知
「知って絶望するがいい。お前らの利点は、致命的な欠点だ」
仮面が不気味に力んだ。
「噂で誘導できる、どこまでも、どこにでも。意味がわかるか? わからないなら、理解できる個体に尋ねるがいい」
ルキウスは戦争も防疫もしなかった。武器は記号マニアの用いる病理にして魔法、すなわち流言飛語、噂。感染し、増殖し、変異する。
無理に網に追い込まず、追いかけず、習性を熟知して通り道に網を張るのでもなく、自分の意志で網に掛かってもらった。
用意した網は大都市。各地方の代表的都市五つ、さらに特異な都市ゴファ・シュ。
元々あった噂をアレンジしてメルメッチなどに広げさせた。どの噂も中央部の危険を煽り、地方へ流れる圧力をかけるものだ。
第一に、内戦の噂。
地方貴族が結託して王家を討つというのは、実際に起きてもおかしくない状況だった。敗戦で完全にパワーバランスが壊れていた。
これは特に中央との境で流した。
話すだけでなく、住民への暗示、幻を用いて危機感をもたせた。さらに農地、食糧庫の徹底的な焼き討ち、これで物理的に留まれない。
第二に、各地方の四大貴族が兵士を高給で集めているとの噂。
反乱が周到に準備されたもので、食料は潤沢で、最後に少しでも多くの兵を集めていると。
一部の町はすでに寝返っていて、戦争に加わる準備をしている。さらに戦争で王家は兵を失い、地方貴族はうまく撤退させたとも。
中央にいれば戦争に巻き込まれる、移動するなら領都まで行くべきという認識が広がる。
それでも、人々を移動させるには相当な圧力が必要だ。都市部に出た貧民が、自警団の類に殺されるのは日常だと田舎者でも知ってる。あるいは知らずとも、そうだと信じる。
思考を奪い、常識を破壊するのは連続する情報。
疫病、呪詛、魔物の群れ、押し寄せる森、実験失敗による魔法の暴走、盗賊団の侵攻、処理しきれない量の噂を流した。これはルキウスがやり慣れた、恐怖の流布。
それは勝手に増殖した。蟲が広範囲に伝播させたのだ。人を模倣しての思考であれ、蟲の思考であれ、好まれたミーム。中央に生息域が偏った彼らが、領域を広げるにも好都合だったはず。
人々は家族から集落単位で地方へと脱出を開始した。
国の内側から外側に集団が流れだしたら、その集団を見た外側の村々も連鎖的に流れる。人々の目に留まる大集団になれば、もう止まらない。
村単位、街単位が一日ほどの準備で移動を始めた。
集団が合流し各地より噂が集まる、それぞれの内容のはバラバラだ。どれが正しいかの検証などできない。
どこかおかしい、と思った者がいたはず。だとしても、逆流、停滞はなかった。
ほとんどの噂は、中央部から外へ向かうべきだと示している。話し合って共通の認識になるのは、とにかく中央から離れよう。
ルキウスは彼らが行く街道沿いに多くの果樹を植えた。国全体からすればわずかで、人々を養える量ではない。しかし外側に希望を感じさせ、命をつなぐには十分だ。
蟲の情報は広めない。不要な混乱を起こさせず、彼らを警戒させないためだ。蟲も自分で広めない。
しかし道中であまり感染は起きていないと考えられる。道中では人々が警戒しあっている。頭痛を起こしても不都合。蟲だって安全地帯で増えようとする。
さらに植えた果実は、病気耐性付加か、病気治療効果がある。多少の意味はあっただろうし、将来は人の意思で使える。
そして各地の貴族は直接的に〈支配〉状態にして、暗示も繰り返し掛けて、人々を迎えさせた。支配が解けた後で深刻な錯乱が発生するが些事だ。
彼らには大量の食料を供与してある。余裕がなかったはずの食糧庫の食料が増えている状況に、管理者は困惑しただろうが、主君が使えと言えば使う。病気治療薬もありったけ供与しておいた。
この作戦で一番問題になったのは、都市へ供与する農作物の袋詰めであり、ハイペリオン村とカサンドラの緑の村の人員を総動員した。今も働いてる。
そして蟲も人も広げた網の中へ、各領都近辺へ到達した。
彼らは指定の居留地に留まるように言われ、一定の範囲に留まっている。
この網からは逃れられない。網から出てしまうと目立つ。
恐ろしいほどにうまくいった。蟲のおかげだ。
そしてこの周囲では、アルトゥーロが準備した自律兵器が遠巻きに包囲している。兵器は殲滅モード、担当領域に入る者を問答無用で殲滅する。
そして肝心の人と蟲の識別。これは単純に検査機械で行なった。
各地方で道中にある関所の門を必ず通過させ、そこで滞在許可証を与えさせた。これが無いと食料はもらえない。
その門の中に小型のX線カメラとレーザー音波検査装置を仕込み、魔術で隠蔽。これが通信で蟲の脳パターンを学習させた検査機器に情報送信。蟲の反応があれば、同時に門に隠した魔道具が連動して、不可視の魔術印を感染者に刻む。
かくして今は国中の人々が五つの街の近辺に集結している。ゴファ・シュに入った人間は少ない。
あとは検査時に魔術印を刻んだ対象を刈りとるだけ。空からの精密レーザー爆撃で、魔術印が付いた対象が瞬間に死ぬ。
そして、それ以外は人力で狩る。中央部以外は、まともに人がいる集落はほぼ無くなった。捨てる財が惜しい有力者や重病人ぐらいだ。判別する余裕はある。
加えて秩序に属さない野盗の類は殲滅する。
さらに居留地では貴族の兵が不審な動きをする者を警戒して狩る。
最後は中央部だ。
「判じるには標本が足りんが、君たちは人が多い場所を好むらしい、当然だな、文明があれば人体の維持、そして繁殖に有利。しかし稀にずれた個体がいる。人を避けたり、奇行で注目を集めたり、寄生相手が病んでたのか、自殺したのもいた」
彼にとって観察は退屈だった。
「大いなる混沌の中では、繊細な振る舞いはできない。ほとんどは大きな流れに合流してしまう」
流れる人々はまさにヒツジやアリのようだった。
「何を言っているのかって? 運命の中では個人の意思など存在しないということだ、脳みそ君」
ルキウスは自身の限界を知った。しかし小石が大きな流れを変える場合もある。今はそれは摘み取るべきだ。
「だが集団嫌いで、他と違う行動をとりたがる奴はいる。君や俺がそうだ。大きな流れがあると反対に行きたくなる。そっちが魅力的に見えるんだ。群れから出ると晴れ晴れする! 最高に気分がいい! 最高にな! 今回で自覚したよ」
ルキウスは飽きたように熱を吐き出した。
「お前たちは人間的すぎる」
ルキウスが長い後ろ髪をかき上げる。
男達はようやくルキウスに視線を向けた。
「伝えたかね? なら、もういいだろう。秘されし輝きがお前たちを根絶する。必ずだ」
ルキウスが前に出るそぶりを見せるなり、男たちは動こうとした。しかし刹那、一人の頭が消し飛ぶ。二人、三人、一秒かからず全員が倒れた。死んでいる。
ルキウスの投擲。投げたのは森を掘ってる時に見つけた手頃な大きさの金属片。
「お前らはつまらん。意義を感じない。退屈勲章をやる」
面白いかどうかでしか、価値を判じられない男から出た言葉だ。
彼らの自我が存在しているといえるのか、元になった人の亜種なのか、加えられた衝動は特殊な趣味にとりつかれた人と同じにすぎないのか、とすれば変わらず人として生きようとする個体も存在するのか。
興味ない。
彼にとって自分の所属がどこかは、問題にならない。彼は気の向く方向へ進む。
「通信時間からして複数に情報を送ったな。やはり、ひとりが全体を統括していない。大勢がひとりに情報を送ったら、人の脳で処理できるはずない。魔法でも無理だ。小規模なネットワークが多くあるんだろう。つまり混乱したら収拾できん」
勝負はここからだ。
網にかかった蟲は機械で封殺できる。その外に厄介な個体が発生しているだろう。
森に逃れ開拓を始めた集団や、シェルター的な施設に物資を集めて閉じ込もる個体もいた。
しかしこれを生物と捉えて分析すれば、やりそうなことは想像できた
人間の脳の思考に引きづられているのもあり、行動は彼にも予想しやすい。
「戦略家にとって最も博打的戦略は待機だ。動いていないと損に感じるからな、しかし実際には待つべき局面もある」
予知の意味はなにか? なぜ、自分が出ては駄目なのか。その意味は好機を待て、と解した。
予知がなければ、全力で追って、でかいのを撃ちこんだはず。
そうやって駆除した場合、討ち漏らしを大量に国外に逃がした可能性が高い。ついでに破産したかもしれない。
「運命を知りえるのは神と、神の助言を受けられるものだけだ。しかし助言は断片的過ぎる」
ルキウスがたそがれていると、ソワラがエヴィエーネを連れて転移してきた。消耗したターラレンは城に残っている。
「怪我は?」
「全快に近いです」
ソワラが答えた。
「それはよかった」次にルキウスは真新しい白衣のエヴィエーネに言った。
「予備の体は問題ないか? 同期が遅れたんだろう?」
「まあなんとか。自分の体の培養は慣れとる。余裕で若返った気分やで、ピッチピチやろ?」
「ならいい」
「賢者の石を三個も使ってしもうたけどな」
エヴィエーネが残念そうな顔をした。
「やむなしだ」
「マウタリはあれが気になる。問題はないらしいけど」
「気配に変化はありませんでした」
ソワラが言った。
「計画の障害になりそうか?」
「さあ、彼の一部と見るには違いすぎて。一万年越しと言うとった」
「ふむ、誤差を多めにとっても、一万年では辻褄が合わん」
「あとはシーバーがなんたら」
「シーバーな。しかし、なんたらではな・・・・・・まあ、神格ではないと思う」
「わかる部分があるんで?」
エヴィエーネが不思議そうな顔をした。
「シーバーとは超能力者のことだ。滑車を回して引き出した力を行使する者という意味。古い・・・・・・実に古い言葉だ」
アトラスにこの表現は登場しない。
「ルキウス様はなんでもご存じですね」
ソワラが感心した。エヴィエーネはまだ不思議そうな顔だ。
「ウチは超能力者ちゃうけど」
「・・・・・・力を使う者全体を指している。火を出したり、治癒させたり、魔法的な力を行使しうる全ての存在。つまり我々のことだ」
「それを言うなら、全ての人種がそうでしょ?」
「ああ、全てがシーバーだろう」
ルキウスが笑った。夜風はまだ寒い。
「ヴァルファーの指示が来ないな」
「ヴァルファーは摘みとりに忙しいようです」
ソワラが言った。
「そうか、大漁らしい。なら予定どおり、独自判断で摘み取りに掛かれ、私は森を全面展開して、警戒に入る」
二人は蟲の駆除に行った。ルキウスは交通の要衝を森で遮断すると、デイゴの木に包まれて座り、周囲の気配を読んで、スンディから脱出を試みる集団を警戒していた。
夜空にドーンとある緑の月は、最初に見た時より少し大きい。
「シーバーな、言われてみれば同根かもしれん。とすれば、宇宙をひとつ知ったことになる。やはり神であり神か。アトラスも神の中の神、一般的な構造なのかね」
ルキウスはインベントリからレジェンドボクトーを出して、指先でプロペラのごとく回転させると、つかんで停止させ、切っ先から柄までを眺めた。
「こんな作業はさっさと済ませて、本番に備えるさ」
初日に魔術印を入れた個体を殲滅すると、人々は大混乱した。
さらにその死亡者に異常が見つかると混乱は加速。奇病ではないかとささやかれた。
そして多くの人々は事態を理解せぬまま、お互いに警戒しながら、居留地に留まった。
ルキウスたちはここから順調に駆除を続けた。
大集団に潜む蟲をつまびらかな調査で見つけ駆除、姿を現し強行に出た集団は、領主の兵に討たれた。早期の感染者は薬で治療された。大集団から離脱した人間は自律兵器に殲滅された。
取りこぼすとすれば、特殊な避難所に籠った個体ぐらい。
それは民衆にやってもらう。だいたいの駆除を終えたあとなら、蟲の存在を公知しても大混乱にはならない。
それにちょうどよく集結している。告知しやすい。
巻き添えが相当出ると考えられるが、蟲まみれよりはいい。
と思って駆除を初めて三日目。
奴らの大半は絶望して自殺してしまった。
狩りを楽しみにしていたルキウスも絶望した。
苦悩する精神はあったらしい。あるいは無感情な計算によるものか。脳内物質を過剰分泌させての自殺か。
人並にストレスを感じるシステムを有していたようだ。
ここから蟲の動きが目に見えて雑になった。
自殺した個体は悩めるだけの知能があった。となると残りは考えなし。
物資を略奪したり、強引な繁殖を行い、すぐに正体が発覚。人々に混乱を起こしたが、すぐに討たれた。
駆除の開始から十日目、蟲の捕捉数が激減。十日目は駆除数が一になった。
残弾の限界もあって、国の包囲を解いた。
これで根絶した、という認識はない。確認もできない。
隠密に特化した者なら国境の突破はありえる。
しかし蟲の存在が広く知れた以上、あとは人々が対処する。吸血鬼と同じ、人間社会に潜む魔物の一種として数えられることになる。
応援は、異星属性を検知する魔法と魔道具を普及させるぐらいだ。
ルキウスは余裕ができ、生命の木にもどった。
それからモーニ・トニトレンが悲しむだろうと思い、合成樹脂で作ったギャッピー人形を与えた。魔法で動くように作ってある。
これがけっこうリアルに走る。ガタつきがある分、オリジナルより気持ち悪い。
それをビラルウが蹴り飛ばした。彼女は非常にこれを嫌った。
二人がけんかになった。ルキウスは近い年頃の二人には仲良くしてほしいと思った。
女の子はわからない。
マウタリは畑仕事を見ていた。王都には平穏が戻ってきた。しかし畑をやっているのは農民ではなかった貧民だから、手慣れてていない。
横にはシュケリーがいて、ドテンは立って寝ている。コロは城の仕事で忙しい。
コロはシュケリーの頭を守って瓦礫の中に埋もれていた。足が三本潰れ、さらに光の追いうちで全身が焦げて痛々しかったが、昨日脱皮して元に戻った。
エヴィはあの光線で犠牲になったことにした。これはコロの案。
マウタリは神に選ばれた者にふさわしい御業を示し、魔術師たちに認められた。
さらにルッキーが城に来て、神からの祝福の言葉を述べると、大きな仙桃の木を生やした。それから、いま忙しいと言って、すぐに帰った。
近隣の街にはまだあれがいる。それを駆逐している。順調だとか。
村の子供達は元気にしているらしい。
会うか? と尋ねられたがマウタリは断った。
「森の外は危険だから」
ここを、世界を、村のようにしたい。それが村を取り戻すことだと思えた。それに森の中のほうが幸せなら、そっちがいい。
シュケリーにはエヴィのことを言わねばならなかった。
「エヴィにはまた会える。不思議とそんな気がするんだ」
「そう」
「誰かに何かを言われた。イメージはあるけど、言葉が思い出せない」
「月に行きたい感じ?」
「月じゃないけど、訴えかけてくる感じはわかった。誰かがそう言ってる。そんな気がするんだ」
「月じゃないんだ」
シュケリーは残念そうだ。
「でも月に行ける気はする、なんとなくだけど」
「連れて行ってね」
シュケリーにぐいっと体を寄せられた。マウタリは軽く肩を抱いた。
「うん、月でエヴィが笑っている気がする」
「きっと爆発してるだ」
ドテンが半分寝ぼけて答えた。
「そうだね」
「そうね」
マウタリは過去を思い返す。今より過去の方が現実味がある。人生のすべてで旅の記憶が一番鮮明だ。ここ数日は夢のようだ。
「エヴィは知らない人を信用するなってよく言った」
「そうね。三十六、七回言った」
「僕はエヴィを知らない。南のことや、ほかの聞いたことだって、でまかせかもしれない。海の水は甘いとか嘘っぽい。大地が丸いとかもね。なにも知らない。嘘か本当かわからない」
「そう」
「でも、エヴィがね、楽しい時のは顔は知ってる」
「こういう顔?」
エヴィの顔が前の前に浮かぶ。
シュケリーの幻術は上達した。見たものなら、動くものも正確に出せる。
エヴィの表情は、かすかにふくらんだほおで、目は冷静をよそおっても力が入っていた。
「それは何か仕掛けてから、笑うのを我慢して限界を迎えつつある顔だよ」
「じゃあ、こっち?」
シュケリーは次々に幻術の顔を空中に出した。
「爆弾が爆発する前の顔、爆発した瞬間、正々堂々と悪だくみしてる時、やたら薬を飲んでる時、なんかの機材を操作してる時。僕はエヴィをよく知ってる」
顔を見るたびに旅が思い出される。
「きっと本人より知ってる。そう・・・・・・本当に楽しいときの顔はよく知ってる。知ってるって、そういうことなんだ」




