神殿
神殿は非日常を演出したがるものである。逆に言えば奇異な場所は神殿である。美しくとも、清浄でも、悲劇的でも、おぞましくとも、過ぎ去った栄華の遺構でも、古代の超技術の残骸でも、神殿である。
無数に分岐した幹が机上になったガジュマルの木を中央に配置し、壁をツタが埋め尽くし、散りばめられたヒカリゴケと巨大なヤコウダケがひんやりと照らす室内も、神殿と言ってもいいだろう。
それが神の思いつきと育児面倒くせえと思いながら行使された魔法によって発生し、聖人の几帳面な要求にうんざりしながら急いで配列されたものでも、神殿である。
「おお、勇者よ、死んでしまうとは情けない。偉大な緑神に選ばれし者でありながら、なんということか」
白いキツネの面をした女の嘆きを見上げ、マウタリは反応できなかった。彼は横たわっていて、そこに横から組み付く衝撃があった。衝撃を与えた者は強くしがみついて離れない。
シュケリーだ。彼女は怒りと不満と闘志を感じさせる表情で、じっとりと彼を見つめた。こんな表情は見たことがない。
「私にマウタリは大丈夫と言った。だというのに生首になってた」
自分は死んだのか? 考え至るなり、シュケリーに短杖を鼻の穴に突っ込まれた。
「ちょっと、やめてよ」
「一回ぐらい鼻から水を飲んでみても。きっと、のど渇いてるよね」
「死ぬから」
「死んでも大丈夫だったから、やっていいと思う」
死んで大丈夫なわけがない。それでなくとも、鼻と口が噴水になってしまう。彼は顔を逸らした。
「復活だあ!」
それから逃れたかと思えば、次はドテンに両手で高く掲げられた勢いで、天井まで飛んでぶちあたった。さらに落下して、床に転がった。
マウタリは二度のうめきを経て、床に座りこんだ。
闇で男と斬り合ったところまで覚えている。どう死んだのかはわからない。
しかし考える余裕は無い。ドテンが金属の体でしがみつき、ギリギリと締め上げたからだ。
「おらが離れたばっかりに!」
マウタリは圧迫され、ベキベキと音が鳴った。
「痛い! 潰れ……る」
それをエヴィが引きはがそうとしたが力負けし、マウタリに油をかけて引っこ抜いたので、彼はべとべとになった。
「……ここは?」
「ここはゴファ・シュの中にある隠し神殿やで」
エヴィが言った。そして一人知らない人がいる。ドテンに折られた腕を治してもらった。
「私は偉大なる緑神の神官で、臨時出張してきたのです。安心なさい、この地に巣くう悪逆非道の徒は全て討たれました。しかし様々な道具を賜っていながらなんということか、あれを十全に扱えれば危機を脱せたというのに、日頃の心がけが──」
マウタリは狐面の長い説教を聞かねばならなかった。エヴィとドテンも次第に巻き添えを受け、彼らは逃げるように神殿を後にした。
「体調はどうや?」
エヴィに聞かれ、マウタリは飛び跳ねてみた。
「体が軽いような」
「それは僥倖、で、どうする? 北の門を出る分には問題ないけど」
「王都へ行かないと、ここは十分に見た」
「死んだのにやる気があるやないか」
「覚えてないし、気分はいいから」
足は自然と前に出て、誰かに急かされているように感じる。
「本当に元気なの?」
シュケリーが言った。
「うん」
「これ食べる?」
シュケリーは持った袋からハスの実を取り出し、次々に彼の口に詰め込んだので、彼はそれを食べた。彼女が杖に興味を示さないの見て、心配をかけてしまったなと思った。
「王都の方はあれがもっといるはずなんだ。だったら早く行かないといけない。どうすればいいのかわからないけど、ここと同じで見れば思うことはあるはず。だからまず見たい」
マウタリ達は再び王都へ向けて進み始めた。
それと反対にスンディ中央部を囲む周囲の五地域の境では、中央から地方へ流れる民衆の動きがあった。数は千に満たず国からすればわずかである。
こうなったのは、中央を囲む五地域が結託して中央を攻めるとの噂が同時並行的に流布していたからだ。
先に戦争の失敗で王権は揺らぎ、中央と地方の不和、魔術師と軍の対立、魔術師内の勢力争いは民衆にも認識されており、漠然とした不安が戦争から広がっていた。
争いに巻き込まれたくない人々の一部は、ほとんどの人が帰らなかった先の戦争が想起され、なけなしの資産を抱えて歩いた。
人でない者にとっては、外へ流れる機会であり、彼らも人に混じって流れていた。
しかし誰も生活のあてがあるわけではない。
表情は暗く、うつむきがちな彼らは、あるはずのないものを見た。荒れた道端に茂る木々とそれにぶら下がった実だ。
彼らは知らないがキウイだった。
一人がそれを口にして食べられそうとわかると、流民たちはこぞって果実を収穫した。誰かの畑かなんてことを考える余裕は無かった。
彼らが行く先の道には不思議と果実を付ける木があり、導かれるように街を避ける道筋で、王都から遠ざかった。
ルキウスは身を隠し、遠目にそれを観察していた。
「実を付けすぎたか、定住しかねん。中央よりから枯らしておいた方がよさそうだ」
彼は近隣の食糧庫、畑のいくつかに火を放っていた。
火を見ていると、胸の奥がチリチリ焦げ付いて、憎悪が吹き出し踊りそうになる。我慢しての仕事だ。部下にやらせるつもりは無い。
流民たちはこの火を迷信的に恐れたり、戦争に関わる何かと疑っている。いずれにせよ、恐怖と不安は増幅され、生活環境は悪化した。
人々が住むのはほぼ中央と地方の境で、発生した流民はほぼ地方へ流れている。中央は穀倉地帯なので、そちらへ行っても良さそうだが、軍事的に五地方が優位だし、円の中には逃げ場がない。
人も蟲もまとめて駆逐するなら、大魔法を必死で連発しなくても、国境の沿いの食料から焼いて、内側に追い込んでいけばほぼ餓死すると彼は思った。
しかしやる気は無い。蟲に指揮官がいれば、意図を察した時点で全国民で国境を突破しようとするだろう。大混乱になるし、流石に止めきる自信が無い。
「……まあ、予想通りだ。スンディの人間の思考形式は地球人と変わらない。それと王のために戦おうという文化は無いらしい、魔道の国、そういうことだな」
民衆が強いザメシハでも、王や領主のために戦おうする人間は多いように思えたが、この国の人間は違う。少なくとも死ぬ気は無い。
ソワラが転移してきた。彼が移動するためだ。彼女が声を発する前にルキウスが聞いた。
「今、手の空いてる者はいないな?」
ゴンザエモンは岩に半分埋めてある。埋めても飯はまだか、とうるさい。もう岩から出したくない。
「ご用命ならば私が合間に」
「盗賊が進路を塞ぐと面倒だ。民衆を狙う盗賊は排除しろ」
「あの集団の移動を助けるので」
ソワラからすれば奇妙な要求、蟲を助けているようにしか思えない。
ルキウスは独断で動いている。部下に意図を話していない。
「十万の蟲が二十万になっても大差はない。百万でも同じだ」
ソワラの口数が減ったのは失敗のせいなのは明らかだ。
「蟲を見つけても狩るな。蟲を認識して狩る集団は勇者だけいい。この国の誰かが気付いて奮闘するのを止める必要はないが、原則的に彼らの敵は勇者、ザメシハの調査団、国境の封鎖者だけだ」
生命の木の蟲が持っていた情報は少ない。こちらの戦力は知らないはずだ。
「これは何をされているのですか?」
ソワラが目を伏して言った。
「人は易きに流れる」
ソワラは何も言わない。
「流れが進むか、止まるか見ている。どうせなら一方向に流したい、その方が綺麗だろう?」
「感染が進むのでは?」
「元より状況は悪化の一途だ! したがって問題無い」
ソワラに理解できる考えではない。
「綺麗に流れるのは数式にできるような法則があるからだ。今は知らなくていい」
「塔は一月ほどしかもちません」
彼女は自分の仕事をすることにしたらしい。
「突破はされんだろ?」
「ターラレンがいる以上はそうです。しかし中の士気は落ちています。脱出を図るやも」
「もたせろ」
ルキウスは強く言った。
「……中の人員をお望みなのではないのですか? 郊外に脱出させて勇者を待たせてもよいのでは」
ソワラが戸惑った。
「包囲されていると見るか、杭を打っていると見るかは考えようだ。心臓部に杭が刺さっていれば、スポーツ大会を開催しようとは思うまい」
蟲が情報共有しているなら放置はしない。勇者を認識しているかはまだわからない。しかし王都で騒げば認識するだろう。
「気楽にやれソワラ」
ソワラの名前を呼ぶと、彼は精神が落ち着く。宇宙船から取った名前だからだろう。宇宙を意識すると足場が固まる。
緑野茂は子供の頃、宇宙船の艦長に成りたかった。しかしリアルに外宇宙探査船の生活を思い浮かべた時、あまりに退屈な時間が続くと思い、広すぎる宇宙はやめた。
それでもアトラスが無ければ、宇宙関連の仕事に就くぐらいはしただろう。
人生とは不思議なもの! 歳をとり宇宙にまたもたれ掛かるとは思いもよらない。
「ありがとうございます。しかしこの失敗は必ずや」
しかしソワラは大きく考える余裕は無いらしい。問題を解決してやれば落ち着くだろう。それをやるのはルキウスの仕事であるが、まだ準備が必要だ。
「帰るぞ、忙しいんでな」
ルキウスの仕事は多かった。毒の選定も停止したわけではない。




