神の森
「すごく木の大きな森だ」
マウタリは見上げながら歩いて角度を変えるが、木の大きさを測る頂上の枝を見つけられない。
なぜか草が生えておらず、木と木の間隔が大きい大樹ばかりで歩きやすい。虫の音も夜鳥の声もせず、葉音は木の輪郭から感じている。
それでも慣れた森だ。恵みと危険が同居する人が暮らすべき場所だ。爽快な香りが鋭利に刺さり、警戒心を刺激する夜の森の覆いかぶさる圧力が心地よい。
「後ろは来てない」
ドテンが言った。遠くにぼやけた明かりが見えるが、近づいていない。彼らは急がず静かな移動に移行した。
「エヴィ、さっきのは本当に人で、本当にあれだったの? 僕はもう人とでも戦える、他の何かでも。できれば避けたいけど、必要ならそうする。だからもう遠慮はいらない」
彼女は親切で優しいから嘘をつく。自分にわかるように外の事を話してくれるが、省かれてるものがあるのは気付いている。
アリールでは、的は矢弦の間にあるという。極めて小さな範囲に物事の核心であるという意味だ。ささいなことと見逃せない。
「サーカスで最初に出てきたのっぽは人間やと思うか?」
「感染してなければそうだったんでしょ?」
「通路から出てくる時も屈むほどの背丈でも人間か?」
「何かいい物を食べたからああなったと思う」
「体長が二倍以上差になれば、中々同じ生物に分類はせんけど・・・・・・。他にあんなん見たことがあるか?」
エヴィが笑って言った。
「無いけど、世界は広いから」
「あそこには元人間しかおらんかった」
「本当に?」
「腕が多いのも転がってたで。倒した数と腕の数が合わんと思ったら、三本あった。もっと腕やら頭やらが生えとるのが大勢おったらこんがらがってしまうところやったで。それも全部元は人間や」
「腕は、どうにかしたら生えるかもしれないけど、手や足が多い魔物もいるよね?」
普通は魔物なら危険だが、中には人に益があるものもある。村にもいたし、外にもいるはずだ。その場合、あれではないことになる。
「魔物と違ってたいていはおまけで動かん。人として設計されとるし、部品の数なんて誤差や。ついでに人以外も含めた人種生物は亜種の関係で、基幹が同じようにできとる」
マウタリには信じがたい。またエヴィが気を使ったのではないか。
「マウタリが人やと言うでかい人なんて不便で人としては暮らせん。家で頭打つし、枝に引っかかるし、農作業したら腰が悪くなりそうや。普通の人ができる事ができん。それでも人やし、逆に何かができることもある、棒の振りとか」
「そうだね」
彼にもシュケリーが感じるものはわからない。
「まあでかいのとちっこいのでは景色が違うから、でかさ以外も、中身の方も連動して変わる。そっちの方が根源的な差やろう」
「大きいと何か変わったことある?」
マウタリはドテンに聞いた。
「ずっと大きいからわからない」
「宿の壁に頭ぶつけたやろ」
「そうだった」
「ドテンはぶつけても痛くないから、問題にはならないね」
「どっちかというと手から毒が出る方が珍しい」
エヴィが言った。
「これは精霊の力だから」
「・・・・・・まあ、動物は皮膚から色々出すもんやから、何が出てもおかしくはない」
「あそこを潰したのは正しかったよね?」
外では正しいことがわからなくなる。人生で初めての経験だ。進んでいるのも正しいのかわからなるかもしれない。敵よりそれが恐ろしい。正しい保証さえあれば、死ぬのも怖くない。
「危険な感染源を潰したのは正しい。タイミングも完璧な奇襲になった。戦闘能力があったし、よそ者とのもめ事には備えがあった、迎撃に使える魔道具が転がってたで。公演中に内側から、が最善や」
「僕は正しいことをしたんだね」
「ああ」
「良かった。でも彼らがどんな人間だったのかは知れなかった。あれが無ければ、普段通りだったのかな」
「普通に暮らせんか、暮らす気が無いもんの集団や。見た目から捨てられたか、故郷が嫌になったか、外に惹かれたか、変わり者の集まりなんやな」
(彼らは僕に似ている。自分みたいな人たちが失われた)
「あれさえいなければもっと――」
マウタリは言葉を切って、周囲を探した。シュケリーがいない。一緒に歩いていると思っていたのに。
「シュケリー! シュケリーは?」
既に暗視効果は切れている。森は暗い。
「あっちや」
エヴィが後方を指した。ぎりぎり見えるぐらいの距離に彼女の姿があった。
マウタリが引き返すと、シュケリーは木の根元を見ていた。
「気配があったのよ。動いてるの」
「ギャピギャピ」
聞き慣れない声に、マウタリは驚き剣を抜いた。
角のある奇妙な生物が逆さになって、バタバタ大量の足を動かしていた。ギャッピーである。
「ギャーッピ」
シュケリーがギャッピーに近づこうとしたので、マウタリが止めた。
「シュケリー危ないよ!」
「何言ってるの? 起きられないので起こしてくだされ、と言ってるじゃない」
「はあ?」
マウタリは意味がわからず固まった。シュケリーはそれを怪訝な目で見た。
「何なの?」
「何も言ってないよ!」
「ギャピー」
「言ってるわ」
「いや、ギャピとしか言ってない」
「ギョーギャピ」
「何言ってるの?」
シュケリーは信じられないという表情だ。冷たくされマウタリはいたく傷ついた。彼女がギャッピーに触ろうとしたので、マウタリは止めようと少し動いたが、また「何?」と言われて、手を引いた。
エヴィは「まあ、大丈夫やて」と言った。
シュケリーがギャッピーを起こして元に戻した。
「ギャピ」
「ありがとう、助かりました。我は捧げられし鍋の裏にて、方円王と薫風の君の長子として生まれた者。顔から触手が出る人間によって故郷は追われ、この森をさまよっていたところ、木から落ちて裏返ってしまい困っていたのです、と言ってる。私達と同じね」
「ギャピ」
シュケリーがギャッピーの背をつついた。
「本当に言ってるの?」
「そっちこそなんで言葉が通じないの?」
マウタリは助けを求めてエヴィを見た。
「まあそういうこともあるって」
「あるある」
ドテンも口をそろえた。二人が恐れていないので、外では珍しくない生物なのだろうか。
シュケリーは髪を地面に垂らして、ギャッピーを正面から見た。
「まあ、かわいい。綺麗な目をしてるね」
「え?」
マウタリは困惑した。死人みたいな一つ目だ。それ以前に虫にも獣にも鳥にも見えない。話に聞く妖精や魔獣とも違う。闇で見るせいもあって、とにかく異様な生物だ。
「ギャッピ」
「名前はコロにする」
「ギャッピ」
そこから二人は何かを話していたが、とにかく名前はコロになった。
コロは故郷には帰れないらしく、同じ境遇だった。それにはマウタリも共感した。シュケリーは境遇と無関係に気に入っていた。
「翻訳の道具はあったっけ?」
「念話ができればわかる」
エヴィが言った。
シュケリーが荷物から発見したのは、紙でできた人の唇だった。〈ダニカの口移し〉。装備品に貼ると、そこから口に依存する効果を発生させられる道具だ。
それをコロの背中に張った。
「これで通じておりますか」
コロの背中の唇が動き、男性の声がした。
「うん、わかるよ」
背中に人間の口があるのは、余計に気持ち悪い。
シュケリーは大切そうにコロを持ち上げていた。
「私が持って歩く」
「お嬢さん、私はこの通り足が多くあるもので走るのは得意なのです」
「でもまた裏返るかも」
「走っている分には大丈夫なので。さっきはちょうど根の間に挟まったのです」
シュケリーは抱えたがったが説得され、渋々コロを地面に下ろした。
「あれも人間?」
マウタリは不安になってエヴィに尋ねた。
「違う」
「でも喋ってるよ。何言ってるのかわからなかったけど」
「魔獣でも会話ぐらいするて」
「人間って何?」
「・・・・・・人から産まれて、人として生きて、人を産むなら人」
「なんかおかしくない? 答えになってる?」
これも省かれている感じがあった。原因が自分の知識不足にあると、彼は理解した。エヴィは彼に理解できる言葉を選んでいるのだ。
「問いの難度が高すぎるんや。死ぬまで考えなあかんようになるで。何なら人として行動するとか、文化的とか、グルメとかも足すか? 遺伝子的にも定義不能やで」
「自分で考えるよ」
「それがええ。人やと思ったら人や」
一行は五人になり再び森の奥へ歩み始めた。
コロはシュケリーの前を歩いている。
「追って来てないけど、もっと奥に行かないと不安だね」
「街道から離れましょう」
彼らが家を出す場所を探して歩いていると、森の奥から枝の折れる音がした。さらにザッザッザと等間隔の重く擦れるような音が連続して聞こえる。
彼らは音源を警戒して探った。
「このリズムは四足の獣ではありますまい。振動からすれば、巨躯でありながら軽やかな走り。それでいて、木々を薙ぎ払っている、繊細な走りではない。同時に空を切る音も混じっている」
コロが言った。
「まあ、コロは賢いのね」
シュケリーが感心して言った。
「あまり目が動かぬ分、振動には敏感にて。音は確実にこちらへ向かっている。距離は四百ほどか」
音が次第に大きく、リズムは速くなった。
遠くに影が見えた。十メートル以上ある円形で、ぶれて見える。
大きな影が木にぶち当たり、枝を蹴散らし、回転しながらこちらに向かってくる。
暗い森の中頃の高さに浮き上がるような白、それを囲む影がぶれている。シュケリーが光球を作り、音の主へと飛ばすと全身が照らされる。
歪曲した三枚プロペラみたいな影が回転している。それは腕だ。その中心で回転する尖った白には二つの赤い目が見える。
「クウィンセラ! 《硬三本腕/シラブクウィンセラ》!」
エヴィが言った。




