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収容所3

 走ることは日常と認識された。狩りの追跡でも、脅威からの逃亡でもなく、前進することもない。


 この不毛さに、コナーは適応しているほうだ。彼が考える部類の人間であることを考慮すれば、なおそうだ。ここの囚人は、ここが何かなんて気にしない。社会にとってなんの意味があるのかわからない仕事を、ほどほどにやって投げ出し、犯罪に手を染めた者だ。


 大勢の荒い息を聞きながら、グルグルグルグル、と、コナーの前方を走っていた男が不服そうに何かを言って、走るのをやめた。やってられないと減速し、ほぼ止まる。そこにボウッとしぶきが散った。天井が見えなくなるほどのしぶきだ。


「チッ」


 コナーはそれをいくらかかぶった。手で顔を守り、足元に注意して水気のカーテンを抜けた。上品な甘い香りがした。後方を見ると、霧が漂っている。それは渦の風と熱気で部屋に広がった。


 非番で渦の外にいる囚人たちが沸き返る。笑いが収まらぬ者もいて、カンカンカン、鳴り物代わりの金属棒が鳴っている。


 一周してくると、走路には一部を避ける流れがあり、そこには、バラバラになった肉と血だまりが見えた。漂う匂いだけで気分よく酔ってしまいそうだ。

 しかもよく見ると、この広場にはハエが多い。じじい様の近所に特に多いから、こいつらも酒好きなのだろう。


「新入りか。外より社会性が問われるとは」


 これを見るのは二回目だ。ここは頻繁に人の補充がある。


 とろくさそうなのには近づかぬほうがいい。なんなら早く死んでもらえれば安全だ。じじい様の口から出る、レーザーみたいな酒鉄砲は精密にさぼりを直撃するが、貫通する。

 狙った相手にだけ特別な威力を発揮するので、まきぞえでバラバラにはされないが、衝撃や混乱で転倒すれば終わりだ。


 その避ける手法もうすうすわかってきた。

 新入りの後ろをつける者がいる。ペースが遅いのに合わせているからよくわかる。これの顔を覚えればいい。彼らは的に当たったり、地面にあたってはねあがった酒を口に入れようというのだ。

 コナーは、命をかけてまで飲みたいか? と思うが、酒浸りでここに来た者には貴重な命の水だ。この酒飲みはやらかしそうな新入りの空気がわかるらしい。


 走るのが終わると、コナーは年老いた管理係に名前と年齢を聞かれた。天国十日目にして、正式な住人だ。来た当日でないのは、ああやって死ぬからだ。半年ほどで走るのは慣れるという。


 管理係はエリートで、点がよく、枠がすくない。体を動かさなくていいのが最大の魅力で、知能犯が多い。コナーも素行をよくしておけば、数年で狙える。しかし囚人には尊敬されていない。


「管理室には、奇妙な物がまとめてしまってあるそうですね」


 コナーは管理係に尋ねた。


「金目の物は無いからな」


 管理係は警戒した。


「変わった物に興味があるだけでね」


「ふん、あそこには小物がいろいろある。ほら吹き日誌とか。まあ、ここの連中には一生不要な物ばかりだ」

「なにか面白そうじゃないか。そいつはどんな?」

「名のままだ。周囲であった架空の出来事を延々と一日三行書く。日誌内では矛盾がないのが面白いが、登場人物は全員本物だからトラブルの元だ。書き足した文字はその日のうちに消えるから、計算用紙にはなる」


「へえ」


 コナーは相槌を打った。


「書けないペンもあるな。今もあるかも」


 管理係は肩から下げたカバンを気にした。


「書けない? それになんの意味が?」

「意味? そんなものはあるわけもない。あいつめ、それまで使っていたペンに化けやがるんだ。捨ててもいつの間にか手元に潜りこんでくる。いきなり書けなくなるからな。持ったペンは放さんことだ。箱に鍵かけてしまっても無駄だぞ。【決まりの棚】に封印されてるらしく、一定範囲から外には出ないがね」


「それもやはり破壊できない?」

「ああ、ここにある物の多くは傷一つつかん。古の魔法で守られておるのだろうよ」


 この管理係は元経営者だった。政争に敗れて罪をかぶらされ、強制隠居先となった病院での退屈な生活よりは、ここがいいらしい。


 走者の渦の中では、旗を持った掃除係が死体を袋に入れている。彼らは三十分男と呼ばれている。じじい様にやられた死体は、その魔法能力の範囲内にある。つまり彼らは一定距離を走るまで清掃できない。それで三十分速めに走って合格距離まで達してから、外から掃除道具を受け取って、徹底的に掃除する。


 彼らはそこそこ認められている。彼らは普段走らなくともよいが、ゴミが出たら仕事が増える。臨時手当はないが、重要な係だから点は多い。


「ああ? 掃除係がやりてえのか?」 と言ったのは死体を運ぶ四人のひとりだった。


 彼らの服は血のシミで黒くなっている。彼らに限らずここの連中は全体的に汚い。

 異様に波立ち続ける小さな泉があり、そことつながった水路でいくらでも水浴びできるが、信仰の方々以外は頻繁に使わない。


「いや、ああは走れないからな」


 コナーは返した。


「あれぐれえ、若くて健康なら一年ぐらいでできんだ。今日は七区の班長が殺されてよ。余計な仕事が多いな」


 掃除係たちは去っていった。そこらにゴミが落ちていたが気にしていない。普通のゴミを処理する仕事もあるが、彼らが真剣なのは死体処理だけだ。これは死人の物を手に入れられる可能性がある。

 ここでは、地道に働こうという人間は少ない。コナーと合う人間は少ない。ただし彼らは情報通ではある。親しくしておく価値がある係だ。


「どうにも慣れん」


 コナーは呟いてひとり広場をあとにすると、今日もこの天国を慎重に探索する。そして男がある区画の入口に立っていた。


「ここは持ってねえ奴は通れねえぜ」

「遠慮しておく」


 このように通行料を要求される所がある。

 これのおかげで調査が進まない。地下は立体的で、竪穴もあってかなり複雑で広い。班長も全体はわかっていない。他人の縄張りをうろちょろしないのが賢明だ。ここで迷子になるのは難しくない。


 彼は二十四時間運営されている映画館の前を通りすぎる。ここは班長の付きそいがあればいつでも見られる。


 広い上映室とそこへ向かう通路は固そうな岩盤だが、鋭利に掘りぬかれている。囚人が触れられる高さは多少崩れてボコボコしているが、天井はつるつるだ。囚人が地道に掘ったものとは異なる。


 この部分が元からあった遺跡か何かだ。帝国はこのような場所にあった宝を持ち出し、扱いに困るものを隔離したと推測できる。帝国が、じじい様のような何かを製造できるとは思えない。囚人に聞いても昔からあると言う。機材などは補充されるという。


 次にコナーが向かったのは円形闘技場だ。まともな石材で造られている。


 ここでは素手、魔法なしの格闘技戦が行われており、映画館の次に人が多い施設だ。今も興奮した囚人で満たされている。


 コナーが勝つのは難しいが、参加しているだけで格が上がる。僧侶クレリックが常時つくのは、闘技の有名大会なみに豪勢だ。死ぬ可能性はそれほどない。


 班長のデーニッツは強いほうだ。彼がここで一年を待たず班長になっているのは、ここで力を示したからだ。


 参加はしておきたい。臆病者とみなされるのは何よりもまずい。そして、負けた。勝負にはなったが、まず勝てそうになかった。実践に慣れた者の動きだった。


「ずっとやってる奴は強いな。まったくこんな所で」


 コナーが観客席で軽い回復魔法を受けた顔をさすってた。そこに声がかかった。


「いいのをもらっちまってたじゃねえか」


 中年の男だった。


「ああ、エイアン見ていたのか」


 コナーが知った顔で、コナーの三日後に来た新入りだった。所属房をまたいで仲良くなれるのは、やはり来た時期の近い者で、コナーはできるだけ顔をつなぐようにしていた。


「お前なら勝てるのか?」

「やってみたらどうにかなるかもしれねえ」


 エイアンは、地の底に似つかわしい低く埋もれた声で言った。


「一般試合は、工夫でなんとかなりそうではあった。頭を使わねばな」

「でもよ。こんなに人がいてもいいのか。なんか、狭えと息ができねえっていうじゃねえか。そう思うと、俺は息ができねえ」

「新鮮な空気は、下から湧いてるんだと」

「別に死んでもいいんだけどよ」


 エイアンは、落ち着きなくきょろきょろと何かを気にしていた。


「こんな愉快な場所で死ぬこともないだろ。まだ、なんにもわかりやしねえ。これから面白いことがある」

「死んだら女房も待ってるかもしれねえ」


 このエイアンはすりつぶされた男だった。彼が妻を殺したのは、きっと安月給か素行か貧相な顔かを指摘され、彼が、それをどうにもならぬことと自覚していたからと、コナーには思える。

 彼がいると、外が、社会というものが圧迫してきて重苦しい。


「そいつは死んでから考えればいいことだ。ああそうだ。壺混ぜってやつの見物許可が出た。見物に行こうぜ」

「なんだそりゃ?」

「ふたりでやる仕事で、自由時間でもできるんだと」

「俺はなんにもわからねえから」


 基本刑である【円形走行】をのぞけば、刑務の場は通常公開されていない。しかし、この【並行壺かくはん】は離れて見る分には問題なかった。ここには柵があって、警護の白服がちゃんといる。


「こいつはな、ふたりの息がどこまで合うかが大事なんだ。成績がいい奴はボーナスがあるからな」


 壺混ぜの責任者が言った。彼は管理しているだけで、実際にはやらないようだ。

 部屋の中央には大きな壺が埋めてあり、見学者はやや高い場所からそれを見ていた。監視機も常駐している、


 棒を持った混ぜ係のふたりが壺をはさんで立ち、同じ動きで壺の周りを歩きながら壺をかき混ぜていく。

 混ぜ方は自由で、組によって色々あるそうだ。


 やがて壺はぶくぶくと泡立ち、火山が噴火するように噴いた。


「おお!」と見学者がわいた。


 きらめきが宙を舞っている。飛び出したのは、色とりどりの宝石だった。砂のようなサイズが多いが、少しは価値があるはずだ。

 壺はこんな調子で混ぜると様々な物を出してくれるのだ。




 混ぜ係が同時に棒を抜くと、息を合わせて作業を終えた。

 次は、経験の浅い組が作業に入った。


 しばらく作業が続くと、責任者が忠告した。


「ちょっとずれてる。歩幅もあわせろよ」


 彼らは忠告が気に入らなかったのか、それを無視して何か格好つけた動きをしようとして、棒と棒が少しぶつかった。それでようやく普通にやりだしたが、微妙に合わない。壺の周りを歩く基本速度のずれが大きいのだ。


 そして、立ち位置が、明確に壺をはさんで対角線上からずれ――一瞬でふたりが壺に頭から吸い込まれた。あまりに速く、空間をねじ曲げて吸引したようにすら見えた。


 部屋は静まり返っている。これは愉快に騒げることではないらしい。吸い込まれた者は、完全に消滅する。死体すら出ない。


 壺の部屋を出て、コナーが言う。


「あれ、やりたいか?」

「スパッと死ねていいんじゃねえか」

「そればかりだな」


 あれの失敗は、回数と動きの差の度合いで判定されるとされている。壺の好みに合う混ぜ方をすれば、いいお宝をくれるそうだ。確かなのは、多少は失敗できて稼げるということだ。多くは看守による強制買い取りで、点に変わる。法外な交換レートだが、囚人は作業一回で、分厚い本でも得られれば満足している。


「そうは言ってもよ」


 エイアンは考えてもどう言うべきかわからぬようだった。


「俺は十二区の奥の掘られたを見てくる。あそこは普段から人の出入りがある古い狩場なんだと。危険だからひとりで行く」

「いや、俺も行く」

「小さい虫がそこらに潜んでいるというが」

「問題ねえ。どうせ暇しかねえ」

「お前、疲れてないのか? 走ったよな」


 ひと月ぐらいは走るのに慣れないはずだ。彼はそう健康で元気には見えない。


「疲れっていうなら、ずっと疲れてる。でも、走ってるほうが気分がいい」

「そうか、なら一緒に行くとしよう」


 エイアンはずっと粗野でぼくとつとしている。おそらく罪を犯す前でもそう変わらない。それで、何かがうまくいったこともないだろう。

 こういった者は肯定してやりつつ、誘導してやるのがいい。

 話が通じにくいが、付き合いやすい相手ではある。


 関係上近くいる賢明にして体制側である班長デーニッツは、コナーがつけこめる相手ではない。彼は無意味に新入りを虐待することもなければ、役割を放棄することもない。悪くない班長だ。


 どうにも気に入らない。

 囚人になってまで、軍人のように仕事をしている。


 デーニッツも同じようにコナーを見ているかもしれない。面倒な部分があるが、ぶん殴って教育する必要がない程度には使えると。


 一年は様子見するべきだが、どうにもジメジメした所だ。都市部の貧民だまりよりもジメジメしている。


「近づく前から気をつけろよ。洞窟から出た虫が、そこらに潜んでることもあるっていうからな」


 コナーが洞窟の手前の区画で言った。


「虫はきもいな。死ぬなら、スパッと行きてえ」


 荒く掘られた穴がいくつかある部屋には、そこに興味を持った者たちがちらほらといた。


 その中に、ちょうど洞窟に入ろうとしている集団がいた。

 白服が二人と、普通の囚人が二人。

 見知った若い顔は、セオ・カットだ。もう一人の白服も顔は知っている。まじめに働いているタイプだ。


 全員武装している。生活区での武装は禁止されているが、そこから外れれば問題にはならない。武器は剣や槍だ。使い古されているがまともな作りだ。発掘品や魔導諸国から流れてきたものだろう。


「何かあったので?」コナーは尋ねた。


「デーニッツの所の奴か」カットが反応した。


「バレリアン・コナーだ」コナーが名乗った。


「ひとり戻らん。死ぬのは自由だが、係の補充をするか決めねばならん」

「死んでてもいいんだがな。狩りのついでと思えばいい」


 この囚人たちは屈強で、戦い慣れた感じがあった。


「白服の方も入るので? ここは本当の無法地帯かと思ったが」

「腕が落ちないようにするにはいい」


 カットが答えた。


「へえ、堕落しないようにね。同行しても?」


 コナーが言った。ひとりでここに入れない彼には貴重な機会だ。エイアンは何も言わないが、従うようだ。


「死んでも知らんぞ。そこらの盾でも持ってろ」


 洞窟の近くには、誰のものでもないぼろい武器防具は置いてある。盾は鍋を改造したようなものだ。


「でかい音を出すなよ。ゴーンは耳がいいんだ」


 カットが言った。もうひとりの白服のことだ。


「火を持っていけよ」


 ゴーンが言った。掘った洞窟の中は暗い。


「言ってもわからん……生活区域と違って暗いからな」


 カットがそう言って、数本の鉄パイプが入っているバケツの所に行った。彼はそこから一本を引き抜き、こちらに歩いてきた。パイプの先端には、黒くて丸い物が付着している、少しドロドロしているようだ。


「こいつは?」


 コナーが言った。


「死体山が垂れ流す体液だよ。それをちょっと拝借して加工している」

「そいつは初めて聞いたが」

「あの区画は慣れた係しかいけない。毒ガスが出てるしよ、重要度の高い仕事らしい。めっぽうでかいからな。見たらびびるぜ」


 ゴーンが言った。


「あれの記憶については、今すぐ消してもいいと思うぜ」


 カットが言った。


「そこまでいわれるものなら、見てみたいものだ」


 コナーが言った。


「余計なことを考えずまじめに働くんだな。脱獄などもってのほかだ。まあ、この洞窟を行けばそういう気分になるだろうよ」


 カットが長細い棒を黒球に当てると、黒玉に火がついた。内側から湧き出るような火だ。かすかに甘い匂いがしている。


「よし行くぞ。小さな隙間も警戒しろよ。虫は、巨大なものでも異常にうすっぺらで、狭所に潜むからな」

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