森の日常5
クローリン家では、トントントンと平和な料理の時間である。
母のレイアの前で、アイアはナイフで肉を刻んでいた。
「正確に切るの。火の通りを考えないとねえ」
「前は言わなかった、前は言わなかった」
アイアが足踏みした。手さばきは不慣れで荒っぽく、ダンッと音がした。ルキウスが強化した業務用対徹甲弾まな板は、これぐらいでは傷つかない。
レイアが頑丈なまな板を要求したらこれが来た。レイアの全力全速の家事に耐える優れ物である。
「前のは品質がバラバラだったから。硬いお肉だったでしょう?」
レイアがゆっくりと言った。
「あれぐらいでいいよ」
アイアが知っている肉は、獲った獲物を苦労して引きずって村に持ってかえり、それをすぐに解体して焼いたものと、燻製に干し肉でこちらはずっと噛んでいられる硬さだ。
「もう、悪い肉に慣れてしまって。あれをちゃんと切るのは大変だったの。血の匂いがするし、刃は悪いし」
レイアが昔を思い出してしみじみとして、視線は過去にあった。
娘の切った肉の横に並ぶ彼女の切った肉は、きれいに厚さがそろっている。機械が切ったようだ。
「これだって切れないし、肉は肉だって」
アイアが雑な切り口の肉を寄せた。
「いつだったか、村の近くまで来た大きなイノシシはおいしかったでしょう? 青い一本角が生えていた。あれは新鮮だったからよー」
「あれはいっぱい食べられた」
「味は覚えていないの?」
「悪くはなかった気がする」
アイアが曖昧に答えた。
「まあ、まあ、せっかくいい食材があるのよ」
レイアは娘の食の好みに軽いショックを受けた様子だ。
「お昼はこれ?」
「この肉とキャベツがメインのスープよ」
「晩は?」
「干し肉とオオムギを炊いたのよ」
「ずっとオオムギと葉っぱばっかり、飽きた」
アイアが甘えるように言った。
「贅沢言っちゃいけないわ。昼にも煙が出せるようになったんだから」
「だって、これとこればっかり!」
アイアの指が、台所の上の方に置かれた干し肉とオオムギに、下の方にある野菜の間で暴れた。
「オオムギがいっぱいあって、キャベツがいっぱいあるんだもの」
レイアがどうしようもないといった調子だ。
「コココットさんがあんなのばっかり植えてるせいよ」
アイアが憎々しそうに言った。
「育てやすくて、栄養があるって言ってたでしょう」
「コココットさんは物分かり悪いの。甘くて丸いのが最強なのに」
村の周りは麦類と葉菜類が大半になっている。アイアは果樹を植えてほしいので、ルキウスが来るたびに猛烈におねだりする。
それでルキウスが勝手に木を植えるので、コココットは計画が狂って困っている。
「でも水田はよいの。ドンタドンタするから」
水田では、子供たちによって泥人形にされたコココットが黙々と仕事をするさまが見られる。
「家に泥をつけてはだめよ アゲノが悪魔の仕業だって怒るから」
「わかったもん。終わった」
アイアがナイフを置いて、まな板から離れた。もう関わりたくない空気だ。
「もう。前はお母さんの料理が一番おいしいって言っていたのに」
「おいしいけど、同じのが増えた」
「キノコを採ってきてくれれば、レモン漬けにでもしてあげる」
レイアは木の壁――つまり住んでいる木の一部――がぼこっとへこんでできた棚の中にある、琥珀色の液体の入ったビンを見た。
「ライムギはうまく発酵してるようだから、もっと暑くなったら、冷やしたスープができるわ。コココットさんが氷を出してくれればだけど。きっと出せると思うの」
「火力で解決するー」
アイアがはきはきと言うと、家の丸窓から外を確認した。
「もうそろそろ来てもいいのに」
窓を開閉する音にに反応した父のアゲノが、恐ろしい形相で台所に駆け込んできた。
「アイア、今からでも思い直すんだ!」
「お父さん、まだ言ってるの」
アイアがあきれた。
「アゲノ、あきらめが悪いですよ」
レイアがたしなめた。
「奴は太らせてから食べる気だぞ。証拠にあなたたち痩せてますねって言ってた!」
アゲノが不安に濁った眼で、アサルトライフルをぎゅっと抱いた。
「痩せてましたよ」
レイアが言った。
「だって森に入るんだ。太らせ終わったんだ」
「そこまで太っていません」
レイアが言った。
「お前達はなにも見えてない!」
アゲノが取り乱した。
「見えてないのはあなたよ、まず後ろを確認するべきだと思うの」
レイアに言われて、後ろを見たアゲノは上から垂れた金色のふわっとしらものに当たった。そして目線を上げ、みっともない悲鳴を上げた。
「ギャー」
恐るべき悪魔の顔が、逆さになっている。ルキウスが天井をすり抜けてきたのだ。
「アーーーーーー」
ルキウスがアゲノに負けじと、目と口を開いた。表情は魔法でかなり暗く見える。
「ウブルッ、テオォ」
アゲノはもはや声も残っておらず、とにかく機敏に家の扉を開けて、外へ逃げていった。
ルキウスが大きな年輪模様の天井から離れ、きれいに着地した。森林用の完全装備である。
「おはようございます皆さん」
「おはようございます!」
アイアが元気に言った。
「ルキウスさん、扉があるんですから天井から入らないでくださいね」
レイアが笑顔で言った。
「たまには刺激をと思いまして、退屈でしょうから」
「入らないでくださいね」
レイアが変わらぬ笑顔で繰り返し、ルキウスは圧力を感じた。
「私は皆さんのことを思って」
「入らないでくださいね」
「・・・・・・努力します」
ルキウスはレイアに敗北した。
「ああ、忘れ物だ」
ルキウスは跳躍して天井をすり抜けると、クローリン家の木の上に置いてきたビラルウを脇に抱えて玄関から戻ってきた。
「・・・・・・お子さんですか?」
レイアが少し驚き、不審そうに言った。
「この子はビラルウ・コイハーナ、諸事情でうちにいます」
「派手な服!」
アイアがビラルウの赤いドレスのすそをつまんだ。
「仲良くしてやってね。あと銃を渡さないように」
ルキウスがビラルウを下ろし、両手をつないで万歳させた。
「さあ、みんなで虫取りだよ」
「うー、いや!」
ビラルウはパンとルキウスの手を打ち払った。拒否された。
「なぜだっ! 裏切者め!」
ルキウスが目を見開き叫んだ。ショックは大きい。
「ルキウスさん、こんな子供になにを言ってるんですか?」
レイアは柔和な笑顔だが圧がある。この人は誰に対しても、お母さんといった感じがする。
「いえ、この子はちょっと素直じゃないところがあって。来る前は機嫌がよかったのに」
ビラルウはレイアの足に抱きついた。
「まあ、いい子ねえ」
ビラルウがレイアの足元からよじ登り、背後に収まった。ルキウスは呆然としている。
「かわいい子ですね」
レイアがほほえむ。
「まあ、かわいい」
アイアも同意した。
「馬鹿な、そんな馬鹿な」
ルキウスがあまりの理不尽に打ちひしがれた。
「降りたくないみたいね。このまま私が抱えていますね。森は危険ですもの」
レイアがぎゅっとつかまるビラルウを、優しく支えた。
「ありえない!」
ルキウスが叫んだが、ビラルウに「ルッキー、いや」と言われ精神を失った。
「ねえねえ、ルキウスさん、早く行こうよ」
ルキウスはアイアに引っぱられ、おぼつかない足取りで家を出た。
そして村から少し入った悪魔の森で、平和な虫とり大会である。
子供を中心に保護者がそろっている。五十人ぐらいだ。
「はーい、良い子のみんな、ルキウスの楽しい虫取り大会だよ、虫以外も獲ればいいよ。だいたい単一の植物を食べてるのが美味しいよ。木の中のカミキリムシとかね。成虫ならカメムシ類、もうちょっと暑くなればセミなんかがお勧めだよ」
ルキウスが村人の前で、陽気かつ友好的に宣言した。
「かってに食べちゃだめだよ。劇薬になるような毒草がけっこうあるからね。優勝者にはなんか要望品をあげるよ。じゃあ始め!」
「アイア見ていろ! 俺は誰よりも虫を獲る」
ルキウスが言い終わるなり、アゲノが子供みたいに走った
「アイアのお父さんは元気がある。他の大人はああじゃないよな。貴重な人材だ」
ルキウスが言った。アゲノはとても森を恐れているように見えない。
「いつも変だよ。銃の腕はいいけど」
「本気でやらないと楽しくない。さあ、私も走ろう」
ルキウスは走ってアゲノを追いかける。すぐに追いついて横に並んだ。アゲノの顔を見つめて並走する。足はひどく小刻みに動いている。
「ハハハハハ、お元気ですね」
「ヒィィー、貴様には負けんぞおお」
アゲノが絶叫して逃げた。しかし完全装備のルキウスを振り切れるわけがない。
「ウワワワ、負けてなるものかぁ」
アゲノは目をそらして加速する。
「ただの娯楽ですから、楽しみましょう」
(愉快な人だなあ。この人はあれだな。俺のことを苦手な虫とかと同じ感じで見てるな。視界に入るとすぐに避難するし、本能的な恐怖だ)
「大物を見つけたぞ!」
ルキウスを見ないようにしているアゲノは低木の上に獲物を発見して、突進した。紫色で複雑な紋のヘビだ。
「あ、それは猛毒のヘビに」
ルキウスが言いかけたところで、アゲノがルキウスに負けじと、鉈でヘビを打ちつけようとした。ヘビは味がいい豪勢な食料だ。妻が喜ぶ。
しかしアゲノが叩く前に、ヘビが体からなにかをアゲノの顔に噴いた。
「ギャアアア」
アゲノが走っていた勢いで転倒して、顔を押さえて転がりまわる。
「話を聞かないから、まあいい。はーい、みんな集合だよー。集合! 手を止めて集合だよー」
ルキウスがパンパンと手を叩いた。人々が集まってきた。
「お父さんはなにをしてるの?」
アイアが視線を足元に下げ、不思議そうに言った。
「アゲノさんはちょっと虫にやられたけど、死にはしないし、後で治すから大丈夫」
「そうなんだ」
「ギギギギ」
うずくまったアゲノがうなる中で、ルキウスがヘビの説明を始めた。
「良い子のみんな、この虫に注目だよ。これはモリガンホークモスの幼虫で、毒蛇の模様で擬態してるイモムシだよ。太さも絶妙だねえ。毒を持ってるふりをして敵を脅してる。でも人間には通用しないってことで、ハハハ効かないぜってやると」
ルキウスが顔を虫に近づけると、虫は体を反らせ、尻にある角からルキウスの顔へ液体をビューと飛ばした、ルキウスはそれをひょいとかわした。
「こんな風に目を狙って酸を飛ばしてくるから、注意が必要だよ。ちなみ喰らうとああなるよ」
ルキウスがアゲノを手で示した。そして虫に雷撃を撃ちこんだ。直後、虫は爆発した。
「刺激で殺すと爆発して酸がちょっと飛び散るよ。この辺で増えてたけど、駆除済だよ。これは説明用に一匹だけ残しておいたよ」
栄養はあるし、大きさから肉のように使えるが、こいつは少々危険だ。
「良い子のみんなは、誰かの目を潰そうなんて思ってはいけないよ。ちなみに入れ物があれば、酸を取るのに使えるよ」
ルキウスが木にまとわりついていたつるを引くとスポッと抜けた。太い棒状の根がある。
「ちなみにこの虫が付いてる植物は、薬効があるゲンヤマノイモ類が多い、掘れば食べられるよ。地下に隠れている虫も多いよ。わかったかな? 良い子のみんな」
「はーい」
子供たちが元気に返事をした。ルキウスは満足した。
子供も大人も必死で草木を眺めて歩いていく。
アゲノは治療が終わると、憤怒の顔で走りさった。
ルキウスは周囲を警戒しつつ、とりあえず慣れたアイアに付き添った。
「きのこ、虫、花、虫」
アイアが呟きながら棒で茂みをかき分ける。
「ここの人はなんでも食べるな」
「今は選んでる。大きな柔らかいピンクの花がおいしい季節だけど、今日は虫探す」
「アイアは苦手な食べ物ないのか?」
「酢、最近お母さんが作るの」
未回収地の食料事情では、ほぼ料理をしないから酢は無い。ただでさえ慣れない刺激物は、子供には苦い野菜より厳しいらしい。
「自然発酵したら、たいていは酸っぱくなるもんだ」
「ねえ、ルキウスさん。私、射撃が上手くなったのよ」
「それはよくやったぞ」
ルキウスがアイアの頭を撫でた。
「だから、仲間と森に入りたいなって。いいでしょう?」
「森をなめてはいけない。銃の威力では勝てない。もっと五感を磨かないと」
ルキウスが真剣に言った。
村人では奇襲で治療する前に即死する。索敵できる者が一人は付かないといけない。
「ええ、強力な銃があるのに」
アイアがすりよったが、ルキウスは甘やかさなかった。
「いっぱい虫取れるようになったらな」
この村が数年維持できたのは幸運だった。森の外には強力な魔物は滅多に来ない。逆にいうとたまに来る。人々が森に入っていたことを考えれば、匂いを追って何か来てもおかしくなかった。
五百レベル級が来ていたら、機関砲でも簡単には死なない。小型で機敏な魔獣や妖精なら、一匹で村が全滅しただろう。
アイアと虫を探しながら歩くと、聞き慣れた悲鳴が聞こえた。
音に元へ歩くと、ロープに片足を捕らわれ、木から吊るされているアゲノを発見した。子供が数人群がって、揺らされている。
「ええと、良いお父さん? これは森の宙吊り罠だよ。森では誰かが放置した罠や捨てた物が落ちてるから注意が必要なんだよ。ひょっとしたら自然発生するかもそれないから気をつけようね」
ルキウスはとりあえずアゲノを木の棒でつついた。噴火しそうな顔をしている。
「グヌヌ、仕掛けたのはあんただろうが・・・・・・」
「森は慎重に歩かないとだめだってことだよ。でも慎重ってだけだと、足が上がってない時もある、それはそれで危険だから、一歩一歩を確実にってことなんだよ」
サンティーの教訓から得た指導法である。定期的に足元を確認させる。人は意外と足元を見ない。上に注意すべき木々があると特に。高さ、向きの変化で集中を乱すのは、あらゆる戦闘の基本である。
ルキウスなら、特定の場には同じ高さに罠とダミーを多く、違う高さに強力な罠を少数仕掛ける。
ちなみにこのエリアには食べられるキノコや草を多めに植えておいた。アゲノはそれの塊に惹かれたのだ。
アゲノはルキウスが罠を外すと、また走っていってしまった。
「いつもは森であんな感じではないよね?」
ルキウスは特に驚かず父を見送るアイアに尋ねた。
「ああじゃないけど、集中してると、知らないうちにどっか行っちゃうの。前しか見てないから」
「・・・・・・よく生きてこれたな」
「獲物を見つけるのと、射撃は本当にうまいの。後ろからじゃなければ、全部眉間に当たるから」
アイアは自慢げだ。
「ふーん」
平均的な軍人の範囲外だ。アサルトライフルの立射では困難、スキルでもあるのだろう。
「あ、あんまり美味しくない虫」
アイアが草をめくって、発見した虫をつかんだ。薄いゴキブリだ。
「触っただけで毒がある場合もあるからね、かぶれるぐらいだが」
ルキウスが言った。
「そんなの気にしてたら、生きてけない」
アイアは竹で作られた虫かごに入れた。かごはルキウスが高速で編んだものだ。
「森のゴキブリは、いい物を食べてないからあんまり美味しくない。食べるとこが少ないし、内臓も取らないといけない。狙う獲物じゃない」
「やっぱりこれはまずいんだ」
「品種改良したのはうまい。味の濃いエビみたいで、外殻はほどよい噛み応えの三重構造だ」
デリニュー社が遺伝子特許を持っているゴキブリは、ルキウス的に最高傑作だった。他社の物とは比較にならない。割高の価値はある。
「エビってなに?」
「水中にいる虫で、殻の硬い連中だ」
「美味しい?」
「んん、まあ、虫だな。だいたい虫、美味いほうの虫」
「じゃあいいや。私は甘いのがいいの」
「甘いのばかりでは、体が悪くなる、甘い甘い病だ。そこにいるぞ」
ルキウスが葉っぱの裏を示し、アイアが甲虫を取った。
「だって、こっち来てから、ほとんど塩と肉と苦い草だったもん」
アイアが虫かごに獲物を入れる。
帝国では甘いものが本当に貴重なようだ。情報ではほぼ流通していない。そのせいか帝国の酒はほとんどが甘い。
「傷みのある木を割ったりしたほうがいいな。外にいるのはアイアも知ってるだろう」
「わかった」
「私は他も見ないとな」
「はーい」
ルキウスはその後、村人を巡って狩りの助言や取った虫の説明を続けた。
しかし、途中まで我慢して村人の世話をしていたが、最終的に村人を放置して虫取りにいそしんだ。
残り時間的に捕獲数での不利を悟ると、森の奥から幻術で身を守る、一メートルぐらいの《八体大尺/オクトマージオメトリド》の幼虫――成虫は幻術で獲物を襲う――を捕獲してきて、優勝した。
幼虫は焼き肉としては村人の昼ごはんになった。淡白でほんのり甘かった。
アゲノはたしかに多くの獲物を取っていたが、普段の癖か鳥の卵が多かった。彼は自分の成果にそれなりに満足していたようだ。
取った虫は明日以降の食事になるだろう。
ルキウスの周りの森では平和な時間が流れていた。




