狂気の森3
「大通りを普通に飛び越えられる。便利だな。無駄な時間が減る」
フィリが言った。
「どうする?」
ハンドルを握ったトーヴァが、屋根の上を走るルキウスを視線で追う。
「あっちは緑化機関本部だ。どっちにしろ行く予定だ。ギルドより先にしよう」
旧基地の緑化機関の入口まで走ると、木の看板があった。『注意 木が襲ってくる場合があります 襲われたらその場から離れて緑化機関に通報しよう』
敷地内は木が生え、なかば森と化していた。開けた場所に、いくらか戦闘車両が停められている。『ハンターは駐車料金無料』の看板。そこに車を停めた。
整備施設や武器販売所は誰でも利用できるようだ。東の商人は、農作物に苗、魔道具を売っている。
特に閉鎖区域は無く、自由に動ける。警備兵に緊張は見られない。
彼らは情報収集をかねて、車両の検査を依頼した。検査がまともに行われるかで町の治安、技術がわかるし、整備は我流だ。荒野で遭難したら死ぬ。そしてここの仕事は、町を離れなくてもできる。
「武器でも見るか。流通している弾薬を確認しておきたい」
フィリは知らない物を見るのを楽しみにしていた。トーヴァは基地内を歩く戦闘員を気にしている。装備には、大戦前の量産品が多い。
「ちょっとした発掘品持ちが多いな。俺は自動追跡弾が数発欲しいが。射撃の勘がもどらねえ」
「銃ごと使い捨てで需要が乏しいあれな」
「だから余ってるかもしれん」
「それなら消費型の魔道具があるんじゃないか? そっちのほうが興味ある。おい、さっきの人がいるが……」
フィリが言葉の途中で遠くにルキウスを見つけた。彼は敷地の片隅の林にかがんでいた。近辺では小さな区画の畑が連続しており、試験的な農地に思われた。
「あれは……あれはなんだ?」トーヴァが困惑する。ルキウスは妙な突起物に囲まれていた。それは草と思われたが、動いていた。すべてがルキウスのほうを向いている。その向きが彼を追っているのだ。
イヌだ。複数のイヌの頭が地面から突き出ている。イヌ顔畑だ。体は埋まっている。その真ん中にルキウスがいる。彼のすぐ後ろのイヌは、首を伸ばして彼の尻に噛みつこうとしてかわされた。
「動物の生首? 獲物だってのか?」
トーヴァは怪訝そうに言った。フィリは視界にあるものに覚えがあった。
すべてアクロイドン収容所のイヌだ。正式名称は怪異三十六番群。
あれは生物とは対蹠的な関係にある。
研究すればするほどに、彼らはあらゆる法則からは離れた超発掘品だった。
あれは特別な力を持ったイヌではない。魔獣でもない。閉じ込めるという概念が、イヌの形となっている。宇宙の神秘を実感できる存在だった。
それを隠すでもなく庭に植えている。
フィリは自分の感情をゆっくりとならして整えた。動揺してはいけない。
主張しているのだ。ここにいるぞと。お前たちの背後を襲った者がここにいると、わかる者にだけわかる言葉で訴えている。
これがトーヴァには大変奇妙な光景らしく、「動物……だよな。あれはなにを?」とすべての興味が集中していた。
「さあ、関わらないほうがよさそうだ」
「呪術なのかね」
「知らん」
「気にならんのか?」
ルキウスはどこから生肉を取り出した。それをイヌの顔に近づけようと試みているが、口に手を近づけると、イヌが無感情に噛みつこうとするので、何度も角度を変えてイヌを眺め、どうしたものかと迷っている。
やがて、両手でガシッとイヌの口を抑えて強引に口を開き、足で持った肉をのどの奥に押しこんだ。
「ええと、飼育していると考えられる」
冷静に言ったフィリは、心中穏やかではない。
(ばかな! 自然祭司よ、文明と引き換えに人々が忘却した始原の理を示す者よ。わかっているはずだ。それは自然においては異物、科学的視点では恐怖。それから得るべき印象はそれしかない)
あれは現象なのだ。フィリですら一切の意思が感じられない。生物の要素も機械の要素もない。食事などしない。
科学と魔術の双方の道理で計れぬ宇宙の神秘。絶対的現象なのだ。
それに餌を与えようと努力している。のどかな林の一角が狂気で満ちている。
自然と共にある者なら、絶対に生態系の外にあるものだと理解している。感情のない目が追跡対象を追っている。より深い知見を有する者ほど、あの視線に恐怖を感じる。宇宙に見られていると、底の知れぬ、どこかの何かとつながっていると思える。
それとも、そのさらに奥底に潜む何かを見出したと言うのか。それを支配できると言うのか。森とあるべきにもかかわらずこの文明の地をかっ歩する異端は、それほどなのか。
フィリは黙っていた。
「……変わった飼い方だな」
トーヴァは納得の努力をしている。
「とりあえずギルドの活動地登録が先だ」
その場を離れ、ハンターギルドまで歩く。道中では鎧や剣など装備をした東の人間がいた。まがい物もいる。やたら派手なのは文化主義者だ。これまでの倹約生活にあてつけるような貴族然とした格好や、獣の頭蓋骨をかぶった祈祷師風の極端な格好だ。魔力がないので、近くまでいけば偽物はわかる。
簡易的な識別方法も見つけた。東の人はあまり帽子をかぶらないようだ。服で個性がだせるからだろう。フィリが記憶してきた超人派の顔はない。
ギルドに入ると壁に張り紙がある。特定の仕事を受けるには、以下の者を監督者としてパーティーに加えること。
ナチョ・パリシオ、トマス・クック、アル・フワーリズミー、ナポレオン・ボナパルト、ルイ・デュードネ、スキピオ・アフリカヌス、ピョートル・ロマノフ、シモン・ボリバル……
特定の仕事とは、森林内部の仕事、発掘、悪魔の手が近い仕事、重要物資輸送などだ。流入する未知のハンターにお目付け役をつけることで対処している。
そして活動地登録しようとすると、ギルド職員が言った。
「超能力者は貴重です。緑化機関に所属しませんか?」
平然とギルドが他組織の勧誘をしてくる。緑化機関と完全に連携している。
「来たばかりじゃ判断できないな。数か月は様子を見たい」
フィリが応対した。
「もちろん、ギルドにも依頼はありますが、あっちに所属すると装備の貸し出しがあって、こっちの仕事もやりやすい」
「おいおい考えるさ」
「そうですか。調査が得意とありますが、どの程度で?」
「思念を残すものであればなんでも。完全に見逃すことはない」
「それなら、まずは向いた依頼が……」
と受けた依頼のために、二人は町を取り巻く森に来た。東側の荒野と森の境界だ。外から見えない距離までは入るなと言われたが、少し入っただけで暗くなって冷え、深入りはためらわれる。
「あらゆる悪意を持った侵入者を駆除、なんらか痕跡、異常があれば報告。つったってよ、普通に住人が出入りしてるぜ。視界が悪いし誤射されちゃたまらねえ」
トーヴァが不満をこぼした。
「邪悪な気配があればわかる」
「依頼条件が荒い気がするが」
「これは、人によって報告内容が変わる。組織の混乱でなければ、テスト。あるいは、何か起きてるが、何かはわからないとか。それなら探すものを指定しないほうがいい」
(超人派がなにかやらかしたか? 街の警戒レベルは低いが)
「つまり過去に破壊工作があったんじゃねえか」
「この森の気配はどうもな。変な感じだ。汚染の呪詛とは違うが……」
フィリは森全体からうっすらと鼓動のようなものを感じていた。初めての感覚だが、自然ではない。汚染地と森がせめぎ合っているようだ。それは衝突というより、何かが森へしみ込んでいるようだ。
フィリはさらに力の流れを探ったが、その意味は理解できなかった。さらに周囲へと意識を向けると、急に力を感じ、少し離れた木を見上げた。ルキウスだ。
枝のあいだに彼が縮こまって座り、こちらを見ていた。
「鋭いな」ルキウスは感心していた。
「これはテストですか?」
フィリは新人用の能力判断の依頼をつかまされたかと考えた。
「いや、知らない軽装がいたから。ハンターだな?」
「ええ、あなたは緑化機関の人ですね」
「そうだ、新入りかな?」
ルキウスが木から降りてきた。フィリの望んでいた接触だ。どこかで一瞬肌が触れるだけでもかなり情報がすくえる。
「今日町に来たばかりでね」
無理に近づいたりしない。顔見知りになるのが第一歩。そうすれば機会はある。
「心臓に悪いぜ」トーヴァが言った。
「お仕事の相手が来るぞ」
ルキウスがくいっと指を動かして、荒野の方向の高めに向けた。バガガバガガと奇妙な音が聞こえる。それが徐々に大きくなる。枝葉の隙間からわずかに音の主が見えた。
大きめの鳥ぐらいの何かが低空を飛行し、そして森の木々に突っ込み、葉を落としながらこちらへと飛んでくる。それの高度が下がり、葉の下に出てくる。
鳥の翼と虫の翅でぎこちなく飛ぶらせん状にねじれたクワガタだ。かなりふらついた飛行だが、フィリへ向かっている。
フィリが凝視し、思念を飛ばした。――落ちろ。
意図したとおりに化け物が急激に地面に落ち、さらに自ら顔を地面にこすりつけ、いくつあるかわからない手足をばたつかせている。しかしフィリは表情を曇らせた。
(いやな感触だ。蟲でも動物でもない)
複数の生物の精神がぶつかりあった醜悪なパッチワークだ。乱れすぎて正常とは思えない。精神病にかかったような状態だ。人と致命的に異なる怪物でも、闘争性などの生存本能があるとわかるが、この思考で生物としてふるまえるとは思えない。
フィリが化け物の動きを制御しているあいだに、トーヴァがすみやかに化け物に接近し、軍用拳銃を連射した。化け物の体が弾け、黒く濁った汁が飛び散った。異様な思念が消えた。
「そいつを晩飯にするのはお勧めしない。どこにでもいるから気をつけろよ」
ルキウスは言い終わると、目の前から瞬時に消えた。
「たやすく瞬間移動をやる」
トーヴァが言いつつ、念話を送ってきた。
『疑われたか?』
『いや、彼の興味は魔物だ。我々のカバーに来たらしい』
フィリも念話で返す。
『低空侵入した一匹を認識できているのか』
『想像以上にフットワークが軽い。ほぼ読み取れなかった。オーラが漏れていない。自然体に見えて警戒しているな』
「神出鬼没というわけだ」
「で。食う?」
「まさか、ギルドに提出しよう」
確定した情報が一つある。あれがまとった気配は波打って森へ広がった。ひとりにして軍団級。戦争継続は国家の自殺だ。
問題は、手を取るふりをして、より効率的に帝国を侵食するつもりかどうかだ。
敵がどこまでも敵なら、こちらは正規戦をやめて戦力を地下に潜らせ、直接抗戦を避けた妨害を試みるべきだ。司令部機能を隠した民家を増やし、武器庫の分散などを行うべきだ。
この地を目にした超人派も、よほどの愚か者以外はそう思う。
翌日、ギルドに行くとルキウスの声がしていた。彼は席に着いて、鋭い気配を持つ東の男と話していた。
「トンムス、おもしろい依頼はあったか?」
ルキウスは焼いたキノコを食べていた。
「町中の依頼で社会勉強と観光してる感じですからね。どこを見てもおもしろい」
「そうか、そいつはいい」
ルキウスの言葉は、そうよさそうではない。
「問題は解決したので?」
「いや、あんまりだ」
「そういう感じは珍しい」
「害虫が増えてるんだよ。ハチの調子も悪い気がする」
「完全に農民ですね」
「輸入した杭があったろ?」
「あのやたら太い魔術杭ですか。土地に魔術を固定するやつでしょ?」
「あれに全力で浄化の魔法込めたら割れた」
聞いたトンムスはまたやったのかという表情だ。ルキウスが続ける。
「とにかく力の調節をして使ってみたが、効果はいまいちだ。あまりよくない部類のダニが増えてる。人の健康にも悪いかも。キノコはやたらはえる。これ食べる? 毒キノコだけど」
ルキウスがどこかから堆くキノコが積まれたざるを出した。
「いえ、こっちは食べられない。帰った時に人を探しておきますよ。でも、虫に干渉できるのでは?」
「できるが……広いし。ああ、市民が取らないように、私が毒キノコばかり食べないといけないんだ」
ルキウスがむやみにキノコをほおばる。
(思念は読めんが、何か違うことが頭にあるな。昨日も何か考えていたか?)
「捨てればいいのに」トンムスが言った。
「取ったら食うんだよ、味は悪くない」
「ちょっとルキウスの旦那」とバンダナの若い男がルキウスに声をかけた。
「ええ……と、ジョージ?」ルキウスが記憶をたぐっていた。
「ジョージ・ワシントンです」
バンダナの若者が答えた。微妙に不服の思念が漏れた。
「そうだった。いや、覚えてはいるがな。付き合う人数が増えて。ゼウス・クセナキスは覚えているが」ルキウスが別の席のハンターを見て「あれがナポレオンだよな」
「そこそこ会ってるのに……。地下の仕事は人気がなく、条件もあって依頼がたまってる。テコ入れが必要じゃねえかと」
ジョージが言った。
「かってに地下に入ってる輩は多いようだが」ルキウスが言った。
「だから、それを取り締まる仕事でしょ。依頼を受けるぐらいなら、地下で財宝探したいってのがハンターだ。取り分を用意して、装備も貸し出してるんだが」
「ここも詰まり依頼があるわけだ。受けましょうか?」トンムスが言った。
「危険度が読めんのだよな」ルキウスが思案する。
「接近戦ができる人は大歓迎だが」ジョージが言った。
このやり取りを聞いていたフィリは受付に行き、言う。
「彼らの言っている依頼はどれだ?」
「地下巡回、地下地図製作、犯罪者検挙などかと。受理後は自由行動型が多いですね。星四つから受けられます」
受付が言った。フィリは依頼書に目を通す。戦争による破壊で地下への入口が増え、さらに地下構造への負荷で内部に亀裂が発生し、深くへ潜りやすくなっているらしい。マッピングは進んでおらず、未知の領域が多い。
「報酬は仕事内容次第になるやつだな」
明確に何かを駆除する依頼や、一定期間の護衛依頼と異なり、成果で差が出る仕事。
彼らが話しているあいだにルキウスはギルドを去り、トンムスとジョージが意見交換をしていた。
そこにフィリとトーヴァが声をかける。
「稼げる仕事なら興味があってね。受け手が少ないなら、報酬は上がりそうか?」
「知らねえ顔だな。戦闘技術は?」ジョージがフィリの胸元の星を数えた。
「ヴィ・ラクター、思念術者」
フィリが答えた。超能力者の中でも精神への干渉能力に特に秀でている。半面、物理現象は苦手だ。あまり戦闘向きと思われない。
「ザクセ・コムバロフ、おれは遮断者だ」
トーヴァが続いた。こちらはあらゆる干渉を断ち切る能力に秀でる。自分の精神も閉じて読ませない。
「もちろん銃は扱える。生体索敵ができる。幽霊だって。地下で生活したこともあるぞ。これでも修羅場をくぐってるんだ」
フィリが言った。
「へえ、しかし見えねえ力は程度が計りにくいからな」
フィリはジョージの目を見つめた。「疑念、エリート様は途中で帰りそう。文句多そう。恐れ、不都合な情報が――閉じた」
ジョージは深い息を吐いていた。何も読めなくなった。精神制御は簡単に身に着く技術ではない。ジョージは訓練を受けている。
「いいだろう」ジョージは険しい表情になっている。「コモンテレイへはなぜ?」
「ここが一番活発だっていうから。一旗揚げようと思ってね」
フィリが言った。黙って聞いていたトンムスの興味が急激に彼に向いたのを認識した。名乗った時にもわずかに反応があった。しかしトンムスはこちらをあまり見ていない。それでも思念はこちらに集中している。
「ちなみにあなたはギルドの人?」
フィリがジョージに聞いた。
「ギルド指定の先導者だ。ごそっと変わったもんで、対応できる魔法使いやガイド、再教育された技術者が、各パーティーに派遣されてるってこと。地下絡みは、死肉漁りに、元密輸業者とか、普通に住んでたのとかだ」
「……あなたの場合は?」
「俺っちは地下探索屋」
「都市鼠というやつか」
都市鼠は、地下の情報屋にしてガイドだ。
地下には古い機構が壊れて封鎖された場所や、犯罪組織の隠し倉庫などが多い。一般人も、非常用の武器や密造酒ぐらいは隠しているものだ。
そういったおおっぴらにできない品を頂戴したり、理由を聞かずに道案内してくれるのが彼ら。
「いかにも」ジョージが強く同意した。
「どうも聞いていると、こっちの想定より地下が広そうだが」ここでトンムスが口を開く。
「大戦前の大都市は、地下深くまで構造を作っていた。そうしなければ、地下の脅威に対処できなかった。足元が魔物の巣になれば、町中から攻撃されちまう」
ジョージが言った。
「ならば、実入りがありそうな仕事に思えるが」トンムスが言った。
「地下に行きたがる腕利きは少ない。ガスだまりで銃が使えない場合がある。というかいきなりぶっとぶ。依頼なら検知器持っていくけどな。弾の補給はできず、荷物がでかいと通れない。そして汚い、暗い、疲れる」
「なるほど、剣を使う人間が少ないわけだ」
「……今日は無理だな。探索エリアを決めて、準備が必要だ。できれば複数の班を動員したい」
「そんなに大事なのか?」
トーヴァが聞いた。
「どこでもおなじみに地下の怪物や秘密結社の噂は昔からあるが、行方不明者は実際に増えている。外から入った魔物が何度か確認されてる。大物がいるかもしれん。カバーしあったほうがいい」
翌日、ジョージは頭にガスマスクを載せ、体をゴム状のスーツで包み、アサルトライフルを腰辺りにぶらさげ、大きな十字槍を握ったいでたちで現れた。
「どんな格好だよ」
トーヴァがあきれる。
「お前らのもある。暗視付きガスマスクだ。魔道ライトはあるがな」
ふたりも頭にガスマスクをのせた。十字槍は、サイズ変更能力付きだった。
彼らは、廃墟の床にできた亀裂から地下へ進入する。近くの穴からさらに二つの班が地下へ入る。魔道通信機で定期的に連絡しながら深部をめざす。