動物の森
生命の木の辺りの空は、なぜだかいつも雲が無く、気持ち悪いぐらいに晴れている。気候も外部とは違うようで住むにはほどよい気候である。
心地よい青空の下、ほどよく草の生えた生命の木の敷地――セーフハウスの機能が失われた結果、元々規定された敷地内でなく、新たに切り開かれ安全性が確保された範囲を敷地としている――では獣たちが固まってゴロゴロとくつろいでいる。
その中心には二匹のトラ。
赤地に時たま稲妻がピカピカと光っているトラと、白地に暗い藍色の模様のトラが手足を投げ出してゴロンと横たわる。
周囲には尾が二つの黒猫、長い毛の美しい白狐、他には様々なイヌ、ネコ、クマ、ブタ、ヒツジ、サル、シカ、アルパカ、フクロウ、ペンギン、ネコザメなどがゆっくりとしている。
その動物の集団の少し上では、どこを見ているかもわからない目つきのピラルクとハリセンボンが浮いている。
一定の奇怪さを含みながら、なごやかで絵本の一枚を切り取ったような景色だ。
しかしこの中に普通の動物は一匹もいない。森には、魔物ではない普通の動物も生息しているが、この集団の構成員は大半がペットキャラクター、そして白い虎は化けたルキウスだ。
ペットは基本的に課金で手に入れる動物で、パーティーメンバーとは別枠でいつでも呼び出せる。サポート同様にインベントリがあり、消耗品を持たせてあることが多い。
さらにサポートには及ばないが戦闘能力を有している。職業はなく、レベルを上げれば種類に応じて、スキル、魔法を修得する。
ルキウスの近くで気持ちよさそうな顔で眠っている短毛種の三毛猫の子猫―『三毛猫』の子猫ではなく、『三毛猫の子猫』という種類のペット、多分ずっと子猫である――でも戦車の二、三台は破壊できる。
彼らはこの惑星にとって完全に異物である。
ルキウスは一応この惑星の人種生物の枠内だが、彼らには同族が存在しない。しかし彼らはそんな生物系統学的な議論とは無縁に、主の近くで眠る幸せを噛みしめている。
だがルキウスはさぼっているのだ。彼の人生でもなかったレベルの確固たる決意で、並々ならぬ努力をしてさぼっている。
幸か不幸か、目の前で盛んに行き交う懸命に働く者たちを見ながら、最大限にリラックスしてさぼり続けられる才能が彼にはあった。
そもそものそもそもをいえば、ルキウスは働き者ではない。
アトラスがゲームであったから、楽しみながら必死で努力して創意工夫を凝らし、来る日も来る日も森の敵を殲滅したのであって、仕事だったらそこそこにやっていた。やっていることは同じでも仕事であると言われるとやる気がなくなる。
タドバンもひたすらに寝ているが、これは結局、主の性格に似たのだろう。二人はまさに魂の絆で結ばれた相棒なのだ。
ただし、今回に限ってはルキウスを責められない。彼は三日間で、基地から悪魔の森北西部まで続く百キロにも渡る樹木の道を完成させた。護衛として付いてきたソワラとアブラヘルの視線を背に受けながらに。
これは帝国から南西部にある村を隠すためであり、今後の帝国の出方を観察するためだ。
森が手を伸ばして基地を破壊したように見せかけようとの単純な計画。村は物理、魔術の両面で外部から隠蔽してある。一人部下も送っておいた。この村が現在唯一のルキウス支配地域である。
悪魔の腕部分には、食べられる実を付ける木を多く植えておいた。ハンターとかは森の恵みに感謝するに違いない。軍部は放置して一般人の森へ印象がちょっとでも良くなればいいやと大雑把な考えだ。
元基地部分の禍々しい木々は一応は植物で、ルキウスの味方であるので放置した。君ら異常に元気いいね、ちょっと抑えたらどうかな? と思ってはいるが今のところ人には無害だ。
汚染地に緑を増やすその御業は、まさに神の奇跡であったが、本人からすれば、浄化、種まき、成長、を延々と繰り返す単純労働でしかなかった。
森でなくても十分に超人的な身体能力のルキウスによる単純作業の繰り返しは、農業機械も顔負けの精度と速度で、木々をニョキニョキと生やした。
一日一度の大魔法を使えば距離は稼げるが、目立つし単純に細い道にならない。
結果、背中にいつ爆発するかわからない爆弾二つを張り付けて、心臓の鼓動のように伸縮を繰り返す静かな圧力の中で、ああ、お空は広いなあ、などと逃避しながらも仕事をやり遂げた。
そこからルキウスは絶望していた。仕事量が多すぎると。
地図からすると、彼にしか浄化できない居住不可の重度汚染地域――彼の部下では手に負えなかった――は大陸北部中央だけで二千キロ四方ぐらいあった。
この時点でやってられるかこんなもんとなった彼は、相棒のタドバンをより深く理解し精神を共鳴させる修行を行う、と正々堂々と宣言してここでずっと寝ている。
(皆良く働くなあ、半分ぐらいはなんの仕事をしているのかも知らないけれども。皆がゆっくりしたいとでも言ってくれれば、俺も休めるのになあ。敵が攻めてこないとやる気出ない)
ルキウスは面倒事は嫌だったので、平時は周囲との軋轢を避けて徐々に森を増やしていく方針を採用した。
その方針に従ったヴァルファーの指揮で、部下は色々と準備を進めている。もっとも、この方針は、さっさと平時じゃなくして大陸全部緑化するぞ、ぐらいに解釈されている。
白いトラは目を開けて、ちらりと周りを見る。
テスドテガッチが護衛をすると言って、近くにドンと立っている。完全武装でメイスを地に突き不動を貫く巨体は頼もしく見えるが、あれは寝ている。それでも警戒はしている。ゴンザエモンがこれを面白がってナイフを投げつけたが、反射的に全力で打ち返され脳天に刺さった。
危うく初の死者を出すところだったが、ルキウスがすぐにナイフを引っこ抜いて回復魔法をかけ事なきを得た。
そのゴンザエモンは相変わらずの単細胞で誰それ構わず斬り合いをやりたがるが、その荒い言いようにも敬意が含まれているのをここ数日で理解した。
ゴンザエモンに限らず、部下のほぼ全員に信仰されている状態。ソロ志向でたまにパーティー組むぐらいだった彼には息苦しい。しかし、逃亡にも準備がいる。
敬意が感じられないのはウリコぐらいだ。こいつは上司であるとの認識はあるが敬意は感じられない。これをプラスに評価すべきか、それとも逆かで迷う。とはいえ、こいつですら働いている。
「ウリコ、仕事は終わったのか」
「初歩的な魔道具の鑑定なら終わったのですー」
黒猫がエメラルドブルー瞳を、気だるげに細く開いた。
「まだまだいくらでもあるぞ、遠慮せずに全部やってくれ」
ルキウスは冬越しをするリスのようにアイテムを生命の木の倉庫に貯め込んでいる。目立つ物は鹵獲品展示室に飾られているが、大半は本人もよく知らない。ウリコにそれを鑑定して目録を制作する仕事を任せてあった。
「鑑定ばっかりしても金貨一枚にもならないのです。早く店を再開するのです社長」
「ウリコ、もうここには客は来ない」
「なら、どこかで客を捕まえて売るのです」
「それは商売ではないのではないか?」
「金になればなんだっていいです。利益は正義なのです」
「私もここの通貨は求めているが気軽に売れそうな品が無いだろう」
「黄金林檎を売るのです、いくらでもあるのです、種無しだから永久独占ですよー、ふへへ」
ウリコが二つの尻尾を地面にピシッピシッと打ちつける。
貴重な黄金林檎を毎日植え続けた結果、敷地内に果樹園ができた。あまりありがたみが感じられない景色だ。
「あれこそ気軽に売れない品の代表であろう。森の外では効果付きの食品は希少なようだぞ」
「希少なら最高です。問題は武力で解決です。すべての富をここに集めるですよー」
(こいつマフィアかよ、武装商人だから似たようなもんか、そう考えた方がこいつはわかりやすいな)
「世界が亡ぶぞ。ただですら汚染だらけだってのに、経済までおかしくなるぞ」
「ウ、社長が世界の経済を牛耳るのが正しいです。みんなもそう思ってるに違いないですよー」
(絶対ウリコがって言おうとしたよな、こいつ)
「ルキウス様、天測の結果がある程度まとまりました。詳細はこの書類に」
駄猫に悩むルキウスに声をかけてきたのは、紙束を抱えた炎の魔術師ターラレンだ。
ターラレンは〔妖精人・起源/エルフ・オリジン〕で老魔術師の男。主力の一人であり広域殲滅型。
全身を深紅のローブに身を包み、尖った耳には赤い石が複数付いたイヤリングをしている。顔に刻まれたしわは彼が若くないことを示しているが、衰えた印象は皆無、黒い瞳は活力で燃え上がるように感じられ、長い黒髪は後ろで束ねられている。
額には炎をかたどった赤い宝石のついたサークレット。片手には、大きな透明の球体とそれを囲む八つの小さな透明の球体が、先端部にただ置いたようにある白い四角柱型金属杖。全ての球体はその中に静かに燃える炎を宿している。
ルキウスはターラレンの顔を見て、俺も年取ったらあんな顔になるのかなと思う。
「うむ、ご苦労だったな。とりあえず簡単に要点だけ聞いておこう」
書類全部を読まされてはたまらない。
「はっ、魔術と魔道具による調査結果です。まずこの地、この惑星は以前の空からは八千から一万年は経過していると考えられます。位置はしし座の方面に少なくとも七十億光年以上です」
「それはずいぶんと遠くに来たものだな」
自分にはまったく関係のない話だとルキウスは思う。
「はい、なぜこのような現象が起きたのかは大変興味深いですな。実に調べ甲斐があります。未知の現象が既に百近く確認できております」
「ほう、それでは色々と問題が発生するのではないか? ターラレンよ」
まったく何が何だかわかっていないが、それっぽい雰囲気で押し通すルキウス。
「はっ、実に大問題です。これに関連する問題も山積しております。例えば以前とは異なる月のもたらす魔力波が、魔道具の中のエル溶液の遮蔽措置に影響を。その一方でトートの導きと青い太陽円盤の反応値はエレボス近似値を示しており――」
(こいつは黙っていればしばらくしゃべって満足して黙る。魔法の知識量的にはこいつを指揮官に据えたかったが、この報告を毎回聞いていたら死んでしまう。〔魔術師/ウィザード〕ってやつはみんなこんな感じなのか? やはり、ヴァルファーにこのまま任せるか、しかしあいつはあいつでなに考えてるかわかりにくい。不安だ、不安しかない)
「ふむ、実に興味深い。ところであれだが」
白いトラのルキウスが獣の鋭い視線を送った先にあるのは、単純労働を行っている大量のハニワゴーレム。クワを持ち畑を耕し、斧で木を伐り木材を確保しつつ敷地を増やしている。
「わしの作品がどうかいたしましたか?」
「なぜあれの顔はムンクの……独特の顔の表情をしているのかね?」
「ルキウス様の考案されたあれは、人の精神活動のうねりから来る小宇宙を、自然時空に集積された下級歪曲力場や流体蜃気楼の次元との共鳴に導けます。おかげでルキウス様が森中から集めた力を効率的に使用して稼働できます。あの品質なら千体以上は同時に稼働できるでしょう。それにわしが普通に作りますと、非常に精細で写実的になりまして、一体一体にずいぶんと製作時間がかかってしまうものでしてな」
「そうか、役に立っているなら結構だ」
(俺の知らないところで、俺が力を集めて、その力を勝手に消費されている……)
ルキウスが複雑な精神状態になっていると、上方で爆発音が響いた。生命の木の中ほど、いくつか窓が派手に火を噴き出し、黒い煙がモクモクと空へと立ち昇った。
「またやったか、エヴィエーネ。生命の木に悪影響がないか心配だ」
「許可をいただければ、いずれ専門の工房を建てようかと計画しております」
「そうか、可能であればそうするがいい」
「ではそのように」
「ところで、魔術師もあれを使っているのか」
ルキウスが視線を向けた先には巨大で場違いな物がある。かなり距離があるがよく見える。
「ええ、電子機器は魔術の研究にも使えますからな。天測でも役に立ちましてございます。何か問題ありましたか?」
「いや、文明的で結構なことだ」
そこにあったのは戦車。
長さ五十メートル、高さ三十メートル以上の異様に大きく丸っぽい履帯戦車。基地で得た最大の戦利品。その大きさゆえに転移で運べず、護衛を付け、森の上を浮かせて運ばなければならなかった。
超技術の発掘品かと思えばそんなことはなく、現在の技術で製造された物だ。見た目通りに鈍重で、人が歩くより遅い。しかし、遅くても進むところに意味があった。
戦車の中身の大半はバッテリーだ。この戦車は基地では大量の電線を接続され、基地の電源として機能していた。
そうしていたのは、〈補給〉スキルを使うためだ。〈補給〉は整備士などが修得する車両の燃料を回復するスキル。レベル1で五パーセント、最大レベル十で五十パーセント回復する。
アトラスではインベントリに入る携帯燃料などがあり、人気がなかったこのスキルは、西側の文明を支える重要資源と化した。
このスキルは車両に対してしか使えない、車両の条件を満たすために戦車型にしてある電源装置。帝国本土にはこれより大きな戦車型電源が多くあるという。この世界の理が生み出した馬鹿げた景色だ。
この電源戦車はアルトゥーロが〈補給〉を使用して、生命の木の電源となっている。
(物事には必ず種がある。サプライズがそうであるように、再構築が偶然の産物ではなかったように。ゲームみたいに電子の世界なら何が起きてもおかしくない。0と1しかないのだから、すべては管理者次第だ。
だが違うなら、何かのエネルギーが消費されているはず。こいつらは自然に受け入れているが、俺から見ると無限に湧き出す燃料は異常すぎるんだよな)
「ターラレンよ。魔術師として、スキルでエネルギーが増加する現象をどう理解しているのだ?」
「元々は神意の恩沢協定によって、職業に与えられた力であると認識しております」
「今はどうか?」
ルキウスはサポート達の認識をことあるごとに確かめている。
「神々の奇跡でないならば軽々に結論に至ることはできませんな。神羅万象、ありとあらゆる実験が必要です。ルキウス様はどうお考えですか?」
「わからんな、しかし時関連の魔法の効果が悪くなったのと関係あるかもな」
「おお、それは鋭い目の付け所ですな」
「まあ、調べるのはお前達に任せる、魔術は私の領分ではない。私は修行に忙しい」
ルキウスは考えるのが面倒になって目を閉じた。