夜襲2
ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 三月 二十九日 九時
帝国軍は朝から一斉攻勢に出た。昨夜からずっと砲撃が続き、町の北に半壊の廃墟が増えた。ここに重火器が無いのはあきらかである。廃墟に兵を潜ませることはできるが、十分な野砲が投入できれば圧殺できる。
北と西は町を目指し、東と南はより近くからの砲撃で防衛部隊の拘束を狙う。
兵はいくらか士気を上げ、足を取られ枝にぶつかり森を進んだ。密度が極限に達した木々の間を抜けるのは困難であり、いくつかの道を強要をされたが、罠は無く、途中まで進むことはできた。
そして、風を感じた。強い横風。密林をかき分けていた誰もが感じた。
連続でシャンパンの栓を抜いたようだった。それを知らぬ兵には例えることもできない。
風を感じたときにはもう遅い。恐怖を感じる暇はない。仲間と同時に首が落ちる。十、二十の首が一斉に落ち、百、二百となれば、多少ずれて落ちる。体は必ず左に倒れ、残ったものが流れ出た。
二本の長剣が、ベルトコンベヤーに載ったスナックバーを等分に切断するように、機械的に処理していく。
鮮血が高い枝葉までを浸し、兵は滴る血を避けて後ずさりした。
風は必ず右から来た。現場部隊は対処を試みたが、影を見ることも困難だった。この均質な異常の情報は、すぐに全部隊で共有された。
正午を越える頃、現場指揮官は気付いた。風は、徹底して町に近い首をはねている。ぐるぐるぐるぐる森を巡回し、刃が触れた部分をすりおろしている。
前線部隊は後退するしかなかった。一部の勇者はまっさきに絶えた。
軍ははやばやと森から逃れ、二万を越える兵を失った。
いくらか森を減らしたとはいえ、大敗だ。
これに将官は勝機を垣間見た。これが森における最終防衛であり、最後の試練だと。過去にこのような一時的な反攻を経験した士官は多い。これは敵が余力をなくした証なのだ。ここまでの状況も森の残量も、それを肯定している。
ベリサリは、ここで緊急増産した水で燃えるタイプの焼夷弾を消費する決断をした。夜間からそれで砲撃を始め、その明かりで突撃をかける。
損害覚悟の強行で一気に森を抜き、可能なら防衛部隊の背を突く。
軍全体が慌ただしく動き始めた。
同日 二十時 悪魔の森北西部上空
空飛ぶ箒の上は、狭かった。
「ここから落ちれば一貫の終わりだ、ニャッ!」
邪悪な妖精が悪心にまみれた犬歯を剥いた。
「なにおう!」
小さな魔女ペーネーは、いつも以上に憎々しい猫妖精のケオテンと顔を合わせ争っていた。彼女はミュシアの細い腰に抱きつき、ネコは肩に乗っていた。
師であるミュシアは、優雅な横座りをして、片手で箒を操っている。
風でミュシアのイヤリングがネコに当たっていた。
「師匠のイヤリング、フォレストさんのと似てるんですよね」
「そうかい? そうだろうねえ」
ミュシアはけだるげに答えた。
「色が違うだけのような」
ペーネーの目の前にあるのは空色で、ルキウスの物は浅い緑だったが、形状はまったく同じに見える。
金属っぽい光沢があったが、樹液を塗った物で材質は木だと聞いた。それは自然祭司らしく、彼女は納得していた。その機能を隠すため、樹液の下に文字があるらしかった。
師の物は金属だと思っていたから、今の今まで結びつかなかった。
彼女が師のそよぐ髪を見ていると、その奥に見える星空と黒い大地の隙間から、無数の灯りが連なって現れた。
ミュシアの肩から、顔だけが出てきて遠くを見渡した。エル・テアイルセンスだ。
「こりゃ、すごい陣地だあ。あっちまで伝わるわけだね」
彼女は影に潜っていられる。全身を覆う距離感のない夢遊的魔力は、夜空に溶けてこの距離でも見えにくい。
彼女は、森を出て数日したら帰るのを繰り返している。
帰る時は、必ず膨大な写真情報と一緒。なんでもない小石、屋根の上のゴミ、溝を流れる羽虫の羽、本人がキマイラ型だと強弁する雲、ハンターの仕事現場はかなり近くから撮られていた。
たまに現物も持ち帰る。濡れてから干上がったネズミの死骸、何かのネジなど、本人しか価値を見出さないであろう物から、正当な手段で入手したのか疑わしい危険な呪物もある。まったく理解できない人間だった。
箒の高度が少しずつ下がり、じょじょに地平線だった灯りがばらけてきた。
帝国の陣地は、直径五十キロ以上の輪となってコモンテレイを囲んでいる。その末端が見えているのだ。
「これ以上は危険だね」
ミュシアが箒を操り、真下の黒い荒野へと降下させる。
「でも珍しいですよね。外に出るなんて」
ペーネーが師の横顔に言った。
「普段は役目があるからね」
「それはいいんですか?」
ペーネーは不思議だった。
「今はいいのよ。あんたがいるしね」
「やるにゃ 小娘!」
箒が地面に近づくなり、ネコがペーネーに飛びつき。ふたりは荒野を転がり取っ組み合いを始めた。
「やられるかあ」
冷えた無風の荒野、ネコと魔女の罵り合いだけが聞こえる。
「ここは遠すぎないかいミュシア?」
エルが不満そうに何もない夜の荒野を見た。
「戦争状態だよ。接近すれば探知される」
「でもこれじゃさあ」
「まず星で確認する」
ミュシアはどこからか平たい板を出した。それは触れられると光を宿した。ペーネーはそれを目に止めると、ネコを放り出して駆けつけた。
「そんなの持ってたんですか?」
ペーネーにわかるのは、機械だということだけだ。かつて見た、レーザーガンの画面と似ている。
「接続できるのは、あの森の上のやつだけでしょ?」
エルが言った。
「そうだけど、星同士は通信してて監視情報を共有してる。細かい操作はいまだにわからない。撮影した写真があるはず……最新は、八〇二〇……これね」
画面に映った画像は、ほぼ黒のグラデーションで、点在している小麦色の点は農場だ。黒いぶつぶつの集合が都市だろう。
「遠いな」
「画質がいいから拡大はできる」
絵が空から地上に近づいていく。ミュシアの視線に反応しているようだった。
「これってどういう原理ですか?」
ペーネーが尋ねた。
「星だよ」
「星って、天使ともいわれる停止星ですか? なんでそんなの持ってるんですか!」
「人にもらった」
「あれが何か知ってるんですか?」
ペーネーが目の色を変えた。
「落ち着きなよ。監視と迎撃のためにある」
「おかげで虚空には行けない」
エルが言った。
「無くても行けないと思いますよ」
「大戦前なら行けたさ。邪魔がなければね。現在地はどこなの?」
エルが画面を覗いた。
「森の地形的にこの辺じゃない?」
ミュシアが示した点は、コモンテレイから二百キロほど離れている。
「このレンズ欲しいな」
エルの目は光を受けて青く光っていた。
「撃ち落とされるよ」
絵が拡大されていくと、町の路地が認識できるほどになった。絵が町から周囲に移動していく。
「すごい塹壕だなあ」
町を囲む森の周りを、多重の黒い線が囲んでいる。多くの人影も確認できた。距離が離れても定期的に黒い線が走っている。
「あれが戦車ですね!」
ペーネーは形状が確認できる車両群に夢中になった。
「バランス的に自走砲じゃないかな?」
エルが言った。
「なんですかそれ?」
「自走する機械車両に乗った野砲だよ」
「……それって戦車じゃないですか。どこが違うんです?」
「気分? 騎士だってロバ乗りじゃ嫌だろうしね」
「なるほどー」
ふたりが話すあいだに、ミュシアは操作をやめて荒野の彼方を見ていた。
「なんか面白そうな場所探してよ。秘密兵器とかさあ」
エルがねだる。
「あんたも鈍いね」
これを聞いたエルがミュシアの視線を追った。
「空かい?」
「なんですか?」
ペーネーにはふたりの話がわからない。ふたりは空に見とれている。
「あの範囲は……〔天候制御/コントロールウェザー〕じゃない」
遠い空に黒い雲がわいていく。非常にゆっくり低く黒が広がっている。
「……一つじゃない。包囲の中心には、大魔法の使い手が四人いる。単独でも一万を葬る魔法使いよ。連携すれば十万に匹敵する。あんたでも負けるわ」
ミュシアが顔をエルに寄せた。
「夜ならなんとかなりそうだけどね」
「なんですか? あの雲の話ですか?」
「砂漠にあの雨雲はありえないよ」
エルが諭した。
「魔法? あれがですか? 遠いから、すごく大きいんじゃあ……」
「ペーネー、あの魔法がなんのためにあるかわかるかい?」
ミュシアが言った。
「雨雲ですよね。日照り対策とか国家規模で役立ちます。そう考えるとこんな砂漠でもなんとかなるのかな。どれぐらいの範囲なんだろう?」
ペーネーはひたすら遠い空をながめた。
「そんな目的であれをやるのはいないのよ。コストもかかるし、あれができる術者はもっとほかのやりようで達成できる」
「じゃあ……なんですか」
「あれはね、ただの準備よ」
ミュシアが言った。黒い雲はなおも広がり続けている。
「なんのですか?」
「さてね。単純にすべてを凍らせるか、燃やすか、火属性を弱めたいのか、土を泥に変えたいのか。霧にも変えられるし、探査にも使える。雨の範囲に入るべきじゃない。私も飛びにくくなるから苦手よ」
「混ぜて何かにもできる。さすがにここまでは来そうにないな」
エルが言った。
「あれ、どうなるんですか? ザメシハにも影響があることですよね?」
ペーネーは恐れた。思考がようやく技術的興味から現実的問題に移行したのだ。まだ遠いとはいえ、聞くことしかなかった戦争が見えている。近年、大きな事件が続いている。自分の知らない所で大きなことが起きているに違いないのだ。
「さあね。あれも、たいした理由はないかもしれないね」
エルが笑う。
「水中戦のほうが得意という理由だけで水だらけにしたのもいたしねえ」
「じゃあ、行ってくるかな」
エルが肩を回して、カメラを確認する。
「無理だよ」
ミュシアが声を張った。
「俗世に関わるつもりはないって。ちょっと帝国軍の日常の貴重な一枚をね」
「辞めときな。ルドトク帝国は確実に遺跡を持ってる。中身は宝物だけじゃない。苦労して封印された怪物や、危険な技術もある」
「大戦前以上のものが飛び出すかもって言いたいんでしょ。あの騒乱みたいな」
「あんなものは遺骸でしかないよ」
「やりあってから言ってよ」
エルは心外そうに肩をすくめた。
「やりあったさ」
ふたりの話はペーネーにはよくわからない。それで荒野に目線を落とすと、花があった。根や茎が無い赤い切り花だ。暗くてもわかるほど赤い。バラのようにふっくらとした重なりあった花弁の花だ。それが一つだけ乾いた黒いじゃりの上にある。荒野の真ん中で、植物など無いのに。
その花がいきなり視界から消えた。散らばった輝く砂がまたたいている。
「あれ?」
強い風が吹いている。足に当たるものが何も無い。
目の前には夜空しかなかった。浮遊感が消える。頭が後ろへ下がる。緑の三日月が近い。
「え?」
ここは空だ! 落ちる! 彼女が思った瞬間、ドンッと襟に衝撃があり、ビュウと上がった。何かが首の後ろに引っかかり、猛烈な速度で飛んでいる。
「なになになに!?」
ペーネーがバタバタすると、強く後ろに引き寄せられた。
「敵襲よ。接近を許した」
背中側からミュシアの声がした。どうにか視線を動かすと、後ろに箒があった。
「敵? え?」
ネコは必死でミュシアの肩にしがみついている。エルがいない。
「あれは置いてきた。このまま離脱する」
ミュシアは前だけを見ている。前を見ていられないほどの風が、ペーネーの顔を打つ。
「え? どういう、え?」
「夜なら自力でなんとかするさ」
「お前が死ねばよかったものを、ニャ」
ネコはしみじみ言った。
エルは黒い人影と向きあっていた。距離は十六メートル。
完全な闇夜でないとはいえ、夜にここまでの接近を許した。エルの人生では初めてだ。荒野にはなんの遮蔽物もなく、身を隠しての監視すら困難だというのに。
砂利のひとかけらに化けた魔物すら警戒していたが、それを簡単に突破した。潜んでいたのか、転移か、創造か、出現の仕方もまったく認識できなかった。花の次に、いきなり出現したことだけは確かだ。
そして人影は純然たる黒。空間が切れ落ちているようだ。彼女の目でも黒の人型にしか見えず、オーラもない。しかし、その凹凸は人間であるように思えた。自然体で立ち、こちらに集中している。
「プレイヤーかい?」
エルがわずかに姿勢を変えつつ言った。返答は即時。
「クラースナヤ・クリーパー」
無機質な音は、人の声とは認識しにくい。
そして意味がとれない回答。彼女に用がある人間ではない。
襲撃者であれば攻撃が来ているはずだが、平和的な接近でもない。ただし、状況は一対一に変化している。
「僕は写真を撮りた――」
「お引き取りを」




