大きくなる緑
持続可能社会
ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 四月 三日 六時
コモンテレイの周囲はみずみずしい緑であふれていた。以前よりも森は濃く、通り抜け困難な地帯が増え、市内で自然の匂いを感じられるほどになっていた。
それに気をよくした草束人のウォーカーが、どんぐり頭をふらふらと揺らして歩いていた。その足元には草花が生え、木の根がするっと抜け出た感じの穴が無数にあった。
彼が、足元の草花に目を奪われ何度も穴にひっかかりながら進むのは、コモンテレイの西へ伸びた断崖の道だ。
遠くから見ると崩れ落ちそうな細い道だが、狭所でも四車線分ぐらいの幅がある。
北と南に分かれた町を囲む大穴は、その断面より水が入り、徐々に水がたまってきていた。
「元気なお花、いいですねえ」
緑以外の色は、ネイディアガザニアのオレンジが圧倒的に多い。これのごく一部が動いている。隣同士で向かい合いかすかな高音でののしりあっているらしいもの、茎をしならせて打ちあうもの、葉をパタパタと動かし土を打つものなどがある。
「どう考えてもまともじゃねえ」
レミジオがそれに毒づく。彼はウォーカーに付き添っていた。ウォーカーは草がないと落ち着きがなくなる。街中には緑が少ない。それで様子見を兼ねての外だ。
レミジオがトレンチコートをそっとめくり、右手で回転式拳銃を抜く。
彼の後ろに転がっていた機関銃が、ひとりでに浮いて、ゆっくりと彼の背に銃口を向けようと動き――パンパン、銃声が連続、機関銃が爆発した。送弾器近辺が集中的に撃たれている。飛び散った破片は、ガタガタと振動している。
レミジオはわずかに振り向き、片目でそれをにらみ、銃を向けていた。
「清浄の日よ、〔浄化/ピュアリフィケイション〕」
銃口が輝き、金属片の周囲を照らすと、振動は止まった。ウォーカーは、太陽ですねと呟きそのまま進む。レミジオは金属片を蹴ると彼を追った。
「血まみれの兵器だらけだ。悪霊どころか悪魔が押し寄せるぞ」
ふたりが長い断崖の道を歩き終えるには、二時間以上かかった。その終点である森の始まりには、ルキウスがいた。その近くで青いヒツジがヴェーと鳴き、もしゃもしゃ草をはんでいる。
ルキウスは片手で金属の筒を持っており、それは金属の管で空中に浮かぶ縦長の多面体に接続されている。彼が動くと浮遊物も引かれて動く。彼が対峙する森には、根っこで歩く木々が密集しており、ザアザアと枝を揺さぶっていた。
「さっさと行け。せまい? 知るか、焼きはらうぞ」
ルキウスは休めず不機嫌だった。無数の木々が同時に主張を展開するのでそんなものは聴いていられない。手元の筒をあちこちに向けて木々を威嚇した。
「順番? 好きにやってくれ。優遇しろ? 全品種平等だ。日当たりを巡って殺し合うのは後にしろ! こうなるとわかっていたから枯らし屋が欲しかったのに」
「こいつはなんの騒ぎだ?」
レミジオが声をかけると、ルキウスは木を追い立てながら返答した。
「森が邪魔で外に出れん。隣の町までの道を作らねばならない。それでさっさと捕虜をほっぽり出すんだ」
「まだ半分以上はいるが。根性があるか、恐怖で戦っているのが」
今は銃声が聞こえないが、師団単位の部隊が市内で健在だ。
「それはどうにかなる。とにかく急ぐ。そんで防衛力が低下した町を取る。東の道も開けないといけない!」
ルキウスは移動の遅い木を蹴って急かす。
一番怖いのは、制服を脱いで工作員になる忠誠篤き者だ。市民に混ざられると判別困難だ。最後まで戦う兵が出ないようにさっさと帰らせる必要がある。
「ああ、森が見える都市は恐慌状態だろうよ」
コモンテレイ南方の森は特に広い。南の陣形が南北に長く、ゴンザエモンが生み出した死体が多くあったせいだ。一万平方キロ以上の森が生まれ、多くの都市、哨戒基地、外部農場の眼前に迫っていた。
「そこを狙う。電気不足になりそうだが、森に親しんでもらおう。何より森に入る魔物を駆除してもらわないと、汚染されてしまう。人手がいる」
「なるほど。で、そいつは正常なのか?」
ここの木々の足元でも、オレンジの花は元気に動いている。その花をヒツジは黙々と食べている。
「ちょっと混沌の気が入ってしまった。危険そうなのは駆除しといて。おもしろそうなのは持って帰ってもいいぞ。地中に根っこがあるからな。そこから取れよ」
ルキウスは強引に一日で咲かそうとして種を強化していた。
「基準がわからねえ」
レミジオがぼやく。
ルキウスは手振りで移動を渋る木々に圧力をかけている。
「そっちは?」
レミジオがヒツジを見た。
「彼は子供を眠らせるのが得意なヒツジだ。子守で苦労をかけたから、新鮮な草を食べさせてやろうと思って」
ルキウスが背を向けたまま返答する。
「……そうか」
レミジオはそういうことじゃないという調子だ。
ウォーカーはしゃがんで、ヒツジの口が動くのを近くでじっと見ている。
「残した農地も造りなおしだし金ないし、地下水の流入で池になる前にそこの道を固めないといけないし金ないし、大量の火の精霊が荒野で野放しになってるし金ないし、森に汚染された魔物が入らないようにしないといけないし金ないし、浄化して肥料入れないと枯れるし金ない」
「森の暮らしは文明的だな」
レミジオが皮肉的に言った。
「戦略兵器でも置いて帰っていてくれれば、換金するものを。必要な時に限って無い。行け行け、よし次だ!」ルキウスが木を追い散らすと、森の木々に触れて回った。すると、その木も身をよじって根っこを大地から抜いた。「よし、お前らも進め」
「やっぱりお前か」
「何が?」
「最初に機神とやらが連夜こっそり森を作ったが、それよりこの森のほうがでかい。最初のもお前だってことだよ」
「触媒になる人の死体があったからだ。新鮮な触媒の力だ」
ルキウスは木を移動させつつ、死体の残りも探していた。
帝国にも人間以外の血筋が相当数いるはずだから、それが残るかと思ったが、森のどこにも人の形で残っている死体はない。手足が落ちていたり、血の跡があるぐらいだ。不死者にもなっていないようだし、やや奇妙だ。
「たしかに人間は魔法触媒として特別な意味をもつがな」
「鉄クズじゃ売っても大した値段にならんし、花摘む人を現物で雇うか」
ルキウスはレミジオの相手をする暇がなかった。レミジオはそれを察してか、ルキウスの地味にして、大量の魔力を消費しているだろう作業を見ていた。
「暇なら掃除機でもかけてくれ。自販機君・超改だ」
ずっと見られたくはないルキウスが、筒をレミジオに差し出したが、彼は受け取らない。
「自販機ってなんだ?」
「宇宙の彼方にまでも現れ、統計によって新商品を設計し、自ら資源を採掘し、あらゆる脅威を撃退しながら商品を売りまくる自律機械、それが自販機。文明の終着点だ」
「ここじゃあいないが、悪魔の森に出やがるのか?」
「ああ……そうだな。文明の最後には必ず現れる。きっとそうだ。そんでこれは自販機を元にした神でも魔王でも一撃で殺す万能クリーナーだぞ。どんな汚染もかき消す」
ルキウスが地面を掘って汚染を露出させた。あの魔法は死体近辺の汚染は浄化してくれたが、それ以外では残っている。筒から光線が発射し、それを何度か往復させて土をなぞると、黒い土の多くが白くなった。
「どんな汚染でも? 本当に?」
レミジオがいくらか興味を示した。
「地道にやればすべての汚染が消える。理屈はわからんが半永久型エネルギーだ」
ルキウスが言った。
「たしかに何も無くなっている」
レミジオが光線を当てた部分を凝視した。
「ああ、光線が当たってる部分だけだが」
「この荒野に自然が戻るのか」
「それには水の問題がある。邪悪の森から北に砂漠、というか砂地があって水がしみ込んで地下水脈になってるんだな。あっちのほうが高いんだから、水路造ればいい」
今は無理な話だ。数千キロの水路を造り維持する必要がある。
レミジオはまた黙って見ていた。ウォーカーはヒツジのふかふかの毛をもんでいる。ルキウスはレミジオのさぼりに憤慨し、強制的にお掃除係に任命しようとした頃、レミジオは神妙に告げた。
「戦場に神を見た」
「はあ!?」
ルキウスは意味がわからず聞き返した。
「戦闘中、太陽の中に白鳥を見た。あれは神だ。そうだと感じる」
「なんだ、宗教でも始めたのか? それとも麻薬か? やめとけよ」
ルキウスが本気で心配し、レミジオは心外そうに言う。
「あれから昼に力が高まるようになった」
「昼に力が強化されるスキルでも得たんだろ。そりゃ使える。よかったな」
ルキウスがアトラスの知識で判断するならアポローンだ。射撃と相性がいい。太陽と植物の仲はいい。彼と相性が悪くないのは、初対面から感じていたことだ。
ルキウスにはいまさらな情報だったので、彼はひたすら木を覚醒させた。
「神父、さっきから楽そうだな。暇なら森に寄ってくる魔物を駆除してくれ」
「だから、外側まで行けねえだろうが」
「はあ、なんとか今日中に開通させないと……」
ルキウスは必死に作業を続け、なんとか日暮れまでに細い道を作った。
ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 四月 七日 生命の木 二十七階 未分類の鹵獲品倉庫
コモンテレイ市内の残存軍の多くが、降伏したか、自力で西へ敗走した。看板で退路を示してから、南東から南西へと圧力をかけた結果だ。
それでもかなりの軍人が、森と化した南の元農地や地下に残存している。
細かい対処は時間がかかるので、ルキウスはいったん生命の木に帰還した。
「アマン、掃除機は好調だった。魔法も呪詛も一撃粉砕だ。しかし普通の物質で減退するようだ。地面をどこまでも貫通したりはしないし、水でも光線が減退する」
ルキウスが掃除機を持ってアマンに報告した。
「人体にも有効、でしょ? いきなり自分の手を撃つのは絶対にやめて!」
アマンが、うず高い部品の山から配線の伸びた基盤を一気に引き出した。この部屋は天井近くまでゴミが積まれ、スクラップ置き場に見える。
これらはスクラップという形式でのドロップ品や、必要な部品だけ抜いた残りなどの機械部品だ。
「撃たないとわからんだろ?」
ルキウスは不思議そうに言った。
「いきなりすぎる!」
「遅らせてもな。どうせ治るし。なんにせよ、ようやく試用できた」
「過去の記録からすると、やはりあれがイジャ光線ですね。自販機の動力を供給していたユニットには、電源になる魔術処理をしたオウジュタイトと、空間に干渉する未知の物質が合わせて密封されていた。光線はアトラスなら防御力無視ですけど、物質では普通に減退してますね」
「……おそらくジェンタス粒子を無効化しているんだと思うけどね」
ルキウスは思案しつつ言った。
「あれ自体が謎の物質ですよ。強力な生物、魔法物質から自然発生するとされていましたが、発生原理は不明です。実に興味深い。しかし魔術のほうは門外漢です」
「どうあれ、こいつで荒野の汚染はなくなる。私が仕事しなくてもいい。だれでも光線は出せる」
ルキウスが掃除機を掲げる。これは重汚染でも無効化できる。
「それ一台で何億年かけてやるつもりですか。汚染は増殖してて、それはもう作れない。基幹物質は不明です。絶対に動力ユニットを分解しないでくださいよ」
アマンはひたすらスクラップの山をかき分け、どうにか分類している。
「なんかお気に入りのあった? 好きなだけ整備してくれ」
「ちなみにあっちが森の遺跡から出た機械」ルキウスが部屋の北扉を示す。次は南扉だ。「隣は名品倉庫。といっても作りかけの展示化石とか、陶器の破片とかだ。好きに見物するなり並べてみるなりやってくれ」
アトラスにはステータスやイベント上の効果がない、純粋なコレクションアイテムがある。
生産の際まれに名品ができるとか、遺跡で発掘した破片や、化石を採掘するとその一部が手に入り、最終的に組み上げることができる。
彼が所持して展示しているコレクションアイテムは、森に出る〔緑竜/グリーンドラゴン〕の剥製と骨格模型ぐらいだ。それ以外は半端だ。
「それでここは森の侵略者の落とし物保管庫だ」
アマンは何かに気付くと、山をかき分け水筒を前衛的なオブジェに改造したような物体を取り出した。
「これ、バイラジンエンジンコアじゃないですか?」
「知らん」
アマンはそれに刻まれた小さな文字を読んでいる。
「やっぱり! なんでこんな危険物放置してるんですか!? しかもむき出し? 保護具は? 壊れたら縮退で超高温になるんですよ! 撃破すると大爆発したでしょ?」
「だから知らんて。落とし物が積んであるだけだ」
「つまり、最上位の戦いでしょ……だとするとオールトとかあるんじゃ」アマンが山をガサゴソとやる。そして小さな紫の立方体を引き出した「あった! 中身入ってるし! これがあったならもっとやりようが……いや絶対にだめだな。処理方法を考えないと」
「まあ、いろいろとあるだろうな」
ルキウスはアマンがゴミに集中して退屈だ。
「そういえば、ブラックホールボムがあったって言ってましたよね?」
「そうそう! どっかのイカレ野郎が持ちこみやがった」
「つまりあれクラスはあるんだな……」
「まあ、どうってことはなかった。だから平和だ」
「どこが!? 下手したら惑星が消し飛ぶでしょ!」
「惑星は保護されてると思うがなあ」
「私はここで宇宙の脅威を取り除くのに集中しますから、見てなくていいです」
「それより、会話機能のある汎用型ロボット作ってくれ。乗り物運転できて、日常生活を追加学習させられるぐらいの」
「OSは?」
「知らん」
「ゼロから作れと?」
「できるはずでは?」
「時間の概念はないのか、思考加速にも限度はある」
「そもそも平和な場所にゆっくりしたいというから連れてきたんだ。お好きなAIいじりでもやってもらっていいんだぞ。景色でも楽しみながら気楽にやってくれよ」
いちおう、これはルキウスの信用の証だ。友人にはこのゴミ部屋だとかをよく見せる。
「できるか! そもそも設定どおりなら宇宙をリセットする神器とかだってどこかにあるかもしれない」
「それは無理だよ。夢見すぎだって」
ルキウスが馬鹿にするように言った。
「どうだか! 神代の技術が高いにしても、国が滅ぶ程度だと思っていたけど、ここで認識が変わりました。ルキウス級が三人いて争ったら何も残りやしない」
そこに部屋のドアが開き、ビラルウが顔を出した。彼女は銃器が好きだから、金属音を聞きつけたのかもしれない。彼女は自分の身長と同じぐらいのプラズマガンを肩に担いでいる。
「あれ、おもちゃですよね?」
アマンが自分の常識を信じる努力をした。
「そんな物、持っていやしない」
ルキウスは常識的に言った。
「……安全装置は?」
「そりゃあるけど」
「はずしたら危ないじゃないですか」
「危ないもなにも、敵発見から発砲まで二秒かからん」
「ちょっと! こっちを見てますけど、大丈夫でしょうね?」
「子供の顔は未完成だから、何を考えているかはわからん」
ビラルウは、くりっとした瞳でじっとふたりを見ていた。
「対処してくださいよ」
アマンが怯えた声で言った。
「安心したまえ。分別のわかる歳になったし、私以外を撃たない」
「どこに安心が!? そもそも何がどうして銃を持っている!?」
「強い子に育てるためだ」
「〔一人軍隊/ワンマンアーミー〕にでもするつもりですか!?」
アマンは心から二歳児に怯えている。
「あれは一人で同レベル帯の敵を千人倒さないとなれないからなあ……」
「とにかくなんとかしてくださいよ!」
「子供相手におとなげない」
ルキウスが入口へ歩くと、ビラルウが言った。
「おりる」
「はいはい」
ルキウスはビラルウを片腕で抱えて部屋を出ると、螺旋階段の内側へ跳んだ。そしてゆっくり下降する。
ルキウスは下りながら、帰還直前の事を考えた。厨頭鼠に本国が協力的になったと報告されたことだ。
本国の鍵鼠衆は、戦争のことがあってひとまずこちらに協力していたが、こちらを信用していなかった。それが予言されし者に従う。どんな依頼でも承ると言ってきた。
厨頭鼠は、依頼の質でこちらを知るつもりだろうとの予測だ。
これに、ルキウスは意図を理解しにくい依頼を出した。
皇帝が飲んでいる酒の銘柄の確認と入手、帝国各地の雑貨の入手、工作として各都市の責任者がおもしろいと思うことを各都市で一件実行だ。
そう時間をおかず、未回収地から帝国軍はいなくなるだろう。そして半島やその他の国と外交関係を樹立する。あとは、いくつか用事を片づければ彼がやることはなくなる。それで長い休みがやってくるのかどうか。それが彼にとって重要だった。
同日 同刻 ホツマ国 アトランティス領 大極の宮
板張りの廊下を進む精悍な若者は、青と金の入り混じった長髪を後ろで束ね、控えめな髭は整えられている。ヒサツネ・ライデン海底国守である。
彼が緊張した気配で廊下を進むと、二人の神官が出迎えた。ここから先は特別だ。
彼はお供をそこに留めおき、神官のあいだを抜けて先に進んだ。庭の花を見ながら長い廊下を歩き、さらに渡り廊下を越えると、神秘的な模様の御簾が入口かかった部屋があり、彼はその前で足を止めた。
「どうぞ」
中から女性の声があり、彼は御簾を上げ暗い中に入る。
丸い台の上で待っていたのは月見の巫女だ。若い彼より明確に若い。彼女の後方には、二つの月を模した巨大な水晶が含んだ魔道具が設置されている。部屋の床と壁には、天体の航行を示す線が多重に描かれている。
「そちらへ」
「失礼」
ヒサツネは巫女に促され、正面の座布団に座った。それと同時に声がかかる。
「おおいなる脅威が迫っています」
吉報ではない。大陸中央でのルドトク帝国の敗北は確定情報となっている。それだけに失地回復も期待された。
しかし半島全域を奪還するのは現実的ではない。彼らの目前の帝国軍に損害はなく、防御は固められ、半島の戦力は多少減ったばかりだ。
ヒサツネはどのような種類のお告げか判断しかねる状態でここまで来た。だとしても、明確な凶報を聞く準備はしていない。
「その形は?」
「破滅が再び訪れる」
「……再び、とはいかような意味で?」
若い彼自身が経験した不幸なら知れている。国の大事になる規模ではない。家規模のならいくらでもある。ありすぎて回避は困難だ。先の戦いでも多くの家臣が死んだ。
「わかりません。過去にあった種類の脅威であるということです」
「確かで?」
「私が視点を得たその時より、ずっとうずきはありました。おおむね定期的にやってくるのです。それが急激に強くなりました。おそらくあの日から加速している。これは大きなものです」
「夢見にて、月を飲みこんだ光から青い木が生まれた日ですな」
「そうです。あの日から見えぬことが増えた」
「魔道国の錯乱よりの崩壊、大陸では何事かが起きている」
「我々の近くに大きな要素が加わったことは間違いありません。それがいずれかの神でもおかしくはないのです」
「……して、方策は?」
巫女が手を合わせて祈ると、その背後ふたつの月が輝き、その間の空間にぼんやりとした像が映し出された。赤い人型の立ち姿だ。
「これは! ローレ・ジン!」
彼が思い起こせる赤の鎧はそれしかない、しかし、ぼやけていても見まごうことはない。鎧の細かい形状、立ち姿、間違いなく赤鬼。
「私が見られた唯一の脅威です。脅威の一部か、それに連なるものでありましょう」
「しかし情報が確かなら、帝国の力は大きく削がれたはず」
「世俗の事は私の耳には入りませんので……ほかの像は月で止まってしまう。夢の月見は、月より始まり変化と終末にいたるのですが、遠いか、強力な防護があるか」
巫女が申し訳なさそうに目を伏せた。
「しかるべき対処は?」
「何も。わかるのは破滅の再来のみ。ご当主のご随意に」
「承知いたした。しばらく国を留守に」
赤鬼は危険だが敬服するべき剣士だ。破滅とするには違和感がある。そもそも、彼一人で何かを滅ぼせるか。赤鬼を討つのはヒサツネの悲願だが、予知の解釈は難しい。
「戦ですか?」
「否、帝国に動きなし。大陸の状況を視察せねば」
「御自ら?」
「然り。若き新王に謁見し、その国状を探ったのち、神の意を受けた地へ」
「見るべきものなら、南も月が映すことでしょう。月はすべてを見ております」
「長旅となる、留守中は何かあれば父上に。しからばこれにて」
ヒサツネはすばやく立ちあがり、大極の宮を辞した。
帰り道、彼は霊廟に立ち寄った。小さいながら堅牢豪華な建物の中には、結界で守られた甲冑姿の侍の石像がある。極限まで精巧な作りで、今にも話しだしそうに見える。
彼はかしこまって板間に座り、それを見上げる。
大陸外より来てホツマを建てたと伝わる国造のひとりであるライデン。彼の先祖であり、初代にあたる。清廉な人格でよどみのない剣を振るい、神代の次に来た、記録が曖昧な崩壊の時代に人々を導いた。
今はもう無いサメ乗り武士団を率い、皿割り名人だったとも伝わり、神代に振るわれたという大魔法でも傷一つつかぬ大皿を、一刀両断したとの逸話がある。
始祖の剣技は、水の中を走る雷の剣技であった。それが失伝し、雷だけが残る。水練が足りないのだ。ギルイネズ内海が魔境となって立ち入れず、北の外洋はひどく冷たい。それで残骸となったものをライデン流と称している。
「この有様、始祖様に合わせる顔がない」
そもそも、二千年間アトランティスの真珠を守護せよというのが始祖の教え。それをとうの昔に破っている。大戦で海が汚染され、海辺を捨てた。さらに技を失い、帝国に国を脅かされるにいたっている。失態の連続だ。
残骸で赤鬼には勝てない。水は機装にも通じるはずだ。どんな性質であれ、滅びがやってくるなら、それに対抗する力を得なければならない。
彼は剣技の復興を誓い、全身から湯気を立ち昇らせる瞑想に入った。




