光臨
「感染はしているわ。でも私は私よ」
ミカエリは強烈な異星の気配を放っている。しかし気配は頭部以外から。体内がどうなっている? ソワラにとって想定外の事態。
「確信はないのだけれど、これをやったのはあなたね? 私の中ではよく見る顔、どこでどれだけ会ったかはわからないけど、毎日見る肖像画のように近しく感じるわ」
情報を持っている。ならば消すしかない。速やかに、確実に。
「どうやって、どうやってそうなっているの?」
やるべき事より、疑問が口から出てしまった。自分に従うべきものを従えている、無視できぬ引力。
「さあ、どうかしら覚えていないの。でも、途中からは思うようにできた。腕力は兵士より強くなったし、魔力も格段に増えた」
「馬鹿な、あれにそんな力は」
絶句、受け入れがたい。
臓器と入れ替わる力はある。だとしても全身?
「気付いたの? 多分、この子は人の体を変えてくれるのね。脳以外を入れ替えたの。脳を入れ替えるとオリジナルより劣化するみたい、でも器官としては優秀だわ。これが正しい役割」
ミカエリは自信をみなぎらせて、白い腕を愛しそうにさすった。
別の器官にする、従属している。使われているということ。体をのっとるのと逆。ありえない、否定の感情しか湧かない。
「そんなはず」
「私は彼らが従うべき人間なの」
「即席で可能なことでは……」
例え優れていても人には従わないはずだ。彼らは自己の増殖のために人を使うのであって、人に仕えるために存在していない。それに筋肉や骨になって、生殖できるのだろうか。
「やったわ」
「無理よ。そんな生き物ではないわ」
自分にできぬことが、他人にできるわけはない。自分が宇宙で一番に脳憑依虫を愛している。今だって、彼らが反省して戻ってくるなら、主にとりなすための言葉を用意している。
それが他人にできる? 彼女には許しがたい。
「私は仲間なのよ、最初からこの子と同じだったの。人の世は合わないと思っていた。変化をずっと待っていた。だから彼らが王にふさわしいと認めた」
ミカエリは唇を噛むソワラを見つめた。
「でも一番欲しかったのはあなたなの」
「力量差もわからないの、小娘」
ソワラが低い声を発した。ミカエリはそれに動じず、夢を見ているような表情をした。きっと、ここを見ていない。
「日々世界が広がっていく。私の体が世界の限界、それは無限に拡張される。知らない事でもわかるのよ。どんな賢人よりも、私が広く知っている。古びた本の知識じゃない。いずれこの世のすべてが手に入る。神に至ったのよ」
「錯覚を!」
ソワラは見逃せない言葉に鋭く反応した。
さらに蟲の反逆も目の前の小娘のせいかと怒りを燃やした。
しかし、そこまでは断定できない。蟲と接続はできているようだが、すべて制御しているとは考えにくく、考えたくもない。
いくらか指示を受け付ける個体がいる、ぐらいが納得できる。彼女が王族という地位を持ち、国民だった蟲が価値観を継承しているなら、そうなり得る。
「宇宙は私のためにある。宇宙は私、私は宇宙。あなたも私の世界にしてあげる」
ミカエリは抱きしめるように両手を広げた。すべてを手にしているような振る舞い。
「くたばれ」
嫌悪をあらわにしたソワラ、無数の青い光が彼女を囲む。あらゆる強化をのせた〔魔法誘導弾の嵐/マジックミサイルストーム〕。それは一瞬のための後、いっせいに遊びのある軌道で全角度からミカエリに殺到した。
そして立て続けに炸裂。青の強烈な発光の連続が起こり、終わる。
無傷。体の手前で爆発していた。一定以下の威力の魔法の完全無効化する障壁。連射系攻撃の弱点。
勘違い娘はさっさと飛び散ればよいものを、適切な防御を即座に展開するなど、どういうつもりなのか。お前はすぐに滅びるためにいる。
睨み殺さんばかりに顔を歪めたソワラの発狂を止めたのは、ルキウスからの通信だった。
「ソワラ、どうなっている?」
ソワラは口を動かさず、魔法で作った小さな音で返信した。
「宮殿で交戦中」
「すぐに次の段階へ移れ」
「お待ちを、少しかかるかも」
「無理だ。時がない」
「急ぎですか?」
「ターラレンがもう支えきれないと言っている。念話は届かないし、距離で通信が途切れ途切れだ。すぐに〔孤立脈矮星/イソフドワーフ〕を召喚して、都合よく偶然に攻撃を直撃させ城へ迫る敵を駆逐しなければ、中の魔術師がもたない」
使えないじじい、とソワラは心の中で悪態をつくが、自分も他人を気にしていられる状況ではない。
「予備計画を発動する。それでいいな?」
「……わかりました」
通信が切れた。またも失敗した。わかりやすい敵の親玉を用意する任務を。目の前の敵は人目に触れさせられない。
ソワラは部屋の扉を気にした。サスアウは元気になっているだろう。扉は〔錠前/ロック〕で固く閉じている。簡単には開かない。
「外ではお兄様が奮闘しているわ。助けは来ない」
ミカエリは黙って逡巡するソワラに言った。たしかに外の戦闘音が激しくなっている。
(花咲きほこる余裕を! 私の力の見積もりは不正確。力があっても若い)
「あなた、本気で従えているつもり? 支配しているつもりが、利用されているだけじゃないの?」
ソワラが叫びと罵りを飲み込んだ。ここから急ぐ意味はない。
「だとしてなんの問題が? 人類は生まれ変わるのよ。今日のために人類はあった」
「個人的に賛成しますが、望まれていないもので。それにつながっただけで、自分が変わったなどと思わぬことです」
「大人しく同意してもらえないなら、力を示すわ」
ミカエリの突き出した腕から、大粒の岩石が複数撃ち出された。
ソワラに匹敵する行使速度。感覚的に魔法を使っている。変化した肉体がそれを可能にしている、断定。
しかし対処は容易。かわす、そう判断した瞬間、ソワラの前の一点から、透明のエネルギーが爆発した。
「な!?」
マインドブラスト、精神力の爆発による物理現象を伴う攻撃。破壊するという意思、攻撃的感情に、生体が反応し現実に破壊を起こす。超能力系にしかない攻撃だ。
しかも発生元は精神の元たる脳ではない。右腕にかすかに力の波が見える。腕から放たれている。
ソワラは相殺を諦め、一撃を耐えた。衝撃波が体の中を泡立てて抜ける。骨はきしみ、視界に見知らぬ像がいくつかチラつき、思考が一瞬揺らぐ。破壊に加えて、精神への干渉。先の話からして、取得した情報を混ぜ込んだ情報爆弾。
遅れて石が肩に当たる。こちらは軽い。
普通の魔術師なら魔法が使えない。
しかし女妖術師は、長々と詠唱して精神を集中し、術式を描くことはせず、複雑な身振り手振りもない。大半の魔法を感覚で使う。
上位酸属性弱体、さらに連続で指先からは緑の光線、酸光線、ミカエリに降りかかるのは酸爆発。後者は確実にミカエリの障壁を抜いた。
しかしこれも損害を与えない。標的に周囲には酸の痕跡がない。
(完全耐性? それとも弱体が通らなかったのか)
考えを遮るマインドブラストがソワラを直撃、彼女は仕返しに火球を放ったが、これもかき消された。
ミカエリには動作がない。普通の呼吸でこちらをじっと見ている。事前に記憶したイメージを読みこむ技術や、繰り返した精神集中訓練で短縮した魔法行使ではない。超能力系魔法使いの特徴、意思と力は一体。
「思ったより頑丈なのね。力加減がわからないの。低位の召喚体を一掃する威力はあるはずなのだけれど」
ミカエリが嬉しそうに言った。
塔の魔術師なら、あれで重傷になっている。錯乱した可能性もある。
このマインドブラストが標準攻撃なら無限に撃てる。強化した一撃は何かを消費するが、標準攻撃なら素手で殴るのと同じ。力の原資は肉体ではなく精神、つまり思考できるかぎり撃てる。
脳に栄養が必要だが、一戦するのは余裕。
そしてソワラには思考を隔離して、精神を衝撃から守る魔法がない。大きな魔法は流石に魔力のタメを要するが、攻撃を受ければそれが散り、下手をすれば暴発する。
「調子に乗ったままでいればいい!」
ソワラがあらゆる魔法を探りで次々に撃ちこんだ。そしてすべて無効化された。低威力魔法は障壁で止められている。問題はそれ以外が効かないこと。
そして徐々に損害が膨らむ。筋肉、臓器が血を流している。
(酸の完全耐性、冷気、電気、毒に温度・気圧変化にも強い。高位異星生物の特徴がある。精神耐性は装備? そして閉所……相性が悪い。基本魔術は土、精神系の攻撃もあるか)
このような思考もマインドブラストが断ち切る。機銃のような連射ではないが、効果が終わればすぐに次、途切れない。
(この威力、標準攻撃ではない。としても脳では、発動しているのは腕の中の蟲。とすれば消費しているのは体力? 長期戦は……予定がつまっている)
ソワラは即座に繰り出せる魔法で、扱える一通りの属性を試した。どれも防がれている。
「この部屋か」
ソワラは忌々しそうに顔を歪めると、壁へ視線を送る。召喚ができないのは明らかに場のせい。
「お父様は蟲になった時点で死亡している。つまり私が王なの。城の機能は私を守る」
ソワラはライフポーションを飲んで、頭が冷えてきた。激情のまま潰すには強い。焦りはない。相手の攻撃力が低いからだ。しかし蟲と部屋の両面で強化されている。
相手も部屋にあった薬品を体にかけた。
(この子の力は多分、召喚士のような使役系や進化術士が有する変異誘発の天与能力、他にも何かの資質が影響してああなっている。あれらの能力は自己と魂を共有する存在に干渉する力。蟲の寄生は魂の同化、ならばありえる)
そしてわずかだがタメの時間はあった。
〔凶星の直撃/マレフィックメテオ〕、ソワラの手から現れた黒い炎で燃える流星が、一瞬で黒の線と化した。そして爆発、黒の炎が撒き散らされる。
爆発はソワラの肌も焼いた。
黒炎の中心から現れたミカエリは腕にこびりついた黒の火を払った。肩に傷がある。それ以外も肌が傷つている。
軽減されているが通った。火、負属性の混合は有効。
「なら普通に焼くまで」
「それは面白いわ」
ひたすらの撃ち合い。隕石と精神の衝突。
マインドブラストの威力が数段上がった。
無理をして発動速度を上げた凶星の直撃は、魔力消費が大きい。
(出力が上がる。厳しいか)
魔法以外で打てる手はある。ここは狭い。肉弾戦向きだ。ソワラの体が変わる。
全身がぬめった金色で染まる。眼球のすべても金色、輝きは遊色をまとい自由にして深い。筋肉と骨は強調され、いびつに盛り上がる。
長い銀髪は集合して数十本の触手になった。腕も太い触手になっている。
体は全体的に細く鋭利な印象。顔を前衛芸術と先端工業技術を混ぜたようで、とにかく人間からは遠い。それでも見た者をどこまでも引き込む引力がある。
異星化による五分間の身体能力超強化。これ以上の切り札は持っていない。
「美しい。ますます欲しくなった」
「馬鹿もそこまでいけば大したもの」
ソワラが突進する。最も強烈な精神の一撃が体を突き抜けた。止まる理由にはならない。肉体の内部に浸透する衝撃波、突き飛ばす威力は低い。
そしてソワラが鞭のように振るった触腕がミカエリの腹部、ど真ん中を完全に貫通した。
「終わりよ」
ソワラが刺さった腕を抜き、ミカエリは前に倒れていく。
衝撃、ソワラの胸がえぐられた。背中側で血が爆発して、壁を赤く染めた。心臓が貫かれた。変化が解ける。
「え?」
「こちらだって」
ミカエリが頭を上げた。ソワラの胸から血が透明な何かを滴っていく。何かは鋭利な円錐形。血の流れはミカエリの下腹部に達した。
子宮から変化した蟲は、最大の威力を持っていた。
鋭利に研いだ精神の刺突。欲しいという純粋願望の集合体による物理攻撃。それは消滅して、滴る血が床に落ちた。ソワラがよろめく。
「ここには王のために暗殺防止用の緊急復元魔法がある。致命傷は即座に復元する。治癒じゃなくて復元よ」
ミカエリの傷が無くなっている。
「馬鹿な」
ソワラが口から血をこぼして倒れる。手から逃げた杖がカランと転がった。
ミカエリは倒れたソワラの抱きかかえて、手を顔に近づけた。
「この部屋では王族の死は取り消せるの。さあ、一緒になりましょう。後で心臓も作ってあげるわ。いい心臓よ。だから、しばらく眠っていてね」
中指の先から管が出てきた。力無かったソワラが、薄い笑みを浮かべ目を見開く。
「嫌よ」
ミカエリは胴体を両断された。
ソワラの手にあるのは、インベントリから抜きはなった八十センチの黒い棒。スイッチのある持ち手から先が、真っ白に輝いている。
宇宙軍特殊部隊の補助装備、電子切断棒改。異星属性特攻。
そして金属棒にしか見えないソワラの杖――古宙神銀河の残雲が床の上で直立して、星空の遠き輝きを宿していた。
ソワラの周囲は薄い気配で覆われている。
発動された能力〈虚空の場〉。厳しい宇宙空間には何も無い、すなわち無を象徴する能力。すべての魔法効果が消滅する。部屋の機能は停止、発動した魔法も効果を停止する。
「私の心臓は二つある。そして、この空間で魔法は発動できない」
ソワラは立ち上がり、床に転がったミカエリの上半身を見下ろした。ミカエリは無邪気に驚いた顔をしていた。
「あなたの脳が残っているのは、あなたが支配者だからじゃない。あなたが人間を捨てることを望んでいないからよ」
そうでなければ、脳憑依虫がそのまま脳に寄生した。それが何かの進化をしても、完全に人とは異なるものになったはず。しかし人の核を残した。
本人が人と違うと思いたい願望に囚われていただけ、潜在的には人に執着している。
王族という特殊な家庭環境が、なんらかのストレスだったのか。ソワラにはわからない。
「ああ、残念だわ」
ソワラがミカエリの首をはねた。顔は夢見る表情で硬直した。体の各部がばらばらに大きく痙攣している。
ソワラは杖を握って効果を止め、苦悶の表情でポーションを飲んだ。胸の傷が塞がる。二つあっても重傷、しばらくうずくまっていた。
「誰かと繋がっても、覗き見れるのは劣化した能力の断片、あなたが大きくはならないし、不正確。多過ぎる情報はむしろ危険なのよ。ああ、偉大なるルキウス様」
ソワラは自分の言葉で主の偉大さを確かめると、ミカエリの遺体をすべて酸で溶かした。
そして早く仕事を終わらせて合流するべく、部屋を出ていった。
瓦礫だらけだ。マウタリがその中で瓦礫を押しのけ立ち上がれたのは、ドテンが投げた盾が彼の上を守ったからだ。それでも少しかかった。遠くで戦闘が聞こえる。
辺りは暗かった。うめき声がかすかに聞こえる。一部はやや明るく、上を見ると夜空が少し見えていた。
彼が慎重に周囲をうかがい、体をかすかに発光させた。
上階だった部分は折れて、おおむね一方向へ倒れているらしい。小さな人影が立っているのに気付いた。
「だいたいは治療したで。後方もな」
「エヴィ」
エヴィの足元にシュケリーが倒れていて、エヴィは注射器を持っている。
瓦礫の動く音がして、離れた場所でドテンが立った。
「ドテン」
「おらは元気」
ドテンがガチャンガチャンと歩いてくる。
「よかった」
「みんな眠ったで、とうぶんは起きへん。残ってるのは二人だけや」
「エヴィ?」
マウタリは不安な声を出した。エヴィが感情を感じさせない声だったからだ。それにふたり。
エヴィの腕がこれまでない速度で動いた。目で追えない。ドテンが何かを武器ではじきかえした。割れる音がして、白い煙が風に流されていった。
「二人で喰らったらええのに。いらんことしいな。すんなりいった方が幸せや」
エヴィが冷たく言った。マウタリは口を開いたが、言葉をつむげなかった。
「いやあ、ここらで終わりしようかと。まあ、森の神の祝福が消えるには数日かかるようだから、数日後か。それまで牢にでも入れとけばええやろ」
マウタリはすがるように、微笑むエヴィを見た。
「何言ってるの?」
「あの蟲を使って、世界征服する話や。そしたら研究し放題で、爆破し放題や」
「どういう……」
「察しが悪い、蟲は薬品を使えば制御できる。錬金術は偉大やで。そもそも、うちは早くにあの蟲に存在に気付いて、これは使えると思ったんや。それで、自在に操る薬を開発、つまり蟲はうちの奴隷になった。後は積極的にあれを広めたんやで」
「嘘だっ! ずっと助けてくれたじゃないか!」
マウタリは全力で怒鳴った。
「そもそも、あんな場所で偶然会うわけがないやろう。連続して奇跡が起きたら、何かの必然の中にいるんや。お前の村に感染を広げたのはうちやで」
「嘘だ。なんで……」
意味がわからない。吐き気がする。
「森の民族は珍しいから、欲しかったんや。そしたら、なんか全滅してもてな。お前は希少個体やから、育つのを待ってた。ここの連中も一緒に、まとめて収穫の時期や。それに蟲の上位固体は言うこときかんで、どうやって排除しようかと悩んどった。ありがとな、これで最初の国が手に入る。最後には全部の国や。みんな一緒になれて、うれしいやろ」
「取りこまれるなって言ったのは、エヴィじゃないか!」
「真に受けたらあかんて。それに、知らん奴を信用するなと教えたはずや。他にも山ほどな……最後に本物の錬金術を見せたるわ」
エヴィが笑って何かを飲みこみ、自分の首筋に注射器を刺した。
エヴィの顔にぶつぶつができていく。皮膚が泡立っている。吹きこぼれて表情が見えなくなった。顔以外にも巨大なこぶができていく。ボコ、ボコとこぶの先にこぶができ、それらはどんどん膨らみ、数が増える。こぶで埋め尽くされ、人の形ではなくなった。
もうブドウのお化けみたいなこぶの塊しかない。ほぼ球体に実ったこぶが合体しながら、縦に複数本の管を形作っていく。それはさらに膨らみながら、主に縦へ伸びていった。
既にドテンより大きい。やがて管ははっきりと分かれた。管同士をつなげるのは、上部だけだ。とすればあれが胴体なのか。
成長が終わった時には、六メートル以上の高さがあった。まだ変化はある。
全身にほぼ同時につぶつぶの模様ができた。それは多くが目や口に耳だった。他にも棘のようなものが所々に生え、できそこないの腫瘍もある。
最後にボコンと、頂上で青い球体が現れ、綺麗な球形のままふくらんでいく。成長が終わる。
ひだがある多数のうねる足の上の体に、青い球体が乗っている奇妙な造形だ。
「どうや? 力が見たいか?」
エヴィに体中にある口が一斉に動いた。エヴィの声だ。全部エヴィの声。
マウタリは言葉が出ない。剣を持った腕はだらんとなったままだ。
青い球体が青の輝きをまとうと、球体から四方八方に青い光線が飛ぶ。壁の一部が崩壊した。屋外にも多くの光線が飛んでいる。
マウタリは自分の足元を薙ぐよう来る光線を飛びこえた。ドテンは盾で受けている。
光線は多くを切り刻むようにしばらく走り、止まった。
青い光の焼けた跡が、爆発して青い火柱が上がる。青く輝く幾筋もの壁ができた。
城へ通じる渡り廊下が消しとんだ。城内をめざしているだろう蟲の魔術師が落ちていく。さらに城の庭や、街の方でも青い火柱が上がっている。
「ピャー! なんとか成功。どうや、これが錬金術の力や!」
エヴィの眼の大半がマウタリを見た。
「そっちは死なんようにしたるからな。みんな一緒やで、うち以外は」
マウタリの足が凍ったようだった。エヴィが足をうごめかせて、突進してくる。
ドテンがマウタリの前に入り、それを盾で足を受けとめた。その頭上では、足の一本が高く上がっていた。マウタリの目の前で、大きな破壊音が鳴る。
「ドテン!」
ドテンが踏みつぶされた。床にめりこんでいる? 頭とその周りが見えない。無くなったようにも見える。動かなくなった。
シュケリーはエヴィの後ろにいる。シュケリーだけでも守らないといけない。しかし……巨大だ。彼は逃げ道を考える。街の周囲は全部あれだ。
ドテンを踏みつぶした足が迫る。蹴り、体が反射的にかわし斬りつけた。剣は入っている。極度に硬くはない。別の足の蹴りが来る。
マウタリは数メートル飛んで壁に叩きつけられた。痛むが大したことはない。体をひねって衝撃を軽減している。それでも立ち上がれない。
錬金生物は核がどこかにある、それもエヴィに聞いたことだった気がする。この旅で得た知識、だいたいの事はエヴィに聞いた。それは信じていいのか?
この強度なら、全力の斬撃でどこでも深く切れる。足を使えば、かわせない速さでもない。
「勝てるわけない。こんなの」
勝ち、というものが無くなった。どこかで間違えた。どこで間違ったのか。王都圏に入った時から、ここにはいたくないと思っていた。それでも終わらせれば、いずれいい事がやってくるはずだった。
戦意がわいてこない。疑問しかない。視界では目や耳がうごめいている。
もう村に帰りたい、その感情だけがあふれ、視界がぼんやりとした時、すべてが止まった。自分も止まっている。動けない。視界が暗転した。何もない。
「……すべてが無くなった。村を出てはいけなかったんだ」
「外は地獄だった。村から外を考えているのが、一番の幸せだった」
「できることはやったんだ。もういい」
無限の闇に沈み、すべてが重くなっていった。そして重さが消滅した。何も感じない。
「受け入れがたいことは、世の中にあふれている」
性別、年齢、生物種、すべてがわからぬ声が聞こえた。声ですらないのかもしれない。
「誰?」
「紆余曲折を経て、君達の先祖になったものだ」
「先祖?」
「一万年前に死んで、復活する予定だった」
「一万年前……神様?」
「いいや、この文明の歴史はせいぜい五千年」
「なら誰なの?」
「難しい質問だ。もはや自分が誰かもわからぬ。溶けあってしまった。赤天を治められなかった者のひとり。我々は実のところ君達の根源でありながら無関係だ。我々は悪魔にすべてを譲って終わったというのに。自ら悪魔を名乗ることになった悪魔の気持ちはどのようなものだろうね」
「わからない。あなたはどうするの?」
マウタリはすべてがぼやけてきた。自分が何かあいまいだ。何をやっていたのかも忘れていく。
「さあ……俺も帰りたいのかもな。君に引っぱられたか」
「家に、帰りたい」
「君は十分に幸せだ。自分の行為が、目的に向かうものだから。目的地がないなんて、認められない。今だって探せばあるように思える」
「何を言ってるの? わからない」
「一つだけ覚えて帰ってほしい」
「わからない」
「ゼノン達の献身に感謝を、緑の血筋に感服を」
「……わからない」
「わからずとも、少し覚えていてくれればそれでいい。塗り替わった世界をさらに塗ってはならぬ道理はないのだから」
「エヴィがエヴィが……」
「それは気にするようなことではない。少し借りるぞ」
マウタリは檻から脱走したサルみたいな動きで、軽快に飛んで起きた。
エヴィが一歩下がった。それを見たマウタリは、不気味に笑う。
「さあ、一万年越しの茶番を始めようか!」
マウタリが放つ気配は異様。気配を読める者なら誰もが別人とみなす。
「英霊の類か? それとも神格?」
エヴィがうなった。
「世界一の喜劇役者だ。彼は眠った。状況が悪い、助太刀しよう」
外では城の庭、広場、街、うごめいている。感染者が城に殺到しているのは、夜でもわかる。
(王都を直撃したのは急いたな。周りの都市から刈りとるべきだった。そうすれば、レベル上げ、間引き、かく乱、同時にこなせた。彼はまだ成長が必要か?)
「何者?」
エヴィはとまどっている。
「神話であり、妄想であり、未来であり過去であり、現実だ。悪魔の子よ」
「こっちは錬金術の産物や!」
「さあ、手加減無用だ、悪魔の子よ。シーバーの先達として力を見せよう」
マウタリが片手で軽く剣を構えた。そしてその場で気楽に振った。
エヴィの足の一本に、大きく深い傷が入る。
「ぐっ」
エヴィの球体から青い光線が飛ぶ。それをマウタリは剣で軽く払った。命中する前の光線までが完全に打ち払われた。
「軽い」
マウタリの剣が輝き、赤いオーラの膜がたゆとっている。
「強い。これは……本気で、か?」
エヴィが肉を波うたせると、裂かれた傷は両側からの圧力で塞がった。
「いや、時間はないらしい。すぐに終わらせる」
「誰か知らんが、調子に……」
マウタリの体から真っ赤な粒子が噴出した。辺りが赤のオーロラに包まれた。塞がっていたエヴィの傷口が一気に開いた。
そしてエヴィはドンと地に伏した。下から引っ張られたような勢いだ。
「立っていられないだろう? その体は重すぎる。こちらも意識がぼやけている」
「何を……やった」
エヴィは潰れた袋みたいになって、どうにかいくつかの口を動かした。
「相殺だ、ジェントリアは失活した。つまり、神は死ぬ。神銀は銀に、神金は金に、この剣は……樹脂か、結晶繊維というやつかな? 覚えておきたまえ、世界は永久ではない。表層の膜はもろい」
マウタリが赤のオーラを止めた。エヴィは足に力を入れたが、起きあがれない。血は流れ続け、そのまま動かなくなった。青い球体は破裂して、粉々になった。
「ここは終わったな」
マウタリが剣を掲げる。
「この場に最適な手段は用意されている。〈過渡の祈り〉」
剣が優しく輝くと、一枚の光のベールが剣を中心に広がっていく。ベールは縦にも伸び、床を壁を貫通し、城の下から上まで貫いた。拡大速度はどんどん加速する。
城を超え、城壁を越え、街に達し、王都を囲む貧民街を通過したあたりで消えた。
外では次々に感染者たちが倒れている。王都近辺の感染者が一掃された。
この光は混沌属性の生物、物体に防御不可の固定ダメージ十を与える。これで死亡する生物はまずいない。
しかし、脳憑依虫は弱い。生命力は一だ。そしてこの技は、寄生された肉体を物体、頭部を生物と別々に細かく判定する。
ダメージを与えた後、本命の効果が来る。
複数の状態異常耐性低下、徐々に悪化する状態異常を最初から進んだ状態で付加、付加された状態異常を進める、の効果を持つ。装備狙いで使われることが多かった技だ。今回は本命が逆転した。
「全ては夢でしかないが、どうせならよい夢がいい」
物体になったエヴィは、光に焼かれ全体が黒ずんでいる。
「微調整は終わりだ。あとは君の王国を見ているよ。肉体がある君たちがうらやましい」
マウタリの頭がガクンと下がり、彼は帰ってきた。そこからエヴィだったものをしばらく見つめていた。
寝かされていた人々が徐々に起きだし、彼は我に返った。
「終わったよ。終わったんだ」
マウタリはシュケリーにそれだけ言うと、瓦礫に埋まった人々を掘りおこした。
こちらの大半は治療されていてほぼ無傷だった。死んでいた者の大半は感染者だろうと思った。
彼は何も言わず、淡々と作業を続けた。
何がどうなったのかわからない。エヴィが失われた。それだけが確かで、選択を間違えたように思えてならなかった。
ドテンは頭が床にめりこんでいだけで、下の階から見れば天井に顔があって、元気に応対した。
マウタリは彼にエヴィのことは誰にも言わないように求め、彼は了承した。
「それでソワラ、指揮権は取りもどせるのか?」
「直接接触した個体は可能かもしれません」
「無意味だな、目玉をつついてまわるのか?」
「申し訳ありません」
「そちらを収拾したらこちらへ。こちらは予定通りにいっている」
「はい」
ルキウスはソワラとの通信を切った。そして額をなでた。あの光を喰らった時、ピリッとした感じがあった。
「あんな技は知らないが現状には影響しない。復習は後でいい」
ルキウスにとって、マウタリの未知は許容範囲内。彼が考える予知の範囲内でもある。
蟲にまつわる騒乱の帰結に、マウタリは影響しない。