混沌2
「土なら外の農場にあるぞ」
レミジオが言った。
「あんな乾いた土はゴミなのでございます」
「農家がかわいそう過ぎるだろ」
メルセンは緑のつるを腕力でなんとか除こうともがいていたがあきらめた。なんとか精神集中して、詠唱無しの自前の魔法で除去すると、またも猛烈な勢いで追いついた。
「勝手に話を進められるな」
「文句があるなら帰られよ」
レミジオがぞんざいに腕を振った。
「本気で機神を呼ぶと? あれは神代の技術においても秘儀の中の秘儀。この女にたぶらかされたか」
「知らねえよ。だがな、何かは起きるかもって思ってんだよ」
マリナリは進む。その後ろをふたりが争い、さらに後ろを教会の小集団がついてくる。
戦闘が行われたらしい区画に出た。大通りだ。富裕層向けの服飾、精密機械の店舗のウインドウが粉々になって、いくつかの装甲車の上では炎が揺らぎ、死体か負傷者が点々と横たわっていた。
「神父様、夫が撃たれたのです。どうかお助けください」
中年の女が後方の神官にすがりついた。夫らしいのは建物によりかかって座っていた。神官は困っている。誰でも治療できるわけではないし、神官は司祭でもなく、この状況では自分の身を守るのに力を使う。
レミジオがそれを気にしたが、すぐに前に視線を戻した。死にそうな奴は平時から多すぎる。
マリナリが、振り向かず後ろへ小さなレッドベリーを投げた。それは力ない夫の口に飛びこんだ。
「おお・・・・・・これはいったい?」
夫が元気に立ちあがった。レッドベリーに大した回復力はないが、止血ぐらいはできる。それに欠損が無ければ、レベルが低い人間は全快してもおかしくない。
「あれは何をした? 何が?」
メルセンは後方を気にしつつも足を止めない。そして横を見た。レミジオは目線を逃した。
「知らねえって。何も知らねえからな。俺は何も知らねえんだ」
それから負傷者か何かわからないが、人々が集まり数十人になり、マリナリはレッドベリーを適当に撒きながら直進した。さらに何かわからないがとにかく安全とでも思ったのか合流する人間もでてきて、五十人ぐらいになった。
三番映画館の前を通ると、入口は破壊されており、中に貧民がたむろしていた。中心では男が雑多な武器と食料を片っ端から配っている。
「軍を打倒して自治権を取り戻せばたらふく食えるようになるぞ。映画だって新作が見放題だ。基地へ向かえ、軍人を追い散らすのだ。続作は軍基地に封印されている」
変わらずマリナリがすたすた行って、一区画を越えた。四番映画館に近づくと 煙が濃くなった。身ぐるみを剥がされた死体が非常に多く転がっている。
すでに戦闘の中心ではないらしく、戦闘音は南東より聞こえた。大量の薬きょうが転がって、包帯を巻いた負傷者が道端に座りこんでいる。
映画館に隣接した横道から、カラフルな一団が陽気な気配で出現した。色とりどりの羽根やレースなどの装飾がある華々しいドレスや、実用性のなさそうな仰々しい鎧を着て、銃を片手に酒を飲みながら騒いでいる。
多くは華美な帽子や仮面などで限界まで彩られているが、古臭いローブや歴史めいた普段着を着た者も見られる。
暗くても顔がはっきり認識できた。日焼けしていない。
これまで町にはいなかった。マリナリが歩みを遅める。
「なんの方々でしょうか? 心覚兵ではないですよね?」
「あんな服は文化主義者どもだ。金持ちの道楽だよ。本土じゃそこそこ見る。もちろん路上ではなく、それなりの催しでだが。ここにも結構いたんだな。昔は景気よかったし、名残か」
「なるほど」
大きなカメラを肩に担いでいる者が集団の後ろにいる。この集団をはじめ、周囲の光景を撮影している。こちらは何かの撮影隊らしいが、やや素人感があり右往左往して撮影に難儀しており、これからどうするかを論議していた。
「救いようのない愚か者どもだ」
メルセンが睨みつけた。
マリナリが服をウィピルに変化させた。
「あ?」
レミジオがとまどってマリナリを二度見した。
「イメチェンでございます。進行路にあるならこれも運命」
「こんなときこそ、私たちの文化を示すときよ。この隙を逃す手はなーい。軍のボケどもがいない今こそチャンスよ。これは真なる自由、一世一代の文化祭にして語り継がれようじゃないの」
集団の中心らしい女が、気炎を上げた。集団が湧いて、派手な扇子や切れそうにない原色の剣を振り回した。
「イエーイ、でございます」
マリナリが普通に歩いて集団に紛れた。
「誰かさん、イエーイ」
「これはどういう趣旨でございますか?」
「こんな時でもなけりゃあ、着れないってのよ。なんか酒も最高に酔えるしよー、今日はきてるぜ」
「きっちり二二〇〇年代風を再現だぜ。本土じゃこいつがキテるんだぜ」
「とにかく派手にやるのに意義がある。今は生きるんだぜ」
集団の半分はろれつが回っておらず、目が回っている。
「最高の映画を見られるって聞いてきたけど」
普通の防護服の集団も合流した。文化主義者のあとをついてきたようだ。
「姉ちゃん何やってんのお?」
ふらついた男がマリナリの前を通りすぎ転倒した。それからどうにか起きた。
「土を探しているのでございます」
「つちいぃー? なんでー」
レミジオも絡まれているが、憮然とした顔で無視している。
「神が望まれるからでございます」
メルセンは酔っぱらいに説教を始めた。
「次どこ行くー? 外でも行っちゃうー?」
「神の前が一番目立つのでございます」
「神とかウケるー」
「映画は終わったのかなあ。やってないぽい」
映画を求める集団は映画館を覗いた。中にいる軍用銃を持った男が、新作映画を見るには軍の介入を退ける必要があると説いている。
「神なんぞより映画なんだって、自由な映画がやってくるまでもう少しだ」
映画館から出てきた男が言った。
「映画ぐらいならいくらでも神が用意されるでしょう」
マリナリが言った。
「映画なんて無くたってな。この騒動が最高に刺激的じゃねえか。生で体験しろよ」
カメラマンが言った。それからそれぞれがバラバラに喋る。
「あるにはあるだろ、土」
「土から映画ができるんだよ」
「とにかく土さえあれば全部は解決でございます」
「このようなときにこそ信仰が試されておる」
「最高に目立つ場所を探すのよ。弾が飛んでこない場所でよ」
「映画はどこなんだ?」
「原料があるはずだ。あれが無いと植物工場は稼働しない。最終的には液体肥料になるはずだが」
「ここらは安全っぽいな。戦闘現場に行こうぜ」
「神映画希望」
「軍は退却してるらしいぞ。ここも暴徒が来るんじゃねえのか」
「そうでした。元、がありましたね。まあ、やはり真っすぐでございます」
ごちゃごちゃして、殴り合い、酒を飲み飲ませるあいだに、なんとなく集団は合体した。
マリナリ集団はもっとも火薬の匂いが濃い中央区を抜けた。途中で幾度か略奪者の集団を殲滅している。文化主義者たちも距離をおいてふらふらついてくる。マリナリが片づける敵から物品を得ようとする目端が利くコソ泥も増えた。
百名を超えた集団の前に立ちふさがるのは工業区の入口。人を圧倒する頑強な門には機関砲が設置してあり、それにやられた死体が山積になっていた。
ここには民間の傭兵が多くいる。彼らには自分の食い扶持。簡単には逃げない。
街の要である工場街の守りは硬い。中の工場にも厚い鋼鉄の門があるし、さらに工場の資材で強化されて要害となっていた。
「道を開けるのでございますー」
マリナリが大きめの声で呼びかけた。
「そんな格好で寝ぼけてんのか! 機装でも着て来やがれ!」
返答の瞬間、マリナリが弾倉を入れ替え、遠慮なく掃射した。
門の全域で、小さな爆発が連続し、線となった。赤く輝く線は大きく右へ左へとすばやく往復を繰り返す。無数の金属が飛び散って、道路上を滑る。傭兵は弾けとび、消えた。
「今度は何を撃った!?」
レミジオが叫んだ。悩みの激烈ドングリの矢尻がついたボルトだ。
文化主義者たちもむやみに盛り上がり、銃を乱射して戦闘に参加した。
マリナリはボルトが無くなるまで掃射し、穴だらけになり歪んで倒れそうな門を蹴破った。そこで元の弾倉を装填、表情を変えず連射した。
工場街を、小規模な傭兵を蹴散らしながら進む。
直近の大きな工場が近くなった頃、ヘリの音が聞こえてきた。空から頭を押さえつけてくる大きい音が、一気に近くなる。
「おい、やばいぞ。ヘリが上がった。軍が本気なら掃射がくる」
レミジオが帽子のつばを上げて、空を仰いだ。
空に機影が五、道に沿って西より。目視できているなら、ヘリはすでに照準している。
マリナリもさすがに対処しようと足を止めた。連れ立ってきた一行は慌てて横道に散っていく。
戦闘のヘリの機影の真上にいきなり大釜が出現した。ヘリの全体をちょうど覆えるほどのそれは、上下がひっくり返って口を下にすると、そのまま落下してヘリに被さって落ちた。ゴーンとガチャーンが混ざった破壊音が遠くでした。
同じことが連続してすべてのヘリが釜となって落ちた。
一同はあぜんとして月の出た空を眺める。カメラマンはこれの撮影に成功して最高に興奮している。
マリナリはメルメッチがいるなと思ったが、一か所に留まらない彼を捕まえるのは困難であるので頓着しなかった。
そしてある工場の門を力づくでこじ開け、普通に進んでいく。後ろをゾロゾロと人々が付いてくる。
「これは犯罪ですぞレミジオ神父」
メルセンがレミジオに詰め寄る。
「いまさらだって」
レミジオが雑にあしらった。
「しかし工場は生活に必要なインフラですぞ」
「先を考えるな。今だけ見てろよ。信仰のためだって」
衛兵らしいのはいない。職員は退避したようだ。工場の奥には、パイプにつながった巨大なタンクが六個あった。
マリナリがクロスボウでタンクに穴を空けた。中からどろっとした茶色の液体が流れ出た。鼻に刺さる強烈な匂いがした。
「ここは処理中でございます。これは中途半端」
「いちおうは肥料だぞ。使えるんじゃねえのか」
レミジオが言った。
「死体か、処理が終わって土になったものでないと」
「土は肥料工場が専門だな。でかいのはアダラマドレだ。ここにはないんじゃないか」
「なら死体が死体と呼べる形で保存されている場所、この辺りのはず」
「なんか知らんがの。昔、働いてた場所は外の農場の土を作っとった。そこに死体を乾燥圧縮させた倉庫がある」
負傷から回復した男が言った。
「どちらに?」
男が地図を描くと、マリナリはすぐに方向転換してそこに向かった。当然、お祭り騒ぎも同行する。
聞いた工場では、そこそこ偉そうな服の男が出てきた。やや呑気な男で危機感は感じられない。
「君らはなんだね。ここに盗るようなものはないのだよ。食料は全部出荷したからな。配給所にあるよ」
マリナリは無言で男を横にぶん投げて敷地に入ると、工場の外周を歩く。そして発見した大きな倉庫の壁を破壊して中に入る。
そこは、うっすらとしわがある黒褐色の破片で満ちていた。空気が乾燥していて、空中の微粉が舞っている。それは電灯に照らされて白く見えた。
荒く粉砕されたミイラが数メートル積もっているのだ。次の行程に向かう前に荒めの処理を終えたところだろう。もはや人の形はしておらず、肉片とも呼びがたい。乾燥していて保存に向いているのだろう。
「あった。しかも圧縮済み」
マリナリの目が輝いた。レミジオは中を覗いて顔をしかめた。
マリナリはインベから時壊の短杖を出した。
「自力では無理ですので道具を。散財の快感でございます」
マリナリが杖を振ると、形のあった破片が縮んでかさが減り、次にもこもこと膨らんだ。
見渡す限りの土だ。骨一片、髪の一本も残っていない。
「おうお、で、どうなる」
レミジオが言った。
マリナリは片手で持てるサイズの素焼きの黒い壺を出した。集土の壺、採集系最上位の魔道具。
彼女はそのふたを開けた。
「回収」
倉庫中の土が一気に巻き上がり、室内は凄まじい土嵐となった。土は暴れながらある程度の高さまで上がると、一つの流れとなり壺の口へ殺到した。三秒もせぬ間に、倉庫には何も無くなった。マリナリが壺のふたを閉めた。
「土が手に入りました。一番騒がしい所へ行くのでございます。降臨によき混沌の地へ」
「どこだ?」
レミジオが言った。
「探すのでございます」
「またかよ」
ゾト・イーテ歴 三〇一九年 六月三十日 二十時
冷たく乾いた独房に、ふたりの兵士が入ってきた。片方は大口径ライフルを持っている。
「これならお前も始末できるだろうってことだ。つまりそういう命令だよ」
「無理だと思うぜ」
スーザオは両手を神金の鎖で繋がれて座っていた。胴着はいっそうボロボロになっており、体には多くの小さな傷があり汚れている。
それでも表情は不遜そのものだ。
「状況が何か変わったんだと。お前との付き合いもこれまでだ」
「腹が減った。飯を出せ」
「そういう命令は出ていない」
「やれやれ、こりゃあ動くしかねえか」
スーザオが首をひねって関節を盛大に鳴らした。そして鎖につながれた腕に力を込めようとする。
それを見た兵士は身に伝わる得体のしれない圧力を恐れ、焦って銃を構えようとした。しかし、銃は上がらず床に落ちた。さらにふたり同時に力を失い、倒れた。寝息が聞こえる。
「ああ?」
スーザオがとまどう。
独房の扉がゆっくり開き、ハイヒールの音が響いた。部屋に入ったのはアブラヘルだ。
「寄り道してたら、そこそこかかっちまったねえ」
この意外な来訪者に、スーザオの表情はしばらく固まった。
「何者だ、女」
スーザオがアブラヘルを睨んだ。
「そんなにがっついても何も出やしないよ。助けに来てやったのさ」
「助けなどいらん」
「事情は知らないけどね、帝国に殺されたくはないだろう? よろしくやろうじゃないのさ」
スーザオは状況を理解しかねてか、場違いな赤紫の魔女をじっくり見ている。
「地下に逃げるのがお勧め。大軍が展開できないからね。それで街の外へ行くのが私のお仕事」
「いらんと言っている」
「負けたんだろう? そこはちょっとダサいねえ。でもまだ若そうじゃないかい」
アブラヘルが面白そうに言った。
「負けただあ? 俺は無敵だ」
牙をむかんばかりの口調だ。
「そんなに傷だらけでかい」
「傷など無い! ハアァッ」
スーザオが体に気を巡らせると、ひじとひざの傷が完全に消えてかさぶたが落ちた。彼はここ数日で、悟られない程度に関節を修復してあった。
そして立ち上がり。鎖を全力で引く。鎖が伸びきって壁が軋み、部屋に固定する部分が破壊されて、彼は壁から離れた。そのままカチャカチャと鎖を引いて歩き、飛び跳ねて体の調子を確認している。
「鍵だ。近くの部屋にあるはず」
「へえ」
(これ、幻術だねえ、思いこみで怪我を治した。性格と相性のいい技らしい)
「あの男が目の前にくれば、かましてやろうと思ってたんだがな」
「元気なのはわかったさね。しかしひとりで行っても勝ち目はないよ。今日のところは基地を出て仕切りなおしたらどうだい?」
アブラヘルはけだるげな動きで、スーザオの前に移動する。
「断る! 意図どおりの敵中。問答で少しはここの位置もわかった。将を獲る好機」
スーザオはアブラヘルを押しのけ、のしのしと独房を出ていった。
「愛想のない男。まあまあ、やるようだし、外の音は途切れてない。連絡も来ない。もうちょっと遊んでいくかい。色気を見せてもらいたいしねえ」
ゾト・イーテ歴 三〇一九年 六月三十日 二十一時
軍司令部では通信士たちが休まず口を動かしていた。
大きな机の上を占めた市内の地図には、中隊を示す駒が各所に置かれている。
「第十四歩兵中隊補給を求めています。隣の第十五歩兵中隊は潰走。第六十五歩兵中隊 はクカッフ地区の占拠に成功しましたが、市内の通行は困難になっています」
「ハーベルウ地区の哨戒部隊通信途絶、砲兵の戦果確認ができていません」
「第八補給小隊、メッセマー通りで通信途絶」
「第三十八歩兵大隊は敵を退けました。追加指示を求めています」
「ドッター中佐の車両部隊は進路の変更を報告。市内に群衆が多く予定の経路を通行できず。一度市外に出て帰還する」
ジャコ・キセン・イクセル中将は特に優秀ではないが、相応の訓練と実績で今の地位にある。しかし、これを精密に処理することなどできない。
その口は限界まで強く結ばれ、額に深い谷を作っていた。
司令部内で彼より困難に見えるのは記録担当員ぐらいだ。軟弱なキーボードがいくつか破壊されている。
誰でもこれには対応できないだろう。戦況変化が早過ぎる。敵集団の名付けすらできない。敵の数も装備もすぐに変わる。
区画と部隊ごとに幕僚と補佐を割り当てているが、自分の部隊の状況把握すら困難だ。
戦果もまったく判別できない。損害はある程度わかるが、部隊は市内で細かく分断されて連携不能。
第五軍の基本は車両の多さを基にした機動戦。広大な未回収地を巡回し魔物を間引き、大群の発生を確認すれば集結し撃滅する。
つまり、第五軍の一般兵は市街戦の訓練をしていない。市街戦を指揮できる将官もいない。
首都防衛の第一軍、南のセーザデ森林を戦場とする第六軍、南西国境を守る第七軍なら中隊単位で連携できたはずだが、僻地にある第五軍は他軍との人員交換が少なく、それらの軍で経験積んだ士官が少ない。
「兵力では圧倒しているはずだ。統制が戻れば数で圧倒できる」
ジャコが言った。
町に散った部隊を下げて防衛線を構築、基地手前に壁を作って敵の進撃を止める。そして砲撃で粉砕する。まちがった判断ではない。
「通信信頼度さらに低下、嘘の波動が強まっています。さらに発言者も自信を欠いています」
心覚兵の通信分析官が言った。
「友軍に攻撃を受けたとの報が増えています。これは軍に偽装した敵が出現しています」
部下が言った。
「新たに遭遇した友軍とは距離をとりつつ退却させろ。退却したら相互監視できる陣形を組め。それから部隊の回収に出した総合心術小隊を戻して指揮官を全員判定させろ」
街の中央部は完全に混戦状態だ。おそらくハンターの部隊が空けた穴から暴徒が侵入した。ここで自軍の多くが孤立している。今は基地に帰還させるとややこしい。耐えさせるしかない。
「北西のスラムは静かだな?」
「動きなしです」
スラムは市の周囲全体にある。最大は南西だ。北西が一番安全だが、貧民には安全な場所は住みづらいらしい。
南西は悪魔の森に近いせいで地価が低く、もともと安い住宅街。そこが外まで拡張した形になる。つまり、貧民御用達の信用ならない商売が、彼らの生活に必要ということ。
貧民にすれば、軍が掃討した魔物に近い位置で回収がしやすい。安い弾薬の密造なども行われている。
魔物が突撃してくる根城など軍人でも避けたいが、彼らにはそれも収入源か。
その南東から基地へ群衆が進撃している。非常に数は多いが南西部への侵入を許していない。たとえ発掘品があっても、防衛線は突破できない。こちらには野戦砲もある。
これでスラム側は解決だ。しかしハンター以外に軍に対抗できる集団がいる。これは隠密性に優れているらしい。なんせ味方陣地内の小隊が、戦闘を通告せずいきなり全滅する。
「スラムのは邪教徒だな、発掘品が多く使われているならそれしかない。奴らは独自の発掘をやっている。奴らの扇動だ」
「スラムの群衆は押し返しつつありましたが、中央部を抜かれたため、北からハンターの圧力を受けています」
「ハンターは砲撃で足止めしろ。奴らはギルドの権限が欲しいだけだ。癪だが、交渉すれば済む」
ジャコは中央区の状態を見た。中央から基地へ向かう敵が一番深く食い込んでいる。
「問題は第三映画館のほうだ。こっちは通常武器だけだったが、連中の位置がつかめん。国内の急進的文化主義者なら目的は議会の占拠か?」
「動きは基地を狙っています。小部隊が裏をかいて浸透する動きが頻繁にあります。一進一退です」
部下が言った。
「複数勢力と考えるべきか。現れる場所が散りすぎている。基地に近づく者はすべて排除だ」
長く地元を圧迫してきた弊害が出た可能性はある。軍が権限を拡大して統制的になるのを地元の人間は好まない。彼らの私兵が参戦したのだろう。
「すべての路地が閉鎖できていません。あるいは建物から建物へ移動している可能性も」
幕僚が言った。
「基地の重砲で防衛線の手前の地区を更地にしろ」
切り札のヘリはあっさり落とされた。暗く、煙だらけの環境では万全の力を発揮できなかったのだ。自軍に有利な地形にして戦わないと基地が脅かされる。
「市内に損害が」
「ほかにやりようがあるまい。とにかく火力で威嚇するように徹底させ、乱戦は避けろ」
ジャコは急いでの鎮圧はあきらめた。まき返すなら朝からだ。長い夜になりそうだと、考えるだけでも疲れを感じ、深く椅子にかけた。
「緊急警報!」
通信士が目の色を変えた。
「なんだ!」
「基地内です。防衛隊が敵襲を報告。通信途絶、応答ありません」
「場所は?」
「通信アンテナ近辺」
司令部から二百メートルほど、目と鼻の先だ。
「周囲の防衛隊を急行させ、状況を確認」
しばらくして、現場の防衛隊から小隊が壊滅しているとの連絡があった。死体は鈍器か何かで殴られていると。
「鈍器? 空から魔物の侵入を許したか」
司令部の扉がいきなり内へガンと飛んで、近くにいた幕僚が下敷きになった。
司令部が無線を除き静まる。
失われた扉から入ってきたのは、ボロボロの胴着を着て、頭のとさかがやや乱れた男だ。それがスーザオだとジャコはすぐにわかった。しかし言葉は出なかった。
「なんだ? 大勢いやがるな」
スーザオがつまらなそうに吐き捨てた。
「敵襲!」
部下が叫び、銃を抜こうした瞬間、彼を含め扉に近い司令部員が弾けた。腕が、胴体が、頭が、血肉が同じ方向に赤く散る。鎖だ。スーザオは鎖を持っている。鎖が振られたのだ。
ジャコは腰の銃に手を伸ばした。半分ぐらいは逃げようとしている。最後にチャリという音を聞いた。