乱流
「映画は朝っぱらからでもやってるんだよな。こんな時でも起きたらまず映画ってな」
アルトゥーロが呟いた。彼は遠くから巨大なスクリーンを見上げていた。百メートル以上離れている。
屋外映画上映場だ。道路以外の三方を大きな工場で囲まれている。
屋根の付いた大がかりなスクリーン装置は工場の壁と一体化しており、その内側に映写機がある。スクリーンの下には、退屈そうに歩兵が控えている。
今は、横幅三十メートル以上のスクリーンを、大勢がコンクリートの上に座って見上げていた。
人はまばらだが、五千人はいる。夜はぎゅうぎゅうになるから、五万人は入るはずだ。
広い空間だ。このような上映場は街の外寄りに多い。中心のほうには映画館がある。
彼は軍を展開させるための空間だろうと思った。
客は魂まで吸いこまれているようだ。ほとんどが顔を同じ角度にして、同じ明滅光を目に宿している。
彼もそれにならっている。
住民らしく生活するとこうなる。何も無い賃貸住宅にいすわるのは不審を招く。それに工具を丁寧に磨いても、時間はあまる。二回磨く必要はない。整備に余計は大敵だ。
それで、食事、映画、仕事、食事、映画が無難な生活だ。ほぼ映画しかない者も街にいる。
スピーカーは大きなのが前にあるだけ。音は反響しており、少々聞きにくい。
「まあ、ただならこんなもんか。途中からだとよくわからねえ」
上映開始時間は看板にある。この季節の開始は四時で、今は五時だ。
タイトルらしい表記は視界内にない。係員が最初に読み上げる。
娼婦の客引きも多い。軍車両が数台、道に停めてあり軍人も見ている。警備のような気がするが、映画しか見てない。
「こいつはなんて作品だい?」
アルトゥーロが比較的清潔な若い男に尋ねた。
「【楽園機動】だ」
「面白い?」
「ああ。古いが、ガッポリが若い頃の名作だよ」
「へえ」
帝国建国期の戦争映画だ。歩兵を中心とした混成部隊を率いる、マーサー大佐による苦しい撤退戦をユーモラスに描いている。大佐は濃い化粧をしており、猛烈に派手な造花を大量に縫い付けたよそおいで、いかにも貴族らしい。
大佐が叫ぶ。
「食料、弾薬が無いだって! 花、香水、楽隊だって無いぞ、それより、コックを呼べ、ああ、いや仕立て屋が先だ。花も集めておけよ、花びらを散らしながら華麗に退却するぞ」
憤慨したマーサー大佐による飛び蹴り場面が多い。副官と通信兵がよく蹴られている。通信兵は空中で三回転してきれいに着地する。実際にこうだったらしい。
無茶を言うマーサー大佐に部下が振り回されている。
餌をまいて魔物誘導作戦、ほぼ誘導できなかったが、敵は一面に転がったパンケーキを警戒して足を止めた。
大洪水作戦、川をせき止めてあふれさせようとしたが、川に住む強大な魔物を怒らせて部隊に損害を出した。魔物はそのあと、敵にも襲いかかり多少は遅滞に成功する。
お宝掘り当てました作戦、大佐自らハンターに扮して、道端で穴を掘って金貨を掘り出した。敵がお宝目当ての発掘を始め、足止めには成功したが、本当に少数の歩兵用対空ミサイルが発掘され、これにより撤退支援の航空部隊が撃墜された。
最後は、部隊が追いつめられたところへ、のちの初代皇帝の近衛大隊が救援に来る。救援部隊から、ふんだんにフリルとレースを使い、すその反った大きなパニエをもつ華美なドレスの女が単独で敵へと飛び出し、敵の前衛部隊が消し飛んで終わった。
アルトゥーロの隣の観客たちの会話が聞こえた。
「あれが赤猫か、赤くねえじゃねえか」
「地形や敵に応じて着替えた趣味人、ていう伝説だぞ」
「聞いたような話だが、どこまで正確なんだ?」
「さあ、映画だからなあ。赤猫の写真は無いっていうからな。彼女だけ無いってのは、不自然だって話もあるよな。実は複数人いたんじゃないかとかな」
「確かにこの作戦に参加したかは諸説ある。だが、使った銃は一つだけだ」
「そうそう。帝城ナルド・グエシアに飾られているという、赤猫の愛銃レシゲール・クータバは、忠実に再現されてるんだぞ、最後しか出ないのに」
「しかもロングショットだけ」
「それでこそガッポリだろ」
スクリーンが白にもどった。客が立ちはじめた。
アルトゥーロが立ち去る客の流れに目をやると、さらに先の道路から新しい軍車両が来た。交代らしい。
(緊急出動続きのせいか、やや整備状況が悪化したな。加速に重さがある)
彼も立った。彼は貧相な街の人間よりは背が高い。流れが乱れているのが見えて、かかとを上げた。何やらもめている集団が見えた。
服がぼろい。貧民同士の争いだ。人数が多い。当事者らしいのが二十人以上いて、入り乱れて団子になって、人の乗り超え、必死に前に出て殴り合っている。
指輪型万能デバイスを作動させると、怒鳴り声が聞こえた。片方が、帰れとか、出ていけとか言ってる。もう片方は、邪魔するなとか、俺たちにも映画を見る権利があると言っている。しかし言葉よりとにかく拳といった状態だ。
デバイスが計算して視覚に表示した騒乱指数は三十六、実戦には遠い。安い商品に特攻する買い物客集団と同じぐらいだ。死人は出ないだろう。
会場を出る流れは、迷惑そうに騒乱地を避けているが、一部の無関係っぽいごろつきが次々に乱入して、何が何かわからない殴り合いが拡大している。酒瓶の欠片が飛び散った。
軍は見ているが、放置している。銃が出ないせいか。いずれかの勢力に干渉したくないのか。
アルトゥーロは人だかりを避けて、道のほうへ向かう。
「面倒には関わらないようにと。それにそろそろか、急がねえと」
仕事の時間だ。ダグラスはマスクをきっちり鼻まで上げた。
スラムに魔物がいくらか入ったそうだから、いつもと違った景色になってもおかしくない。仕事が増える可能性はある。
ダグラスはそう思っていた。
「街寄りだからか、変化はないな」
外から見たところ、スラムの通りには変化がない。魔物に襲われる心配は初めからしてない。住民にはそれほど緊張感がない。死にそうな奴はあいかわらず死にそうで、死んでる奴は元気に死体をやってる。
彼は変わらぬ仕事だと安心した。朝の回収は比較的安全だ。暇そうにうろついてる貧民が少ない。
魔物の回収は彼の仕事ではない。死体だけだ。魔物の死体は貧民の食料や稼ぎになったろうから、そもそも回収しようがない。食料が増えたなら、しばらく死体が減るかもしれない。そうなれば楽ができる。
あとはせいぜい、貧民が魔物を食って、厄介な毒で死ぬのが出ないように祈るだけだ。回収方法にあれこれ条件が付くとたまらない。
変わらず死体は軽い。袋に入れて、ひとりで持てる。速足で道を往復して七つ回収した。異常な損傷はない。魔物にやられたのではないだろう。
そろそろ疲れた。熱くはないが、足取りが遅くなる。
彼がいったん周囲を探ろうと足を止めた。
狭い小道のかなり先、小さく見える住民が三人がそろって左を見ている。こちらを見ない。
無邪気な子供たちが、甲羅状の魔物の一部を持って、走りまわっている。笑いながら彼の横を走りぬけた。
横道から出てきた大人が、家の中の住民を呼び、連れ立って小道と同じほうに向かう道に消えた。
嫌な予感がする。微妙な空気の差を感じる。それでも行くべきだ。
周囲の雰囲気からして、貧民の関心はこっちより奥。こちらを拒否していない。周囲の住民の気配も、背中を押している気がする。
彼と貧民との間にも信頼関係はある。それは当然仕事で生まれる。
死体を回収して帰るだけでも、仕事には差がある。腐ったのをちぎれて持ちにくいと放置したり、無意味に貧民ともめる奴もいる。
必死に奥まで行けばいいものでもない。深入りしすぎないように空気を察する必要もある。
臆病者が不死者とまちがえて、生きてる奴を射殺して、その場で殺されたこともある。
何も考えていないのは、いつの間にか、いなくなる。
ずっと真面目にやっていれば、問題を起こさない回収者と認識される。そうなれば多少は攻撃されにくくなる。どうせ殺すなら、邪魔なのをやるだろう。
こちらを遠目にボソボソ言ってる男たちは、そういう話をしているのだと勝手に思っている。
「おい、新人! どこだ?」
ダグラスが無線に言った。
「はいはい、いますよ」
かなりノイズの混じった音が返った。魔物で汚染が強まったのか、特殊な魔物でもいたのか。
「妙な気配があるから、組んで動くぞ。車両で合流だ」
「えー、なんで」
「とにかく戻れ!」
木の抜けた声に、ダグラスは顔をしかめて言った。
「へーい。すぐに行きます」
ダグラスが回収車両で待っていると、五分ほどして新人が来た。
「遅いぞ」
「奥まで行ってたんすよ。何かねえかってね」
すぐにさっきの地点に行き、さらに進んだ。気配はさらに奥だ。普段は行かない。行ってもすぐに帰る。
人だかりが見えた。その足元。それが視界に入った瞬間にすぐ目が向いた。
黒いはずの地面が、桃色で埋まっている。半径一メートルぐらいの桃色。何か小さな桃色の物体を敷きつめてある。住民はそれを囲んでいた。何人かは触れた痕跡がある。桃色は多少散っており、小さな物が離れてパラパラと存在している。
ダグラスは何かわからなかった。桃色の塊は盛り上がっていて、立体的だ。
「なんで! それに花びらだって!」
新人が大きな声で驚いた。軽そうで何も考えていなさそうな新人だ。西部の出だろうか。花なんてこの街中には無い。
「花だって? 本物のか?」
「え? ええ、だって見た目が違いませんか? それよりこいつは」
新人が桃色の一点を見ている。ダグラスもその目線を追った。
桃色の中に顔がある。よく見ると、かすかに血の赤が、周囲の地面に散っている。
花びらは人を覆っていたのだ。顔色からして死んでいる。さっと触れても熱はない。
神官だ。花の間からローブの模様が見えている。司祭だ。助祭や一般の会士ではない。
助祭ならともかく、司祭の服は入手できないだろう。それに見覚えがある顔。つまりご本人様だ。
「こいつはいつからある?」
ダグラスは住民に向かって言った。
「さあ?」
曖昧な返事だ。答えていない者もよくわからない様子。
「クソ厄介事じゃねえか。袋に入れて終わりとはいかねえ」
「回収するんですか? 俺の分にしていいっすか?」
新人が言った。
「するわけねえだろ。車に連絡して軍を呼ばせる」
教会へ連絡するかも考えたが、対処能力があるのは軍だ。仕事上世話になる可能性があるのも軍。
「目方が期待できそうな死体なのになあ」
新人が残念そうに言った。こいつはとにかく多く回収することしか考えていない。
「警戒しつつ、現場を見るぞ、見るだけだ。住人にかまうな。すぐに軍が来るさ」
「申し訳ない。遅れました。しかし、語るべきことがございますぞ」
ウィリス司祭は武勇伝をひっさげて、意気揚々と教会奥の礼拝堂に登場した。
席にかけた人々は静かだった。とまどった顔が多い。いや、それよりも何よりも数が多い。助祭もほぼ揃っている。普段の仕事を止めて集めたということ。普通ではない。
「何か?」
ウィリス司祭は異様な鎮まりをすぐに感じとった。助祭たちは半数ほどが目だけでこちらを見ている。体が固くなって、首が回らないようだ。
「ウォーカー司祭が亡くなった」
部屋の前にいるゴス司教が言った。
「ウォーカー神父が? どうして?」
ウィリス司祭は状況を飲みこめず、ミルセン司祭を見た。
「スラムで死体が見つかった、としか聞いていない」
ミルセン司祭が真面目な顔で言った。弁が少ない。ここで話すべきでないということ。
「軍は何かを盗られたかは不明だと言っている。亡骸は返還を要求した。明日、葬儀を開く」
ゴス司教が言った。
「状況が不明だ。何者かの攻撃の可能性がある。全員、外の聖務は停止。医院と浄化に派遣している司祭もいったん戻さねば・・・・・・あとは司祭以上で決定する。助祭は通常の聖務に戻れ。昼課からでよい。祈祷番と水番にも伝えよ」
助祭が去り、三人が残った。
「もっとも信仰篤き、ウォーカー司祭があのように無残に亡くなられた」
ゴス司教があらためて言った。
「確実に本人なのですか?」
ウィリス司祭はまだ実感にとぼしい。
「ここにいないのが何よりの証拠であろう。彼が聖務を欠かすことはない」
ミルセン司祭が言った。
「今は情報が集めるが最優先だ。よいな?」
ゴス司教が言った。
「情報がある程度集まりましたので、ご連絡でございます。彼の方、スーザオというらしいですが、大変な被害を与えました。それに起因して、あの日から三日目になり状況が動いてまいりました」
マリナリが言った。アブラヘルの地下室だ。
「街の空気がどことなく剣呑になった。しかし本当になんとなくだが、争いがある。長く住んでるのは、はっきりわかるんだろうが、工場は何もねえな。警備がいるし、場所もあるが」
アルトゥーロが言った。
「はっきりしないのは、彼らの生活を直撃したせいでございます。発電所が壊れたような大事ではなく、庶民の生活を直接です」
「警戒網に穴が空いて、それで魔物の群れの接近を許したんだろう? 軍の力が弱まって、暴動や略奪でも?」
アブラヘルが言った。
「軍の車両が百台やられても大した問題ではございません。本土から二十日を要さず補充が来るでしょう。それに魔物の死体でスラムは活況でございました。今も回収が続いています」
「じゃあなんだい?」
アブラヘルが言った。
「あの方は、屋外上映場の巨大スクリーンを一枚破られた。あれは発掘品の頑丈で汚れにくい特殊なものだったようでございます。これは盲点、おかげでこれに関連する情報は調査中で曖昧となってございますので、おいおい確認いたしますが・・・・・・予備は未回収地にあるかどうかわからないとか」
レミジオはずっと働いているから映画をそれほど見ない。特に悪魔の腕の発生以降は多忙だった。
「それでどうなるだい?」
「映画が見られない不満で、かなりの騒乱が起きています」
「はあ?」
アブラヘルがよくわからない顔をした。
「それでか。ほかにやることがねえんだ。同僚と酒を飲んでカードをやるぐらいだな。俺も仕事終わりに行ったが、閉鎖されてた。とにかく酷い騒ぎだったらしい。軍が死体を片づけてた」
「パンが無くても暴動にならないのに、映画だと元気だねえ」
「飯食ってねえのは、元気がないからな。それに対戦車武器はねえだろ」
「行政はひとまず壁をスクリーン代わりにしましたが、写りが悪く、怒った群衆により映写機が破壊されました」
マリナリが言った。
「趣味人はうるさいからな」
アルトゥーロが笑う。
「さらに残った上映場に観客が集中、普段は同居しない住民が顔を合わせ、騒乱になっています。都市住民に疎まれているスラムと、金持ちと思われているスラム外との対立、スラム内での異なる地区同士の対立が激化しています。都市内でも、地区や職業で対立の種があるようです。今もスラム内部で小競り合いが見えます。交渉して解決する動きもありますが、どうでしょうか」
マリナリが目を開いて正面を見ている。
「さらにそれにご立腹されたのか、騒乱に便乗したのか、もう一枚の屋外スクリーンが燃やされたのでございます。あとは二か所で映画館で占拠が起き、鎮圧に軍が出動いたしました。一か所は鎮圧されましたが、もう片方では、大勢がアサルトライフルで武装しており、禁制映画の上映を要求しております。軍は包囲するにとどめています」
「なんだいそりゃ?」
「内容によって禁止された映画がかなりあるようで、一部の政治活動家の聖典となっていたり、単純に見たいマニアが探しているようです」
「そいつは本気でやってるのかい?」
アブラヘルが苦笑いだ。
「食料不足は、騒いでも足りていないのは誰でもわかっています。映画は子供の時分から、映画館で格安に、屋外では旧作が無料で提供されています。彼らには欠かせぬもののようでございます。これは予想できませんでした」
「暇人が増えたんだ。映画で習慣的に消費されていた時間が消えた。それで不満を抱えた連中がうろつくようになった。そこから連鎖的に色々あるんだろうよ」
「さらに配給所へ向かう食料運搬車が暴徒に襲撃されましたが、軍がなんとか撃退に成功。しかし食料の流通に遅れが出ています。しかし、今日の本題は別でございます」
ふたりがマリナリを見た。
「機神教会の上級神官が死にました。炊き出しをやっていた司祭です。薄味神父と呼ばれ、それなりに慕われていました。こちらは詳細不明で調査中」
「ちょっとは面白くなってきたんじゃなーい」
「捜査のために軍が活発化。これが軍を警戒していたハンターを刺激。ハンターはスラムに近いザクザク通りを閉鎖、軍とハンターがにらみ合いを始めました。これはあそこに火器店が多いせいでございます。ハンター側、店側、共に不都合があるのかも。この地域には近づかぬように」
「おう」
「詳細がわかりしだい、追加情報をご報告いたします」




