ブブダック
奪還軍の特殊部隊で最大戦力となる第一特技大隊二百名。様々な才能が集結し、何が飛び出すかわからない怖さがあった。正面衝突ならマリナリに勝ってもおかしくない。
ただし彼女は万全で、帝国軍は彼女の情報を欠く。
彼女は、連弩の連射による牽制と、棘鞭の【緑の手】による変幻自在の一撃で戦った。
何もさせない。それが理想。
敵の魔法発動を阻害し、接近を避けて極力射程に入らず、不規則な動きで的をしぼらせず、元から悪い連携を乱す。強引に接近する敵は鞭で切り裂き、少しずつ削った。
時間はかかるが、堅実に、確実に。それでも二百、完封とはいかない。前衛が後衛の盾になり、余力ができれば動きはある。
ビンから解き放たれた精霊や自律する剣や機械をけしかけられれば、より距離をとり射撃で壊す。
投げた物体と転移で入れ替わる敵、気配を消した敵の接近を許したが、彼女の周囲で舞う鞭は索敵も兼ねる。まともに斬りつけられることはない。
攻撃成功時に不利益を返すカウンター系は特に警戒した。射程内にいると問答無用で受けるタイプは回避できない。ほかには、空間でいきなり炸裂したり、声を聞くと掛かる魔法だ。即座に発動できる魔法は、射程距離十メートルぐらいが多い。その範囲に留まることは避ける。
マリナリにも魔法はある。ちょっとした残像を出す幻術でも高速で動けばかく乱効果は大きく、集団のひとりを数秒混乱させるだけで連携は乱れる。隣の人間が銃の乱射を始めれば放置できるはずもない。
有利に戦い半数を減らし、彼女の損失は多少の能力低下と擦り傷程度。
リンゴの木が二本枯れていた。砲撃で燃えたか。何かの魔法の巻き添えになったと思われた。敵が減るほど楽、勝利へと加速する。
大半を壊滅させた時、リンゴの木は五本枯れていた。これには違和感を覚えた。
その三分後、マリナリは判断を誤ったことを自覚した。毛皮の男を――ブブダックを確実に殺しておくべきだった。中途半端に無力したため意識からそれていた。
さらに十分経った現在、彼女は地面を転がる。あまりにも速く、一度地面で跳ねてから、ほぼ飛んでいる。視界がグルグル回転するなかで手を伸ばして草に触れたが、かえって回転が不規則になった。どうにか鞭で木をつかんで減速し、近い木に腕を引っかけて止まった。
直後、彼女はとっさに身を低くし、横へ転がる。その上をゴウと強烈な圧力が通りすぎた。荒っぽい蹴り、それがリンゴの木をへし折った。
ブブダックだ。裂けて血まみれになった服の下に傷はない。それどころか、力がみなぎっている。彼は、何も面白いことはないと言わんばかりのけわしい顔をしていた。
マリナリは立ちつつ距離を取り、彼は折れた木へと手を伸ばした。
「〔悪化する傷/フェスタリング・ウーンズ〕」
マリナリの鞭が複雑にうねり、ブブダックの目を狙う。無造作に動いた腕が、鞭をはねのけた。腕の肌を裂けたが、出血はすぐに止まる。彼が握ったリンゴの木の葉が、瞬時に茶色く変色して散った。
マリナリが油断ない動きで大きく距離を離した。
緑色の鞭の一部がしなびて、枯れたように変色している。腕を打ちつけた部分。ブブダックは握っていた木を投げ捨てた。それが草地に落ちる音は軽い。
撤退は絶対にできない。彼を放置してはいけない。そして応援に呼べる戦力はない。
すでにブブダックは主力級の戦闘能力に達した。攻撃は素手。本気とは考えにくい。
主力の手が空くか、北側の農地の敵を掃討し、動物チーム全員が自由になるまで、彼をここに拘束する。
ブブダックが隣の木を気にした時、彼女は威嚇的に鞭で大地を打った。
「その木々を、誰が植えたかご存知でございますか?」
「知るわけねえだろ」
ブブダックが面倒くさそうに答えた。
「ここは神の庭でございます。すべての緑は神聖。冒涜は許されない」
「神聖だって? 神だの、善き輪廻だの、悟りだの、一体化だの、昇天だの……人を見ぬ超常から何を得る? 祈り、永久、幸福、調和、恵み。ばかばかしい。クソだぞ」
「あなたの皮をきれいに剥がし、回復させて、剥がしたらまた回復させて、失われた木々と同じだけの皮の森を造る。それとも、あなたを手足を切って埋めて、その血でじっくり育てましょうか」
ブブダックが、落ち着いた言葉を聞きながら自然な歩きで次の木を目指した。
マリナリは片手で連弩を連射した。同時に草が彼の足元に絡みついた。しかし、草は瞬時に枯れ果てた。
ブブダックがマリナリへと向きを変える。そして突撃。野性的な走りで、顔を守りつつ加速する。手に、足に、腹部にもボルトが刺さる。止まらない。
彼は腕を振りかぶり、至近に迫る。マリナリが連弩を盾にした。拳が弓を粉砕し、破片が飛び散る。
その破片のあいだを縫うのは鞭、目、耳、脇をほぼ同時に狙う一撃。ブブダックは目だけかばい、それ以外はそのまま受けつつ強引に前に出て、マリナリを蹴った。彼女が大きく飛ぶ。
防御した腕に痛み、おそらく折れた。小さくだが亀裂が入った。それでも魔法で鞭は伸びる。ブブダックは防御しつつ逃れ、木に触れた。一気に木が枯れ、その体に浅く刺さっていた数本のボルトは、内側の筋肉の力でポンポンと飛ばされた。
マリナリの主は、混沌により緑を荒々しく活性化させて、あふれた力を自らに戻して力を得る。吸収しなければ、植物がどこまでも自由に進化し、主にすら反逆するという問題もある。
目の前の男は、植物の生命力を枯らすだけでなく奪う。最初はここまでではなかった。戦闘能力と同時に吸収力も強まっている。
普通は二倍ぐらいが限度で、それ以上は風船が割れるように破滅する。だというのに余裕がある。表情は鬱屈としているが、これは最初からだ。いま殺すしかない。
彼女には致命傷を与える手段がない。混乱系の魔法を放っているが、気を強くもっているせいか効かない。
この鞭なら破壊されるまでに五秒は拘束できる。その間に首を切り落とす。しかしゼロ距離でのやり合いになる。反撃の内容しだいで死ぬ。だが、もう差は広がるだけだ。
もし広範囲の緑を喰らえば、主の力を越え、さらに主の聖域が無くなる。
「主よ。使命のための力を」
マリナリは腕を魔法で治す。ブブダックが、決死の気配を感じてか後ずさりした。
「マリナリ」
後ろからの声は落ち着いていた。マリナリはかかとを上げて停止する。
ルキウスだった。ブブダックはこちらを警戒し、さらにゆっくり後退した。
「主よ。こちらに来られるなんて」
「西の門に向かえ」
ルキウスはマリナリをしっかり見て言った。
「あれは危険な相手です。私も」
「今すぐだ。そう余裕はない」
「承りましてございます」
マリナリは、刹那の逡巡ののち走り去った。
「で、君はどなたかな? なかなか場違いな格好じゃないか」
ルキウスが澄まして言った。
「ここの自然もどきに比べれば、終末の荒野に合ってるだろうぜ」
ブブダックは景色に目をやって忌々しそうにしたが、ルキウスが登場した時には信じがたいものを見た顔をしていた。恐れと驚きだ。何かしらの印象を持ったということ。
「ルキウス・アーケインです。はじめまして、どこかの田舎の方」
「お前もこっち側なようだがな」
ブブダックは、つまらなそうな顔で荒っぽく返した。どこか投げ槍だ。
機嫌の悪そうな口ぶりは、演技で出るものではない。ルキウスを知るならありえない反応。仮面に、イヤリングで耳を変えている。事前情報があっても確信はなかったはず。
「私を普通ではない目で見る。どこかで会ったかな?」
ルキウスが軽く探った。
「化け物が近づいてくればな、警戒はするだろうが」
ブブダックが、近く木から伸びた枝先に触れた。木は、すぐに粉末となって根元から崩れ落ち、無数の小さな木片がそこに残った。
「なるほど、〔枯らす者/ブライター〕か」
自然祭司でありながら、自然を破壊する道を歩む者。決して相容れぬ存在。
(何か禁を破ったか。自分の意思か。警戒があるにしても固い性格。表情筋もこれを肯定)
ルキウスが少し間を開けると、ブブダックが小さく口を開いた。
「アクポーを知っているか?」
ブブダックはルキウスを警戒しながら横に歩く。
「いや、服なら着たくない語感だな」
「故郷の森の神にして精霊なんだがな。そうか」
「自然に関わる神格はたいてい知っているが、記憶にないな」
「ふん」
ブブダックはいっそうつまらそうな顔になった。
「それがお前の信仰か? それでなければ上司か?」
「いや、感じたことも見たこともない」
「……帝国軍でないのなら、お引きおとりをおすすめしたい」
ルキウスが言った。ブブダックは、嫌悪と畏怖が混じる顔でルキウスをにらみながら歩き、また木を枯らした。
「君がスナック菓子みたいに食っている木は、私がそりゃ苦労して一本一本ていねいに植えて育てたものだよ。長年の成果ってやつだな。だが、今すぐ去るなら罪には問わない。残るなら償ってもらう」
ルキウスが言うと、ブブダックはルキウスを見据えた。
「永遠の飢餓と煤ける日照りの彼女よ。分別なく日を楽しみ手をつなぐ恥知らずに、渇きの饗応を与えよ」
ブブダックの足元に黒い渦が現れ、そこから泥を乾燥させて固めた鉈が出てきた。ひび割れてもろそうだ。彼がそれを握る。
さらに背中側から伸びてきた毛皮が彼の頭へかぶさり、獰猛そうなクズリの頭部をかたどった。彼の顔はその口の中から覗いている。
「シャンチェイか、生物ならなんであれ祈るべき対象ではない、滅びの神だ。知っているのか? 農薬変わりに使うような代物じゃない」
ブブダックは無視した。
「すべてを枯らせ」
ルキウスは反射的に跳びのいた。ブブダックを中心とした草地といくつかの木がどんどん枯れていく。範囲はそれほど広くない。
「なぜか嫌われてるようだが、覚えはないな」
「お前は調和を乱す。大地を惑わす」
「人の畑を枯らしてる奴には言われたくないものだ」
「気安い」
ブブダックが走り、ルキウスが剣を抜く。二本ではなく一本を両手持ち。互いの武器が正面から衝突し、互いが軽くはじかれた。ルキウスに匹敵する腕力。
ブブダックはすぐにふんばって追い、ルキウスは勢いを利用して逃げる。多数の茶色い小石のような物体が、二人のあいだに散った。
ブブダックがそれを打ち払うと粉々になった。
「なんだ!?」
彼はそれを警戒し、空中に広がった粉末を横に大きく避けた。
「セミの抜け殻だよ。この夏に集めた」
ルキウスは、腰の後ろにある亜空間袋に手を突っこみたっぷりと抜け殻を握り、際限なく抜け殻を投げ続けた。ブブダックはかわし、切り払う。
「警戒しても意味はないぞ、純然たるゴミだから、数えられないほどあるんだな」
ブブダックはルキウスをにらみながら追う。
「それで子供部屋いっぱいを抜け殻で埋めてやろうと思ったのだ。それで壁に並べて展示しようとしてたら燃やされた。子供ってのは恐ろしいことやる」
「聞いてねえ」
ブブダックはボソッと吐き捨て、ルキウスを追う。ルキウスに対応できる速度だ。つまり、全力の神に匹敵する身体能力。しかし追われているほうは、強さ以外を気にした。
(ずっと怒ってるな。スーザオと違う、暗い。挫折、失望、妬み、喪失あたり? しかし……体温的には怒りか怪しいが)
「なーに、幸せをくれてやろうと思ったのさ。楽しく集めたものだからな、楽しい思い出が伝わったろ? 薬にもなるんだ、誰も使ってくれないし、私も使わないが」
ルキウスがしゃべり続けると、ブブダックは口元が強く結ばれていった。
「おや伝わらないか? 思い浮かべてくれ、森で私が子供たちと楽しく虫に果実を探しているところを。穏やかな気分になるだろ。来年はもっと獲れると思う」
ブブダックは言葉を返さず歯を噛みしめた。
当たり、幸せは苦痛。人間関係の不服が行動動機の根底にある。
(生まれの良し悪しと現状への認識で人の過半は見える。小学校の時、壮大にぐれたお坊ちゃんいたな。自分の所属に、位置に不満がある。そもそも、こいつ、帝国の文化圏ではない。よほどの事情がある。が、どことなく幼い)
「不愛想にしていれば、隠せると思っているのか? 見えているぞ。私はすべて知っている。皆さんが不幸になっても、お前が幸福にはならん」
ブブダックは足を止め大きく息を吐き、無言で近くの木を枯らした。
「大事な事なのでもう一度言うが、そこの果樹はな、だいたい俺が植えたんだよ」
ルキウスも足を止める。
「ありがたくいただいてるぜ。すべて滅ぼすがな」
ブブダックが木を枯らした。
「通告はしたぞ。知らないは通らない。私の気持ちの問題にすぎないが」
「知ったことじゃない」
「そう言うなよ。自然祭司同士仲良くやろうではないか」
「自然祭司? やはりお前なんだろうな。だが似ちゃいない。対極だろうが」
「似たようなものだろう? 自然に関わる仲間じゃないか」
「ふざけているのか?」ブブダックの目に怒りの炎が宿った。「自然祭司ならば、調和を守れ!」そして鉈を手に走る。
ルキウスは逃げた。戦意のかけらもない。背を向けて走る。こうなると完全に彼のほうが速い。
ブブダックはすぐに無理を察し止まった。また力を蓄えるつもりなのだ。その耳元にルキウスが風に乗せた声が届く。
「それで正しいの? 満足してる?」
小さな子供の声だ。性別もわからない。耳の奥で澄んだ声が遊び回る。
ブブダックに恐れが見えた。
「正しいのかな? それとも間違い? こんなことやってていいの? わかってるよね? ねーきみ、ちゃんとしようよ、怒られるよ。おうちに帰ろうよ」
「悪魔め!」
ブブダックの表情が鬼気迫るものとなり、ルキウスを追った。
「キャハハハハ」
さらにあらゆる声色がたたみかける。
「母さんを後悔させないで」「どうしてこんなことをしたんだ!」「大丈夫さ、俺に任せておけよ」「お前に失望したぞ」「幸せだね」「あなたよりお兄さんのほうがいい」「ちょっとはやる気出せよ」「なんでできないの?」「お前さえいなければ」「明日になればうまくいくって」「神に祈りましょう」「貧乏人は嫌いなの」「知ってるんだぞ」
「なんで……殺したの?」
「うるせえ!」
ブブダックのどなり声は、絶叫に近かった。
「これやってると暗殺者がノリノリで殺しにくるんだよな。森林対応の虫暗殺者は強かった。ほかに決闘代理人、仇討ちギルドが来たっけ。懐かしいな。とにかく、攻撃魔法が不得手らしい。自己強化型だな」
ルキウスは敵を観察しつつ走り、やがて逃げるのをやめた。ブブダックが警戒しながら追いつく。
「やっとか。お前は絶対に殺してやる」
「これはおかしいね。実におかしいぞ、こんなことはありえないな」
ルキウスが語調を強め、天を仰ぐ。
「……急に何を言っていやがる」
ブブダックは異様な変化を警戒した。
「君はひどく怒っているな。私はよく怒られるが、君に怒られるいわれはない。きっとそこらでウンコでも踏んだに違いない。その恥辱を怒りでごまかしているのだな」
「違うわ!」
「ムキになるってことはだな……」
「違うつってんだろうが!」
ルキウスはため息をつき、一瞬で息を吸う。
「納得がいかなあぁあい」ルキウスは気分そのまま叫んだ。さらにまくしたてる。「普通に考えて、自軍ごと爆発するか!? おかしなことが続くとイライラするだろ、するよな?」
話しかけられたブブダックは麻痺した。ルキウスの勢いは収まらない。
「できるからってやるな! AIのほうが人間味があったわ! この機械野郎が! そもそも自分が死んでたら、あとがわからん。何も楽しくない。何もだぞ、何もだ! そんなことをやると思うわけねえだろうが。楽しくないことをやる奴は人間じゃねえ!」
ルキウスは一息吐き落ち着いた。ブブダックはあきらかに困っていた。かすかに上品さと知性がある。これに近い顔を最近見る。マウタリに似ている。泥にまみれて育った顔ではない。この町のスラムで多い、下品でタフで悪辣で無神経で疲弊した顔ではない。
「はああ、誰もいない所で叫ぶとすっきりするな。どう思う? はい、ご意見をどうぞ、時間切れでーす」
「戦争だぞ! ふざけてるのか!」
ブブダックがどなった。それはやっとのことだった。
「静かにしろよ。シーだ。人との話し方を知らないのか? 母ちゃんに教えてもらわなかったのかあ?」
ルキウスが口の前に指を立て、唇を全力ですぼめて、息を吹いた。
「お前が言うな!」
泥の鉈から黒い球体が発射された。それをルキウスは剣で軽く弾いた。それからよそ見をして、両肩を順に鳴らし、真面目な顔になった。
「帰れよ。お子様の相手をしているほど暇じゃない」
「これでも三十は過ぎている。帝国の連中にはわかりにくいようだが」
「そうですか。こちらは一歳です。バブバブ―」
ルキウスにブブダックが寄り、ルキウスはまた逃げた。
「どこまでも、やり合わんつもりか!」
この怒りも、やはり暗い。
ルキウスを本気で憎むプレイヤーは多い。たいてい彼らの怒りには快感が溶けている。怒りは喜び。中毒者で、楽しい奴らだ。だからルキウスは、怒らせてあげている。
目の前の男は際限無く沈んでいる。怒りが怒りを呼び、熱されずに冷え続ける。燃えるほどに凍える怒りだ。このタイプも知っている。
不満の根本原因が遠くにあって、どれだけ怒っても解決しない。このタイプは、引退に追いこまれるか、アカウント停止になる場合が多い。彼らの問題は現実にある。
さっきの手慣れた精神攻撃は、この部類に顕著に効く。それ以外にはあまり効かない。
「アクポーとか言ったな。それは結局きみのなんだ?」
「お前が知る必要はない」
ルキウスは、枯れて残った細い切り株に腰かけた。
「お前、どこまでも!」
ブブダックは激高したが、止まったままだ。
「説明せんなら逃げる。悪魔の森まで走るからな」
ルキウスがピョンピョン跳ねる。
「……いかれてるのか?」
ブブダックの顔にはこれまでと別の種類の恐怖。
「よくわからん事情につきあえと? 無理だろ」
聞いたブブダックは長く逡巡し、不快極まるといった顔で語りだした。
「俺が部族の長の長子として生まれた時、祈祷師は夏と冬の間を吹く風たるアクポーの声を聞き、恵みをもたらす者だと告げた。たしかに腕にはアクポーの印があった。今もある」
「はーん、部族な」
「精霊の印がある者は長を継ぐのがしきたりだ。しかし、ひとつ下の弟は優秀だった。愛想は良かったし、術の覚えもよかった。俺だって出来のいい奴と思っていたさ。俺はまわりと関わりたくなかった。普通にやれねえからだ。それで外の世界の興味を示し父によく怒られたものだ。父は俺に厳しく接した」
「……譲ろうとしたのか?」
「よくわかるな」ブブダックの表情がわずかに緩む。「儀式やらに引っぱり回されうんざりしていた。そもそも部族の守り神という祠があったが、祭壇にいたのは貧弱な植物の精霊だ。思い返してもあれに大した力はない。あんなものに付き合えるか。それで技術を身につけぬよう努力した」
「じゃあつきあうなよ」
ルキウスの気楽さに、ブブダックは表情を固めた。彼の足元で枯れが広がり続ける。
「次の長を弟にという話がでて、それでいいと思っていた。十一の時、五年に一度の大地上昇祭、周囲の部族を集めての長い祭りがあった。そこに未成年の競技会がある。武芸、野獣狩り、交霊、採集などだ。それのいくつかで圧勝してしまった」
「負けとけよ」
ルキウスが何も考えず言った。
「加減はした。木で叩かれても痛くない。術は弱い。目が悪い。鼻が悪い。あいつらは弱すぎた。弟には屈辱だったのか、奴は無口になった。その後、俺を推す声もあり、多少は仕事をした。嫌々だ。長になる試練への資格を得る十七を迎える直前、父を殺した」
「話飛んだだろ」
ルキウスは、切り株の一点に体重を集中させ体を停止させた。
「雪が溶けおわった森で、顔を隠した集団に襲われ、撃退し、死体の面を取れば弟がいた。ほかは別の集落のやからだ。父の差し金だった」
ブブダックは記憶を探っているように見える。
「知ってまず……第一に父親を殺した?」
緑の瞳は、額縁で切り取ったようにまゆから鼻にかけてを収めていた。
「そうだ」ブブダックはかすかに誇らしそうだ。「さっさと荷物をまとめた。逃亡計画はよく練っていたから余裕だったが、大々的に追手が来た。引き返し、ほとんどを殺した。よくわかった。全員が俺を恐れていた。父は困っていたはずだ」
「へえ、そりゃ大変だね」
ルキウスがあからさまに気の入らない相槌を打った。
「お前がきいたんだろうが!」
「そうだが?」
「なぜ興味を失う!?」
「私はきみじゃないし」
ブブダックがわなわなと震え、かつえた目で言葉をつむいだ。
「人の世に超越者の介入は許されん。すべてが歪む」
「ならご自由にそうすればいい」
ルキウスはさも無関係と言わんばかりだ。
「はあ!? 何を言っている……ならばなぜ信仰する? お前は信仰者のはずだ! この荒野を一新するほどの力を使う!?」
「だって使えるし、便利だし」
ルキウスの言葉にブブダックは絶望した。
「……お前、それほどの異常、普通だったはずはない。その力は幼少の時から並ではなかったはず。そうでないなら、超越者となった明確な機がある」
「さあ? 私はずっと普通だ。子供の頃からずっと平凡だよ」
ブブダックが絶句すると、ルキウスは楽し気に言う。
「感想をお求めなら言うか。そのアクポーとやらがすべて正しい」
「……違う。アクポーは間違えた。あれですべてが壊れたんだ」
「神か精霊か知らんが、才ある者を選び、大事にしろとお知らせしたんだろ」
「弟に印があればすべて収まった」
「誰に印があろうとお前が強い。それを恐れた。育てそこねたら取り返しがつかない、危険だ。便利な予備がいたようだし。人は保険をかけたがるんだよなあ、つまらない」
「どこかがひとつ違えばこうはならなかった」
「ああ! お前はそいつらに認められたいんだな」
ルキウスが大きくうなずき、顔の奥底から笑みが浮いてきた。
「違う!」
「いまさらあがいても手遅れだ。そいつらは――」
「違う」
「殺すべきではなかった。さもなくば、報復で満足するべきだった」
「黙れ! アクポーが俺を選びさえしなければ――」
「選ばれずとも力は変わらん。私は自分を取り巻く力がよくわからん。そっちもだろ。力を奪っているつもりか? 植物から力を捧げようとしているぞ。気に入られているのさ。そういう才能なんだろ、逃れられんぞ、ずっとそれを使っている。今もだ」
「そんなはずはない」
「お子様が」
「なんだと!」
ブブダックがいきり立った。
「よい子だって言ってるんだよ。ママに褒めてもらえよ。ああ、殺しちゃったのか」
切り株が砕け散った。その下の大地までが深く割れている。泥の鉈がこれまでとは桁違いの速さで振り下ろされたのだ。大地の揺れが収まった。
ルキウスは即座に逃れていたが、鉈は足をかすめた。その部分を中心に痺れ、一瞬力が出なくなった。それでも退避しつつ言った。
「お前は悪いコヨーテになれなかったただの駄々っ子だ」
「はあああ!」
ブブダックを中心に黒いオーラが爆発した。これにはルキウスも全力で逃げる。爆心地ではすべてが枯れ落ち、残骸すら残っていない。
「お前みたいな奴だけは絶対に滅ぼす。この世からすべて――」
ブブダックが表情を歪め沈黙した。クズリの毛皮が逆立っていく。
ルキウスの右顔面から肩にかけてが火傷のようにズタズタになり、露出した断面で無数の触手がうねっていた。
彼はそれに触れると、回復させて元に戻した。
「おっと、とどいたか。まあ、ちょうどいい」
「……やはりか、やはり人ではなかった。お前のような悪魔が人の世に混ざっているんだ。お前たちは必ず滅ぼす」
ブブダックは答えを得た。彼の抱えた問題はすべてがなくなった。それをルキウスは明るいと思う。そして、ルキウスはすべての要件を終えていた。
「お前の刑が決まったぞ」
「ほざけ!」
ブブダックが黒く枯れたオーラをまとい、後方へ噴出させた。その加速でルキウスを直撃する。ルキウスが手をブブダックに向けた。
「裁かれよ」
周囲の大地がボゴンと爆発し、大量の太いつるが生え、太陽が遮えられた。そのすべてがうねってブブダックを襲う。とても切り払える数ではない。荒れ狂うつるが、際限なく何重にも絡みつき、ルキウスの半歩前で彼を止めた。そして後方へ引き戻す。
「うおおお! 枯れろ!」
つるは目に見える速さで枯れていくが、次から次へとつるが生えてのたうち彼にのしかかる。圧倒的な質量が彼を引きずり倒し、大地にしばりつける。
発動したのは、限界まで神気をつぎ込んだ〔緑の神罰/ヴァーダント・ディバインパニッシュメント〕。今回の効果は単純に処罰。強制力は罪の重さに応じる。
「罪状は、友情拒否、傷害、器物損壊、狂気の森への不法侵入」
事務的な読み上げ。
「滅ぼしてやる! 悪魔!」
つるの塊が一気に変色したが、それに呼応してより大量のつるが大地を突き破って出現し、枯れたつるごと彼を覆い、ギュッと握るように固めた。
「弟に譲っただ? 違うだろ? お前は正当性を主張するべきだった。身内を皆殺しにできる力があるならできた。きっとお前の親父は不正に怯えていたよ。お前は親父の機嫌をとりたかった。本当に譲りたかったのか? 解決方法はほかにあった」
合っているかどうかなどどうでもいい。相手が意識すれば選択肢にあがる。人は自分の中から答えを探す。
「黙れよ」
つるの塊が分厚いせいか、声は聞き取るのが困難だった。
「枯らす者と生やす者。運命的な感じもあるが、その程度ではな。きみを殺せる奴をざっと百万は知ってる。つまり誰でもいいんだ」
ルキウスは飽きたようだった。
「間違いは神に裁かれる。なにひとつ間違わない俺に、逃亡者では勝てない」
つるの塊が小さく凝縮されていく。それはどこまでも凝縮され人より小さくなった。
「古き緑は邪神とされる。その狂気を恐れる者は、狂気の森の主と呼ぶ。狂っているふりをしているという説もある。意味もなく狂っているふりを永久に続けるなら、狂っているという指摘もある。その永続的混沌に幾何学的完全さを見る者は、絡み合う法典と呼ぶ。
アトラスの父は、埋め尽くす手、と呼んでいたかな。これは、混沌が古い秩序を一掃するさまを示している。そもそも狂気の森とは、罪人と英雄が瞬時に入れ替わり、混じり、昨日までの正義は今日の巨悪となり、明日には狂気とされる場所であるという。何度考えても狂気の要素が見あたらねえよな」
神罰が終わった。ルキウスが凝縮されたものに歩み寄り、かがんだ。
「転生の刑、としたが」
比較的大きめの種だ。枯れ果てた大地にそれだけが残る。
「小さな種、人間が成ったりしないだろうな」
彼は種を拾って袋にしまった。
「人間ごときでは神には勝てないんだよ。神はうまく使わないと」




