基地の夜
思ったよりも酷かった。二つの月に照らされた荒野を見たルキウスの感想だ。
確実に八時間は過ぎた夜空にて、月の片方は大きく、鮮やかな緑で美しい緑光をまとい輝く。もう片方は小さく黒に見えるが、よくよく見ればわずかに青を含む。
アトラスにはない夜空のパワーゲームが彼の目を惹く。
アトラスの空は古代地球の空だ。
煌々と輝く赤い巨星、古き記録に点在する赤いシリウスこそがアトラスの夜空の証。その偉大な赤は空から失われている。
生命の木では一部の例外を除き、すべてのサポートが呼び出されている。
これは防衛のためだが、呼び出された魔術師達は夜空に仰天し、光学望遠鏡、電波望遠鏡、魔術的アストロラーベをせっせと引っ張り出し、天測を始めた。
結果として、生命の木の敷地の一角には天体観測所が建築されつつある。
天体の運行は大魔術に少なからず影響をもたらし、場合によっては深刻な事故を産むそうだ。
その魔術師たちの勢い、特にターラレンは森を灰にせんばかりの過熱ぶりで、至近距離、大音量、早口で複雑な学説を垂れるその迫力は戦車砲のはるか上。
ルキウスの魔法にも季節が関係するものがあるので無関係ではないが、季節はなんとなくわかるし、天測などできないので、任せる、の一言を置いてきた。
とにかく、ここは惑星アトラスではないと確定した。
ルキウスは、宇宙がもたらす無限の屈折した希望と華やかな絶望を内包しうる思索から離れ、視点を地上に戻す。
この荒野は地獄だ。汚染の強さは村周りの比ではない。
それでもここは人の暮らす基地の周辺だから汚染は軽いらしい。少しは浄化したのか、汚染が少ない場所に基地を建てたのだろう。
遠くに、荒野の果てに目を凝らせば、地の底で呪詛と憎悪に根気よくいぶされて陶酔に至った黒煙は、不自然に曲がりくねり天に達する。人を永く待ち、来訪者にすかさず絡みつく怨恨奉仕員の居住地が延々と広がる。
これは四百年前の戦争で描き出された景色。この滅びを人が達成できたことにまず恐怖する。その次に、この技術の保持者が現存する可能性を警戒した。
一度、全部破壊してしまった方がいいだろうか。文明のすべてを。
いや、それを考えるにはまだ早い。ルドトク帝国本土の技術水準がわからない。二千年前の遺跡も気になる。情報だ、情報が足りない。ここ数時間の思索はことごとくが情報不足によって阻まれる。
ルキウスは狂った自然原理主義者ではない。
再構築以後の世界を生きる人類にとっては、こじれにこじれた状況の打開を試みるよりも、すべてを更地にしてやり直すべきとの考えが常識的だ。再構築という成功体験に起因するあの時代の主流思想、再構築主義だ。
限界まで悪化した状況を立て直そうとするのは無駄であり、より悪化するだけで愚劣と考える。
しかも森ありきの森の神と、機械工業文明の基本思想との相性は最悪。完全に相いれない。不足した情報の中に、この溝を埋める宝が眠ると期待するしかない。情報の不足、未知とは、閉ざされた視界であると同時に、味わったことのない欲望で熟れた果実だ。
ルキウスはこの果実が大好物だ。
「まあいい、どっちにしろ、あの基地は更地だ……」
ルキウスは願望主義に陥る前に思索を打ち切った。
夕と同じ六名が見る先に、サーチライトを振り回すコンクリートの巨体が鎮座する。
ルキウス、ソワラ、カサンドラは仮面を着けている。物理的に情報を遮断するのが、確実で有効な情報漏れ対策の一つ。
ルキウスは人生初めての戦前。戦車は虫を払った程度の感覚でしかない。森の深部の虫型魔物のほうがよほど強い。
周りを固める部下が何を考えているのかはわからない、根本的に生まれから性質からが違う。
それでも、こいつらがここ向きとはわかる。地球よりアトラスのほうがここには近い。
今夜はこいつらの勢いに乗ると決めた。それがいいのだと自分に言い聞かせた。
基地攻めの作戦はヴァルファーに任せた、一番軍事情報を聞き取っているという理由で。森の防衛ならばルキウスにもやりようがあったが、基地攻めとは無縁だ。
部下には指揮系のキャラクターがいない。いれば組織運営などを任せられるが、使える人材でやり繰りするしかない。
単純に【知力】のパラメータは、ソワラの方が高いけれども、彼女に任せたなら、ある種の先鋭的な、非常に独創的で不自然な自然風景を形成するような、異端が正統に転化するような結果を導きそうな気配を粘つかせているので回避した。
「ルキウス様、大丈夫ですか。なんなら今からでも外での補助に回られても」
「問題ない。心配するな、ソワラ」
今回は心配されても仕方がない。ここではルキウスが一番弱い。ただ、基地を破壊するだけなら、多少の事故があっても問題ない。広範囲を破壊する魔法を撃ちこむなり、森を召喚すればいいのだから。
だが今回は目標を、基地の破壊、情報隠蔽、情報の確保に定めた。
「節約戦闘だからな、でかいのはなしだ。触媒の入手手段が未確保だ」
「己には関係ねえぜ」
ルキウスがゴンザエモンに言い聞かせても、右から左に抜ける。
上位の魔法を使っていては、入手手段がないアトラス金貨は十年待たず尽きる。
金貨の残量はすべてで十億強。全力の通常戦闘で、魔法使い一人につき、金貨二百万に物資を失う。完全に消費効率を無視すれば、ルキウス一人で一億消費する。
「大将の分を、己が斬っても子細はないぜ」
「お前が変なのを食らわないかが最大の心配だな」
無邪気に機嫌よくしているゴンザエモンに不安を感じる。
「先に悪いものは視えませぬ、大した相手は姿を現さぬでしょう」
カサンドラは基地を見ていたとしても、その眼に映るのは他人とは別のものだ。
「そうですぜ、ずっとこれも装備してるんだから、大丈夫だって」
ゴンザエモンが右腕の数珠を見せる。
「お前たちが私の心配ばかりして、こいつを心配しないのが不思議でならない」
「ゴンザは元々たまに死ぬだあ」
「別にあれは死んでも問題は皆無ですので」
テスドテガッチとヴァルファーが容赦なく斬り捨てる。
「やってやられるのが戦ってもんだろう、大将」
ゴンザエモンはむしろ自慢げに構えている。
「ルキウス様、皆さん。準備はよろしいですか。空から確認した範囲では事前の情報どおりです。問題なければすべてを予定どおりに」
悪魔型になっているヴァルファーの最終確認が終わる。六人は存在感を消して散った。
「そろそろ寒くなるな」
「そうだな、ただでさえ陰気な僻地だってのに余計に気が滅入る」
「ここは本当に何もない、石、石、魔物だ」
六人の兵が、基地内の通路をとぼとぼ歩き、門へ交代に向かっている。
この基地は四角形の敷地を持ち、四方は高さ約五メートルのコンクリート壁で囲まれ、東西南北に門がある。組織的な攻撃を受けることを想定しておらず、敵を引きこんで迷わせるような造りでもない。
主用道路は黒いコンクリートで舗装され、壁か建物が脇にある。基地はほぼ碁盤状の作りで迷わない。
「いるのは化け物と狂った機械だけだ」
「本土なら魔物によっては実入りがあるがな」
「あんなわけのわからない物は食べられませんよ」
「たまに食おうとする奴がいるぜ。食えないこともないって」
「おい、なんだ、あれ?」
「ああん、どうしたってんだ」
指さした先、照明で照らされている門が何かでごちゃごちゃとしているのが見える。兵が足を止めた場所から門までの道は、照らされている。
「なんだこれは?」
「植物だな、間違いない。見たことがある」
「……当直はどこだ、見当たらんぞ」
横開きの分厚く大きな鋼鉄の門には、どこから現れたのか、さまざまな植物のつるが厚く巻き付き、その機能を阻害している。門の横の見張り塔にも門の周囲にも人影はない。
兵たちが初めて見るこの異様な門の影は、月光と静寂で飾られた。
不意に、バタッと倒れる音、後ろから聞こえた。
前にいた三人が振り向く。後ろの三人は地に伏していた。
代わって立っているのは、場違いな服を着た存在。服だけではない。顔は大きな角の生えた牛、背中には大きな鳥の羽が開かれ、わずかに浮いて影が落ちている。
声を出す間もない。羽牛が素早く軽やかな一歩を踏み出すと、その手の刺突剣は、熟練した指揮者が指揮棒で軽くリズムを取るように流麗に動く。
前の三人も額に空洞を作り、一斉に倒れた。
「まだ騒がれるには早いのです。ですので静粛に退場してくれたまえ、大丈夫、寂しくはないよ、皆一緒ですから」
羽牛はその姿を見せつけるように基地の空を舞う。
四つ目の門を施錠したルキウスは気配を殺し、壁に沿って進む。門の警備を一方的に駆逐した以外に戦闘はない。
(楽な潜入クエストだ)
顔にはアステカ風の緑を基調とする石仮面。目を見開き大きく口を開いた表情だ。それは怒り、歓喜、恐怖ともとれる奇怪さがある。
最初に数発の銃声がこだましてから、じょじょに銃声が増え、途切れなくなった。夜の基地が目覚めた。
「始まったか。これが戦場の雰囲気ってのかね。なら、そろそろこっちにも来るか」
通路前方の角からモーターの駆動音と共に、ごつごつと膨らんだ人型のシルエットが三体滑り出た。
「完全機装兵、初期世代の重装備系か? いきなり当たりを引いたか」
機装兵とは、動力の付いた機械装甲を身に着けている職業だ。
完全機装兵は鎧騎士の機械版のような存在で、全身を機械装甲に包まれている。機械装甲はモーターなどで動きを補助、強化され、主にバックパックにある推進機で機動力を確保している。
「侵入者捕捉、攻撃開始」
ドガガガガガッ、これまでにない重い音が連続する。三つの光が盛んに明滅して機装兵の手元を照らす。
ルキウスはちらつき暴れる射線を左右に動いて避けつつ、迎撃魔法を展開する。
「〔神銀弾の迎撃/ミスリルバレットパリー〕」
ルキウスの胴周りに、月光で白い輝きを放つ神銀の弾丸が多数浮遊する。神銀の迎撃者は、ときおりかすかな光とともにカンッと音を鳴らし、飛来する金属の刺客を押しのける。
上位プレイヤーの攻撃であれば、あっと言う間に迎撃の弾丸は消え去り、再度魔法を使う必要があるが、撃たれ続けても弾丸は数を減らさずルキウスの周りに滞空している。
「弱い、完封できそうだな、このままであれば」
彼はつまらなそうに、右へ左へ素早い回避運動をしながら後退する。
機装兵は足を止めて大型アサルトライフルで射撃を続ける。歩兵では扱えない大口径だろう。それでもルキウスには大差がない。
この程度はどうとでもできる。機装兵が飛び出した瞬間、ルキウスが感じた圧は、霧散した。
初歩的な装備は記憶にないが、五百レベル以下のプレイヤーの装備と判断する。
アトラスでは、五百までのレベル帯はすぐに通過する。その結果、町で見るプレイヤーの過半数は七百レベル以上だ。
上位の機装兵の機装は、貴族が身にまとうプレートアーマーと同様に芸術的で、かつ未来的でスマートなデザインだが、目の前の機装兵はあきらかに金属の分厚さで強度を確保しましたと言わんばかりの造形だ。
でこぼこした丸みのある装甲は、攻撃を反らすための構造だろう。目の部分には丸いレンズが並ぶ。眼鏡のように目の前にある構造だ。その後ろに装甲が無く、レンズが弱点になる。この問題も上位の頭部機装なら解決されている。
さらにマスクを着けた口元が露出している。これは呼吸と会話のためだ。露出部は直接的な弱点であり、状態異常を受けやすい。
ただしこちらは、上位モデルで必ずしも気密型にならない。気密型は防御力が高い一方で運用コストが上昇し、活動時間が短縮されてしまう。
「おい、なぜ倒れない。当たっているはずだ。あれはなんだ!?」
「何かに弾かれているぞ、魔法使いだ!」
「でかいやつを使え」
機装兵たちは主推進機で一気に加速した。機装兵の背が白い光で輝く。
「アトラスの初期頃か? あんな感じだった気がする。遺跡とやらの技術は使っていない。戦車とさほど変わらん」
ルキウスは接近を図る機装兵を相手に、ほどほどの距離を維持しながら広い通路を走り回る。射線を避け、悠然と観察する。
舐めているわけではない。魔法で攻撃の威力を削ぎながら、距離を維持して攻撃、あるいはどこかで隠れて接近、奇襲がルキウスの定石だ。
機装兵が射撃を続け、それをひたすらかわし続ける。
腕は可動部が狭いのか、射線が追ってくるのが二呼吸遅い。
(反応が鈍いな、あのゴーグル、視野が狭そうだ)
機装兵の肩辺り、バックパックユニットの穴から安定翼の付いた筒がブシュッと射出された。さらに機装兵は中腰で推進機をふかし、距離を詰めようと試みる。先頭の兵はブレードを抜いた。接近戦に切り替えたと見える。
(ミサイルか)
「〔熱迷彩/サーモカメレオン〕」
煙を噴いて加速したミサイルは、ルキウスのかなり上方を通りすぎた。
「やはりシーカーは熱探知のみ、技術全般が機械系の初期レベルであるようだな。あとは鹵獲して調べよう」
やや屈みながらもう用はないと告げたルキウスは、左に飛び射線を切り、即座に切り返して右の壁へ向かう。そこから壁の側面を駆け上がり、さらに上方へと跳躍する。
ルキウスは高速で接近してきた機装兵のはるか上で、回転しながら軽く基地の様子を確認した。基地内は明るくなっている。星が見えなくなった。
「上方! 減速」
(無理に減速するより、加速して抜けるべきだ。敵支配エリアに侵入しない教則があれば追ってこなかっただろうし)
機装兵は、視界の上方へ消えたルキウスを追うために姿勢を変えて減速、上を覗き、可動部の関係で動かしにくい腕で強引に銃を上へと向けた。
それを見たルキウスは空中で体をひねって反転しながら、空を思いっきり蹴る。足の裏が何かを捉え、下へ強く跳躍、瞬時に機装兵の右後方へ着地した。
最寄りの機装兵の腕を片手でつかみ、さらに体をひねり、逆の手を伸ばして剥き出しの首元に触れる。
「〔人種枯死/ヒューマンブライト〕」
掛けた魔法の効果を見とどけず、掴んでいた兵を放り出し、先頭の兵に突っこむ。
横に振りぬかれたブレードをかいくぐり、接近してまた首元に一瞬触れ、同じ魔法を使う。その勢いのままに三人目にも同じ手段をとった。
三人は脱力して、続けざまに倒れた。金属の摩擦音を鳴らし火花を散らし、道を滑っていく。
「対人戦の経験がないな、銃は距離を空けるのが基本だろうに。まるっきり魔法を知らん、距離を空けておけば簡単に魔法はかからん」
ルキウスは足を止めて、道に転がっている三人の機装兵を見た。
わずかに見える肌は深いしわで満ち、完全に水分が失われてミイラと化している。
「これで機装は確保だ、ん?」
ルキウスがモーター音に振り向く。また、機装兵三名が背中の推進機から光を噴き道を加速してくる。彼はそれを確認するや否や、一気に走り距離を詰めていく。
(同型、状況を理解する前に始末する)
彼らが発砲すると同時に跳躍、隊列の上を飛び越えながら魔法を使う。
「同型は間に合ってる。〔上位・集団金属加熱/マス・グレーター・ヒートメタル〕」
機装兵たちの装甲が赤く発光し、銃が暴発した。すべての兵が締めあげられたような断末魔を上げながら前のめりに倒れ、ガガガッと道に擦って転がる。
ルキウスは静かに着地すると、足を止めて振りむく。機装兵の装甲は、高熱で溶け地面にへばりついていた。中身の様子はルキウスにもわからない。
「うへ。対金属装備とはいえ、破壊されるとは。現実になるとああか。魔法対策に念を入れないと酷い目に遭いそう。ああならないように願いたいものだ」
誰にも訪れる最後。自分が死ぬときは、笑える死に方がいい。
これは愉快な死に方リストに登録しない。斬新さとユーモアが足りない。
ルキウスが少し顔をしかめていると、頭の前で突然カンッと甲高い音が響き火花が散った。
彼は顔を上げ、音のした方向をすぐに見た。視線を向けた先、かなり遠方の屋根に狙撃兵を発見する。
「狙撃か、いいだろう、全部相手にしてやる。今夜は全力で攻撃だ、たまには攻撃も悪くない、いつも防衛だからな。派手にやってここで目立つ」
仮面の男が迎撃者たちを連れ、風を切って駆ける。




