収容所12
ブンダの瞳がうっすら輝き、微細な割れ目が張り巡らされた。そこから光がさした。すぐに割れ目の数が二倍、三倍と増え、より深くなり、ほろっと球形が崩れる。
ルキウスはソワラの胸の谷間にいた。二度目である。体を拘束する紐に魔力を通してほどき、勢いよく飛び出した。そして伸身宙返り二回ひねりで着地。
ただし小さな人形状態のままだ。関節の動きがぎこちない。
「ルキウス様! よかった!」
ソワラがルキウスの上から話しかけた。そうは見れない笑顔だ。
「ヴァルファーがいないから、解除してもらえないな」
ルキウスは着地までに周囲を確認している。ゴンザエモンが、精神を安定させる煙管をやって煙を吐き、鎧に付着した血をいじっている。
「何も……」
いや、ゴーンが倒れている。頭をスロープの下側にして、足を上げて無様だ。
「そいつはどうなってる?」
「彼女の音を聞こうと大研究家の顔で迫って、投げられただけだ」
セオは平静だった。日常業務中の顔だ。それがルキウスにはやや気味が悪かったが、ここで全力で視ても偽物とかではない。つまり順調だ。
これに、ルキウスはやや困惑した。地下収容所はかなり混乱しているはず。制御を失ったWOが下から突撃でもしてきそうな局面だ。
となると、問題は残してきた三人。ブンダの瞳による混乱は収束に向かう。いずれは、上に軍が殺到してくる。
このルキウスの心配を裏切り、すぐにヴァルファーたちが帰還した。それも爛れ執す双子キノコの塊を握って。
スロープの位置と地下で栽培されているきのこの位置を考えれば、片割れの位置を割り出すのはさほど難しくなかった。
すぐにきのこに火を通し、ふたりに食べさせた。慎重にスロープを上がり、無事に超え、一息をついた。脱出の障害は消えた。
ルキウスは覆面をウサギにした。ゴーンの聴覚は、狭い範囲の音を集中的に拾っている。レーダーとしてはやや不便だ。
「管理棟の中を突破しよう」
ルキウスが提案し、ヴァルファーも同意した。
「今なら中にまともな戦力はいません」
ゴンザエモンが壁を蹴り破って、全員が管理棟に入る。混乱している職員を適当にやりすごし、再びやって来たのは特殊保管庫。
「危険度が低いのを放そう」
ルキウスが選んだ動物型のWOを部屋から出して外に出していく。その次は再びの発掘品倉庫。
「持っていけるだけやるつもりですか?」
ソワラが言った。
「少しだけだ。急ぐ。金に換えられる可能性もあるし。呪いの品でもウリコがどこかへ売ってしまえば問題ない」
ルキウスが慎重かつ非常に速く棚を調べる。
「お! 当たり! こいつは今こそ使える。生命力を吸って、絶対視認不可能の噴煙を出してくれるWO」
ルキウスが手にしたのは、岩山の形をした置物【モノクロ山景】。
クエストでは、生命力を与え続ける【ゆで窯の湯のガマ】とセットで登場して、とにかく視界が悪い岩山で探索しなければならなかった。
「いや、危険物だろ。使ったら死ぬ呪物だ」
セオが指摘した。
「心配するな。生命力が足りないと発動できないタイプだ。きっと誰も発動できなかったんだろうな。ずらかるぞ」
ルキウスが部屋を出ていく。
「外はさらに混乱が広がっている。適切な指揮をする者を発見できない」
ゴーンが外の様子を告げた。
彼らは侵入地点から離れた壁をぶち破った。そこからルキウスが顔を出す。彼は真剣に何度も
「見られている……か?」
管理棟の周囲は多少開けているが、狙撃に適した建物がない。監獄の建物は全体的に低く、管理棟の周囲を占有している。
「引き返しますか?」
「いや、いい。このままだ」
ルキウスがモノクロ山景に生命力を吸わせると、とてつもない勢いで黒の噴煙が噴出した。収容所の中心部がこの煙で包まれ、ほとんど視界がなくなった。体が重くなった彼は、すぐに自分を回復させた。
「狙撃を警戒しつつ離脱する。二人には絶対に当てさせるなよ。気配を消していくぞ」
ルキウスはきつく言ったが、体が粉々になるわけではないから、ルキウスが全力で再生を使えば死にはしないはずだ。
ルキウスたちは無事に建物を離れ、敵との接触なしで隠れながら外側へ進んだ。物陰に隠れ足を止めている状況では、ゴーンの耳が非常に役に立った。そもそも、彼は下から地上の音を聞いていて、どこに何があるかをだいたい知っていた。
機装兵たちは、中央付近建物にまとまって待機していた。ゴーンによると修理の音。彼らに追撃の意思はないと判断できる。狙撃手の位置が知れないことだけが不安だが、収容所の壁を越えてしまえば、狙撃の方向は絞れる。
車両部隊が追ってきても、脅威にはならない。収容所を地下で覆った壁を越えれば、転移が可能だ。外まで出ればエルディンの支援もある。
そして彼らは外壁近くの建物の裏手まで来た。ここまで戦闘なしだ。囚人が逃げたこともあって。かなり内部は混乱している。
一息ついたら、外壁を超えて転移できる場所まで走るだけだ。最悪の場合、また噴煙を出せばいい。辺りは真っ黒になって追撃などできない。
ルキウスが言う。
「結局、そつなくいったな。拍子抜けだ」
「いえ、ハエになるなど一大事でしたが」
ソワラが言った。
「騒ぐことでもないな」
「そんな! 困ります……なにか?」
ソワラは小さな声で語気を強めると、ルキウスはじっと南東の空を見ていた。そこでは日が暮れつつあり、やや赤らんでいた。
「ああ、こうきたか」
白竜山脈 北の頂上山 大望楼
春でも雪に覆われた山間から飛び出した石造り大望楼は、魔術的天文台としての機能を有している。
その中ほどにある大部屋で、風通しのよい広い石の床を上を緑の巨体がゴロゴロと転がり、近くにいた人影は部屋のすみに退避した。
「追ってきたぞ! 間違いない! 感じるぞ。あれがなにか準備をするたびに大地が喜んでおる。これがとうとう我が首に届くというのか!」
大きな牙が並ぶ口から吐き出された声が、巨大な部屋の中で反響した。
「それなら山脈に接近しておるよ。下界の小競り合いだ」
答えたのは白竜王だった。白竜である彼は、爬虫類的な顔だが、やや丸みがあってどこか人間に近く感じられる。一対の細い角は、眉間のやや上からはえており、優雅に曲がっている。体表面は細密な白雪、たたまれた翼はシルクを思わせた。
彼は姿勢のいいイヌのように前足をまっすぐにして座っていた。尾はまっすぐに伸びている。
その横でゴロゴロと転がって床を往復するのは緑竜王だ。全身を覆った深い緑うろこの隙間からは草がはえ、手には厚く力強い爪がある。
顔は、ごつごつとして樹木のくねりを思わせる盛り上がりがあり、一対の太い角は後頭部からはえている。
双方とも、小城に匹敵する大きさだ。
白竜王は巨大な柱が並んで壁が無い部屋の南側から顔を出している。彼の見ている方向には、ルドトク帝国があるが、直に見えているわけではない。途中にはいくつか山があって、その景観が楽しめる場所だ。
「ああー、世界が終わるぞ」
緑竜王が尾でドンッドンッと床に打った。
「いい加減におちつかんか、緑。床が傷むわ」
部屋のすみでは、白竜王の付き人たちが無表情で揺れに耐えていた。この居候の人柄は、威厳に満ちた竜王の概念を塗り替えるに十分だった。
これでも、大地の力が強い所では、この世で最大の力を振るう伝説の存在である。それが定期的にこの発作を起こして嘆いている。
緑竜王は、はあ、とあきらめの息を吐くと瞬時に消えた。彼がいた場所に現れたのは、ひげをはやした老人だ。顔のしわが年齢を感じさせるが、体格はよく健康的である。
その老人はまたゴロゴロと転がりだした。
「まだやるのか」
白竜王も姿を人に変えた。白いマントが特徴的で、力と知性を兼ね備えた偉大な王に見える。
「直接見ておらぬからだ。あれは人の世を変えるぞ。気配が暴れておる。一新じゃ」
「何度も聞いたわ。神代のプレイヤーの争いに比べれば小事にすぎん。解放戦争では、文明では終わったように思えたが、それでも相当に復興した。しかしそのプレイヤーたちが絶えてからが本当の衰退だった。我々は役目は終焉を見ることになりそうだ」
「神あっての世界だ」
「かつて我らとやりあい、血を流させた者たちとは比較にならぬ。あれほどの戦いなら、最後にもう一度望んでもよいが」
「それはお前の経験ではなかろう」
緑竜王は目に力を宿し、頭を起こした。
「代が変わろうと竜王は一つぞ。力も知識も伝う」
彼らから少し下がって、全長十メートルほど白竜が控えている。百歳になったばかりの若い竜は、彼の息子になる。
「感情はわからぬ。この恐れ、記憶を複製しても同じにはならぬ。誰であっても同じこと。今やこの大陸には当時を知る者がおらぬ」
「人と交わりすぎている。お前の娘は砂漠に行ったきりではないか。なぜ緑竜が砂漠にすむのか」
「今は森を出るのが賢い」
緑竜王がぶっきらぼうに言った。
「春頃に大きな力を感じたぐらいのものだ。それとて、昔に比べれば」
「今の世では桁違いだが」
「彼らが何をしようと我らには関係ない」
「地べたのことこそが、大空を、運命を決するのだ」
「大地ばかりにおびえずに、少しはあれを見てやったらどうだ?」
白竜王は南の空の彼方に浮かぶ影を見ていた。山脈があっても空を行く物は見える。距離を考えれば、非常に巨大な物体だ。
「あんなもの、どうでもよいわ。名前も覚えておらぬ」
「あれは……東西の戦の際に建造されたが、結局出撃せずに放置され基地として使われていた。それを現帝国が百年ほどかけて修理したものだ。地道に希少合金を掘り出したのであろう」
「無駄なことを。どうせ、プレイヤーのひとりも乗っておらぬ」
「まあ、船としては大きいが、【黄昏の城】に比べればとるに足らぬ大きさだ」
「あれは神が神ごっこをするために作ったものだからな。我らにも脅威」
「あれがあれば、あの後が楽だった気がするが。魚雷の群れにあっさり食われた。それまでの苦労はなんだったのか」
「また、見たようなことを」
そこに部屋の入口から澄んだ声がした。
「空中要塞も水中戦になれば手も足も出ぬ。すなわち、いかなる強者も文明も我の敵ではない」
淡い青の髪色の女が入ってきたのだ。半透明のプラスチック製レインコートの中で、膝まである髪が体にまとわりつき、青と赤が入り組むサンゴの杖を持っている。
「久しいな、青」
白竜王が振り返り言った。
「来たのか」
緑竜王がごろごろと転がって向きを変えた。
「今の海はいささか魔化したものが多く、我らも気安く旅できぬ」
「腕が多くて臭い奴らだろう。塩水にはろくなものがおらん」
緑竜王が嫌悪の情を現した。
「三百年ぶりにレヴィアタンを見た。無論、関わることはない」
「あいつも健在か。旧神の生き残りはわずかとなった」
緑竜王がゴロンゴロンゴロンと転がる。
「緑、意味もなくそのような姿をとるとは」
青竜王は、久々に見る竜王の様子になんとも言えない顔だ。
「長く生きれば、朽ちゆくものだ」
緑竜王は確信的に言った。
「我らの外見は死ぬまで衰えぬ。お前が人に感化されておるのだ、緑」
「人に寄らぬから、プレイヤーしかわからぬのだ」
「あの時代は二度とない。のちのプレイヤーは小粒な者ばかりではないか。彼らは世代間格差だと言っていたな」
「だから、今やばいのが来ていると言っておろうが!」
緑竜王が目を剥いた。白竜王は慣れ切っているので、相手にしなかった。
「手を変え品を変え、延命して、それでも、後始末戦争から五百年ですべてのプレイヤーは一度絶えた。それ以前の歴史も、文明も死んだ。痕跡すら残らなかった。思想すらも」
「いや、真珠の女王の一味の行方は知れぬよ。その財物の場所も」
青竜王が言うと、白竜王はどうでもいい様子で言った。
「ああ、そうであった。蒼の侍以外はな、かといって、いまさら残骸が見つかったところでな」
緑竜王が再び向きを変え、空高くを見上げた。
「これは……天蓋が動くか」
青竜王も柱まで寄って、頭を上げて目を見開いた。
「あれを空に浮かべて千八百年ほどか。守護の盾は、門番としてしか使用されんな」
「いや、この気配、迎撃ではないぞ」
白竜王が言った。
「そういえば、あそこには持ち出し禁止物があったのでは?」
緑竜王が言った。
「あそこ?」
青竜王が話についてきていない。
「雑貨倉庫の跡地を現帝国が使っておる。そこで小競り合いがあってな」
「なるほど。大した問題にはならぬ」青竜王が納得する。
「しかり、国が一つ滅ぶぐらいであろうよ」白竜王も同意した。
「おまえたちは思い知ればいい」緑竜王はふて寝した。
アクロイドン収容所から南西の森
エルディンは森に身を隠し、南東の空をうかがっていた。
「さすがにでかいな」
五百キロほど先の空に浮かぶ影は、空中空母カバグイルだ。さらにその後方により大きな影がある。こちらは空中要塞デメ・ジャーガだ。
今回の仕事で出てくる予定はない。平時は帝都の空を守っているはずだが、すでに直掩機が発艦している。ルキウスの脱出時に爆撃機が来るとありがたくない。
「でかいのを計測してくれ」
彼の足元には相棒のグラッツ三十二型がいた。風妖精のメテリオンはいい風の場所でなくては活動できないのでいない。
代わりに花妖精が寝ているが、収容所の中とは接続できず役にたっていない。
グラッツ三十二型が計測を終える。
「推定全長、五百七。推定幅、二百五十。推定高、六十二」
エルディンが弓を構えて、あの塊のどこを狙ったものかと悩んでいると、アクロイドン収容所の壁をルキウスたちが超えた。彼らは収容所を気にしつつ、こちらへ駆けてくる。
「離脱は間に合いそうだな」
エルディンが注意を空に戻そうとすると、天が輝き、強烈な光の柱がルキウスたちに突き立った。すべてが紫に染まり、すさまじい爆風が辺りを一掃した。
アクロイドン収容所外壁の南西至近
空を気にしていなければ、弱者を連れていなければ、魔力消費増加に、神気のすべての消費してまで、この判断はなかった。さらに頭にふみつけを受けたり、針を刺された刺激が、人間の光受容体ロドプシンなどと、植物の光受容体クリプトクロムなどを活性化させた可能性もある。
ルキウスが身をかがめて見上げた空が焼けている。撚り合わさった木々が燃えているのだ。これは完全に空を塞ぎ、彼らを闇に包むはずだった。
ルキウスたちの周囲の大地から、木が芽吹き成長した。それが瞬時に森を作って彼らを覆い隠したのだ。
防壁型の大魔法〔緑の抱擁/ヴァ―ダント・エンブレイス〕
比較的実用的な大魔法だ。過去に何度か大技から味方を守るために使ったことがある。
レイドボスの大技すら防ぐこの守りが、半ば貫通された。彼自身も体の前側が焼かれたが、すぐに回復した。
いくらか幸運なのは、植物の出現でルキウスの力が高まったことだ。だとしても、空からの攻撃。どうしようもない。ただし攻撃者の姿がない。
「……爆撃じゃない。飛行音が無い」
焼け落ちた部分から見える雲が、空の一点を中心にして排除され、その外縁部で同心円状の模様になっている。そして空の中央に極めて小さな点。
帝国の星と呼ばれる人工衛星。
「指向性レーザーか」空に集中していたルキウスが、急に後ろを振り返る。「負傷者は!?」
セオとゴーンは体の一部が炭化し、服と癒着しているが、すでにポーションで治療されている。サンティーが瞬間的にレーザーに干渉して軽減したのだ。これは訓練していた。
ほかは多少焦げたが死ぬような負傷ではない。
「高度三万キロだぞ。大気圏下で、どんな出力だ!」
まだ転移可能な場所まで離れていない。そもそも、転移しようとしたところを撃たれると全滅する。
この出力の攻撃をもう一度防ぐのは無理だ。ゴンザエモンが二人を抱えて走っても、転移可能な場所まで数分かかる。飛行しても同じだ。
それに収容所側から攻撃があれば、それも防御する必要がある。その収容所もかなりの被害を受けていた。
あのレーザーは広範囲を焼く能力がある。
判断は急ぐ。逃げきれないなら地下に潜るぐらいしかない。しかしここは収容所を囲む土中の壁の内側だ。それを突破できなければ、潜っても外に出るにはまた顔を出す必要がある。ルキウスが叫んだ。
「赤三つ上げろ!」
ソワラが赤い魔法誘導弾を空へ放った。それが高くまで上がり、一斉に炸裂した。
「わかっていますとも」
エルディンは片膝を大地に突いて大きくのけぞり、長弓は空を照準していた。
ルキウスがあれを使うのは尋常ではない。その防御すらも抜かれ、主の生死も不明。命令を待つ理由はない。
あの距離の敵を討てるのはエルディンだけ。的は見えている。〔星落とし/フォールスター〕たる彼には余裕の距離。直線であれば、邪魔が無ければ、太陽に矢を届けることもできる。
そして、標的の位置で何度か光が発生した。すでに矢を放っていたのだ。
たとえ自分が高速で移動していても、認識できる的は狙える。
「命中は?」
彼にははっきり見える距離だが、標的付近で複数の光が重なって広がった。複数の光線が交差して、矢が見えない。爆発したのは認識できたが。
グラッツ三十二型が通告する。
「命中なし。迎撃レーザーによる撃墜と推定」
エルディンはつがえていた矢を捨てた。また標的付近で光が瞬いた。
グラッツ三十二型が通告する。
「命中なし。迎撃されました」
「宇宙に近づくほど魔力が弱まるとはいえ、全然ダメだな」
放ったのは十八本。たとえ迎撃されても大きな爆発を起こし、相当の破壊と、飛行物の姿勢を乱すはずだった。かなり遠くで落とされている。百キロ以上遠いかもしれない。
この星では、原則的に高度三十キロ以上の高さを飛行できない。レーザーで落とされるからだ。
なぜ高度三十なのかは理解できる。それより低い場所では。惑星の大気がレーザーを減退させる。人が日常生活で気にかけない大気は、非常に分厚い。深海に潜む敵を討つのが至難であるのと同じく、大気の底を攻撃するのは難しい。
おそらくあの衛星のレーザーが兵器としての威力を保証できるのは、高度五十ぐらいのはず。高度三十はかなり無理をしている距離、そう判断していた。今しがた大地が焼けこげるのを見るまでは。
精密な迎撃レーザーとは別に、地表攻撃用の大出力レーザーがあったということ。
「敵兵器、旋回。こちらを照準をしようとしています。照準まで推定二秒」
そう短時間であれが来るだろうか? 感覚的にチャージに時間が要りそうだとも思うが、機械の専門家ではないエルディンには判断できない。どこを狙うべきかも。帝国の星は百メートル以上の大きさだ。様々な機械部品が外部に露出していても、その意味はやはり不明。
どうでもいい。
より早く標的を撃墜する。彼がやることはそれしかない。
しかし正確に当たる軌道で射ることは、さして重要ではない。
エルディンの矢はゆうに音速を超えるが、この距離。レーザーなら迎撃はたやすい。軌道を不規則にしても、宇宙では魔法が失われてしまう。
力は地上で担保する。
もし発射から一秒で命中させようすれば、マッハ十万以上の速度が必要。魔法を使っても普通の矢では達成不可能な速度。
彼は次の放ち、矢継ぎ早に次をつがえて連射した。それは、彼の矢としては、非常に遅かった。
「長距離を利用しての加速の矢だ」
あまり使いどころのある矢ではない。手持ちの十二本すべてを使った。距離があるほど、最終的な威力が上がる。固定物に使うべきものだが、衛星の動きは鈍いと判断した。散らせば一つは当たる。速度も威力もある。
空で複数の爆発が起こった。矢に爆発能力がない以上、確実に機械の破壊。
しばしあって流れ星が落ちてくる。ただし小さい。それが複数ある。どこか見覚えのある物体だ。帝国の星の飛び出た部位の断片
彼は理解した。迎撃レーザーは本体から切り離せる。迎撃機と同じ役割だ。本体はなんらかの形式でエネルギーを供給している。
それを矢の軌道上に置いて盾にした。本体は生きている。
しかしそれを盾にしたということは、こちらの攻撃は有効だ。
エルディンは次の矢をつがえ、空で光が起きた。彼の周囲は紫で包まれ、聞いたことのない不気味な音とともに、彼を包む大気と大地がさく裂した。
「ゴアァ!」
エルディンは激烈な熱風を浴びて、数百メートルを舞った。
全身が焼けこげ、肺まで焼けている。どうにかポーションを飲む。それでも痛みが残った。しかし、戦闘に支障はない。直撃ではなかった。
「下手くそめ、それともかすめたか。だが見えたぞ」
エルディンが再び天を仰いだ。帝国の星は不規則に回転している。どこかに攻撃が当たったのだ。推進器で徐々に姿勢を安定させ、再び見覚えのある面が出現しつつある。
再攻撃の挙動だ。
「狙撃という役割は、何がどうあっても的に当てねばならない」
必要なのは圧倒的な初速。途中で魔法の効力が弱まっても問題にはならない。空気抵抗はほぼなくなる。
「正面を向きやがれ……」
帝国の星はまた角度を調整している。エルディンの攻撃は少なくない悪影響を与えたらしい。
エルディンが狙うのは、帝国の星にある赤いレンズだった。それは短い砲身のようなもので保護されており、その奥にあった。それはあの一撃の直前で確かに赤く輝いた。その直後で、光が周囲を覆った。
主砲らしいものは、その一つしかない。
彼はインベから出した光神の矢をつがえた。ルキウスが、レミジオに頼みこみと嫌がらせを繰り返すなどしてなんとか制作させたもの。
彼の一か月分の祈りが籠った矢じりを、ルキウスが神気で強化している。必要なのはその一本だけだ。それを射程無限の戦技〈星落とし〉で射る。
主砲が確実にエルディンを照準した。筒の奥の赤が見えている。
ギィンと矢は弦から離れ、光となった。この世で何よりも速い光が空を貫く。
対する帝国の星もまた瞬く。
太い紫の光と、細くとも強烈な光が交差した。
大地が蒸発し、夕暮れの空を大きな流星が落ちた。
ルキウスたちは収容所からの離脱に成功し、エルディンがいた場所に来た。
焦げた大地が広がり、土中からいぶされたように煙が上がり、離れた場所では木々が横倒しになっていた。
「ソワラ、通信は可能か?」
ルキウスが言った。
「可能ですが、位置的に傍受の可能性を」
「かまわん。エルディンの復活を急げ」
「了解」
ルキウスは、みんなから離れるまで歩いた。ここに接近する軍はいない。これ以上は何も起こりそうにない。
「くそ、やってくれた……しかし……これが予言する価値がない小事だということか?」
空にある影は小さくなっている。偵察機らしいのが高くを飛んでいるが、寄っては来ない。
「すぐに復活にかかるとのことです」
ソワラが報告した。残った森は静かで、収容所では、爆心地と近くに出現した林を見ようとする人間が顔を出している。しかし、敷地から出ようとはしない。
「ここは終わった。帰るぞ」