プロローグ1
必然の再開
西暦二二七一年、勃発した最終戦争は人類の歴史を寸断した。
最終戦争の期間は二年に満たない。
人類の歴史にとって微粒子ほどの期間で、世界を破滅の波が襲った。
結果、築かれた秩序は御破算、地理は戦略級兵器で物理的に変更された。
新たな海が増え、川は湖に、砂漠が湿原に、山が穴に、気候すら変わる。
現れたのは、もはや別の惑星。
最終戦争後、半世紀にわたって各地で小規模な戦乱が続いたが、徐々に収まっていく。そこからやっと始まる。
それは恐ろしく順調な復興。世界が復興に動きだすと、ありとあらゆる分野において、実に不自然なまでに深刻な対立は存在しなかった。
世界はむやみやたらに発展した。
永久に失われた一部を除き、復活しさらに発展した科学技術、前時代にはなかった合理的な社会制度、地形に順じた合理的な国境。前時代では複雑に絡みあい困難であった問題が解決されていた。
皮肉なことに最終戦争によるリセットで、人類は望み続けた完璧な地球を手にした。
それは再構築と呼ばれる。
奇跡と称えられた再構築、人類は過去にない安定した発展を続けていた。
娯楽も発達した。その中の一つにVR技術がある。
この時代では一般的なVRは、量子干渉技術を用いて思考と機器を接続、仮想世界で五感の全てを再現し、仮想世界で仮想の肉体を操作する技術。
フルフェイスヘルメット状のVRインターフェイス、VRギアを頭に被り仮想世界へと旅立つのだ。
西暦二三八七年、繁栄を謳歌する世界に、一つのVRMMOゲームが誕生した。
VRMMORPG〈アトラス〉、その名には原義である『歯向かう者』という意味が込められている。
VRMMORPGとは一般には、大勢のプレイヤーがVR技術で、作成したプレイヤーキャラクターを操作して同じ仮想世界で冒険、戦闘、生産活動などを楽しむゲーム。
〈アトラス〉も、基本は一般的なVRMMORPGではあった。
だが〈アトラス〉にはこの世の全ての娯楽とは隔絶した致命的な差異が存在した。
戦車や戦闘機、アサルトライフルなどの近代兵器、特に最終戦争で使用された兵器がゲームに登場する。
それは最終戦争以前の世界では普通だった。
だが、再構築世界では、病的に近代兵器は拒絶され、禁忌となった。
娯楽における戦闘といえば、剣に弓矢、人体から発射される謎の光線などで行われる。
作品に銃を出したものなら、誰かに射殺されてもおかしくなかった。
〈アトラス〉は世界の禁忌に挑戦したのだ。
抵抗者にして革新者、そして王者、それが〈アトラス〉。
発売後すぐに大きな社会問題と化し、銃器の解禁に賛成する者と反対する者に分かれ大論争となる。サーバーに対するサイバーテロが相次ぎ、ゲームの仮想空間内に抗議者があふれた。
そんな大混乱の中での船出となった〈アトラス〉の話題性は抜群。発売から十日しない内にプレイヤー数は億を超え、一年で五億を超えた。莫大なプレイヤー数をもって運営会社は自己の正当性を主張した。
銃を装備したプレイヤーたちは徹底して運営を支持した。
演奏会のイベントでも銃を使って演奏する徹底ぶりだった。これらの着想は運営に拾われ、銃で演奏し歌う〔銃詩人/ガンバード〕、鍵盤で複数の砲を操作する〔演奏砲手/キーボードガンナー〕のような突飛な職業が実装された。
運営開始から三年もした頃に〈アトラス〉は社会的に勝者となり、莫大な利益を生み出した。価値観に革命が起きた。
発売から十三年、西暦二四○〇年一月、世間が再構築後、初の新世紀を祝い、アトラスでも多くのイベントが催されている。
そんなアトラス仮想空間内に存在するセーフハウスの一室。
全面板張りで唯一の四角い窓から光が差し込む落ち着いた印象の室内。やはり木製の小さな机、その前の木製椅子に一人のキャラクターが腰かけている。
シルエットは細身、肌は白すぎて青白い印象があり、優しく開かれた眼は美しい緑色で正にペリドット、大きな耳の先は尖っていて、差し込む光を受けた長い金髪はダイヤモンドの様に輝いている。
胸部には印の刻まれた濃い緑色の木製胸当て、背中に同じ色のショートボウと矢筒。胸当ての下には長袖でタイトな上着、同じくタイトなズボン、背側には全身を包めるマント、色は全て派手さのない枯れた緑だが、それぞれの色はわずかに異なる。漆黒の腕当てに漆黒の皮ベルトが目立ち、足元には金色で紋様が描かれた黒茶色のロングブーツ。金属の装備品は無い。
緑野茂の操作キャラクターで種族は〔森林妖精人/フォレストエルフ〕の〈ルキウス・アーケイン〉だ。
緑野茂は三十二歳の世間的には平凡な独身会社員で最初期からアトラスを遊んでいる古参プレイヤー。彼はアトラスの発売に歓喜し、以来、人生においてアトラスを最優先してきた。
といっても彼は銃を撃ちたくてアトラスを開始したわけではない。
アトラスは古代文明から機械文明、超魔道機械文明までが登場する幅広い世界観を持ち、単純にゲームとしてよくできていた。
完璧な世界は開発者たちの覚悟の表れだ。社会的に終わっていたのかも知れないのだから。
彼は都市生活者で、VRゲーム内に自然を求めてアトラスを始めた。
ゲーム初期、世界はアトラス独自の近代文明系の職業選択者で満ちていた。
森特化キャラであったルキウスは、よく銃装備者に攻撃された。彼はむきになって反撃し、それが繰り返されるうち、本格的に森の守護者として、森に入る近代型のプレイヤーを狩り始めた。
緑野茂は特別に自然保護主義者とかではないが、勢いに流されるままに森林・密林特化型プレイヤーの道を歩む。
ルキウスはもろい銃使いに対して相性が良かった。
初期の職業構成は〔野伏/レンジャー〕型で足の速さで距離を作り、罠を活用しつつ動物の仲間を盾にしてショートボウを連射した。森の中でこれらの戦法は効果を発揮したが、ソロでは人数差があれば厳しかった。
そこで緑野は戦法を変えた。
〔大全裸/グレートネイチャー〕の職業に就き、恐ろしげな石仮面を装着し、勝てない相手にはパンツ一丁で突撃、敵の顔面に虫を擦り付けて回る戦法に出た。直接プレイヤーの精神を攻撃にかかった。なお、パンツは設定上脱げなかった。もしも、パンツが脱げたなら何が起きただろうか? それは誰にもわからない。
森の変態に襲撃されるプレイヤー側から記録された映像がアトラスの世界観を顕著に示すものとして、公式動画サイトにアップされた。
どこからともなく飛来する毒矢、知らぬ間に消えていく仲間、響き渡る獣の咆哮、小悪さに香る草木の罠、対戦車地雷を踏んで派手に宙を舞う車両、飛び交う毒虫、不気味な石仮面を装着した野人の突撃。
騒めく森に飲み込まれていくプレイヤーを記録した動画はホラー映画さながらであり、この影響で森から逃げるプレイヤーと森の変態討伐隊を発生させる。
ルキウスは名物プレイヤーの一人になり、アトラスの各地に大勢の変態が増殖した。
変態と討伐隊の攻防は熾烈を極め、多くの隊員が精神を病み、一部は目覚めた。虫押しつけ戦法はハラスメント行為として通報されたが、これがハラスメント認定されるまでには二年半の月日を要した。
その頃には森の変態の姿はなかった。森の変態はもういない。
森の変態は森の神になった。
〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕、〔自然祭司/ドルイド〕などを経た、彼の終着点。特化職は神系の職業によく行きつく。古き緑は森林・密林地形内で無敵を誇る。
地形限定だが、特化した職業構成と装備品から来る戦闘能力は凄まじく、大勢で相手をするのが前提のレイドボスを、単独で撃破できるほどだ。
森の平和は守られた。
以降、ルキウスはアトラスでは森の神と呼ばれた。これに緑野は内心、神になって本当に良かったと思っていた。リアル友人にでもばれたら洒落にならない。
そして西暦二四○○年現在。
アトラスは依然として娯楽の王者。最盛期程の勢いはないが、拡張され続けた世界は広く、熟練者から見てもゲームシステムは複雑で極め甲斐がある。
だが緑野茂はマンネリ気味だった。これはルキウスの職業構成に起因する。
アトラスの初期最高総合レベルは五百。最大レベルに達すると転生をできる。
転生するとレベルが初期値の一に戻り、ステータスポイントとスキルポイントを転生ボーナスとして得る。さらに最高レベルが五十上がる。最高レベルは千。
つまり、十回で最高総合レベル千、ここまで来て一人前プレイヤー。
五百レベルまでは猛スピードで上がる。運営開始直後でも、最前線のプレイヤーは二月かからず転生していた。彼もそうだ。
転生ごとにレベルを上げるのに必要な経験値量が五%増える。転生によって上位プレイヤーも強さが固定化されず、転生後は弱くなり、新鮮な気分で一からゲームを楽しめた。
ボーナスは累積するので十回目以降の転生も無意味ではない。最強を目指すプレイヤーたちは無限の苦行に身を捧げる。
ルキウス・アーケインもそんな修行僧。
森特化のネタキャラと思われがちなルキウスだが、効率的に強さを求めている。森の平和を守るには強さこそ至上。
転生ボーナスによる恩恵が明確なのは基礎職業レベルを削れることだ。
基礎職業とは人間や妖精人などの選択した種族と同名の職業。対して戦士、魔術師等が標準職業。
基礎職業のメリットは条件が簡単で取得しやすいこと。基礎能力、生命力や腕力が多く上昇し、少ないスキルポイントでスキルが獲得できる。
これは転生ボーナスで補える。よって転生を繰り返すと基礎職業レベルは減る。
ルキウス・アーケインは職業性質の関係でそれができない。
結果としてのマンネリ。とはいえども、他にすべきこともないために資金と時間はアトラスに費やされる。
今は新世紀だけあってイベントは盛り沢山。アトラス内も現実も浮かれた雰囲気で埋め尽くされている、ありとあらゆるメディア、場所で祝われる人類史上最大の祝い事だ。
イベントには彼に有利なものも存在し、それに向けた準備が終わって一服しようとしている。
アトラスでは消費アイテムを使用すれば手元から消える。生産行為は材料機材を揃えて生産スキルを実行すれば生産処理が終わり、完成品が発生する。
それらをリアルな感じにできるリアルモードがある。実際に金床で金属を叩いて鍛え、食材を切って調理したりできるモード。
リアルモードの方が良い品を制作できるので生産職には意味があるが、飲み食いなどは雰囲気だけの完全に趣味の産物だ。
リアルモードでの戦闘も、ひたすらに難易度が上がるので趣味人しかやらない。
彼はそのリアルモードをセーフハウス内で起動して、紅茶を飲もうとしている。
ゲームデータ的には無意味であるが、窓からの景色を楽しみながらゆっくりするのもVRの醍醐味だ。
彼はインベントリからブラックアドニス紅茶の入ったポットを取り出してカップへと注ぐ。カップの中で揺れる赤黒い液体を見ながら、ポットをインベントリに戻した。
ブラックアドニス紅茶の甘くかぐわしい匂いが漂う。実在すれば、さぞ高い値が付くだろう。もっとも、毒耐性が無ければ飲めないが。
ルキウスがカップを手に取ろうとした時だった。
ゴゴゴゴゴゴ、ゴンッと重い音が響き部屋が揺れた。
「ぬおっ、なんだ~地震? イベントか? 紅茶がこぼれるって」
反射的に机とカップを押さえた彼が苦情を言う。今月はイベント盛り沢山だから、その中に何かあったのだろうと考えた。
「俺の知らないところで楽しんでんなよ」
かすかに続く振動が収まり、とりあえず紅茶を飲んでしまおうと勢いよく口に流し込んだ。
ルキウスは表情をゆがめ、口に含んだ紅茶を噴き出した。