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ドルイド2

ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 三月 十六日 二十二時 


 ルキウスは、木を見上げて苦笑いしていた。


「ワイヤーか、お返しというわけか。いいね」


 周囲の木々の枝という枝に鉄線が絡みつき、木から木へと渡してある。

 軍は相当な人員を動員して、樹上を鉄線まみれにしたらしい。ルキウスには邪魔で、地上を動く軍にはなんの影響もおよぼさない。彼ひとりで静かに撤去するのは困難だ。


鬼婆ハグがすげえ見てくる。ちゃんと木になってろよ。こいつら召喚者が男だと普通に襲うからな。俺も神じゃなかったらやばい」


 ルキウスは木になった〔狂愛の鬼婆/ハグ・オブ・クレイジーラブ〕から視線を感じつつ、ワイヤー観察に集中した。ワイヤートラップは、彼が特に扱いに熟達したものだが、こんな馬鹿げた密度で使ったことはない。


 最も低いワイヤーで、高さ二メートル。鬼婆ハグが走ると頭をぶつける。四つん這いで走る挙動もあるが、立った木に化けているから二足歩行になりがちだ。


「頭を使ってきたな。魔法を相手している軍隊、正面から殴り合おうとしないわけだ。どうするか。木を覚醒させて、つながったまま突撃させるか……」


 森でいきなり襲う木は恐怖だが、正面から来るとただの装甲目標になる。大型討伐は士気を上げる原因になるだろう。

 ルキウスは細かい事は考えず、邪魔な鉄線を剣でどんどん切りはじめた。枝ごと切って鉄線を地面に垂らし、軍が恐れそうな異様さを演出していく。


 彼がまとまった鉄線を切った瞬間、目の前が爆発した。夜の森を爆炎が照らした。その中に彼はいない。鋭敏な跳躍で爆風を避けている。


 火薬は探査魔法にかかる。位置はわかっているし、恐れるほどの威力はない。どんどん切って爆発が続く。爆発、爆発、熱い音に隠れる小さな砲音。


「位置特定が狙い、間接砲撃大好きだな」


 ルキウスは森の木々を突き抜けて飛びあがった。森の外は昨日より暗く、木を燃やしたらしい火も見える。以前より灯りが減っている。


「電力不足か?」


 送電網を強化しなければ進めない。電池バッテリーは前線に無い。次は電線を狙ってもいい。


 彼がそう思った刹那、耳に飛びこむ複数の風切り音。

 ルキウスはそれが通常榴弾であることを確認すると、森に戻った。爆発を置き去りにして駆ける。


 さらに砲撃が激しくなっていく森を走り、木にとびつき鉄線を切りまくる。


 脅威は特殊弾だけだ。実弾砲が達成できる弾速では、戦技を使っても厚さ三ミリの皮膚に刺さるのがやっとで、筋肉は抜けないとわかった。

 彼を殺すには、精鋭が至近距離で連続して戦技を使う必要がある。砲撃は痛いが、致命傷にならない。


 彼は夜中の工作が勝負と加速し、速度が最大に達したところで木をつかみ急減速した。速度に耐えられず枝が折れる。


「〔絡みかずら/エンタングルド・バイン〕」


 ルキウスの手からつるがビュウと伸び、進行方向へ振り下ろされた。その先端部が、何もない空間で切断され、切れ落ちる。すぐに彼は木を蹴り、手から出したつるを木に絡めて空中で停止した。

 彼の鼻先に、わずかな星の光を反射する線がある。


「分子チェーン、貴重な発掘品で首を落とそうというわけだ」


 分子チェーンは、ルキウスでも目視困難なほどに細く、猛烈に切れる。ルキウスには見えるが、アブラヘルには危険だ。彼はこれを撤去した。


「これも別の場所に設置しておいてやろう」


 砲撃はいぜんとして彼を追ってくる。それから逃れるためまた木々の上に出た。滞空して地上で炸裂する榴弾をやりすごしていると、今度は至近で榴弾が爆発した。距離をとりつつ飛来した破片を切り払う。


「近接信管、魔力方式か?」


 気配は消しているが、移動しても正確に砲弾が降ってくる。


「自動的で正確。帝国は情報技術が弱い。発掘品があるせいで、軍の武器は性能より量産性だ。何かの索敵砲撃システムを持ち出したな」


 ルキウスは全力で視た。陣地から照射された光線が、目まぐるしく往復している。


「アクティブ型。レーザーと、夜になじむ魔力波か。付き合う必要もない」


 ルキウスは、星空から落ちてくる多数の砲弾を視界に収めつつ転移した。五キロほど南の空だ。転移前にいた森で爆炎が連なった。


「一手足りない。転移阻害は必須だろう。魔法妨害の煙は貴重なんだろうな」


 ルキウスがいったんワイヤー切断をやめて陣地攻撃に移ろうかと思った時、鋭くぶれる空気の振動を聞いた。そして弾け飛んだ。




「やったか?」


 ベリサリは、大勢がこもるテントの中心に座っていた


「レールガン本体、センサー、自動照準、正常に稼働、直撃のはず」


 情報技官が答えた。

 彼が操作する大戦前の魔道コンピュータ画面には、緑の濃淡による静止画がある。

 森の上を飛ぶ小さな人影が拡大され、自然祭司ドルイドの姿が確認できた。容姿がはっきりわかる程度の大きさだ。


 これを初めて見る将官は少なからず興奮したが、みな黙っていた。

 空間転移直後は大きな隙だ。体勢からして、陣地側に注意をはらっていない。


 映像が再生される。弾が凄まじい速度で画面に侵入し、画面が光で覆われ、人影は消えた。何もわからない。再生速度を落としてまた再生される。


 それを食い入るように見る技官と将官の顔は、じょじょに困惑に変わった。

 飛行している自然祭司ドルイドは、弾が当たる直前で振り向き、剣を振り抜いている。弾道は彼と交錯して曲がり、自然祭司ドルイドは弾き飛ばされた。彼は不規則な回転に振り回されながら数百メートル木々のすれすれを飛び、最後は何もない空間を蹴って、その反動で森に落ちたように見える。


 次はコマ送りで映像が再生され、それを見るおのおのが所見を述べ始めた。


「……命中したが、防御しているような」

「まさか」

「形が残っているのは間違いない」

「拡大限界ですが、剣の腹でそらしたように見えます」

「弾が近くを通っただけでも熱と衝撃波で死ぬはずだろ?」

「莫大な電力消費に見合った加速で、対竜弾の威力は貫通型徹甲弾の十倍以上。成竜の牙だって折れます」

「魔物なのでは? 人間の強度限界を超えてる。多重強化中の侍でも徹甲弾の直撃は負傷する」

「想定より減速したと考えるべきでは?」

「一万三千は至近距離だ。減速しても戦車十台を余裕で貫通するぞ」

「限界まで強化した状態で、あえて受けに来たのでは?」

「予想していた体勢には見えない。それに衝撃を受けてる。弾を完全無力化する魔法はない」

「あからさまな魔力反応はありません。障壁はないと思われます」


「つまり、いっさいの減退なしで人の形があると?」


 ベリサリが尋ねた。


「常時発動の魔道具を多く装備しているのでしょう」

「常時発動による減退では限界があるだろ」

「待て、口が動いているな」

「口の動きは、イッ、テ、と読めます」

「どういう意味だ?」

「即応型の呪文では?」

「手練れの術師は、攻撃を受けた場合の保険を用意しています」

「角度で見づらいですが、おそらくイッテのあと、さらにイッテエイ」

「回復魔法では? それで傷が即座に回復し、出血が確認できない」

「攻撃に一定の効果は認められます。追撃しては?」

「レールガンをもっと前に出しますか」


 ピー、ピー、警告音が鳴った。コンピュータからだ。


「なんだ?」


 ベリサリが言った。


「砲撃警報、これはレールガンの区画です」


 技官が別のモニターにレールガン近辺の映像を映した。レールガンはコンクリートの倉庫に偽装されており、砲身だけが外に出ている。

 その横にいきなり大きな棒状の物が出現した。空から降ってきて地面に突き刺さったのだ。刺さった側がやや尖った物体である。


「なんだ? ロケットか?」


 物体の上部には、根っこらしきものがうねっていた。




 ルキウスは木の頂上から少し顔を出し、帝国軍陣地を確認していた。


「ここからじゃ見えにくい」


 迎撃砲の発火炎とレーザーで陣容が少し見えた。その防衛網の構造とさっきの弾の直線的弾道で、発射した構造物はわかる。彼は左腕を回し、肩の状態を確かめた。

 

「肩が外れたじゃねえか。そんで五回転ぐらいねじれた。鼓膜はべっこべっこか、ぐねぐねだ。とんでもなく熱かったし」


 ルキウスが地面に下り大木に触れる。枝葉が傘をたたむように鋭く引き締まり、身はより細くなっていき自然と抜けた。巨大な木の槍だ。全体が螺旋状にねじれている。

 それをバランス調整して右手で支え持ち、助走する。槍を持つ腕に最後の力が入る。


「あやうく死ぬとこだったじゃねえーーか!」


 投擲。森から撃ち出された槍は、急激に回転を始めしっかり空気を捕まえた。より加速し木々の上を高く越え軍の陣地へ落ちていく。迎撃兵器が反応しているが、魔力を帯びた質量の塊を粉々にはできない。


 そしてコンクリートに突き刺さる。槍はそこで回転しながら暴れ、より深く刺ささって停止した。


 ルキウスが十本の木の槍を投げ終わった時、レールガンは串刺しになっていた。


「まったく、俺が死んだら誰かが困るだろうが」


 帝国軍は砲撃戦の切り札を失った。


 翌十七日、第三対魔突撃隊は前線陣地の前方を哨戒していた。

 戦場各所で動きがあり、彼らに任務にも多少変更があるものの、実際にやることは、前進、索敵、駆逐で変わらずだった。

 貴重な森林戦部隊である彼らは消耗しないように運用されているが、何かあれば激戦に駆けつけられる配置にいる。


「結局、やばいのに会わないようにするしかないわけですか。これで戦争なんてね」


 タクリエラが言った。


「戦果があったから非番だと思ったのに」


 カリエールが愚痴をこぼした。


「森はビビるぐらい深くなったが敵は減った。特殊弾供与でいくらかマシになったし、自然祭司ドルイドが出たら、刺し違えてでもぶちかましてやる」


 カースが近くの木をナイフで刺した。


「どうせ会うなら魔女のほうがマシだ。わけのわからん部族の男はごめんだね」


 マップは陽気に言ったが、目元に疲れが出ていた。


「どちらかと言えばな。この辺りはどうだ?」


 クライヴがラクセンに確認した。


「思念に異常はない。しばらくは安全だ」


 ラクセンが森の奥を見て言った。


「そうは言ってもやばいのが来たら終わりでしょ。怪しげな呪文で木にされちまう」


 タクリエラが言った。


「……ラクセン、本当に安全そうか?」


 クライヴが少し考えて言った。


「ああ、近くには微弱な敵意もない。しかし力は感じる。あの果実だ」


 ラクセンが近くの木を見て言った。


「たいそう味はいいって話ですけどね」


 カリエールが言った。


「森の食い物は役得だからな。ここのはいただけねえが」

「飯といえばなんだったけな。こんなときに食いたくなるのがあったよな?」


 カースが機関銃を抱えなおし、マップは残弾を確認していた。


「そいつはゲブタンだ。お前もパタイオでゲブタンでも食うのがいいと思うだろ?」


 クライヴがラクセンに言った。


「まったくだ。そうなればゲブタンを食うほかないだろうな。こんな状況だ、そう思うのは当然ってものだ」


 ラクセンが同意した。


「ああ……そうですね。ゲブタンを食うしかないらしい」


 マップが言った。


「ゲブタンを食いに行くなら、伍長を待ってやらないと。安酒のやりすぎで体が重いからな」


 クライヴが言った。


「そう重くはねえよ!」


 カースが機関銃を三脚をドンと地面に固定した。その瞬間、彼らが一斉に振り返り、ラクセンに銃口を向け引き金を引いた。近距離で射線が交差する。そして銃撃がやんだ。一発も命中していない。


 ラクセンは残像の残る動きでかわしている。つま先を伸ばして立ち、全身をくねらせて大きくのけぞり、非常に奇妙な体勢になって銃口の先端を手足で固定していた。 

 

「おっと! 符号かい?」


 ラクセンは、永き封印から解き放たれた悪魔のように笑う。カースの銃口が追うと、ラクセンは跳躍して木の枝をつかみ、一回転してその力で木の頂上に逃れた。偽物だ。


「ラクセンは索敵で余裕がない。積極的に喋らん」


 クライヴが上方の偽ラクセンに拳銃を向けた。周囲の小隊もそれにならう。


「あいつは心配性だからな、安全なんて聞いたことがねえぞ」


 カークが言った。


「いつ入れ替わった? 今朝までは会話が繋がってた」


 マップが片目で照準を定める。


「愉快な会話のほうがいいだろうにな。ところでゲブタンって何?」


 偽ラクセンが頭を傾けて言った。


「ゲブタンは猛毒の果実だ。毒矢に使われる。本物はどうなった?」


 クライヴが言った。


「はは、食ってみたら美味いかもしれないぞ」


 偽ラクセンはそれだけ言い残し、どこかへ跳躍して消えた。部隊はしばし静寂に包まれたが、隊員同士がゆっくり顔を合わせると、一斉に口が開かれた。


「あれが自然祭司ドルイドか!?」

「戦闘回避も何も部隊内にいたじゃねえか!」

「なんで! なぜしかけてこないんです!?」

「わからん。手なずけた妖精かもしれん」

「本物はどうなった!?」

「入れ替わった奴が帰ってくることはない」


 クライヴが強く言うと、部隊は静まった。


「心覚兵がいなくなった。後退するぞ」


 彼らは森林戦を熟知していたので、この件を外に漏らしたりはしなかった。

 しかし、この事件以降、昼夜を問わず友軍兵士に銃撃される事件があいつぎ、指揮統制に深刻な問題をもたらした。


 その夜、本物のラクセンは、狭い地下牢で赤い仮面の男と向き合うことになった。


「こんばんは! 陰気なラクセン、貴様を陽気にしてやるぞ」


 仮面の場違いな陽気さに、ラクセンは恐怖で身を固くした。


「……帝国の不利になる発言は拒否する」

「大丈夫だ、なんの関係もない。よし! 問題なし! 早く言え!」


 ラクセンは意味がわからずとまどう。


「いや、何をだ」


 ラクセンはひるんだ。仮面はラクセンの襟元をつかみ、猛烈な速度で揺さぶった。


「早く言え! こっちは忙しいんだ!」


 ラクセンは振動で歯がガチガチとぶつかりくちびるを噛んだ。


「お前が聞く内容をあきらかにしろよ!」


 ラクセンがめったに出さない大声を出した。仮面が手を止め不思議そうにした。


「言ってなかったか?」

「言っていない」


 ラクセンが鼻息を荒くして断言した。


「そうか、私は働き者で忙しいので職務を効率化してしまった。ええ……なんだっけ?」


 仮面の男が必死に何かを思い出そうと足でリズムを刻み、ラクセンは固唾を呑む。

 いったいどんな軍事機密を求められるのか。幸いなことにさほど重要なことは知っていない。

 それでも彼の知識で前線陣地に潜りこむことぐらいはできる。黙っていても、敵が本気なら魔法で話させるのは容易だろう。自ら精神を割る覚悟をしなくてはならない。


 仮面がようやく何かを重大なことを閃いた顔をした。


「心覚兵のセオ・カットを知ってるか?」

「……いや、重要人物なのか?」

「友人の友人だ。ええー、ええーと十九歳で大尉。この前の大作戦で、半島に空軍付きで派遣された。そこからなぜか経歴が追えなくなった。死亡・行方不明ではない」

「その年で大尉か、相当のエリートだな。特殊部隊行きではないのか?」


「そうだ、君と違ってエリートだ」


 ラクセンは、超能力の強さ以外にも特殊技術・知識を習得した精鋭だが黙っていた。

 ただし、当該人物は佐官級の能力の可能性が高い。経験不足で尉官に留め置かれているのだろう。


「陰気な君と違ってエリートだからな」


 仮面がくり返した。思念がほとんど感じられない。これは遮蔽ではない。ラクセンにとって、あるはずの思念がないのは、顔が無い人間と向き合うような異様。


「……知り合いだから探しているのか?」

「ああ、知らないうちに殺してしまっては困る。死んだら死んだでかまわんが、死んでもいないようだし、強力な占術で探ってもなんの反応もない。心当たりは?」

「占術でも……いや」


 森を造るほどの術者の占術、軍の個人向け装備で完全に無反応でいられるとは考えにくい。ラクセンは考え、一つ思い当たった。その反応を仮面は見逃さなかった。


「晩飯が欲しいなら、言えよ。忙しいから飯を忘れてしまいそうだな、ひとつきぐらいな。ああ! とりあえず明日の食事から忘れてしまいそうだあ!」


 仮面が頭を押さえて苦しみだし、ラクセンはしらけた目でそれを見ていが、黙っていれば仮面は無限に続けそうだったので、ラクセンは言った。


「占術妨害が掛かっている場所にずっといればわかるまいよ」

「そりゃそうだが、兵士だろ?」

「名前からして貴族ではないようだが、大金持ちでもないのか?」

「一般庶民だ」

「帝城や大聖堂に籠っていないなら、アクロイドン収容所だろう。それ以上は思い浮かばない」

「どっかで聞いたな。極寒で地獄の労働とかいうやつ?」

「それだ」

「なぜエリートが収容される? それはあることなのか?」

「さあ、問題を起こしたか、精神を病んだかだ。心覚兵はそうなると危険だからな。仕事でその深部に行き、出る時に中の記憶を捨てた教官を知ってる。高給だそうだ」


「よし、いいだろう。ああ! 本題を思い出したぞ。軍の無線でウケるジョークを教えてくれ」

「……それはほかを当たってくれ」


 ラクセンはこの夜、イトミミズが浮かして運んできたスープに遭遇した。ラクセンはおもわずイトミミズをつまもうとして彼を激怒させ、超能力のなんたるかについて、二時間以上説教されることになる。


ゾト・イーテ歴 三〇二〇年 三月 二十日 二十時 


「木々の新芽が伸び、光量が豊富な前線陣地近辺は雑草が生え始めています」


 幕僚が報告した。


「ありがたくないな。現時点で木々が密生して悪視界だ」


 ベリサリが知る南の森は、年中温暖でほぼ葉が尽きない。それで植生の変化を考慮していなかった。これは目の前の森が冬でもかなり茂っていたせいもある。


 ここは、四・五月でやや気温が上がり、六月頃には寒風が減って猛烈に暑くなる。南の砂漠ほどではないがかなりのものだ。そうなれば、森はより分厚くなる。


「森の変化に関する情報も優先的に収集せよ。新手の【顔】は?」

「出現頻度が増えてます。変わらず堂々と弾を浴びながら出現し、呪いをかけて転移で消えます」


 自然祭司ドルイドは南北を転戦しているようで、西に出なくなった。

 その代わりに追加されたのが顔に手足が生えた珍妙な化け物だ。こいつは魔法が得意なようで、その大きな口が動くたび、一人の兵の精神が破綻し発狂した。

 しかも大声で何かを歌いながら出現し、広範囲に恐怖をまき散らしている。

 発狂者は神官の全力でも治癒せず、後方の聖堂にまで移送されて治療されている。


 さらに兵に化けた敵の襲撃が昼夜を問わず続き、前線ではあきらかな精神症的傾向を示す兵が増加している。


 森深くに入るにつれ、幻覚で部隊の進路がおかしくなる被害も出てきた。

 この被害は魔女によると推測された。


 軍は前進している。しかし、静かに、少しずつ、軍が腐ってきているのをベリサリは感じていた。


「よい材料は、北の侵攻が順調なことだけか」

「引き換えに被害も膨らんでおりますが、よろしいので?」

「やむをえまい。北風が続く五月までが北の攻め時だ」


 ルキウスの嫌がらせが、軍事行動に直接影響が出る次元に至り、帝国軍は苦しんでいたが、ルキウスも帝国軍の物量に苦しめられていた。


「タドバン、電撃は最終手段だと言っただろ。だめだろ。あーん?」


 ルキウスは大きなトラの顔を上下から挟んで、ぽんぽんぽんぽん叩いた。タドバンは素の大きさに戻っており、普通のトラの二倍はある。


「これを見ろ。ヒゲを切られた。許しがたい」


 赤いトラはまったく悪びれず、舐めた手で切れたヒゲをこすった。


「お前は格闘と電撃だけなんだから、わかってるよな? 確実にわかってるよな? 麻痺とかくらったときの緊急手段だぞ。その時に敵が電撃対策しててみろ。追加の毒やら麻痺やらで、ぼこられて終わりだぞ」


 付近には機装兵の死骸が大量に転がっている。

 ルキウスは、この死体を木に変える処理もしなければならない。死体が転がるのは必然的に侵攻路なので、そこの木の密度を増やせば効果的な妨害になる。


「やれのやれです、タドバン殿は急功近利でありますからな」


 言ったのは、少し離れた場所に座する人より大きな白いキツネ。

 ヴァーラの乗騎である月華霊狐ゲッカレイコのメイイン。


 あごを上につんと上げてこちらに向け、顔を傾け、限界の流し目で見ている。彼女は話すときはあの体勢。神使などのとる神獣ポーズだ。


 細い澄ました顔で、毛並みは夜の森でも輝いているが、魔力が減り、尾の先に泥が付いている。彼女もタドバンと同じくかなりのきれい好きだ。


(こいつらでも厳しくなってるな)


「お前はこっち見て喋れ」


 タドバンがうなった。


「はてさて、しかと拝見しておりますけれども。お疲れですね。それとも年齢でしょうか?」


 メイインはいっそう首を伸ばし顔を高くした。前足が地面から離れそうだ。

 タドバンがのっそりと立った。


「お二方、おやめなされ」


 プカプカ浮かんでいるウミガメは、アイテールアーケロンのリゲル。


「お前は……だめだろうな」


 ルキウスがカメに言った。


「いかにも。このような森で速く飛べませんし、攻撃は風魔法だけですから」


 リゲルはのんびりと答えた。


「そもそも、待たずにこちらから仕掛ければ主導権を取れるものを」


 タドバンが顔をふくらませた。

 ルキウスも、あの損害がなければ彼らに敵陣の倉庫を破壊させる予定だった。


「なんとかしのいでくれ。ターラレンの所の被害を確認してくる」


 ルキウスが歩きだした。


「待てあるじよ、食料が切れたぞ。ウナギを要求する」


 タドバンが呼び止めた。


「なんで半年分の食料がもう無くなるんだよ。そもそもニワトリも食料じゃねえ」

「これはこれは、タドバン殿ときたら、何度も何度もご飯を頂いたのをお忘れになられて、哀れ! これは哀れな!」


 メイインがだばだば涙を流した。


「お前、その毛並みをジグザグに刈りこんでやるからな」


 タドバンが毛を逆立ててメイインをにらんだ。


「ですからおやめなされ」


 リゲルはパタパタ前足を動かした。

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