魔道城
サスアウは四人の話を聞きながら、速足で塔に帰還した。状況の変化を警戒したが、途中で邪魔はなかった。
彼は塔に帰りしだい人を集めた。
塔の五階にある広場の中心にいるサスアウ達を、集められた十人ほどの主たる魔術師が取りまいた。
その後ろには、ちらほらとそれ以外の人間が見える。塔には魔術師の家族や、成り行きで回収した役人や市井の者もいる。
サスアウが人々をゆっくり見渡して言う。
「みなの者、来客だ。占いにあった、遠き森からの旅人だ」
「皆さん、聞いてください。僕はマウタリ、森の神の使いの命により人々を救うべく王都に来ました。蟲を討つべく行動しています」
引き締まった表情のマウタリが、通る声で言った。
「四人増えても、状況は変わらないさ。千増えても難しい。奴らはいまやどこにでもいる。それでいて、目の前にいてもわかりはしない。あれは完全な生き物だよ」
《槌魔術師/マレットウィザード》の女が沈んだ様子で言った。
「いかなるゆえんにて、神の使いが君を遣わすね? 君が特別な力を持つから見出されたのか」
《動乱魔術師/タービュランスウィザード》の男は、少しうつむき、ぎょろっとした目でマウタリを見た。
「そんな自覚はありません。僕もとまどっています」
「神の意は知れず、正しき真理よ。ならば、君の意はどこにある?」
《魔道士/メイジ》が言った。
「今はただ神の言葉に従っているだけです。みなさんは上位の魔法使いと聞きました。今は戦力が必要なんです」
魔術師達はこそこそと話し始めた。彼らは、その装備、気配から、マウタリ達が普通ではないと理解して、変化した状況を知ろうとしている。
「まず私が聞こう。私が納得すれば大半が従おう」
サスアウは速やかに代表者となった。ここの魔術師に疑問を与えたなら、時間を忘れて語り出し、果てには最初と無関係の話題になっている。
「サスアウさんはどういった方ですか?」
「総魔道長。今となっては無意味な肩書だ」
マウタリは彼の回答に特別には反応しない。
「元来はスンディ地域における研究者の頭領であるが、大戦後は政治的な意味合いが強いものとなった。さらに元々を言えば、ここの王は役人にすぎない。それが国となると、封建的に振る舞い、研究者を貴族に封じた」
コロが無表情で言った。
(なぜ知っている? 引退した魔術師や、田舎に籠る研究狂いの使い魔でも逃げ出したのか)
「戦える人がいるなら、手を貸してください」
マウタリが言った。
「断ったら?」
「四人で行きます。おかげで城の門は越えられましたから」
「無謀だな。戦争と蟲のせいで魔術師は減ったが、残りの二塔だけでまともな術者が百はおる。それに道具を使えば、見習いでも戦える」
王都の武器は全て蟲の手にある。塔が魔術防壁で守られているにしても、発掘品を使えば破壊できる。
それをやらないのは敵がまともな損得勘定ができている証拠。防御の要である三塔の一つが壊れれば、王都の防衛力は無くなる。
塔の防御力より、その価値の方が防壁になっている。
サスアウは四人の情報で、助けはまず来ないと確信した。敵は長期戦狙い。だから戦うも逃げるも早い方がいい。
「蟲の支配者は必ず討たねばなりません」
マウタリが言った。
「仮に討てたとして後はどうする。街中が蟲だらけだ」
サスアウが尋ねた。
「神の意は、王を討って、そのまま王様でもなればいいだろう、でした」
「君に統治できるとは思えないが」
(陛下もそうであったがな)
「ええ、そういうのはわからないので、国を取り戻すのです。後の事は後で考えればいい」
「欲が無いな。ふうむ」
サスアウは静かに目を閉じた。判断は彼らの戦力をどう評価するかで決まる。
「あなた達の国でしょう? 協力してほしい!」
マウタリが大きく体を動かし、魔術師達に訴えかけた。
「この状況で良いとは思っておらぬ。しかしどうしようもない。腰が痛いでのう」
年老いた《占術士/ディヴァイナー》が言った。
「敵の数が多すぎる。弱いが多い敵を蹴散らすには、魔術師より戦士だ。魔力が持たぬし、群衆の投石だけで詠唱が阻害される」
若い《賢者/メイガス》が言った。
魔術師達は、せめてあれがあれば、とか、敵に弱点があれば、とか、あれこれを言いだした。
「やいのやいのと言わんと聞いとれ。どうせ、なんもできんのやから」
エヴィが言った。ターラレンが挑戦的に続く。
「顕現が確認された神の意を無視するのはどうでしょうな? 特にこの国のかたは気にするべきと思いますがな。また森より現れるやもしれぬ」
魔術師達は戦場を想像してか、少し静かになった。
「この人たち、ずっとここにいるつもりなの?」
シュケリーがつまらなそうに尋ねた。
「歳を重ねれば、自分の限界は見えるものでな。しかもここは若者ですら、走るのも難儀な者が多い。簡単には動けぬ」
サスアウが言った。
「犠牲を払ってでも、誰かがやらねばならぬのです」
マウタリは語気を強めた。
「同意しよう。しかし誰かというなら、私が誰よりも責任を負わねばならぬ。なにより討つべきは王か?」
サスアウが言った。
「ええ、国の中枢に巣くう蟲――指導者を駆除すれば、人間が協力して対抗できます。今は人間の上にも蟲がいる。道中で多くの人を斬らねばならなかった」
マウタリがサスアウを見る眼は、複雑で深い輝きを宿していた。
(青い、王を殺しても無駄であろう。城を奪還しても維持できぬ。さらに地方貴族が争いを始めよう。誰かの支援を受けなければなるまい。真面目に蟲退治をやる者などおらぬ)
「現実的にどうするのです? 単純に戦力で負けている。離脱すらできないのに、城を落とすなどと」
《源泉魔術師/ウェルスプリングウィザード》が言った。
「できぬともいえん。この者らは一万以上の蟲を屠ってここまで来た。兵も数千含んでおる」
「そこまでですか」
「同じ芸当ができるものがこの中におるか?」
魔術師達の表情には信じがたい、という疑念と興味があった。歴史上、それができる人間は存在している。抗いの時代の英雄なら一党で城を落とし得る。
「いやはや大した若者だ。わしでもなかなかに難しい」
ターラレンが髭を軽くこすって、笑顔で言った。
「私でも大変ですこと。やるとなると色々と面倒ですもの」
サスアウは甘い声に耳を引かれて振り向いた。ソワラが部屋の入口から、軽い足取りで中へと進みでた。
「おお、ソワラ殿ももどられたか」
「サスアウ殿、私見ましたの」
ソワラがサスアウに身を寄せると、艶のある声で言った。
「何を見たのですかな?」
サスアウが少し身を引いた。
「高き空から見ると、国中に点々と新たな森ができておりました。中には地平まで続くほど広大なものもございました。これまでは荒野だった所が森になっていたのです」
「はてさて、一体いかなる者の意であろうか。まったくわからぬ」
「ええ、まったく」
ソワラとターラレンが通じ合っている風な態度で言った。
「神の意が示されたんやろ」
エヴィがにやけて言った。
(この女、土精ではないのか? 振る舞いが子供ではない。言葉使いは反時計伝にあるリマイン諸島の土精と同じ)
「あっ、食料に触媒を探していたのですけれど、誰かの隠し倉庫から多くの魔道具を見つけたもので持ってきましたの。どうせ、蟲のものですし」
ソワラが持っていた荷袋の中から、豪勢な飾りつけのある杖を含む、多くの杖を出した。
「それとまだ報告がありますの」
「よい知らせですかな」
「いいえ、蟲に指揮された軍隊が四方から王都に向かっております。大半が明日明後日には到着するでしょう。全てを足せば三千はいました」
魔術師の半分は顔をしかめた。
(制圧した所から軍を動かしてきたか。とすれば原因は彼ら? つまり軍を動かすだけの脅威)
「時間制限付きか、動かねばなるまい」
サスアウがうなるように言うと、魔術師達の表情が鋭いものに変わる。
「協力してくれるんですか!?」
「戦力はある、といえばある。王都近辺の魔術師とその家族を回収してここに避難させておる。皆、仕事のある本物の魔術師だ。この塔に限れば、戦争前より戦力は多い」
「なら勝ち目はあるんですね」
マウタリの表情が少し緩んだ。
「そう簡単には行かぬ。ここに籠っておるから捨て置かれておるが、動けば街中の人間がここに集まる。最初に全員で脱出を試みた際には、すぐに塔の周囲が群衆で埋め尽くされた。
仮に王都圏の半分があれになったなら、五十万は来る。門からここまで通したのも、ここに閉じ込めるつもり腹積もりであろう。それに最初の頃、脱出を図った魔術師はおそらくやられておる。となれば、こちらの情報も漏れておる」
「それでもやるしかない」
「ああ、しかし数の差は深刻だ。塔を守るならよいが、こちらが特定の相手を探すとなると、単純に困難であろう」
蟲にとっても大勢は動かしたくないはずだ。それだけ経費が掛かる。人と違い盲目なまでに命令に従うとしても、物資は消費するし、社会運営に異常が出る。
蟲の指導部も、人と同じ悩みを抱えている。能力が複製元より劣化していることを考えれば、より深刻かもしれない。
しかし、城を重要と認識していれば動かすだろう。王都近辺に限れば食料はある。
「群衆を減らしたければ、街に火を放つ手もある。建材にはそれなりに木がある。あの住宅の密度では、簡単には消火できぬし、奴らとて混乱しよう」
ターラレンが言った。
「街には普通の人間もいました」
マウタリがシュケリーを見た。
「いかにも、万単位でおろう。大半は外に住んでおるが」
「城を落とせばいいんです。これ以上、人を殺す必要はない」
「民を案ずるのはよいが、重い荷物を抱えると自滅するぞ」
「それでもやりません、もう十分です。目の前には城が見えてるんだ」
マウタリはきっぱりと言い切った。ターラレンはそれを聞いて、立派立派とほほ笑んだ。
「戦闘において魔術師が苦手なものを知っているかね?」
サスアウが聞いた。
「接近戦とか?」
「遠くの射手、近くの戦士、自分より格上の魔術師などだ。つまり壁が効かない状況は苦手、一方的に攻撃できる状況で真価を発揮する」
「ここに来る途中でも幾度か魔術を受けました。確かに敵には余裕がある状況でした」
マウタリが言った。
「しかり、前衛が足りぬ、魔術師ばかりだ。これでは入り組んだ場所では戦えぬ。それにその魔術師とて敵の方が多い。しかも攻め、走りながら大きな魔法は使えん。防衛側が特に有利だ」
マウタリはサスアウの話を正面から受け止めていた。彼はここでは数少ない戦士だ。
「食料の出入りから城内の人数は推測できるが、変わらず一万ほどはおる。この塔で攻めに使える魔術師は、その杖を使うにしても三百ぐらいか」
塔の守備兵を残さねばならず、そもそも魔術師の家族や下働きは戦えない。
「一万ぐらいはおらが止める」
ドテンがすんなり言った。
「それは頼もしい。策は城を知っているこちらで立てよう」
マウタリも意気込みを示そうとしたが、サウアウはそれを手で制した。
「さあ、時が無いぞ。編成と準備を急ぐ。増えた物資を確認しながら策を練り、術式を作る。最低でも指揮能力のある者を殺さねばならぬ。奴らが混乱すれば逃げようもあろう」
サスアウが手をパンパンと叩いて指示を出すと、魔術師達はのそりと散っていく。
彼らは急いだが、様々な検討をした結果、日暮れを待った。城からは多くの役人と下働きが減る。全ての上層部を殺すのではなく、最優先で王族を殺す判断をしたのだ。
一度城に入ってしまえば、魔道具を奪えるかもしれないし、防衛設備も破壊できる。
少数の軍が入場した以外に城の人々に特殊な動きはなく、大半が帰宅したのが塔から確認できた。
サスアウは塔の三階の渡り廊下の扉を慎重に開けた。目指す城の入口には誰も見えない。
「みな覚悟せよ。薬で感染はせぬゆえ、殺し合いになるぞ」
サウアウの横からぼそっと声が掛かった。
「実はわしには隠し事がありましてな」
ターラレンが深刻な顔で思わせぶり言ったので、サスアウは何事かと彼の表情を見た。
「着け髭なのです」
ターラレンが髭を少しめくった。サスアウはどう言ったものかと固まった
「長い髭は気に入っておるが、なんせ生えないものでしてな」
ターラレンがニヤリとすると、サスアウもくだらないと笑った。
「大魔術師にも悩みがあるもので」
「髭が剥がれない程度にやりましょうぞ」
号令と共に、サスアウにターラレン、ソワラを含む魔術師達が静かに走り出した。その後方からは魔道車に引かれた荷台が来ている。荷台には魔術師と大型の魔道具が積まれていた。
急に渡り廊下のすべてが消えた。
「ぬ!」
走っていた者が足を緩めた。しかし足は確かに床を捉えている。透明になっただけ。上の廊下を走るマウタリ達の足の裏が見えている。
(想定より早い距離で仕掛けてきた。引き込むより遠ざける策)
「純粋な不可視化だ! 幻術など・・・・・・気にせずに進め!」
サスアウが声を張りあげた。走りにくいが、廊下は真っすぐだ。困りはしない。
同時に精神を集中して、廊下に仕掛けがないか探る。
「これは狙いやすくしたのでしょうな」
ターラレンが言った。外からは空中を走る人々が見えているはずだ。
砲撃音が聞こえた。城の反対側のやや外、進行方向の左右で光が瞬いていた。緊張が走る。
「私だけで問題ありませんので」
ソワラが杖を優雅に回す。
「《ドーラムの黙示/アポカリプス・オブ・ドーラム》」
渡り廊下に左右に、歪んでたわむ巨大な膜が掛かった。表面は鳴動する茶色地で半透明、黒と金で編まれた網を破り捨てて絡ませたような幾何学的模様が全体にある。模様は水面の油のように流動している。
その膜に飛来したものが触れた瞬間、消える。金属砲弾、魔術砲弾、細い素粒子、次々に消える。同時に砲撃音がした遠方から連続して光が明滅し、遅れて爆音が連続した。
彼らの後方では何度か爆音が聞こえ、後方から光がさした。
塔には少し被弾しているが無傷だ。新たな砲声は聞こえない。
遠方では細い火柱が複数立っている。火薬に誘爆したのか、さらに大きな爆発も見えた。
「元に戻るという予言を与えられた物は、好んで予言に従う。結果は過程を無視して確定されるのです」
ソワラが酷薄な笑みを浮かべた。誰もそれを見てはいない。