マリナ
多少の混乱はあったが、コモンテレイ市への魔物の流れを散らすことに成功した。
多くのハンターがコモンテレイに帰還し、各々の頑丈な車庫に車を格納している。
「じゃあな、神父。こっちはちょっと車体の様子を確認していく」
ヴォルフが心配そうに駐車した戦車の表面を眺めた。
「おう、存分にやれ」
「皆さま、ごきげんよう」
レミジオとマリナが【赤の眼差し】の面々に見送られ車庫を後にした。
黒い街並みである。建物は全体的に分厚く、店舗は二階建てが多い。住宅は大型の集合住宅になっている。道はあの作戦のせいで活発に車両が走っていた。
道は現地の石材を利用したコンクリートでできており、建物も基本的にはそうだ。一部の上等な建物は本国からの石材で建てられ、タイルが張られている。
二人は速い足取りで、隙間の暗い小道に入った。汚れた男が角から飛び出し「金を出せ!」と叫んだ。手に拳銃を持っている。
「おい、死にてえのか?」
レミジオが低い声で返した。男は銃を持つ手を震わせて叫ぶ。鬼気迫る表情だ。
「金を出せって言ってるんだ!」
(強盗は一人でやるもんじゃねえ。どうやって金を受けとるつもりだ、ボケが。懐に手が入るぜ)
男が引き金を引くより、レミジオが射線から退避する方が早い。弾を撃ち落とす自信もある。そもそも一流のハンターは素人の拳銃ぐらいで即死しないから、強盗は撃ち返されて死ぬ。
そして入り組んだ小道はレミジオにとって安全である。射線が通りにくく、大人数が展開できない。完全に彼の間合い。つまりうんざりだ。
レミジオの後ろから、マリナがわずかに拡張された眼で男を凝視した。
「ヒィ」
男は口から泡を吹いて凄まじい血相になり、死に物狂いで逃げ去った。
銃を抜いて引き金に触れる寸前のレミジオが、ゆっくりと振り返った。
「お前、やったな?」
「なんのことでございましょうか」
マリナが練達の笑顔を返した。
「・・・・・・・あのでかいの、お前が止めたな」
「でかいのと申されましても」
「でかい玉の連なった混沌野郎のことだ」
「転がってきた魔物のことなら。私ごときでは何もできません」
マリナが当然のことを言った。
「ああ、そうかい。お前がいると幸運が多くて困るな。荒野で奇妙な泥沼にはまるとはな」
「それなら神に祈りが通じたのでしょう。日々、人々の幸せを神に祈っておりますから」
「神ね」
「無辜な人々の幸せを常に神に祈っております」
レミジオは少し前後を警戒してから歩くのを再開した。
「クソハンターに善良な人間なんていねえ。マシなゴミを食えてるだけだ」
「私もハンターですのに、酷いことをおっしゃる」
レミジオは銃火器店に寄ると、よく弾の質を見てから減った分の弾を買った。そして隣の酒場に直行した。
レミジオは鉄の椅子に体をドカンと投げ出した。マリナは静かに座った。
買ったのは透明の酒だ。上等な酒はほぼ透明度が高いと考えていい。
レミジオが酒をあおった。マリナは地元のビールを飲んでいる。
「酒は北物に限る」
「お疲れのようで」
マリナが高い酒瓶を見て言った。
「歳なんだよ。荒野にいると干からびちまう、お前はどうも元気になってきたようだが」
レミジオは左手に酒瓶、もう右手で弾をつまみ、順に祈りを込めていく。
「神よ、クソを楽に葬る力を与え給え。給え、給え、給え、あー給え」
「またそのような。効果がなくなっても知りませんよ」
マリナが呆れた声を出した。
「神よ、この神聖なるお高い弾に悪を討つ力を宿らせ給え、最低でも元が取れるだけはよろしくお願いします」
銀の弾だけは念入りだ。
「今日は多い、これぐらいの塩梅でいいんだ。すがりつかれると鬱陶しいだろうよ」
「神はすべてを見ておられますよ」
「雑魚どもにかまっている暇はないってな。人が増えて忙しいんだと」
「教会の見解でありましょうか?」
「公式見解だぜ」
レミジオが唇のすみを吊り上げた。
「あまり言っていると、また神官に小言を言われるでしょうね」
「どうにもできるものか」
レミジオが酒場の壁にある料理の値札を見た。現地の魔物を使った料理ぐらいはある。
「あんな物まで値上げか、食料不足は解消せんな。夏で少しはよくなるかと思ったが」
レミジオが渋い顔をした。
「神に祈ればなんとかなりますよ」
「教会で熱心にやってるだろうよ。それに加わろうとは思わねえ」
「噂ではパン一個より配給所に賄賂を渡す方が安いとか。さぞ神もお怒りでありましょう」
「そりゃ、固形食は多めに作ってるし、死人は受け取りに――」
どこか離れた場所で拳銃の音がした。それが散発的に続いたあと、静かになった。
「管理委員会め、五、六食と銃を同じ値段にしやがって」
「身を守る権利が保障されているのはありがたいことでございます」
マリナが笑顔で言った。
「・・・・・・本気か?」
「荒野の魔物を狩れば、食べるなり売るなりできましょう。獲って食べる。自然の摂理でございます」
マリナはよどみなく答えた。
「なら、別にお前は教会に行ってもいいんだぜ」
「遠慮させていただきます。実に悪い病気が流行っておりますので、人混みは遠慮したく」
「もう、隠さなくもなったな」
「なんのことでしょうか」
レミジオはゆっくり椅子ごとのけぞった。
「人に化けて、社会に紛れる魔物がいるというよな」
「元人間から、クモやヘビ、キツネの魔物、悪魔にと、色々とございますね」
「物知りな記憶喪失者だ。さっきのは化け物でも見たような様子だったぜ」
「機械向け薬品の中毒だったのではないでしょうか。幻覚を見るといいます」
「危うい極限の精神こそが、真理を捉えるとも言う。その手の鍛錬もあった」
「どのような結果も神の導きなのです。善きレミジオさんは守護されていますから、きっとあのような結果になられた」
レミジオは眉をひそめた。
「これでも俺は真面目な神学生だった。神には一家言あるぞ」
「まあ! 若き日のことを伺いたいですわ。きっとかわいらしい少年だったことでしょう」
マリナが楽しそうに言った。
「やっぱりやめる」
「それは残念です」
マリナがふざけた風に言った。レミジオはため息をつく。
「食糧難だってのに、食料に関わる奇跡は増えん。俺も使えんし、教会の連中もだ。それはなぜだ? お前の意見を聞きたいんだがな」
「そうですね。直接、機神に接続されているのかは非常に疑問を感じております。奇跡の差が大きいものですから」
帝国の神官からは出ない意見だ。超能力者的である。
「神学校では、個人の奇跡は定められているという。そして信仰の篤さは奇跡の強さともな。だが熱心でもできん奴はいるし、できなくなったと思えば、別の奇跡に切り替わる奴もいた。それはすべて信仰に内包されており、その中での切り替えだというがな。出るのが火から水になったらおかしいだろ」
これの積み重ねがレミジオが教会を離れる原因だ。優秀な彼は矛盾を許容しない。
「そうですね。同じ神に仕える神官で、機械を治療できるが、人の治療は不得手な神官。人の治療はできるが、一切機械を治療できない神官。浄化の専門もいましたか。後は細々とした分類があるようですが、同一の神の信徒と考えるには、奇妙なことです」
マリナは悩んだ様子で言った。
(怒ると口から火を吹く奴もいたな。奇跡っぽくはなかった)
「神は人々に合った奇跡を選んでくださるってな」
「はて、導管はどこに接続されているのやら。大戦以前の資料によれば――」
「ああ、やめだ。よくねえ」
「なぜです? 興味がおありでしょう」
「お前の言葉は気分がいいんだよ。そんなことはあっちゃいけない、こんなゴミみたいな街ではよ。それがおかしいってことなんだぜ。ゴミはゴミの臭いがするもんだ」
マリナが残念そうにする。道路で少し音がした。多くの車列が高速で走り抜けていく。
「また出ていかれるようで」
マリナが道路へ目を向けて言った。
「善良な戦場のゴミ拾いだよ。結構なことだ」
「小銭稼ぎはなさらないので?」
「街に流れる個体に、うかつな連中の車両に張りついてる可能性もある」
「それぐらいは軍で対処するでしょう」
「また大騒ぎで面倒くせえことになるって」
「心配性ですのね。あ、そうそう、【熱き鉛の知らせ】の方々は南に向かったそうですよ」
「あれは事実上の盗掘団だ。遺跡の発見報告も無しに、何度も装備が豪勢になってやがる。人目があっちに向いた隙に動こうってのさ」
「証拠もなしに貶めるのは、よいことではないですよ」
「顔見りゃわかるって。まあハンター襲ってないだけ善良だ」
派手に塗装された車列が道路を通った。さっきとは逆の流れでゆっくりだ。
「知らないかたが増えましたね」
「未回収地では珍しくもない。当局を気にせずに済むのがここだ。だからこんな地獄にハンターが押し寄せる」
レミジオは見ずに酒瓶を手にした。
「興味なさそうですね」
「誰だって稼ぎたいのさ」
「レミジオさんは?」
「俺は貯蓄があるんだ。お前も違うようだがな」
「私は神によって世の中を良くするのが生きがいですので」
マリナはビールを飲み終え、立ち上がった。
「街の様子を見てまいります。スラムから廃棄所の方では魔物が増えています。地下区画に巣でもできたのかもしれません」
「早めに戻れよ」
「もちろんです」
レミジオはマリナが酒場を出るのを見送った。
当初は独り歩きを止めていた。女一人、武装していても危険だ。今は止めない。
悪しき者ではない。それが判定だが、上位の聖職者の感がある。教会の手にしては、異質すぎる。
マリナが行ったほうへ、大きな白マスクにゴーグル集団が歩いていく。
「あれも増員されたか」
今日も仕事だ、面倒くせえ。隣の奴は張り切ってやがる。ほどほどが最善なんだ。
マスクの男のひとり、ダグラスは中年男性の清掃員である。
左には街、右にはスラムが見える所まで来た。
街の外部に行けば、荒野の果てまでスラムで迷路になっていて、奥には廃棄されたゴミ山が見える。既に使っていないはずだが、あそこにゴミを捨てる奴もいる。あれはマスクがあっても強烈な臭いがする。
スラムの家々は薄っぺらい鋼板と金属棒に、土、石でできている。
合成樹脂を燃やす白い煙が所々から上がる。焼いているのがネズミならいいが、たいていはおぞましき者だ。食う気にはならない。
スラムに踏み入って早々にゴミにもたれて動かない人影を見つけた。ハエが止まっている。
ダグラスがライフル銃でハエのたかった残骸を突いた。反応はない。
顔には酷いあばたがあり、手は黒く汚れて、やせ細っている。
「死んでるな」
死体をつかんで袋に入れると、背負って輸送車まで運んだ。そしてまたスラムに入る。以前は相棒と袋を持ったものだが、今は一人で足りる。相棒は奥に入って撃たれた。重傷だったが、近いうちに復帰する。
回収された死体は工場行きだ。そして微生物の餌になる。人食いと恐れられる悪魔の森の魔物より、よほど人を喰らっている。
入口から少し入ったぐらいで死体を探していく。
力無く転がる人々は多い。やることがないのだ。わずかな配給をすぐに食べ終えれば、後はずっと横たわっている。
目を開けたまま死んでいるとしてもおかしくない。しかし注意を払い、距離を取る。
夏になってハエが多い。奥の方はきっと死体が放置されてる。
気力の残る者は近くの外部農園の仕事に行く。防壁無しで槍持っての警備、つまり作物の代わりに魔物に食われる仕事だ。一月以内にほぼ全滅するから、募集はずっと出ている。
そこで生き残って認められる人間はいるがわずかだ。
次のは確認するまでもなく死体だ。下着しかなく、手足の肉がごっそり削がれている。
殺されたのか、死んだ後かはわからない。顔は先ほどの死体と変わらないほど、あばたがある。何かの病気かもしれない。考えても無駄か。興味は持たないに限る。それが生きる秘訣だ。
「見た目は大事ってな、へへ」
自分なら、新鮮な方がマシだろうと思う。
こんな仕事でもあるだけいい。生きてはいける。
いくらか先に行くと、入り組んで細くなる。
スラムの奥には入らない。道から見える場所だけだ。
手前に出しといてくれりゃ回収はする。俺は真面目なんだ。出てないなら仕事じゃねえ。だからやらねえ。道は必ず覚えてる。変化があったら当分避ける。
それが基本だが、いくらかの人だかりが少し奥に見えて、彼は覗いた。
機神教の司祭が施しをやってる。品質の悪い水みたいな麦粥だが、住民は列を作る。
布教に熱心なことだ。唱えてる言葉は聞こえてねえだろう。
それを遠巻きにして、よりつかぬ者が増えた。何を考えているのかわからない。
彼は災難には近づくまいとすぐにいつもの仕事に戻る。
ダグラスは手早くノルマに少し加えて終えた。工場への車に便乗して戻る。
そして工場の搬入口で管理者の男に報告して上がる。
「終わりました」
「ダグラス、何も問題無かったか」
「いつも通りですよ。何かあるんで?」
「悪魔の腕の騒ぎがあったろう。何かが入りこんだかもしれん」
「目に見える異常は無かったな。正常に死んでますよ。まあその、安らかにね」
「何かないか気をつけておいてくれ。ベテランは少ないから当てにしてる」
「へい」
管理者は工場の中の待機所へ戻っていく。今の調査は所長に指示されたものだ。
「異常と言われても、そう曖昧じゃあ困るよな。調査項目ぐらい出してほしいものだ」
軍はスラムに入りたがらないが、中の情報は欲しいらしい。
どうせ本国からなにかせっつかれているのだろう。軍事情報とは思えない。軍も面倒な市勢調査と思っているはず。きっと市長と責任を擦り付け合いか、双方が責任の所在から逃れるための案を出している。
管理者は自分には関係ないと思いつつ、白い廊下を歩いた。