狂気の森2
黄昏時で、場所は、村の片隅で大きな倉庫の影だった。重なった葉の下で暮らす妖精人には、快適な暗さだ。
ルキウスは気配を殺してジウナーの背に近づき、彼に声をかけた。
「働き者だそうだな」
ジウナーが落ち着いて振り向いた。涼しい顔をしている。
「新入りが、木の上で寝て過ごすわけにはいかない」
今日は地下鉄の到着日ではない。だが備えていた。
「要件を言え」ルキウスが倉庫にもたれて言った。
「なぜ隠される?」
ジウナーの素朴な言いようには、不服が潜んでいた。
「別に隠しちゃいない」
「気づく者は察していよう。考えてみても、あなたには隠す理由がない。なぜこのようなふるまいをされる?」
「どこかの誰かと間違ってやしないか?」
「そんな次元ではない」
ジウナーは言い切った。
ルキウスは仮面と蔽種のイアリングをはずした。ルキウスの耳が尖ったものに戻る。
「これで満足かね?」
ジウナーに驚きはない。予定調和の親睦会を終えて、ようやく会談の席に着いた。
「あなたはいかなる理由でこれをやっている? そこが蒙霧に覆われている」
「そう言うあなたはどういった立場だ? 誰とでもは話さん」
「バーチ氏族、皚々のタキタルが長子、楡下のカラドリエル」
「それが正当な名乗りか?」
「もはや意味もない。それでも名は変わらぬ」
「ならば、宇宙の果てまで驚愕させるルキウス。そう……そうありたい」
ルキウスは自分に言い聞かせるように言った。
「大きく出られた」
ジウナーの気配が少し前のめりになった。
「こちらが聞かねばならんのは、そっちがどこの紐付きかってところだ」
「つまらぬ疑いを」ジウナーはいかにも心外そうだ。「ひとりの学究として来た」
ジウナーは堂々として、確固たる意志を表した。
「ふーん」
「なぜ隠された? いや、隠していないに等しいが」
「人の国だったからそうしただけだ。それに私は人だし」
「人などと……」
ジウナーは考えつつ言葉に詰まった。この意図を解釈できていない。思考の中に、プレイヤーという候補がない。
「人なんだよ。いや、宇宙人だな。それでいいや」
「話を逸らされる」
ジウナーに不満が見えた。ルキウスはそれにやり返すように、緑の目をけわしくした。
「ヴァーラのほうが接触しやすかったはずだ。同族に飢えているのか? 同族なら協力すべきだとでも?」
言われたジウナーは思ってもないという表情だったが、すぐに答えた。
「それはない。いまや、ザメシハにもちらほらと妖精人がいるが、特に求めない。彼らの多くもまた、群れる者ではない」
「ならばなぜ私に?」
「この混迷の時代に大きなうねりが起きた。歴史を追う者として見過ごせぬ。その発生元を追えば、位置を定めず動き回っている。だが、最初は明らかにあなたで、さらに定期的に姿を消している。確実に複数に関与している。さらに西でもとなれば、あなたの企みと考えるのが当然」
「気のせいだろ」
「おおいなる力には大いなる理由があり、おおいなる運命がある」
「そちらとて、上位妖精人ではないのか? ならば常人ではあるまい」
アトラスの感覚で、ジウナーの力量から職業構成を推定すると、上位の基礎職業レベルがいくらかあるはず。
これで寿命が延びる。
東西の人間文化圏では、上位人間という呼称はない。ただ強い人は体が強いから長生きという解釈だ。魔術や神代の薬などでの延命もあるし、スキルでも伸びるかもしれない。
遠い先祖に妖精人の血が混ざることも珍しくなく、上位になっても寿命が五十年延びるだけだから、多くの要素に埋もれる。
しかし妖精人は純血で、二百年から四百年になる。明確な差だ。
「年の重ねようからすれば、そうだろう」
ジウナーは当たり前のように答えた。
「あなたの氏族では普通のことか?」
「大戦後、闘争が増え、死人が増え、生き残った者は仲間の犠牲を背負うこととなった」
「選別の結果か」
「あなたこそ、かなりの年齢では? 若年の研鑽でたどりつける場所とは思えぬ」
この言いようは、妖精人・起源の概念が彼の文化に存在していることを推測させる。そして、彼はルキウスが年上だと思っている。彼の視点では妥当な推測だが、ルキウスには想定外の意見だった。
「冗談を。こっちはなんとか二本の足で立って、走れるようになったぐらいだ」
ルキウスは笑って答えた。
「ならば、妖精人にも伝わらぬこの自然の恩寵あってのことか?」
「人より長生きしたところで、対して物知りにはなっていないようだ」
「どうも……私が妖精人であることが問題であるような言い方だ」
「根源的な差は、つまらん争いをまねく。実につまらん」
ルキウスはため息をつくように吐き捨てた。
「人に隔意があるのはあなたではないか!」ジウナーが声をはった。「その偽りの姿は、明るくふるまい、いかなる階層の住民とも親しくしているように見え、その実、住民とは心理的距離がある。演技であるがゆえに、いかなる者にもどこまでも近づける。それは誰も自分に触れえないと知っているからだ」
「嫌なことを言う」
ジウナーは学者として各地の調査に赴く。ならば、ルキウスのふるまいは見覚えがあるはずだ。現地人の協力なくして調査ははかどらない。それを得るには、積極的に友好的接触を繰り返すのが手早いのだ。
「違うのであればなにか!?」
「ちょっとばかり人見知りなだけだ。意味を求めすぎだ」
「あなたがその力を内外に示し、正しい位置に収まれば、この混迷の時代が終わり、再び繁栄の時代が訪れよう。あなたのなんらかの目的も叶おう。あなたが迷えば、世も迷う。その力を公然のものとし、世に示すべきだ! それとも、そのふるまいこそが神の意とでも言うのか?」
「その不満はあなたの望みから来るもので、こちらへ向いてはいないな」
ルキウスがジウナーを見つめて言うと、彼は黙った。ルキウスが続けた。
「なぜザメシハにいる? 遠方の出身だろう」
「……若い頃は、オークを殺すことしか頭になかった」
「大戦による人類の衰退で、文明圏に這い出てきた地下勢力か」
「繁栄の時代が過ぎ去り、ティエンクス大山脈南の広域が崩落し、闇の底で忘却されたものどもは空に惹かれた。私の森はその拡張の影響を受け、不毛の戦地となった。森では我らが有利だが、地下には攻め入れぬ。決定打がない永久の闘争、それを理解し、去った。森近辺の大国は限られる。スンディはクリルエンの緑禍の影響が残り、森の近辺では魔物の掃討が続いていた」
「……私は人間同士は仲良くしたらいいと思ってるだけで、何かに介入しようなどとは思っていない」
「森の神の意にそわぬというあの戦か。つまり神と運命を共にすると?」
「あれは利害の衝突にすぎない。ザメシハは、事実上、序列に挑戦していた。頂点の自負があるスンディーはそれを受けた。彼らが欲したのは炭だ。単純消費用途ではない」
「ほかの用途があったと?」
「最近知ったが、魔術処理した炭を農地に用いることで、汚染の拡大を防ぎ、実りを増やす技術を開発していた。彼らも森に面しているが、地形からの流通問題がある。トラブルが起きればきり捨てられ、かつ生産実績のあるザメシハ南部が欲しかったんだろ」
「枯れても魔術王国か。しかし、ならば、なにより愚かなあの大戦のことか?」
「大戦ね。どうでもいい」
「どうにも話すほどあなたの姿が遠くなっていくようだ」
「とにかくな、つまらん争いを思い出すと気が滅入る。それが今の私だ」
「私の妻は人だ。ご存じのはず」
「色香にやられただけかもしれない」
「……そのようなことはない」
ジウナーが顔から感情を隠した。
(娘らしいあれが、痴女だったからなー)
「私の意味がわからんことには、どうしても帰るつもりにはならんのか?」
「意思がなければ力はない」
ジウナーの言葉に力が戻る。
「あんたは運命の人だな。なら……私は誰かの夢だ」
「人々によって動きを定めると?」
「希望と言うべきだったかな」ルキウスは雑草をつまむ。「こいつや」それはクローバーだった。「こいつも」次は虫、コクゾウムシだ。「こいつも夢だ」
「すべてを司る自然の意思の話か? あまりに難しい」
ジウナーはルキウスが捨てた虫を見つめた。
「誤解するな。説明の意思はある。言葉がないだけだ。どうするかな、言葉を探すには、そっちを知りたい。あなたの運命がなんなのかを」
「いいでしょう。里を出た私は、歴史を紐解くことこそ使命と定めた。学者という身分は貴族に取り入るにも便利だった」
「でも歴史好きだろ?」
「歴史に興味を持ったのは、人間と妖精人で同じ出来事の記録が異なったからだ。一方で共通することも多かった。共通点を基準にずれを追っていくと、新たな事実に当たった。これは私の強みになり、あるときは財宝を得た。訓練を重ね、ずれを探すのを得意とした。しかし財は求めていない。正しい歴史を知りたいのです」
「おかたい性格には見えないが」
「いやいや、面白い伝承重視です。誰かの箔つけのためのものは、忘れてしまう。それに権力者の意思を逃れた俗な話に真実が眠っているものだ。そこを追うのがおもしろい。パズルが組み合わさる時の悦楽はわからないでしょうね」
ジウナーはルキウスに対抗するべくまとっていた圧力が消え、自然体になっている。
「なら古き緑という神は、ジメジメしてるとイライラすると記録しといてくれ」
「事実ですか? 神話でも珍しい記載に思えるが」
ジウナーが苦笑いした。
ルキウスはジウナーと話しやすいことに気が付いた。学者というのは、もともと彼の友人に多い層だ。冒険家、実験家、芸術家などもいるが、話せるのは学者だ。
穏便な会話で彼が信用できるか判断するのは難しいが、このタイプは忠誠心や所属意識が乏しく、個人主義者が多い。それは彼の今の人物像と矛盾しない。
そして彼の言うとおり、今からルキウスが神だと名乗っても、情勢に大きな変化はない。東西で戦が起こり、誰にも余力がない。ルキウスにすらも。
ルキウスが面倒になるだけだ。面倒は嫌なので彼が表に出ることはないが。
ルキウスはきり出すことにした。
「プレイヤー、というものを知っているか?」
歴史というなら、知りたいのはこれしかない。確実に人間より世代が少ない妖精人の歴史は価値がある。
「プレイヤー?」
ジウナーが問い返した。
「そうか、知らないか」
「おおっぴらに語られる言葉ですか?」
「いや、口にはしない。古くからあるはずだが」
「ならば、無数の古語に紛れているかもしれない。家の資料をあされば」
「誰も知らぬ場所より現れ、誰も知らぬ知識を持ち、あまり常識がなく、今の戦士と比較するなら逸脱して強い者だ」
「異次元より召喚されし者でなければ、多くの神代の英雄に該当するように思えるが……」
ジウナーはルキウスの顔をうかがった。
プレイヤーが地球関係の記録を残す可能性は低い。ここでの生活には役に立たないからだ。そして現代人なら、戦国の君主のように自分の出自を創作しようとはしない。そんなことをせずとも、彼らには絶対的な武力があったはずだ。
だから記録からプレイヤーを特定できない。しかし、候補は導ける。
「取引しよう」
ルキウスが言った。
「善意的な?」
ジウナーは警戒した。
「お求めの情報提供で、考古学の発展に協力するだけだ。こっちはあなたの情報が欲しい。行く先々で見知ったことを教えてくれればいい」
「条件は?」
「お互いに話したことを広めない。言うなら許可を」
「いいでしょう」
「私はプレイヤーだ」
「つまり?」
ジウナーはぴんときてない。
「おそらく神代に記録される幾人かと同じ境遇で、同程度に強い」
「…………つまり来訪せし者! なんということだ!」
ジウナーが叫んだ。
「声がでかいって」
「これは失礼」
「来訪せし者は適切な言葉だが、君ら視点だな。言っておくが、来たくて来ていない。したがって目的などない」
「なるほど、なるほど」
ジウナーが様々な感情でかき回された顔を寄せてきたので、ルキウスは後退した。
「しかしだとすれば……ならば、思うに、あなたは知る側で、尋ねることなどないのでは?」
「よくわかっていないので訪ねているんだよ、学者様」
「ならば、プレイヤーに関わる条件をもっと詳細に。しかし、こちらが聞きたいことしかないが」
「神の地の情勢が安定すればずっと暇になる。話には応じよう。まず聞くのはこっちだ。プレイヤーに関わりそうなあらゆる歴史の記載を、何より会ったことがあるなら人名を」
「会ったことがあればあなたの性質をすぐに理解した。資料が必要だがどうしたものか……そうだ! ご存じか? 神代の地名は、言葉が統一される前の古語や異界に由来するとされる者が多い。これには簡単な識別法がある」
「いや、知らないな」
「神代の地名は多くがユニークだ。グレッグの鼻水、首飛び丘、無駄に白い砂漠、意外に水が出ない地、固い石、二番目の家、プラヤーがこけた、ゴミ捨て場、皿割り平原、肘が痛い。これで古い文明の地を識別できる」
「それこそプレイヤーがやりそうなことだな」
「享楽の者と? これも正しい! なんということだ! 多くがつながるぞ」
「まじめに地名考えるのは大変だったのは理解できる」
「古い地名が集中している地域なら、神代に栄えていた地域だと考えて支障がない。そしてその元はプレイヤーなる存在と」
「まあ、いろいろ持っていただろうな。でも変な地名は見てないな」
「崩壊の時代以後、名前が普通になっていく。だから今は消えてしまった」
「大陸が沈んだあとからだな。ふざけた地名を出身地にしたくないだろうし」
「ならばあれを境にプレイヤーは絶えた? いや復興の時代にはまだ存在した。だから世代が離れても共通の出土品が出るのだ……」
ジウナーが自分の世界に行きそうなので、ルキウスが声をかける。
「あなたの氏族は、四千年の歴史があるらしいが、プレイヤーと関りはないのか?」
「古い記録には出自不明の英雄がみられるが、資料の逸失はあることだし、特定は」
「万全のプレイヤーなら、圧倒的に強い」
「確かに古い英雄は神の血を引くといわれ、現代の妖精人よりは明らかに強い。あなたはそれもプレイヤーだと疑っている。そうか! その警戒か」
「やはり古い記録はあいまいか?」
「ゾト・イーテ歴以前の記録は、地域で残っている分量に大きな差が出る。後世の創作も多く、手の込んだ偽物もある。識別が困難だ。やはり資料を突き合わせる必要がある」
「なら今は別件だ。過去に異次元の高位者、魔王級などが顕現したかを知りたい」
「神代の記録には多くあるが……」
「信ぴょう性が高いものだ」
「二つは思い当たる。片方はプレイヤーに討たれたと推定できるが、とにかく調べる必要が」
「そうか、今日は帰る」
ルキウスは場から去る気配を見せた。
「帰られる? ここで!?」
ジウナーは極悪人を非難するようだ。
「仕事がある。明日も来るから」
「そうだ! 村長がいる!」
ジウナーがきょろきょろする。
「カサンドラは違う。話してくれるなよ」
「違う!? なぜだ? どういうことなのだ!?」
ジウナーがルキウスをつかもうとしたが、ルキウスはかわした。
「ああそうだ。こいつも聞いておこう運命の人。自分の使命がなんとなくわかる時は、どうすればいいと思う?」
「使命を果たせばいいのでは?」
ジウナーは何を尋ねるのか? という顔。
「自分の意思ではないからな」
「ならば神からの指令か。ならば、すでに何かを実行されたのでは?」
「使命はあんな些事ではない」
「これまでの出来事が些事と?」
「大昔、師匠に言われたんだな。君に役割が回ってくるなら、それは大事になると。だから些事には興味がない」
「やはり私にはあなたの底が見えない」
ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 十月 三日 帝国本土から未回収地へ続く谷間の道
未回収地へ抜ける長い道を走る軍の払い下げ品である旧式四輪駆動車は、屋根が無いオープンカーで、車体後部には、重機関銃が備え付けてある。
そして、ふたりの若い男が乗っていた。
運転しているのは、トーヴァ・ギムラル少将、その隣でそれとなく谷の上を警戒しているのはフィリ・キセン・スターデン心覚大臣および心覚軍元帥、つまり帝国の最上層に席を持つものである。
「いまさら若い自分を見るとはね。まんざらでもない気分になる」
トーヴァがバックミラーをのぞいた。
「そんなに自分が好きだとは知らなかった。新天地に向かうのは、脱落者でなければ、血気さかんな若者と決まっている。一日に一度、錠剤を飲むのを忘れるな」
フィリが忠告した。彼は頭髪を短くしていた。
「わかってるって」
「設定年齢は二十七だ。こっちも忘れるな。年寄り臭い癖の強い酒を頼むな」
「十代前半でもおかしくない」
トーヴァがまたミラーを見た。
フィリ・キセン・スターデンは四十歳、トーヴァ・ギムラルは四十九歳。それが今は幼さが残る顔だ。
「若者が強すぎるのは不自然だよ」
フィリが言った。
「あんたが言うか。変わったのは顔だけで、体は年寄りのままだ」
「君は露出に気をつけないとな、私はそんなじゃない。健康には気を使っている。最近は神も拝むようになった」
「偉大な機神は、俗な願いには罰で答えるそうだが」
「長寿の神だ。幸運でもいいが」
「ちょっと羽目を外してやしないか、フィリ?」
「名前を間違えるなよ。竹馬の友のザクセ」
「友には違いないがね、ヴィ・ラクターさん」
両者の偽名は、死んだ戦友の名前だ。過去に短期間存在した部隊の所属者であり、どっちも十代で死んだ。同じ部隊の者でなければわからない。
そしてヴィことフィリと、ザクセことトーヴァは同じ特別部隊で南方戦線を戦った旧友だ。
さすがにふたりではなく、後方から距離を開けて護衛車両が来ている。未回収地に入れば、情報部と接触する予定だ。フィリは念話が得意だから、接触する必要もなく、相手がこちらの顔を知る必要もない。
狭所として有名な谷道は、車一台が通行するには余裕がある。ただし、魔物に襲撃され壊れた車両が放棄され、それらをあさる者も目にする。
「よりにもよっての危険地帯行きとは」
トーヴァが、転がった車輪を見てぼやいた。
「国家の非常時に暇にしていると実に目につくぞ」
「地方司令部勤務は快適なものでね」
「のらりくらりと少将を長引かせるからだ」
「お前の好きな前線視察がまた実現するほどの非常事態とは」
「戦略的聖域に敵主力の侵入を許したあげく、帝国の星が勝手に作動し、撃墜された。帝都の民心も揺らぐ」
「あれって使えてたんだ」
トーヴァが自然に驚いた。
「もともと制御できてはいない。いくらか情報を恵んでもらっているだけだ。アクセスには、特別なキーが必要だったらしい、と知った」
「それ聞ける統制レベル?」
「もう無いんだ。きれいな流星だったよ」
「で、収容所からは大脱走だって?」
「どこで聞いた? 鉄壁の収容所だ。脱走は許さんよ、国威に関わる。……飼っていたイヌが逃げてしまったぐらいだ」
アクロイドン収容所は心覚軍の管轄。その長であるスターデンは、あの施設が特殊資源生産地だと知っている。ほかにも、研究所、実験場、訓練地、先進医療病院など多くの顔がある。
それらは戦友でもしゃべるわけにはいかない。
「……お父上は、まだ存命で?」
「ああ、収容所で確認してきた。私からすれば、生きていて死んでいるが、きわめて健康的だ」
「世俗の争いから解放されたからだ」
「ああ、まったくだ。まあ、ありがたくもある。中央では未回収地の大敗が消し飛んだ」
フィリは椅子にもたれて言う。
「自分が射程内にいるとなれば、席次で遊んでいる場合ではない。緊張感は共有できた」
「また敵を研究するわけだ。初めて会った時の顔を思いだすね」
「君はクソガキが来たという感情をぶつけてきた」
「十歳の少尉が来ればな」
「恐れもしたな」
「そりゃあ、怖いだろう? 貴重な捕虜を片っ端から殺し始めれば」
「計画書はちゃんと承認されてる」
「もう少し説明があればね」
「敵の性質を調べる、とは言ったと思う」
「それだけで」
「当時は口下手だった」
「あれを口下手ですます人は絶対に信用できねえ」
「事実だからな」
「――花だ、文字だな」
フィリが見上げている谷の中頃の高さに、花の模様で移住者歓迎と書かれていた。緑化機関が植えたものだ。
「仕事が楽なら家族で移住しようかな」
トーヴァがあてつけがましく言った。
「緑化機関はよくわからんが、敵対は避けるべきというのが私の考えだ。問題は納得させる素材を入手できるかだ」
「そりゃ植物植えてまわりたいんでしょ。本土にも植えてもらえよ」
「君は単純でいい」
「近代で最高と目される自然祭司が、せっせと森作ってたんだろ?」
「それは食料生産と防衛の手段でしかない。だから派手に消し去った。自然を尊ぶなら絶対にやらん」
「作った森は神聖でないとか、あるいは軍が入って穢れたか」
「森の番人が番を放棄すれば彼らの神に罰される。だが敵は入って喜んでたさ。そもそも森を増やしたければ、邪悪の森や悪魔の森を拡張すればいい。彼らには住みよく、何かあれば森に逃げられる」
「地元が一番ってね、俺もここに来る理由ないし」
トーヴァが眉毛を上げ下げした。
「正常な人間が不合理と自認する行動をする場合は、必要に追われてだ。あとは気まぐれとかだが……さすがにな。ちなみにその自然祭司は、超常の術を行使し畏れられているが、愉快で、多少は常識の通じる人物とされている。つまりあの蛮族どもとは違う。むしろ知的だ、それも進歩的」
「神代映画より娯楽的な飛び出す入れ墨がなくて、白目剥いて耳から煙出さず、獣の糞をかぶってドロドロなったりもしないってことだ」
「そうだ。彼らの権力構造が、独裁や、一定の意思統合がなされているなら、組織を一人格と捉えていい。構成人数は少ないはず、面倒な都合を抱えている可能性は低い」
フィリがここまでの分析を述べた。
自然祭司は目立ちすぎだ。彼は目くらましと推定できる。そうでなければかなり自由な組織だ。
どちらにせよ、町をうろついてるから接触はできる。フィリは遠目にでも直接見ておきたい。まとった思念だけでも、性格はわかる。
思案の尽きぬフィリが言う。
「彼にとって森とは何か……候補は定まらない。嫌々森を造っているのか、何かに備えているのか、趣味か」
「まともな推測でうれしいよ」
トーヴァの言葉は慈愛に満ちていた。
「……探し物か、もっと間接的な探し物の地図か、もしくは目的自体が不明でそれを探しているのか。すべてがありうる」
「そんなことある?」
「私はなんで生きているのかもイマイチだ」
フィリが平然と言った。
「レアケースだろう」
トーヴァが笑った。
「年をくえばわかるものかと思ったが」
「あんたは、蛮族の集落を偵察した時、敵はどうやら子供を育てる習性があるらしいって言ったんだ。工場のベルトコンベヤーで組みあがるみたいに自動的に大人にはならない」
「秘伝の魔術で育てる可能性もあった」
フィリは少々抗議的に言った。
「今なら笑えるが、あの時は頭が真っ白になった。何かの術でもくらってるなら、こいつをぶん殴らないとならないって」
「理解が必要だ」
「まだか。凡庸な親に天才は理解できなかった。それだけの話でいいだろ」
トーヴァの声が大人にもどった。
「父は馬鹿ではなかった。病的な超能力者嫌いでもない。私が調べたかぎりでは」
フィリは普段どおりだ。
「子供に銃を向ければ、始末されても仕方がない。それにしたって思考を潰されて、脳機能や記憶がシャッフルされただけだ」
「私の能力を知っていた父が、あの日に限って私の力が触れた瞬間に目の色を変えてわざわざ自室に戻って、銃を取り出し子供を撃った理由を知りたいだけだ」
「振り返った瞬間だろ。光の加減で目つきが悪かったんだ。その瞬間だけが恐ろしいということがある。我々の気配には波があるし」
「絶対にかわいいほうだった。永続的にかわいい」
「変なところに自信あるな……後悔してるのか?」
「いや、まったく。もう少し敵意の判別ができれば、父が攻撃したからすべてを敵とする論理展開はなかった。使用人の大半は生き残っただろうし、いくらか常識があれば、念のためと三歳の妹と一歳の弟は撃ち殺さなかった。それでも普通に考えればよくやったほうだ。普通に正面から当たれば、六歳児に百の兵は殺せない」
「冷静な戦況評価だ」
「治安部隊に追われて逃げた地下では実に多くを学んだ」
フィリは昔を思い出し、気分がよくなった。
「地下の住民の話が一番おもしろいよな。愉快で法も知らぬ自由な貧民たち」
「落ち着いてから一度顔を出したが、彼らは礼金を受け取らなかった。彼らは地下王国を誇っていた。あれで少しは人を知る」
「こっちの歳も知ってくれよ」
「そうだ。昔、兄弟は殺すべきではなかった。間違いだったと言っただろう」
「そうだな」
「今は正しいという見解もあると思っている。謀略のスターデンの継承者が私だけになり、むだな争いの被害を受ける者がいなくなった。あのままでは内外で流血は起きたはず。自然の獣においても、兄弟は生死を争う敵になることは珍しくないらしい。緑化機関はどう評価するだろうな?」
「嫌なおとなになったものだ」
「政治をやらねばならんのだよ」
「まったく、結婚しねえからだよ。そうすりゃ、少しはわかったんだ。ついでに年寄りをお供にしようとは思わねえ」
「自分の子供に殺されたくはない」
「物理的に無理だって」
「そんなもの、寝こみでも毒でもどうでもできる」
「物理、論理、確率。勢いがつかねえな」
「……実は言ってなかったことがある」
フィリがボソッと言った。
「ここまで来てなんだ?」
もう本土より未回収地のほうが近い。
「この大編成の混乱のすきに、超人派の一部が行方不明でな。未回収地に入ったとみられる。佐官級だけで七名は行ってる。残留思念は私が読んだ」
「……そっちが本命?」
「いや、あくまで現地調査だが、はち合うかもしれん。それでなくとも、奴らが何かしでかせば……」
現地にいればまとめて狩られるかもしれない。逃げるには今の狭い道を抜けるしかない。かなり困難だ。
「奴らは魔法至上主義もあるし、どうにかして緑化機関とやらの情報を手に入れて、取り入るつもりでは? さもなくば、乗っ取るつもりか」
「その可能性は低い。緑化機関とやらは、慈善的で救貧を優先している。彼らの超能力専制思想とは逆だ。どちらかといえば、帝国のほうが優れた者に特別な権限を付与している」
「まあそうだな」
「貴重な魔道具を仕入れに行った程度ならいいがね。奴らはプライドが高い」
「我々に仕掛けてくるか?」
「ないとは言えんな。我々は優秀で若い超能力者だ」
「やっかいな。まとめ役ぐらいはこっそり始末しときゃよかったんだ」
「簡単に言う。裏にはアゲスペ中将がいそうだが、彼は現地に突撃するほどあほではない」
「頭の中だけでもやってりゃ、と本気で思うね」
「この種の力は自制しなければならない。それに、『だけ』やるのは難しい。通勤路に車爆弾でも置いたほうが楽で確実」
「通行人もやっちまうだろ」
「それで将来の多くの人々が救われる見積もりであれば計算上問題ではない。よい見積もりがないならすべきでない」
フィリはたんたんと言った。
「年になっても元気で結構なことだ」
やがて彼らの車は谷間を抜けた。そこに黒の荒野とアダラマドレ市があるはずだったが、見えたのは感覚の空いた巨木の並びだ。その後方にアダラマドレ市。
「神代の再来かね」トーヴァがつぶやく。「昔はあんなのがわんさかいたって? 事実ならとんでもねえ」
「最初は十人だったとか、三十に、百だったとか、御使いは神に含めないとか、色々あるが、とにかく大勢だ」
「曖昧だな」
「ああ、暦的に神代は二千年はあったといわれる。長い説だと五千四百といくつか」
「そこは細かいな」
「調べた。文明の痕跡は掘ればわかる。一番古い石の矢尻が、それぐらい昔のものだ。ちなみに四千年ぐらい前に作られた剣が、古代では再現できない技術で作られていた。これを神の出現とする説が昔は多かった」
「昔ってのは教会以前で?」
「ああ、そこはわかるか」
「面倒に触れないようにしてても、それぐらいはな」
「聖典で、機神が空飛ぶ光る皿を最初に落としたのが、五千年前だ。空を我が物にしようとした、当時の神、つまり古神に怒りを示したとか」
「空軍が普通に空飛んでますけどー?」
「それは我々が機神を信仰しているおかげさ、わかるだろ?」
フィリは苦笑いした。
「わかりますよ。そりゃあ、熱心にやってますとも」
トーヴァも苦笑いだ。
「そこから伝説中の伝説の神代前期が終わりに向かい、多少は記録がある神代後期で、ここで暦ができた」
「神代ねえ、そもそもの定義を知らねえ、神代っていつまで?」
「二千年前の大陸沈没まで。以後五百年ほどの崩壊の時代と復興の時代が古代。この時代の技術は維持できず、小国が乱立して戦乱になった。土地は潮入りで、火山や地震が相次いだ。これを神々が去った呪いだという言説がある」
「まさか神とやらを解体して調べるとか言い出さないだろうな?」
「私をなんだと思ってるんだ? 幸いにも相手は為政者だ。その政治と街並みを見れば性質はわかるよ」
「あぶねえ、為政者じゃなかったら、解体任務になるとこだった」
「だから、なんだと思っているんだ?」
フィリが抗議した。
ふたりは、四つ星ハンターとして未回収地に入った。それなりに信用があって、仕事がくる立場だ。
アダラマドレ市では、相当に混乱が見られたが、窮民が減り、犯罪を防ぐ努力はされており、様々な問題を解決できる特殊技術者は求められていた。良くも悪くも混沌としており、彼らも混じるのは容易だった。
彼らは半月ほど精力的に活動して現地に慣れ、本命のコモンテレイに入った。元帥が司令部を長く留守にはできない。調査は急ぐ必要がある。
「東の人間が増えてる。ならお友達になるしかないだろう」
町の状況を知ったフィリが言うとトーヴァは無言で不審の視線を送った。フィリはそれを気にせず言う。
「だって彼らを知らないだろ? チャンスだぞ」
「そうだが……あれ」
彼らが進む道路の前方を、自然祭司が――ルキウス・フォレストが左から右へと飛び越えた。