戦5
コモンテレイは、奇妙なまでに静かで、電気の点いてない部屋が目につき、道路わきでは多くのたき火が揺れていた。
ルキウスは緑化機関本部の玄関にいる自律兵器の横を抜け、軽い走りで指令室に向かった。
指令室には、主力ではないサポート四人がいて、机の下で砂漠ガメがじっとしており、水槽にはイトミミズがいる。
ソワラは難しい顔で壁の一点を見つめていたが、ルキウスを確認すると助けを求めるように駆け寄った。
「ルキウス様! ヴァルファーとメルメッチは復活できました」
「そうか。こっちの爆発の正確な位置は?」
ルキウスは淡々として、熱はなく、冷えてもいない。
「南の帝国軍司令部近辺、町から百キロほどかと」
「町の被害は?」
「ええと……」
ソワラの言葉尻がしぼみ、表情が固くなった。
「マリナリ」
ルキウスが市庁舎のマリナリに呼びかけると、すみやかに返答があった。
「南側の窓ガラスが各所で割れてございます。迎撃レーザーは問題なく稼働中、念のため点検しています。町の有力者の方々の人心はさほど乱れておりません」
「わかった。特別な問題があれば報告しろ」
「アマン・ヴァーリーさんが、かなり取り乱していましたね」
「大事にとっているチョコでも口に入れろ、と言っておけ」
ルキウスがあらためてソワラを見た。
「何人行った?」
「正確には……」
ソワラが口ごもった。選んだのはヴァルファーだろう。
「記録はないのか? わかっているのだけでいい」
「ええ、隠密能力と戦闘能力で選出したので……花子、ゼンジ、ディスカバリー、サトウヌキ、アントニアディ、三郎、アヴィ、シージャ、クロヴィス、ペグー、ルクバト、テソソモク、セイオン。ほかは――」
ティラノサウルス、ドブネズミ、コテングコウモリ、ショートケーキ、ピラルク、トリケラトプス、ペリカン、ターキッシュ・アンゴラの子猫、シャルトリューの子猫、バーマンの子猫、ウンピョウ、ジャガー、コノハズクだ
ルキウスは、夕食の献立を考える顔で聞いていた。
「レベル五百のも混ざってるな。もっとネコ科がいただろう?」
「ネコが、十を数えた気が」
「夜襲だからな。デルデルは残っているのか?」
「そうです。森の警戒も必要ですから……」
ソワラの声がどこかに吸われていくなか、ヴァーラから通信が入った。
「ルキウス様、魔力が枯渇すると思います。復活の準備も含め三時間はかかります」
「ペットならあとで私が復活させる。やれるだけやれ。資金が必要なら換金表順に換金しろ」
「わかりました」
ルキウスはソワラに視線をやった。
「まずヴァルファーを連れてきて」
「はい」
ソワラが目の前から消えた。消える寸前の表情には緩和があった。
ルキウスは部屋の一角にあるモニターの集団を確認する。
アマンが調整した多種の小型センサーが森にしこんである。石に見えるものもあれば、木に埋め込まれているものもあり、わかりにくい。それからの情報がモニターに映っている。
北の森の町よりには、一キロおきに光点がある。ペットやタドバンの反応だ。中央から外よりには、粘体のぼやけた反応がバケツの水をぶちまけたように散っている。
東の森には、動かない微弱な魔力反応が数千存在している。
町に向かう動体、人の体温、動く金属は確認できない。
「完全に退いている。この状況で遊べる指揮官はいないということか」
ソワラがヴァルファーを連れて戻ってきた。彼の装備は予備だ。
ルキウスは世間話の調子で言った。
「災難だったな。あとで確認するが、ここの状況は悪くない。調子は?」
「かなり体が重い感じがします」
ヴァルファーは寝起きの病人のたたずまいで、完全には現実に帰っていない。
「攻撃手順のどの段階で爆発した?」
「遠目に転移して、警戒網をかわして接近し、メルメッチを単独で放ちました。彼が心臓部を潰し、混乱を招いたところで兵器と物資を破壊する予定でした。そこです」
ヴァルファーは何かを手探りで確認する気配だ。
「記憶は飛んでいないのか?」
「おそらく」
「現地で見た軍は本物と思うか?」
「夜でも休みなく塹壕が掘られていました。非常に広大な規模です」
どんな魔道具を使っても、ばれずに軍団単位の幻術を維持できるとは考えにくい。遠目とはいえ、長く監視していた。
「つまりこっちも自軍ごといったか」
ルキウスの瞳孔は、獲物を真ん中に入れたようになった。
「一瞬の間に、多くの人影が光にのまれるのを見ました。盾を構えましたが、高熱とともに巻き上げられ、喉が焼け、そこまでです」
「何が爆発したのか……魔力はなく多少の放射線が見えた。原始的だ。あの威力、手の平サイズじゃない」
そう思わせるため、という可能性はない。個人で持ち運びできるなら、一発目を町の近くで使う。
「それでも核反応弾ぐらいはあるか。大口径砲は潰しておいたほうがいい。防衛計画を再考しないと。メルメッチを失い、後方を奇襲するのは難しくなった」
彼がいれば、近い陣地への工作は容易だった。敵陣の情報を取得し、寝床を脅かし、心理的に圧迫できた。
この役割を代替できるのは、ルキウスとヴァーラ。しかしルキウスは森にいるべきだし、ヴァーラが死んだら復活役がいなくなる。今回などはカサンドラでは復活不能だった。
ごろつきがやるような度胸試しは、ルキウスがやりたい遊びではない。
「森では、敵が集結し砲撃が来る前に退かねばならない。それができる小型で戦闘能力の高いペットは貴重だった。不足分は、私がなんとか補う」
森が広大なため、迎撃の戦力は散らしている。
いずれは、特殊弾を装備した部隊や、心覚兵が来る。そうなれば単独で当たるのは危険だ。数匹を組ませて運用すれば守備範囲は減る。
町にはマリナリとエヴィエーネがいるが、複数個所が突破されれば市街戦になる。
「お前もひとりにできない。ミサイルの一発で死にかねん」
ヴァルファーは、非常時に出せる駒から護衛対象になった。そして多属性に対処できる盾役を今後も失った。
「申し訳ありません」ヴァルファーの顔色は悪い。
「不可避の攻撃だった。どうにもできん」ルキウスは普段の調子だ。
「いや、しかし」
ヴァルファーは今頃から悔しさがわいたようで、目元に力が入った。
「不可避だよ」ルキウスは強く否定した。
ヴァルファーはやや驚いた。
「いいか、完全に籠っているのは無理だ。だから攻撃はやるしかない」
防御とは、敵を崩すための準備でなくてはならない。防御のために防御を強いらればそのまま終わる。これは敵を森に引きこむための防御なのだ。
ルキウスは自分に聞かせるようにスラスラと続ける。
「敵はこちらの戦力を知らない。確実に知らない。しかし予測はできる。どう予測しているかは知らん。予測によっては極端な戦略はある。おそらく予測者は消し飛んだが」
他人の軍団を消しとばすのは、権限と距離的に無理だ。考案者は爆発の近くにいて、どうにかしてボタンを押した。自動でやるには危険すぎる。
「奇襲は読まれていない。仮想したな、もし中枢に忍びこめる潜入者が入ればどうなるかを。その場合の損害と、自軍の損害を計りにかけた。正しい判断だ。いつでも司令官を暗殺し、かつ生存して離脱できる駒、序盤で落とすべきだ。数万と引き換えにする価値はある」
しかも、メルメッチ以外に相当数を一気にやられた。防衛力が三割以上低下した。
「こちらに手落ちはない。これは諜報で届く領域にない。敵が自爆する前提では何もできない。あそこまでとはいかなくとも、森に侵攻してくる部隊も自爆はできる」
部下たちは自分の仕事を忘れて彼の話に集中していた。主がよくしゃべるのは珍しい。どうでもいいことはいくらでもしゃべるが、仕事の話は避けている。
いっぽう、ルキウスはひとりで納得に達していた。
空軍基地のほうはどうか? 襲撃を予想していたなら戦力を配備するはずだ。兵が応戦して無理なら自爆するべき。
まず攻撃されないと思い、念のためあれを配置した。もしくは保管か。
しかし、こちらの人格を完全に予測していたなら――
「嫌なことを、これでこちらの動きが鈍くなれば、敵は成果を得たと判断する。強行を返せば、意地っぱりだとと判断される。また罠を張られる。それを受ければ丸損だ。首輪をつけられた」
そう思考を誘導しようとしている。
帝国軍の士気を考えれば、また消し飛ぶ可能性はゼロだ。論理的に思考すればゼロだ。あまりに損害が大きい。普通に自爆ができる狂信的な軍ではない。
しかし敵が奇襲されると考えている前提下であれば、確信があれば、また自爆はある。敵が残って自軍が削られる、を繰り返すよりは敵ごと消し飛ぶほうが合理。
「あー、やられたな。罠を張った奴は大笑いか困っている……二発同時に爆発するとは思っていなかっただろう。そこは予想の上をいけたか。敵が恐怖しているといいが」
ルキウスは食べていなかったおにぎりを出して食べ始めた。
「ルキウス様、その、ご命令は?」
ソワラがおそるおそる聞いた。
「町の物資状況は?」
ルキウスは目だけ彼女に向けた。
「弾薬は節約できています。電力は若干減少」
「迎撃は順調だったんだな。よしよし。緊急にやるべきことはないな。敵陣の破壊に成功したとでも宣伝しておけ。味方より敵に」
ルキウスはそれだけ言って、おにぎりをゆっくりと食べた。
自爆をやった側の帝国軍は、ルキウスたちより混乱していた。
各隊の兵はほとんどが起床しており、命令を受ける前に戦闘準備をしている。
これを知っていたのは、各集団の司令官四人と、後方のポシュツーカ大将だけだ。
未回収地奪還軍司令部の近くには多くの将官が集結していた。何人かは肩で息をしている。
「あれはわが軍の攻撃である」
将官たちに向き合うベリサリの声は、大きくなかったが力強かった。表情は、平素と同様に庭の風景でも眺めている感じだ。
「第十八軍団で戦闘があり、最終的に陛下に賜った大戦前の反応爆弾が防御的に使用された。第十八軍団と敵の双方に大きな被害が生じたと推測される」
南の司令部が遠いにしても、誰も襲撃の連絡を受けていない。尋常ではないことが起きたのは間違いない。
「では後方で輝いたものは!?」
ある将官が早口で言った。
「メツダッハ山脈基地で同じく反応爆弾が起爆した。より小型のものだ。基地は失われたと思われる。調査は後方が行う」
多くの将官の顔には困惑があった。戦うべき敵が目の前にいるわけではない。するべき事がわからない。
「落ち着け。危機ではない。やるべき事はわかっている。警戒レベルを上げろ。【バロインファ】集団に関わる指揮系統の確認、被害報告急げ。予備部隊を南へ送り情報収集だ。かかれ」
帝国軍は侵攻を完全に停止し、二日間かけて部隊を応急的に再編した。
そして侵攻を再開した北の【ラクトアコン】集団は、初日と同じ迎撃にあっていた。
幕僚たちが前線を歩きながら状況を報告していく。
「七七、七八、三一予備師団後退中、三五予備師団の中隊が粘体と遭遇。分散し、迂回路を模索していた三一歩兵師団は後方から二匹の獣に襲撃受け、救援を求めています」
幕僚に追われるタングリフ中将は、機械油のビンを空けて、ぼやけた甘さがある熱い匂いを嗅いでいた。
「いかに敵がフニャフニャ野郎とはいえ、逃げ足がはええだろ」
「有効火気が無く、突撃すれば丸飲みになるだけです」
「わかっている。人間は小さいからな」
タングリフがふてくされたように言った。
「粘体は、大型より小型が回避困難で深刻です。小型に効く除去薬は効果を発揮していますが、すぐに枯渇します。燃やした枝を使っています」
「あんなものに。少々だらけておらんか? まだ一度斬りこまれただけだぞ」
タングリフが陣地の様子を見て言った。
「包囲戦などはこの程度のものです」
別の幕僚が言うと、タングリフは腕を組んで黙った。
「このままですか? 伐採は順調、付近で敵は発見できません」
「……前回はいきなり焼かれた。出現も退却も捕捉できておらん。また来るだろうよ」
「伐採の護衛は過剰なほど配置しています」
「来なければ、炎使いは火を点けねば来ない、ということになるな」
「ほかの戦場に回っている可能性も」
「まあいい。次に燃やす時は一気にやってやる」
「目下の障害は粘体です」
「大軍止めよなあ。あれは小部隊ならかわせる。そして少数なら獣が来る。で、それの聞き取りが要領を得ん。赤くて速いシマシマの丸顔、ずる賢い感じの巨大イヌ、翼があるウマ、太った人間みたいに立つ鳥、全身が甲羅のカメ、大きな白黒のイタチ、大型ほ乳類がちらほらと、か」
魔物識別官もよくわからないものが多い。獣についてわかっているのは、俊敏で、戦車級の戦闘能力がある個体が多く、それに魔法戦をやるものが混じる。
「密集中隊でも、察知から迎撃までに接近されています。根本的に接近を阻止できなかれば大部隊でも蹂躙されるかと」
「被害に偏りがある。重武装をまず潰し、それから周囲を襲い、混乱のうちに逃げる。賢いことだ。百の歩兵より足回りをやった戦車のほうが脅威だ。多重に支援魔法を受けた侍なみだな。あっちは三分暴れると離脱するが。それとも後方に支援係がいるのか」
粘体はただの障害物だ。敵の兵は獣、狙うべきはこっちだ。一匹一匹減らし、防御線に穴が空いたら突破する。
「いかがされます?」
幕僚が判断を迫った。
「まず粘体の位置を求め、塊を砲撃で潰す」
肉薄してくる脅威に当たるべき兵科は、心覚兵、機装兵、小型多脚戦車だ。しかし敵の情報は不足。これらの兵科の精兵は戦車より貴重、力を発揮できない戦場には送れない。
特に心覚兵は、攻撃、防御、索敵、すべての要で、軍の神経ともいわれる。消費できない。
しかしルガルが効かない敵と無策で戦えと言えば士気に関わる。それで砲撃を頼れ、との命令になる。
必然的に、歩兵が進出できるのは支援砲撃ができる範囲まで。町への圧力がなくなり、敵に余力を与えることになる。そして余力は森からはみ出てくる。
モコシャン中将がいれば、反対しただろう。彼は少数部隊をうまく使い、敵の防衛の隙間を突くのがうまかった。動かせる兵が少なくとも防衛線の急所を突き、敵を縮こまらせたはずだ。
しかしもういない。彼は命と引き換えに何かを仕留めた。彼の部隊は前線にいて健在だが、南の【バロインファ】集団がどの程度やれるかわからない。
「金属反応の正体は?」
タングリフが尋ねた。
「森中に金属片がばらまかれています。故意かと」
「ゴミ掃除でもやらせる気か!」
北の森では金属探知が使えない。確実に罠がある。
省エネ思考モコシャンなら安いスクラップを利用した足止めと言うだろうが、タングリフの思考では、罠をくらわすための準備としてのダミーと考える。
「敵が北に防衛を置かないのはなぜだと思う?」
タングリフが幕僚のひとりに問うた。
「森で止める自信があるか、町の中に防衛線がある」
「そうよな。粘体は面倒だが、五万ぐらいを突撃させれば半数は抜けられそうだ」
「森の奥の状況は不明です」
「まあ、地雷ぐらいあるのだろうよ。とはいえ、一度強く叩いてみたくなるな。奪還軍司令部につないでくれ」
幕僚たちは何か言いたげな表情だったが、彼の野性的な判断はたまにあることだ。
タングリフは通信機を持つとかしこまった顔で言った。
「あ、司令、情報が集まったのちの話なんですが、一度強めの攻撃をか――」
「却下」
ベリサリ大将が簡潔に答えた。
「いや、何も総攻撃ではなく五万ほどで突撃をかけて敵の強度を測ろうと」
「持久戦だぞ。敵は包囲を続ければ干上がる。攻撃は敵を防御陣地に拘束するためだ」
「感触的に突破できそうな気もするんですがね」
「距離が長すぎるわ。まず森を十ラッツ以下に減らす。わかったな? やるなよ」
通信が切られ、タングリフが脱力していると、別の幕僚が書類を抱えてやってきた。
「地形情報がまとまりました。どうもあの森は高いようです。最高地点は五十デコッツ以上」
タングリフは、書類を受け取りぱらぱらとめくった。
彼の記憶にあるコモンテレイは、周囲にあった貧民街の奥に突き出すように存在していた。高層建築に加え、頑丈な地盤で支えられて高いのだ。さらに周囲の砂利をコンクリートに使うから町の外が低くなる。
「ああ、離れて見てもやけに圧迫感があるかと思えば、あれ、高いのか?」
森はのしかかってくるように感じられ、その奥のコモンテレイは小さい。
「森の中ほどが最も高く、小山が無数にあるようで、兵には登り下りの疲労もあります」
「見た目より実質距離がある、か」
タングリフが言った。
「木々と高低差、二重の視界不良ですね」
幕僚が言った。
「射線を切り、連携を妨害するためだろうな」
「森だけでなく外もです。森のふちから七ラッツまで土が盛られていました」
「森が造れるなら、小山ぐらいは楽に造れるだろうよ。うちの初日の戦闘不能者はいくらだったか?」
タングリフが尋ねた。
「死者二百二十四、重傷者三百八十七、行方不明五百二十八」
「死にすぎよな。正面衝突なら千死んでもかまわんが」
初日の損害が大きいのはやむをえない。しかしこのままではずっと同じ損害が続く。許容できる損害は、一日に三百だ。
「焼夷弾でひたすら砲撃してやるか」
「数はさほどありません」
「多用するものでもなければ、点いた火が消えるものでもなかった。せめてもの嫌がらせに、毎日退却時に火を残させるか。こういう……見えん戦は好かねえな」
「水の問題もあります」
「そうだったな。かさ増しされては森で水も掘れんな。そうだ、前線の試掘はどうなった?」
「固い岩盤に当たっています。小型掘削機では厳しいようです」
別の幕僚が続く。町の近くで農場が無い場所はだいたいこれだ。井戸掘りで遺跡が見つかることも多い。
「今は陣地内にある放棄された農場の井戸を使っています。その近辺では、井戸の」
「いま森になっている辺りにも、二、三、農場があったと思うが、井戸も土の下か。この辺りの帯水層は人の手で掘れ、場所によっては穴を空ければ圧力でボコボコ湧く。十までにあるはずだが」
井戸ができないと、百万人分の水を近い町から運ばねばならない。この人数になると町一つでは足りない可能性もある。
「コモンテレイには水があるはずだ。つまり水脈はある」
タングリフが言った。
「町の水道は五十以上掘っているかと。大戦前のものなら五百のものもありますし」
「ああ、あそこは地下施設は頑丈だったな」
タングリフは、人間も油で動けばいいのに、などと思いつつ続けた。
「まさか水とはな。途中での確保も問題だ。弾薬は戦闘がなければ消費しないが、町まで二十キロ水場無しでは」
「当初の予定どおりポンプで送るのは難しいかもしれません」
「確実に守れるなら、魔道具で中に持ち込むこともできるが、無理だな。ああ、地道に森を減らすしかねえな」
これに対するルキウスの対処は――何もしない。新しい手を使えば使うほど後がなくなる。そもそも今は、本人が出る段階ではない。
つまり彼には、森を魔法で索敵して情報を伝えるぐらいしかやることがなかった。
「よし、ヴァルファー、北の森に散歩に行くぞ」
「何もよくありませんし、森は戦場ですが」
ヴァルファーが普通に返した。
「細かいことは気にするな」
二人は北の森の木の頂上に来て、帝国軍陣地を眺めた。どこまでも敵がいる。ルキウスは個人の顔まで見えているが、今のヴァルファーはそれほどではない。
「近くにあった井戸掘るのが、後方に下がったな」
ルキウスが言った。
「そうですね」
「気付いたかな。北と西は特に困るはずだ。水脈に変化がなかった南側は消し飛んでしまった。衝撃波で多くの機材が壊れただろう」
「つまり水攻めですか?」
ヴァルファーがルキウスの表情を探った。
「致命傷にはならんが、相当な非効率になる」
「ずっと夜に地下でこそこそやっていたのはあれですか?」
「近くに井戸を掘らせるな。近いのは誰かに潰させておけ」
「給水車、輸送車を潰せばいいのでは? それぐらいならできます」
「ほかに向かわれると困る。そもそも少ないはずだ。帝国軍は陣地構築では井戸掘りを基本にしている。元軍人が三日もあればきれいな水が飲めると言ってた。ほかの町はどうなった?」
「距離を空けて監視しているだけです。ゴンザエモンの一撃が効いています」
「なら動くまで放置だ。寄ってきたらあいつの夜襲で壊滅させろ。補佐は付けろよ。主力はここにいるが、二度目以降は張られる」
「わかりました」
ヴァルファーは努めて普通にしているのかもしれない。あの爆発のことは頭にあるはずだ。
「野砲の配置は動いているか?」
「いえ。移動に物資も必要ですし、射程外と思っていれば移動させないでしょう」
「むこうも物資に余裕はない」
これも誘っているように見えなくもない。ルキウスは、この思考が一番に来るのを不快に感じた。
「あとを考えると減らしておきたいですが」
ヴァルファーが計算して言った。
「いや、今は井戸だけでいい。機会があれば砲弾を盗る」
「火力差は甚大ですが、砲より井戸ですか?」
「だから水攻めにするんだって。地道なのが効くんだよ。お、スクラップ拾いはやってくれるらしい。皆さんが地面を確認しだしたぞ」
ルキウスが楽しげに言った。
「北の森には、深さ一メートルに多機能機雷ですね」
小さな高性能機雷だ。空中に浮かべることもできる。
「ああ、メルメッチも手伝ったが。砲撃で爆破するのは難しいだろう。ついで現金も山ほど埋めておいた。兵がちょろまかせそうなのを。せめてもの善意で」
所持しているほとんどを埋めた。
「残すと危険な物かもしれない。帝国軍は人海戦術ができる。全部掘って進む」
「それで全員が近くまで掘ってぶっとぶ。まさか全員分の耐爆服はないだろうし」
ルキウスがご愁傷さま、という顔をしたが、すぐに真顔になった
「確実に敵がかかるとわかっている罠は、なんの面白さもない」
「理想的ですが」
「何も想像できないじゃないか」
ルキウスはあきれた口ぶりだ。
「しかしやっていたようですが?」
「ああいう手を使わないでもないが、組み立ての一部だ。プレイヤーは罠で死なん」
「機雷は時間稼ぎでしょう?」
「その要素もある。……あれから敵が何をきっかけに爆発したか考えていた」
「……我々の攻撃では?」
ヴァルファーの声が焦げた石の色彩を帯びた。
「直接のきっかけ、スイッチを押すタイミングだ。なんだと思う?」
ルキウスは上がった砲弾をぼんやり見ていると、ヴァルファーが答えた。
「彼らが攻撃前のメルメッチを認識するのは至難。攻撃が認識された後の特定の条件下での警報と同時。複数人の同意が必要でしょう」
「自分の命と引きかえだと思う。きっと軍団長しか知らない。漏れたら敵に起爆される。そうでないなら、指揮官が特定の位置から一歩出たら爆発するとか。ひょっとしたら立って寝たか、頭に水が入ったコップを乗せて寝たか」
「それ、遠距離攻撃で消し飛びますが」
「遠距離は防御しやすい。正確な位置が特定できるなら、潜入できると推測した」
「敵の攻撃手段を断定できませんよ」
「まったく一般的な確率で考えて」
ルキウスが稀代の馬鹿を相手にするように言った。
「専門教育を受けた軍人ですよ!」
「合わないな」
ルキウスが笑った。
「道理が合わない」
ヴァルファーが言いきる。
「文句は敵に言え。最高の奇襲とは敵の攻撃の瞬間だと思っていた。特に奇襲の一歩目。意識は攻撃対象に集中し、防御ができない体勢、精神の最高速点」
「ダミーへの攻撃を誘う手をよく使っておられた」
「攻撃が完了した瞬間をやられるとはな。攻撃をまともにくらったら反撃できないし。『組織』にやられた」
「それは一般に自爆と言いますが。あと、やられたのは私です」
ヴァルファーがやや困った感じで言った。
「奇襲の一種ではある」
「つまり敵将は卓越していたと?」
「つまり、極めて常識的で退屈な作戦だ。なんの工夫もない」
「いや、普通の将官は絶対に部隊ごと自爆はしません。五万は死んだ」
ルキウスはヴァルファーの指摘を無視して続けた。
「つまり、私は面白さでは負けてない」
「……それ重要ですか?」
「当たり前だろ。面白勝負をやってるんだ。笑ったほうが勝つ」
ルキウスはきらめく笑顔で、自信に満ちあふれている。
「初耳ですし、帝国軍はそう思っていないかと」
「なんだ? 死んだことなら気にするな。レベル上げしてやるからな、な!」
ルキウスはヴァルファーの肩を遠慮なく何度も叩いた。
「いえ、死んでいなくともです。絶対に面倒な後処理がありますよね」
「なんとかなる」
ルキウスは真剣な顔で少し目をそらした。
「何か隠してますよね?」
「何も隠していない。迎撃力的にちょうどいい数を森に引き込み続け、こちらが最大効率で、敵は低効率で戦闘をする。気が付いた時にはあら不思議! 敵の姿がどこにもないぞ、ってなる」
「確実に、そうはならない」
「はああー」ルキウスは肺を裏返した。「面白くないことやるから死ぬんだよ」
ヴァルファーはうつむき黙ってしまった。ルキウスは心底面倒そうにした。
「そんなに死んだの気にしてるのか?」
「……よりにもよってあんな所で」
ヴァルファーが歯を噛みしめた。
「死ぬなんてよくあることだ。私だって確実に死んでる」
「以前ならそうですが」
「百点を取ろうとするからだ」
この言葉に、ヴァルファーは何かを受け入れたような表情を見せた。
「意味はわかっています。完璧な位置を直撃して、完璧に受けられた」
「足りん。気分よく道を歩いていても、百点は路地から強襲してくる。空からも振ってくる。食事にも潜んでいる。宅配もされる。本当にやつらはどこにでもいる。全力で回避しないとだめだ」
ヴァルファーの最終職業は、賢者系の洞察者。
的確に敵の性質を見抜き急所を突き、敵の攻撃に応じた防御を行う。ルキウスは、その判断力に期待して指揮を任せていた。
ヴァルファーは優れた観察眼で敵の心臓部を見抜き、脇目も振らず直撃した。
「そっちの意味はさっぱりわかりませんが」
「どうあれ、私がやらないタイプの待ち方。敵は最高で飛んだ。うらやましい」
ルキウスはずっと動いてじっとしていない。彼が待ち構えれば、敵は警戒する。罠として成立しない。
「まったくうらやましくないですがね」
ヴァルファーは少々疲労していた。
「帰るか」
「ええ」
「じゃあ、お前戻したらちょっと突撃してくるから」
「え?」
ヴァルファーが怪訝な顔をした。
「いや、飽きたから。木に魔法かけてるだけだし。タドバンが文句言うし、ストレス?」
ルキウスは悪びれず、当然だろ? という気配だ。
「はあ!? もうですか!」
ヴァルファーが大口を開けた。
「わかっている。一日の進撃を一センチでも減らしていく戦いだ。新しい手は限界まで温存する。ちょっと遊ぶだけだ」




