戦
同日、九時二十分 コモンテレイ市
コモンテレイを囲む森には、日が出る前から続々と歩兵が入っているが戦闘は起きていない。警戒しながらの歩みは遅く、五キロほど入っただけだ。
帝国の砲兵は、森に潜んでいるだろう敵を牽制するために散発的に砲撃しているだけで、爆音は緩慢に聞こえていた。そこにどこからともなく声が響いた。
「はじめまして帝国軍の皆様、どうもお世話になっております。こちらは全人類に実りをもたらす緑化機関でございます。主の意を体現する緑化機関でございます。どうぞよろしくお願いするのでございます」
マリナリの声は森の木々から放たれており、コモンテレイを視認できる全域で聞きとれた。森の中の兵は揺れる深緑の葉を警戒して停止し、森の外で塹壕を掘っていた兵は上に顔を出した。車両を移動させていた兵も、多くが停止して町の手前に広がる森を見つめた。
「ごあいさつを済ませたところで、降伏を勧告させていただきます。そもそも、どうすれば神と戦い勝てるなどと思いいたるのでしょうか。主と相対した者に待つのは滅びのみ。即時悔い改め、武器を捨てて正しき神の御許に集えば、神の祝福を給われるでしょう。新世界での豊かな暮らしが待っているのでございますよ」
少なくない兵士が顔を見合わせた。随行してきた教会の神官は抗議や忠告の声を上げている。さらに続くマリナリの声は警告的な色彩を帯びた。
「されども、この幸運を払いのけた愚かな方々は、神敵でございます。皆様は神敵になる! 主に背いた者はもう許されない。愚かにも主より惰弱にして懈怠なりし帝国軍を選んだ者には、確実な滅びが保証されてございます。しかし恐れることはないのでございます。我が神が、その滅びも活用して人類に繁栄をもたらすことでしょう。せいぜい死ぬまで無駄な努力を続けて、人類の礎になってくださいませ。ではこれで失礼いたします」
森が黙るのと入れ替わりに、低く音がかすかに響いてきた。それはじょじょに大きくなり、帝国軍もコモンテレイの住民も西の空を見上げた。
空の青から、非常に小さな黒い点が染み出てきた。点はどんどん増え、西の空は黒点で埋まった。やがてそれぞれの機影をはっきり見られるようになった。
「標的は……いないな」
エルディンは、コモンテレイ中心部の高層ビルの屋上で西を眺め、長弓を持った手をだらんと下ろしていた。
彼の足元は、筒状の立った箱に囲まれている。そこに種類ごとに分けてある矢が入っていた。
「いや、見てくださいよ、あの影、全部敵だ」
アマンは顔を空とエルディンを高速で往復させ、早口でまくしたてた。
「発掘品がいたら最優先で落とせとの命令だ。標的はいない」
エルディンはほどほどに目を開き、景色を楽しんでいるようだ。
「目が悪いんですか!? 私の目は強化してありますからね」
「あんたより目はいい。邪魔がなければ宇宙を漂う隕石だって見える 俺は〔星落とし/メテオメーカー〕だからな……やはり飛行ロボなどはいない。突入部隊もいないな」
エルディンは目をゆっくり動かし、編隊全体を何度も確認している。
突入部隊より、ひとりで降ってくる存在のほうが危険だが、機体の外に人は見えない。手練れなら不可視化しているだろうから、この距離で警戒する意味は薄いが、頭上を直撃されることだけは避ける必要がある。
ふたりの後ろには、空をにらんだ砲台がある。小さな砲が身を寄せ合いアジサイのようになっており、各砲の角度が多少は動き、全方位が狙える砲台だ。砲身に穴は空いておらずレンズがある。
ルキウスの所持していた鹵獲品を組み合わせて製作されたレーザー迎撃砲。
同じような砲が、町中に空き地や頑丈な建物の屋上に配置にされている。
「ちなみにこっちの測定だと五百二十七機。あそこに友軍はいます?」
アマンはエルディンを見るのをやめ、空の点を数えるのに集中した。
「いるわけないだろ。こちらの迎撃はもう離脱してる。でかいのが四つ残ってるな、あれだけやっとかないとな」
エルディンが視線を高くへやった。
その時、帝国軍の砲声の勢いが増した。ちらほらと街のすみに着弾している。これまで発砲していなかった火砲が轟音を発し、森を越えた辺りで無数の発砲炎の赤がちらついている。
「爆撃支援か。懸念された発煙弾に毒ガスはなし。優勢な気でいるらしいな」
エルディンが全方位を確認した。森の町に近い位置で榴弾が炸裂して、広い範囲で次々に爆炎が上がっているが、特別な異常はない。視界が悪くなると攻撃側も困るのだろう。
「もう完全起動させますよ」
アマンが手にした操作器を上げ下げした。
「限界まで引きつけろ」
「なんでそこまでこれを信用できるんです!? ひたすら蓄電を優先で、まともにテストもしてないのに! テストは大事ですよ!」
「迎撃はタイミングがすべてだ。遠いほどいい狙撃とは違ってな」
「そんなことは知りやしませんよ」
「とにかく敵を多く射程に入れろ。高度を落としたところを刈りとらないと、また近くの飛行場から来る。空からの精兵が戦力のいない中央の空白地地帯に降下したら終わる。こいつらが破壊されたら、あとは野砲で圧殺されるぞ」
エルディンは迎撃レーザーの台座を拳でコンコンとこづいた。
「早くしないと早くしないと」
アマンが口の中でブツブツ呟いた。
「落ち着けって。今だって短めの射程で起動しているんだろ?」
「迎撃半径一キロでは、街は全然カバーできてない! 迎撃範囲外で戦略級の爆弾がさく裂したら終わりだ!」
「住民は中央に避難して、戦闘員は掩蔽壕やらに入ってる。やばそうなのは俺が落とす。奴らは町を取り戻しにきたんだ、破壊はしない」
「武器ばっかりいじくってる人間のやることですからね」
ふたりが揉めている間に、均整がとれていた爆撃編隊が崩れ変形していく。コモンテレイに向かって長く伸び、先頭に戦闘機、後ろに対地攻撃機、爆撃機と並んだ。
市内からズババババッババと音がした。ハンターたちの対空砲だ。
彼らが荒野で最も信用する重機関砲が空へ弾をばらまくが、まだ遠く当たっても落とせるか怪しい。あれの有効射程は長いので五キロ、短いのは一キロだ。嫌がらせにはなっているだろうが、編隊に乱れはない。
「まずは対地ミサイルか」
エルディンが呟く。
すべての戦闘機は、胴体の下に一発の対地ミサイルを積んでいた。それの半数が一斉に発射され、編隊から一気に煙が噴き出し、機影が少し隠れた。
「撃ちますよ! いいですね!?」
アマンはもう気が気でない。
「そうだな……いや、待て」
「え!?」
気のない返事にアマンが絶叫した。
空に描かれた白線は、彼らがいる市の中心部ではなく南西に直進した。高度がどんどん下がっている。その先はかつての帝国陸軍の区画で、緑化機関本部、整備工場、弾薬庫に、待機中の一部車両がある。
「的は基地跡だな。ソワラがなんとかする。ならなくてもミサイルの二、三で死ぬ奴はいない。対火器装備を一つは着けてるし」
遠くからゆっくり接近した白線は、近くになると一気に加速して見える、とてつもなく速い。低空に右から左へ白線が引かれていく。それは高度を下げず、そのまま基地跡の上を通りすぎた。
アマンは首をぐいっと回して、一瞬で東に飛び去るミサイルを見送った。
「非常識だ、非常識だ、非常識だ。だから魔術は嫌なんだ」
「飛来物関係の魔法なら俺も使えるぞ」
南西、森の際に配置された多連装ロケット砲から、連続でロケット弾が上がった。シュウーシュウッという噴出音が連続し、多くの針が森の上を飛翔する。九百以上ある。
「あれは……町に届くな。やっとくか」
エルディンが筒から取った矢をつがえ、ほとんど狙いをつけず射った。町の中心部から外周部まで二十五キロ以上。中心部の繁華街、外周部の下町、森、その上を一瞬で矢は抜ける。
そして、上昇から水平に切り替わりつつあるロケットの集団に迫り、その直前で矢は数千に分裂し、進行方向へ向かって半球状に散った。矢とロケットが交錯する。
森の上で小さな爆発が連続し、金属片が空中に飛び散り、衝撃で軌道の変わったロケットがあさっての方向へ飛んでいく。しかし数十は抜けた。
エルディンがもう一射しようとした時、ロケットは緑化機関のかなり手前で爆発し、大量に小さな物が飛び出した。それが基地跡全体へ降りかかる。
「ああ?」
緑化機関付近の迎撃レーザーが速やかに起動し、小さな落下物を精密に撃ち落としてく。空に次々に炎がボッと現れては消えた。ただしのその迎撃範囲外には、そのまま小さな物が降った。地表で爆発は起きていない。
「なんだあれ?」
エルディンがつがえた矢を外した。
「地雷か、対人爆弾の散布でしょう。直撃より散布が目的らしい」
「……まあいい、間違ってかじっても唇切るぐらいのもんだろう」
「……電池と機器の消耗はあるってこと、理解してますかね。この子たちは精密機器なんですから。冬で排熱しやすいのが救いだ。あきらかに一万以上ある敵の野砲も同じですけど」
二人が言っているあいだに、爆撃編隊が町の西より低空で侵入した。頭の上からゴーという音が降ってくる。町の中央には向かわず、南の外周部に沿って飛んでいる。
「南に布陣した地上部隊を狙ってるらしいな」
高空に留まっていた戦略爆撃機から、パラパラと小さな物が放出されている。
「おお、お。でかいのがクソしやがった」
エルディンが物珍しそうに言った。
「さっさと落として!」
アマンが形相を変えた。
さらに対地攻撃機が重機関砲を撃ち始めた。その射線は森を横切り、町の南に作られた塹壕と土塁に向かっている。塹壕内に飛びこむ人員が遠目に確認できる。道路にいた対空砲は牽引されて、建物の陰に隠れた。
「やはり普通の爆弾だ。二十キロか、普通の矢でいいな。そっちも始めろ」
エルディンは空の景色に納得すると体を大きく後ろにそらせて、空へ立て続けに矢を放つ。高空では爆発が連続して、黒煙が残った。
「よし、行け! 全飛翔物迎撃モード最大出力」
アマンが画面内のスイッチを押した。迎撃レーザーが最大射程で起動する。街の方々から出た多彩な光線が、空を刺し貫いた。明滅を繰り返す光が目まぐるしく空を突き、あらゆる高度で爆発が起こり、空が煙で満ちていく。
レーザーは、落下中の爆弾も航空機も見逃さずきっちり捕捉していた。煙の中で閃光がくり返し起こり、推力を失った航空機がきりもみ状態でドンドン町へ落ちていく。
迎撃レーザーは巨大な物を一瞬で蒸発させるほどの威力はない。戦闘機は燃料に火が点いて大爆発しているが、それ以外は複数のレーザーを浴びて全身を赤熱させ、じょじょに分解され、最後は大きく割れて落ちていく。
レーザーはこうなった残骸を放置して、動力のある的を狙う。機銃はいくらか町に達したが、地上に達する爆弾はない。すべて空中で爆発している。
後続の航空機は煙を嫌ってか高度を上げ、一定数が逃れた。レーザーにとっても煙は邪魔で、威力が多少減退している。残機は南東の空へ離脱していく。
レーザーはまだ止まらない。空は灰色に染まり、いくらか大きな残骸が町に墜落している。軽い破片はなおも滞空しており、それがレーザーで焼かれ、火が花びらのように舞って街に墜落していった。建物の屋上に落ちた火が燃えている。
コモンテレイの北側に陣取った駆逐機甲軍団長フネリック・タングリフ中将は、この様子を輸送トラックの屋根で見ていた。彼は首をゴキゴキ鳴らし、「あー」と漏らした。
「弾着は?」
「市内は確認できていません」
車の横に立っている部下が答えた。
「迎撃射程は観測できたか?」
「計算中ですが、五千から八千かと」
「コロバ七〇榴弾砲より長く、コロバ一一〇榴弾砲より短い。ならば取り除くのに市内に入る必要ない」
タングリフは完璧に近い対空迎撃を見ても冷静だった。発掘品の迎撃レーザーは帝国にもある。この陣地にも。それで迎撃は予想できた。予想の上をいったのは出力だ。
本来なら爆撃は大きな打撃を与えるはずで、損害は最悪でも百ぐらいのはずだったが、爆撃部隊は半壊している。
そもそも飛来した数が少ない。セイラキが少ないのは裸眼でもわかった。
空軍は多数の損害を受けたとしか言ってきていないが、途中でかなりやられている。つまりコモンテレイの外に大きな戦力いる。
「まだ空軍から詳細な情報がないが、対空監視を強化しておけ。広域防衛配置だ。定石どおり野砲陣地を優先的に守れ、戦車は散らせ」
「了解」
戦車戦において突撃する勇猛さと同時に、緻密な計算が必要だ。いかに敵が防御できない状態で主砲を照準できるかが肝なのだ。直撃による撃破の快楽を味わうには、下ごしらえがいる。まずは標的を視界に収めないことには始まらない。
「あの発掘品はかなりの性能だが、それ以外の迎撃もあったな。新たな兵器は確認されたか?」
「迎撃レーザーの配置は、事前の報告どおり街の外周部と中心部です」
「まあ隠してあっても、最後は数で押し切れる。しかし当面火砲は無力化される。こうなると森が無い東から接近し、野砲を浴びせたくなるが……」
タングリフはトラックから飛び降りた。
「作戦に変更なしですか?」
「そうだ。歩兵を森に入れて敵を駆逐、そのあいだに森を切り開き、砲を前に出し、敵部隊と拠点に集中砲火を浴びせる。迎撃兵器は飽和攻撃で破壊する」
一一〇榴弾砲は数が少ないが、射程十三キロ。北側の森は二十キロ、七キロ入れば市内を狙える。そして少ないといっても全軍で二千ある。敵が塹壕にいても、撃ち続ければ少しずつ減る。
「当面は歩兵中心ですね」
「うむ、億を越える砲弾を持ってきたが、総力では五日もつまい。たまに市内を狙うぐらいにしておけ。加減は現場に任せる」
弾薬は無限にあるわけではない。散発的な砲撃は効果が低く、無意味な瓦礫を形成するだけだ。それも敵の被害ではあるが、街に入る場合は障害物になる。
的を絞らずとにかく遠くに弾を飛ばし市街地に被害を与えることは今でもできるが、弾薬管理にうるさい帝国軍人の習性として、敵がいるかわからない所を砲撃する無駄は嫌う。そのような命令を砲兵にすれば、担当将官が怒鳴りこんでくる。
ドドン、西で爆音がした。これまでと違う。まとまった弾着音だ。西の森の一か所で爆炎が上がっている。
「始まったか」
タングリフは非常に小さな爆炎を認めると、わずかに口角を上げた。




