置、さらに出力装置、記憶装置が要る。それは非常に巨大な物となる。となると候補は三つ」
「それは?」
「この星と二つの月、それしかない」
「なの」
「この星は生物だ。彼がここの神だよ。群体か単体かは知らないが、フロール量子に干渉する能力を持っている」
聞くレイアの口が緩んだ。この説を吟味しているらしい。彼はかまわず続ける。
「この星の全生物が演算装置を持ち、それを繋いでいる線も考えた。高次元の存在である量子には、三次元の距離など無意味だし。これなら、生物数増で演算能力も増だ。しかし、演算能力増加より負担増加が上回りそうだからして、できても補助的だ。
この星の暦は地球とほぼ同じで、重力も。偶然とは思えない。しかし月が二つ。なぜ一つにしない? それは緻密な制御が月までおよばないと解釈できる。さもなければ省エネ、無限のエネルギーとは考えていない」
ここでレイアが口を動かす。
「さらっと言っているけれど、この星が生物なら目的は何?」
「神様みたいなのを想像してるな。そんな知性体じゃない。まあ、最初は人間的な人格の持ち主が、砂箱で遊んでいると思った。しかし、個人の意思、趣味趣向が感じられない。自動的、機械的すぎる。演算能力だけ高くて意志は薄弱だ。
つまり我々の魔法やスキルは、彼の巨大で高速な自律神経で処理され、彼自身は思考しておらず、無意識の演算能力は我々のために利用されている」
「手持ちの情報で、その説の確信までいけますか?」
「必要なのは合理的想像だ。既知の情報と矛盾しない範囲は自由に想像していい」
ルキウスは黄金林檎を出し、軽く投げてキャッチした。さらに浮かべて回転させた。
「アイザック・ニュートンはこいつで万有引力を発見したといわれるが、彼の前だけでリンゴが落ちたわけじゃない。誰にでも大発見の機会はあった。物が落ちる事実を起点に、大勢が想像すれば、答えを引く人間はいくらでもいたはず」
「実際には彼だけでしょう? 彼は特別に優れていたということでは」
「ほかは知る気がないか、積極的に拒否したのさ。でなければ、絶対に近い想像図は描けたし、そこに科学的知識など必要ない。
まあ断定はしない。想像だからな。誰かが鼻水垂らした衝撃で天地創造された世界かもしれないさ。時空を超えて、この体と本体の脳が接続されている可能性がゼロとは言えないが――証明される見こみはない」
「生物とすると、どの宇宙生物とも違いすぎないかしら?」
「我々は動物様だ。動くために速やかに考え、行動する。狩るために狩られないために。しかし、フジツボに高度な思考が必要か? 反射・走性があれば十分だ」
そして必要な能力は進化していく。惑星規模の生物に必要な能力が。
「フジツボの気持ちになったことがないから、難しいわ」
「そいつは全力でやればきっとなんとかなるが、今は脳だ。サルの人工脳は車を運転できるが、方向性の問題だ。魚の人工脳でもできるし。
こいつは、超高性能クラゲみたいな感じかな、惑星クラゲだ。違いは自分自身を設計し、拡張する能力。アトラスの情報を受けていなければ、もっと違う生態系を形成した。その機能は備わっていたはず。ランダムに設計した生命体を生み出し、生態系の発展を促すとか。積極的に核酸的な物質を混ぜればいける。
それに知性の形は、感覚器官に――より大きくは、生態に依存すると思っている。
例えば――光受容体、錐体細胞の数が違えば見え方は変わり、色の概念は変わる。光が見えなければ色の概念は無い。それを処理する脳の構造は変わる。そしてこいつは量子を自在に操る。それと覚えておけ、意志あるものは神にはなれない」
ルキウスはなんとなく部屋の景色を眺めて口を動かし続ける。
「人間だって歩行するのに高度な脳を使用しているが、いちいち右足左足などと考えない。基本機能は自動的に提供されている。しかし、快、不快はある。外部の情報を得ているなら、それを元に自分に好都合な状況を作ろうとする。
こいつは何か特殊なものを重視している。それは情報だと思う。自由に物質・現象を作り出せるなら、欲しいのは設計図に決まってる。
我々は免疫――かな。宇宙からの脅威には、地表に生息する生物が防壁になる。細菌だって、虫だってそうだ。クラゲに適切な防衛手段を講じる脳みそは無い。そもそも、宇宙の様々な脅威に備える生体機能を生まれ持つのは難しい。
体が巨大になるほどに、細部の管理は困難になり、外部の生物と連携する。我々もミトコンドリアを取り込んでいるし、事実上、腸内乱世も人体の一部だ。外皮に着目しても、掃除屋を雇う大型生物は多い。
自力進化で複数の機能に辿り着くのは困難だから、機能を外部移転するのが合理だ。だが宇宙でお友達を見つけるのは難しいので、自分で生み出す」
それをやるための能力はそろっている。
「こいつは非侵襲的に地表面の情報を採取できる。ひょっとしたら、まばたきぐらいはしているかもしれんがね。
物質を作り出せるなら飲食は必要ない。排泄も必要ない。生殖……はする。出芽ではない気がする。
こいつは情報操作能力に長けている。情報を飛ばせるなら直接接触の必要はないし、子供を遠距離に産み落とせる」
「大気圏外に生み出し、宇宙に放出すればいいと」
「いいね! 見てみたい。まあ、我々も星の子ではあるんだけど。ただ、発生させる人物を選んでいる節がある。私が森の中に発生したのは偶然とは考えにくい。なんなら情報同士に話し合わせてもよい」
「情報同士?」
「人格情報を持ってるなら、それらに現状を説明して会議させて、次に発生させるプレイヤーを決めればいいさ。我々がAIにやらせているようにな」
これを聞いたレイアはしっくりきたようだ。
「ひょっとしたら、それらは神という分類になる。彼らが自由に我々に干渉できないことは確かだ。これもアトラスのルールが稼働している。彼らにとっての、地表の望ましい状態があるんだろうな。
人格情報というなら、私たちの脳みその複製がどこかにある、もしくは瞬時に複製を生み出すための領域が確保されていないとおかしい」
「なぜです?」
レイアは合いの手を入れた。
「動物に変化しても人間として思考できる。本当に動物になってしまったら無理だ。変化中は、脳情報を複製して、それが動物の脳とやりとりする形になっている。これはVRギアの仮想脳と似ている。復活するための情報領域もある」
「確かに。上位の回復・復活は、修復ではなく復元ですから」
「脳が複数ある可能性も……ああ、そのほうが合理的に思える。冗長性が高まるし、脳ごとに機能を特化させてもいいな」
ルキウスは想像の世界に向かいつつあったが、ここでレイアが口を開く。
「そんな生物がいれば、違和感なくすべての問題を解決できるということね」
「こいつが宇宙に散っていれば、距離を無視して情報を渡せる。惑星の核の状態なんてわからないし、我々が地球に持ち帰った宇宙生物に近い能力があった可能性もある」
「量子で情報をやりとりする生物なら、量子通信で情報を渡せる」
(ここがほぼアトラスの世界であることには、明確な理由があるだろうがな。アトラスの暗号形式だけが宇宙生物の通信プロトコルと一致したとはいくまい)
ルキウスはこの思考を隠して続けた。
「想像は自由だ。原初の宇宙では、惑星型生物が標準だったのかもしれない。惑星内の安定した領域で発生した不安定な生物が、連結を繰り返せば巨大生物になる。我々の進化と異なり、世代を重ねず、体内の細胞単位で変化していったとか」
「楽しそうですね」
「ああ、最高だ。まったく、このクラゲ、どこから来たのかね?」
ルキウスが呟く。
「誰かがばら撒いたとか?」
「それは面白いな」
「思いつきだけど」
「……理屈は浮かぶ。外宇宙に漕ぎ出した星系文明は、使いやすい惑星が少ないことに悩む、我々のようにな。自力解決は大変だ。
となると生物、生物以上の高性能機械はない。小惑星ぐらいの宇宙生物を設計して宇宙に放流するんだ。そいつらは活動エネルギーを恒星やガスから得つつ、物質を吸い集めて地殻を形成し、やがて惑星となる。水か水銀かで地表を満たし、生物の発生を促す。そしてできあがった惑星を利用するという寸法だ。
この場合、生殖はどうだろうな、彼らの趣味次第かな。安定を好んだか、宇宙の改造を目論んだかで違ってくる」
「私は、誰かにこの状態にされたっていうのは愉快じゃないの」
「なら、宇宙はそもそもこいつの夢でできているのかもしれん。最初にいたのがこいつでもおかしくはない」
「星の仕業なのは確定なのね」
「そこには絶対の自信を持っている」
「正体が知れたところで、何かしかけるつもり?」
「何かやれば迎撃があると考える。地面にけんかを売るほど暇ではないし、むしろうんざりだ。来る日来る日も、土土石水土石水」
「だとすると、私にはなんの影響もない学問のニュースなのね」
「そうでもない。我々の力はシーバーに似ている。彼らは力は外から来ると考えていた。この力も借りものだ」
「それ、願望ね。彼らの影を追ってる。もしかして、ここが赤世界だと思っているの?」
「なら、彼らがいる。赤の時代の終焉と共に地球から切り離され、夢の世界にとり残された彼らがな。今のところ、その痕跡はない……痕跡はな」
「残念ですか?」
「それは、まだわからないな。我々の今が赤の時代と関係すると信じてるが……さて、この先に驚きはあるかな?」
ルキウスがディスクケースを持つ。
「ありますよ。確実に」
彼はリンゴを机の上に置いて、ディスクケースを開けた。レイアが言う。
「リンゴ、食べないんですか?」
「あとで食べる」
ルキウスが再生機に入れたのは、夫向け。未婚向けは再生機の上に置いた。
「そっちですか」
「だって、大統領が気になるし」
再生が始まり、立体映像が出てきた。
スカーレットはすぐそこにある赤いドレスを着て、胸に白い花飾りを付けている。
いつ撮影したのだろうか、まったく老いていない。彼の知るスカーレットだ。緊張しているのか表情がかたい。彼でも感情が読みにくい。
そして彼女がうなずき、言葉が始まった。
「あなたは絶対に独身でしょうね」とため息。
「あなたのやりそうなことはわかっています。二十から六十まで、まったく成長というものがありません。きっとそのまま死ぬでしょう。うんざりですね」
スカーレットはあきれ顔で肩をすくめた。
「この映像は自動的に消滅します。やれやれね」
ボッ! という音と小さな閃光が再生機の中に発生した。さらに、バン! 再生機が弾けて火花が部屋中にまき散らされ、再生機から炎が上がった。
「ヌォー!」
ルキウスは棚の陰に隠れた。ボッ、ボッ、バン! 再生機の破片が床に散った。爆発がおちつき、彼が顔を出した。
「おい! 消えちまったぞ! 何しに来たんだよ!」
もう片方のディスクも焼けてしまった。リンゴは足元に落ちている。濃い煙が天井に溜まり、レイアが部屋のすみの水晶に触れる。水晶がほのかに光り、煙を吸いとった。
「予備がありますよ」
彼女が気軽に空間を奪った吸引力で開けたのは、ブラックディスクの戸棚。
「知ってたな! 知ってただろ!」
ルキウスは文句を言いつつ、ディスクをかきわけ棚の奥で包みを発見した。中身は当然ブラックディスク。しかし再生機は焼けて溶けている。
「予備はどこだ? 隣か?」
「部屋には標準で再生機能がありますから」
レイアが壁のスイッチを押すと、壁の一部が上にスライドして機械類が出てきた。
「予備は五個あるのでご心配なく」




