海にて
ターラレンによる矢のごとき飛行でも、目的地に着くには間がある。
「こちらのほうに改造した作物は使われないので?」
ターラレンが言った。
「素人のやる畑に、未知の植物を使えんだろ」
ルキウスはつまらなそうに言った。
「そうですか?」
「鶏肉の木の肉質を改良したら、幹まで筋肉質になって私がいない間に森に逃亡しただろ。あれはタドバンに乗って気分よく散歩中のビラルウが発見、追いかけさせて排除した。やたらとカラフルに育ったマティス草は、友が葉をかじろうとしたら、身をよじって逃げだしたが結局友に追いつかれて食われた。辛かったとか。ちょっとずつ隣の肥料をくすねていたのはシナモンだったか。実に対して幹、茎が大きいのは危険だな。生存力に力が配分されている」
「囲いは必要ですかな」
ターラレンが思案した。
「それでも試行回数を増やせば、偶発的に都合のいいものができるかもしれんが」
「進歩とはそのようなものかと」
「ならできたとしよう。多くの実を付け、寿命も長く、病気にも強い。栄養もある。なんなら自分で実をもぎって届けてくれる。よい木だろ?」
「理想的な品種でしょうな」
「ならドンドン植える、一面がこの木になる」
「大陸中がなるでしょう」
「それが二百年後にしめし合わせて結実をやめたらどうなる? 二十年ぐらいだぞ。大飢饉だ。人間は衰退、この木の黄金期が始まる。これは植物の基本戦法だ、ないとは言えん」
「そう考えますか」
「私の眷属は、従順そうでも油断ならない。新品種は他人に任せられん。もっと直接的に牙をむくか、第二世代で変質する可能性も」
ルキウスは混沌属性の神、安定した品質は作りにくい。意図的に調整しようとすると、半分も力が発揮できず、弱めになる。
とにかくどうでもいいから強くしようとすると、なんらかの強さをもった植物ができる。全力で砂糖が採れる木を望んだら、砂糖を固めた鋭利な実を音速越えで撃ってくる木になり、即枯らしたのは誰にも言ってない。
ルキウスは続ける。
「しかしな。私はそれでもいい。愉快な植物が跋扈する生命あふれる世界、それもありかなってな。面白そうだし」
「なら問題はなんですか?」
「悪魔の腕だ」
「基地跡ですか」
「悪魔の手、元基地部分は数倍に拡張している。腕部分に影響が出ないように切り離したが、すでに変質している。元気な植物から邪悪な植物にな。植物が微生物と共生するように、あれらは呪詛を力にした」
多くあるものを資源として使う、当然の進化、適応。
「なぜ早期に対処されないのですか?」
ターラレンの目つきが鋭くなった。彼ならまとめて灰にできる。
「異界化でもするかなって」
「それこそ危険では?」
ターラレンの語気がわずかに強まった。
「小さな道でも開けばなってな。召喚体どもは召喚契約の制限で、あっちの事を話さない。そこは協定が生きている。あれで情報収集するときは、特別な召喚場所が必要だった。昔そんな仕事があった。ぺらぺら喋ってくれるのは魔神ぐらいだが、まったく信用ならん」
「まさか、ご自身の領域に帰られるつもりなのでは?」
「冗談はよせ」
自らの領域には本物のグレートオールドワン・ヴァーダントがいるかもしれない。ゲームなら多くのプレイヤーが神を討伐しても無限に復活するし、クエストの数だけ存在するが、ここではどうなのかわからない。どう調整されているのか。
「いろいろおかしくなっている。神界の様子が気になるだろ。神々に尋ねれば過去に何があったかも知れる」
(もし天界に行けたらゼウスを殴ろう。あいつの浮気関係だけで百はクエストやったぞ。あいつの討伐クエスト実装を求めるプレイヤーがけっこういたよな)
「過去の記録をあさりましたが、ここ四百年で明確に確認された神格による介入はなし。あったとしても神の言葉の解釈は無限、言葉自体も断片的でしょうし、本意がそもそも告げられない。そうでしょう?」
ザメシハの王都に地下にいた不死者のように、大戦直後の混乱期にいくらか強そうな者が現れている。混乱で修羅場をくぐるか、運よく宝を得るかをして力を手にしたか、元々強かったが安定した時代では伏せていた、もしくは浮上できなかった者だ。彼らの中に神の代理人はいなかった。
「あ、止まれ」
ルキウスが空で急停止した。
「なんです?」
ターラレンも止まる。ルキウスが遠くを見た。
「あれだ。じっくり見たことがなかった。暴走機械キッチと疲目蟲が揃っている。ここの代表的な雑魚、標準危険度で六、三十レベルぐらいか」
キッチは五センチほどの機械。やや前が大きいダンゴムシのような姿。前にセンサーらしいものがある。ひたすら土を食べていて、通った道筋が後部から出した土で盛り上がっている。
疲目蟲は、半球状の体から伸びた一本の触手の先に丸い目玉がある。大きさはドブネズミほど。
二者は至近距離にいるが、お互いを気にしていない。
「敵対しないようですな。共生かどうかわかりませんが」
ターラレンが言った。
ルキウスが二者に近づくと、疲目蟲が凝視してきた。
「重力の魔眼ですな」
ターラレンが言った。
「自動で抵抗してしまった。何も感じない」
ルキウスは、大きめの石を視線の先に持ってきた。すると石は微妙に重くなった。次に石の色と模様を手と同化するように変化させた。すると石の重さが戻った。
「軽くなった、光線と違って脳の認識。疲目蟲は射撃を外した時の言い訳に使われる定番だが、銃弾は見えないだろうから干渉はないな。弱いが、荷物満載の車両が壊されるそうで、馬鹿にはできない」
ルキウスが軽く指を上げると、疲目蟲が地面から突き出した石の針に貫かれて絶命した。
次にルキウスは、新たに拾った小石をキッチにぶつけた。すぐにキッチはルキウスへと向き直り、赤いレーザーを発射した。それをルキウスは軽くステップしてかわすと、大きめの石を全力で投げる。キッチは金属部品をぶちまけて壊れた。捕獲しようとすると自爆するので、こいつも油断できない。
「手間取らせたな。実際にどんなものか確認したかった」
「いえ、一つ知識が増えました」
ふたりはさらに飛行して、最重度汚染地帯に到達した。大地から立ち昇る呪詛は大火事の黒煙だ。
「さて、ここらでいいかな。赤星ハンターでも避ける地域だ」
ルキウスが着地した。ターラレンも続く。
「最高レベルの汚染です。我々も耐性装備無しでは多少のダメージがある」
「大陸中央は主戦場だったというしな。〔緑の聖地/ヴァーダント・ホリダム〕」
近くの地面が白と青灰色の砂利に変わる。しかしすぐに地中から粘った黒いものがじわりと湧き出した。みるみる地面は黒に染められ、遅れて黒い霧が噴き出した。
「水に浸されたスポンジを拭いている感じだ」
ルキウスは無表情で、ターラレンは納得していた。
「予想的中でうれしいか?」
「はは、まあ。やはり地中にいくつか汚染の大きな脈があり、深海へと流れております。汚染圧というべきものがあり、圧が減った場所に補填する。この脈の浅い部分はどうにもできぬ」
「大魔法を十年間毎日使えばなんとかなるか……非現実的だ」
「汚染は誰にも制御されておりませんが、汚染脈は整えたように圧が一定です。この脈がなければ、大陸中央はまったく人が住めない状態でしょう。その分、深海は汚染されているようで」
「これがギルイネズ内海が魔境になった理由か。海にレイドボスでもいるのか。いや、神器とかのほうがくさいな」
「ですな。あったとして深海。でなければ、誰かが対処したかと」
ルキウスはターラレンの言葉を聞いてしばらく汚染を眺めていた。
「無限のエネルギーを持つ生物はいると思うか?」
「生物ですか? 厳密な定義を語ると長いが、無限の力があれば、外部から栄養を摂取する必要がなく、生物的な活動も不要。存在したとして生物と呼べたものか。それにそもそも、神格でも難しい。神は、概念や場を支配し、そこから力を得る。信者の信仰や、行為、つまり悪神に捧げられた悪行などが力になる。ルキウス様なら植物の群れ、生態系から。そうですな?」
「そうだな。つまりいない。しかし周囲のエネルギーを極めて効率的に吸収して自由にできれば、見かけは無限に見えるかな?」
「神を越える力をお求めで? それとも汚染の対処法ですか?」
ルキウスはターラレンに視線をやった。
「ターラレン。魔術の根源はどこにある? なぜ魔術は使える?」
「それを語れば底なし沼に潜り続けましょう。しかし、根源的には使えるから使えるといえます」
「秘されし法則、よって理非もなしか。それ相応に科学も収めているな?」
「無論、魔術師の本懐ゆえに。燃焼、熱のをすべて御するのが我が魔道」
「純粋な物質の世界では、どこからか勝手にエネルギーは来ない」
「……魔力はどこからやってくるのか、という話ですな?」
「そうだ。この汚染現象も何かの力を消費して維持されている……かも?」
ルキウスはちょっとだけ口元を動かして笑った。
「永久の難題、検証は困難かと。器を見つけて測りをとりつけねば」
「……エヴィエーネが予備への移行を何者かに相殺されたろ。死ぬところだった」
「ええ。つまり……あれは、根源の力の供給を阻害されたと?」
「そこまではわからないが、知らないものだろ? あれを妨害する魔法は警戒していたが、検出されていない」
「私も注意を払っておりますが、あの現象は観測されておりません。彼はずっと普通……ですな。もしや神界を気にしているのも、根源の力を気にして?」
「それもある。ああ、そういえばマウタリの様子はどうだ? 元気か?」
「よく治めていますが、やはり中央以外は実質的に分離しそうです」
「そうか」
「コロは懸命にやっていますが、スンディ地域の分断は避けがたいかと」
「魔法使いを特別視する文化は、閉塞と腐敗をまねいたが安定には寄与していた。それが壊れた。数も足りない。あっちの汚染は知れてるから食えるようにはしたはずだが、そうそう上手くはいかないわけだ」
「……お疲れですか?」
「いや、すごく元気だ。汚染土がウリコにそこそこの値で売れるし。それも濃い汚染ほど高い」
ルキウスは明るく言った。
「資源にできるのは大きいですな」
「しかしここは災害級の魔物がうろついていて、魔法もかなり阻害される。主力は単純労働などやる暇はない。ウリコを放置しておければ安定収入にできたが。あいつはずっと土でも掘っておくべきだ。地の底までな」
ルキウスのうんざりした様子にターラレンが苦笑いした。
「まあ、浄化がやるべきことならいずれできる。帰るか、海に行く準備でもしよう」
「ルキウス様、私は仕事が忙しいのですが」
ヴァルファーが言った。
「大丈夫だ、心配するな。私も非常に忙しい」
ルキウスが諭すように言った。
「忙しいなら仕事に戻られては?」
ヴァルファーが事務的に言った。すっとした立ち姿に距離を感じる。
「忙しいからこそ釣りだ。こんなときこそ落ち着く必要がある」
ルキウスの眼前にはどっぷりとした黒い水平線があった。コモンテレイ北の海、誰もが避ける人外魔境ギルイネズ内海。足元には濡れた黒い砂利が広がっている。
「私は落ち着いているので帰ってもいいですか?」
「ヴァルファー、運搬役とふたりだけでやれというのか? 初撃で海中に引きずり込まれたら全滅するぞ」
ターラレンも来ている。さらにペットのコロンボもいる。彼女はルキウスより大きなギガスペンギンで、千レベルあり水中戦ができる。
「それはもっともですが、魔魚は飛ぶのですから、匂いで陸に引き寄せればいいのでは?」
ヴァルファーが黒い海を見てわずかに目を細めた。
「わかっていないな。私は海が見たいんだよ。それにお前が趣味でも持ったらどうかと思ってな。外の趣味だぞ」
「仕事が減れば、少しは外に出られるというものです。そもそもスンディの件も集束していないのに、新しく――」
「あれが最善だった。予定どおりだ問題ない。任せる」
ルキウスは言いきった。ヴァルファーはターラレンに助けを求めた。
「ターラレン、一言ぐらいないのかい?」
「ここの調査は必要、これまで遠目に地形を確認しただけだ」
ターラレンは釣り竿を出して、それを眺めている。
「コロンボも魚が食べたいだろ? 魚が恋しくなるよな」
ルキウスがコロンボの筋肉質な翼を触った。
「のど越し第一なので、トウモロコシでいいです」
コロンボは凛々しい目つきで立派なくしばしを動かした。彼女は頼りない歩きで水面に寄ると這いつくばり、浅瀬に浮いて波に打たれだした。
「そうか……」
ルキウスは残念そうに釣り竿をインベから出した。彼は餌を釣り針に付け、軽く竿を振る。魔力で作られた糸が長い放物線を描いて。五キロ先にぽちゃんと着水した。
「そちらの餌はなんです?」
ターラレンが言った。
「ピーマン」
「それで釣れますかな」
「鉄や石まで食べるのもいるっていうから、いけるだろ」
ルキウスは音波探査魔法で足から土中の様子を探った。火山岩だ。二人も熱や液体を媒介にした探査魔法で警戒している。それでも海が相手だと範囲は短い。悪魔の森にいるときと比べると、かなり緊迫している。
「やはり海を深く探るのは無理だな。貝殻拾いをやりたかった」
「貝の魔物は見あたりませんな」
ターラレンが言った。
「貝殻が拾えないなんて、海とはいえないだろ」
「触媒の貝なら確保していますよ」
ヴァルファーが言った。
「カルシウムを求めているんだよ」
「肥料ですか?」
「いや、土壌にはまあまあある。海中の話だ。骨のない魚は食べたくない。絶対不味いぞ」
「今でなくともよいのでは?」
「なら、ほかの海で大量の貝殻はあるか? 石灰岩層なら、なお良だが」
「海で、ですね? そういえば確保した触媒は川の貝が多かった気が」
「できれば年代が、形成の経過がわかりそうな古い地層がいい」
「触媒探しの際、スンディの書庫を見ましたがなかったかと」
ターラレンが考えながら言った。
「ああ……貝どころか何もない。カニとか地上を来る魔物もいるという話だったが、人の痕跡はあるのに」
遠くには家屋の土台がいくつか残っていた。大戦前のものだろう。
「海が魔境でなければ使える土地です」ヴァルファーが言った。「おおむね大陸中央部が高地であるため、邪悪の森の水域は砂漠に入ると潜って姿を消し、北上するにつれ帯水層が地上に近づきます。ここでは湧出するでしょう」
「おかげで荒野にあるコモンテレイでも水はある」
「水と言えば、農業用井戸も増設が必要です。貧民に簡単な職を与える必要がありますので、水やりぐらいさせては?」
今はルキウスが畑を回って水を撒いている。
「ビショビショにしてくれるぞ。あいつら加減がわからない」
水が足りない分にはいいが、過剰だとルキウスも対処できない。彼としても、住民に苦労して農作物の面倒をみてほしいところだが。
「職務に就かせないと組織化できません」
「わかっているが、普通のことをさせてもつまらないし……釣りながら考える。お前たちも楽しくやれ」
三人は離れて並び、おのおのの構えで海に向かった。考え事には釣りがいい。
(この大陸はほとんど石灰岩が無い。大理石はまあまああるが、不自然に固まってドーンとある。海にカルシウムが沈殿していないなら、海ができてから歴史がない)
もしも、この海が地球の海と違っていれば、カルシウムが少なければ、道理を無視して脊椎動物が発生したことになる。彼はなんらかの道理はあると考える。
「海水は生命の根源、何かわかるかと思ったが、釣り竿に考究効果でもつけとけ。今と最初がわかれば……やめよう、イライラする。別のだ。メルメッチに弟子はいない。ソワラ、アブラヘル、ゴンザエモン、テスドテガッチにはいたな」
ルキウスは黒い水面を眺めなら呟く。
弟子、というのはアトラスのシステムに存在する。
後続ユーザー支援の要素が大きいシステムで、一キャラが弟子にとれるのは三人まで。それなりに親しくないとやらない。
通常は上位の職業に就くには、前提となる手前の職業レベルが百必要。これの短縮はキャラ強化の基本。特に、戦士、忍者などの初期職業は省略が望まれる。
〔上忍/ジョウニン〕の弟子として指導を受ければ、〔忍者/ニンジャ〕レベル五十で上忍になれる。
これは職業熟練の第一段階をクリアする手段の一つだ。ほかにも複数イベントのクリアや、アイテムで可能。
第二段階を突破すれば、初期職業は完全カット可能。これは莫大な物資、時間を消費したり、腕を問われる試練があり、達成は難しい。さらに転生時にスキルポイントを大量に消費して、スキルを揃える必要がある。
ちなみに森野伏の試練は、基礎職業レベル百、森野伏レベル二百のキャラで、五百~八百レベルの魔物が闊歩する森で八時間生存することである。大半は十分で死ぬ。サバイバル系のゲーマーは、集中力を維持できればなんとかなると言う。
ルキウスは森野伏と自然祭司を完全カットできるが、両方とも五十レベルある。これをカットするのは割に合わない。
完全カットは職業構成的にポイントが余っているプレイヤーがやる。
ただしポイントを得る手段は、レベルを上げる以外にもあった。
【来世の幸甚】の使用により転生すれば、追加ボーナスを得て転生できるが、イベントの上位しか手に入らない。ルキウスは森関連のイベントしか本気でやらないから、転生回数と別のボーナスは少ない。
「プレイ時間の短い人や無駄を捨てたい人には弟子システムはありがたい。サポートごとにクエやるのは面倒だし。しかし、賢愚者に親しい人はいない」
賢愚者は、変身能力に長けた魔法的な盗賊。心臓を盗んで隠し弱体化させる、確率で自分か敵が死ぬ、近くにいるプレイヤーの見た目をシャッフルする、自分の手足を敵と交換する、ものまねなど、癖が強い。
賢愚者六人パーティーで、手、足、頭を入れ替えての旅道中動画が出て、一時期、人体入れ替え遊びがはやった。あれは基本歩けない。せめて両足は同一人物にしたほうがいい。
「候補はひとりいるが」
師は土精で奇術師、賢愚者は上位の候補になる。しかし、街で交流して遊んでいるタイプで、あまりレベルを上げない。
ただし、ネズミを助けた忍者の名前はわかっている。スローター・ノーバディ――という名は、若い頃の師が挑んだ惑星で、開拓者を苦しめた隠密性が高い肉食生物の通称だ。
「誰にしてももう死んでる。大陸外とは、大戦前でも安定した航路がなかったというし、今はもっと確認できない」
海の女神のほうが問題だ。プレイヤーなら時間的に死んでる。しかしレイドボスか何かなら今も海の中だ。いきなり大洪水を起こされてはたまらない。
「しかし難しいか」
大魔法を数十回でも、大陸を丸ごと沈められない。
威力的に超大魔法。代償の大きさから、ギルド戦ですらまず使われない。
膨大なアトラス金貨の消費、ボーナスなしで強制転生は当たり前。このペナルティは、存在消滅、人形になる、永久に眠り続ける、体がバラバラになって封印される、宇宙に溶ける、精霊になって世界を見守る、など多様に表現されるが、とにかくキャラは使用不可能だ。
人生七回を呪われて過ごすなど、転生後ペナルティの場合もある。膨大な物資、一般生産プレイヤーの千年分超も、たいてい条件にある。使わせる気あるのか疑わしいものばかりだ。引退特攻に使うのすら難しい。
このように使われないので、彼も超大魔法に何があるか知らない。ただし、自分が使えるいくつかは知っている。
最も強力と推測されるのは、二百レベルで自動習得する〔降臨/アドウェントゥス〕。効果は『古き緑を召喚する』だ。多くの神々で同格になる魔法は、『真の力を発揮する』で何がどうなるかわからない。古き緑は召喚魔法とわかるだけいい。
「……大洪水、海水が消費触媒ならいけるか、海あるし。アトラスならパーティー全員のインベが超圧縮海水の入れ物でいっぱいになるが、海中で魔力を通せばすべてを術式に組み込める」
糸をゆっくりたぐるが反応はない。
「まあ、ひとつは確定。もし師であれば、あれから何かあったと考えるべき」
ルキウスは釣り竿を左右に動かす。
「釣れんな。狂暴というからどんどん来ると思ったが」
ルキウスが竿を軽く引いて、三キロぐらいまで引いた針を空中に上げた。そこに小さな羽を生やした魚が、海面から飛びあがって食いついた。
「お」
ルキウスが喜ぼうと思ったら、最初のよりやや大きい魚も海面から飛び出した。同じ餌に食いついたらしい。
「おお」
その二匹を狙って、大きな魔魚が食いついた。二匹同時に一口だ。針にもかかっている。これはチャンスだ。伸びた糸を縮めていく。
「おおおお?」
海面からぬっとクジラのような大きさの魚が顔を出した。それが爆発的な勢いで、大きな魔魚を飲みこんだ。フグのように四角い体で、ねじまがった棘が六つ生え、体表面が岩のようにごつごつしている怪魚だ。
「え? のおおおおおおおお!」
糸のたるみが消え、ゴンッ! という衝撃が腕に来た。重い。釣り竿がしなる。
「竿を強化しろ!」
ルキウスは言い放つと、両足から地深くへ根を張って、体を地面に固定した。二人がすぐに助けに入り、釣り竿に魔法をかけた。
「くそ強いぞ」
「無理では? 糸がもちません」
ヴァルファーが沖を凝視して、冷静に言った。沖では巨大魚が身をよじると、ルキウスが揺さぶられた。
「距離が遠いのう。一キロぐらいまで来れば、精密に焼けますが」
ターラレンが言った。次の瞬間、巨大な灰色が怪魚を空高く突き上げた。怪魚が小さく見えるほどの巨大サメ、見るからに頑丈であり、同時に機能的な美しさがある。それが怪魚の腹に食いついている。恐るべきことに、口の幅は三メートル以上ある。
「ひとの獲物だぞ、こらあ!」
ルキウスは思わず叫んだ。千レベルを超えている可能性が高い危険な相手だ。しかし、どうでもよかった。
アトラスでは釣り人系の特殊技能を持った職業でなければ、あのサイズの魚はそもそも針にかからないのだ。貴重な獲物をやられた怒りが爆発している。
サメは一口目で仕留めたと思ったのか、ゆっくり空中に浮き、再度噛みつき、ガッガッと咀嚼する。
ルキウスはずっと引いているが、まったく糸を縮められない。
「サメですか……五十メートルぐらいある。未知の怪獣や神獣では」
ヴァルファーが細剣と魔法盾を構えた。
「念のため、退避準備に入ります」
ターラレンが言って、魔法を準備した。
サメは食べるのをやめた。ただ空中に浮かんでいる。表情がないから何を考えているのかわからない。サメは周りを警戒した動きで空中を漂うと再びかみついた。
「強力だが……顔は普通のサメだ。人の獲物だって言ってるだろうがっ! 放せ!」
ルキウスが釣り竿を引いて叫んだ。コロンボがルキウスの隣に来て、翼で釣り竿を挟んで加勢したが、釣り竿は動かない。
「聞こえていないのでは? それ以前に理解できるかどうか」
「あれは食べたくないかも」
コロンボが鳴いた。
「遠慮するな、挑戦だ。ぐお、背骨折れそう、あ、またかじりやがった。これでも食ってろ」
ルキウスは黄金林檎を作り、思いっきり投げた。それはヒューンと飛びサメの鼻先に命中、海に落ちた。水面に浮いている。サメはそれに反応して、探るように黄金林檎の周囲を一周した。
「ちょっと! ルキウス様、強化されるのでは」
ヴァルファーが血相を変えた。サメはすぐに黄金林檎を飲みこんだ。何を考えているのかわからない顔で浮いている。
「今は釣りだっ!」
ルキウスはこの隙に残った魚の体を引く。サメは空中でじっとしている。どことなくこちらを窺っているようにも思える。
竿に大量の魔力が注がれた。半分になった巨体が引かれ、弾丸のように飛ぶ。そしてルキウスの上を越え、はるか後方に落ちた。
「よし! 勝った。ごあ!」
ルキウスは縮み続ける糸によって後ろへ引き倒され、後頭部を強打した。
サメはそれを見ていたのか見ていないのか。ゆるりと空中を泳ぎ沖に進む。食後の休憩に見える。
「こらー! 食い逃げはゆるさんぞ。代わりにウナギ持ってこい! ウナギだ、でかいやつをな」
サメは無反応で静かに海中へ去った。海面では、こぼれた血肉を漁る小型の魔魚が群れをなしていた。
「ハハハハハ、通じませんでしたな。しかし腹は膨れたのやも」
ターラレンは豪快に笑っている。ヴァルファーは仕事が終わった顔。
「半分になったが釣れた」
ルキウスは怪魚を引き寄せると切り分け、コロンボにやった。
「美味いか?」
「のど越しはいまいちなので」
「つるっとはしてないだろうな」
「味はわからないので」
「それは残念だが、今日の食――」
ヴァーン! という音がして、遠くの海面が爆発し、空を突く水柱が立った。ややこちらへと向いている。その根元には、翻る巨大なサメの下半身。あのサメが尾びれで強烈に水面を打ったのだ。しかしすぐに背びれ、尾びれと水中に消えた。
「なんだ?」
水柱が散っていく。その先端に黒いうねるものを発見した。かなり大きい。
それをルキウスは視た。オーラはサンティーと同じ金色で、鋭く跳ね回っている。それがこちらへ飛んでくる。黒い紐状の魚、丸まってわかりにくいが十メートルはある。それがまっすぐ、すさまじい速度で向かってくる。このまま頭上を通過する。
「雷迎撃の七! 〔暴雷鰻/チャクイール〕と推定!」
ルキウスが叫ぶと、ヴァルファーが前に出て盾を構えた。盾からオーラが湧き出して形をなす。巨大な盾を思わせるそれが、ルキウスたちを包む。バン、そこにあいさつの雷撃が飛んだ。完全にかき消している。ダメージはない。
「〔火の嵐/ファイアストーム〕」
ターラレンが前に杖を向けると、ルキウスのものとは比較にならない高密度の炎が吹き荒れ、暴雷鰻を焼いた。暴雷鰻は苦しむように激しくのたうち、四方八方へ全力の雷撃を放った。一帯に雷が降り注ぎ、轟音が鳴り響く。ヴァルファーがそれを受け続ける。
「射程延長、〔太陽光線/サンレイ〕」
ルキウスの手から無数の光線が発射され、暴雷鰻のあらゆる場所に命中した。
ルキウスはこの光が暴雷鰻の目を焼いたと判断すると、背中の二つの剣を同時に抜いた。
暴雷鰻そのものが陸に達する。目の前に雷の塊がある。
ルキウスは、被弾覚悟で前へ飛んだ。そして正面から長い胴体に連続して斬りつける。深くは切れていない。暴雷鰻は即座に反応、電気を帯びた胴体がしなってルキウスを打つ。ルキウスはこれを剣で受け、体が離れる直前に、足先で胴体に触れた。
「枯死」
ルキウスが派手に弾かれ、地面に転がった。多少皮膚が焼けた。暴雷鰻の表面から独特の粘りが失われ、表皮にややしわがいった。
「粘膜は奪った」
コロンボが顔を上向け、砲弾のごとく暴雷鰻の下方から突撃。その大きなくちばしを首筋に深く突き立てた。そしてコロンボが羽ばたくと、暴雷鰻が縫い留められた。
暴雷鰻の注意が下に向き、コロンボを巻こうと筋肉の紐がうねって迫る。
ヴァルファーはすでに暴雷鰻の頭の前、〔骨貫通/ボーンペネトレーション〕の魔法を発動している。彼の細剣が正確に脳を突き抜いた。
「仕留めました」
ヴァルファーが暴雷鰻を軽く蹴って優雅に着地、すました顔で言う。
「どうです? これこそ完璧な一撃、見ていただきたい、あの一筋の穴を」
「な! 魔獣だったろ? サメがウナギを用意してくれた。賢そうな顔だったもんな。私は最初からわかってた。言えばわかるってな」
ルキウスの機嫌は一気に最上まで上がった。
「……一瞬で疲れました。さっさとあれを転移で送って帰りましょう」
ヴァルファーは気を悪くすると、細剣で転移陣を地面に描き始めた。
「タドバンが喜ぶ」
「成果があってなによりですな」
ターラレンが海を警戒しつつ横目でルキウスを窺った。
「ああ、海に待ってる人がいないとわかった。魚だけだな」
(やはり帝国軍が海を越えるのは無理だな。海路で補給はできまい)
ルキウスがコモンテレイの本部に帰ると、マリナリが出てきた。
「ウナギ釣れたぞ。今日は――」
ルキウスは言葉を途中で切ってマリナリの顔を見た。
「お客様です」
コフテームならともかく、このコモンテレイに彼を尋ねてくる客などいない。用件はマリナリにことずければ済む。そもそも町の人はルキウスの名前を知らない。
マリナリの歩行は精密だったが、歩幅は七、八ミリ大きかった。そして崇拝がない。
「来客室か?」
「はい、それで」
マリナリは何か言おうとしたが、ルキウスはさっさと廊下を抜け、来客室へ入る。
来客用の椅子で、やや太った生真面目そうな男が小さくなっていた。推定で百八十センチはある。
「あ、どうも。かつてプレイヤーだったものです」
緊張した様子の男は、小さな声で言った。
「なるほど、それはそれは。そうですか、かつて……かつて?」




