誕生日
「アルトゥーロよ。子供の面倒みるのがペット主体になってるから言葉も覚えないし、ジェロームはミャウミャウと言い出してしまった」
ルキウスが言った。
「そうですか」
アルトゥーロが電子基板の電圧を検査しながら言った。
「だから車でジャンプしたい、ジャンプ台とか使ってな」
「なんの目的で?」
職人は気難しい顔で車体の下に入り、部品を交換しようとしている。
「派手にジャンプしたら格好いいだろ」ルキウスは頭だけで逆立ちして作業を覗いていた。「しかしなぜか、私が運転すると車はまっすぐに進まない。きっと神だからだ」
「いや、むやみにハンドル切るせいだと思いますがね」
「理由はどうでもいい。とにかくAIがやるように見事に走らせる必要がある。それで外でドライブにでも連れていけば、子供たちも私に寄ってくる。今は半分ぐらい逃げ気味だ。こんな顔でな」
ルキウスは路地裏に降り立った宇宙人を見たような顔をした。
「……俺が遠隔操縦すれば」
「アルトゥーロよ、それではインチキではないか」
「ハンドルに手を添えていればわかりませんよ」
「子供の教育に悪いだろ。今が大事な時だ。そもそも甘いジュースでもやれば容易になつくものを、決してそのようなことはせず、責任ある教育をしようとしているのだ」
というやりとりを終えたルキウスが、生命の木に帰ってきた。
一年前に比べれば、かなり森が開かれて大きな農業公園のように感じられる。ここの畑を広げる作業はもうやっていない。必要なものは植えたし、できるだけコモンテレイの農地を増やさねばならない。これ以上広げても隠蔽・防衛しなければならない面積が増えるだけだ。
「なぜ断る。時速八百キロで走れるんだから百メートルは飛べる。確実に格好いいのに」
彼がぼやいていると、赤いドレスのビラルウがとことこと歩いてきて、足元から見上げて言った。
「爆破見なかったの?」
「なんだ?」
ルキウスは屈んで視線を合わせた。
「飛んだの見なかった」
かわいらしい腕が空を示している。
「ああ、サンティーか。きれいに爆発して飛んだだろ」
「した」
「浮き続けるという加減だったはずだ。面白かった?」
ルキウスが、土を動かし、一本一本木を植え、たまにスーザオを蹴りつつ、地道に物理演算機を操作して計算した成果だ。
「べつに」
子供の目には感情がない。
「そうか」
ルキウスは少々がっかりした。教育的価値は発生しなかったようだ。
ビラルウは、なおもまっすぐにルキウスを見ている。
「なんで?」
「え? なんで、なあ……見てなくてもうまくやる練習だよ」
「見てないから外れた」
「二百メートルぐらいは飛んだだろう?」
「バケツ外れた」
「ああ、最後に四方から打ちあがって飛んでくる粘液と粉のバケツな」
「ふくがよごれた。かわいそう」
「外れた仕掛けがかわいそうだな。全部当たらなかったら意味ないしな」
ルキウスはどこで制御を失敗したのか確認しないといけないと思いつつ、ひとりでちょこんといるビラルウを見た。何か足りない。非常に広く見える。遠くの土の上に伏せた赤いトラには、多くの幼児が群がっていた。
「タドバン取られたのか?」
「とられてない」
アリールの赤子たちは成長した。身体能力が高いのか全員がそこそこまともに歩いている。特に元気がいいハーローは、バッタを追っているが捕まえられないようだ。
ビラルウはルキウスのズボンをつかむと、肩まで登ってきて、肩に座り顔につかまった。ルキウスをそれを特に気にせず、立ちあがった。
「じゃあ貸してあげたのかな。まだ誰が誰かわかりにくい。顔に色でも付けるか」
「あれ、とって」
ビラルウはルキウスの顔をがっしりつかんで、その向きを変えた。
小さな指が示した先にある高所の枝先に、儚げな白い花があった。
「あれなんだっけ……ナツツバキか、秋だけど。普通に通年花が咲いて落ちてこないな。花見ようと思って力を込めたせいかもしれない」
「とって」
二十メートルほどある細い木だ。花は上に集中している。
「自分で登れるんじゃないか? タドバンの腹にぶらさがる力があるなら行ける」
「とってとって」
ビラルウが髪をぐいぐい引っぱる。この子は言い出すと聞かない。ほかの子も言葉にしないが同じようで大変だ。
ルキウスはビラルウの首根っこをつかんで引き離し、下投げで十メートルほど上に放り投げた。ビラルウはちょうど減速したあたりで、枝にたどり着きガッとつかまった。
「おお、うまいぞ」
ビラルウは鋭い眼光でカッと下をにらみ、ルキウス目がけて飛び降りた。どうやら飛び蹴りを試みている。それをルキウスは脇を抱えて受け止めた。
ビラルウは足をバタバタして怒った。
「なげっるな!」
ビラルウは宙ぶらりんで足が届かないので、バンバン腕を叩いた。地味に痛い。
「いや、行けた。チャレンジだよ! 甘い物ばかり食べるから運動しないと」
ビラルウがいくら言っても納得せず花を要求するので、木に命令して頭を下げさせ花に手が届くようにしたが、「とって」の一点張りだった。
どうしても運動したくないらしい。将来が心配な子供だ。
ルキウスが花を取ってやると、頭に着けるように要求された。枝を魔法で加工して花と繋げ、髪留めにした。ビラルウは髪に付けた花を熱心に調整した。
「にあうー?」
彼女はさっきまでと打って変わって機嫌がよくなった。天使みたいな笑顔だ。
「ああ、全宇宙で一番かわいいぞ」
ルキウスはビラルウの手を引いて庭を歩き、やや歪で太い葉脈の浮いた実がなる木の林に入った。実は様々な動物の筋肉の形状をしている。そこを抜け、やたら巨大な果実がひとつだけ成った木や、実が採取しやすいように曲げられた木のあいだを抜けて、草花が多い領域に入った。
ルキウスはそこにある毒草と書かれた立札を触った。
「わかるか? 毒だぞ」
「どく」
ビラルウがやる気がなさそうに言った。
「ウェーだ」ルキウスは苦そうな顔で舌を出した。「柵の中の草は食べてはいけない」
そこにサンティーがやってきて、毒草をちぎってモシャモシャ食べながら去っていった。あれは辛いから口直しか何かだと思っているのか。ビラルウがルキウスを一目見ると、ふんわりとサンティーの背を指差した。
「あれは自己責任だ……多分耐性を獲得しているから」
さらにビラルウが新たな方向を示した。そこには幼女が這っていて、不思議そうに芝生にかみついていた。隣にいる黄牛の真似をしているのだ。ルキウスはそれを止めた。
「プルケリマ、それは君の食べ物じゃないんだ」
ルキウスは、不審な顔をして納得しないプルケリマを抱えて、幼児が固まっている所まで輸送した。一か所に置いておけば、イヌたちが尻尾をふりながら面倒をみてくれる。
「ルッキー、甘いの」
ビラルウがルキウスのズボンを引いた。
「ルッキーはお菓子出す機械じゃないんだ。花の蜜でも吸ってみたらどうかな」
「いや」
「いいか、なんでも世の中が思いどおりになると思ったら大間違いだ」
「お前が言うなよ」
ビラルウがじつに心外そうに言った。
「どういう意味だよ?」
ルキウスも心外そうに言った。
「お前が言うな」
ビラルウはかわいらしく繰り返した。
「誰に教わったんだ……とにかくだめだ」
「そう言われながら最後にはあげているではないですか」
声をかけてきたのはソワラだった。
「すごく怒るからな。でも今日はだめだ。明日の誕生日にケーキ出してやるから」
「ケーキ?」
ビラルウがルキウスに疑いの目を向けた。
「明日で二歳だ。二歳だからな。実際は知らないがそう決めたから」
「ルキウス様、帝国軍の接近と迎撃があったと報告がありました」
ソワラが言った。
「小競り合いだろ? 適当に損害を与えて下がればいい」
「戦闘は発生していません、こちらの戦車を確認するとすぐに退却しました」
ルキウスは即座に敵の意図を解した。
敵はこちらの人員が少ないと推測しているが、確信はない。それで圧力をかけ、出動回数を増やし損耗を強いている。
敵の推測が正しければ、こちらは対処するしかない。対処手段とそれまでの時間で、戦力の質、物資、性格を測ろうとしている。
しかけてきた車両部隊は捨て駒だ。つまり部隊より情報に価値があると考える将官。どのような対処をしても、相手は損害以上の利益を得る。
「次に来たら私が行く」
おそらく状況を放置すれば、どんどん前線に侵入する部隊と頻度が増え対処しきれなくなる。
迎撃を任せたハンターがいらだち、かってに深追いする可能性もある。
「ルキウス様が? 森の外ですよ」
「わかっている」ルキウスは気を悪くした。「戦車にこっそり落書きしてくるだけだ」
「なんの意味が?」
「特に意味ない」
ソワラが奇妙な顔をした。
「なに考えてるかわからない奴は怖い。至近距離で向き合うとなればなおさら。恐ろし気な文字で車体を埋めてやる。なんなら原画を子供に書いてもらうか。それで足りなければ乗員にも書いてやる。上着を無視して下着にな」
(戦争のやり方は知らんが、心理戦なら得意だ。指揮官は冷静でいられても兵は違う。確実に恐怖する。納得させられる理屈がなければ兵に動揺が広がる)
敵はどう対処するか?
放置が最も悪い。兵は上を信用しなくなる。そうなればさらに追撃してもいい。敵の町に、ちょっとした悪影響のある呪物を置いてまわるなどだ。
士気を上げようとするなら、強行に出るだろう。コモンテレイを避け、こちらについた小都市などの攻略を狙ってくるはずだ。こちらも戦力を出して敵を減らす機会だ。
威力偵察をやめて防御に徹するのが一番賢い。これをやるなら、始めた作戦をすぐ中止できる合理的精神がある。それをやるのはつまらない奴だ。手堅い人間は不規則を嫌う。ルキウスでも崩しにくいが、何をやるかわからない恐怖がない。であれば、彼が組みなれた敵。
「混乱させるなら、私が行って同士討ちさせてもいいのでは?」
ソワラが言った。
「それもいいが、魔術師がいるとばれる。彼らが知る戦力は、自然祭司のルキウスと僧侶のマリナリだけだ」
「早く滅んでしまえばいいのです」
ソワラが忌々しそうに言った。
「一戦やるまでだ。それが終わればゆっくりできる」
「ほろぶの?」
ビラルウがルキウスの足に乗って脚につかまった。
「いや、お引き取り願うだけだよ」
「おひきとり」
ビラルウが納得するように言い、ルキウスはその頭をなでた。
「首都か工業都市に一撃撃ち込んでやればよろしいのに」
ソワラが不満気に言った。
「いやいや、みんなで幸せになるための戦争だぞ。帝国も含めて」
「敵は確実に不幸では?」
「いいか、私はいつだって誰もを幸せにしている。ゲッ!」
ルキウスはビラルウに蹴られた。
「どうした? 飽きたのか?」
ビラルウは無言だった。ルキウスは彼女を抱えてやり、話を続ける。
「役割の問題だ。荒野を有効活用できるのは我々だけ。近づくと汚染に飲まれかねない重汚染地域は避けるが、帝国は持て余してる。この戦争で彼らは不毛の荒野から手を引け、あとはお互いに物資を融通すればいい」
ようはルキウスが楽するための人員を派遣してほしいのだ。問題はひとえに機神教で、これを手なずける方法は未発見である。
「だから荒野は森にするのが誰にとっても正しい。もっとも大陸の南側も砂漠だが」
「世界のすべてを森にしなければ安心できませんよ」
「文明はどうするんだ?」
「街と農地と道だけくりぬいて、ほかはすべて森です。海は埋め立てです」
ソワラは本気で言っている。妖精人としては比較的一般的な願望だ。
「それ管理するの全部私じゃないのか?」
これ以上仕事を増やされてはたまらない。彼は最低限の仕事しかしたくないのだ。それ以外はどこかの誰かがやればいい。アマンとか。
「むら行く」
ビラルウは思いついたように言った。
「村大好きだな、アイアと仲いいもんな」
「むら」
「よしよし、連れていってやるからな」
あの距離を気軽に飛べるのはルキウスだけだ。子供に頼られると嬉しい。
「また甘やかして」
ゾト・イーテ歴 三〇一九年 十月十八日
生命の木の四階に穴が空き、そこから長いスロープが庭まで伸びていた。スロープを浮遊した皿に載った料理がどんどん滑ってきている。
そして庭に多くの机が並び、人々が料理を運び、集まっていた。なごやかな雰囲気で、会話がなされている。
ルキウスは配膳があらかた終わったのを確認すると立ち、声を張った。
「さあ、みんなの誕生日だ。面倒だから今日がみんなの誕生日だからな、小さいのは覚えておけよ、十月十八日だ。大きいのは……」
幼児たちはよくわからない顔で座っており、たいていは話を聞いておらず食事に手を伸ばそうとして、イヌ、ネコ、ドブネズミ、グリプトドンなどに止められたり、ペットの毛並みを撫でていた。そこに何人かサポートとハイクが加わって幼児の面倒をみていた。
ゴンザエモンはすでに酔っている。ほかの大人は気楽にしてルキウスを見ていた。
「まあ、どうでもいいか。大きいのにはただの宴会だし。はい! 皆さん、お誕生日おめでとう。次のお誕生日まで死なないように、来年もやるからな」
ルキウスが席に着くと、すぐにカチャカチャという音がいたる場所でした。
ビラルウがフォークをケーキに伸ばすと、皿の下に小さな足が無数に生えて逃げた。
「むふう」
ビラルウがくちびるの端をとがらせて、懐疑的な視線をルキウスに向けた。
「捕まえて」
「運動しないとブクブクのブックブクだ。ほらブックブク」
ルキウスが面白そうにからかった。
「獲れ」
ビラルウが真顔で言った。
「あれは非常にお高いチョコレートケーキだ。お高いものは簡単には手に入らないものなんだ」
ルキウスが言い聞かせる調子で言うと、ビラルウのフォークが即座にルキウスの眼球を襲ったが、簡単に止められた。
タドバンはビラルウの隣で満足そうにウナギを食べている。ビラルウはそっちを向いた。
「タドバンやれ」
タドバンの額から出た雷が、瞬時に皿を打った。皿は焦げ、ケーキはちょっと溶けた。
「甘やかすなよ」
タドバンはルキウスの言葉にふふんと鼻を鳴らしただけで、がつがつ食事を続けた。
ビラルウはいい具合に溶けたチョコレートを満足そうに食べだした。
「まったく」
ルキウスは紅茶に口をつけ、それぞれの机に目をやった。
空飛ぶショートケーキのサトウヌキが、ケーキをむさぼっている。あれは共食いなのだろうか。
ヴァーラがウリコに金儲けの崇高さをふきこまれている。信者と怪しいビジネスを始めさせようというのだ。
ドニ家族はソウコ系のサポートたちと談笑しており、ゴッツやアルトゥーロはその隣でお静かに酒をやっている。
ゴンザモンが久しぶりに会うテスドテガッチに酒を勧めていた。彼が人に物を与えるなど珍しい。しかし巨人はひたすら肉を食べている。
ヴァルファーはミカエリと六爺に囲まれていた。六爺はどうも若者に優しい。
ターラレンは魔法使い系のサポートといる。話しているのは魔術の事に違いない。
村で苦労しているコココットはいかにも自由を満喫している顔でおり、エヴィエーネに疲れに効く薬を勧められていた。
エルディンとレニは幼児の世話を手伝っていた。メルメッチはクッキーの皿を片手にうろつき、手伝うというよりは子供と遊んでいる。
カサンドラは緑の村から選んだ者を三名連れてきており、彼らの錯乱を収めようと静かに言葉を投げかけていた。大型ペットの近くに配置したのがまずかったのかもしれない。
「早く食べないと奪われますよ」
ソワラはルキウスの隣だ。ビラルウの正面ではサンティーが激烈な速度でフルーツタルトを減らしていた。目がチラチラとルキウスのほうを窺っている。
「なんでそんなに急ぐんだよ」
ルキウスがあきれた。
「外の食事が記憶よりまずかった衝撃を緩和しているのだぞ」
サンティーが言った。
「今日のはほとんど原材料から作った。落ち着けばいつでも食べられる」
「私はこれ作ったんですよ」
ソワラが、等身大ギャッピーの焼き菓子の皿を寄せてきた。
まっとうな料理ではなく魔法で材料からボンッとできたものだ。小麦粉を使った普通の焼き菓子だが、表面が砂糖で絶妙にてかっており本物に近い。
「……なんでここまで精巧なギャッピーにした?」
「かわいいですから」
「なるほど」
「わたしもぉー、つくったんですぅー」
ルキウスの正面のアブラヘルが、スープパイを勧めた。
「変なものを入れたでしょう」
「味に自信がないからってケチをつけるのはおやめよ」
ソワラとアブラヘルが苛烈な皿の押し合いを始めた。
「いい、経験上魔法金属以外は消化できる」
ルキウスは両方ともつまんだ。食べるのに抵抗があるものは何もなくなった。嫌というほど土が植物になるのを見て、物質はなんでも同じという境地に達している。
「子供の泥団子を食べるのはやめてくださいと、ペットから嘆願が来ております。彼らが食べるように要求される、というか押し付けられますので」
「対応できるのがイトミミズしかいないからな」
ルキウスが座りなおしつつ笑った。
ここにはマリナリ以外が揃っている。彼女は仕事があると言って来なかった。彼女は渡されたケーキを祭壇に祭っていたので、永久に食べないかもしれない。
「面倒だが、勝たねばな」
ルキウスが呟いた。