毒2
彼はザメシハの連中が離脱するの待ってから、この五日ほどで、細い帯状の森を三層にして国境に造った。魔法でまとめて発生する森を限界まで薄く伸ばしたのだ。
木々は、その場ですべての通行者を反射運動で攻撃する。これでスンディを完全に包囲。造る森の量と動かす木々の削減に成功した。
しかし薄い森は農民でも突破できる。これは人力で止めることにした。つまり突破を認識する必要があった。
〔緑の瞬間移動/ヴァーダントテレポート〕には欠点がある。ひとつなぎの緑の中でしか転移できない。欠点は利点でもある。
つまり帯が破壊されればわかる。帯の端から端へ転移できなくなる。
探知でもわかるが、ヒツジから枝毛一本を探すようなものだ。疲れる。
この防衛線は固定兵器より前にある。兵器の残弾を考慮しての判断だ。兵器にはネズミの相手でもしてもらい、できるだけ発砲前に止める。
そして森が寸断された。
彼はルッキーの姿で帯が切れた場所に急行した。南側だ。
同じ役割をマリナリがやっているので、彼が国境に張りつく必要はないが、初日は手堅いほうがいい。
ルキウスが二つの月の下、距離をおいて対峙する八名の男たち、軍人かハンターであろう。屈強で武装している。
大陸は中央で山脈により南北に分断されている。
邪悪の森の北になる西のセーザデ山岳、悪魔の森と邪悪の森の接合部をはさみ、悪魔の森南方には東のティエンクス大山脈。
彼らはスンディ南方のセテパト丘陵を避け、ティエンクス大山脈を抜けて、大陸中央部へ入るルートを選んだようだ。警戒していた北西の逆を行く集団。すでに三層抜かれている。木はそれほど太くない、まともな戦士なら一撃だ。
「利己的だな。すべてが女王に尽くすわけではないらしい。それとも群れの機能なのか? あるいは大発生自体が目くらましで、その間に遠方に潜伏する狙い、とすれば希釈効果狙いか。一定数か密度での繁殖開始、そう考えれば納得できるが」
男たちは動かない。閉鎖者の戦力を理解しているのか。十キロ以上先にある固定兵器が見えているとは思えない。
「長距離通信ができても、本質的には画像、音による情報伝達と変わらん。手紙を書いたことがあるか? ある友人は私が送った手紙を開けずに焼いた。適切な対処だ……あの時代に手紙は不自然だったな」
小声で話しあう様子もない男たちは、やや力の入った感じで固まっている。
「だんまりだな。通信か、それもいいだろう。勝手に喋るさ」
ルキウスは月を眺め、言葉をつむいでいく。
「だれも正確には覚えていないほどに昔、ロールプレーイングゲームというものが生まれ、はやった。そんで大変に非難された。特に宗教の人は激しく、本気で悪魔を召喚すると思っていた。古代人は野蛮だ」
「それが完全な形で復活、いや、帰ってきた時、前回以上の非難を浴び、運命を感じた。歴史では、類似した現象が繰り返される。あるいは大きなシステムの中に、その縮小版を見る。彼方の惑星でよく見たような生物を発見もする。何度も現れる事には真理が含まれている。啓示という受け取り方もあるが、好きじゃない」
「人とは誰かに成りたがるものらしい。事に自分ができないことができる誰かに。私は誰かに成りたいと思わないが」
「化けても中身は本人だから、できるのは本人が思いつく範囲だ。しかし一方で体の性質に依存部分もある。意思、身体、環境が行動を決める」
ルキウスは視線を男たちに戻し、じゃっかん前のめりになった。言葉の流れが速まる。
「お前ら最大の失敗は人の言葉を理解できることだ。そんなに世間話がしたかったのか? 言語情報ほど簡単に嘘をかませられるものはない。毒を広範囲に伝播しあうなど、正気の沙汰じゃない。真偽確認などできまい」
「生物自体が情報の塊であり、毒もまたシステムの中で意味を持つ情報。言語情報も本質は変わらん。貴様らの中で電子情報に変換され、肉になっている。感謝するよ、民衆までよく広めてくれた。お前らにとっては、隠れ蓑であり、共生相手であり、依代だ。減らしたくはない。そして分散はお前らの望むところだったろう? 全滅の可能性が減る。賢者がいればそう判断したはずだ」
ルキウスの大きな仮面が名状しがたい驚愕の表情に変わり、腕で空を示した。
「ん? なんだ……ア! なんだあれはっ!!!!」
男たちはいっせいに腕が示した空を見る。何もない。ルキウスは笑いをこらえきれない。
「フフフ……ククク……ハアッハッハ」
腹ただしさをかきたてる、深い掘りがある表情でもだえ笑う仮面を押さえるルキウスに、視線が集中した。仮面の顔が平常に戻る。
「あまりに無反応だから、通信中は聞こえていないのかと思ったぞ。人生で一番恥ずかしい場面になるところだった」
男たちには攻撃的な感情が見えた。ルキウスはおおいに満足する。
彼は難しいことを色々と考えたものだから、シメオン・アブラモフの教育制限思想を思い出した。
制限者シメオンの出発点はテロ対策。これは当時のハザーリスタンの乱れた国状による。
かの国では最終戦争の影響で国中に兵器のスクラップがあふれ、再利用されていた。工業汚染も酷く、最貧国のひとつに数えられた。
行政は機能不全で、国外から流入した最新機器による犯罪が横行し、やがて犯罪組織が巨大化、政府軍と争っていた。
民衆には虚偽情報が流布し非常に混乱し、まともにターゲットも定められていない自律兵器が暴れることはしばしばで、小型ドローンによる食料の窃盗は日常だった。
伝統は消え去り、人々は科学的迷信を握って生きていた。文字も書けない人間が、部分的な兵器の命令コードだけを入力できた。それらは呪文と呼ばれた。いびつだった。
社会を悪化させるノウハウは誰も知らなくていい、規制が必要だ。彼はそう思っていた。
そしてある日、摘発された兵器密造工場の査察は、彼を激怒させた。
そこではまともに機械工学もわからない貧民が、AIの指示に従って兵器を組みあげていた。そのAIの使い方だって不適切だ。会話が成り立たず、人が誘導されているだけだ。何を造っているか把握していない。人がAIの奴隷になっている。
文明の終着点がこれなのか?
彼は知を人間に取り戻すことを誓う。
彼は政策に関わるようになると、知識を持つこと自体を禁止した。さらに通信を遮断、書物、記録媒体を接収して、自由学習を禁止した。
学習手順を徹底的に定め、全ての学習は政府が配給した装置で行われた。
修得知識に応じた知識免許が発行され、所有者を徹底的に優遇した。免許に応じた職に就け、待遇が決まった。
不評で費用がかかったが、ハザーリスタンの不安定化を嫌った隣国の援助――正確には彼に関心を持った協会の手回し――によって実現した。
実験的政策は安定化に寄与したが、極端で問題が多く、時間による政情の安定もあり、最終的に撤廃された。しかし、学力は短期間で劇的に上昇し、治安も改善した。この成功は世界の目をひいた。
古代より学習手順は珍しいことではないが、彼の特徴は手順を逸脱した場合の危険を強調したことにある。人類史上、大規模にこれらの危険が評価されたことはない。
新分野の研究には、新進気鋭の学究が群がった。研究が進むと教育制限思想となって、世界中に広がった。
思想の神髄は、あらゆる知識の整理と社会的な役割の徹底的な資格化にある。
徹底的な知識の大系化には、学術大系の全横断的な統合・整理、知の総括的構造整理が必要になる。
これを求める流れは再構築計画に合流し、膨大な情報が戦略AIに解析され、学術の細目が定まった。
さらに知識が人の行動におよぼす影響を知るには、人を知らねばならず、最終戦争以降、冷遇されていたフロール粒子の研究が再活発化した。
やがて人類解析計画が始動、必然理論主義と仮想経験主義との対立を経て、VRでも使用される仮想脳技術に行きつき、人の思考を収集した。
また知識が資格化されたことは、知識の価値を再確認させ、人類全体の学習意欲を高めた。見れないものは見たくなる。
これらの思想は各国に影響をおよぼし、国状に沿って実装される。
日本では、人格傾向なども含め、あらゆる技能、知識が細分化され資格化されている。
学習不可の科目は部分的に内容を開示され、興味をそそり学ぶように誘ってくる。これを知るとこれができます、この職業に就けます、行動傾向への影響はこうです、このような友人ができます、平均寿命はいくらですと。
緑野茂は自然とその世界に生きていた。
緑野茂、当時五歳は、〈人を驚かせる技術〉カテゴリーに括られた知識に吸いよせられ、その科目と、それの開示に必要な科目の半分ほどを十二歳で修めると、残りには興味を示さず実践に終始した。教育AIは色々と勧めたが、ことごとく無視した。
それが今のルキウスにつながる。
ルキウスは制限者がやったように自分を整理する。
「そもそもこの世界が良くない」言いきる。「前と違う気になる、何も変わらないのに」
「職業はいらない」力を捨てる。「思考が、戦略が偏る」
「人を使うなんてガラでもない。できる奴に押しつけた方が楽で楽しい」立場を捨てる。「無理は続かない、相応の理由がなければ」
「倉庫の中身なんて、いまだに覚えちゃいない」資産を捨てる。「子供の頃、ポケットから知らない物が出てくることはよくあった。神からの贈り物だ」
「お前らが増えるか滅ぶかに興味はない」勝負を捨てる。「ここの人間がどうなろうと知ったことか、どうせいつかは滅びる」
「余計なものがあるから引っ張られる」
できるなら、脳も心臓も骨も捨てた。
捨てるものがなくなるまで捨てて、最後に残ったのがルキウス・アーケイン。
「重要な事を教えてやろう。俺はな! 俺が楽しいってのが一番大事だ!」
ルキウスが自分に言いきかせるように叫んだ。
捨てて捨てて、視界は広く頭が軽い。
当事者ではない幽霊的な優位性を得た。
制限者に関する出来事は、情報には、危険と人を惹きつける魔力があると教えてくれる。
だから使った。
情報の津波は、その情報を得たい者も、拒否したい者もまとめて押し流す。社会に属するとはそういうことだ。
「光増感剤を対象菌のみに吸収させ、増殖を阻害、赤外線照射で殺す古典的殺菌手法がある。耐性化を防げる策だ。お前らは情報の摂取と、影響を回避できない。言葉の理解を拒否できない」
照準と攻撃の二段階に分かれた駆除手法。蟲にだけ効く毒を散布する、は分けず同時にやる策だった。蟲のイメージのせいで、高難易度の手法にこだわっていた。
「聞こえないほうが幸せな場合もある。特にペットの言葉なんての理解できない方が幸せだ」
「ウシなんてのは乳を搾ってやると、いちいちいやらしくよがって、ああしろ、こうしろと……勘弁してほしい。あれを酪農家が経験しているのか気になるね。表情が読める人はいそうだが」
ルキウスは一呼吸した。
「そしてお前らは人間と同じように死ぬ」
敵は表情が動かない。まだ通信している。