森の日常3
このまま、ずっと森でゆっくりしているのもいい。
こう思うのはたぶん、体が妖精人になったからだ。アトラスの作りこみで、きっちり設定された遺伝子によって、森林環境では鎮静作用に加え、脳内で快楽物質まで分泌される。
ずっと動かないなど、かつての自分ではありえない。休むのは、動く前の儀式でしかなかった。
最近、ルキウスはよく考える。正確には自分が考えている、と認識していることが増えた。
過去の自分と現在の自分を比較していると、自分の行動形式、判断基準がわかる。
会社員の時、自分の仕事は感覚的に行われた。まず、AIがリストアップした営業先の担当を見る。オートマッチングなんてのは人間の仕事じゃない。
面白くないので、結局は役員とかを見る。そっちの方が、いくらか愉快な顔をしている。
取引実績だの学位だの趣味だの、見せびらかしている情報に興味はない。
私的なデータを掘って、子供の時のアホ面具合、表情の動き、歩き方、人と話す時の距離、集団での立ち位置、ペット、服の傷む場所、好む食事、などから人を計る。
メモしたり、まとめたりはしない。感覚は文字にできないし、記録した瞬間に情報が歪む。
次にどうかますかを考える。初手がすべてだ。最初は相手によって適切な手を、と思うが、たいてい最後には自分がやりたいことをやるに落ち着く。経験上、それが最強だ。
成功確率は考慮していない。徹底して期待値で行動している。
百%の確率で得られる一の利益より、一%の確率で得られるで万の利益を狙う。
これまで大成功は六回ぐらい。失敗は三十回ぐらいだ、五十回だったか、三桁だった気がするな、まあいい。
戦国時代なら戦の大敗は死だが、なにやったって死ぬわけじゃない。・・・・・・道端でどっかの専務の前に飛び出して、秘書のアンドロイドに光線銃を撃たれたっけ。死ぬほど痛かった。あれは成約したから、計算通りだったんだ。
仕事ではこれが最合理な戦略、と感覚で判断していた。実際に成功している。妥当な結果だ。
アトラスの森の戦闘でも、敵をまず観察。足りてない部分を探る。しかけるイメージがわいたら、様子見で軽くつつく。感触が大事だ。砂山みたいに崩れるなら一気に取る。粘っこいやっかいな敵は、こちらが得意戦術をやれる場所へ誘導する。
ゲームでのふるまいは現実より慎重に見える。実際、アトラスではあまり大きな失敗をしない。
しかし判断基準は同じ、これも期待値での判断。
これは死亡時のペナルティが大きいと判断した結果だ。ペナルティを受けると、長期的にはどんどん不利になる。現実では大勝を狙えるが、ゲームでは無理だ。先行者がより有利になる傾向がある。
そして勝ちすぎ退屈になった。仲間も増え、本気で殺しに来るプレイヤーも少なくなった。
結論、自分は危険好きの冒険家ではない。危険な状況で期待値が高くなりやすいだけ。
ルキウスに納得の波が押しよせる。
そして今、期待値が計算できない。計算に必要な情報が足りていない。未知が多すぎる。
違うな。当初は、確実に計算できる要素だけで計算すると、森に籠るのが最善解になった。それを嫌った。退屈は敵だ、無限の損害だ。今は退屈じゃない、未知が多いから。
状況は当初と変わった。ではあらためて考えるなら?
そもそも、何を基準に期待値を算定する? 生存を第一目的にするとやはり動けない。
何をやるにもアトラス金貨不足が最大問題。増やす手段がない。節約しても最後には尽きる。
金貨と物資を消費し、外に介入した結果、事実上の衛星国を確保した。
これが成長すれば、金貨の代わりに、戦力になるか。少なくとも緑化は進み、有利な場所は増えた。後は彼らが真面目に統治すれば、勝手に栄え、汚染地は減る。
しかし、ディープダークのような強者が暴れたら終わり。首都は一撃で消し飛ぶ。対処法なし。
プレイヤーにサポート、ここまで騒ぎを起こして、接触なし。友好的とは推定できない。
やはり最終的にアトラス金貨が生命線。全力戦闘には必須だ。
つまり最初の選択は、外へ向かい早く死ぬか、中に籠って遅く死ぬかで、前者を選択した。
衛星国が発展維持できるならこのままでいいが、運頼みだ。
主体的にできる事、過去、現在の情報は集めている。しかし無理に集めると藪蛇だ。
遺跡から金貨が出てこないものかと探しているが見つからない。金貨をインベから出す理由はない。
しかし金の心配なんて人生で初めてした。考えて気付く。そこまで追いこまれたか。
これまでは考えなくても上手くいったのだから、考える必要が生じたのは悪化? 俺は馬鹿になったのか?
いや、そもそも入手手段がないんだ、減るのはおかしくない。代わってちゃんと得たものがある。そして得たものの価値を増やす以外に勝ち筋はなかった。
つまり考えなくとも、ここまで俺は正しい行動をしてきている?
「俺は天才なのか」
ビラルウが腕の中で、苦いものを噛み潰した顔をした。砂でも噛んだようだ。
ルキウスは頭上の花を数えながら楽しく思索に没頭している。
しかしどうしても、理論というものを練っていると「いらいらするな。合わん」
好きじゃない。だからやらなかったわけだ。これも納得だ。
ビラルウはお菓子を食べる速度を上げて、口に詰めこんだ。
しかし考えるほどに、自分は天才だ。天才が考えることを覚えたらどうなってしまうんだ? 大天才か?
「ルッキーは大天才かもしれない」
ルキウスがおめでたい調子で言った。
ビラルウが足の上でもぞもぞと向きを変え、「ぶっころちゅ」満面の笑みで言った。
「え?」
ルキウスは天使的な顔から出た言葉を疑った。
「ぶっころちゅ」
ビラルウが銃口をルキウスに向けた。位置的に回避すると木に当たる。カチという音。
「うお!」
弾は出なかった。電池は空だ。
「ぶっころちゅ」
「なんでだよ。お兄ちゃんはよくできてるのに」
ルキウスは銃を顔から退けた。
「ルッキー馬鹿」
ビラルウはルキウスの上から降りてしまった。機嫌が悪いらしい。銃を撃ちたいのだろう。それともまさか食べ足りないのか? 食べたいだけ食べさせているが。
「まだお腹空いているのか?」
ビラルウは銃を杖にして、顔を横に振った。
「将来は何になりたい? なんにだってしてあげよう。ルッキー街一つぐらいは用意しちゃう。お菓子屋さんわかる? お菓子食べ放題だぞ」
兄が国をもってるから、それぐらいはいいだろう。
「ルッキー管理人」
「え? なんだって?」
ルキウスは思わずきき返した。
「ルッキー管理する」
「ええと、お嫁さんかな?」
「ちがう。ルッキー管理人」
ビラルウがはっきりとした発音で言った。
「ルッキー管理人はなにをするのかな?」
「フフフ、ルッキーをおりにとじこめる」
ルキウスは楽しそうな幼児に、少し沈黙した。
(檻をどこで覚えた・・・・・・ああ、ゴンザか。なんで俺にだけ厳しいんだ。第一印象なのか? でも寄ってくるし、だいたいの子供とは合うんだが、大人はほぼ駄目だ。この子はわからん)
「さあ! 続きに行くぞ!」
ルキウスが迷っていると、サンティーが勢いよく立った。
「まだ力が残っているのか?」
「当たり前だ、晩御飯を獲りに行く」
「こっちは珍しくいくらでもゆっくりしたい気分だというのに」
「戦力が足りないって言ってるのはお前だぞ」
「それはそうだが、今は平和だしなあ」
ルキウスがゆったりと言った。
「有事に備えよ!」
(早急の有事はペットの相手で、次に赤子の世話だ)
「どうせ帝国は森に入らない。本当に怖いらしい。こんな物資の山を見逃すはずはないと思っていたが、探りにも来ない」
「私は怖くないぞ!」
「少しは怖がってくれ」
「なんで急に落ち着く!?」
「森が退屈ではなくなった。森に入った人たちを罠にはめて、それを見て笑う平和で穏やかな時をずっと過ごすのも、悪くないかなって思いはじめたんだよ」
「どこが平和なんだ・・・・・・地獄だぞ」
サンティーが引いた。
「そこは罠を加減してだな、死ぬほど臭い沼に落とすとか、希少な薬草の幻覚でがっかりさせて楽しむとか、いろいろあるだろ?」
「ルッキーはろくなことしない」
ビラルウが鼻息を荒くして走り、タドバンに抱きついた。
「代わりに金でもやれば気を直して帰るさ。どうだ? 楽しいだろ?」
「楽しくないぞ」
「ルッキーは、わかいから、あそびたいのよ」
ビラルウが知った風に言った。タドバンの髭をもんでいる。
「誰に吹きこまれたのか。ヴァーラの説法か、いや、爺さんどもだな」
「とにかく、狩りだ!」
サンティーが放電しそうな勢いになっている。
「じゃあ、最後に全力の一発だけな」
「おう!」
(池に連れていって電気漁でもさせるか。明日はレニとハイクのレベル上げだ。その前にウリコの様子を見に行かないと)
悪魔の森の中、コフテームより約二十キロ、ネコの顔をかたどったこじんまりとした木造の売店がある。
これは神出鬼没で毎日違う場所に現れる謎の店であった。
そこの店には、バステト神をかたどったネコ型の仮面をつけた店員が一人だけいた。
「ネココのお店は一日一人一個なーのでーす」
ネココを名乗る仮面の店員が、甘ったるい声で言った。
「おかしいだろ! 山ほどあるじゃないか!」
食ってかかるのは、三人組の若いハンターだった。安っぽい装備をしている。
カウンターのネココの後ろの棚には、多くの果実が詰め込まれている。足元の方には、ポーション類もある。
「売り切れなのでーす」
「金はもっと払うって言ってる!」
「そんな金は無ーいも同然なのでーす」
「これは銀貨だぞ!」
「そーもそも、そんなもんいくら払っても買える商品じゃなーいのでーす」
「さっきは売っただろうが!」
「ちなみにネココの笑顔はプライスレスなーのでーす」
ネココが両手を顔に寄せて、体を傾けポーズをとった。不気味な仮面だ。
「顔は見えねえじゃねーか!」
「全員買ったのだから、さっさと帰るのでーす。また明日なのでーす。おはようなのでーす」
ネココが輝くリンゴでジャグリングを始めた。
「あー忙しいのでーす。スマイルの練習が忙しいのでーす」
「なめてやがるのか!」
「客じゃないのはゴーミ虫なのでーす。虫の言葉は難しいのでーす」
「なんだと!」
この争いを遠方の木に登り、上から観察する者が二人いる。
ギルヌーセン伯がこの奇怪な店の調査に送った野伏だ。彼らは枝葉と共に風に揺れ、陽の出る前から木と同化していた。
「愚かな。こんな森で店を出せる意味がわからんのか。路地裏の酒場じゃないぞ」
「馬鹿が死ぬのは春の恒例行事だぜ。何も考えずこんな深さまで」
「方向性が違う」
「にしても、あれの出現で、森の中の争いも減ったと聞くのによ。元気なことだぜ」
「やはり、あれの関係者なのかね?」
二人の会話が止まる。監視先ではハンターの白熱が極限に達した。
「おい、抜いたぞ!」
ハンターの一人が剣で店員に斬りかかり、店員はそれを手で受けた。効いていない。
「素手で」
「いや、爪が伸びている! 爪で受けてる」
野伏が望遠鏡を覗いて言った。
店員は剣を叩き落すと、自慢げにゆっくり銃を掲げ、ハンターたちに連射した。煙が出て、全身が倒れる。
店員がカウンターを飛びこえて出てきた。
「あれは腰の銃だな。発砲が見えん」
「店から外に出るのは初めてだな」
店員がくるっととこっちを見た。そして場違いな明るさで遊興的叫ぶ。
「覗きは代金を徴収するのでーす」
「やばい!」
片方が叫ぶと同時、近くの枝がいきなり弾けた。さらに破裂音が周囲で連続、煙が出て、葉が燃える。
「いて!」
「退け!」
二人は木から飛び降り、一目散に逃げだした。しばらく全力で駆け、口を開く。
「追ってきていない、傷は?」
「傷?」
「当たったのではないか?」
「お前だろ?」
「え?」
二人には傷が無かった。彼らは不審に感じたが、足を止めず街へ走った。
ウリコが周囲に誰もいないのをドジっ子的な動作で踊るような足取りで確認した。
「さてさて、臨時ボーナスの時間でーす。これは貯金になるのでーす。社長の知らないお金なのでーす」
ウリコは近い死体を漁った。銀貨の一枚もない。全部で千セメルぐらいだ。
「ちっ、しけてやがるのでーす。次に期待なのでーす」
ウリコが立つと、目の前にルッキー装束のルキウスがいた。
「ヒイッ、仮面の化け物です! 落ちぶれ貧乏人の顔なのです!」
ウリコの声が裏返る。
「お前も仮面だろうがっ、神聖税務調査アタック!」
岩が割れるレベルのチョップがウリコの頭に落ちた。神の鉄槌である。
「バグワンッ!」
ウリコは頭から地面に叩きつけられ、全身を真っすぐにして、伸びた。